Acxis   作:ユ仲

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Chapter3-1

「……よいしょ」

 

 井戸から汲み上げた水をポリ容器の中へ貯めていく。

 一回だけじゃまったくダメなので、何度も何度も。

 大体十回くらい?それでようやく一つの容器がいっぱいになってくれた。

 続けて二つ目にも貯めていく。一つ目と同じく、何度も水を汲み上げて。

 

「よいしょ……」

 

 かけ声と一緒にポリ容器を両手で持ち上げる。

 水でいっぱいになった容器はやっぱり重い。

 とても両手に二つは持てない。それなので一つは紐で背中に括り付けて、もう一つは何とか両手に抱えて持って、一歩ずつ歩いていく。

 

 道のりは長くて、気温は高い。

 おまけに重くて暑くて息も切れてくるし、汗も出てくる。

 空には見慣れた太陽が輝いていて、ただでさえ渇いた土や空気をさらに焼いては乾かしている。

 

 この間まではちゃんと水道が使えたんだけど、海辺の機械が壊れちゃったみたいで、水が届かなくなってしまった。

 だからこうして、僕はわざわざ外れの井戸にまで水を汲みに来ている。

 

 母さんは仕事でちょっと前から帰ってないし、姉さんは料理の準備中。兄さんはふらふらとどこかに行ってしまったので、これは僕がやるしかない仕事だった。

 

「……はぁ」

 

 ……やっぱり重たい。

 

 それでも一歩ずつ一歩ずつ、足を止めないで進んでいく。

 暑いし苦しいし辛いけど、これは僕のやるべきことだから。

 

 姉さんや母さんばかりにいつまでも頼っているわけにはいかない。

 男は女を守るもんだって村長さんも言ってたし。

 今はまだ弱くて小さいけど、少しは役に立ちたい。

 でも、やっぱり重たいものは重たいし、辛いものは辛い。

 

 そういえばと、辛い時は楽しいことを考えるんだよ、と姉さんが前に言っていたことを思い出した。

 優しく笑いかけてくれていた姉さん。その言葉に従って、今考えつく楽しいことを頭に思い浮かべていく。

 

 ……楽しいこと、楽しいこと。楽しいこと?

 

 一つ思い浮かんだのは楽しいことというより、気になることだった。

 それは僕の本当の両親の国だというニホンのこと。

 なんでも、小さいのに世界でも有名な国らしい。

 人はお金持ちばかりで、車が見渡す限りに走っていて、食べ物には困らないし、水も使い放題。そんな凄い国らしい。母さんはそう言っていた。

 

 そんな所に、一度で良いから姉さんや母さん、兄さん達と行ってみたい。

 無理かもしれないけど、いつか僕が皆を連れていって不自由のない暮らしをさせてあげたい。

 それに両親の生まれ故郷ということで見てみたいと思う気持ちもある。

 

「おーい!何やってんだー?」

 

 車であふれるニホンがどんな所か想像をしながら歩いていると、どこからか声が聞こえて来た。

 それは、朝からふらふらとどこかにいなくなっていたはずの人の声。

 

「こっちだ、こっち!……いよっと」

 

 かけられた声の方。顔を上に向けると、近くの建物から飛び降りて来る影が見えた。

 そして、よくわからないポーズを取りながら目の前に着地して見せた影。

 

「へっへー!さぁって、遊びに行くぜー?」

 

 汗を流しながら、頑張って運んでいる僕にそんなことを言ってくるその人物。

 

「……何やってるの?兄さん」

 

 それは正真正銘、僕の兄に間違いはなかった。

 

「だから、遊びに行こうぜ?」

 

 兄さんは僕の今の状態が目に入ってないんだろうか。

 サッカーボールを片手に持ちながら、ずっと遊びに誘ってくる。

 

 ん、それにしても、ボール?

 

「それ、どうしたの?」

「ああ、外の軍隊の人にもらったんだ」

 

 そんなことを何でもないように言ってくる兄さん。

 ポリ容器を持ってるから今はできないけどその言葉に対しては、もし手が空いてたら僕は思わず頭を抱え込んでたと思う。

 

「あのね、兄さん?危ないからあんまり近付いちゃダメだって母さんも言ってたよね?」

「うんにゃ、だって俺が近付いてったわけじゃねーし。あっちから勝手に近づいてきて、これをくれたんだぜ?」

 

 ボールを器用に指一本で回しながらの言いわけ。

 まったく。ああ言えば、こう言う。

 最近近くに外国の軍隊の基地が出来たものだから、きっとそれを狙って朝から行ってたんだと思う。

 母さんもいないから、注意する人はいないし。

 

 ……姉さんは気にするだろうけど、どうにも迫力不足すぎるし。

 

 それにしても目の前で、まだきれいなボールを落とさないように蹴り上げながら、「俺、今からこうして練習して、将来ワールドカップに出るんだ!」と興奮気味に言ってる兄さん。

 

 ワールドカップ、確かサッカーの世界大会だったっけ?

 あんまり知らないことなんだけど、一応、なかなか簡単な道じゃないよ?とは言ってみる。

 

「グンマは一日にしてならず、だぜ!」

 

 すると、返って来たのはそんな言葉。

 

「それを言うなら、『ローマは一日にしてならず』だよ、兄さん。母さんが前にちゃんと教えてくれたじゃない」

 

 ……というか、グンマって何だろう?

 

 とにかく、兄さんはサッカーの練習は良いけど、勉強もきちんと頑張った方が良いと思う。

 いつも、居眠りしては母さんに拳骨を頭にくらってるし。

 姉さんはそれを見ては呆れ果ててたし。

 でもまぁ、兄さんは運動だけは得意だし、ワールドカップだってオリンピックだって不可能じゃないかもしれない。

 

「細けぇことは良いんだよ。……それより、ほら!そっち片方寄越せよ!」

 

 一緒に歩きながら、そんな事を考えていると、兄さんは僕が両手に抱えていたポリ容器を無理矢理奪ってくる。

 

「いきなり何するのさ」

 

 ホントに突然だったので、驚いた。

 兄さんの様子は僕の声なんて聞いていないみたいな、そんな感じ。

 今もそんな風に僕から奪った水を両手に持ちながらも、見失わずにボールを蹴り続けている。

 その光景、正直、なんだか地味に凄い。

 

「二人で運んだ方が早いだろ?」

「それはそうだけど……」

 

 やがて、ボールを蹴りながら答えてきたのはそんな言葉。

 こういうことを自然とやってくるから、どうにも兄さんは憎めない。

 

「だったら、早く運んで、早く終わらせて、早く遊ぼうぜ!」

 

 まぁ、行動の理由はやっぱりそうやって、早く遊びたいからなんだろうけど。

 

「はぁ……でも、ご飯を食べ終わった後でだよ?」

 

 そうして兄さんと二人。少し速くなったペースで歩いていると、ようやく家が見えて来た。

 家の前では、料理はもうできてるみたいで、姉さんがこちらに向けて大きく手を振っている。

 お腹も実はかなり減ってきていた。それは兄さんも同じ様子。

 思わず足を止めて、顔を見合わせる僕と兄さん。

 

『おーい、何してるのー?もう出来てるから、早く食べるよー?』

 

 立ち止まった僕らを不思議に思ったのか、姉さんがこちらに向けて大きく声をかけてきた。

 そんな少し急かすような姉さんの声を聞いて、僕らはほとんど走り競うようにして家へと急いでいく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ぁ」

 

 懐かしい思い出と共に、意識が浮かび覚醒する。

 目の前に広がる光景は、あの太陽に灼かれる大地ではなく殺風景にも思える白い部屋。

 

「ん?何だ、これ?」

 

 自然と言える動作で白いベッド上から身体を起こそうとすると、何かが突っ張った感触があった。

 よくよく見れば、自身の身体に針を通じて、液体が投与されている。

 点滴。身体機能維持を目的とした物のようだ。

 とりあえず、動きの妨げになるので針を抜き、身体を起こしながら立ち上がろうと試みる。

 

「おっ、と?」

 

 ふらつく身体。立ち眩みのような感覚。

 すると何故か上手く立ち上がれずに、座るような形でベッドの上に。

 再度の挑戦でやっと、よろつきながらも何とか立ち上がっていく。

 

 どうにも、重たく感じられる身体。

 そういえば僕の服装もパイロットスーツでも私服でもなく、病院服、患者服とでも言うのだろうか、とにかくそんな感じの薄水色の服になっていた。

 まぁ、何となくだけど、ここがどこかの医療施設だって事は理解というより把握が出来た。部屋の様子とか雰囲気で、ホント、何となく。

 

 では、僕は今これからどうするべきなのだろうか。

 

 室内を見渡せば、ベッドの横に点滴の投与をする装置があって、心電図っぽい装置も見える。

 それに飾られた花瓶の中には、丁寧にも種類は分からないけれど、きちんと優しげな色をした花が活けられている。

 でも結局、自分のするべき事は未だ分からず。見当たらず。

 

「どうしようか?」

 

 何となく自分に問い掛けてみた言葉。

 当然、答えが返ってくる事はない。

 もし返って来たのなら、それは凄い。むしろ怖い。

 

 僕の人生の中でも病院に関わった事はあっても、直接的に自分が厄介になったという記憶はなかった。

 それだけに自分の次に取るべき行動が分からない。

 人はいないし、下手に機械を弄って壊すのも怖いし。

 

 白い室内、立ち尽くしながらも考え込んでいく。

 だけど、結局思い至った事は一つ。

 

 とにかく動き出そうという事。

 

 やっぱり、じっとしてるのは性に合わない。

 誰かを待とうにも、いつ誰がここを訪れるのかわからない訳だし。

 ただそれを待つのも癪というか、自分からそれらしい人を呼びに行った方が早そうだ。

 

 さて、方針が決まれば後は行動するのみ。

 どうにもやっぱり身体はまだ重い。でも、とりあえずは動き出そう。

 

 改めて一度、部屋を見渡す。

 持つべき私物は見当たらない。

 そもそもの物自体がなかった。花瓶は私物じゃないし、まさか花瓶を持ち歩く趣味はないし。

 

 なら、このままで良いか。

 

 この身一つ、着の身着のまま、気の向くままに、誰かを呼びに外に出るべくして扉へ向かう。

 スリッパはなく裸足、ぺたぺたと足裏にひやりとした感触を受けながらも、扉に手を掛けてはゆっくりと開け放ち、そのまま室外へと出ようとしたのだけれど。

 

「……あ」

 

 今、この時、僕にはそれが出来なかった。

 

 ドアを開けると目が合った。僕ではない高い声が聞こえた。

 続いて耳に入って来たのは、その手に抱えていた花束の廊下の床に落ちて起こした、静かな音。

 優しげな色をした花びらが、落ちた拍子に広がっては白いリノリウムを彩ってしまっている。

 

「あーあ、何やってるのさ?折角の綺麗な花なのに落としちゃって……」

 

 落ちたそれを拾い上げて、目の前の彼女に渡す。渡そうとする。

 でも、もう見慣れた白い制服に身を包んだままの彼女は、花束を受け取ろうとしないばかりか、こちらをじっと見詰めたまま、まったく動こうとはしない。

 

「ん?どうしたの?」

 

 声を掛けてみても、どうにも様子がおかしい。

 僕をまるで、幽霊でも見たかのような驚きの色を浮かべた瞳で見て来てるし。

 花束を渡そうとしても受け取ってはくれないし。

 

「……シャル?」

 

 疑念を込めて名前を呼ぶと、びくりと身体を震わす、目の前でじっと立ち尽くしたままの彼女。

 本当に一体、どうしたんだろう?少し考える。

 というか僕は、そんな彼女にどうしたらいいんだろう?少し悩む。

 それは僕の現状に、シャルの状況に。

 何がどうしてどうなっているのか、何が起きていて、何をすべきなのか。

 ぱっと考えては見ても、やっぱりよくは分からない。理解の欠片さえ掴めそうにない。

 

「……本物、だよね?」

 

 そうして首を捻って悩んでいると、目の前の彼女からどこか弱々しげな声が掛けられた。

 

「そりゃそうだよ」

 

 内心疑問を持ちながら、答えるは一言。

 けれど、してくる質問もやっぱりどこかおかしい。

 本物かどうかなんてそんな事、僕が僕だなんて当たり前なのに。というか、偽者がいるのなら実際に会ってみたい物だ。

 わざわざ、僕を真似ようとする酔狂な人物がいるとは到底思えないけど。

 

「……そう、だよね」

 

 聞こえてくるシャルの言葉。

 答えに対する反応もやはりの弱々しさ。

 落ち込むのとは、また違う弱々しさだ。

 

「まったく、何を言って――」

 

 そんなどこかおかしなシャルに掛ける僕の言葉。いや、掛けようとした言葉。

 それは突然訪れた出来事に、最後まで言い切る事は出来なかった。

 

 背中に感じる、ひんやり冷えた床の冷たさ。少し打ち付けた事による痛み。

 道理で少し重たいはずだ、半自動式であったドアは、来訪者は去ったという判断をしたのか、その役割を果たし勝手に僕らのいる空間を閉ざしていく。

 

 片手は花束を潰さないように掲げ、片手は今の状況に対して手持ち無沙汰に空を掴む。

 胸元には突撃を掛けて来た金色の髪。

 

 つまりの所、僕は現在、まだ安定のない身体のまま、勢い良く飛び込んで来た彼女の身体を受け止め切れず、見事に背中から倒れ込んでいた。

 

「シャル、いきなり何を……」

「……良かった。本当に、良かった」

 

 降って湧いたようなあまりの突然の出来事に、問おうとした言葉も今度は行動ではなく言葉によって遮られる。

 

 身体を震わせながらに聞こえてくるその言葉。

 今、どんな表情をしているのかは、顔が伏せられていて窺い知ることは出来ない。

 けれど、一つだけ解っている事はあった。

 

 それは、シャルには大きな心配を掛けてしまったらしいという事。

 

 そうでもしなければ、こんな事にはならないだろう。

 耳を澄ますと聞こえて来た、しゃくり上げるような声。

 それは胸に伝わる振動と共に大きくなってきて、この部屋における唯一のBGMへと変わる。

 

 何だか久しぶりの感覚、シャルはどうやら泣いているみたいだった。

 こうやって泣く彼女の姿、それを見るのはアメリカでのあの日以来の事だろう。

 でも、以前とは違い今回の原因は僕にあるらしく、泣かせてしまう程の心配を掛けてしまったようだ。

 

 自分から出て来るのは、みたいようだの推定系。

 正直、どうして僕が何故ここにいるのかも、よくは覚えてない。何だか記憶も曖昧で、思い出せるのは断片的な物に過ぎない。

 それでも、そんな何があったのかという事を今はさて置いて、一番大切なのはこの状況をどうするのかという事だ。

 

 とりあえず、こういう時は泣きたいだけ泣かせるという方針に変わりはない。

 しかし、問題がここに一つ。

 手持ち無沙汰なこの片手をどうするかという事。

 

 以前、シズカにやったように、安心させる為、背中に手を置いたり頭を撫でてあげたりするのが、こんな時の行動なのかなとも思う。

 でも今は、何故かその行動を実行する事に緊張が伴っていて、中々そうする事が出来ない。

 アメリカの時には事情は違えど普通に出来ていたのに、今は何だか戸惑うというか躊躇してしまうような感覚。

 

 とは言っても、いつまでもこうしてる訳にもいかないし、こんな事で臆しているのもおかしいので、やっぱりシズカの時と同じように戸惑いを振り切っては彼女の背中に手を置き泣き止むのを待っていく。

 そんなこちらの行動には、一瞬、身体を強張らせるような反応が返って来た気はしたけど、シャルの様子はあまり変わってはいないようだ。

 

 そうして室内に満ちる、聞こえてくる声を除けば、ほとんど無音の静かな時間。

 

 感じる鼓動に合わせて、その背中の上で軽いリズムを取りながら、ゆっくりとその時間を過ごしていく。

 泣いた影響からなのか、シャルの鼓動は早い。体温も何だか高く感じる。

 空調がきちんと整っている病室だからこそ、彼女の状態というのが強調されるようにして感じ取れていた。

 

 そのままどれくらい過ごしていたのか、ふと気付けば、シャルは何とか落ち着いた様子。胸元から聞こえていた泣くような声も今は治まり、じっとしがみつくような金色だけが目の前に広がっている。

 でも、シャルは一向に動きは見せず、体勢をそのまま変えない。

 僕も僕で、シャルの様子や状態を確認する事が出来ないので、それに応じるようにやっぱり体勢とかはそのまま。

 

 どちらから動く訳でもなく、時間だけがただ流れていく。

 

 しかし、そんな時。

 

「おい、シャルロット。先に早く行きすぎだ。迷ってしまっ、た……ぞ……?」

 

 ドアの開く音と声。

 この状況に対して、介入してくる人物が現れた。

 

「……」

「……」

 

 僕はふとそちらに視線を送り、出入口に立つ銀髪の少女もこちらを見ながらにして硬直している。

 

 交差、重なる視線。

 

 その聞こえて来た声に、シャルの身体が再び一瞬震えたように感じた。

 

「……す、済まない。まさか、取り込み中だったとは……い、いや、邪魔をした」

 

 予想外であり想定外だったのか、眼帯が特徴的な少女から聞こえる、慌てふためく声。

 そうして何故か顔を赤らめながら、入口に立つ彼女は急いでここを去ろうとする。というかまるで逃げるみたいに出て行った。

 

「ま、待ってっ!違……くはないかもだけど、とにかく誤解だよ、ラウラ!?」

 

 そんな駆けて行った少女、ラウラさんに対してのシャルの反応は非常に素早く、勢いよく起き上がりつつもよく分からない弁解をしている。

 赤い顔のままに出て行ったラウラさん、彼女を即座に追い始めたシャル。

 その過程で見えた物、先程まで伏せていた彼女が染め上げていたその表情。よもやそれはりんごのように。安直で稚拙だけど、確かに見えた赤い顔。

 

 静寂から喧騒、再び静寂へ。

 

 慌てたように病室を出ていった背中を見送り、ついでに身体を起こしながらにして思う。

 

「なんだ。元気だな、シャル」

 

 とりあえず、元気になって良かった、と。言葉に笑いを存分に含めて。

 

 

 

 

 

 

「それで僕は、あの後病院に運ばれて来た、と?」

 

 あの後、病室から出ていった二人が帰って来た直後に、看護師さんが起きている僕を発見。

 すぐに医師によって、意識のレベル、記憶の有無など、障害が出ていないかの簡単な診察が行われて、とりあえず問題はないだろうというお墨付きをもらった。

 

 そして今は、ベッドに腰を掛けながら、負傷したらしい時の状況の確認だ。

 

「とりあえず、皆、大した怪我はしてないし、シルバリオ・ゴスペルも一夏がちゃんと撃墜したって事で間違いないんだよね?」

「……うん」

 

 戦闘の結果。

 意識の最後に残っている物を確かめていく。

 返ってくるのは肯定の声と頷き。

 シャルとラウラさんがベッド横に用意したパイプ椅子に座りながら、当時の状況について答えてくれる。

 

「そっか。……なら、良かった」

 

 シャルも無事で、墜ちたはずの一夏も何故か無事で、ラナやジャックも打撲程度の怪我でしかないらしい。

 加えて、あれのパイロットだった人も無傷だったと言うのだから、何も問題はなかった。

 

「良くなんかないよ……!」

 

 ほっと息をついた瞬間にもたらされた言葉。言葉というよりは叫びに近い。

 目を見張る僕に真剣な表情のシャル、ラウラさんはこちらに鋭い視線を送って来ている。

 自分の認識を越えた出来事に対して、言葉を失う一方で、訴えかけてくるような主張が続いていく。

 

「だって、あんなにたくさん血が出てて、今日までずっと目覚めてくれなくて……」

 

 言葉と共に、その瞳に再び浮かぶ感情があった。

 

「もう起きないんじゃないかって、もう会えないんじゃないかって思って……」

 

 恐怖か悲しみか、あるいはその他の何かなのか。

 そこまで心配してくれるのは嬉しいし、何だか申し訳なく感じるけれど、どうにも僕とシャルとの間には認識の相違が生まれている気がする。

 

「待った。……ずっとは大袈裟だよ。だって、あれは昨日か一昨日の事じゃ」

「違うよ!一週間、ずっと眠ってたんだよ?」

 

 言葉に対する大きな否定。

 感じ取っていた違和感の元凶は、外的要因ではなく自分自身だったようだ。

 

「……一週間?」

「本当に危なかったんだから。手術こそは成功したけど、下手をしたら目覚めない可能性もって言われて」

 

 思っていたよりも、大きかったらしい負傷。

 確かにあの時痛みこそはあったけれど、まさかそこまではとは思わなかった。

 

 いや。それにしても、手術。手術だ。

 服をめくって、あの時の負傷箇所、痛みを感じていた場所を確認してみるが、身体にメスを入れた後がない。縫合の跡すら見当たらない。

 

 シャルの言葉を疑うわけでは決してない。

 でも、術後一週間でこれというのは一体どういう事なのか。何やらおかしい気はする。

 

「でも、そんな大怪我にしては治りが早過ぎると思うんだけど?」

 

 その事を疑問には思う。

 

「……それは、ナノマシン投与の影響だろう」

 

 自身の負傷について漏らした問い。

 その疑問に答えてくれたのは、シャルの隣で今までじっと座っていたラウラさんだった。

 

「ナノマシン?」

「そう、ナノマシンだ」

 

 言葉と共に、何だか少し自慢げな表情を浮かべているラウラさん。

 

「投与された物の型式番号を聞かせてもらったのだがな。確か体内常駐型、私やレイヴンのような者にとっては中々便利な物だぞ?」

「……詳しいんですね?」

 

 いや、自分で言ってから、そういえばと気付いた。

 ラウラさん達の部隊は強化処理の一環として、ナノマシンを投与されているという話を。

 今では飽くまで人道的で、希望者に限るという事らしいけど。

 

「一応、私の身体にも入れてあるからな。負傷時だけでなく、運動時でもカロリー消費が増えるという難点もあるが」

 

 ……お陰で少々多く食べなければいかん。

 そんな風に少し厄介そうに話すラウラさんを、良いなぁとシャルが羨ましそうに見つめている。僕が視線を送るとまだ軽く睨むような視線を返して来るけれど。

 

 それでもシャルも、少しは気分的な復帰を見せてはいるみたいだ。

 

「む、いや、それはどうでもいいんだ。こうしてレイヴンはちゃんと生きているのだからな」

 

 話がずれたと言わんばかりに、ナノマシン云々ではなくこれからが本題だ、と表情を改めるラウラさん。

 真面目な表情に変わった彼女は、こちらをじっと見据えながらに再び口を開いていく。

 

「私が何より言いたいのはだな。あなたが眠っている間、シャルロットがずっとあなたの事を気に掛けていたという事だ」

「ら、ラウラ、一体何を……?」

 

 聞こえて来た、ラウラさんの言葉にシャルの声。

 ラウラさんは何かを言おうとしたシャルに掌を掲げて、続く言葉を押し止める。

 そうした変わらぬ真剣の表情のまま、こちらを貫くような視線を送りながらにして語りかけてきた。

 

「それを別に大した事がないなどという風に振る舞うのは、個人的にはどうかと思う」

 

 ……知らなかったのならしょうがないとも言えるが、理性と心情とではまた別の問題だからな。

 と、そんな言葉を付け加えて。

 

 確かに僕は迂闊というか考え、配慮が足りなかったかもしれない。

 今日初めて会ったときのシャルの反応や言動を考えれば、事の大きさやシャルの心情を十分に予想は出来たはずなのに。

 

「……何たって、シャルロットは」

「よ、余計な事は言わなくて良いからね!」

 

 そうして僕が考え込んでいる間にも、真剣な表情のまま尚も語ろうとするラウラさんの口が今度は何か慌てた様子のシャルによって突如塞がれた。

 ラウラさんの口に手をやりながら、少し僕の座るベッドから距離を離し、こちらに背中を向けての静かな話し合いを始めるシャル達二人。

 何を言ってるのかは全く分からないけれど、変わっていくその様子だけが見て取れている。

 

 何故か次第に赤くなっていくシャルと、何かをシャルに訴え続けているラウラさん。

 

 やがて、何かが限界に達したのか、「飲み物、買ってくるね!」と言い残しながらシャルが病室の外へと逃げるようにして、赤い顔のままに駆け出していって。

 してやったりのにやり顔を浮かべた、以前とは本当に変わった感じの少女の姿だけが残った。

 

「ふむ。私もやろうとすれば出来るじゃないか」

 

 自賛する言葉と何かをやり切ったような表情。

 というか、シャルに一体何を吹き込んだのかが気になる。

 

「まぁ、これでやっと一対一で話す事が出来るな、レイヴン?」

 

 一対一?

 つまりは何か僕に用があってその為に、シャルを何とか一時的にしろ退出させたという事なのだろうか。

 シャルには聞かせたくないような用事の為に。

 

「そうなるのか?まぁ良い、早速だがはっきりと言っておきたい事がある」

 

 続けられる言葉、さっきとはまた打って変わった真剣な表情。

 その視線には、こちらを責める、そんな色さえ滲み出している。

 

「今はああして元気になっているみたいだがな。シャルロットはあなたの事を本気で心配していたんだよ。この一週間、目に見えて分かる程に」

 

 それは、と思う。

 さっきも泣かれたし、怒られるような強い口調で注意されたりもした。

 迷惑と心配を掛けてしまった事、理解も自覚も出来ている。

 

「……確かにレイヴン、今回の出来事は戦えたから戦った、ただそれだけの事なのかもしれない」

 

 言い分に理解は出来るけれど、自分にも譲れない物があった。

 苦戦している状況に対して、少しでも力になりたかった。

 その手段と意地があったから僕はガイアで出て、シャルを助けようと敵の注意を引いて。

 いや……結局、墜とされて心配を掛けてしまったのだから、言い訳にもならないか。

 

「しかし、シャルロットは私の大切な友人なんだ。その友人を今度また泣かせるような事をしたのなら……私はあなたを許さない」

 

 発せられる、ある種の警告にも近い言葉。

 僕に向けられる怒り。

 

「……ラウラさん、何か変わったね」

 

 でも、その態度に対して気になったのは、僕への感情ではなくシャルに向けられた正の感情。

 話には聞いていたけど、初めて出会って話した時とは本当にまるで別人のようだ。

 

「ああ。『楽しく生きる』だったか。今はそれを実感出来ている。これも全て、教官やシャルロット、それに……」

 

 語る表情はどこか晴れやか。

 あの時の意固自さというか心の壁みたいな物がなくなっていて。

 

 そしてきっと、続けられる言葉は。

 

「一夏?」

「うむ、一夏の影響だな」

 

 大きな頷き。

 読み取れる自信のような物。

 だけどそんな頷きの後にかぶりを振って

、それでも表情は変わらないままに答えていく。

 

「確かに、最大のきっかけは一夏である事に間違いはない。だがな、これは周囲の人々の影響だとも考えている」

 

 彼女から周りへの信頼、感謝。

 変わったのは、やはりそういう事からなのだろうか。

 

「以前の私は一人だった。誰にも頼らず頼れず、正にな。しかし今は、たくさんの人々が周りにいて私は一人で生きているわけではないと、確かにそう思える」

 

 語りながらの思い返すような表情。

 そこには悲壮感なんて物はなくて、充実感のような物で満たされている。

 

「だからレイヴン、今度はあなたがそれをきちんと考えて欲しい。あなたが傷付けば、悲しみ嘆く人がいるという事を。……以前とは違い、あなたとてもう一人ではないのだから」

 

 忠告というよりかは助言、アドバイス。

 ある意味、経歴という意味ではシャルやシゲさん、クレスト、キサラギの皆よりも僕の事を知っている様子のラウラさんからの物。

 

「それはシャルロットの為にも。あなた自身の為にも」

 

 初めて会った時は僕が助言みたいなのをしていたはずなのに、今では逆にこちらが諭されている。

 でも、それはある意味当然の事かもしれない。

 彼女の方が僕よりも、過去を振り切り自身を受け入れられているから。

 

「……検討はします」

 

 自分の口から出て来るのは消極的肯定。

 

「検討では困る。あなたも私にとって、ある種の考えさせられるきっかけをくれたという意味では恩人の一人である事に間違いはない存在だ。……私に恩人を憎ませるような事をさせないでくれ」

 

 だが、それもすぐに否定される。やんわりとではあるけれど。

 おそらく彼女が求めているのは確証、みたいな物だ。

 

 しかし、本当にまいった。

 これだけ真摯というか真剣な表情で頼まれたら断れないし、断りにくい。

 何より、シャルやこっちの事を考えてくれての行動だから尚更。

 

「……分かった。約束する」

 

 負けだ。

 思わずではないけれど、不意に肯定する言葉が出てくる。

 それは口約束ではあるが、約束には変わりない物。

 結んだ以上は守らないといけない物。

 

 ……きっと僕には選択権はなかった。

 

 この状況的にも、僕自身の心情的にも。

 

「ふむ、なら良い」

 

 そんな僕の答えに満足げな様子で頷くラウラさん。

 

「あー、だがレイヴン。こんな時にすまないが、実は聞きたい事がある」

 

 すると、真剣や満足などの会話の流れで生まれた先程までの雰囲気をどこかへと霧散させながら、その様子が何だか落ち着かない物へと変わった。

 口に出そうとはするが、自身に戸惑い、口を開いては閉ざしている。

 そういった行動が何度も続く。

 ラウラさんによるいきなりの謎の行動。

 僕に何か用があるみたいだけど。

 

「えと……どうしたんですか?聞きたい事、ですよね?」

 

 という事でこちらから聞いてみる。

 

「う、うむ。そうなのだが」

 

 返ってくるのはやはり何かを悩んだ様子。どうにもはっきりしない態度。

 それでも、幾分の間そうしていると、やがて決心が付いたような表情を浮かべて口を開いた。

 

「一夏の、あいつの好きな物や得意な事などについて、よく教えてくれ……!!」

 

 ……と、成る程、そういう事か。

 

「……ラウラさんは、本当に変わったね」

 

 先程からのギャップに思わず笑いがこぼれてしまう。

 こちらの反応に少し赤くなって慌てる

ラウラさん。

 

「し、しょうがないだろうっ!こればっかりはどうする事も出来ん!」

 

 とは言われても、僕よりかはそっちの方が一夏について知ってると思う。

 ラウラさんは一夏を調べたりはしたと思うし、そも僕は調べたりする必要のないただの友人なだけだし。立場的にも、目的なんかを考えても。

 

 でもまぁ、男同士と男女じゃ見え方も変わってくる物なのかもしれない。

 とりあえず、知ってる事、聞いた事、本人が言ってた事、それを伝えておこう。

 

「じゃあ、まずは一夏についての確認を……」

 

 こちらの話す情報を姿勢を正してまで聞こうとする目の前の少女。

 先程の真剣さとは、また違う真剣さで見つめてくるその視線。

 

 それに応えるような一夏についての談議は、シャルが帰って来ても尚、続けられていた。

 

 

 

 

 

 

 

 夏の時間。

 

 あれだけ明るく長かった昼間も、時が来ればあっという間に移り変わっていく。

 しかし、太陽が沈み夜の空気が外に漂い出していても、ガラスを隔てた病室ではあまり関係がないとも言える。

 

 ただ変わる事といえば、目に入る風景に対する感慨ぐらいだろうか。

 まぁ、今はそれすらも無視。しゃり、という音を響かせて手元のナイフを踊らせる。

 

「……シャル、見てて楽しい?」

「うん、それなりに」

 

 目の前からの返事を受け止めながら、八つに分けたりんご、その皮にVの字型の切れ目を入れていく。

切った部分の皮を取り、残った皮は薄く剥いて浮かせ……。

 そうして、完成するのがその姿。

 

「これで八匹目っと」

 

 いわゆるウサギ型のりんご。

 皿に並ぶは、八匹の兄弟達。

 ただ人の糧となる為だけに生み出された、悲しき運命を背負った存在達。

 

「……そういう言い方されたら、食べづらいよ」

 

 全く、といった表情でこちらに訴えかけてくる彼女。

 そんな彼らに手をかけようとする魔の手に対して、彼らの心情を代弁してみるのだけれど、むむっと、こちらを睨むように見てくるのだから、僕は口を閉ざす他ない。

 

 このりんご、ひいては果物セットは、話を受け取ったらしいシゲさんが急遽お見舞いついでに持ってきてくれた物だ。

 今は忙しいらしくて、こちらの様子を確認するなり、すぐに戻っていってしまったのだけど。

 

 せっかく貰ったお見舞いの品、それに関しては有り難いと思う反面、憎むじゃないけど、羨ましいような悲しいようなそんな感じに襲われていた。

 それは、僕の胃が一週間もの食事のブランクの影響で弱っているらしく、まだ固形物の食事は受け付けず食べられなかったからだ。

 果物もやっぱり固形物。結局僕には許可は下りず、でも放っておいたら悪くなるという何とも勿体なさの間に揺れる、このジレンマ。

 

 という事で今はこうして、未だに残ってくれているシャルにそのお見舞いの果物を振る舞っている。

 ちなみに先程までいたラウラさんはというと、一夏に関する情報を伝えた後、「……やる事が出来た」とか言って、何かへのやる気に満ちた表情を浮かべながらに帰宅の途へとついていった。

 

「それにしても、料理とかするんだっけ?」

 

 次は何にするかなと、次なる果物の選別をしていると、また一匹の兄弟達に手を伸ばしそれを眺めていたシャルが今思い付いたようにそんな質問をしてくる。

 

「仕留めて捌いて焼いての工程が料理に入るのなら経験はあると言えるけど、実際、手の込んだのはからっきしだよ」

 

 軽い疑問、それを問い掛けて来たシャルに対し僕が答えるのはそんな内容、すなわち、あまり得意ではない。

 少なくとも、食堂で出されるような物は不可能だと断言できるだろう。

 出来たとしても、焼くか煮るか、味は塩かカレーか、とにかくそんな程度。

 

「でもそれじゃあ、そのウサギは?」

「……見様見真似。中々上手い物でしょ?」

 

 そう。思い出しながらの見様見真似だった。

 あの人が買ってきた食材を、いつも姉さんが料理していたから。

 その調理風景をよく眺めていた僕は、何となく色々と覚えてしまった。

 刃物の扱いだけなら、それなりというのもあるし。

 

「シャルの方はどうなの?」

 

 お返しにではないけれど、掛けられた質問に対してふと浮かんだ疑問。

 

「何が?」

「料理とかするの?」

 

 今度はこちらから問い掛けた言葉に、そうだねと考え込みながら、懐かしそうな表情を浮かべるシャル。

 やがて表情は笑みに変わって、少し自信ありげに頷いた。

 

「私も母さんの手伝いはよくしてたから、それなりには出来ると思うよ」

 

 ……母さん、か。

 聞いて考えるのはそんな事。

 

 過去の話を直接聞いている自分にとっては、少し踏み込んではいけない領域のような感じがして。

 でもシャル自身が言うのなら別にそういう事でもないのかと、もっと聞いてみたい気もして、少し悩む。

 

 ともかく、その結果については予想外という程でもなかった。

 シャルはアメリカでもキサラギでも、日頃から人の手伝いをよくしようとはしてたし。

 そんなシャルならきっと、その母さんを進んで手伝っては楽しく色々な事を教えてもらってそうだし。

 彼女の言う出来るという言葉が、見栄や意地のようなごまかしや嘘のようにはとても思えない。

 

「……えーと、食べたい?」

 

 ちょっとした関心を抱きながらシャルの事を考えていると、続けて言葉が紡がれた。

 こちらの反応を窺っているのか、どうにも僕の顔を覗き込むようにして問い掛けて来ている。

 

「私の作った料理とか食べてみたい?もし作ったら食べてくれる?」

 

 何事かとシャルの言葉の真意について首を捻っていると、よく理解していないと思ったのか言い直された言葉。

 そりゃ作ってくれるなら、もちろん食べる……僕が作るよりは遥かにマシな物だろうし。

 

「まぁ、きちんと食べられる物だったら」

 

 うん、そうしたら喜んで。

 

「む、絶対、美味しいって言わせてあげるんだから」

 

 ん?

 でも何だか、シャルはこちらの反応を別の意味に取ったようだ。

 少し不満そうな雰囲気を出している気がする。

 

「あー、まぁ、あれだね。楽しみにしとくよ」

 

 何だか目に物をといった感じでやる気満々なその様子。

 きっと、一層の気合いを入れての料理を作ってくれる事だろう。

 ならば言葉通り、その日の事に期待をしておこう。

 

「約束だよ?」

 

 やっぱり予想通りに気合いの入った瞳、その視線と言葉でこちらに念を押してきた。

 それに対しては分かったよ、と半ば押されるようにして出る答え。

 すると目の前の彼女は、にこりとしたと笑顔を浮かべる。

 

 普通は食べる側が喜ぶ物だと思うけど、まぁ結局はシャルも食べる事になるだろうから、いや、でも……、うん、まぁ、考えてもしょうがない、とにかく彼女はその日を楽しみにしているらしい。

 

 と、そうしてシャルの態度について考えていると、入り口を静かに鳴らすノックの音が室内に響いた。

 それに直ぐさま声を返すと、扉から現れるのは白い衣服に身を包んだ女性。

 

「デュノアさん、シャルロット・デュノアさん?申し訳ありませんが、そろそろお時間ですので……」

 

 その人は、僕の事を医師の人に伝えてくれたりナイフを貸してくれたりと、今日は何かとお世話になっていた看護師さん。

 

「……もうこんな時間なんだ」

「ん、そうだね」

 

 看護師さんの言葉、それに従うように時計を見てみれば、針はもうすぐ八時を示そうかという所。

 面会時間は八時までという話だったから、こうして話すのも今日は終わりらしい。

 

 シャルもそれを受けて、少ない荷物をまとめて帰る準備を始め出したので、ついでにシゲさんからの果物セットを持って行ってもらう事にする。ここで腐らせるのは、何とももったいない事だし。

 寮でシャルと他の人達とで分けて食べてもらえば良いと思う。まぁ別にシャル単独で食べても良い、食べ切れるかは別として。

 

「……でも本当に、また会えて良かった」

 

 果物セットの行く末について考えていた僕に、突如掛けられた言葉。

 唯一の手荷物のショルダーバッグを肩にかけたシャル、ベッドに座るこちらから視線を外しながら、彼女がそんな事を小さく呟いた。

 

「……何さ、それ?」

「ううん、それが私の本心だから。ただそれだけだよ」

 

 シャルの呟きに対する僕の言葉。

 僕の言葉に対するシャルの答え。

 こちらを振り向いての答えは笑顔による物だ。

 

「それじゃあ、今日はここまで。また明日だね」

 

 ショルダーバッグを持ち直しながら、そんな事を言う彼女。

 明日という単語に、何だか少しの嬉しさと共にまた少しの呆れを感じる。

 

「それは良いけど、シャルは学校もあるんだから、無理はしないように」

「無理はしないって何言ってるの?それは私の台詞だよ」

 

 それを言われると非常に辛い。

 確かに自分の行動を省みてみると何とも反論は出来ないんだけど。

 そうして、むむむと黙り込むと、聞こえてくるのはくすりと零れる笑い声。

 

 すると再びのノックと一緒に、廊下から響いてくる申し訳なさそうな催促。

 うん。本当にこれ以上は彼らの迷惑にもなってしまうだろう。

 

「本格的にもう時間か。それじゃあ、まぁ、シャル」

「うん、またね?……明日も絶対来るから」

 

 それは既にやはりの決定事項らしい。

 シャルは椅子から立ち上がり、果物のバスケットを両手で少し重たそうに揺らす。

 

「はいはい……それじゃ、帰りはくれぐれも気をつけて」

 

 シャルとて訓練を積んではいても、立派な一人の女の子だ。

 夜道を一人で帰る事に対して、一応の注意の喚起を行っておく。

 

「ふふ、ありがとう。でも、いざという時はリヴァイヴもあるし、大丈夫だよ」

 

 まぁ実際はその言葉の通り。

 ISを持ったシャルを襲おうなんて、同じISか軍、軍人ではなく軍隊で攻めなければあっという間に返り討ち、膾切りか蜂の巣にされるのが関の山だろう。

 そう考えると逆に、その襲撃犯の身が心配になってきた。もし本当にいたらの話だし、そんな愚物の自業自得ではあるけど。

 

 床とシューズとが鳴らす音、こうして変な想像をしている間にもシャルは入口に向けて歩き出していた。

 そして、扉の手前で立ち止まりこちらに向き直ると、彼女は小さく手を振ってくる。

 対して軽くではあるけど自然に振り返していた手、そんなこちらの行動に何か満足する物でもあったのか、シャルは一度大きく頷くと扉の向こうへと消えていった。

 

 

 

 

 じゃあねという去り際の言葉、ドアの閉じる音。

 シャルがいなくなり自分一人になってみると、病室は再びの静寂に埋まっていく。

 

 一人の部屋、音の消えた部屋、静かな部屋。

 どこと無く暗く感じる病室。

 

 窓から覗く外風景は夜に浮かぶこれからが本番の眠らない街の情景を表そうとしている。

 街灯、ネオン、行き交う車のヘッドライト、街並みを照らすそんな光。

 それらの光源を視界に納め見下ろしながら、改めて、あの時の事を振り返る。

 

 脳裏に残るイメージは色。

 銀色、光、赤と白と黒。

 

 久しぶりに感じられた濃厚な死の予感。

 どうしようもない、あれだけの感覚は一体どれくらい振りの事だっただろうか。

 少なくとも、近年の内には感じられなかった程の物だったのは確かだ。

 そこまで追い詰められ、あと一歩の所にまで手を掛けた。

 

 ……それでも、僕は結局また生き残った。やっぱり生き残った。生き残れた。

 

 近くまで寄せた死に対して思うのは、最近はあまり意識していなかった、生きるという事。生きるという行為。

 今更それを実感しているだなんて、生きている事自体が当然となって気が緩んでしまっていたのかもと思う。

 生きているという事。その響き。

 ふと、ラウラさんの言葉を思い出す。

 

『一人で生きているわけじゃない』

 

 それは他人への影響を考えれば、勝手に死ぬ事も許されないという事。

 それはあのシャルの言葉と態度にどうにも実感せざるを得なかった事。

 

 確かに悲しんでくれる人、そんな人がいてくれるのは嬉しいし、そんな人を悲しませてしまうというのは辛い。

 でもだったら、僕は出来る限り危険を回避するように行動するべきなのかもしれないと思う。

 シャルや皆を悲しませたりする物のようだし、いや、そもそも兄さんの願いや約束とも合致する物でもあるのだから。

 

 ……あの日あの時のあの光景。

 僕は今でも忘れてはいない。忘れられるはずもないし、忘れようとも思えない。

 約束にしては曖昧で、懇願、願いとしてはとても強く感じたその言葉。

 ある意味で過去の僕の行動原理となっていて、ある意味で僕の生きる惰性の原因となっていた物。

 まぁ、つい最近に破られそうなった物でもあるんだけれど。

 

 思わず、はぁ、と息が漏れる。

 それは約束さえ守れない自分に対しての溜め息。そんな自身への呆れと情けなさ、そんな物を抱きつつ室内へと視線を移していく。

 

 殺風景な光景の中、やっぱり、まず目に付くのは種類の分からない活けられた花。

 今日の様子を見る限りでは、どうやらシャルがやってくれていた物だったらしい。

 花だって安くはないだろうに、そこまで気を使ってくれている。

 

 ……気を使う。

 そういえば、今回の事件でも多くの人に気にかけてもらっていた。

 

 無茶をするなとラナが言って、自覚しろとラウラさんが忠告して、本当に良かったとシャルが泣いて……。

 でも、三人だけじゃない。

 シゲさんやジャック、艦長やクルーの人、整備班の人達もいて、一夏達もいる。

 皆には心配ばかりかけてしまって、心配ばかりかけてもらって、今考えるとありがたいと思う気持ちと申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

 

 そして、同時にそれは、誰かがいるという実感でもあった。

 確かに僕は一人じゃなかった。ここには皆がいて、皆と一緒に僕もいる。

 友人や仲間、大切な人々に囲まれて笑う日常。

 記憶の彼方のいつかのような、何気無いけど大切な日々。

 

 けれども……脆くて壊れやすい、儚い平穏。

 

 生意気にもそれを僕は経験している。

 それは唐突に、容赦なくやってくるという事を。

 世界にはそんな物がどこにでもあって、いつだって僕らに牙を向かんとしているって事を。

 平和とか平穏なんていうのは、ただの猶予期間に過ぎないって事を。

 

 でも、いつ来るか分からないその時に対して、怯えてるだけじゃ何も変わらないし、変えられない。

 必要なのは、意志と力。

 やってやろうという明確な意志とそれを為す強い力。

 幸いにも、僕はもう以前とは違う。

 無力だった昔にはなかった、抗う為の力がある。

 だから今度は、今度こそはと、思う。

 

 シャル達が無理はするなと言ってくるのが唯一の難点ではあるけれど、無理をしなければ手に入らない物は確かに存在していて。

 実際、忠告されていても、その時が来れば僕は躊躇なく踏み込んでいくだろう。

 

 ……まぁ無理をしたとしても、何とか死なないように。シャルを泣かせたり、ラウラさんに恨まれたりしないように。

 きっとおそらく多分、それくらいの無理なら大丈夫。許容範囲だと思う、そう思いたい。そう願いたい。

 

 その為にもまずは、自分の身体を回復させよう。それが第一だ。

 どうにも、やっぱり体力は落ちているみたいだし。

 ベッドに横たわってみると、話している内は気にならなかったのに、途端に疲労感と眠気が襲って来ているのが分かる。

 加えて身体の重さも相変わらずなのでやっぱりなという所。

 

 帰ったら、トレーニングを重点的にやらないといけない。機体の方も気になる。そういえば動物園の事もどうしようか。それに……。

 

 横になったまま目を閉じる、すると次から次へと浮かんでくるやるべき事。

 でも、浮かんで来た様々な物も眠気の前には、次第に全てが混ざり合って混沌の様子を見せていく。

 

 ――お前は、生きろよ?

 

 そんな中にぽっと浮かんだのは、兄さんの言葉、約束。

 混沌の中で、一段とはっきり現れた物。

 今日は珍しく、酷く懐かしい夢を見ていた影響からなのかもしれない。

 

 落ちていく意識の中で、とにかく改めてその言葉を心に刻む。

 大切な約束でもあるし、これからは一層に頑張って行こうという意味を込めながら。

 

 そうして、自身へ刻み終わると意識はすぐに眠りへと誘われ、落下の様子を見せていく。

 あわよくば、また懐かしい夢を見たい、そう感じもしたけれど……。

 

 結局、昔の夢は見れなかった。

 

 

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