Starring:提督
最初に空母赤城を、彼女の髪を見た時、あの人を思い出した。
流れるような黒髪があの日々を想起させるのだ。結婚して髪を染めた時、なんてことをするんだと勝手な義憤に駆られた。止めなかった
そして友情は憎悪に変わった。いや、もういい。
彼女が俺に気付いた。感傷は中止される。彼女にあの人を投影するのは大変失礼な話だろう。もう全部終わったんだ。
「事務方の下士官さん、ですよね? 着任は明日なのに、仕事熱心なんですね」
穏やかな笑みだった。ほらね、快活で多弁なあの人とは違う。でもちょっとだけ。ほんのちょっとだけ見惚れている俺がいて、気まずさと共にいらない感情を頭から追い出した。
……という、詩情あふれる出会いだったわけだ。最初は。最初だけは。
ところで下士官って? 何故そう思ったんだろうと聞き返そうとして、そう言えば今俺が座っているのが事務員用の机だと気づいた。でもって今日は軍装ではなく普段着だった。着任前日自分の仕事場を確認したくて、訪と言うよりなんか気が焦ってここに来てしまったわけだが。一番奥にある、部屋の主が座る椅子を見る。事務担当の下士官が座る机に、俺は座っちまったのは、あれを重たく感じのかもなぁ。
ともかく、彼女はそれを誤解したようだ。
「こんな格好で悪いな。俺は……」
訂正しようとした時、彼女は俺を気遣う言葉をかけてくれた。
「何か押し付けられたりしたら、言ってくださいね」
良い子じゃないか! 常にしゃべっている何処かの初期艦とは大違いだ。でも押し付けるってどういう事だ? 話が読めない俺に、彼女はむーっと眉にしわを寄せている。
「新任の提督なのに専業の事務員を連れてくるなんて、凄くぜいたくです。きっとすごくなまけものなんですね」
あーはいその件ね。それは俺が着任するにあたって要望したわがままだ。最大限の時間を艦娘たちとの関係構築に使いたいからな。でもまあ、公務はぱっぱとこなす先輩に比べたらぜいたくだ。
この時俺は、訂正の言葉をためらった。ためらってしまった。ころころ変わる彼女の表情が楽しくてついである。くすくすと笑う笑顔は、とても可愛らしいと思った。
「ありがとう。その時は頼むよ」
言っちまったぞ俺。益々誤解は深まるばかり。どのみち明日の着任挨拶でばれるってのに。思ってしまったんだよな。この子とは提督の肩書を付けずに話してみたいと。要は完全なる現実逃避だ。
「下士官さん。ええと……」
彼女の意図に気付いて、俺は名を名乗る。つい階級は伏せて。
「俺、
罪の意識だろうけど、自己紹介はぶっきらぼうなものになってしまった。それでも彼女は初対面の挨拶をする。そしてそれはビックネームだった。
「よろしくお願いします、津田さん。私は航空母艦赤城です」
赤城と言うと、あの赤城か? よりにもよって俺は、機動部隊のボスに嘘をついたのか。これ、まずくない?
一航戦赤城、艦隊旗艦にして、泊地の中心人物。この
そんな苦悩を全く知らず、赤城は
「すみません。お仕事続けてください。静かにしてますから」
軍隊では繕い物は必須スキル。俺も
「下手でしょう? 提督――前任に教えて頂いたんですが、なかなか上手くいかなくって」
そうはいっても、なんか楽しそうだ。なるほど。前任に教わっていたから、彼女がいたこの場所でやるのか。これだけでその絆が理解できた。そこに俺が割って入ることになるのだが。
「趣味と実益を兼ねて、の子たちの名札を縫わせてもらってるんです。苦手な子もいますから」
語る彼女の表情は明るい。最初は苦手でも、諦めずこつこつ練習した奴の方が上手くなる。これは裁縫だけでなく、兵器の操作も同じだ。要領の良さは軍人の必須スキルだが、それだけではやっていけないのは、たぶん一般社会と同じだろう。それに失敗を楽しんでいるなら、俺がどうこう言う話ではないな。
不器用に針を操る彼女を見て、俺はつい尋ねてしまう。
「前任は、どんな人だった?」
「そうですね。ちょっと酒癖が悪くてサボり魔で
俺は、その完璧な提督に勝たねばならない。それがいかに困難か、俺自身が誰よりも知っている。あの人のダメダメな私生活は別として。
「提督は犠牲をとても恐れる方でした。一人も沈めたくない。だから危険な作戦でも信じて戦えました」
そこには前任に対する完全ともいえる信頼があった。その彼女を失った不安も、慟哭も。俺は乗り越えねばならない。そしてここの艦娘たちは、
数か月後、この泊地を総動員した大作戦が待っている。俺なりに先輩の弱点を分析し、よりリスクの低い形で組み上げた作戦計画書が、既にこの基地の金庫に収められていた。だが沈み切った士気だけは、会心の策でもどうにもならん。
「後任の提督を、憎んでいるのか?」
聞いてしまってから後悔した。そして赤城は即答しなかった。少し間を空けて、彼女は言った。
「分かりません。私にとって
「……そうか」
精一杯の現実との妥協なんだろうか。
「いたっ!」
針で突いたらしい。赤城は反射的に指を咥える。ああ。慌てるとやっちまうんだよな。彼女はちょっと拗ねた様子で、縫い付けた名札を引っ張り、それは見事に外れた。つい愉快そうな目で見てしまった。恨むような視線が返って来るが、怒るとかじゃなく、ちょっと涙目だった。
「針を入れる間隔が広いんだ。あと、返しは丁寧に」
「うーん、こうでしょうか?」
彼女はあれこれと思案しながら、名札を縫い付ける。
「津田さんは、どのくらいで出来るようになりました?」
どのくらい、か。こっちは時間に追われて必死にやったというかやらされたからな。もう覚えとらん。
「うーん。数ヶ月はかかったと思うけど?」
「数ヶ月! 凄いです!」
いやいやそんな事で尊敬の目で見られましても。俺はかなり遅くてどやされた方だぜ?
「せんぱ……前任も、いや前任は自衛隊からの移籍組で防大卒だから、そのぐらいで覚えたんじゃないかな?」
「……? あの人の事、随分詳しいんですね」
やべっ。俺は反射的に取り繕う。そもそも俺が下士官なら
「ここに来る前に聞いたんだ。前任って、もの凄い智将だったと言うじゃないか」
言ってからまた嘘を重ねてしまった。必死に話題を逸らす。
「そう言えば、新任提督が
「果物ですか!?」
すごい食いつきだった。深海棲艦との戦争で、甘味のようなものはぜいたく品になった。着任に当たってのちょっとした
「た、確か
「林檎! 銘柄は!?」
しらねーよ。軍の補給で林檎の銘柄を尋ねるか?
俺は頭を掻いてパソコンにIDを打ち込み、搬入された物資の記録を呼び出した。
「『紅玉』と言う種類らしい」
「紅玉! 素敵です!」
林檎の品種が紅玉とやらで何が素敵なんだ。最近は物不足で、主流じゃない品種も食べられてるそうだから、当たり外れもあると聞くが。どうやら紅玉と言うのは当たりらしい。
「紅玉はお菓子に使う品種なんですよ! そのままだとすっぱいんですけど。間宮さんにお願いすればアップルパイとか作ってくれる筈です! 何たる至福!」
「そ、そうか」
さっきまでの品のいい女性は何処へ行ったんだろう。俺は振り回されてたじたじになる。赤城と言う艦娘は、何処の鎮守府でも健啖家らしいけど、もっと大人しい自己主張をすると思ってたわ。
「でもまあ俺はすっぱい果物好きだから、そのままでもいいかな?」
「ほう。なかなかの趣味人ですね」
趣味人? なんか、話し方も食い気味になってきたな。
「人の身体を得て食べる事ができるようになったのは嬉しいですが、甘い果物しかないのはがっかりでした。林檎や柑橘類は甘いだけじゃ駄目なんです」
そんなもんかと首をひねる。ただまあ言われてみればほぼ同意なんだよなぁ。
「俺もはっさくとか大好きだな。ネットに『酸味を取り除く方法』なんて記事があるけど、余計な手を出すなと言いたい」
「そうでしょうそうでしょう!」
あれ、なんか意気投合してる? 一航戦赤城ってもっと気位が高いと思ってた。親しみやすい子じゃないか。そこから会話は妙に弾む。
「『金沢カレー』と言う素晴らしいものがあると聞くのですが……」
「あれ相当ジャンクだぞ? 味は確かに最高だが」
「あらゆるカツをカレーに乗せて良いなんて、何たる背徳!」
「背徳って……確かに毎日食ったらヤバいけど」
そうは言っても、大半が食い物の話だ。彼女は顔を輝かせる。目の前に大盛金沢カレーがあるかのように。
「じゃあ休暇に案内してやるよ。東京のチェーン店はまだやってるだろうし。このご時世だから値段はあれだが」
「あなたは神か!?」
神? そこまで!?
会話ははずむ。話題がきのこたけのこ問題に突入した時、執務室の扉がノックされた。俺はどうぞと言った後、思う。ひょっとしてやばくね? 案の定入ってきたのは駆逐艦漣。俺の初期艦と言う事になる。
「ご主人さま、こんなところで油売ってやがったんですか。早く荷解きしてください」
いつもの溌溂とした話し方は気持ちがいいものだが、今はそれどころではない。赤城を見やると、あの楽しそうに輝かせた瞳が、戸惑いになり、そしてだんだんと不信感に変わっていった。脂汗がじわじわと背中に浮き上がってくる。
「ご主人さま、と言うのは?」
今までの朗らかさは消し飛んでいた。醒めた表情で俺を見て、漣に尋ねる。
初期艦は赤城の意図している事が分からず、そのまま答えてしまう。「どんなもんです!」とばかり、何故か得意げに。
「この人こそ津田宏武
漣はドヤァと赤城を見る。俺はあちゃーと内心で叫び、顔に手を当てた。指の間から見た赤城は、奇麗な眉を吊り上げて仁王様のような表情を浮かべている。腹の底から沸き上がるような低い声で、一言だけ洩らした。
「……私を、からかっていたんですか?」
血の気が引いた。彼女の態度もそうだが、先ほどまでの優しい空気がもう戻ってこないと確信して。
「いや、違う。俺はだな……」
立ち上がって、弁解しようとする。だがそれは許されなかった。がたっと音がして、赤城は席を立つ。
「明日の着任の挨拶。楽しみにしています。あなたがここの提督に相応しいのかも」
赤城はそれ以上言わず、するすると奇麗な脚運びで扉に近づき、そのまま出て行ってしまった。後悔と脱力感が残された。
「……あの、漣なんかやっちゃいましたでしょうか?」
気まずそうに問いかける初期艦に、俺は答えた。がっくりと肩を落とし。
「いや、気にしないでくれ」
半人前の提督は、こうして着任した。深海棲艦の大軍に取り囲まれている程度には、問題は山積していたのである。
しょっぱなからこれっすか。まあ自業自得だけど。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
Starring:加賀
いつもの”自分の時間”から帰って来た相棒は、何故かぷりぷりと怒っていた。ぷーっと頬を膨らます顔は、我が片割れながら愛らしい。持って帰りたい。
「加賀さん!
「あれ、ですか?」
「
いつの間に会ったのだろうか? それにしても彼女が怒りをあらわにするのは余程の事だ。ついでに言えば、人に対し「あれ」などと公言したりしない。思ってはいても。そして彼女は今日あった事を愚痴り出す。
「そりゃ最初はいい人かと思いましたけど……失礼な人です!」
どうやら赤城の怒りは、「能力」ではなく「人柄」に向けられているらしい。彼女の場合、怒るほど
新任が赤城にそのような狼藉を働くなら、自分が彼女に代わってぶっちらば……。失礼。お灸をすえてやらねばならない。
とは言えまずは明日の着任挨拶である。そこでその失礼な人を「提督」と呼ぶに値するかが分かる。とりあえず加賀は、彼女を食堂へ誘う事にした。今日は食料の補給が来たから、久しぶりに二人で山ほど食べよう。
だが興味を覚えた自分もいる。あの赤城が、誰かに深入りするとは。
一週間前、前任提督