「そんなこと無いよ。楽しいよ」とか「もうこんな事するんやないで」とか言って頂けるとビクビクから解放されます(私がですが)。
●提督 自室
ふーむ。なるほど。そうかそうか。
カーテンが勢いよく開けられた。私物のタブレットが放つ光が、朝の陽に遮られる。おう、もう朝か。ぐーっと背伸びをする。映画以外で貫徹するのは久しぶりだな。
「ご主人さま、いい加減にしてくれないと体壊しますヨ?」
口調は柔らかいが、付き合いの長い俺には、こいつが結構怒っていると分かる。両手を合わせた。
「長門の為なんだよ」
そう言ったら、何故か不機嫌さが増した。
「そうですよねー。そう言ったら漣が怒れないってコト、無意識に言うんですから」
そんな酷い事を言ったつもりはないのだが。
「まあいいです。比叡さんじゃまだご主人さまを止められないって事ですね」
「何で今度は嬉しそうなんだ?」
「知りませーん」
女の友情はよう分からん。
「まあいい。長門と比叡は演習明けで非番だったな? 朝食後俺のところへ呼んでくれ」
多分。多分だが、俺なりの答えは出せると思う。
「突然だがな。俺は
凝り性な性分で、ついまくしたてたら長門と比叡は気圧されたように一歩下がった。やべえ、マニアの悪癖が。
「あの、司令官? 肝心の研究内容が分からなきゃ意味ないんじゃ」
比叡がこの人大丈夫なのかと言う顔をしているが、そうでもないんだなこれが。
「この人を見ると、昭和帝の笑顔の理由が分かる気がするんだ」
「本当か?」
長門が食い気味に身を乗り出す。俺はタブレットを机に置き、御進講について書かれたページを開く。
「熊楠って人は、生物学・博物学・民俗学。常人が一生かけて突き詰める分野を全部凄いレベルで習得してる。特に生物学は、採集した新種の標本が多すぎて、生きてるうちに発表しきれないくらいだったってくらいやばい人だ」
「おお!」
長門の目が輝く。比叡はそこまで熱量無さそうだが、凄い人なんですねーくらいは思ってるだろ。ただなぁ。奇行も多いんだこの人。
「あと気に入らない人の家にゲロ吐きに行ったり」
「えっ、ゲロですか?」
「そう。ゲロ」
「……」
長門のやつ露骨にショック受けてるな。「それはそれは凄い学者」の実体が他人の家にゲロ吐きかける人だと知ったらそりゃあな。
「面白い人ですね!」
なんか比叡は面白がってるぞ。こいつのツボは分からん。
「あとはそうだな。学術上必要だからと性的にヤヴァイ内容を記事にして発禁と罰金を食らったりもした。今でいうスピリチュアルな研究にも手を出していて、自作の曼荼羅とかを書いてる」
まあヤヴァイ記事と曼荼羅の件は、現代になって評価されてるみたいだがな。当時の人間が植物学者が曼荼羅書いてるのを見たとしたら、そりゃ面食らうだろう。
「……あの」
「ん? 何だ?」
「そんな人が、陛下に?」
長門はがっくりと肩を落としている。まあ昭和帝に講義までした人だから、高潔な人物と思うわな。
「だが情熱はヤバいくらいに凄い人だ。朝から晩まで山にこもって『自分は山と一体化してしまうのではないか』と自分で怖くなるほどの集中力だったそうだ。彼にとって研究とは、空気を吸う事と同じだったんだろうな。長門、お前はひとつの事を一生かけて追及する生き方は、嫌いか?」
長門は痛い所を突かれたとでも言うように鼻白み、言った。
「それは、大好きだな」
「だろ?」
俺はテキトーに映画観ながら生きていきたい人だがな。人間は自分に無い強烈な何かを見せつけられると惹かれてしまうものでもある。
「だけど疑問に思わんか? 彼は物凄い功績を残しているが、知らない人間から見たら今でいうプーだ。肩書がモノを言う学者の世界で、周囲がそんな人を天皇に会わせようと思うか?」
「それは、無理だな」
長門が苦笑する。まあ誰でもそう思うわな。
「そんな人物を昭和帝に会わせる事が可能な人が一人だけいる」
はっとした長門は、ついに机に身を乗り出した。近い近い!
「そうか! それは陛下御自身だな!?」
「その通り。プッシュしたのは熊楠の研究仲間だったけど、実際に熱望したのは昭和帝だと思う。何しろ御進講が終わった時、あと五分の延長を希望したそうだからな」
長門がふっと息を吐いた。何もかも満足だと言うように。
「陛下のお気持ちが分かった。私は大戦で陛下にも国民にも、何の義務も果たせずおめおめと生き延びたが、それを聞けただけで満足だ」
おめおめと? こいつ、そんな事を考えていたのか。確かに彼女は仲間たちが次々倒れる中、忸怩たるものを感じていたのだろうな。その贖罪を、昭和帝に求めていたわけか。艦娘は皆そう言う過去を持っているが、横須賀で残された彼女を思うと、やるせない思いが胃の辺りに流れ込んでくる。
そう思って比叡いたら、比叡がなんかくすくす含み笑いをしている。
「何を言ってるんですか長門さん。陛下と南方博士を繋いだ人って、長門さんも入るんじゃないですか?」
「私がか?」
目を丸くしている。自分の事は気付かないもんかね?
「お前は連合艦隊の至宝だろ? 御進講の舞台にお前を選んだのは誰か知らないが、昭和帝にとっては僥倖だったかもしれんぞ? 会いたくて仕方がなかった学者を、最高の舞台で出迎えられたんだからな」
うんうんと腕お組んで頷いていたら、妙に静かになった。不審に思って顔を上げたら――ぽろぽろと涙する彼女がいた。
「ちょっと司令! 長門さんをいじめちゃダメじゃないですか!」
「俺か!? 俺が悪いのか!?」
長門は拳で涙をぬぐい。すまなかったと笑った。
「私は、横須賀で待っている事しかできなかったから。皆が苦しい時も、陛下や国民が辛い時も、何もできなかったから」
比叡が手拭いを差し出す。
「私も
長門は頷く。その無念さは皆同じ。だけどきっと。
「私は陛下のお気持ちを明るくして差し上げる事が出来なかったと思っていたから。あの笑顔の中に私の存在があるとしたら」
長門はすっと息を吸い。言った。
「これで私は、心置きなく
そうか。彼女は何か吹っ切ったんだ。彼女は背筋を伸ばし、改めて敬礼した。
「戦艦長門だ。よろしく頼むぞ。敵戦艦との殴り合いなら任せておけ」
「おう! 頼りにしてるぞ」
彼女が練度を上げたら、金剛には高速戦艦の指揮に専念してもらって、戦艦部隊は長門に統括してもらおうと思っている。金剛は肩書にこだわる奴じゃないし、長門は陣形の中心にいてくれれば、みな安心して戦いに集中してくれるタイプの指揮官だ。
「しかしなぁ。俺は熊楠がちょいと羨ましいわ」
「司令も山にこもりたいんですか?」
ちげーよ。
「熊楠の人生は、劉備玄徳ばりに恵まれた出会いばっかなんだ。理解のある父親、馬鹿にせず迎え入れてくれた小学校の学友。彼の研究成果を世界に紹介しつつ、決して剽窃などしなかった研究仲間。奥さんは理解があるどころか一緒になって研究までやってくれて、娘もそれに続いた。長男が早逝したのは気の毒だったけど、愛情をふんだんに注ぐことは出来たみたいだ」
背もたれに身を預ける。そうしたら比叡が、人差し指でとんとんとあごを叩いた。
「へぇー。司令みたいですね?」
は? 俺? 何で?
「だって金剛お姉さまでしょ? 漣ちゃんでしょ? 赤城さんに鳳翔さんに霞ちゃんに――」
指を折っていく比叡に渋い顔をする。そう言うんじゃねーんだよ。
「もっとさぁこう。俺の事を理解してくれて徹夜で映画見ても怒らないカミさんとかがな」
「提督。それは結婚したいのではなく映画が見たいのでは?」
長門の容赦ない指摘に黙り込む俺。そうだけど。そうだけどさぁ。
「あ、もしもし赤城さんですか? また司令官が困った事を言い出しましてですねぇ」
「おい何言いつけてるんだ!?」
やめろ! やめてぇ!
あわあわと比叡に懇願する俺に今度は長門がくすくすやりだした。
「ここは、とても居心地がいいところなのかもしれないな」