Acxis   作:ユ仲

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Chapter3-2

 見上げた空に浮かぶ影。

 そのシルエットを太陽が眩しく照らし出す。

 

 音と振動と砂煙と共に着地をして見せる白い機体。

 直後に為されるオーバードブーストによる前方への急激な加速。

 噴射される肩部追加ブースター、一瞬噴き上がる炎が機体の軌道を変化させ、高速度領域にありながら左右ヘと機体を揺らして迫る障害物を間を縫うように進んで行く。

 乱雑に存在するオブジェクト。

 その設置された空間の中程の位置まで来ると、ブースターを使用せず慣性のままに機体が半回転の方向転換。

 向き直った機体、そのセンサーを向ける先、つまるところの機体前方には軽自動車程度の大きさを持った多数の撃破対象が出現していた。

 

 先んじて損傷より復帰した三番機ウラヌスは、現れた目標に対して腕に持つ二丁のアサルトライフルを構える。

 彼女の見るディスプレイは、極多数のマーキングで視界が埋まっている事だろう。それでもシステムによって把握は出来ているはずだ。

 

 やがて情報の整理を終えたのか、掲げられるライフルがその役目を果たすべく静かに作動を開始する。

 

 チャンバー内での炸裂、生み出されるエネルギー、押し出され飛翔する銃弾、捉えられる目標。

 穿たれた機体は内部の動作信号を寸断され、単なる鉄塊として次々にその動きを止めていく。

 だが彼らも一応の移動目標、ただ狙われるだけではなかった。

 自身らを捉えつつある天敵の存在を感じ取り、それぞれが脚部のローラーを回し四方へと散開。オブジェクト群の間を抜けて地面を滑るようにして逃げ去ろうとする。

 

 それに対してのウラヌス、状況への対応。

 背部武装を選択、右背部ユニットを起動。

 前方を向いた背部の直方体と、軽い音と共に開く正面を覆う左右の蓋。

 そして直後、聞こえて来るのはジェット音。

 発射機であるその兵装から、後方への推進剤の噴出を伴って箱状の物体が発射されていった。

 

 多数の目標に対しての、たった一機の射出体。

 焼け石に水、あまり効果がないようにも思えるが、やはりこれもただで終わるはずもなく、その箱に変化が起き始める。

 加速を継続しながらも、備え付けられたバーニアによる微回転。角度の調整。

 そうして射出体がターゲット群の中心まで至ると、表面を覆っていたカバーが外れ、それと同時にその目的となる正常な動作という物が確認出来た。

 

 外部へと露出されるマイクロミサイル、それが箱の内部より飛び出していく。

 煙の尾を引く多数、一基の母体より生まれ出た子供達が逃げる目標を追い立てる。

 例え回避行動を取ろうとも、オートサイティングと誘導機能、何よりその発射数によって確実に飛来襲来、捉えられる事になるだろう。

 逃げる機体、追う誘導弾、命中と撃破。

 それでも多数のミサイルに対して目標もまた多数。全てを捉え切れた訳ではなく、中にはミサイルを振り切って逃走を図る個体も存在していた。

 

 しかし、すぐに彼らさえも後方からの攻撃にその役目を終える。

 

 それを為したのはミサイルを放ち、用済みとなったミサイルユニットを切り離しながらに動き出していたウラヌス。

 両腕を広げるように構え、前方左右の逃げる目標に対して、ロックを素早く切り換えながらの銃撃。

 

 撃ち放たれる度の排莢。宙を舞い足元へと落ちた薬莢同士のぶつかり合い。重い銃撃音と共にリズム良く周囲へと響く甲高い金属音。

 

 やがてあらかたの銃弾を撃ち尽くしたのかライフルのロックが外され、弾倉が地に向け落ちていく。

 だが落ちるそれに気を使う事もなく、腕部のサブアームによって新たな弾倉が自動的に装着され、その間にも機体は次に向けての行動へ。

 

 ブースターを噴かし地上を滑る白い機体、両腕に掲げるは二丁のライフル、まだ熱を持った銃口で残る目標を追い詰める。

 

「……マジで良いよなぁ」

「……だよねぇ」

 

 そんな目標を追うその光景を眺めながらも、身体の動きについては一向に止めない。

 設けられた棒状の金属を逆手で握り、腕を曲げる。

 そうする事で頭をというよりは顎を棒の上方まで持ち上げていく。

 持ち上げては下げ、また持ち上げる。そんな往復の繰り返し。

 

 隣では、ふん!ふん!と息を漏らしながらジャックが同じ行動を取っていた。

 ちょっと長めのランニングを行ったばかりだからきつい感じはするんだけど、それでも軽々しくこなしていくジャック。

 その辛さを微塵にも感じさせない流石の動きは、身に纏う筋肉が伊達ではないという事なのかもしれない。

 

 とにかく、トレーニングに励む今日は、退院してキサラギに戻って来てからの七日目。

 入院というか気が付いてからの一週間でようやく固形食が許されて、おまけにその後の検査では身体に何の異常も見られなかったので一応の退院という物が許されていた。

 

 まぁ退院までの一週間、その間にも果物セットを携えた一夏達やこれまた果物セットを持ってきた弾などがお見舞いに来てくれてたりというような出来事があった。

 そんな一夏や弾にはありがたい気持ちと一緒にこっちは食べられないのに果物セット攻めばかりなのはある種の嫌がらせなのかと疑問に思ってみたり、また弾にはシャルについて問い詰められたりしたんだけど、それは割愛しておく。

 

 とりあえず、ナノマシンによって負傷箇所の修復は既に完了しているらしい。それでもまだ全快という事ではなくて、後は精密的な機能修復を行っていくという話だった。

 今はその為の経過観察期間なので、定期的に病院に来て下さい、その間はくれぐれも安静にとの事。

 

 でもやっぱり、過ぎる時間を大人しく待っているなんてのは自分の性には合わず。

 こうして行っているのは身体の調子を取り戻す為の物だ。

 病院でも感じていた事、体力が落ちているという確かな実感。

 走ってみても何をしても、持久力や単純な筋力も落ちているみたいで、身体は重く違和感が残っていて。

 ホントに、早急な対策と鍛練が必要だった。

 

 という事なのでこれに関してはと、見るからに得意そうなジャックに頼み込んで一緒にトレーニングに励んでいるのだけれど。

 

「はぁ、マジで羨ましいなぁ、おい」

 

 ジャックが懸垂を続けながら、地を駆け空を翔けるウラヌスを見ては未練たらしく言葉を漏らし続けている。

 

「しょうがないですよ。残ったのはウラヌスだけだったんですから」

「……そうなんだけどなぁ」

 

 正直な所、クロノスとガイアを直接壊した張本人である僕が言える事ではないのかもしれない。

 それでも今現在稼動中の機体が、ウラヌスだけというのは紛れも無い事実。

 大破の二機と違って脚部パーツの破損だけで済んだウラヌスは、パーツの換装を既に終えていて元気に?以前にも増しての動きを見せていた。

 

 確かに、しょうがないとは言ってはみたけれど、ジャックの言い分も良く理解は出来る。

 ラナだけには機体があって僕らには無くて見てるだけ、何と言うか……うん、とにかく羨ましくてしょうがない。

 

「そういや、坊主。お前はもう良いのかよ?」

 

 相変わらずのペースで懸垂を続けながら、話題を変えるようにして話し掛けて来るジャック。

 その表情は、何だか珍しくこちらを心配するような物。

 あまりに珍しい事なので、言葉や態度に出すよりも、ぼけっと目の前すぐ横の光景に呆けてしまう。身体の動きは止めないままけど。

 

 というか、あれ?もしかしたら今日は雪でも降るんだろうか?夏なのに。良い天気なのに。

 

「何だか、馬鹿にされてる気がするが……それより、お前はもう大丈夫なのかって事だよ」

 

 おお、勘違いじゃなかった。本当にジャックがなんか心配してくれてる。

 やる時は稀にやって見せるってのは分かってたけど、まさか、こんないつも通りの日常の中で人に気を配るなんて……。

 驚天動地?まさにそんな心持ちだ。

 

 と、冗談はここまでにしておいて、折角の真面目っぽい心配なので、こちらもその心配についてはきちんと表明をしておく。

 

「大丈夫かって言われても、この通りだよ」

 

 両手で掴んでいた状態から片手を離し、右腕一本で上下の往復をやって見せる。次いで左腕でも。

 体重があまりない自分にとっては、そこまで難しい事ではないけど。見てくれというか外面だけなら、安心安全、心配無用という十分なアピールになるとは思う。

 

「いや、そういう意味でもあるんだがよ。んー、それよりも……」

 

 しかし、ジャックの反応は芳しくない。何となく何かを言い辛そうなその様子。

 何度も言うけど本当に珍しい。逆にこっちが心配になって来る程に。

 だから改めて、大分年上の友人的な同僚に再度の言葉を掛けていく。

 

「もう傷だって塞がってるんだし、大丈夫だって」

 

 確かにまだ朝昼晩とナノマシン用の高栄養剤の摂取が義務付けられてるけど……傷さえ治れば、完治も同然。

 

「だから、そんなに心配しなくても――」

 

 そして、それはそんな時だった。

 こちらを心配するジャックに対し、掛けられた心配を晴らそうと弁明を開始しようとしたその時だ。

 

「――へぇ、何が大丈夫なのかな?」

 

 背後から、何だか楽しそうではあるけど感情のあまり篭っていない、ある意味では強い感情が込められた言葉が聞こえて来た。

 

 その聞き慣れた声に、トレーニング中にも関わらず身体が硬直を見せる。

 ジャックもやっちまったなとでも言いたげな表情を浮かべ、僕の直感は自身に迫る危機を存分に知らしめ、脳裏にはレッドアラーム、退避を推奨する警鐘を存分に鳴り響かせていた。

 

「ねぇ?何が、大丈夫、なのかな?」

 

 強調するようにして、改めて掛けられる声。

 今はぶら下がった格好のまま、声に対しては宙ぶらりんで背を向けた状態。

 いや、声の方向へすぐに振り向いた方が良いという事は分かってる。理解している。

 

 しかし……そう、しかしだ。

 はっきり言って、振り向くのが怖い。

 こうした状況は今週でもうこれで何回目かの体験で、それにも懲りずにこんな事をしているだけに危機感が増しに増しに増している。

 

「まだ安静にしてなきゃ駄目だって、病院で言われてたよね?そうだよ、ね?」

 

 それは追い討ちの口撃。

 相手は当然個人ではあるけど、群れを為した肉食生物のように、逃げ道を塞いではこちらの身というか精神を言葉という代替手段によって追い詰める。

 しかも客観的に見てみれば、こちらが明らかに悪、向こうが完全に正論となるような状況だ。分が悪い所ではなく、見付かった時点でこちらの敗北は決まっていたという事なのだろう。

 

「なのに、何でこんな事してるのかなぁ?」

 

 あー、うん、いや、それは……。

 

「ほら!言い訳より何より、まずは下りる!こっちをちゃんと、向く!」

 

 反論ではなく、ただ単に答えようとした瞬間、向けられた強い口調。

 謎の威圧感に対しては不思議と逆らえず、直ぐさま地面に着地。振り向きながら、姿勢を正した直立体勢を取ってしまう。

 

 ……関係のないはずのジャックまでもが威圧感に当てられたのか、何故か僕の隣で取る直立体勢。

 思わず気圧されて、そんな同じような行動を取った僕ら。加えて言えば、今の状況に冷や汗をかいている点さえ同じだ。

 

 太陽の下のグラウンド。

 大の大人二人が、いや、僕は大ではなく中か、ジャックからすれば小ぐらいかもしれないけど、たった一人の少女の前で、姿勢を正してはその身を硬直させている。

 周りから見たら、きっとかなりさぞかしシュールな光景だと思う。

 空ではラナの乗るウラヌスが元気一杯に飛んでいて、その下でこんな風になっている物だから尚更の事。

 

「まったく。あのね、分かってる?ただでさえ……」

 

 今の僕らのへんてこな状況を考えつつも直立体勢を保ったまま、意識を移すはそんな僕らに説教を始めた学校帰りの彼女の姿。

 

 リボンによって、後ろで一つに纏めた明るい金髪。

 その身に纏うのは、白を基調とした特有のと言っていい独特の特徴的なデザインが為された学園の制服。

 

 いつもだったら明るい笑顔を浮かべたりする彼女なのだが、今は腰に両手を当ててまま、ぷんすか、むむ、と、少し怒ったように整った眉を寄せては、こちらに尚も話し続けている。

 ついでに言えば、肝心の語られる内容は前回、前々回にも聞いたのと同じ物。

 

「……ちゃんと聞いてる?」

 

 サー、イェッサー。

 彼女の静かながらにして少し強い問い掛けに対して、見様見真似の敬礼を伴った返事で答える。

 

「聞いてないよね?それ、絶対ちゃんと聞いてないよね?」

 

 すると何かが気に障ったらしく、少し膨れた表情から笑顔でない笑顔に変わった。

 そのままじりじりと近付いてくるせいで彼女の目尻が笑みを作りながらも少しひくついているのが良く見て取れる。

 その勢いに圧されて一歩後ろへ下がりそうになるけれど、せめてもの、なけなしのプライドを持って何とか耐え凌ぎ直立体勢を維持していく。

 

 しかし正直な所、本当に正直なところ……確実に臆していた。

 下手をすればいや確実にシルバリオ・ゴスペルとの戦い、あの時以上の恐れを感じている。

 

「ま、まぁ、待てよ、嬢ちゃん?コイツも悪気があってやってるわけじゃねえ、だから……な?」

 

 そんな襲い来る威圧と恐れ、身に感じた危機、そこに現れ救ってくれたのは何とジャックだった。

 

 迫る彼女の前に立ちはだかるジャックの巨体。盾と自称していたその役割、それを為す分厚い筋肉の鎧。

 いつもだったら、夏である事で一層に暑苦しく、無駄に勢いがあるせいで一段と騒がしい友人的な同僚が、今はとても頼もしく見える。

 これもきっと、シルバリオ・ゴスペル戦にとさっきにと、ジャックの本質みたいな物のような何かが、引き続いて出て来ているせいなのかもしれない。

 

「ジャックさんもジャックさんです!分かってるなら、ちゃんと止めてください!」

 

 そしてジャックが間に入った事によって、僕に向けられていたロックオンマーカーがジャックに合わせられたようだ。

 

「あー……それはそうなんだけどな、嬢ちゃん。あいつの気持ちも分かるというか……」

 

 それでも、文字通りの盾の役目を果たし、彼女に食い下がろうとする声。

 目の前に広がるジャックの大きな背中は、彼女に抗う様子を見せながらも僕に言葉を語りかけて来ている気がした。

 

 ここは俺に任せろと。ここは任せてお前は先に行けと。

 

 ならばとその言葉に甘えて、注意がジャックに移っている今の内に行動を開始する。

 決して逃げるわけじゃなく、うん、これはジャックからこちらに注意を引くための戦略的戦術的撤退。

 そう、僕は別にここから逃げたいわけじゃない。

 

「……ジャック、さん?」

 

 友の抗いに対して彼女が一際の感情が込められた一言を紡ぐ。

 しかし、そんな物さえ今のジャックには通用しない……と、思ったのだけれど。

 

「あ、何か坊主が逃げようとしてるぜ?」

 

 あっさりと、早速、態度を翻す友人兼同僚。

 その姿と軽い態度に、先程までのジャックに対する幻想がぼろぼろと音を立てては崩れていく。

 ジャックはやっぱりジャックだった。

 でも、ジャックがジャックであった事に少しの安堵の感覚が得られたのは、はたして良い事なのか、悪い事なのか。

 

「え?……ああっ!?」

 

 そうこうしている内に、ジャックの言葉を受け取った彼女が一瞬呆けた表情を浮かべて、動き出していたこちらにそのままの視線を送ってくる。

 僕もそんな彼女の姿に同じく視線を送っていて、二対の瞳と瞳その延長線が、その時確かに結ばれた。

 

 重なる視線。

 次の瞬間、彼女が浮かべたのはにこりとした満面の笑顔。

 目には目をの法典ではないけれど、贈られた笑顔には僕も笑顔で返す。

 

 そのままで止まる、僕ら二人の空間。

 笑顔で見つめ合う僕らの間を、長いようで短い時だけがただ過ぎ去っていく。

 

 そしてやがて、ウラヌスが作り出した大きな影が頭上を通り過ぎると、停止していた空間の封が切られ再び僕らは動き出した。

 

「……やばい」

 

 一言呟いて駆け出し始めるは背後へ。

 

「こらー!止まらないと怒るよー!」

 

 一寸遅れて言葉と共に動き出す彼女。

 その足の運びは非常に軽く、確実に僕を狙って走り出している。言葉とは裏腹に何だか既に怒っている感もあるし。

 

 逃げる僕に追う彼女。出来上がった新たな状況。僕にとっては困った現況。

 男女の差、そもそもの単純な身体能力の差によって僕の方に分があるのは明らかなのだけれど、決して侮る事なかれ。

 

 彼女自身が持っている元々の運動神経の良さに加え、ISによるパイロットへの適正化によって身体能力が増幅されている……と思われる。

 以前にラナから聞いた話によれば、リスク無しで脳内分泌物質さえコントロール出来るISならばそんな事も可能だろうとの事。

 つまり、僕と彼女との男女の差なんて物はほとんどないと考えた方が良い。

 それでも負ける積もりはないけれど、こっちはただでさえ病み上がり。一応のマージンをも考慮する。

 

「こら、いい加減に……!」

 

 背後から変わらずといった様子の声が聞こえる。

 一瞬、視線だけで振り返ってみれば、僕達の距離は広がってもいなければ縮まってもいなかった。

 こちらとして全力で走っているつもりなのだけど、やっぱりただの女の子としてはかなり速い。

 どこかに隠れてやり過ごすにしても、この距離では非常に難しい。

 

 となれば、隠れ場所としての設定地点を既に自分の中では決めてはいてもこのまま直接向かう訳にはいかないだろう。

 ルートを設定。各所を経由。地形を利用しながらどうにか距離を引き離し、目的地へと向かっていこう。

 

 という事で、まずは近くの研究所本社施設へ飛び込んでいく。

 

 建物内に駆け込んでみると、昼時という事もあってかスーツを身に纏った人達の姿が目立つ。

 何事かと駆けるこちらを見てくるが、今は気にする暇がない。

 ごめんなさいと声を掛けながらに、人と人との間を縫うようにして走り抜ける。

 

 目の前ではなくて全体を見るように。

 追い付かれないように何とかスピードを落とさずペースを維持しながらも、避ける人に止まる人、その動作や足の運びから人々の動きを予測。

 各々を見分けルートを構築、設定。最短のルートを目指し自身の身体を最適の位置にその都度、配置。ルートに自身の身体を乗せていく。

 

 それで当の彼女はというと、人にぶつからないように苦心しながら走っている為か少し速度を落としている様子。

 今、僕との差は広がりつつあった。

 

 少し出来た余裕に際し走りながらも考える。

 前回、前々回と経験して思った事なのだけど、よくよく考えてみるとこれは大分良いトレーニングのようにも感じていた。

 追われる事によるそれなりの緊迫感と決まった動きではない生きた障害物。

 持久力と身体の動きの確認と一瞬の判断力を養うには十分な物だ。

 何より何故か、少し楽しい。

 

 顔に笑みが浮かぶのを自覚しながら一つ一つの動作への意識と共に走り、今度は本社から宿舎の方へと入っていく。

 

 ここもそれなりの数の人がいた。見えるのは作業着に身を纏った見知った整備班の人が中心。

 それでも先程よりは人の密度も薄く、彼女との距離は中々に離したので慌てるような事もなく建物内を駆けていく。

 

「誰かっ、彼を捕まえてくださーい!」

 

 すると突如、背後からの叫ぶような声が聞こえて来た。

 それは彼女の叫び、そんな彼女の行動に何をいきなりと疑問に思ったのだけれど、その次の瞬間には焦燥に変わる。

 響いた声に呼応するように場の雰囲気が、状況が、光景が大きな変化を生み出す。

 

 走る僕を笑いながらも避け、見送ってくれていたはずの整備班の人達が何故かこちらに襲い掛かって来る。

 咆哮と言うのは大袈裟かもしれないけど、意味を為さないよく分からない叫びと共に突っ込んでくる男性を中心とした知人達。

 

「ちょ……」

 

 本当にいきなりの事に戸惑うも捕まる訳には行かないので、駆けながらも着実に確実に迫り来る人波を躱す。

 

 足を狙ったタックルを咄嗟に跳躍。飛び越える。時にはその背中を足場にする事で回避。

 直接身体を捕まえようとする手には横へのステップ、振るわれ迫る腕の範囲外へ出る事で後は自身に乗るスピードによって背後へと置いていく。

 

 それでも一向に減らない臨時発生の刺客達。

 まるで以前見たゾンビ物の映画を思い起こさせる光景なのだけれど、そんな思いを抱いている間にも追い掛けてくる気配みたいな物が倍、倍、倍のさらに倍ぐらいに増えた気がする。

 

 これも全ては彼女の声掛けが発端になっていると見て間違いはない、と思う。彼女の発した声の直後にこんな事が発生した訳だし。

 いや、それよりも、彼女が整備班の人達から人気があるというのは知ってたけど、まさかここまでとは……というか、僕との付き合いの方が長いはずなのに躊躇なく飛び込んで捕まえようとしてくるのはどうなんだろう。

 

 次から次へと襲い掛かって来る彼らを、どうにか避けながらそんな事を考えてみる。

 

 一度振り返ってみれば、尚も追い縋る整備員の人達の中にある彼女の姿。その距離は彼らの妨害もあって、明らかに詰められて来ている。

 このままだと全然まずいし、目的地にも到底行けやしない。何らかの対応を取る必要があった。

 

 対策、対応。降って湧いたような緊急事態に対して急遽予定を変更。宿舎からの移動を延期、階段を上り二階を目指す。

 

 背後に騒がしさを受けながら駆け上がり、上りきった目の前の光景。

 そこにあったのは、何だ何だと集まった野次馬と物珍しそうにこちらを見る人の視線達。

 彼らはただ見てくるだけで、追いかけたり捕まえようとはして来ない。まだ彼女のお願いを聞いてないからというのは大きいとは思うけど、これははっきり言って好都合だ。

 窓から外を確認しつつ廊下を駆け抜けていく。

 

 当然、見えて来る外風景。

 まず目に入ったのは、敷地の境界の壁と遠くの小さな街並み。

 曲がり角。

 続いて見えて来たのは、先程までいた本社施設の壁面とガラス、加えて反射される眩しいぐらいの太陽光。

 曲がり角。

 次いで見えて来たのは、グラウンド。砂煙を引きながらも駆けるウラヌスの姿。

 ……そして、それは引き離すチャンスの存在する場所でもあった。

 

「もう、いい加減待ってよー!」

 

 新たな追跡者達の上げる怒号の中、確かに聞こえる彼女の少し息を切らしながらの叫び。

 でも待てと言われて待つ訳にも行かない。追いつ追われつ……ではないか、逃げるのは意外に楽しいけど、捕まって楽しいかというのはまた別の話で。

 彼女には申し訳ないと思いつつも、ちゃっかりしっかりと逃げさせてもらう。

 

「よっ、と」

 

 脚に一層の力を込めて一瞬の加速。

 

 二階に上がってからずっと確認していた事。窓が開けられているか、またその方向と距離、それをきちんと頭に置きながら加速を伴っての跳躍を為す。

 イメージ通りの自身の軌道、方向は開かれた窓へ。足元に現れる窓枠、その窓枠を蹴る事でさらに勢い良く外に向けて飛び出していく。

 

 窓から外へ。ここは二階、当然落下する身体。

 後方というより上方からは複数の驚愕の声が聞こえる。

 それを背中?頭?に受けながら、記憶と確認の通りに広がる芝生の上へ。

 勢いを殺しながら着地。少々の衝撃はあっても想定内。

 

 二階程度、それくらいの高さなら、下手な事をしない限り、死にはしないし怪我なんかもしない。

 でも、普通は飛ばないし普通は迷い臆す。

 着地の勢いを利用して立ち上がるとすぐに、ついさっき飛び出して来た窓の方を見遣る。

 

 それによって視線が重なった。

 窓から顔を見せる彼女もまた、こちらに視線を送って来ている。

 しかし、そこに含まれている意味は僕の送る物とはまるで違う物だった。

 

 僕は視線を余裕と共に、彼女は視線を少しの不満と共に。

 流石に彼女も他の追跡者の人達も窓を飛び越えては来ないようだ。

 そんな不満げと落胆のような表情を滲ませる彼女に、右手を軽く一振り。この状況での勝利を確信して目的地への歩みを進める。

 後ろからは声が聞こえてくるけど、今は気にしない。

 今の内、今の内と、軽い足取りで駆けていく。

 

 

 

 

 

「……ほいっと」

 

 ハンガー内、隅のコンテナの陰。

 身を隠しながら乱れた息を落ち着かせていると、突然の声と共に首筋を冷たさが襲った。

 跳ね上がる身体。ごん、とコンテナに後頭部を強打。

 

「……わ、ぐっ!?」

 

 音は響けど、驚愕と痛みで漏れそうになる声は、口を手で抑えて何とか押し止める。

 

 少し涙目になりながらも原因の方へと振り向く。

 まずそこにあったのは赤いドリンクボトル。続いてそれを掴む、白い作業着に包まれた腕。

 伸びた腕を辿ってみる。

 するとそこには、青いラインの入った班長帽を被った整備班班長の苦笑する姿があった。

 

「いやいや、今日もまたやってるね?」

 

 片手にボトル、もう片手には旧式のタブレットタイプの情報端末を持ったシゲさん。

 冷たさの正体、ドリンクボトルを受け取りながら、その笑いを含んだ言葉には安心感。

 

「今日は、僕の勝ちみたいですけどね」

 

 うん、とりあえずは振り切れたはず。欺瞞行動としても、わざわざ遠回りをしながらここまで来たわけだし。

 前回、前々回と敗北捕獲と続いていたから、何とか今回は面目みたいな物を保てたとは思う。

 

「いやまぁ、端から見てる分には面白いもんだから良いんだけどさ」

 

 指を動かしデータを入力しながらも、僕の言葉にやっぱりの笑みを浮かべるシゲさん。

 その様子にはまったくと溜め息が漏れてしまう。

 そりゃ見てる方としたら滑稽に見える物かもしれないけど。実際の当事者からすれば真剣な……いや、真剣とはまた違うような気もする。

 

 む、というかだ、今回の逃走については少し気になる事が一つあった。

 

「……そういえばさっきさ、整備班の皆が襲い掛かって来たんだけど」

 

 先程に抱いた疑問を小さくそっと聞いてみる。

 ここにいる皆は大丈夫っぽいけど、いつ皆が彼女からの刺客に変わるか分からないので周りをさりげなく警戒しつつ。

 

「人気、あるからねぇ」

 

 僕の問いに対しては、シゲさんの可笑しそうな笑い声を伴った答え。

 うん、まぁ、それは既知の事実。

 他に理由があったらなと思ったけど、結局そういう事になるのか。

 

 確かに彼女が寮に移ると聞いた時や彼らの普段からの反応、行動を見ていれば、そこに十分な説得力が見出だせる。

 例えるなら何だろう?個人的にはよく分からないけどアイドルを応援しているファンみたいな、ちょっと熱狂的な様子。

 あそこまではとは言わないけど、男性陣はそれは顕著で女性陣は男性陣を抑えながらも見守っているような感じ……。

 

 ん、考えてみれば考えてみる程、ここでの状況が悪い気がしてきた。何だか周りから見張られていそうなそんな感じ。

 もっとはっきり言えば、四面楚歌みたいな?

 

「でも、あいつらも憎いとか嫌ってるって訳じゃなくて、あの子の事が大好きで応援したいって奴らばっかりだからさ。大目に見てやってよ」

 

 それはもちろん。その事に関しては問題ない。

 僕も皆が憎いとか皆を嫌ってるって訳じゃ決してなくて、ただ単に驚いてるだけだから。

 まぁ、それでも、なんとなくの不公平さみたいな物を感じたりはしてるけど。

 

 というか、取引とか損得関係でなく純粋な感じでの協力となると、それは何とも非常に厄介な事だ。

 思わず、元イスラム教徒でありながら、ジーザスとか呟いちゃって十字を切っては祈ってしまいたいぐらいに。

 だって信仰という物は、行動の迷いを打ち消す程の強い力を生むし、それは時に……って何でに宗教なんかについて考えてるんだろう。

 

 そんな適当な祈りを捧げては何故かの疑問に首を捻る。

 何だか落ち着かない思考、もしかしたら、中々未だに焦っているのかもしれない。

 少し大きく息を吸って頭に酸素を回し、息を吐いては次の呼気へ。

 数回繰り返した後は両手で頬を軽く叩いて。

 

 よし、これで落ち着いた……と、思っておく。

 

「それはともかくさ……って、あ、ちょいと隠れてた方が良いかもよ?」

 

 すると、そうやって息をついては焦りをごまかしていたそんな時、何かを言いかけたシゲさんが出掛けた言葉を遮って何かを忠告してくれた。

 

 その視線はこちらでもPCでもない、何かを捉えてどこかへと。

 その先を辿るように、そっとコンテナの陰から視線を追い掛けてみる。

 ぱっと見での確認。一瞬だけ見て一瞬で頭を引っ込める。

 

「……すみません、お願いします」

「ほいほい、任せといてよ」

 

 小声での頼みと返事。

 シゲさんの声を聞いた後は、コンテナに身を寄せるようにしながら、走り出す準備を整えてその時を待つ。

 

 先程の確認で見えたのはハンガー入口から歩いて来る、明るい金髪の少女の姿。

 周囲をきょろきょろと落ち着かないように見渡していたので、何かをというか僕を探している、まさにその真っ最中という感じだった。 

 少し騒がしいハンガーの中、その歩み進む足音が近付き聞こえて来ている気がする。

 そんな事はないと考えたい。でもそれは確かに。確かにじゃなくて、きっと何となくのそんな気が……。

 

「シゲさーん!彼の事、見かけませんでしたか?」

 

 響いた声に対して、何てこったと独りごちる。

 出来ればスルーしていて欲しかったけど、そんな事はないなんて事はなくて、そんな事だけがあってしまっていた。

 

「えっと……シゲさん?」

 

 再びの声。

 彼我のいや彼女我の距離は十m以内、コンテナ越し六歩七歩、五から六mといったところだろうか。

 まだ見付かってないみたいだけど……かなり近くて、とてもやばい。

 せっかく一度は落ち着いたのに。心臓の回転数がまた上がり、心拍が少し早く強くなるのを実感する。

 

「ん、いや、見てはないかな」

「そう、ですか」

 

 この追い詰められた状況でのシゲさんの返答というか演技。

 彼女の漏らす残念そうな返事。

 

「……あ、はい、分かりました。もし見かけたら、ちゃんと教えてくださいね?」

 

 それでも彼女は依然として、捜す気を保ったままのようでそんな事を言い残していく。

 進行系で隠れている最中の自分にとっては、はらはらと緊張が走る物だけど、彼女の遠ざかる気配にはほっと小さな安堵の吐息が零れる。

 

 そんな安堵にかこつけて、再びコンテナの陰から様子を探ってみる。

 見えるのは、遠ざかる背中と歩く度に揺れる金色の尻尾。

 やはり、ここにはいないと判断してくれたのだろう。歩みはハンガーの入口の方へと向けられていた。

 

 ……そっと窺い、さっと隠れる。

 

 その背中を眺めていると確認出来たのは振り向くような唐突な初期動作。再び隠れたこちらからは分からないけれど、おそらくきっとこっちを振り向いたのだと思う。

 でもすぐに隠れたし、僕の姿は見られてない、はず。

 

 隠れたままで過ぎる時間。

 そろそろ良いかなんて油断は禁物。迂闊な行動を慎んで息をじっと殺しての幾分かの待機を続ける。

 

「とりあえず、大丈夫だよ」

 

 そして、シゲさんからもたらされた言葉。それを受けてようやく身体を弛緩、力を抜いてはその場に座り込んだ。

 いつでも逃げ出せる体勢から、コンテナに背中を預けるような体勢に移行させて。

 

 ほっと漏れる、今度は大きな安堵の息。

 シゲさんは僕のそんな様子を見てか、手の動きを止めないままにやっぱり愉快そうな表情を顔に浮かべている。

 

「それにしてもさ、大変なもんだよねぇ」

 

 すると、今も情報端末を操るシゲさんが、視線を画面に遣ったままこちらにも聞こえるように呟いた。

 

 大変という言葉、それは確かに。今日は色々大変だった。

 追われて追われて追われ続けて、途中からは完全に振り切れはしたとは言え、ただでさえ万全ではない身体に加えトレーニング後というかなり悪いタイミングでの逃走劇。

 病み上がりのせいなのか、タイミングの悪さのせいなのか、正直キツい。

 まぁ、楽しくもあったけど。

 

「いや、追われる側もそうだけど……追う側もね?」

 

 だけど、シゲさんの意図していたのは僕の事よりも彼女の事だったようで。

 PCの入力を一旦止めると、こちらを指差しながらその本意を語る。

 

「あの子の心配とかって物もちゃんと理解はしてるんでしょ?」

 

 でもその問い掛け、それは当たり前の事。

 

 もちろん。当然、理解はしている。

 

 僕を追う彼女、シャルがどうしてこうまで怒るのか、説教をしたり追って来たりするのかという事を。

 自分でも分かってはいる。分かってはいるんだ。

 嫌がらせでも何でもなく、ありがたく思える程の、純粋に心配してくれてるからこその行動だってのは。

 

「うん、良かった。だったら、俺からは何も言う事はないよ。……まぁ、実を言うと俺もシャルちゃん寄りの考えではあるんだけどね」

 

 本当によく気にかけてくれているシゲさん。けれど、蛇足、おまけ、突然のカミングアウト。

 

 無言で即座に体勢を整えるも、まぁまぁとシゲさんが両手を向けて、こちらの動きを抑制するようにしてくる。顔には再びの苦笑い。

 何だか別に捕まえようとかそういった感じはしないので、とりあえずこちらも再び腰をその場に落ち着ける。

 

 そうして、シゲさんに視線を向けると、続けられていく言葉。

 

「じっとしてられないって気持ちも分かるからね」

 

 その一文、それは僕の内心の代弁に等しい。

 

 そう。僕はただ、そのシャルからの心配を認めたくないってだけなんだ。

 心配そのものではなくて根本、今はじっとしているしかないなんて事が認めたくないし認められない。

 休養や安静というのが、今の自分にとって大事だというのも十分には分かってる。

 でも、体力を落として機体は失って、目指すべき物があるのに何も出来ない現状。

 今までの休暇とは毛色が違うそれに対して、何とかしたいという気持ちが今も心の中に渦巻き続ける。

 

「時間はあるんだからさ、そんなに焦らなくて良いと思うけどなぁ」

 

 シゲさんの言葉通り、まさにその通りなんだけど、でもやっぱり今は落ち着かない。

 僕にとっての最大の危機は、何も出来ないという事だから。

 

 せっかちというか堪え性がないというか、何とも以前よりも物事を冷静に見る事が出来なくなって、不安定になってしまった気もしてはいた。

 けれどそんな事は、ホント今はどうでも良くて、一刻も早く身体を戻したいのに加えて、すぐにでも自分の機体が欲しかった。

 

 それらは休養よりも何よりも、自分に指し示してくれるから。

 目的に抱く己が理由の中の進むべき道という物を……。

 

 まぁ、手っ取り早く簡単に言えば、早く機体に乗りたいなぁってだけなんだけど。

 

「なるほどね……って、そうだ。ちょっと、これ見てくれるかい?」

 

 そんな堅いのか緩いのかよく分からない考えを続けていると、シゲさんが僕の目の前に先程まで操っていたディスプレイを差し出してくる。

 

「ん?シゲさん、これって?」

 

 そこに映し出されていたのは、どこかの施設の中で直立するACの姿だった。

 だけど、それはガイアでもウラヌスでも、ましてやクロノスでもない機体。

 画面の右上には最近の日付と形式番号だろうか……それらしき数字が現れている。

 

「さて、何だと思う?」

 

 シゲさんの勿体振った言葉。

 その声は少し楽しげに幾分か弾んでいるようにも思えた。

 

「もしかして、僕の新しい機体、ですか?」

 

 弾む問い、それに期待を込めつつ答えていく。

 

「いや惜しいね、残念」

 

 けれど、返って来たのはそんな言葉。……って、違うのかい?

 

「新しい機体ってのは合ってるんだけどね」

 

 何と言う肩透かし。

 完全に思わせ振りなシゲさんに対する文句は心中に押し止めて、その言葉の続きを、見慣れぬ機体についての説明をじっと待っていく。

 やがて、シゲさんはこちらの様子を見ては何やらを頷いて、ディスプレイに対して二三度の命令を与え、映る画面を差し替えた。

 

 次に映ったのは実画像ではなくて、図面のような物。

 それを僕に示しながらシゲさんがその文字列を口に出す。

 

「TYPE-49」

 

 読み上げられたのは、形式番号。

 言葉が続く。

 

「量産化を前提とした、クロノスの後継機みたいな物かな?」

 

 語られた量産という言葉、何だか少し驚いた。

 それは遂にクレスト・キサラギ・ミラージュの同盟三社が大きく動き出すという事を意味するから。

 

 開発だけを続け、ある意味ISに対しては後手に回っていた状況。そんな流れに投じられる一石、その一石こそが、映し出されたこの機体であると言っていい。

 

 しかし、そうして投げ込まれた石が生み出す波紋が、どのような事を引き起こすのかなんてのは想像がつかない。

 でも波紋が波を呼んで岸を崩しては流れを変えるかもしれない。流れをせき止め新たな流れを生み出すかもしれない。

 大袈裟な表現だけど、僕らにとっては大きな事なんだとは思う。

 

「まぁ、まだこれも、やっとアメリカで先行機がロールアウトしたばかりなんだけどね」

「えっと、それってつまりは?」

「これもこれから、テストが待ってるって事」

 

 成る程。

 そんな一石が投じられるのも、まだ少し先になるみたいだ。

 それはそうとて、今はとりあえず映し出されている機体について観察していく。

 

 クロノスの後継機って割には、形は大分違っている。というか別物だ。

 

 滑らかな曲線で描かれた流線型ではなく直線で描かれた、言わば箱とも称せる形で構成された各所のパーツ。特にコア部に至っては装甲を着せられているような形状に見える。

 それはまるで、クロノスやウラヌスみたいな空力や逸弾性の重視ではなくて、正面から攻撃を受け止めていく形を取っているかのように。

 

「うん、そうだね。外装式のモジュール装甲の選択によっちゃ、クロノス以上の耐久性を発揮出来るはずだよ。まぁ流石にガイアには及ばないけどさ」

 

 シゲさんが言うには、僕の感じた通りらしい。

 でも、表示されているデータによると、これは中量二脚型のクロノスと同スケールの機体だ。

 クロノスクラスで耐久性重視というと、機動性の方はどうなってるんだろう。

 そもそも、機体のコンセプトは生存性を重視したという物で良いんだろうか。

 

「いや、生存性はコンセプトの一つに過ぎないかな」

 

 ……えと、言葉から察するに、複数のコンセプトがあるみたいだけど。

 僕がその事を疑問に思っていると、シゲさんは再びタブレットPCの画面を操作し始めた。

 

 ディスプレイの中で選択される、一つのデータファイル。

 開かれたのは外部向け、つまりは宣伝用と思しきプレゼンテーションのデータで、シゲさんはひょいひょいとその内容を飛ばしていく。

 そして現れたのはブレード、ライフル、ミサイルにレーダー……と、オーソドックスな武装を施されつつもデフォルメ化されたTYPE-49と、デフォルメ機体の各所に注釈される文字列。

 

 曰く、生存性、操作性、整備性、経済性。

 画面に浮かぶこれらがコンセプトなんだろうけど、文字だけを見たら、かの有名な旧ソ連製の銃を彷彿とさせるような物だった。

 

「……とにかく安くて丈夫で使いやすく。確かにクロノスの後継機とは言ったけどさ。それは中量型の汎用機体ってだけで、ある意味では対極なんだよ」

 

 つまりはシゲさんが語るのはまさに量産前提と言った物。意味は違えどエコノミークラス。

 だけどTYPE-49、日本風に言うなら49式。これが量産機体、つまりは企業の経営戦略の主力となるのだとしたら、僕らの乗って来たクロノス達はどんな立場になっていくのかが気になってくる。

 最悪、開発中止とか?……もう愛着もあるだけにそれは止めてほしいんだけど。

 

「いやいやいや、開発中止はまずないよ。クロノスも後々は49式の高級機的な位置付けで正式なデビューをする予定だしね」

 

 その答えには少し安心。

 しかし、シゲさんはそんなほっとしている僕を尻目に言葉を続ける。

 

「それに俺達は引き続き、更なる性能を求めてのテストを言い遣ってるし。……ちなみに49式のテストは別のテストチームの割り当てなんだよ。とは言っても、うちみたいなベテランや専門家じゃなくて新人をテストパイロットに抜擢するって話だけどさ」

 

 使いやすさをコンセプトに挙げてる分、そういった知識や技能に薄い人でも使えなくちゃいけないって事なのか。でも、それはどうなんだと思う。

 いや、データの画像はクレストの物だったから、知識に長けた人が監督するのだとは思うけど。

 

 と、新機体という事で思い出したんだけど、今は亡きクロノスの状況はどうなってるんだろう。そっちの方が気になった。

 頑張って取り組んでるとは聞いてはいても、その詳細は聞かされてなかったから。

 

「あー、それ、なんだけどさぁ」

 

 という事で、早速尋ねてみると、返って来たのは何か言い辛そうな様子。

 纏う雰囲気に、むむむと感じるは嫌な予感。

 

「試しに聞いてみるけど……クロノス以下とクロノス以上の機体、どっちが良い?」

 

 その少し嫌な空気のままに問い掛けてくるシゲさん。

 でも僕には選択肢なんてなく、一択。そこには決まった答えしか存在しなかった。

 

「もちろん、クロノス以上で」

 

 即答と言っていい、そんな早さでの答え。

 だけどこっちの勢いとは裏腹、だよねぇという気の抜けた返事と共にシゲさんがこちらに両手を合わせて頭を下げてくる。

 いきなりの行動に一体何事かとは思うんだけど、僕がそれを尋ねる寸前でのシゲさんの釈明は。

 

「……待っててくれてるのは分かるんだけど、ホントにゴメン!」

 

 明らかな謝罪の表明だった。

 

「いやさぁ、各部の製作はもう始まってるんだけど、細部で中々纏まらなくて。終いには設計班の中でちょっと揉めちゃっててね……」

 

 そうして語られるのは、開発状況の内情。

 

 あんまり顔を合わせる機会はないけど、良い意味に取るなら設計班が更なる発展の為の激しい議論の真っ最中。

 悪い意味に、ストレートに意味を取るなら、ある種の内部抗争の真っ最中。

 どちらにしても、濃ゆい話し合いと専門的な文字羅列の応酬で満ちていそうな感じがする。

 

 僕個人としては不満も特にはないから、その抗争には口出しはしない。

 望みはあってもそれはいつかやってくれる事だから、それさえも言葉には出さない。

 必要なのは前提条件というか、彼らを信頼して待つ事のみ。

 

「……期待は、しても良いんですよね?」

 

 だから確認をする。情報の正しさを。

 信頼はしているけれど、その信憑性をより確実にする為に。

 僕による改めての確認に対するは、両手を離し顔を上げた整備班班長。

 

「うん、それは任せてよ。変わり者ばっかりだけど腕だけは一流だからさ」

 

 親指を立てる、サムズアップ。

 自信満々のその様子、シゲさんがそこまで言うのなら間違いはないと思う。

 シゲさんは嘘をつかないというか、嘘をつけない性格だし。それは今までの暮らしで分かっている事だから。

 

 でも、どんな機体が来るのかが今からでも楽しみだ。

 前々から練られていた再設計との話なので、元のコンセプトを継承ながらも様々な改良と変更点があるのだろう。

 形が操縦性が性能が、その遂げた進化と変化と継承、それを見届けたいし乗ってみたい。

 

「だったら待ちますよ。……実際には、どれくらいかかりそうなんですか?」

 

 でもここで、機体の性能と共に重要な事が一つ残っていた。

 それは、機体がいつ来るのかという事。

 新機体が本当に楽しみな事もあいまってだと思う。いつ頃に完成していつ頃になったら乗れそうなのか、気になって気になってしょうがない。

 

 とりあえず、言葉と共に期待を込めた視線を送ってみる。

 

「うっ……よ、四ヶ月いや三ヶ月!……三ヶ月で何とか、何とか形にはして見せるよ!」

 

 一度は見えたたじろぐ様子、それでもシゲさんはその期日を力強く断言してくれた。

 

 ……三ヶ月、三ヶ月間か。

 その空白期間は、今までがずっと中々に密な物だっただけにとても長いように思える。

 

 空いた時間、とは言っても、その長い時間をただ過ごすだけじゃなくて、きちんと有効的に使っていきたい。

 まずは、やはりの優先事項、身体を鍛え直しては元に戻そう。

 次に無理を言ってでもウラヌスに乗せてもらって、機体の感覚を忘れないように染み付かせよう。

 でも、これらは一日二日でどうこう為る物じゃない。

 そう考えると、意外と長くは感じないかもしれない。やる事があって出来る事もある。

 それは、空いた時間を過ごすには持ってこいの物だ。

 

 つまり、機体が来るまで全然待てるぞ……って、ん?

 

「えっと……どうしたんですか?シゲさん?」

 

 考え事。PC機体から目の前へ意識を戻してみると、そこには再び謝罪のポーズを見せているシゲさんの姿があった。

 声を掛けてはみても顔は伏せたまま。

 いや、左手で謝る姿勢を保ちつつも右手だけは宙にあり、何故か僕の背後を指している。

 

 その示される物、それは何かと振り返ってみる。

 

「ん?どうしたの?話はもう良いの?」

 

 すると、聞こえて来た声。自然と戻っていく視線。

 

 あれ?

 何だか金色の、いや、いないはずの彼女の声が聞こえて、そればかりか確かに今そこにいた気がする。

 おかしい、おかしい、おかしい、何故だろう。あの時ちゃんと彼女は去ったはずで、きちんとシゲさんは大丈夫だと言っていたはずなのに。

 

 ……大丈夫。大丈夫?『とりあえず』大丈夫?

 

 思い出す、シゲさんの言葉。

 もしかして、とりあえずって本当にそのままの意味で一時の保証でしかなかったんじゃないだろうか?

 思い返してみると、シゲさんは僕の味方こそしてはくれたけど僕の味方だとは言っていない。むしろ、彼女の味方だと言ってた気がする。

 

 嘘はつけない。嘘はついてない。僕のシゲさんへの認識は正しい。

 だって確かに嘘は言ってなかった。ただ事実を何も言ってないだけで。

 

 つまり……嵌められた?

 

「話はもう良いんだよね?……それじゃ、行こうか?」

 

 背後よりの足音と心情的には刑の執行を思わせる声。

 

 肩に感じるシャルの手の感触。

 その手に立ち上がる事を促されるけど、自分にはもう逃亡の意志は消え失せていて、身体は抵抗する事なくその要求に従っていく。

 

「えと、シャルロットさん?どこに向かおうとおっしゃっているのでしょうか?」

 

 でも、やはり気にかかるは自らの行く末。腕を引かれて立ち上がりつつもそんな事を尋ねてみる。

 

 心配なのは何がこれから待っているのかという事だ。

 以前に受けた罰、それはもう厳しい物だったから。物理的というよりは精神的に。

 だからこそ、聞いておきたい。自分にこれから何が訪れるのかを、刑に臨む者の心得として。

 

 ちなみに、口から出任せの変な敬語はそんな彼女の機嫌を損なわない為の物。まぁ、もう遅過ぎる、完全な手遅れ感はたっぷりと。

 

「ん?」

 

 でも、返って来たのは小首を傾げるようなしぐさ。

 こちらは変な意気込みを入れてたのだけれど、何だかシャルの様子は以前とは全く違う様子で。

 

「どこって、今日は帰り際に映画借りて来たから、一緒に見よ?」

 

 そして、シャルの口から聞こえて来たのは、そんな言葉。

 ……映画?ムービー?

 

「あれ?正座とか説教とかその他諸々じゃなくて?」

 

 その予想外の言葉と展開には、思わず素に戻って聞き返す。

 

「……もしかして、そっちの方が良かった?」

 

 いえいえそんな、滅相もない。

 それで済むのなら、断然映画を推奨したい。

 そうやって、僕の答えに少し不満そうな表情となった彼女に対しては、即座に行う弁明釈明。

 

「だったら、今日は映画!」

 

 だけど、そんな反応をも予期していたらしく、シャルは顔を綻ばせて、言葉と共に笑顔を浮かべた。

 

 笑顔。今度はきちんとした笑顔らしい笑顔。笑顔自体は何回もあった、でもこの表情を見るのは今日は初めてになるかもしれない。

 

「シャルちゃん。今日は来客もないだろうし、応接間使っちゃって良いよ」

 

 すると、話はちゃっかり聞いていたみたいで、ごめんなさい状態から復帰したシゲさんがシャルに対しての許可を出す。

 

「はい、ありがとうございます!……よし、それじゃあ早速、行こっか?」

 

 それを受けて続くのは、シャルの返す元気の良い返事と僕を引っ張りながら進む強い歩み。

 身体を引っ張られながらも視線は後ろへ。

 

 ……ごめんよ。

 

 瞳の先、シゲさんの口が声なく表す謝罪の言葉。けれど顔には笑顔があって、しかも手も振っちゃってたりしている。

 どう見ても本音は別のアンバランスさ。その姿を見ては脱力。僕の頭はがくりと落ちて、その実感と共に得られたのは確信だ。

 

 やっぱり……共犯だった。しかも、シゲさんだけじゃなくて、ハンガー内の皆でさえ。

 

 ――やったな!シャルちゃん!

 ――おめでとう、シャルロットちゃん!

 ――よし、今回も私の勝ちね。さてあんたら、後でちゃんと奢りなさいよ?

 

 などなど、進み行くシャルを迎えるのは声援、祝福の数々。

 つまる所、安全地帯だと思ってた場所は狩場か巣穴か、あるいは地雷原だったってわけだ。

 そうして僕は、ようこそと言わんばかりにまんまと嵌まって見事に捕らえられた事になる。

 

 やがて、僕ら二人はハンガー横の扉を抜けて廊下へと。騒がしさは既に後方に、それでも聞こえ続けているこちらへの歓声。

 

 ……はぁ。

 

 見事にやってくれたノリの良すぎる人々に、まったくと一つ溜め息をつく。

 怒りはなく、今も感じているのは若干の呆れ。

 内に溜まったそんな物を新鮮な空気と入れ換えて、気分も同じく切り換えた所で、あの状況での些細な疑問をシャルへとぶつけていく。

 

「あー、そういえばさ、シャルはいつから聞いてたの?」

 

 そう、あの状況。

 僕が見たのはシャルの去っていこうとする姿だった。

 最後まで見届けた訳じゃないから、あの後、移動したんだと思うんだけど。

 

「ん?そうだね、ほとんど最初からかな?」

 

 ……うわ、何で気付かなかったんだろう?率直な感想はそんな物。

 

 それはシャルの後ろ姿を見てから、あんまり時間の経ってない頃だったと思う。

 もしかしたら、あの時、隠れてシゲさんのアクションを待っていた時に移動した?

 

「うん。シゲさんがジェスチャーで誘導してくれてたから、その隙に、ね?」

 

 シャルはそのジェスチャーを示しているのか、指を回すようにしながらにそんな事を言ってきた。

 思い浮かぶのは先程のシゲさんのイイ笑顔だった様子。

 その姿に再び漏れそうになった溜め息を抑えつつも、意識は目の前を歩く彼女の元へ。

 

 腕を引いて歩く僕よりは小さなその身体。どこにそんな力があるのかは分からないけど、今は何だか元気に満ち溢れている感じがする。

 

 そして視線の先、当の元気少女は、でも、と何とか聞こえるぐらいの小さな声で呟くと、歩みを緩め少し恥ずかしそうな笑みを浮かべて続けた。

 

「私の事、ちゃんと分かってるって言ってくれて……嬉しかったよ?」

 

 そんな、耳に聞いて目にした、その言葉、その表情。

 

 ……あ、う。

 

 認識した瞬間、一気に沸き上がって来た感情に対して、思わず触れる自身の頬。

 熱。何だか酷く熱い。顔はきっと赤くなってしまってる。

 別に対した事は言ってないけどあの時は本音を話してたし、それをまさか本人に聞かれていたなんてというのがあって、はっきり言うと、かなりとても本当に、こうどこかに走り出したくなるぐらいに、とにかく恥ずかしい。

 

 強い羞恥心。内心それに悶えていると感じたのは、自身を捉えているだろうと思われる視線。

 その方向そちらを見てみれば、いつの間にかの僕の横、にやにやとした楽しそうな笑顔があった。

 

「……何だよ、シャル?」

「ふふ、別に?何でもないですよ~」

 

 彼女への抗議は確かに少しふて腐れた物になってしまったのを自覚はするんだけど、原因の彼女は笑顔のまま、からかうようなそのスタンスを崩さない。

 

 何だろう、軽く打ちひしがれるようなこの敗北感は。……いや、というか、だ。

 

 首を左右に振って、今までの思考を飛ばして別の事を考えてみる。

 それはもう急いで、自分のリソースをそちらにフル回転フル活用して。

 

「でも、何でまた、今日はいきなり映画なんかを?」

 

 ようやく、出て来たのはそんな疑問だった。

 

 急遽の物ではあるけれど、考えれば考えるほど不思議に思える事。

 今までとは全く方向性の違う行動。

 前もって考えておかないとまず無理のある事。ISの拡張領域にそんな物を溜め込んである訳でもあるまいし。

 そう、何だか今日のシャルの行動は、一昨日や昨日などに比べても、どこか不自然な気がした。

 

 思考から現実へ。

 後ろに腕を引かれたような感触に、ふと足を止めて振り返る。

 

 不安や寂しさ?

 そこには先程までの明るい彼女の姿はなく、一変して少し落ち込むような様子の彼女がいた。

 立ち止まった彼女、シャルは何も語らず口を閉ざしたまま。

 僕はただ不意に変わった様子に首を傾ける。

 

「……本当は私だって、じっとしてられないって気持ちは分かってたんだよ?でもやっぱり、今は休むのが一番だと思って」

 

 そうして、ようやく言葉に出された変化の要因。

 

 何だかシャルは気負ってというか悩んでいたみたいだけど、それについてはお互い様の事だ。

 僕だってシャルの考えを知りながらも、抵抗していたんだから。

 まぁ実際にはむしろ、安静にしていない僕が悪く、責められるべきも僕なのだろうとは思う。

 

「そのせいで煙たがれたり、避けられたり、嫌われたりするんじゃないかって。そういう感じでね?……心配だったから……それは嫌だから。その、だからね?」

 

 それでも何だか必死にシャルが続けるのは言葉。釈明でも弁明でも言い訳でもない、ただ彼女が思っていた事、感じていた事。

 不安そうに、その胸に抱えていたらしい物を懸命に吐露していく。話してくれる。

 

「……馬鹿だなぁ、シャルは」

 

 けれど、真剣な彼女の少し重めの話に対して僕が真っ先に思ったのは、短くて簡単なそんな一言。

 

「む、そんな言い方しなくても……」

 

 確かに酷い言葉に、不安から不満もしくはちょっとの怒りを携えて言い返してくる。

 その怒る気持ちも分からなくはないし、真っ当な反応だとは思うけど、やっぱり僕の意見は変わらない。

 

「いや、だって、シャルやシゲさんを含めてさ、そうやって心配してくれてる人を嫌いになるはずがないよ」

 

 その程度の事で人を嫌うのは、きっと何も知らない、何も分からない、分別の付かない子供ぐらいだから。

 確かに僕も、まだ大人だなんて事を自分や他人に対して断言こそは出来ないけど、そこまで子供じゃないとは思ってる。

 自分なりの考えもあるし、多少の分別も付けられる。

 

 つまり、何が言いたいのかというと、シャルが不安に思っているような、そんな心配はしなくていいって事。

 

「……うん」

 

 こちらの、我ながら緊張感やら重みやらが全くない言葉に小さく頷いてくれる彼女。

 しかしてそんな軽量型の言葉でも、とりあえずこちらの意思を伝えられたとは思う。

 

 確かにシャルの行動は、過ぎればお節介の領域に入るかもしれない。

 だけど逃げはすれども、僕にとってはそうじゃなかった。

 というか、自分が悪い事を自覚しながらの行動だったから、シャルを疎ましいとかなんてのは微塵も感じてはなかった。

 

 捕まって感じてたのはしょうがないかというある種の諦めと、待ち受ける罰への恐れだけだったし。

 逃げて感じてたのは同じく罰への恐れと、負けられるかという思いの存分に混じったスポーツ感覚の楽しさだったし。

 

「まぁそれは、そそっかしいシャルの早とちりとして置いといてさ」

「……もう、やっぱり酷いよ」

 

 文句は聞こえるけど気にしない。

 だって話を戻すどころじゃなくて、僕らは今、メインの目的と遠ざかり過ぎてるから。

 

「とりあえず、映画見る前にさ、先にシャワー浴びて来ても良いかな?」

 

 そう、僕らの目的は映画だ。

 元々はその映画を見るから、さぁ行こう!って感じだったのに、どうしてこう少し重いような空気にならないといけないのか。

 

 話を振った僕が原因ではあるんだけど。

 

「あ……、シャワーだよね、うん、もちろん、もちろん良いよ」

 

 そして、映画を見よう!と言っていた事がすっぽりと抜けていた様子のシャルは、思い出したという反応をごまかすかのようにこちらの言い分を聞いてくれる。

 けれども、言いたい事はもう一つ。

 

「後さ、ついでにシャルもシャワー浴びれば?」

「わ、私……も!?」

 

 と、何故か、僕のそんな二つ目の言葉に彼女が顔を急激に赤くして見せた。

 

 ……いや、どんな勘違いをしてるのさ、それは?

 

「う、うん!もちろん分かってるよ!違うから、違うんだからね!そういう事じゃないっていうのは!」

 

 疑念を込めて視線を送ると、何とも慌ただしくなるその様子。

 それは、あまりの慌てっぷりに突っ込む事さえも躊躇う程の物。

 

 ……ホントに一体、どんな勘違いなんだよ、それ。

 

 思いはするけど突っ込まない。ただ自然に落ち着くのを待っていく。

 

 赤く染まった耳、小さく上下する肩、こちらに背を向けながら目の前の彼女は大きく息を吸い込んでの深呼吸。

 やがて、びくりと一度身体を震わせると向き直りながらまだ赤みの残る顔でおずおずと尋ねて来た。

 

「あ、あのさ……私、そんなに汗臭い、かな?」

 

 汗臭い?それは突然尋ねられた事。

 デリカシーに欠ける行為だとは思うけど、返答への確認の為にシャルに対して少し顔を寄せてみる。

 目を閉じて意識を集中。

 息を飲むような声が聞こえる、でもそんな聴覚より視覚より、今は嗅覚に重きを置く。

 感じるのは香水かデオドラントか、あるいはシャンプーか、詳しい判別は出来ないけどとにかくそういった類の香り。

 

 ……うん、特に汗臭いなんて事はない。

 

「いや、全然気にならないよ」

 

 何だか恥ずかしそうにしている彼女に首を振って答える。

 すると、シャルは何だかほっとしたような様子を見せると、じゃあどうしてと首を傾け今度はこちらについての疑問を漏らしてきた。

 

「いや、シャルも動いて汗はかいたでしょ?後、ついでに、だよ。だって、そもそも……」

 

 それに答えるは比重の低い付属の言葉。

 そしてようやく最後、続けて口に出していくのは僕のメインとなる言葉。

 映画を見るよと言いながらにして、手ぶらで応接間に向かおうとする彼女への最大の疑問。

 

「肝心のさ、借りて来た映画を持ってないじゃんか?」

 

 

 

 

 宿舎で別れシャワーへと。さっぱりとしては応接間へ。その道中、出会ったラナやジャックを引き連れながらミニ上映会へと足を向けていく。

 

 やはり女の子には時間が掛かる事もあり、テレビとレコーダーとソファーはあれど、まだ応接間にシャルの姿は見当たらない。

 まぁ、予想通りだけど、先に着いたという事で到着を待ちながらもいつ来ても良いようにと再生の準備を始める。

 今回、プレイヤー代わりになる旧式のレコーダーをテレビと繋ぎ、映るかどうかをきちんと確認。

 ついでに今日のシゲさんへのお礼の意味も込めて、日頃よりシゲさんが大事に隠している秘蔵のお茶請けなどを勝手に引っ張り出しては、お好きにどうぞとテーブルに広げる。

 

 そうやって一通りの準備が完了した後は、時間つぶしにゆっくりとお茶を啜りながらテレビでニュースを確認。

 ……太陽のフレアで電子機器がヤバイ、男女平等を唱える人々のデモが~、流れているのはそんなニュース。

 

 ニュース番組も終わり、画面上は再放送のドラマ番組に突入した。

 そんな時、聞こえたノックに続いて遂に僕らが迎えるのは、たった一人で演じられるその姿。

 

 緊張したような少し堅くぎこちない表情と、こちらを見て気落ちしたような態度と、すぐに取り直して浮かべられる笑顔。

 

 それは一瞬の内にころころと変わった彼女の様子で、そんな彼女を待ち受けていた僕達は、何故かどうしても抑え切れず、声を上げて笑い出す。

 笑う僕らと拗ねる彼女。

 

 こうして何でもない相変わらず愉快だった日常は、大変だった七月の終盤に差し掛かり、いよいよ八月へと突入して行く。

 

 うん、でも、結局はあれだ。

 お茶請けとして出した老舗の煎餅を片手に、大型画面の進んでいく映像を見ながらに思う。

 

 ……シャルも怖いなら、わざわざホラー映画なんて借りなきゃ良いのに。

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