暗い暗い夜。
明かりは見えず、ただ丸く明るい月だけが世界を照らす。
聞こえるのは、打ち付ける波の音。世界を巡る風の音。
とても静かで落ち着いた世界。
そんな中、一人の女性が崖の端に腰を下ろし、青いスカートから伸びる足を揺らしながら、ただただ月を眺めていた。
「……予想外だったなぁ」
彼女が呟くそんな一言。そこには彼女の意外そうな、それでいて確かに感じていた驚きのような物が含まれている。
「まさか、彼らが邪魔をしてくるなんてね?」
それは彼女に目標にとっての障害となった物だった。
「まぁでも、結果としては成功かな?まだまだ足りないけど……」
表情に浮かぶのは少し不満げな物と笑みとが混ざり合った複雑な物。
一応は喜びに入る部類か。
「箒ちゃんもやっと同じステージに立てたし、いっくんもあれからちゃんと順調に成長してきてる」
全ての出来事は彼女の掌の上に。
事象を起こし、過程を観察し、結果を評価する。
今回の一件は一応の合格点に値する物であるらしい。
「でも……やっぱり足りないよ。このままじゃ、足りない。どうしよう、どうしたら良いんだろう?」
だけど、それはベターでありベストではなかった。
一応の結果は出た。しかし彼女の望むべき場所へは、未だに遠く。
「ん〜?……そっか。足りなければ、足せば良い。待ってるだけじゃ、駄目だよね?むむむ、でも……」
顎に手をやり、悩む素振り。
それも、彼女の頭脳の回転の前には一瞬で、直ぐに要件への対策案が導き出される。
「……どれくらいで直るんだろう、あれ?このままで居られても役立たずなままだし」
妙案と役立たず。一体、何者に対する称号なのか?
何かを思案するその様子。
「それは、石ころなりに頑張ってくれるのを期待しようかな。期待にそぐわないようなら捨てておけば、良いだけだし」
期待というわりには、淡泊な言葉。
飽くまでも、それは補助でしかなく決して本意ではない事の現れ。
使える物は使う、彼女にとってはただそれだけの事。
それでも彼女の興味を引いたという事実。それはある意味、大きな意味を持っているのかもしれない。
「……やっぱり、その為には試さないとだよね、うん」
再び悩み思考する。そして、直ぐに考え出される答え。予定。
「よっし!そんじゃー、頑張れ、私!明るい明日を目指して……」
予定が決まれば準備をし、答えが解れば進むのみ。
彼女はここ一番の明るい表情を浮かべると、えいえいおー!と一人でポーズを決める。
「……って、何なのかな?こんな今のいい気分に水を挿して」
そんな彼女が一人気合いを入れていた時、彼女の目の前に現れたのは空間投射ディスプレイ。
しかし、浮かぶ文字は『SOUND ONLY』。姿はなく声だけが響いていく。
『……ようやく繋がりましたか、篠ノ之博士?』
「何の用なのかな?私はあなたを呼んだ覚えはないと思うけど?」
先程の明るい笑顔から一転、その顔には訝しげ、憎々しげな色が浮かぶ。
どうやらその相手、通信主は面識のある人物のようだ。
『ああっとこれは失礼。ですが、今回は私共からの忠告という事で連絡をさせて頂きました』
表情が見えていないからなのか音声だけの通信は、ペースを崩す事なく彼女へとその用件を伝えていく。
「忠告?」
『ええ、忠告です。……そう、勝手にそう動かれては、こちらとしても大変に迷惑なのですよ。お分かり頂けますよね?』
その言葉、それは声の主が一人ではない事を指し示している。
忠告と銘打っておきながらも、暗に警告的なニュアンスを含ませる口調、声。
「勝手?勝手に動いてるのはそっちでしょ?」
彼女はそんな警告もいざ知らず、関係ないとばかりに言葉を返す。
『……まぁ、良いでしょう。忠告はしました。今後はくれぐれも勝手な行動は慎んで下さい。それが私共の総意でありますので』
そんな反応に諦めたように伝えられる通信。それでも、念を押す事を忘れてはいない。
「へぇ、脅迫したりはしないんだ〜?」
『さて、脅迫?いやいや、何とも恐れ多い。貴女に脅迫などそんな事はいたしません。何たって私共と貴女とは、互いの「信頼関係」からなるパートナーなのですから!』
彼女の意外そうな声に返されるのは、わざとらしい言葉だった。
実にわざとらしく、演技のような抑揚と、口調、言葉遣いでの言葉。
「……ふん、よく言うよ。それで?用件はそれだけ?」
そんな通信主に対して浮かべる、憎々しい、忌ま忌ましいという嫌悪感。
『ええ、今回は忠告だけですので。……ああ、そういえば後一つ』
対する言葉の主はさらに語る。
それは実に明るい様子で、本当に気軽そうに。
「何?」
その様子に彼女は眉を潜める。
『貴女の生産技術を私共に伝えて頂ける気はありませんか?』
いきなりの願い。
それはある種の禁句であり、それを聞いた瞬間に、彼女からは一切の表情が消え失せた。
「寝言は寝てから言うんだね?契約を忘れたわけではないんでしょ?」
無表情のままに語られる言葉。
現されるのは明確な敵意。
『おお、怖い怖い。それでは、今日はこれで失礼させて頂きましょう。篠ノ乃博士、良き夜をお過し下さい?』
そんな言葉をかわしつつ、おどけた様子と態度を見せながら、通信が切れていく。
「……今日は?これで?もう連絡して来るなって話だけど?」
切れた通信に対して、彼女の口から出て来るのは文句ばかり。
本当に気に入らない様子で、出来る事なら潰したいとでも言いたげな表情で。
「まぁ、あんなのはどうでもいいや」
しかし、文句を吐き出すだけ吐き出して、大きく息をつくと元の様子、元通りに。
「それにしても『そこそこ』かぁ」
そして、表情が変わっていく。負の感情から純粋な正の感情へ。
「ちーちゃんは、いつもそんな事言って一人でやろうとするんだから」
苦笑い。
それはとても大切で、不器用な幼馴染みに対しての笑顔。
自らの質問に答えてくれた親友に向けた物。
「それは、楽しいけど、楽しくない部分もあるって事でしょ?……まったく、辛い事があるなら辛いって言ってくれれば良いのに」
何年の付き合いだと思ってるの?と笑みを含んだ困り顔を浮かべる。
彼女と親友、その関係は十年の歳月を越えても尚、ずっと続いている物だ。
そう考えれば、彼女の感情も理解出来ない物ではない。
「でも、楽しい世界、その為にもいっくん達には頑張ってもらわないとね」
語られる言葉。楽しい世界。それが彼女の目的であり、目標だった。
その世界に含まれる物、その範囲。詳細こそは不明だ。
「私の為にも、ちーちゃんの為にも。………私達、皆の為にも」
だが、少なくとも彼女にとっては楽しい世界。彼女の望む到達点。
そうしてぽつりと呟かれた言葉。
それを最後にして、彼女の姿はどこかへと掻き消えていた。
残るのは風とさざ波と世界を照らす月の光。
それらはいつまでもその場を彩り続けていく。
『すまんな大尉。お前には今後、このプロジェクトからは離れてもらう事になった』
室内に響く声。
目の前のディスプレイ。
彼女の上官からもたらされた情報。
それはある種の覚悟を決めていた彼女にとっても、非常に厳しい処断であると思わざるを得なかった。
「待って下さい!あの子を凍結処理にするばかりか、私はあの子に近付く事さえ許さないという事なんですか!?」
あの子。凍結処理。
彼女のパートナーである存在、暴走を起こした危険因子の封印。
その決定が悪いニュースとして、先程、既に伝えられてはいたのだが。
「そもそも、何故それが良いニュースと言えるのですか?」
そう。
彼女に今、伝えられた情報。それは悪いニュースと良いニュース、その良いニュースとして上官より伝えられた物。
軍のプロジェクトからの放逐、なぜそれが良いニュースと言えるのか。
彼女、ナターシャ・ファイルスにとってはとても理解も納得もしかねる問題だった。
「大佐!どういう事なんですか!?」
そしてその疑問をそのままに、彼女は直属の上司である彼へとぶつけていく。
『あー、気持ちは解るが、そう怒鳴らんでくれるか?』
苦笑いを浮かべて、ナターシャの一気呵成の勢いを受け流す、ディスプレイ上の男性。
「ですが!」
尚も不満の姿勢は崩さず、彼女は上官へと突っ掛かっていく。
『まぁ、まずは落ち着け。事情は話す』
困った笑顔。
男性はナターシャを諭すような口調で話し掛けていく。
「……はい」
その態度に、彼女もまた興奮を治め、冷静さを取り戻していく。
『ついさっきの会議でな。大尉いやナターシャ、お前には少しやって貰いたい事が出来たんだよ』
男性が説明を開始する。
しかし、それは上官からの説明というよりは、まるで父が子に教え伝えるような口調と声色だ。
「やってもらいたい事、ですか?」
『ああ。プロジェクトから離れてもらうのはなんて事は無い。新たな任務、それに就いて貰いたいからだ』
浮かんだナターシャの疑問と疑念、返されたのは彼女に対する新たな期待。
『ある種、米軍の未来を左右すると言っても良いかもしれん』
しかも、それは非常に大きな物。
『選択権は用意されている。乗るか反るか、全てはお前次第だ』
そして任務への参加が、全て彼女の意思に委ねられていた。
「……決定する前に、少し聞いてもいいですか?」
そんな期待に対して、ナターシャが表しているのは新たな疑問と少し戸惑ったような表情。
『別に構わんぞ?何でも聞くといい』
「では任務の内容について、聞かせてもらっても?」
上官より得た了承に、彼女がまずは抱いた根本的な疑問についてを尋ねていく。
『ふむ、そうだな。詳細は言えんが、海外に飛んでもらう事になる』
「海外?」
男性の答えた言葉が意外な物だったのだろう。
軽く首を捻り、どういう事なのかというのを思わず口に出していた。
『そうだ。そこでの共同研究と開発、それへの参加が主な内容だ』
呟きのような言葉に返ってくる、任務の大まかな内容。
「……そうですか」
再び呟かれた声はどうにも乗り気ではない様子。
それもそのはず、彼女は今まで国家の代表としてISの実際の運用に関わって来ていたのだから。
研究や開発、これらにも当然関わって来たが、彼女は飽くまでも搭乗者であり、開発者研究者ではない。
そういった面でも、彼女が任務に戸惑いを見せるのは、当然の事と言えた。
『ああ、後はそうだ。悩んでいる所ですまないが、言い忘れていた事があった』
少し時間を置き、黙り込むような彼女に対して、追加情報として掛けられた言葉。
『……もし、任務に就く意思があるのであれば、あの機体、シルバリオ・ゴスペルの封印処置は必要なくなるかもと言っていたな』
それは、声に遊び心のようなニュアンスをにじませた物だった。
「……大佐、それはずるいと思います」
ナターシャは、わざと情報を伝えていなかっただろう男性に対し、唇を尖らせるようにして言葉を返す。
そんな彼女の反応に、笑い声を上げる男性。
『お前はあれと一緒ならどこにでも、と言った感じだからな。こう見えても、封印処置を中止させるには苦労したんだ』
笑いの後の言葉には、少しの疲労が見られ、彼がナターシャの為に尽力したという結果と事実が表されていた。
「……先生」
男性に対してのナターシャの言葉。
それは、彼らが短くない間柄であった事を示していて、ナターシャは彼に向けて、続けての言葉を掛けようとする。
『……だが感謝はするな。封印処置こそは免れたが、その代わり、シルバリオ・ゴスペル、あれのデータの初期化が絶対条件だそうだ』
しかし、男性から返って来たのは、続けられようとしていた言葉の拒否とシルバリオ・ゴスペルへの軍の対応、判断についてだった。
「そんな……」
ナターシャはその内容に落ち込みを見せる声を上げる。
データの初期化。
ISにとって、それは築き上げて来た信頼と通じ合って来た互いの関係を崩していく事に等しかった。
個性を持つ彼らを0に戻す。消し去る。
それはつまり、彼らへのある種、死刑宣告とも言える。
『すまんな、これは一重に俺の力不足だ。でもな、俺もまた内心では初期化を支持している』
謝る声。
含まれる意味は二重。
至らなかった自身の事と彼女の気持ちを裏切っているという事に対する物。
「先生!?」
特に後者についてはナターシャを驚かせるには十分だったようだ。
何せ彼女にとって彼は、とても親しくそして大きな尊敬を寄せる存在だったのだから。
『……あれは、シルバリオ・ゴスペルは余計な感情を覚えてしまった。それはお前にも分かるだろう、ナターシャ?』
「……」
弁解するような男性の言葉。
彼女もその内容については理解できているのか、黙り込んだままに反応はない。
『お前に対するあれの想い、それはまだ良い。しかし敵への強い怒りと憎しみ、そんな物は必要ないからな』
理解はしている、とナターシャは振り返る。
暴走時に繋がっているパートナーから伝わって来た強い感情。
守りたいという先行した想いと、どこからかシルバリオ・ゴスペルに入り込んで来た破壊衝動にも似た意思。
『確かに初めの暴走は、信じられない事だが外部アクセスによって引き起こされた物であるという報告が上がっている』
外部アクセス、あの入り込んで来ていた物はきっとそれなのだろうとナターシャは考える。
『だが、コアネットワークを遮断して完全な独立作動していたはずのあの機体が、何故、尚も暴走を続けたのか?』
ディスプレイの中では言葉が続く。
『その原因はシルバリオ・ゴスペルの学んだ感情。怒りと憎しみ、そこから来ているのだろうというのが、技術屋連中の見解だ』
ISが学習する存在である事は既知の事実という物だ。
データの取り込み、演算、フィードバック、それによってパイロットの総合的な補助を行う。
そしてその利用されるデータには様々な物が挙げられる。
使用環境、外部装備、搭載武装、搭乗者の癖。それに搭乗者のコンディションさえも。
コンディション、それは肉体的な面でも、精神的な面でもだ。
今回は、外部から与えられた怒りや憎しみそこから来る破壊衝動を搭乗者の意思や感情から来る物として学んでしまった可能性があった。
つまり搭乗者であるナターシャが、少しでも怒りや憎いと感じた瞬間に、再び暴走する恐れが残っていた。
『確かにパイロットの操縦を必要としない機体というのは理想的ではある。しかしだ、こちらの操作を全く受け付けずに暴走を繰り返すような機体はただの欠陥品でしかない』
実際に行われた無人起動、暴走というイレギュラーな形ではあったが、それは研究者にとって、非常に貴重なデータではあった。
理論上は確立されながらも実際には実用化に耐えなかった代物。
だが男性の言う通り、望まれる無人機とは飽くまでも誰かのコントロール下、指揮下にある物を指していて、何をするか分からない暴走の事を指し示す物ではなく。
研究者達にとっては、参考程度の物であり彼らが求める明確なソリューションには為り得なかった。
『そんな危険な物を野放しにしておく訳にはいかん。ナターシャ、お前の気持ちは十分理解はしているし、そんなお前には悪いがな』
彼とナターシャ、二人はISの登場以前からの旧く長い付き合いだった。
男性はナターシャの事を心配しながらも、どこか彼女に対して申し訳なさそうな様子を見せている。
『まぁ、話を本題に戻すとして。それでどうする?……やるのか?やらないのか?』
しかしその後、口調と共に表情と雰囲気が変わった。
旧くからの存在から、上官としての威厳を示して。
「もちろん、やらせて頂きます。いくら初期化が為されたとしても、あの子があの子である事には変わりはありませんから」
それに対して、ナターシャの雰囲気も一人の軍人としての物へと変わった。
『……そうか。良かった』
男性はナターシャの意思と態度に、優しげな笑みを浮かべながらに小さく安堵の言葉を零す。
『よし。なら詳細は追って連絡をする。だが準備だけは今の内にやっておけよ』
その態度も一瞬、再び軍人としての顔へ。
「了解しました!」
彼女も彼の心中を察してか、真面目ながらも笑顔を抑え切れていない表情で敬礼を送る。
そうしたナターシャの敬礼を見届けた後に、彼女と男性との通信は切れていった。
そして、これから約数週間の時間の後、彼女は秘密裏ながらの正式な任務により、その地を踏むことになる。
ある種、軍と国家の命運を掛けた重大なミッションの内の一部を担う者として。
文明の発祥地。
そう謳われる、世界と世界、文化と文化とが交差する、その大地を。