Suicide Outside   作:ぞんぞりもす

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一二話

 今年のお盆は、二人でミサキの地元に行こう。

 夏休みに入る前から決めていたことだった。「誰かさんのメンタルを守ってあげないとね」と目尻に優しさを描いたミサキの顔を、一ヶ月たった今でも鮮明に覚えている。

 

 よそ行きの地味な格好に身を包んだミサキと並んでホームに立った。

 俺は聞いたことのない地名が印字された切符を、お年玉をもらった子どもが封筒を光にかざすみたいにして天に掲げた。

 たくさんの人が小さな四角を見るために俯いていた中で、俺だけが上を向いていた。

 

 ミサキは小さな子どもを見るような目つきで俺を見る。どちらとも何も言わず、目が合ったまま『まもなく三番線に電車が参ります。ご乗車のお客様は黄色い線の内側でお待ち下さい』を聞いた。

 アナウンスや無数の足音、スーツケースのがらがら音など雑多な音に負けないよう声を張り上げた。

 

「新幹線とか、久しぶりだよ」

「そうなの?」

「おん。こっち来るときは飛行機だったしな。最後に乗ったのは母親とどっかの撮影に出かけるときだったなぁ」

 

 過去を思い返して天を仰ぐ。金属屋根から覗く青空は洗い流したばかりの色味で、過去の曇天がどこかに吹き飛んだ。二人の時間に俺の家族はお呼びじゃない。

 

 日は高く、真上に広がる金属屋根のおかげでホームには陽が差しこまない。それでも夏を感じさせるほどの気温と風に汗が吹き出た。

 俺たちが先ほどジュースを買った自販機の前に、夫婦と子どもがいた。繋がれていた手が離れる。背伸びをしてカンカンを指さす男の子の代わりに、お父さんがお金を入れてボタンを押す。ピ、ガコン、なんて音を想像で補って、子どもがしゃがむ様子を見つめた。

 

 ジュースを買うときに数回ボケたミサキの顔が思い出せない。笑顔だったらいいと思った。でも、それを見るのが怖くって、俺は自販機の中に閉じ込められて下から光を当てられ続ける商品を見ていた。買った商品は俺と同じように汗をかいて、握られている。

 

 ミサキの手が、俺の手首に触れた。

 凛々しい横顔。見慣れた横顔。なのに、風景が違うと初めての顔に見えた。

 

「どうした?」

 

 そう言ったけれど、電車が到着した音にかき消されて自分ですら音を拾えない。俺はペットボトルを握っていたほうの手首をミサキに押し当てた。

 ミサキは俺に一瞥を向けて、すぐに遠くの電車に視線を移す。

 

 しなやかな指が手首に巻きつく。いつものようにぎゅっとじゃなくて、手触りを、そこにあることを確かめるみたいにして握られる。ミサキは少し震えていた。

 骨ばった、でも弾力のある皮に覆われた肘に自分のをぶつける。意図を察したミサキがスーツケースから手を離し、両腕で抱くようにして腕を絡めてくる。ミサキの素肌はやわらかい。ちょうど肩の位置にミサキの頭があって、こてんと預けられる。

 俺もスーツケースから手を離して小さな頭を撫でた。もっと、という様子で頭をこすりつけられる。

 

「猫かよ」

「……にゃん」

 

 首もとで囁かれた言葉のあまりの破壊力に、俺の頭は真っ白になった。したり顔のミサキが俺を見上げて囁く。

 

「首とか耳とか舐めたほうがいい? そういえば耳触られるの好きだったし、適正あるんじゃない?」

「勘弁してくれ、人目につく。ホームだぞ」

「私たちの?」

「駅のな? 俺らの家だったらオープンすぎるだろ」

 

 バカップルみたいだ、と思った。でも、心の片隅で体育座りをしている欠片を見つけ合う関係をそんな箱に入れてほしくなかった。甘くて苦い、もう何口も味わったリンゴの最後のひとかけと一緒の箱がいい。

 

 そう考えて、途中で、でも世間が俺たちに対して抱く印象なんて幻聴と同じで、俺たちがよければそれでいいな、なんて思い直した。

 頬にキスすると、ミサキは目を丸め、焦点の合っていない赤色の瞳で俺を見つめた。俺は無言で首を傾げたあと、先ほどのミサキと同じように奥のホームに止まっている電車に目をやる。電車が空いているせいで、ドアが閉まる様子が窓越しに見えた。

 

 

 やがてたくさんの肉体を乗せた車輪が重い声を上げながらやってくる。みんな違う肉体で同じ目的地を目指している。たくさんの足音に飲まれてしまう一歩を、俺たちは揃って踏み出した。

 

 

 ミサキが実家にいる間、俺は適当にそのあたりを歩いて回ったり、予定よりもずいぶん進んでいない勉強をしたりした。

 

 俺のことを振り回す性欲はミサキと会わなくなった途端に消滅して、おかげで様々なことに集中できたけれど、満足感を得ることはできなくて。ミサキと出会う前に戻っただけなのに飢えていた。

 ミサキの黒は人生に彩りを与えてくれる。満たしてもらっているのだと実感して、もう後戻りできないのかもしれないと体が震えた。一方で彼女のことを想像すると熱くなる心と体もあった。

 

 ミサキとは、最終日だけ花火を一緒に見に行く約束をしていた。

 薄ぶどう色の髪の女子と出会ったのは、ミサキと花火を見に行く日、会場の準備を遠目で眺めているときのことだった。

 

「ライトくんって、あなたのこと?」

 

 海沿いの一本道には活気があふれていた。道の両側に出店があって、江戸時代の土の道と長屋みたいに見えた。

 後ろから声をかけてきて自然ととなりに並んだ女子は、秤アツコ、と名乗った。

 

「あなたもこのお祭りに行くんだよね?」

 

 あざとい目つきで俺を見上げるアツコもまた、この祭りに参加するのだろう。彼女は浴衣を着ていた。細い体の線と薄い色味に合う薄青色の素地のものだ。

 

「一応な。約束してる人がいるから」

「みーちゃんでしょ? 話には聞いているんだ」

「みーちゃん?」

「ミサキ、って言えば分かる?」

「あぁ……」

 

 全然みーちゃんって柄じゃないけれど、幼いころのミサキを知る人からすればみーちゃんなのかもしれない。彼女はミサキが前に話していた地元の友だちの一人なのだろう。

 アツコは目を細めて、出店の準備を進める大人たちを眺める。それから俺を流し見た。

 

「少しお話ししない?」

 

 断る理由を探して周囲を見たけれど、それらしい理由が落ちているはずはない。

 

「その前に、ミサキの友だちなんだろう? 前にミサキ、地元に戻ったら友だちといろいろ出かけてるって言ってたぞ。抜け出してきたのか」

「あぁ……ふ~ん。そういう話、してくれるんだね」

 

 艶美に目もとを細め、アツコは口角を上げる。かと思ったら急に唇を突き出した。ころころと表情の変わる人物だ。

 

「私たちには名前くらいしか教えてくれなかったのに……。歩きながら説明するから、ほら、手を繋いで」

 

 差し出された小さな手を凝視した。手と顔とを交互に見るが、アツコは小首を傾げて「どうしたの」と言ってくる。手を繋ぐのがさも当然と考えているらしい。

 ミサキに悪い気がしたが、手を繋ぐくらいはクラスメートともちょくちょくあるのでそれきり考えなかった。

 

 田舎の時間に身を任せて歩く。空は高く、風は熱く、もうこれだけで花火大会の成功を予感させた。

 となりを歩く下駄の音はそんなに聞こえないけれど、土の道からアスファルトに移れば風流な音が聞こえてくるだろう。

 

「いろいろ見て回ってるのは本当だよ。みーちゃんも含めて、私たちの家はみんな訳ありだから、家に居づらくて」

「最近だと多いよな」

 

 アツコはのらりくらりと口を開く。相槌の合わせやすさや話の呼吸みたいなものがミサキとよく似ていた。

 

「でも今は図書館で課題を進めてるの。いつもはみーちゃんが教師役なんだけど、今は予定よりも進んでないとかで、きっとさっちゃんとかひーちゃんと一緒にやってると思う。私は一足先に終わらせたから先に会場まで来たんだ」

「じゃあそのうち三人して来るのか」

「ふふ。早く会いたい?」

 

 肩をすくめて流すと、アツコは軽い身のこなしで俺の前に躍り出た。楽しそうに右に左にと行く手を阻む。

 

「……急かすわけじゃないが、会えるに越したことはないな」

「やっぱり会いたいんだ?」

「はいはい、会いたい会いたい」

「みーちゃんにそっくり」

「同じことやったのかよ……」

 

 雑談を続けながら会場の周囲をぐるりと一周するころには、空の色が変わり始めていた。長く伸びた影が地上の全体にかかっているせいで、世界がほんのりと暗く感じられる。設営を終えた大人たちはもうすでに一杯始めていた。

 みな一様に楽しそうだった。やっぱりこういうとき、作り笑いを浮かべることの多い俺は疎外感を覚える。

 

 もうすぐ会場に向かうと連絡を受け取った俺は、どこからミサキが現れるのか想像できなくて、大きい道を片っ端から見つめていた。

 

「みーちゃんたちもうすぐ来るって」

 

 スマホを見ながらアツコが言う。それからいたずらっぽく俺を見上げた。

 

「みーちゃんからもう連絡来てた? 私、ライトくんに負けちゃったね」

 

 友だちの優先順位で負けたのにもいかかわらず、アツコは嬉しそうだった。そっと手を離した俺の様子に、アツコはさらに口角を上げた。

 

「髪飾りの話、ライトくんは聞いてる?」

「髪飾り? 何も聞いてないが」

「そうなの?」

 

 アツコは儚げに顔を伏せて、側頭部の白色に手を置いた。

 

「田舎のよく分からない風習でね、このお祭りは髪飾りが大事になってくるの」

 

 髪飾りからそっと離れた手が髪を滑り落ちて毛先を撫でる。

 

「赤色の髪飾りは私を誘って。白色は誘わないで。緑色は友だちなら声をかけて。青色は相手がいるから……とか、そんなふうにね。元々は花飾りをつける風習だったんだけど、花飾りって色味と花言葉を覚えなくちゃいけなくて、それが大変だって一部の人たちから言われて廃れていったんだ。それで残ったのが、色言葉」

 

 ミサキが何色で来るか予想してほしい、ということだろうか。それとも、青色や赤色であれば誘ってあげてほしい、だろうか。アツコの本心はいつまでたっても霧の中だった。

 黙考することで追加の説明を求めても、アツコは応じないで風を感じている。

 

「みーちゃんとはどこまで進んだ?」

「どこまでって……」

「さっき私の手を取るとき、少しためらったよね? あんまり進んでない?」

「いや、そんなことは」

「ふ~ん? そんなことないの?」

 

 墓穴を掘った、と思ったときにはもう遅くて。拳を額に当てて空を見た。

 アツコは弾んだ表情を引き締めて、少し離れた場所にいる大人たちを見つめる。希望のない、昆虫でも観察するような無感動な瞳が、俺を見上げるときに輝きを増す。

 

「みーちゃんが頼れる人はあなただけだから、高校のうちは、なんとか支えてほしいの」

 

 外でつけた蝋燭の火を両手で風から守るような、使命感を帯びた切実な響きだった。俺は今、きっと大事なものを託された。

 

 ミサキはもしかしたら不安定に見えているのかもしれない。

 でも今となっては彼女のほうがずっとずっと安定している。俺のほうがよっぽど手を引かれて歩いている状態だ。高校生活を知らないアツコにはきっと見えていないのだろう。

 

「大丈夫だ。ミサキは強いんだぞ」

「ううん。自分の心が空っぽなだけじゃ、人は強くなれないんだよ。空っぽを抱きしめられるようになって初めて強くなれるの」

 

 どうせならその空っぽを満たしてあげたいけれど、果たして俺にその度量はあるだろうか。

 ミサキに聞いたらきっと答えてくれるから、周囲の人が察してくれるまでしまっておこうと思った。

 

 

 俺とアツコは黙って海を見ていた。やがて三人分の足音が聞こえて、自己紹介もそこそこに屋台を巡った。

 

 二人、二人、俺と並んで人混みを進んだ。都会と同じくらいの密度だったけれど、少し道を外れるだけで田舎に様変わりするから、そのおかげで安心できた。

 休憩を繰り返して端から端までを一通り歩いた。

 

「みーちゃん、大学の資料ってもう取り寄せてる?」

「一応」

「ライトくんは?」

「俺も一応。ミサキと進路被ってるから、二人して資料一緒に見てる感じだけど」

 

 復路を歩いているときにアツコは受験の話を持ち出した。前方の二人が身を固くして、きょろきょろと辺りを指さしながら屋台の話をし始めるのが見えた。

 

「私たちも文系なんだけど、あとでグループラインとかで情報交換しない?」

「ライトを私たちのグループに入れればいいんじゃない」

 

 ミサキとアツコの二人が話を進めて、サオリとヒヨリが並んだ場所で食べ物を買う。四人の後ろ姿を見ながら甚兵衛を持ってくればよかったなんて考える。

 三人の髪飾りは白色で、ミサキのは青と赤がまざっていた。ピアスや浴衣の随所に白が取り入れられている。

 

 誘って、なんて言っても、俺たちはすでにそういう関係になっている。でも俺から誘うことはほとんどなかったから、誘ってほしいという意味なのだろうか。誘うという漢字が頭の中で繰り返し跳ね回ってこんがらがってきた。

 

「私たちは奨学金のことちゃんと調べないとね」

「それも大事だけど、アパートのこともちゃんと調べておかないと大変。最初、私もすごく苦労したし」

「でも彼氏の家に入り浸ればいいんじゃないの? ほら、今の――」

「調べるに越したことはないから」

 

 アツコの視線になんとか苦笑を返した。ミサキはつんとした表情をしていたが、耳が赤くなっていた。

 彼氏、という言葉が引っかかったけれど、ミサキはそれに対して何も言わなかったから、俺も考えないことにした。でも心のどこかから「不誠実なんじゃないか」という黒い耳鳴りが聞こえる。跳弾によって穴だらけになった心に耳鳴りは反響して轟き続けた。

 俺を取り囲む種々雑多な他人たちも、こんなふうに考えすぎているのだろうか。

 

「いつか話そうよ。今は楽しまないと」

 

 ミサキは俺とアツコを見ながら言った。ミサキを見て心の黒が別の黒色に置き換わったのが分かった。

 

「そうなったらさっちゃんもひーちゃんも今日みたいにごまかせないね?」

 

 アツコは背伸びをして、二人の間を割るようにしてそれぞれの肩に手を置いた。自然と三人と二人という並びができあがった。

 ミサキやアツコたちはもう大学生活のことを話していて、アパートのことを話していて、奨学金のことも話している。両親の腕にぶら下がっているのを抜け出す第一歩に、大学のお金はなんとか自分で工面できないか考えてみてもいいと思った。

 

 

 屋台を巡って復路の先端までたどり着いたのと、ミサキが誰かも分からない人に声をかけられたのは同時だった。

 

 乱れた足並みに目を向ければ、腕を掴まれたミサキがいて。迷惑そうに細めた視線の先には大学生らしき男性がいる。

 心より先に体が動いた。置いてけぼりになった心が理由を探して燃え上がった。俺はこのとき生まれて初めて、誰かを明確に傷つけたいと思った。

 

 武器になりそうなものに手を伸ばしたらのぼりだった。

 通行人たちが慌てて左右に割れた。

 

「らいと……?」

 

 からからに乾いた喉じゃ返事もできない。ミサキを顎でしゃくって、自分と同じくらいの身長の男を睨む。甚兵衛で体格が見えづらいが、締められた帯から推測すれば痩せ型だ。刺し違えてでも止められるだろう。

 のぼりを竹刀に見立てて正面に構える。自然と左足の踵が地面から離れた。のぼりの幕がひらひらと夜風に靡いた。馬鹿みたいな光景だが、真剣だった。喧騒から隔離された俺は一人しか見えていない。

 

 凍りついた男はやがて何も言わずに立ち去った。

 

 途端に膝の力が抜けて土にくずおれた。曇天が降ってきたような先の見えないドームが周囲を埋めつくして、暗闇は安心できるはずなのに全然そんなことはない。

 

 ミサキは何も言わずに腕を引いて肩を貸してくれた。のぼりを元の場所に戻して道を少し外れる。

 

 世間にとっての小さな騒動は俺にとっての大事(おおごと)だった。誰も彼もが忘れても、きっと俺とミサキは覚えているちっぽけな出来事。

 

 誰かを傷つけたいと思ったことに、なぜだか俺はひどく傷ついていて、母の痛みを知れた。

 守りたかったものを守るために手を伸ばせたことが誇らしくて、無意識のうちに笑っていた。

 自然とミサキの正面に立つことができていて、俺はいつからそれができるようになったのか疑問に思う。人の正面に立てなくて、俺は高校の部活に入らなかった。

 

「よかった」と俺は言った。

 ミサキは笑って「そんな涙声のよかったは、全然よくなさそう」と言った。

 

 ミサキが笑みを浮かべた世界は、少し伸びた前髪をかき上げて見る世界みたいに、ほんの少しだけ何かが広い。

 

「守りたいものが守れたのは初めてだった」

「証明できそう? 違う道だって」

「それは……分からない」

「もう。こういうときも責任のないことは言わない」

「数少ない美点だからな」

「月が一番輝いて見えるだけで、他にも星はたくさんあるよ」

 

 ミサキを空を見た。もうすぐ大多数の人が期待している時間がやってくる。でも世間にとっての大事は、きっと俺たちにたっての些事だった。大きすぎる鍵じゃ、二人の宝箱はきっと開かない。

 

「ライトの二回目の笑顔。やっぱりいいね」

 

 ミサキが頬を撫でた。やわらかな手が熱を帯びていた。

 

「初めて見たときはすごく自然で、でも痛々しくて。二回目を見ることができて本当によかった」

 

 それからぼそりと「死んでもいいわ」と言った。いつどやらの手紙の続きを書き始め、白紙ではなくなった思いの綴りを手向けられる。

 ちゃんと浮かべられるようになったほほえみを返して、そっと抱きしめた。数え切れないほどに繰り返した行為は、今日だけ意味を持つ魔法にかけられていた。

 

 様子を見に来た三人に見つかって、俺たちは慌てて離れた。

 

「そんな花飾りなんてつけてるからだ」と丁寧に髪飾りの表面を撫でた。ミサキの髪によく似合っていたけれど、角度によっては赤色に見えるのだろう。

 ミサキは不思議そうに俺を見つめた。「どうしたアツコ」とサオリの声が聞こえた。

 

 

 数年ぶりとなる父親へのラインを考えていると、控えめなノックの音がした。安堵と勢いで送信を押してスマホを消す。

 扉を開けた瞬間にスーツケースを投げ出したミサキが抱きついてくる。

 

 それぞれがそれぞれの決別を済ませて、俺たちはホテルで落ち合った。いつもと違うベッドでいつもと同じような雰囲気になる。

 

「生でしよう」とミサキは言った。性欲よりも強い決意を感じた。

 

「どうせ終わってしまう道を、やっぱり私はあなたと歩きたい。途中まででもいいから、いつか道が別々になってしまうまでずっと」

 

 ミサキに甘え続ければ、いずれ自分は堕落する。父の優しさに触れ続けた母が、どんどん歯止めが効かなくなったように。優しさは感情への潤いだ。そして行き過ぎた潤いは人を腐らせる。

 それでも俺は、両親とは違う道を歩き始めたのだと信じたかった。

 

 重ねた肌から伝わる鼓動が、雨粒みたいに肌を叩いた。両親も繰り返した行為が、両親との道を違えた点として、深く刻まれる。闇に飲まれても記憶から消えても、透明なまま残り続ける印となる。

 俺たちはやがて深い闇へと溶けていった。







 最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。最後は駆け足になってしまった気がしますが、これで閉幕とさせてください。

 今までの作品への評価や感想、誤字報告、ここすきなど、ありがとうございます。ただ、自分はどのように感謝を伝えればよいのか分からず、前書きも後書きも書かないことが多いです。すみません。
 しかし作品に真摯に向き合ってくださった方への対応として絶対になんか違うと思ったので、こうして後書きをしたためました。日頃からありがとうございます。
 これからもよろしくお願いします。
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