Suicide Outside   作:ぞんぞりもす

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二話

 俺たちは週に一度、昼休みを図書館で過ごさなければいけなかった。それは貸出の管理だとか雑務をするためだった。水曜日の後半三十分が俺たちの時間だった。

 ほんの数回なのに、五月に入るころには体にリズムがすっかり馴染んだ。今日はゴールデンウィーク前最後の水曜だった。

 

「ライン」

 

 あたかも図書委員の相談をするようにしれっと近づいてきたミサキが言う。食事中と連絡を伝えるときにしか覗かない淡い色の唇が小さく動く。

 

 かっちりと着こなされるセーラー服に守られ、本心は読み取れない。

 昼に騒がしくなることは、学校という場所でしか起こらない現象だと思う。会社に行けば昼は静かだろうし、飲食店は騒がしいよりも忙しいだから、クラスメートは高校の特権を満喫していた。授業中に抑圧されたいろんなものが弾け飛んで、ワックスがけされたばかりのぴかぴかに反響していた。

 

 そんな中でもミサキは無表情を貫いていた。

 

「見て」黒いマスクを上にやり、ミサキは足早に立ち去る。

 

 気取られぬように男子トイレに向かい、個室の鍵をかけ、プラスチックの安っぽい壁に背を預けた。

 ミサキは授業中にラインを送ってきていた。自分の席が後ろであることと、教師にまじめな印象を与えていることを悪用している。

 

『昼ごはん、あるときとないときあるよね』

『あるな』

『どうして?』

 

 少し考える。責められているわけではないと思う。が、仕事ぶりを見るにミサキは細かいところまで見ているから、そのマメな性格から推測するに、ちゃんと食べろと思っていてもおかしくはない。

 部屋着で見えた腕や肩周りを思い出すと言い返したくなるのを堪える。

 

『気分』

『気分?』

 

 少し間が空いて『もっと詳しく。食べたくない日もあるってこと?』と送られてくる。

 

『いや、準備が面倒かどうかの問題。食べるかどうかは割とどっちでもいい』

『ふぅん』

 

 数秒間隔だったやり取りがここで途絶えた。俺はもう会話が終わったのだと思った。

 

 教室に戻って予習ノートを作っているところに入ってきたミサキは、目もとだけで分かる仏頂面をしていた。そのあとの委員会の仕事をしている三十分も機嫌が悪かった。

 何かをしたのは分かったけれど、こういうときは触らぬ神に祟りなしだとよく知っていたので、俺は黙っていた。

 

 ミサキはそのことにさらに腹を立てたようだった。

 ただ、相手のほうから接触してこないために、俺は対応に困った。

 やがて昼休みが終わり、五限、六限をやり過ごす。

 

 当たり散らかしてもらえればある程度の対応はできるのに、と不安と不満の入り混じった黒いものが胸中に広がっていく。

 放課後に出入り口で見た清々しいまでの青さと内心とのギャップがすごくって、手で太陽を遮った。

 

 

 ゴールデンウィーク中、俺とミサキは連絡を取らなかった。俺は友だちから遊びに誘われた日以外をすべて道場で過ごした。祝日といえども、社会人は忙しいか予定が入っているらしい。俺はだいたいいつも一人だった。

 

 

 ゴールデンウィーク明けの月曜日、俺は下駄箱の前で固まった。

 古いタイプの下駄箱だったので下から上に開ける必要があったのだが、開けた瞬間にオレンジ色の保冷バッグが飛びこんできた。二段になっている下駄箱の内履きを入れてあるところに、内履きと一緒にぎゅうと詰められている。大口を開けた外履きを入れる段にスニーカーを入れ、内履きを履く。

 俺の動きは爆発物を処理する部隊のように慎重で素早かった。顔にありありとした困惑が浮かんでいるポイントだけが違う。

 

 新手のラブレターか……?

 

 俺は今まで何度かラブレターを受け取ったことがあった。だから、斬新だという感想が初めに出てきた。次いで面倒だという気持ちも芽を出す。心の植林場にはもう十分な数の木が生えていた。

 バッグの取っ手を掴んでいろんな角度から見てみるが、名前はない。宛名もない。開けてみる。二段の弁当箱が入っていた。新品のようだ。透明なプラスチックの蓋にクマのワンポイントが入っている。彩りが豊かだ。冷凍食品はないように見受けられる。

 

 愛情のこもった弁当だった。

 少しだけ羨ましい。

 俺にとっての料理は時間の無駄であり、自分を生き(ながら)えさせる手段に過ぎなかったから、こんなふうに、愛情の発露としての料理の味を知らなかった。おいしそうだった。

 

 怖くなって、あと面倒そうだったから、担任に丸投げした。話の途中で担任はみるみるうちに訝しむような表情になった。しかし俺の話を遮ることはない。俺があらましをすべて話しきってから、担任は脳内でストーリーを再生するような間を置いて言った。

 

「なんだそれ」

「なんでか知らないんですけど、入ってたんですよ」

「……なんだよそれ。変なものじゃないよな?」

「分かりません。変なものじゃないかもしれませんが、得体の知れないものです。すみません。あとお願いします」

「おい……!」

 

 蚊帳の外にいてすら人間関係は面倒くさいと感じるのだ。中にいたいなんて思うわけがない。

 朝のホームルームで担任はそのことを連絡した。誰も何も言わなかった。

 

 昼休みのことだった。俺は今日もたまたま準備が面倒になったので弁当を持ってきていなかった。昨日の夕飯の残りは朝に食べてしまっていた。

 

「ライン」

 

 俺の机の前で立ち止まることすらなく、風が音を残して通りすぎる。とは言いつつ、ミサキは今から喋りますと宣言するようにマスクを下ろして口を開いた。俺にはその矛盾がとてもおかしいように思われた。抜けているのかもしれない、と思った。

 

 

 男子トイレはいつだって、昼飯時に来たくないにおいに塗れている。

 個室でスマホを覗きこむ自分を監視カメラか何かで見てみたい。神様が面白がりそうな現実の息遣いだ。周囲から見ればひどく滑稽に見えるのに、当の本人は大真面目にやっている、ということが世間にはままある。

 ラインを見てほしいと言ったわりになかなか送られてこなくて、俺はジャブを打つことにした。

 

『いつもトイレの個室占領してるんだけど、教室で話すことはできないのか?』

『……だって、私、人と話さないし。キャラじゃない』

『話せよ! かわいいんだからミサキから話しかければみんな応じてくれるだろ!』

 

 全身全霊の突っこみに返信はない。

 

『トイレの花子さんがすっごいいたたまれない気持ちになってるんじゃないのか?

 私以外になんか用途不明でトイレ使ってる人いるんですけど……って。

 同棲エンドか? あん? 同性だけに』

 

 緑で埋め尽くされた四角にぽんと白がまじる。

 

『どうせ面白くないって言われると思ってヤケになってるでしょ』

『絶妙にボケかどうか分かりづらいこと言うのやめてくれません?』

『なにが』

『もうなんでもいいよ』

 

 ミサキにはやっぱり抜けている部分がある。そういうところを出せば愛嬌として認識されると思うけれど、周囲を常に警戒しているような臆病な小動物じみた彼女は、そもそも抜けている状態の素を出すことすらままならないのだと思う。

 

『そういえば、どうしてトイレにいるの?

 どこかの準備室でも話せると思うけど』

『いやだって最初に「ライン見て」って言われたとき、ミサキのあとついて行ったらトイレ入ったから……あぁ、トイレで話すんだなって思って』

 

 既読がついてから間があった。

 間があったからこそ、俺は正規の用事があってトイレに入ったのだと思い至った。

 

『あの、すみません……』

『うん。引いてる。思考するときに一回別次元を経由してるみたいに意味不明』

『おれ宇宙人か何か?

 それけっこう火力高いチクチク言葉だよな?』

『深追いしたほうがいい?』

『お帰りください』

 

 ミサキはそこで話を終えた。手負いの獣を追うのは定石、とか帰ってきたらどうしようなどと会話の先の展開を予想していたのであっけなく感じた。

 ただ、意味のないボケの応酬を繰り広げるわけにはいかないので、ミサキはそれを考慮して話を止めたのかもしれなかった。

 

『弁当』

 

 旅の終わりが何万歩先であろうと、初めはいつだって小さな一歩だ。その一歩みたいな短い言葉が送られてきた。

 

『あれ、私が作った』

 

 相槌の『うん』を送りながら、疑問の「うん?」が口からもれる。私のではなく、私が作った。ミサキが微妙なニュアンスの違いに拘ることを、この一ヶ月で俺は学んでいる。言葉にうるさいのは俺も同じだった。

 言葉を芸術だなんて言うつもりはないけれど、俺は自分が頭の中に思い描いているものをその通りに表現したいという点で、画家がキャンバスの前で険しい顔になる理由に共感できる。

 

『ライトに渡そうと思って』

 

 なんでとか、ありがとうとか。そんなことより先に、連絡をよこせと思った。不可解を通り越して言葉が見つからない。

 でも俺も連絡をやらなかったことがあるので何も言えなかった。下駄箱に保冷バッグが突っこまれていることと、クラスメートが家に押しかけてくることは、同じくらいに不審だと思う。なんなら後者のほうが怖い。

 俺とミサキはお互い様だった。でも、メモでもなんでもいいから挟めていてほしかった。

 

『不器用すぎない?』料理の話に受け取られかねないと思ったので慌ててつけ足す。

 

『もうちょっとこう。

 メモを挟むとかさ。

 ほんとにあれ不気味だったから。料理がおいしそうなぶん余計に』

『ごめん』

 

 謝罪がほしかったわけではないけれど、ミサキが責められているように感じたのであれば、俺の責任だと思った。ミサキは俺が思っているよりもずっとずっと自分を責めてしまう。

 言葉はきっとアメーバみたいに歪な形をしている。俺がどれだけ配慮しても、アメーバを覆うように小さな円ができるだけ。ミサキの繊細な感性は、はみ出たちょこんを敏感に感じ取って自責の念をわかせてしまう。度し難かった。寄り添おうとして寄り添えない自分が惨めだった。

 

『置いておけば何も言わずに取ってくれるかなって』

『取らんて。「下駄箱に料理がありました。はい俺のもん!」泥棒か??? もしくはジャイアン。いや、ジャイアンですらもうちょっと疑うだろ』

 少し長めの時間を置いて『えっと……なんの話してるの?』と送られてくる。

 

 俺は天井を仰いだ拍子に壁に頭をぶつけた。安物のプラスチックから鈍く盛大な音がした。心の中で、絶体絶命都市に登場する主人公のように「おーい」と叫んでいた。声の調子は、突っこみか呼びかけかでだいぶ異なっていた。

 少しでもミサキが自責から目をそらせてたらいいなと思った。

 

『弁当の話だったよな』気を取り直して送り、続ける。

 

『俺がもらっていいの?』

『うん。いらないならいい』

『俺ちょっと前においしそうって言ったぞ』

 

 バドミントンみたいに不規則な間隔のラリーだった。

 

『お世辞だと思った』

『褒め言葉を自動で反射すんな』

 

 花子さんしか見ていない個室の密会は終わった。

 俺はやり取りが続かないことを念入りに確認してから教室に戻った。

 

 かるららら、と軽い音を立てて扉が開く。様々な食べ物の残り香がある教室で、ミサキは黙々とプリントに向かっていた。ミサキは周囲からマイナスの感情を全て吸い取ったような雰囲気をまとっていた。教室はその分だけ軽く、浮ついていて、明るかった。ミサキの暗さだけが際立っていた。彼女の周囲には人がいなかった。

 

 焦げ茶色の髪が机に垂れて、それを鬱陶しそうにミサキは耳にかけ直す。白い耳には複数のピアスがあった。自由を謳うこの学校で、一年生の最初の最初から穴だらけなのはミサキだけだった。心に空いた穴を表現しているみたいだと思った。

 そう思うと、体のどこかも分からない場所が突然痛んだ。

 ミサキは孤立している。俺は、それなりに人気のポジションを獲得していた。昼ごはんを食べないときがあるという特異な点があっても、俺はそれを補って余りあるだけの魅力のようなものを持っていた。

 今日はゴールデンウィーク明けの初週、若葉の青が朝露を滴らせる月曜日だった。

 

 

 水曜日のことだった。

 適当なクラスメートとご飯を食べた俺は、時間の少し前に図書室に向かった。

 前半の人と入れ替わりで、ミサキは時間ちょうどに図書室に来た。いつもの仏頂面だった。椅子を引いて、腰を下ろす。

 図書室は薄暗かった。新しい木のカウンターが部屋の暗さのせいで褪せて見えるほどだった。

 

 図書室にいるときのミサキの行動はいくつかに分類分けできた。

 

 カウンターに頬杖をついて、世を憂えるように外を見る。

 課題が多いときは課題を進めていた。ミサキのシャーペンの持ち方は独特だった。なのに、読みやすい小さな字を書いた。俺がじーっとノートを覗いていると、ミサキは不審なものを見るように俺を半目で見上げるときがあった。

 人がいるときは適当な本を読んでいる。自殺した文豪の本が多かった。室内があまりにも暗い場合は電気をつけに席を離れた。カウンターの下に隠されていた華奢な黒タイツがあらわになるたび、俺は目を奪われた。

 ミサキは応対を決してしない。俺だって応対をしたことがあるのは一度だけだが、なんというかそういう雰囲気になっていた。暗い室内に、場違いに明るい声が通る。それは本棚の隙間を通り抜け、紙に吸収されていき、発信源から遠くなるにしたがって勢いを失った。

 

 ともあれ、今日も図書室には二人だけだった。

 

「これ、ありがとな。元気出た」

 

 俺はカウンターに保冷バッグを置いた。ノートと教科書を広げるミサキの邪魔にならない場所に置いた。

 ミサキはきれいな人形のように首を傾げた。そして目を見開いて俺とオレンジ色とを交互に見た。

 

「食べたの?」

「ん? うん」

 

 月曜日の放課後、落とし物を預かる事務所まで行ってそれを受け取った。幸いなことに担任には見つからなかった。家で夕食として食べ、容器を洗い、火曜日は何もせずに今日持ってきた。

 説明を黙って聞いていたミサキは、「そう」と言ってノートに視線を戻した。それきり俺たちは話さなかった。

 

「誰も見てないところでなら話せる」

 

 予鈴の五分前に、ミサキは口を開いた。

 椅子の背もたれに体を預けてうつらうつらしていた俺は反応が遅れた。木の椅子じゃなくてキャスター付きの椅子なのだが、教室の椅子もこれになればいいのに、と思っていた。

 長めのまばたきを繰り返す俺にミサキは続ける。

 

「だから明日、屋上に出れる階段に来て。昼休み」

 

 今度の俺は、言われていることが唐突すぎて反応が遅れた。

「は?」とどうにか言ったけれど、ミサキは日程を繰り返し口にして静かになった。なんなんだこいつは、と思った。

 図書室の時間は穏やかに過ぎる。そんな止まったような時間がすぎて、やがて予鈴が聞こえる。ミサキが先に出て、俺は鍵をかけて職員室に向かう。ミサキはついてこない。

 

 

 翌日、ミサキは踊り場の、自分の左側と後ろ側が背中になるような角っこに立っていた。近くには屋上への金属扉がある。いつも鍵がかかっていると、運動部の誰かが言っていた。

 ミサキの右手側の斜め前に立つ。ミサキはオレンジ色をずいと主張する。俺の身は勝手にびくっと震えた。ミサキの片耳は色づいていた。

 

「迷惑料」

「めいわくりょう」

 

 俺は繰り返す。ミサキは無表情で頷く。

 しばらく二人で見つめ合う時間が続く。

 

「なんの?」

 

 ミサキがさっと目をそらす。そのまま固まってしまったが、これは言いにくいだけで、答える気がないわけではないと思った。

 一番近くの教室で巻き起こった笑い声が階上まで聞こえてくる。元気な営みの中に俺とミサキの場所はない。二人とも望んでそこから外れているのだった。

 

「あれか? プリントとか届けてるあれの」

 

 ミサキはそれなりの頻度で学校を休んでいた。そのたびに俺は封筒を運んだ。

 周囲の人はみな、俺がミサキのアパートへ行くことに触れないようにしていた。高校生の気遣いは優しく未熟で、だからこそ察することができた。周囲と同じ対応をすることで群れからはぐれないようにしているとも思った。

 憧憬と侮蔑を向けながら、俺はクラスメートを観察していた。

 

「ん」なかなか受け取ってもらえないことに焦れたらしく、ミサキは片手でひっ掴んだオレンジをさらに前に突き出す。ミサキにはそんなつもりないのだろうけれど、鋭い眼光には威圧感があった。

 俺はすくい上げるようにして両手で受け取った。

 ミサキは空いた片手で自分の肘を押さえた。自分の腹を守るような姿勢だった。

 

「私、たぶんこれからも迷惑かけるから。その分も含めて」

 

 ミサキはバツが悪そうに言う。体が弱いとあらかじめ教えてもらっていた。

 

「別にそれくらいいいけどな。友だちってそういうもんだろ?」

「かもしれない……けど。でも、誰かに寄りかかってばかりいるのを友だちだからって理由にはしたくない」

「分かった、頑固ってよく言われるな?」

 

 ミサキは返答をしない。代わりに「ざわざわ森の」と言うと、「それはがんこちゃんでしょ」と無愛想な声が返ってくる。

 

「ライトはどうして私と関わるの? 他の友だちと話してるときのほうが楽しそうなのに」

 

 俺に弁当を渡してきた女子のセリフとは思えなかった。

 

「まず飯食おーぜ。ミサキの分は?」

「私はいい」

「俺がいたたまれないからそれはなしで。次からは自分のも少しは持ってきてくれ」

 

 ミサキは遠慮したけれど、俺が押し切って、ご飯とおかずをそれぞれ分けて食べることにした。幸いなことに保冷バッグには割り箸が数本入っていた。

 

 弁当箱を開ける前にミサキは「ちょっと待って」と言い、放棄された机の引き出しから特殊な形状の針金を取り出した。ゼムクリップよりも明らかに頑丈な金属だった。「ピッキングした」とミサキは言った。

「は?」と戸惑っている間に解錠の音が聞こえ、金属音を響かせながら重厚な扉が開く。

 

 淀んだ空気を押し流す爽やかな風が頬から耳へ流れた。

 

「一人でいられる場所、ほしいでしょ。だから。ただあんまり開けっ放しにしてばれたら大変だから、早く来て」

 

 空は澄み渡っていた。ドアノブに手をかけながら薄暗い階段から外に出ることを促すミサキは、あまりにも青空とミスマッチだった。

 風のせいで髪が頬に垂れ、ミサキはそれを耳にかけ直した。何も期待していないような無表情には、やっぱりどこか倦怠感があると思った。

 

 薬が切れたときの母も一時期はこんなだったなと思った。そのうちに周囲へ感情を爆発させるようになったはずだ。

 まだ新しいブレザーがごわついて、俺の歩みを遅くする。それを振り切るように俺は勢いよく体を動かす。

 

 フェンスに背を預けながら俺たちはご飯を食べ始めた。

「おいしい」と伝えると「いつも通りの味」と仏頂面が返答する。なんだか噛み合わないなぁ、と思ったが、その噛み合わなさが心地よかった。

 

「さて」

 

 唐揚げを飲みこんだ俺はようやっと重い口を開いた。

 俺にとって勇気のいる告白だった。先ほどまで空腹を訴えていた腹は、都合が悪くなったらすぐに逃げ出す嫌われ者みたいにどこかに行ってしまった。

 

「俺はクラスメートのことを友だちと思ったことはないぞ」

 

 発言の軽さと重要度がちぐはぐだったせいか、ミサキは眉をひそめて俺を見た。細い喉が小さく上下した。

 

「だって困ってて助けてくれるところ想像できないし。もし困ったとしても、俺はおそらく一人でなんとかする能力があるから、考えて問題を突破するはず」

「……高慢」

「事実だろう? 俺にはそれなりに高い能力がある。学力も問題解決能力も運動能力も。幸いなことに」

 

 見上げた空は青い。高校の屋上なんかよりもずっとずっと高い。手を伸ばしたら虚無を掴んだ。ミサキが俺の動作を不審な目つきで見続ける。

 ここは田舎だから、こんな高校の屋上ですら十分な高さがあった。ここよりも大きいのは総合病院やホテル、橋の鉄骨くらいだった。

 空はグラデーションを描き、地平線に向かって白く霞んでいく。遠くに見える山々は青色のベールがかかったような色味をしていた。

 澄んだ空気がおいしかった。

 じいちゃんの町内にいるお年寄りは、みんな元気に笑う人たちだった。都会の人波で窒息してしまいそうだった心が少しずつ変わっていくのを、俺はここ二ヶ月で感じていた。

 

「人を助けはするさ、もちろん。けど頼ることはあんまりないと思う。友だちとして助けてもらうってよりは、今まで助けた分、助けてもらえたらいいなって思ってるよ」

 

「期待してないんだ」とミサキは言った。すぐにそういう言葉が出てくるあたり、ミサキもやっぱりなのかなと思った。

 

「してないなぁ。期待したところで、その期待通りに事が運ぶ確率って一割にも満たないじゃん。ゲームでさ、常に会心の一撃が出るようにって期待しないのと同じだよ」

「……どういうこと?」

「低い確率には賭けたくないってこと」

 

 ミサキはそれから何かを考え込んで、むっつりしたままだった。

 昼ご飯を食べ終わって睡魔に敗北していた俺は、ミサキから肩を揺すられて目を覚ました。

 小さな顔が上から俺を覗きこんでいる。垂れた横髪は短かった。もう少し長かったら頬をくすぐられたのだろうか、と詮ない考えが頭をよぎる。

 

「予鈴鳴った」

「ん、せんきゅ」

「予鈴で気づかないって相当だね」

「眠かったんだよ」

 

 立ち上がって制服を叩く。「背中」と言ってミサキが優しく叩いた。

 礼を言って歩き出したが、ミサキの足音は続かない。

「行かないのか?」俺は振り返った。太陽が真上にあるせいで、俺たちの影は短く、互いに独立していた。

 

「私のこと、友だちって思ってるのはどうして」

 

 俺は伸びをしてから答える。「願いをこめてるのかもしれん」と。このときの俺は、寝起きだったのもあって、かなり人に心を許していたというか、本音が出やすい状態だったのだと思う。どれだけ防御を固めても、寝起きの心はまだ鎧を着ていない。

 

 こうして俺たちはときどき昼を一緒にするようになった。

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