ちゅんちゅんという鳥の声。
それはなんだか穏やかな天然の目覚まし時計。
眠りに着いていた意識が静かに揺り動かされ、それと共に五感も眠りから徐々に目を覚まし始める。
ほんの少しの蒸し暑さと、少し汗ばんだことで肌に張り付いたパジャマ。
そんな小さな不快感から瞳を開けると、カーテンの隙間から朝を告げる日差しが伸びているのがその視界に入る。
「はふ」
ベッドの上、一応にして体を起こしても眠気は未だに纏わり付いてきている。
両腕を上へ延ばし、それと共に身体を伸ばす。
「んん、……ん」
そのお陰か眠気は残るものの血は巡り、意識も少しはっきりとしてきた。
「……あ、もうこんな時間なんだ」
時計を見れば既に六時と半時を過ぎている。
窓に寄りカーテンを開けて外を見れば、部屋を照らし出す日光に青い空。天候は晴れ。雲一つ見当たらない空模様。
二度寝をする気はないので、まだ残る眠気を飛ばすために、備え付けの洗面所へ。
冷たい水で二度三度と顔を洗い、残った雫をタオルで拭き取りながら鏡を見る。
そこに映るのは、所々跳ねた髪をした自分の姿。
その姿は、やはりまだ眠たそうだ。
でも今日からは、それではいけない。
両手で頬を二、三回軽く叩き気合いを入れる。
軽い痛みにより目が冴え、今度こそようやく眠気も消えてくれた。
「……よし、今日も一日、頑張ろう!」
なんたって、今日からは新天地での生活が待っている。
そしてそれは、私、シャルロット・デュノアにとっては、自分の未来をつかみ取る重要な日々になるのだから。
制服に着替え、身嗜みもチェック終了。
時間に余裕のある内に朝食を摂るべくして、部屋を出る。
廊下は未だに閑散としてはいるが、食堂に近付いて行けば行くほど、スタッフの皆の姿がどんどん増えていく。
「あ、おはようございます」
キサラギの同じく朝食を摂りに来たスタッフの人に気軽に挨拶をされ、それに私も気軽に応える。
まだ個人としては見慣れない人達もいる事にはいるのだけれど、やはり皆、基本的には良い人達ばかりだ。
確かに割合としては男の人が多い、でも中には女の人もいて、剛毅にもかなり強気に振る舞っていたりする女性もいる。でもそれは姉御肌とでも言うのだろうか、女尊男卑とかそういった社会風潮とは無縁の、以前から続いているそもそもの性格的な相性によるものだ。
まぁそれは余談として。
今は列に並び、カウンターで定食(ヘルシーだという話なので日本風の物だ)を受け取った後、早速食べるための席を探していく。
食堂内は調度時間帯が重なっているのか、それなりの混雑模様。その中で空いている席を探していると、窓際の端の方に見慣れた二人の姿が目に入った。
「いや、でも挙動は大人しいとは聞いてますよ?ですけど、弾速やその性格も解らないまま使ってくってのはちょっと……」
「いやいや、やってみる価値はあると思うんだよ?ライフルの方は確かに大変かもだけど、ブレードだけはやっぱり交換しといた方が良いよ」
「……ブレードですか?」
見つけた二人はどうにも朝から仕事の事で相談をしている様子。
けれど物々しい話し合いをしてはいても、ゆっくりではあるが朝食を摂るその手は動かされ続けている。
「……ねえ二人とも。席一緒にしても良いかな?」
話し掛けると同時にこちらへと向けられた二対の視線。
「おっとシャルか。おはよう」
「おはようシャルちゃん。いやぁ制服バージョンかぁ。良いね、若いって良いねぇ」
するとさっきとは打って変わって、議論中だった真面目な雰囲気から二人とも柔らかい雰囲気で応えてくれる。
「うん、二人ともおはよう。……でもシゲさん、キサラギのスタッフの人達も皆、若い人ばかりですよ?」
二人に挨拶を交わし、何やら頷いているシゲさんに注言というかなんというか、とにかく答えると、背後からも「良いぞ、もっと言ってやれシャルロットちゃん!」などと煽りのような、声援という名の援護射撃が聞こえてくる。
その声援の主はキサラギの女性スタッフが中心だ。
その声に「ちょっと待ったぁ!」と、シゲさんも席を立ち上がりながら反論を展開し始め、朝から騒がしい空間が形成されていく。
「……何だかやっぱり楽しい人達だなぁ」
その彼らの騒がしさも、いがみ合いや罵り合いなどではなく、どこかじゃれ合うと言ったらおかしいかもしれないけれど、とにかく悪い雰囲気からなるものではない。
見ているだけで面白くというか楽しくなるというか、とにかく心がほんわかするような暖かいもの。
「まぁ、シャル。そんな所で突っ立ってないで座りなよ」
そんな中で、彼は騒ぎには我関せずと言った様子でお味噌汁を啜りながら、空いている席の椅子を引いて勧めてくれる。
「うん、ありがとう。それじゃお言葉に甘えて」
未だに続く喧騒を背景に、引いてもらった席に座り二人でマイペースに朝食を摂り始める。
いただきます。
両手を合わせる日本風の食前のお祈りを行った後、さっそく料理に手を付ける。
まずはお味噌汁を一口。少し熱めのスープ。その具はワカメとネギのオーソドックスなもの。
続いてはサケ?シャケ?……サーモンの塩焼き。焼かれたその身をお箸で丁寧に解していく。
お箸の扱いについてはアメリカにいる時に、その使い方をレクチャーしてもらっていたので、今は大分上手くなってきているとは思う。
その証拠にこうして魚の皮と骨を分離させることも、今では苦ではなくなって来た。
解したその身を箸で挟み口へと運ぶ。広がるのは少し塩辛いその風味、続いてご飯を口に。するとご飯の味の白さが先の塩辛さと混じり合い調度良い美味しさへと変わる。
初めはご飯の味気なさに馴れはしなかったけれど、今は日本食、和食の和とはこういう調和の和のことなんだろうと最近は感じる。
そうして、一口一口味わいながら食事を進めていると、サラダを摘んだ状態の彼が私に問い掛けてきた。
「そういや、もう出る準備は出来てるの?」
「一応はね。ご飯を食べ終わったら、もう一回確認はするけど」
時間的にはまだ余裕がある。でも初日という事で絶対に遅刻はしたくないので、その確認が終わりしだい、ここを出発することになるだろう。
「そっか。まぁシャルの事だから大丈夫だろうけど、緊張し過ぎてヘマをしないようにね」
「……うん。でも、やること自体は今まで経験してきたことだし、大丈夫だよ」
そう大丈夫。ISの運用なんてものはフランスに居た頃にずっとやっていたことだし。
それに学園生活の方もこの間、訪れた時にはごく普通の学校のように感じられた。
あえて問題点を挙げるなら、自分には学園生活に対してのブランクがあるということなんだけれど、たぶん大丈夫だとは思う。うん、きっと。
他愛のない会話を続けながらも食事は進む。いまだに楽しく騒ぎ続けているシゲさん達。
ふと視線を目の前に移すと、その目の前にいる彼は既に食事を終え、湯気の立つお茶をゆっくりと飲み進めていた。
……日本は初めてだ、という彼自身の言葉。
だけど、その割には妙に日本語が流暢だし、外見を見てもそれは日本人そのものなのでまったく違和感はない。
「ん?どうしたのさ、シャル?さっきからこっちを見てるけど」
お茶を飲みながらもこちらの視線には気が付いたようで、少し訝しげにこちらに問い掛けてくる。
「いや、なんでもないよ。何かそうしてると日本人っぽいなぁと思って」
「ははっ、日本人っ『ぽい』かぁ。言い得て妙だな、それ」
妙なつぼにはまったのか、彼はお茶を片手に持ちながらも楽しそうに笑い出す。
生まれや育ち、国籍も不明。それでも日本人であり日本人でないと自称までしている彼。
今、名乗っている名前でさえもシゲさんと出会って間もない時に、相談して決めたらしい。
名前を相談するってどうなんだろう?とは思うけど、それよりもやはり気になることがある。
彼はいったい何者なんだろう?
あの夜に兄弟がいることを聞いたけれど、それ以外にはまったく知らされていないというのが今の現状だ。
……確かに人の過去は、気軽に触れて良いものじゃないのは分かってる。
だけど、少しでも知りたいと思ってしまうのは私の行き過ぎた我が儘なんだろうか?
「おーい、またどうしたー?やっぱり緊張してるー?」
「い、いや、なんでもないよ……?」
むむ、また考えに集中し過ぎてしまった。
目の前の彼を見れば、こちらを見つめる呆れ顔。
私は真剣に悩んでいるのに、そんな顔をされるのはなんだか気に入らない。
まったく、誰のせいでこんなことになっていると思っているのか……。
「というかシャル、時間は良いの?」
「あっ!」
未だに呆れた顔を浮かべる彼の言葉に時計を見れば、思っていたよりも時間が経っていた。
指定されている時間にまだ余裕があるにはあるけど、今日は早めに出る、そう決めていたのに。
まだ少し言いたいこともあるけれど、そういうことなので。
ごちそうさまでした。
再び日本風の食後の祈りを行った後、少し急いで部屋へと戻る。
「あ、シャル!準備が出来たら駐車場にね」
部屋へと戻ろうとした私の背中に掛けられた声に振り返れば、ゆらゆらと車のキーを手に、それをこちらに示す彼と騒ぎから帰還した手を振るシゲさんの姿。
「うん、わかった。それじゃ後でね!」
その声に返事を一つ、再び自室へと向かいはじめる。
「うん。これで忘れ物はないかな?」
予め用意していた物は既に確認したし、学園から指定されていたテキスト類も確認した。
そして、何より。
「……これからもよろしくね」
首からかけた橙色の十字を手に取る。
それは先日届けられた、かつてより慣れ親しんできた愛機の仮の姿。
学園で一番お世話になるものなのだから、忘れることは絶対にできない。
歯も磨いたし、忘れ物もなし、髪も…うん、大丈夫。
これで出発する準備は全てできたはず。
「それじゃあ、行ってきます」
無人の部屋に小さく挨拶。
手荷物を片手に廊下に出る。
時間はもう、すぐそこまで迫って来ている、早く駐車場へと急いで行こう。
「おーい、シャルー!」
研究所内地下駐車場。
その敷地の割にはがらんとしているそこで、私を見つけ手を振ってこちらに示してくる彼。
「ごめん、待たせちゃったかな?」
「いんや、そうでもないよ」
言葉を交わし彼の横を見ると、そこにあったのは一昔前のタイプの高級セダン。
一昔前とは言っても、車体が汚れているとかそういったことではなくて単なる車種が古いというだけで、車その物はきちんと整備がされているみたいで、綺麗なままになっている。
「よし、そんじゃ行こうか?」
その車の隣に立っていた彼は、そういって運転席へと早速乗り込んでいく。
「あ、ちょっと……!」
当然私も、慌てて追うようにして助手席に身を滑り込ませる。
「ちゃんとシートベルトはしなよ」
そう言いながら、こちらが乗ったのを確認すると車はスムーズに始動。
地上を目指して地下の変わらない味気ない風景が流れだしてゆく。
「あ、そういえば、この車はどうしたの?」
車は彼の私物ではないだろう。
内装もほとんど使われた形跡はないし、そもそもこれは彼の趣味ではない気がする。
「ん?ああ、うん。一応はキサラギの社用車だよ、これ。シゲさんが送ってってあげなよ、って言って貸してくれたんだ」
「へぇ、そうなんだ?」
「走る分にはバイクの方が個人的には快適だと思うけど、それだとせっかくセットした髪とか制服とか大変な事になっちゃうでしょ?」
……それはうん。確かに。
ぼさぼさになった髪型なんかで、新しくクラスメイトになる人達の前で挨拶はしたくない。
「まぁ、そういう事で普通の車を借りましたとさってね……あ、シャル、少し窓開けるよ?」
車が軽い傾斜を上り始め、地上の太陽の光が見え出した頃、彼はおもむろに助手席側の窓を操作し始めた。
地上に到達すると共に開いていく窓、吹き込んでくる風と共に左手側に見えてくるハンガー。
よく見ると、そのハンガーのゲート前が広く白く染まっている。
それは元々から白かったわけではない。それは多くの人達によって染め上げられていた。
白い作業着に身を包んだたくさんの人達。今までたくさんお世話になった人達の姿がそこにはあった。
『シャルちゃーん!いってらっっしゃーい!』
帽子を片手に、思い思い、それぞれに大きく手を振って見送ってくれる人達。
その姿に、その気遣いに思わず、確かに表情が緩むのを感じる。
「行ってきまーす!!」
私も窓から身を乗り出して、笑顔で手を振って応える。
次第に小さくなっていく皆の声と姿。
車が敷地のゲートを潜る頃には、その姿はもう見えなくなっていた。
「……頑張って来なよ、だってさ」
「うん」
「とは言っても、ちょくちょく戻っては来るんでしょ?」
「そうだけど、それでも嬉しいものには変わりないよ」
「まぁ、そうだよね」
皆からの声援を胸に。それは嬉しさと共に頑張ろうというやる気を刺激してくれる。
私が改めて気合いを入れ直している間にも、車は法定速度を守りながらも国道へ。
風景は次第に立ち並ぶビルの群れを写し始めながらも、そのままIS学園という目的地を目指してその中を進んでいく。
その車内、かみ締めていた何気ない感動が過ぎ去っていく中で、そこで何となく湧き上がってきた本当にふとした疑問があった。
「あれ?そういえば、学園までの道は分かってるの?」
「うん、一応は。国道沿いに行けば直ぐに見えてくるし、それにこの間の帰りで何となく道は覚えてるしね」
何となくでは困るんだけど、大丈夫なのかな?
確かに道は一本道だったとは思うけど、まぁ、いざとなればカーナビを使えば良いのかな。
でも、それでもやはり消えない疑問というか違和感。
私と同年代の彼がこの車を運転する姿を見て、ようやくそれに気が付いた。
「……そもそも自動車免許なんて持ってたっけ?」
こちらのこぼした疑問。
なぜか彼はそれに応えず、黙って運転を続けている。
聞こえなかったわけではないと思う。音楽もラジオもかけてはないし。だけど反応がない。
でもよく見ると、さっきまではかいていなかったはずの汗が、少し額に浮かんできているのが見て取れた。
え?いやいやいや、もしかして?
「ち、ちゃんと免許は持ってるんだよ、ね?」
「……。あ、ははは、何を今更な事を。こうして運転している事が何よりの証拠じゃないか!」
なんだか非常に怪しい。
微妙な間といい、乾いた笑いといい、語尾さえも妙に強調されている。
そういえば運転そのものは確かに丁寧ではあるけど、「うわ、右ハンドルか」とか「左通行だったっけ」とか、発進前に呟いていたことを聞き逃してはいない。
というか、今更って言った。
「本当に?」
「も、もちろん!国際免許だってちゃんと」
「……元々籍がないって言ってなかったっけ?」
「は、はは、ははは……」
こちらの問い掛けについには押し黙る彼。それでも、速度やブレーキといったものは丁寧そのものなので相応の技術はあるのだろうけれど。
「……シャル。クレストという企業は清濁両方を持ち合わせた現実的な企業であってね」
「えと、それってもしかして偽ぞ」
「そんな事を言うもんじゃあないぞ、シャル。わざわざ、親切にも造ってくれたんだ。親切にも、わざわざ!」
うわ、やっぱりだ。
そもそも国籍は不明などと自分で言ってる彼が、きちんとした免許を持ってるはずがなかった。
「それは……大丈夫なんだよね?」
「ああ、その点は安心して大丈夫だよ。目を付けられるようなヘマはしないからね!」
それは、何というか安心して良いのか、悪いのか。
そんな(危ない?)話を続けながらも、進んでいく中で、見えてくるのは指示標識。標識に示されているのは「右折、IS学園」の文字。
その指示に従い道なりに進んでいくと、雑多なビルディング群から外れ、木々などの自然の姿が増えてくると同時に敷地のメインゲートの姿が現れる。
六ヶ国語で表されているIS学園の表記。
やはり一応の国際機関なだけはあって、カメラや警備員を始めとして厳重な警備体制が敷かれているのがよくわかる。
彼は車の速度を落としながら、そこの窓口の横に停車させた。
「シャル、通行許可証持ってる?」
「はい、これ」
車が完全に停止した所で、転入手続きの際に渡されていた許可証を彼に手渡す。
「ありがと。それじゃちょっと手続きしてくるから待ってて」
車を降りて窓口に近付き、何やらフレンドリーに窓口の男性に話し掛けている彼。
ものの一、二分ぐらいだろうか、それくらいの時間が経ったか経たないかの僅かな時間で、受付に笑顔で右手を軽く上げた後、車に戻って来た。
「通って良いってさ」
目の前を見るとゲートのバーが上がり、警備員が行け、というジェスチャーを送っている。
彼もご苦労様といったように軽く手を上げると、車を学園敷地内へと進入させていく。
走っていく車。
目指すのは来客者用駐車場。普通の学校であれば、すぐに着きそうなものだが、なにぶんIS学園は規模もあるので時間が掛かる。
とはいえ、車で行けばそんなに遠い距離でもないので、時間が掛かるとは言っても何十分とかかる訳でもない。
「よし、到着っと」
やがて、車はある程度の広さが取られた駐車場へとたどり着いた。
広さはあっても外来者はあまりないようなので、私達以外の車は見当たらない。
これでとうとう出発だ。
忘れ物もない。書類やテキスト関係も大丈夫。ISの方も大丈夫。
準備完了、さぁ行こう。
そうして、小さな荷物を手に車から降りようとした時、彼の声が背中にかかる。
「今日は大体17時ぐらいにここに着いて、18時には開始する予定だから」
一瞬何かと思ったけれど、直ぐにそれが理解できた。
「場所はメインアリーナで良いんだよね?」
彼にとっての第二回戦。ISとの模擬ではあるが戦闘には変わりはない。
「オーケー、合ってるよ。……そんじゃまぁ、頑張って来なよ?」
それは私のこれからの生活に対しての声援。
なら、私が返す言葉も決まっている。
「うん、そっちも頑張ってね」
返すのは彼に対する声援。
「もちろん。……それじゃ行ってらっしゃい、また放課後」
「うん、行ってきます」
彼はそういうと車を動かし、運転席から二、三回手を振った後、走り去っていった。
それを見送った後、時間を確認。
時間は思っていたよりは余裕がある。
行くにはまだ早いかもしれないけれど、ゆっくり歩けば調度良い時間になるだろう。
新たな環境、新たな景色。
私の新しい生活の場にして、ある種の戦場。
不安一割、緊張二割。残りはやる気と期待と好奇心。
これからの生活にいろいろな想いを膨らませながらも、私は新たなスタートラインからその一歩を踏み出した。
教室を目の前にして、大きく一つ深呼吸。
プレゼンテーションなどの経験をしてはいても、まだ知りあってもいないクラスメイト達の前で話すというのは、やはり緊張する。
でも、確かにその緊張はあるのだけれど、学校それ自体の雰囲気がどこか懐かしく楽しみだと感じている部分ももちろんある。
「えと、ボーデヴィッヒさん、だったよね?同じ転入生同士よろしくね?」
「馴れ合うつもりはない……」
「もう、冷たいなぁ」
実は何と、今日は私以外にも転入する予定の人がいたようで、今はこうして教室の前でその人と並びながらその出番を待っている。
でもその彼女、ラウラ・ボーデヴィッヒさんはどうにもこうクールというか、なんというか、刺々しい態度を見せていてなかなか仲良くすることが出来ない。
彼女の外見としては左目に眼帯をしているのが気にはなるけれど、整った容姿と長い銀髪、それにその小柄な体格が合わさって、まるで人形のような可愛らしさを醸し出している。
「……貴様も一応、専用機持ちなのだろう?そうであるというのなら、それにもっと相応しい態度や姿勢という物があるのではないのか?」
ラウラ・ボーデヴィッヒ。
ドイツの代表候補であり、軍の特殊部隊の隊長を務めているという話は、一応名前から聞いたことはある。その性格は軍人ということからなのか、このように堅い。
ラナさんやジャックさんも元軍人ではあるけれど、このボーデヴィッヒさんとあの二人の差は何なんだろう?
あの二人が陽気なだけなのか、はたまたボーデヴィッヒさんが生真面目なのか。
でも、転入するという事自体が軍人としての任務だったのなら仕方のないことなのかもしれない。
『それじゃあ、二人とも入って来て下さいっ!』
隣のボーデヴィッヒさんについて考えていると、山田先生の私達を呼ぶ声が教室の中から聞こえてきた。
「よし、それじゃ行こっか?」
「……ふん」
「あ、ちょっと待ってよ」
声を掛けてはみるが、こちらの声を無視するかのように、ずんずんと小柄な身体を揺らし彼女は力強く進んでいく。
私はそんな彼女の後ろに遅れないように続いて、失礼しますと一声を掛けてから教室の扉をくぐっていく。
扉をくぐったその先、教室内で待っていたのは多くの視線。約三十対のそれが私とボーデヴィッヒさんに集中している。
「それでは、自己紹介をどうぞ!」
「あ、はい」
このクラスの副担任である山田真耶先生のにっこりとした笑顔に促され、一歩前ヘ。
さすがに少し緊張はするけれど、ここで躓いていてもしょうがない。
小さく深呼吸を一つ、緊張を飲み込んで正面を見据え、笑顔を心掛けながら緊張で少し乾いた口を開く。
「フランスから来ましたシャルロット・デュノアです。突然の転入ということになってしまいましたが、皆さんよろしくお願いします」
とりあえず無難な自己紹介を終えると、聞こえて来たのは目の前のクラスメイト達からの拍手の音。
うん、とりあえずは受け入れてもらえたのかな。
ほっと安堵の息を吐き、改めて教室のクラスメイト達の様子を見渡してみる。
ここが日本であるということもあってか、日本人は確かに多い。けれど、その中にも他国籍の生徒も数多く確かに存在している。
例えば教室後方、こちらの様子を注意深く窺っている彼女。ロールのかかった鮮やかな金髪と少し釣り上がった意思の強さが窺える瞳。
彼女は確かイギリスの代表候補のセシリア・オルコットさんだったと思う。
だが、その表情には少しこちらへの警戒心が浮かんでいるように思える。
例えるのならなんだろう?家を守る番犬というよりかは、何か獲物を取られまいとする犬を連想させるその姿。
まぁとにかく他にも国籍はわからないけれど、褐色の肌をした人や赤毛の髪の人など、様々な地域、国から生徒が集まって来ている。
でも、やはりその中で最も目立つのは、目の前すぐ近くの席に座っている男子の姿。
当然IS学園の男子生徒など一人しかいない。
彼が世界唯一の男性適合者、織斑一夏だ。
少し気になったので彼のことを観察しようとしていたそんな時、突如、視界に小柄な銀色が横から入り込んで来た。
「貴様が……!」
その銀色の主、ボーデヴィッヒさんが怒りの入り混じった声を上げたその直後、鋭い破裂音が教室内に響いた。
音の発生点の中心にいるのは頬を押さえる織斑君と、腕を振り切った状態のボーデヴィッヒさん。
「っ、いきなりなにをしやがる!?」
続いて織斑君の声が響くが、あまりに突然起きたことに教室内の誰もが反応ができていない。
「……ふん」
その声に耳を貸さず、ボーデヴィッヒさんは用なら済んだと言わんばかりに空いている席に座ると、腕を組んで目を閉じる。
本当になんだかすごい子だ。……良くも悪くも。
未だに静まり返っている室内。
でも、今日の授業もあるのだから、いつまでもこうして立ち尽くしているわけにもいかない。
「あのすみません、私の席はどこになるんでしょうか?」
「……ひゃうっ!?あ、は、はい。データによると視力の方には問題はないですよね?」
「はい」
「で、では、教室の後方ドア側の席でお願いします」
「あ、わかりました」
山田先生も先程の出来事に飲まれ固まってはいたが、口火を切って話し掛ければ、少し堅い態度ではあったけれど、きちんとこちらの質問に答えてくれた。
それをきっかけにどよめきという形で、教室にもようやく動きが出てくる。
詳細は聞こえはしないが、おそらくボーデヴィッヒさんと織斑君のことで騒然となっているのだろう。
「静かに!」
そんなどよめきもその一喝で一斉に治まっていく。
その声の主は東洋の魔女とまで謳われる、日本いや世界最強の人物のもの。
強い目線と黒い髪。その身に纏う雰囲気は、確かに日本刀のような鋭利さと有無を言わせぬカリスマ性を秘めている。
その最強の女性、本クラスの担任である織斑千冬。
その一声にクラスは静まり返り、ボーデヴィッヒさんを含めた全ての視線が織斑先生へと集められていた。
「HRは以上で終わる。今日は二組と合同で模擬戦闘を行うので、各人、すぐに着替えて第二グラウンドへ集合すること。では解散!」
『はい!』
沈黙から困惑、そんな状態にあったクラスメイト達が織斑先生の言葉に完全な再起動を果たす。
先ほどからは一転、一斉に発せられた元気な返事。クラスメイトの皆はその指示に従い動き始めた。
「デュノア、いつまでもそうしてないでお前も早く着替えてしまえ」
「あ、はい」
私も織斑先生に従い、まずは指定された自分の席へ。
周りのクラスメイトの人達と互いに挨拶を交わしながら、制服からISスーツへと着替える準備をしていく。
「……あれ?デュノアさん、デュノア、うーん、デュノア?」
肌に密着する素材に身を包み、スーツのレッグ部に脚を通していると、隣の席の谷本さんがふと何か疑問そうに呟く。
「どうしたの、谷本さん?」
尋ねてはみるが、なにやら私のファミリーネームを連呼していたので大体の想像はできているのだけど。
「もしかしてーなんだけど、デュノアさんってあのデュノア社の関係者?」
うん、やっぱりだ。
「……そうだよ。一応、デュノア社は父の経営してる企業になるのかな」
「わおっ!デュノアさんってば社長令嬢だ!じゃあ、首から架けてるそれって専用機だったり?」
「うん。ワンオフ機ではないけどね」
私が専用機持ちであることが分かると谷本さんだけでなく、周りのクラスメイトの人達もおぉ、と驚きの声を上げている。
「はぁ、すごいね。これでこのクラス三人も専用機持ちが揃ってるよ!」
実際にはボーデヴィッヒさんのISを含めれば四人なんだろうけれど、ここで訂正はしない。
後々分かることでもあるし、ボーデヴィッヒさんはそういうことを嫌いそうでもあるし。
「……デュノアさんでしたか、少しお時間をいただいてもよろしいかしら?」
そうして着替えも終わり、グラウンドへと向かいながら谷本さん達の質問に答えたりして友誼を深めていると、背後から声をかけられた。
「あれ?セシりん?どうしたの?」
いち早く、気付いた谷本さんの声。
振り返ってみると、そこには自己紹介の挨拶の際、こちらを注視していたセシリア・オルコットさんの姿。
「せ、セシりん……あ、あの、その呼び方は止めて下さいとあれほど……いえ、まぁとりあえず、それは今は良いですわ」
あ、それは良いんだ。
「ええ、実は少しデュノアさんと二人きりで話したい事がありまして。……申し訳ないのですけれど、外してもらってもよろしくて?」
私に用事?それも二人きりで内密な?
オルコットさんとは初対面のはずなのでその用件について、思い当たることは何もない。
「じゃあ、谷本さんごめん。先に行っててもらって良いかな?」
「う、うん、別に良いけど。……二人とも遅れないようにね!」
あまり穏やかでない空気を感じ取ったのか谷本さん達は、こちらを心配そうにしながらもグラウンドに向けて歩いていく。
こうして、とりあえず谷本さん達には先に行ってもらい、オルコットさんとの時間を作る。
彼女に向き合ってみれば、やはりこちらを警戒するような態度を見せていた。
「えと、セシリア・オルコットさんで良かったよね?」
「ええ、その通り、間違ってはおりませんわ」
「私はシャルロット・デュノア。これからよろしくね」
まずは互いに自己紹介。
オルコットさんは、こちらを警戒してはいても、その口調も合わせて外見通りの高貴な印象。
データでは貴族の出身であるとあったので、やはりその環境で育った影響なのだろう。
「では改めて。本来であればこういった場で話すことではないのかもしれませんが、単刀直入にお聞きいたします」
こちらに質問しようとするオルコットさんの表情は正に真剣そのもの。
私もその雰囲気に当てられ、姿勢を正し、きちんと聞き入れる体勢を作る。
そして彼女はその表情を続けたまま、整った形の唇が疑問の続きを紡いでいく。
「……貴女は、デュノア社からのスパイではありませんか?」
「……はい?」
固まる空気。
でもそれはHRのボーデヴィッヒさんの時とは違って、呆然とか呆気に取られてとかそういった方向の驚愕。
「い、いや、ですから、貴女がスパイではないかと!」
「いやいやいや、ちょっと、ちょっと待って!」
「……何ですの?」
「私がスパイ?」
「ええ、本国の方から気をつけろという連絡がありましたわ」
「……はぁ」
なにやら胸を張って答えるオルコットさん。
それに対して感じる、なんだろうこの虚無感というか、どこかやるせない気持ちは。
明日に向かって頑張ろう!と、正に意気揚々といった気分で今日に臨んで来たのに。
うう……、出会い頭に水をかけられた気分だ。
「あの、ですから」
オルコットさんもどうやらこのおかしな空気を感じ取っている様子で、どこか慌てた表情を見せている。
先程の高貴な雰囲気からのこのギャップ。綺麗な人だとは思っていたけれど、何だか少し可愛い人かもしれない。
いや、今はそうではなくて。
「えーと、とりあえず結論からすると、私はスパイではないかな」
「……そうなんですの?」
オルコットさんは未だに少しこちらを疑うような素振り。
でもスパイにスパイであるかを聞いても、正直に答えてはもらえないと思う。いや、私はスパイではないけれど。
「ですが、デュノア社は第三世代型の案を出せず、経営に苦しんでいると聞きましたわ!」
「それについては、だいぶ前に政府に開発案を提出して正式に了承されたはずなんだけど」
ミラージュというか、クレスト、キサラギ、シゲさんの助言によって。
「……それでもそれは欺瞞情報であると本国が!」
「あれ?つい先日、機体が形になりしだい欧州防衛統合計画に参入の打診をするって、発表してたよね?」
「……」
「……」
今度は何だか気まずい雰囲気。
二人でなんとなく黙りあい、静かな時間が流れていく。
「ええと、とりあえずは信じてもらえたの、かな?」
「……ええ、デュノアさん。貴女を疑ってしまって本当に申し訳ありませんわ」
こちらに頭を下げ、ひどく気分を沈ませているオルコットさん。
それを見ているとなんだか、こちらが申し訳ない気分になってくる。
「い、いや、別に大丈夫だよ、オルコットさん。ちゃんと分かってもらえたんでしょ?」
「……それはもちろん」
「だったらもう気にしてないよ。だからオルコットさんも気にしないで?オルコットさんが悪い訳じゃないんだから」
「……そう言っていただけると本当に助かりますわ。ありがとうございます、デュノアさん」
やっぱり、オルコットさんは良い人だとは思う。
確かにその格式的な口調や態度で勘違いされやすい人かもしれないけど、その性格の奥底には他人への配慮や気遣いが息づいているように感じる。
「……うん、じゃあオルコットさん」
「はい?」
「改めて自己紹介をしよう?」
私の言葉を聞いて呆気に取られた様子のオルコットさん。
確かに唐突過ぎたかもしれない、でも続けてしまおう。
「私はシャルロット・デュノア。一応専用機持ちで代表候補ではないけど、それなりにはISの搭乗経験を積んでるとは思っています。あと、デュノアさんじゃなくてシャルロットで良いよ」
「えっとあの」
「ほら、オルコットさんも」
「あ、はい。……わたくしはセシリア・オルコット。イギリスの代表候補生であり、第三世代機であるブルーティアーズを任されてもいますわ」
少し困惑気味ではあるけれど、オルコットさんはきちんとこちらの名乗りに応えてくれる。
「じゃあ、名前はどう呼べば良い?セシリアって呼んでも良いかな?それともオルコットさんのままの方が良いかな?」
「……セシリアと呼んでいただいても別に構いませんわ」
「そっか。それじゃセシリア、これからもよろしくね?」
許可をもらったので、名前で呼ぶと共に右手を彼女の前に差し出す。
彼女もこちらの意図を汲み取ってくれたのか、同じく右手でこちらに応えながら、笑顔で答える。
「ええ、わたくしの方こそよろしくお願いいたします。デュノアさん、いえ……シャルロットさん」
共に笑顔で軽く握手。
「それじゃあ、これで仲直りじゃないけど、仲直りということで」
「ふふ、そうですわね」
握っていた手を離しても、互いに笑い合う。早速の新しい友達。
なんだか大変なことはあったけど、初日からこうして手を取って笑いあえるというのは、中々に幸先の良いスタートと言えるんじゃないだろうか?
何だか余計にこれからの生活に対する期待感が湧いてくる。
喜びながらそんな事を考えていると、その時、不意に時計が目に入ってきた。
「あ」
気分はまさに急転直下。天国から地獄、喜びから絶望へ。
不意に視界に入った時計の針、それがを指し示すものに気づいた瞬間、その時になって初めてこの話の流れで忘れていたことを思い出す。
時間を確認。
始業の時間まであと数分。
結論……。
「……シャルロットさん」
「……うん、言いたいことは何となく分かるよ」
『まずい(ですわ)っ!』
残り数分。間に合うかどうかはわからない。
だけど、初日から遅刻というのは非常に避けたいものだし、セシリアからしても貴族の吟持がさせるものなのか、実に切羽詰まったような表情をしている。
もちろん、校則では廊下を走ることは禁止されてはいるけれど、もうそれを気にする暇もなく私とセシリアの二人は揃って廊下を走り出す。
結論からすれば、なんとか済んでの所で間に合ったのだけれど、ギリギリ過ぎるぞ、馬鹿者が!ということで、織斑先生からセシリアと一緒に並んでの有り難いお言葉を頂戴することになってしまった。