Acxis   作:ユ仲

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Chapter3-EX

 まずは、お久しぶりです。

 

 そちらは元気でやっていますか?イーリが騒いで迷惑を掛けていませんか?とりあえず、私はいつも通り元気です。

 久しぶりとは言ってもまだ一月も経ってはいないのですが、そちらを離れてからというもの、もう何だか長い時間が経っているように感じています。

 

 まぁ一応、こちらへ到着したという連絡はさせてもらいましたし、レポートという形で日頃の任務の内容なども届いている事とは思います。

 ですが、こうして手紙というレトロな形で連絡させてもらっている理由は他でもありません。

 簡単に言うと(筆を執っている)今は、軍人としての私ではなくプライベートの私であるという事です。

 

 旅行気分で良い、あなたはそう言って私を送り出してくれた。ですが、何だか本当の旅行に来たみたいに思えて正直戸惑いもあります。

 問題などが原因で戸惑うのではなく、任務が楽しくて戸惑うなんておかしな話ですよね?

 

 ともかく、今回はそんな堅苦しいレポートではなくて、(詳しく話せない部分もありますが)こちらで体験した色々な事に関して紹介します。

 こちらで写真も同封しているので(ちゃんとありますよね?)、それと合わせて雰囲気を感じ取ってもらえたら幸いです。

 

 

 

 

 人のいない静かな空気。響き伝わるのはエンジン音と時々のブレーキ音、さらに言うなら荷物と床との衝突音。

 その環境下において、あえての古ぼけた前時代的な形状――ある意味ではオシャレなデザインを持つこのバスは、既に先の休憩所から数時間程の時間を走り続けながらも、時折私に大きな揺さぶりをかけてくる。

 

 ……確か、もうそろそろのはずなのだけれど。

 

 どうにも持て余す時間。

 本でも持ってくれば良かった。そんな後悔を抱いてしまう程に、時間だけがただただ有り余っている。

 そんな、ぽっかりと空いてしまった心と行動の空白。

 どこまでも埋まっていきそうな感覚に対抗し、何もないならせめてと窓枠に肘を置きながら、外に視線を移してみれば、暇という物が興味の内に染まっていく。

 

 バスに揺られながらも流れゆく景色。

 時が経ち走れば走るほど、目に映る風景は徐々に何もない殺風景な物へ。

 それでも以前まで私のいた場所の方が何もない場所であったし、それを考慮しても尚、異国の情緒を漂わせるその空と大地と空気の存在は、この暇を潰し私を楽しませてくれる。

 

 異国情緒、言い換えれば外国情緒。アメリカではなくて外国。

 そう。今現在、私のいるこの場所は私の母国アメリカではない。海を挟んだ先の先、欧州とアジアの境界、トルコだったりする。

 

 ニューヨークのJFKからイスタンブールのアタチュルク国際空港までの十時間を越えるフライト。

 その到着の際、機内から見えた景色はまさに異世界。

 大袈裟な表現かもしれないけれど、海外への旅行の経験がない自分には、何もかもが本当に新鮮だった。

 

 ただ砂漠の広がる基地でなく、新と旧、歴史と現代とが融合し共存している都市の姿。

 写真やディスプレイ越しでしか見る機会のない世界、なかった世界。

 スケジュール的には少しの余裕を持ったつもりで訪れたのだけれど、そんな余裕なんてものは軽い観光の間にデッドライン近辺で漂い浮かんでしまって……。

 私にとってここは、時間を忘れてしまうそれほどに興味深い場所。

 

 例えば、それは都市の風景もさることながら、その雰囲気さえも。空気という物が違う気がする。

 理由は、何なのだろう?

 男性達による羨むような自らを貶るような視線がない。

 何だかIS登場以前の世界の雰囲気に近い。良い意味で時間が止まっている感じ。

 混乱もなく男女間での見苦しい争いもなく、日々を過ごす人々がその日々の平穏の中を当然のように共にしている。

 

 ……宗教の関係?

 

 写真用にと出国前に買った小さなデジタルカメラを覗きながら、異世界の風景を思い返しつつ考える。

 

 ISの登場によって、イスラム教を国教としている多くの国々で大きな混乱が起きたのは広く知られている事だ。

 きっとそれは相性的なもの。男性優位的な社会を持つ彼らと女性にしか扱えないIS、それをどうするかについての問題が起きた。

 

 あくまで男性の管理下にあるべきと主張する者。反対に女性の権利推進を主張する者。

 対立する主義と主張。荒れる議会と割れる世論。

 

 しかし結局は、力を持つ者が上に立つべきみたいな考え方?のような物のお陰で、結果に差はあれど多くの国が女性の権利向上を果たしたと記憶している。

 それでも一部では言葉ではなく武力に決着を委ねる国もあり、北アフリカの権利抗争のような物が各地で発生していて……。

 

 大小の争乱あっての風景。

 争いの果て。そこには男性と女性とが並び立つ国もあれば、完全に逆転してしまっている国もあり、逆に言論を弾圧し旧体制を維持しようとする国もまた存在している。

 ……まぁそういった弾圧を行う国に対しては、国連とIS委員会の采配でISが回らないような手配がって噂を聞いた事もあるから、もしかしたら諸外国からの圧力なども争いに絡んでいたのかもしれない。

 

 それはともかく、そんな中でトルコという国は、世界の中でも流れに上手く対応した国の一つだと言えた。

 

「ようやく、かしら?」

 

 気付けば、風景は緩やかに動きを落とし今にも止まろうという様子。

 車内の表記にも約束の場所となっている停留所と地名の文字。一応確認はしてみても、その表記が待ち合わせ場所を示している事に間違いはないようだ。

 そして、やがてブレーキによる軽い振動が身体を襲ったと思うと同時に、風景と車体は完全な停止をみせていく。

 

「んっ、さすがに堪えるわね」

 

 ……スーツケースを横に置きつつ、両腕を空へと掲げ背筋を伸ばす。

 バスによる長い道程を経て、ようやく待ち合わせの場所に来たはいいけれど、約束までにはまだ時間があって。

 『彼ら』からの迎えもまだ到着していない。

 ……背筋を伸ばした後は腰の辺りを軽くマッサージ。

 だから今はその待ち時間を利用して、長旅のお陰で現れた凝り固まった体の痛みと悪戦苦闘を繰り広げている。

 

 とりあえず、現地の雰囲気を感じたいと決めたバスの移動……結果はある意味、失敗。

 イスタンブールで乗った都市間バスまでは普通によかった。本当に快適だった。

 革張りのリクライニングシートに空調完備。休憩所への停車もあり、さらには添乗員によって軽食やドリンクのサービスもあるという予想外に豪華な設備。

 だけど、その後乗り継いだあのバスといえば……。

 

 ……ああ、もし出来るのであれば過去の自分に忠告してあげたい。

 よく分からないなら誰かを頼るべきだと。浮かれすぎず細かい確認は怠るなと。慣れない事はあまりするべきじゃないと。

 どちらにせよ、もうここまで来てしまっているのだから全ては後の祭り。

 

 そうして何とか痛みも薄れて来たかなと思う頃、申し訳程度に設置されている真新しいベンチに腰を下ろし、そのまま都市間バスの去って行った方向へと視線を向けていく。

 幾度かの修復の跡も見られるアスファルトの舗装。それがここまで来た道とバスが実際に去っていった道路。

 けれど、視界の中にはもう一つの別の道、一目見て解る程に真新しい実に綺麗な道路が存在していた。

 

 仮に新しいこれを新道、年季の入った道路を旧道と呼ぶとして、私の今いるこの停留所はこの新道の為に作られた物なのではと思う。

 道路の状態と停留所の真新しさ、また新旧道の分岐点に設けられた遠くから見ても明らかに新品だと分かる標識など、これらの要素から考えてみてもおそらく。

 

 まぁ、それが合ってるのか間違っているのかはさて置いて、新旧の差と状況には急拵えな印象が拭い切れない。

 視界の内に新道を利用する車はなく、時折旧道をバスや普通車が往復するのみ。見る限りでは新道は利用者が皆無。とても、国や自治体が主体となって作られた物にも思えはしないので。

 

 もしかしたら、一般道ではなくて何か別の目的をもって作られたのではないだろうか。

 答えを求めて、真新しい標識それをカメラのズーム機能で確かめてみる。

 

 ファインダーを覗き拡大。レンズ越しでの確認。

 そこに見えるのは、名前が一つ。

 記されているのは企業名と特徴的なロゴ。

 

 ご丁寧に英語表記付き。どうやら、それが新道の目的地である事には間違いはなさそうだ。しかも、私の目的をも同時に示してくれている。

 つまりは、この人のいない道の先に私が目指す場所がある。

 

 という事で今度はカメラを、その目的地に至ると思われる新道に向けて覗き見る。

 視線の先、荒野に伸びる一本線。目指す場所が確かにあったとしても、さすがに直接目には映らない。

 

 でも……何だか丁度良くも思える。こんな風景もあるのだと知らせて見せるには良い素材になる。

 電子音声のシャッター音。一枚だけでなく複数枚。風景をデータとしてカメラのメモリに取り込んでいく。

 すると目で覗くファインダーの中、遥か遠方、道の先より、一台の車が走って来ているのが見えた。

 

 徐々に近付く、小型車?

 うろ覚えではあるけれど、確かその車は、去年か一昨年ぐらいかにEVとして復刻販売された小型のドイツ車だったはず。

 それが今、何だか危なっかしい運転ながらゆっくりと、その姿を大きくしつつある。

 

 迎え、なのだろうか?

 次第に近付いてくるクリーム色の車体。

 

 そんな私の予想は正しかったらしく、車は停留所までやって来るとUターン。次いで一度私を通り越し、慌てたように後進。

 それでやっと私の目の前までやって来たと思えば、今度はブレーキによって大きく車体を前後に揺らして……慌ただしく危なっかしく、ようやく車体を停めてみせた。

 

「……えーと、ナターシャ・ファイルスさん、ですよね?」

 

 これは、慌てるように車の運転席から下りてきた、慌ただしいドライバーである『彼女』の言葉。

 車体より明るい髪を持った女性の面影を持った少女、いや少女の面影を残した女性と言うべき?

 彼女はどこか不安げでありながらも少し力の入った様子で、眉を逆ハの字にしながらそう尋ねて来る。

 

「ええ、そうですけど?」

「ああ、良かった……。私、フィオナ・イェルネフェルトと言います。お迎えに上がりました」

 

 私の返事に安堵からなのか、浮かべられる笑顔に感じたのは未だに残るあどけなさ。無垢な明るさ。

 確実に年下だとは思う。二十歳、いや下手をすればもっと下、推測でしかないけれど、きっと。多分。

 

「それじゃあ早速……お車の方へどうぞ!」

 

 ……まぁ、彼女についてはおいおい。

 まずは目的地へ目指すべく、妙に気合いの入った元気な案内を受けながら、声に従い目の前の車へと乗り込んでいく。

 

 

 

 

「……ナターシャさん、国の代表とかそういった立場というのは、やっぱり大変なものなんですか?」

「ん、そうね。そこまで大変と言うほどではないけれど、でも、忙しいという意味では中々大変よ」

 

 走行中の車内。運転席の彼女、フィオナが尋ね、私が答えるという会話の流れ。

 彼女はどうも気になる事や聞きたい事がたくさんある様子で、先程から一方的な流れになってしまってはいても何だか悪い気はしない。

 むしろ、答えに対して驚き、時に笑う楽しそうな表情を見ていると、こっちまで自然と笑顔になってくる。

 

 フレンドリーに交わされる会話。初対面にしては中々打ち解けている方だろう。

 とは言え、これでもはじめは任務という事で敬語を使っていた。使ってはいた。

 でも……。

 

『あの、私、軍とかそういうのとは無縁な立場なので、そんなに堅苦しくなくて良いですよ?』

 

 ……困った顔でこう言われては、その提案を受け入れざるを得ない。どうにも断れない。

 

 それに特殊な任務で訪れてはいても、表向きには『次機が決まるまでの休暇』という事になっている。

 同僚のイーリも長期の休暇だという認識だったので、実情を知っているのはきっと軍の上の方々とかのほんの一部の人間だけ。

 だったら、軍人としての態度でいるのは、この場にあまり相応しくない。あちらたっての希望でもあるし。

 

 そんな、こちらの都合とフィオナの望み、加えて彼女の持つ親しみ易さも手伝って、今は私も言葉を崩し気軽に話させてもらっている。

 

「だけど、国家代表だなんてやっぱり凄いです!私も実は、一応チャンスがあるからにはと思って適性検査を受けてみたりしたんですけど、結果はなんと適性Dですよ、D!……ダメ元だったとは言っても、少し落ち込んじゃいました」

 

 それは確かに、何と言うか……お気の毒に?

 

「でも、今は毎日が楽しいから全然気にはしてないんですけどね!」

 

 肩を落としたと思ったら、すぐにまた生まれる本当に明るい笑顔。子供のような喜怒哀楽。

 やっぱり見ているだけで面白い、というよりは何だか楽しい娘だ。

 

「あ、何だかすみません。私ばかり喋ってしまっていて」

 

 だからなのかもしれない。

 こうもこの子を……。

 

「確かに。話し過ぎ、かもね?」

 

 ……からかいたくなってしまうのは。

 

「うぅ」

 

 少し意地悪く口出してみると、フィオナは元気だった様子から一転、叱られた仔犬のようなしゅんとした様子に。

 もし彼女が犬だとしたら、確実に今は悲しい鳴き声を上げながら両耳を垂れ下げてしまっている事だろう。

 そんな沈んだ仔犬、その情景が脳裏には、容易にありありと思い浮かぶ。

 

 ただ、同時に思う事と言えば……正直、面白いという感想。

 

「すみま、せん」

 

 でも、どうやら少しやり過ぎちゃったみたいで、今彼女が纏うのはどんよりとした暗い空気。ハンドルを握りながらも悲しそうな顔をして黙り込んでしまった。

 

「……ごめんなさい。悪かったわ、ただの冗談よ」

 

 私も少しだけ意地が悪かった。だから、素直に謝罪を表明。

 

「……もしかして、ナターシャさん、からかってたんですね」

 

 しかし、なんという事なのだろう。

 私の決心から来る決死の謝罪はどうにも受け入れてはもらえない様子。フィオナの表情は実に不満げだ。

 

「というか顔、少し笑ってます」

 

 あ、やっぱり?

 

 からかいに悪気はない。あったのはほんの些細な悪戯心。

 もちろん?それでも反省はしてるし、何だか悪いなと思ったのは紛れも無く本心からだ。

 

「ホント酷いですよ!一瞬でも、気を悪くさせちゃったんだと落ち込んだ私が……」

 

 けれど、その膨れた顔で拗ねた様子を見せられたら、黙っての反省だなんてとてもとても。

 それに加えるように、ジト目というか何というのか、そんな愛くるしい姿さえも今は追加されている。

 まったく、人をからかい遊ぶのはイーリの得意分野のはずなのに。中々どうして何だか本当に、その誰かをからかいたいという気持ちが少し理解出来た気がする。

 

 ……って。

 

「ちょっとフィオナ?前、前!」

「え……?うわわっ!」

 

 突如の状態、注意の喚起。

 こちらを可愛く睨みつけていたフィオナによって、慌てた声を車内で盛大に響かせながら、ハンドルが急いで大きく切られていく。

 急激な方向変換。左へと揺さ振られる私達の身体。身体に食い込むシートベルトが少しだけ苦しく痛い。

 しかし、そのお陰でカーブを直進しようとしていた車は道路上に留まり危機一髪。何とか一応の危険からは脱する事が出来た。

 

 でも、それは本当に洒落にはならないもの。

 危うく異国の地で、ラリーも斯くやというオフロードコースを体験するところだった。

 

 しかも危険を回避とは言っても、復帰の際、車体は反対車線まで侵入してしまっていたので……それには、他に車も人も全くいないという事が幸いした。

 こちらも、もし普通の道路だったらと考えてみると普通にぞっとしない事だ。

 

 まぁ、ともかく。今は突然の危機を回避出来た事に一安心。ほっと息が漏れていく。

 

 しかして、その数はなぜか、自分の物も合わせての二つ。タイミングも同時。

 そんな互いの隣で聞こえて来た安堵の息に、どちらからともなく笑いも一緒に零れ出す。何だか笑えて来てしまう。

 

「ああ、そうだ。ねぇフィオナ?」

「はい?なんですか?」

 

 明るい彼女。ひとしきり笑った事で、彼女の機嫌は治ってくれたみたい。

 

「実はあなた達のところについてあまり詳しくはないのよ。だから、どんなところなのかとかそういった事を教えてもらえる?」

 

 そこでじゃあそれではと、このやり取りには直接関係のある事ではないのだけれど。

 そんな明るいフィオナ復活の記念として、彼女にある一つの質問というかお願いをしてみる事にする。

 

「えーと、そうですね」

 

 一応自分なりに、任務としての下準備として調べては来た。

 でも新興企業故なのかそれにしたって情報が極端に少なく、正直よく分からないというのが私の彼らへの現状だ。

 

「とりあえず、私達がやっている事と言うと、先進技術の応用と開発といった所でしょうか?」

 

 そんなこちらの質問に対し横顔でしか窺い知る事が出来ないけれど、和やかだった表情を少し真面目な表情に顔を変化させてフィオナが語る。

 

「……先進技術?」

「はい。多方面にというのが私達のまず一つの目標で、今は確か……あいあーるえす?いんてぐれいてっど?と、とにかく、とある機械制御技術の改良化に取り掛かっているところなんです」

 

 制御技術、か……。

 わざわざISを、シルバリオ・ゴスペルを派遣させるぐらいだから、もしかしたらIS技術に縁のある企業なのかもしれない。

 私個人としては、あの時の暴走、あれの問題解決や対策などを期待していたのだけれど、そこはどうなのだろうか?

 

 ん、しかし社名としてはあまり聞かない名前だ。それでも新しく参入しようというのだから、ある程度の技術と知識は持ち合わせているはず。いや、そうでなくては困る。

 骨折り損とか無駄足だとか、そういうのは中々御免なので。

 

「実は、私もまだ新入りの秘書兼事務見習いであんまり詳しい状況がわからないんですけど、実際におとうさ……じゃなかった……教授に会って、今やっている事を聞いてもらえば、すぐに理解出来ると思いますよ」

 

 続くフィオナの言葉。

 この子の態度や様子について、少し気持ちが空回っていて慣れていないなと思っていたら、やっぱりそういう事だったらしい。

 いやそれよりも、だ。何だかさっき、慌てて何かを言いかけたような?

 

「えーと、フィオナ?さっきお父さんって……」

「……な、ナターシャさん!噂をすれば見えてきました!あれを、前を見てください!」

 

 確かにそう聞こえたので聞き返してみれば、対するフィオナは聞く耳持たず?

 というよりは、何か恥ずかしそうにしながらもこちらを急いて来る。いや、結局、聞く耳持たずか。

 

 横から見ても分かるその少し赤くなった頬に対し、これ以上からかってもかわいそうなので、さらに追い撃ちをかけるのはやめてとして。とりあえず意識を前に。

 私もフィオナを追うように、その向けられる先へと視線を移していく。

 

 正面。そこ見えるのは広がる荒野の中、遠くに小さいドーム状。大きな建造物。

 

「あれが私達の……」

 

 フィオナが全てを言わなくても、その先に続く言葉は分かる。

 こうして直接目の当たりにした事で、新たな任務への実感がようやく出て来てくれた。

 

 あれが、私の新天地となる場所――ラインアークだ。

 

 

 

 

 ――曰く、ラインアークとは大まかに分けて四つの施設で出来ている。

 

 まずは遠くからも見えていたドーム状、屋内試験場で一つ。

 次に周囲をバリア発生機で囲んでいるという、どれだけのお金をかけたのか分からない、何とも豪胆な屋外試験場で二つ。

 あとは各開発とか一般業務を担う本社施設と皆の生活拠点である社員寮。これで計四つ。

 

 そうして今は施設案内の真っ最中で、おそらく社員寮の方へと向かっていると思われるのだけれど。

 

「……すまなかった」

 

 そう、だけれど。廊下に響いていくのは、本当に申し訳なさそうな謝罪の言葉。

 

「別に、気にしてはいないから」

 

 自身の横を発生源としたその声に感じるのは、怒りとか不満より逆に彼への申し訳なさ。

 

「いつもはああではないんだが、研究の事となると周りが見えなくなってしまう人なんだ」

 

 ……集中力があり過ぎる、と。つまりはそういう事?

 

「後できちんと言い聞かせておく。だからどうか、教授を、あの人を悪い人だとは思わないでくれ」

 

 否定もせず肯定もせず、ひたすら謝り頼み込むような真剣な面持ちと声色。

 今もお世話になっている彼にそこまで言われてしまうと、さすがに私もその思いを無下に扱うわけにはいかなくなってくる。

 

「ジョシュア。本当にもう分かったから、大丈夫よ?」

 

 だから本当に。そこまで必死というか真剣に、本気で謝らないで欲しい。

 今日の事は別に彼自身が悪いわけではなく、むしろ彼はと言えばあの場で諌めようとしてくれていた側なのだから。

 

「……本当にすまない。恩に着る」

 

 そう言って再び申し訳なさそうに目を伏せる彼――ジョシュア・オブライエン。

 私と同年代くらいに見える彼がどうしてこうも謝ってくるのか。それは、私がフィオナの案内でラインアークに到着した際の出来事に起因する。

 

 ざっくばらん簡単に説明してしまえば、通されたその部屋で完全に無視されたどころか酷く邪険に扱われた。

 しかも、私をそこまで通すように言っていたらしい当の本人によって。

 

 その時、その部屋にいたのは二人。

 部屋までの案内をしてくれたフィオナと言えば、その人に言われて名残惜しそうな表情をこちらに浮かべながらも退出させられて。

 つまり、室内には私と『教授』の二人きり。

 

 二人きり、二人きり、だ。わざわざそこに通すようにと指示をしたぐらいなのだから、いくら忙しくても普通、一言ぐらいの挨拶とか声をかけるとかそんな程度はしてくれても良いと思う。

 

 でも、唯一かけられた言葉が「邪魔だ」の一言。

 

 咄嗟に浮かんだ思いは意味不明。

 言われた一瞬は言葉の意味すら理解できず、意味を理解した後も憤慨とかそういったものを通り越してわけが分からず、その場で思わず茫然としてしまった。

 

 そして、その一方的に異様な雰囲気、私が立ち尽くす中。

 慌てた様子のジョシュアが突然部屋に入って来て、今現在はそのままの流れでラインアークの案内をしてもらっている。

 

「まったく、あの人は……」

 

 男性にしては長い栗毛色の髪。それをオールバックのように後方へと撫で付けつつも、髪に癖でも付いているのか、額にかかる一房が少し気になる。

 そんな彼の表情や雰囲気はさながら紳士といった感じ。いや紳士というよりかは文学青年?本とかよく嗜んでいそう。

 

 ……これが私の抱くジョシュアへの第一印象。しかし、今はそのイメージもどこかに霧散中。

 

 今はただ、歩きながらも額に手をやった深い苦悩の様相。

 どうやら、あの教授の行動や態度は今回が初めてではないらしく、悩むジョシュアの体からは苦労人染みたオーラさえ見えている気がする。

 

 それでも、彼はさっきから教授をかばったりフォローしたりする口調ではあるので、憎んだり嫌悪する感情はないのだろう。

 こちらを気遣ってくれている彼がこうも慕っているのだから、あの教授も普段は悪い人ではないのかもしれない。

 さっきのアレからは、正直到底想像がつかない事だけれど。

 

「……えっと、ジョシュア?そういえば、フィオナはどうしたの?」

 

 ともかく、こうしていても埒が開かないし案内も進まないので、とりあえず話題を変更していく。

 

「ん?フィオナがどうかしたのか?」

「いや、退出させられた後、彼女の事を見ないなぁって」

 

 私の勘違いとかでなければ、案内します!って張り切って真っ先に飛び付いてきそうなのに。

 

「……そういう事か。すまないな、多分、私のせいだ」

 

 それは、どういう事?」

 

「いや、きっと君の言う通り、退出させられた後だったんだろうな。何故か暗い表情でとぼとぼと廊下を歩いていたので、そのまま暇を出したんだ」

 

 ……本来は今日、あの子のオフ日ではあったし、元々病院に行く予定でもだったからな。

 ジョシュアの言葉はそう続く。

 

「待って。……フィオナは、どこか悪くしてるの?」

 

 それは何と言うか、聞き逃せない言葉だった。

 私が案内しますからねっ!と言ってくれていた彼女の気持ちが、本当だったんだなぁという事以上に、強く気になる事。

 それに対する嬉しさ以上に強く思える事。

 

 フィオナが、病気?

 

「病気?いやいや、そんなものではないよ」

 

 そんなこちらの心配に反して、返ってくるのはごくごく気軽な反応。

 だけど、さっきは病院と。

 

「見舞い、に似た何かさ。フィオナ自体は元気そのもの、心配する必要はどこにもない。まぁ、世間知らずだったり、うっかりしている部分があるから、そこはある意味心配か」

 

 やっぱり気軽、ついでに冗談。

 

 と、そういえば、なぜ私とジョシュアとがこういった砕けた口調で話しているかといえば、それはまた案内開始直後。

 とは言っても彼が敬語で堅く話しかけて来たので、フィオナに倣って私が最初に提案をした。ただそれだけの事。

 

 いつまでも煮え切らず頑固に渋るジョシュアの意志を押し切るのは、中々大変だったと一応言っておく。

 

 何はともあれ、とりあえず……フィオナに何もなくてよかった。

 

「心配に感謝を。しかし、その言葉は直接あの子に言ってあげるといい。きっと喜ぶ」

 

 うん。そのつもり。

 一緒にご飯食べましょう?とか約束を色々してたから、その時にでも。

 

「そうか。それでは、そんな君に一つ頼みが、いや頼みとして言うのもおかしな事かもしれないんだが……」

 

 何?何だか言いにくそう?言い淀んでいるというか何と言うか?

 続く言葉を待っていると、やがて決心が付いたのか、先程とはまた違う真面目な顔で口を開かれる。

 

「君が良かったらで構わない、フィオナと友人になってはくれないか?」

 

 はい?いきなりまた、どうして?

 

「ああ。あの子は今まで教授と共に世界を転々として来ていてな。その為、親しいと呼べる友人があまりいないんだ」

 

 とても、そんな風には見えないけれど。

 元気で明るくて、あとはそう、少しのそそっかしさを感じる彼女なのに。

 

 ……もしかしたらそれも、行った先で出来るだけ友人を作りやすくする為?

 

「だから、あの子と仲良くしてやってくれ」

 

 そう考えてみると、ジョシュアの真面目さや真剣さが疑念を後押ししているように錯覚する。

 何とも深刻そうな表情、言動。

 でも、例えそうだったとしても、そもそもそうでなかったとしても、私の選ぶ結果には何等関係がない。全く変わりがない。

 

「ええ。そんなの私から頼みたいぐらいよ?」

 

 本当に。むしろ大歓迎。

 

「そうか。ありがとう、ナターシャ」

 

 笑顔でもなく、真顔での言葉。

 こうも真剣に感謝されるのも何だか不思議。ついでに照れ臭い。

 ただ私はしたいようにしようとしているだけなのだから、別に感謝されるいわれもないというのに。

 

「まったく、大袈裟よ?」

 

 フィオナと仲良くなりたいから、仲良くなる。

 それ以上でも以下でもなくて、ただただ私の意思によるもの。本当にそれだけの事。

 

 しかし、そういえば、先程から何とも少し心配性にも感じる彼の行動。

 それはきっともしかするとになる事なのだけれども……。

 

「ジョシュア。あなた何だか、あの子のお兄さんって感じね?」

 

 お兄さんというより、心配する様子はお父さん?

 気分は冷やかし半分。堅い彼をからかおうと思ったのだけど、当のジョシュアの反応というと、予想に反して何だか誇らしげに胸を張っている。

 

「まぁ、な。実は昔から、フィオナの兄貴分としては名が通っているんだ」

 

 曰く、フィオナは二人目の妹分だとの事。

 じゃあ、一人目はと聞いてみれば、「今は悪い虫に〜」とか、はぐらかすわけでもなく少し機嫌が悪そう。

 ……とにかく、血は繋がってなくても、フィオナの事は本当の家族で妹みたいに思っているみたいだ。

 

「その通り。私にとっては確かに家族のようなものだよ。フィオナだけでなくここの人達も皆」

 

 神妙?思い返すようにジョシュアはそう話す。表情は笑みこそ浮かべてはいないけれど、柔らかく。

 こんな表情も出来るのかと意外に思えてしまう程に穏やかに。

 

「……ごめんなさい」

 

 それに対し、私の口からは自然とそんな言葉が漏れ出していた。

 

「どうしたいきなり?そう謝られても困るんだが」

 

 確かにいきなり。その言葉は尤もなものだ。

 

「教授の事よ。……私、最初あの人の事を悪いように言っちゃったでしょう?」

 

 でも、あの表情と言葉。

 きっとジョシュアにとっては家族も同然なのに。私はそんな人に対して、非難や文句や愚痴など自分勝手な事を好きなように言ってしまって。

 大切な人へのそういった言葉を聞かされるというのは、どう考えても良くはない気分だったと思う。

 

「いや、謝る必要がどこにある?悪いのはどう考えてもあの人なのだから当然の事、それこそ自業自得というものだろう?むしろ謝るのはこちらの方だ」

 

 それでも折れず、逆に謝ってくる彼。

 当然私も、折れる事はそう易々とは出来ないし、したくはない。

 

 ――ごめんなさい。すまない。こっちこそこちらこそだ……。

 

 その結果、発生したのは謝罪の押し合いへし合い。

 互いに悪役を引き受け合う、よく分からない争い。

 

「……何だか、振り出しに戻った感じね」

「……そうだな」

 

 歩きながらも争い続け、残ったのは本当によく分からない互いに感じた寂寥感?

 本当に何をしているんだろう?私達は。

 

「じゃあ、互いに謝るのは無しという事で良いかしら?」

「少なくとも、その方が建設的か」

 

 一応は相手の気持ちを受け止めつつも、相手に自分の気持ちを受け止めといてもらう。どちらがではなくて、互いに。

 結局答えは出ないけれど、この場では正答などあってないような存在なので。

 

「あ、でも、一つ言っておくと……私、今回に限って、教授には謝らないわよ」

 

 謝るの禁止の停戦協定のついで、今の内にこんな事も。

 

 本音を言えば、あんな邪険に扱われて傷付いた。転じて、こう……イラっとした。頭に来た。

 ジョシュアに免じて悪くは言わないけれど、今のところ良いようには思わない。本当に思えない。

 だから正直に。悪く言うのではなくて良くは思えてないという事を、はっきりとここに宣言する。

 

「ナターシャ、君というのは……」

 

 額を揉むように手を頭に当てて、溜め息をつくジョシュア。

 呆れるなら呆れなさい。それでも発言や意図を覆す気は全くない。少なくとも私には。

 

「……だが、そうだな。それで良いさ」

 

 ――あの人がどんな人なのか、直に分かる事だからな。

 

 いきなりの宣言に彼も何かを言いかけるも、教授の人柄については何か大きな自信を持ち合わせている様子だ。

 

 ならば、せいぜい期待させてもらおう。確認させてもらおう。

 本来のあの人がどんな人なのかというのを。

 彼の家族だというあの人がどのような人なのかを。

 

「まぁ、これからよろしくね、ジョシュア」

 

 ここで過ごしていく、これからの中で。

 

「ああ。よろしく頼む。いや、その前に……」

 

 そうして私から差し出す右手。

 ジョシュアも応じるように右手を差し出すが、それが急に空中で停められた。

 

 一体何がと感じるも、その手は停められ引かれ、次の瞬間には左手も伴って大仰に大きく広げられる。

 

「ようこそ、ラインアークへ」

 

 ああ、なるほど。

 よくよく考えてみると、それはここに来てから初めて聞く種類の言葉だ。

 フィオナは始めよりフレンドリーではあったけれど、質問と説明と笑顔に忙しく言ってはいなかったと思う。

 

「本来ならまず、代表たるあの人が君に言うべきなのかもしれないが、今は代わりに私が歓迎しよう……よろしくな、ナターシャ」

 

 そんな納得の内、彼からは歓迎の言葉。同時に今度は彼から差し出される右手。

 始まって早々の開始際に『手厚い歓待』を受けたとは言っても、それとこれとは別の時間、別人による別の話。

 

 つまり、これを断る理由などはどこにもあらず……私は快く、笑顔で右手を彼の右手へと重ね合わせていく。

 

 

 

 

 そうしてそれから、ほんの少しの時が飛んだ、その翌日。要するに滞在二日目。

 

 ……私は久しぶりの空にいた。

 前日、ジョシュアとの別れ際に聞いた指示通りの屋外試験場。ラインアークの保有する、その空。

 

 ――風を切り、風を追い越し、新たな風となる。

 

 巡航モード。

 両翼、スラスターの正常稼働を確認。加速。リミッター制限下という条件の中にも関わらず、機体は音速の壁を易々と突き抜ける。

 

 風を捉え、風を超え、今度は音さえも背後へと引き連れて。

 超音速。その速度域。いくらハイパーセンサーによる引き延ばされた感覚の中であっても、文字通りのあっという間の内に機体が試験場の端へと到達してしまう。

 

 実時間では、ほんの一瞬。

 正面には自らに迫る色付いた半透明の壁が見える。

 接触までは、さらに一瞬。

 その間に大型PIC制御翼たるマルチスラスターによる機体制御を実行、衝突寸前のタイミングで進行方向を急速に転換。速度を軽く落としつつ、球状の壁に沿うようにその頂点を目指していく。

 

 バリア越し、広がっているのは外部の風景だ。

 ここに来るまでに見た延々と荒野が広がる大地の姿。遠くには町の光景。さらに遠く、これは機体によるデータ照合と補正の映像?海が見える。

 そういえば、「近くはないけれど、そこまで遠くはないですよ」って、昨日フィオナが言っていたっけ。

 

 思い返している間にも、視界は見上げるように空とご対面。

 場所は丁度、試験場の中心上空。その半球状の頂点に来たのを確認すると同時に、機体を停止させそのまま空を眺めてみる。

 

 バリアの向こう側は、照らし続ける太陽と広くて青い自由の空。

 私が飛ぶこちら側は、秘匿と防護の機能を誇るシールドに切り出された低い空。

 

 今はまだこの中でしか飛べないけれど、いつかはきっとさらに広いあちら側で。向こう側へ。

 

 そんな望みと共に、壁へとゆっくり手を伸ばす。

 壁とは言っても壁に見えるだけで実体はなく感触もない。まるで煙か何かに手を入れるような感覚。空間が色付けされている。

 

 さらにそのまま手を伸ばし、薄いそれを抜けようとする。しかし、どうも壁の機能が発動してしまったみたいだ。

 薄い色付いたバリアの先に、小さくもう一つ濃い赤みを帯びた壁が瞬時に生まれ出た。

 私の手の延長上に現れた事から、今生まれたこの壁こそがこの機能の本命なのだろう。

 

 そうしてその効果を確かめる為、さらにさらにと私は手を伸ばして……。

 

『こら、ナターシャ君。あまり悪戯をしないでもらえるかな?それの消費電力は中々馬鹿に出来ない物なのだよ』

 

 ……怒られた。

 

 でも、通信によるその声は、怒りというよりかは温かく見守ってくれているような印象を受ける。

 どうにも、こちらの気持ちが見透かされている様子。

 

『あと、そろそろ確認と調整を行う。一度戻って来てもらえるかね?』

「……了解しました」

 

 続いて一旦の帰還命令が下る。

 別にさっきの悪戯が原因というわけではなく、これは時間的にもスケジュール通りの物。

 それに、まだまだ空は名残惜しいけれど、時間はたっぷりあるぞと始める前にちゃんと言われている。

 

 という事なので返事だけは素直に返し、空に面する体勢をそのままに……力を抜いて全身を弛緩させていく。

 全スラスター停止、PICも暫定停止。

 機体は私の思考に応じて機体制御を放棄。そして訪れるのは物理法則。

 機体と身体が重力に引かれ、次第に地上への落下を始める。

 

 空を臨んだまま、背面からの自由落下。

 昇る空。遠くなっていく空。風を感じながら落ちていく。

 通信が一瞬騒がしくなったけれど、大丈夫と答えてみれば静かになってくれた。

 それでも耳元は尚も騒がしい。しかし今捉えているのは声でなく――風。

 

 速度を増し、音が大きくなる。

 身体を、強い風が押さえ付けてくる。

 

 さっきまでは、シルバリオ・ゴスペルが防いでいてくれた物達だ。自然の産物。

 彼らを目いっぱいに身体いっぱいに感じ満喫している。

 ついでに今は、通信の方も風の音が響いていてあまり聞こえていないだろう。というか感度はさっき下げさせてもらった。

 

 だから、誰も聞いていないこの瞬間、たった今だけ私だけのこの瞬間に。

 

「―――――――ッ!!!!」

 

 笑う。笑ってみる。大声で。大空で。

 

 この子と飛んでいる。また飛べている。

 あの時奪われたと思った翼がついに戻った。

 基本動作、各種マニューバの確認でも私の感覚は鈍っていない。機体もきちんと追従してくれている。

 以前と変わらない反応感覚感触。共にいるイメージ。一緒に空を行くイメージ。

 

 全ては本当に変わっていない。全部が全部、全てが全て。前とは何も。本当に何も。

 

 それはまるで――七月のあの日。初期化以前、あの頃のように。

 何の縛りもない自由の空を共にした、あの日々のように。

 

 ああ、本当に良い気分。気持ちの良い時間。気持ちの良い場所。それが私にとっての空。私達の空。

 

 ……しかし、楽しい時こそとはよく言ったもので。

 

 憩いの時間もすぐに過ぎてしまって、地面がすぐそこまでに迫っているのが見える

。当然、確認次第、PICは再起動、慣性制御の回復を行う。

 それは目に見える効果をすぐに現し、落下速度を緩やかに軽減していく。

 

 落ちるから下りるといった速度、そこまで来たところで今度は姿勢制御。地面すれすれ、微かに浮きながら立つように身体を起こす。

 次いでマルチスラスターを点火。機体を小加速させる。

 向かうは彼らが待つ、ガレージ?まぁそんなところ。

 

 すると、ゆっくり進む私に向けて声が聞こえてきた。それは、まったくと呆れながらも心配してくれる声。

 私が対して返すのは、ごめんなさいという通信を挟んでの謝罪。

 

 まったく本当、聞こえてくる声は違っても、こんなやり取りさえ何だか懐かしい。

 本当に、アメリカでの空とあまり変わりのないようなやり取り。

 そう、私とシルバリオ・ゴスペル。例え飛ぶ空が変わっても私達は以前と何も変わらない。

 

 その事がとても嬉しくて楽しくて……どこか悲しい。

 

 ゆっくりと風を切って帰投する中、私の心にはただただ感情が渦巻いていた。

 

 

「次は機動イメージを」

 

 通信でなく、すぐ傍から聞こえる指示に従いイメージを機体へと伝える。

 されど機体はその場を動かず、マルチスラスターだけが意思に応え、瞬時に噴射口の向きを変えていく。

 

「スラスターノズル……推力、反応共に正常。タイムラグも誤差範囲内、意思伝達機構にも問題なし、か。ああ、もう大丈夫だ。降りて来てくれ」

 

 再びの指示。声の主は同一人物。彼の声に従い機体から降りていく。

 一方で最初以来幾度かの飛行を終えたシルバリオ・ゴスペルは、ピットに固定され展開状態のまま。今も整備員達が取り掛かり、各所のチェックが行われている。

 その中で指示を出していたその人物は、手にしたモニターの動きと数値を見ながらも機体に取り掛かる整備員と何やら会話のやり取りの真っ最中。

 

 そして地上に降りた私と言えば、受け取ったドリンクを傾けながら壁際にて、整備風景を眺めながら思考に耽る。

 

 ……今日だけでどれくらいの時間を飛んでいたのだろう?

 

 飛ぶ事に集中し過ぎて、飛行回数や時間の感覚なんかがどこかに飛び去ってしまっていた。

 きっと数時間の枠では収まり切らないだろう。

 始めた頃には真上にあったはずの太陽が、今や遠くに沈み始めている事からそれはもう確かに。

 

 何かの飛行条件などが付いていれば時間的な判断も出来ようがあったのだけれど。

 限定空間内とは言え「好きなように」の号令の下、ほとんど制限なく飛ばさせてもらったので、本当に自由気ままに今の今まで飛び続けてしまっていた。

 

「ナターシャ君」

 

 そうして、整備の様子をぼーっと見ながら考えて。

 ちょうどドリンクがなくなりかけた頃、指揮を取っていた壮年の男性が丁度こちらに近付いて話しかけてくる。

 

「さて、とりあえず、機体自体に問題は見られない。極めて安定した数値、文字通りの正常だと言っておこう」

「……ありがとうございます。イェルネフェルト教授」

 

 くすんだ短い金髪の白衣を纏った男性、私に指示を出していたこの人は、アルマス・イェルネフェルト教授。

 ラインアークの創設者であり代表であり、昨日私を邪険に扱ってくれた人でもある。

 

「感謝などするな。私はただ私のやるべき事をやっているだけだ。それに、今は問題がないとはいえ特定条件をキーにしている可能性も否定は出来んし、こちらの都合でもまだ君をアメリカに帰すわけにはいかんのでね」

 

 そんな人と今は何とも普通に会話。

 ……まぁ、それもそのはず。

 

『昨日は、本っ当にすまなかった!』

 

 開口一番。

 今日の昼頃、屋外試験場で顔を合わせた瞬間に起きた突然の謝罪。

 どうやら昨日、ジョシュアとフィオナによって散々叱られたらしく、なぜか地面に伏せるようにして頭を下げてきた教授。

 何でもその姿勢は、日本にいる友人から教わった最上級の謝罪方法だそうで。

 

 少し警戒しながら身構えていた私としては、あまりにいきなりの事だったので面を喰らって、昨日とのあまりのギャップに困惑して、もう何だか本当はこういった感じの人なのかなと受け止めるしかなかった。

 そんなこんなの有耶無耶で、面と向かって話してみれば案外気の良い人で、昨日の教授が夢か幻かと思えてきて。

 思わずなるほどと昨日のジョシュアの言い分に納得してしまっていた。

 

「しかし、この機体は酷く技術傾向が偏っているな」

 

 昨日と今日。私がそのギャップについて考える中、整備員に囲まれたシルバリオ・ゴスペルへと視線を遣りながら教授が語る。

 

「GAとオーメル。彼らの共同とは聞いているが、基礎フレームの構造などは丸々オーメル製だと言っていい」

 

 それは初耳だ。確かに、GAにあるまじき機体だとは思っていたけれど。

 何せGA自体はイグニッションブーストの簡略化に四苦八苦している状況なのに、あの子といえば既存の機体を遥かに凌駕する機動性をも持ち合わせているのだから。

 

「だが、偏ってはいても、オーメル機体特有の機動ポテンシャルとGA機体の優れた火器管制システム、互いの長所を組み合せるような機体構成。……現段階においては最も完成された機体と言えるだろうな、君のシルバリオ・ゴスペルは」

 

 語る教授の手には小型の情報端末。その画面左半分には先程の私の飛行データ、機体に取り付けていた記録装置によって保存されていた映像。

 右半分には機体構造や速度、各運動時の荷重や負荷情報などが、色や数値で映像に合わせて目まぐるしく姿を変え動き回っている。

 

「お詳しいんですね?」

 

 軍からシルバリオ・ゴスペルのスペックデータが送られているとは言っても、何だかもう扱いが随分と手軽で気軽な感じ。機体への理解が深い部分まで及んでいる様子。

 加えて、愛着?よく分からないけれど、そんな感情さえそこにはありそう。

 

「まぁな。昔というほど昔ではないが、昔取ったキネヅカという奴だ。君もユディトの名前ぐらいは知っているだろう?」

「確か、オーメルの第三世代機の?」

 

 ユディト。

 それは、アスピナの技術公表の際に発表された機体であり、第三世代機体の元祖、先駆けとなった存在。

 今ではオーメルやイスラエルの標準機体でもあったはず。

 

「ああ、そのユディトだ。実の所……あれは、私の作品だったりするのだよ」

「そうなんです、か?」

 

 えっと作品。つまり教授はユディトのアーキテクト、設計者?

 でも、それだとなぜここに?ではなくて、ユディトに関して……でもなくて。

 とりあえず、一体何から尋ねれば良いのだろう?

 

「正式にアスピナを離れる為の取引と言った所か。イメージ・インターフェイスの応用技術、温めていたそのアイディアを取り入れたアレを研究所にぶち込んでそのままここへやって来たというわけだ」

 

 混乱する私とは対照的、私の驚く様を楽しむかのように教授は尚も饒舌に話を続けている。ユディトについて、ラインアークについて、その経緯を交えながら。

 そんな中でやっぱり度々登場しているのが、アスピナという単語。ISに関わるものなら、まず気になるその言葉。

 

「あの、教授はアスピナと関係が?」

「頭に元が付くがね。だが、それは私だけの話ではないぞ。ここラインアークにおける約半数が元アスピナの研究者や技術者、そういった連中なのさ」

 

 それで早速尋ねてみれば、今度はラインアークについてのこれまた意外な答え。

 今も作業を行う彼らの大半が、教授の元部下でよく気の知れた存在なんだとか。

 

「アスピナのネームバリュー。こんな僻地まで飛ばされはして来ても、とにかく安心だけは出来るだろう?」

 

 ……ええ。それは、まぁ。

 元とはいえ、世界最高と名高いアスピナ機関の技術力。研究への協力の為に私はここへと派遣されたのだけれど、その過程でも何でも、彼らの恩恵に預かれるのだとすれば心強い以外の何物でもない。

 

「それに、この機体はそのユディトの流れを大いに含んでいる。私達にとってはつまり自分の子供のような……いや孫か?」

 

 機体を眺めるその横顔は何だか慈しんでいるようにも。

 

「しかも、オーメルのユディトとGAのサンシャインとが融合したとも言える最高のシステムだ。……そんな物に触れられるというのは、いつだって心が躍る」

 

 今度はそう言って、教授はふむふむとどこか嬉しそうに仕切に頷いている。

 こうも手放しにシルバリオ・ゴスペルを褒めてくれるのは、我が身の事のように嬉しい。

 でも、語られる評言には少し引っ掛かる部分もあったりして……。

 

「ですが、教授?最高という意味でしたら、新しく日本に」

 

 その部分とは『最高』という言葉。不本意ながら、既にそれが更新されつつあるかもしれないという事柄に関して。

 

 肩書きの更新。

 それを為したのは世界と一線を画した、篠ノ之束博士曰く『第四世代機体』。

 リミッター制限下においても、こちらに匹敵しようかという性能を持つイレギュラーナンバー。

 

「ん、ああ、紅椿だったか。しかしあれは、タバネが妹の為だけにプレゼントを贈ったといった所だろう?」

 

 そう、一戦を交えたあの赤い機体、紅椿…………についてなのだけれど、教授は我関せず。特段気にする様子なし。

 

「いくら高い性能を誇っていたとしても、他人が扱う事を考えず一個人にしか扱えないそれを優れたシステムだとは決して言えんさ。タバネとてそんなものは分かっているはずだ」

 

 興味や関心は紅椿よりシルバリオ・ゴスペルの方にあるからなのか、話は手にある端末を適当といった感じで弄り眺めながら。その後には、まぁ規格外ではあるのだろうがねと言葉が続く。

 

 最高の機体?システム?一体どういう事?

 単純な性能では紅椿が上と認識しているような教授のニュアンスだ。

 それなのに、最高はシルバリオ・ゴスペルだと言っている。

 

「……ふむ、何と言えば良いのか?つまる所、私の指す最高のシステムとは、誰が扱っても最高を示し出せるというものなのだよ」

 

 誰でも、扱える?

 

「そう、誰でもだ。個人の資質に左右されにくい高次元での安定した能力、安定した性能。それは過度なパーソナライズを施され、且つ量産が考えられていない紅椿ではまず為し得ない事だ」

 

 個人に依らないハードウェアとしての安定した能力。求めているのはそういう事だと教授は言う。

 

「……高機動高火力。尚且つ機体のバランスを破綻させず、操作性をも両立させて見せたシルバリオ・ゴスペル。これこそ、その意味での最高には相応しいだろう?この機体ならば、誰が操ったとしても優れた結果を残せるはずだ」

 

 個人に合わせたのではなくて、万人に合わせたハード。

 ある個人にとって最高が紅椿であるならば、シルバリオ・ゴスペルは多数にとっての最高。言わば現時点における最良の機体。

 

 確かに、シルバリオ・ゴスペルは非常に扱いやすい。

 通常動作は元より、超音速下においても難を覚えられないという極めて高い操作性と安定性を実感させてくれる程に。

 通常の機体であれば、そのレベルに達するまでに別個の習熟訓練が必要不可欠である事を考えると、その驚異性は言わずもがなというもの。

 

 ただ、その教授の言い方だと乗り手である私を馬鹿にしているようにも聞こえなくもない。

 シルバリオ・ゴスペルをまるで、技量なんて関係ない馬鹿でも乗れる機体だとでも言うように。

 

「いや、もちろん搭乗者の経験と技量も重要だぞ?単純であるからこそ難しくもあり、それこそ、搭乗者次第では最高を超えた未知の場所まで行く可能性すらあるんじゃないかと思っているよ」

 

 返ってくるのは、怖い顔をしてくれるなと言いたげなわざとらしい笑いを伴った言葉。

 

 ……本当、それなら良いのだけれど。

 

 少し胡散臭く思いながらも、教授の笑い声を聞き流し、その笑みを横目に小さく一つ息をついてみる。

 

「さて、ナターシャ君。君はシルバリオ・ゴスペルの操者であるわけだが」

「……はい?」

 

 すると聞こえてくるのは、どこか悪戯っぽい声。やっぱり胡散臭く感じながらも俯いた顔が反射的に下から上へ。

 上がった視線の向かう先つまりは教授の面持ちは、大袈裟な笑みから不敵な笑みへといつの間にか姿を変えていて。

 何だろうとこちらが尋ねる間もないままに、にやりとしたどこか挑戦的な表情で私にある問いかけが為されていく。

 

「君は、その高みに登れる者か否かどちらだと思う?」

 

 挑発か激励か、教授はこちらを煽るように。本当に不敵な表情で。

 

 それに対しての答えはまぁ……一応、自信はあると言っておく。

 私とて今はテストパイロットとしての座にはあれど、競争を勝ち抜いて国家の代表となった人間の一人だ。

 自身の力を信じているし、何よりシルバリオ・ゴスペルの事も信頼している。

 でも。

 

「その表情……今のシルバリオ・ゴスペルはもう以前のシルバリオ・ゴスペルではない、かな?」

 

 そう、この子は初期化処理を受けた。

 それは機体の性格をフォーマット化する事。つまり、ISの個性を殺す事。

 今のシルバリオ・ゴスペルがシルバリオ・ゴスペルである事に間違いはない。飛んでみた感覚でそれは実感した。

 しかし、かつてのあの子はもうどこにも……。

 

「だが、それは間違いだぞ、ナターシャ君。初期化されたとしても、シルバリオ・ゴスペルと君との時間が消えたわけではない」

 

 これはもしかして、私を慰めてくれている?

 昨日の教授と比べたら本当に別人、まるで別人。

 科学者や技術者としても、時間がとかそんなロマンチックな言葉は何だからしくない。

 

「いや、違う違う。感傷による比喩的表現ではなくてだね、論理的問題だ。本当に消えてはいない」

 

 教授は少しおどけるように軽い笑いを浮かべながら。

 手に持った端末をしまい込んでは、意識を完全にこちらへと向けていく。

 

「まず、君は初期化という物がISにとってどんな物なのか知っているかね?」

 

 語られる問い掛けからの話、説明。それは腕を組み身体を壁へと寄り掛からせながら。

 

「初期化とは言っても機体のデータを消し去れるわけではなく、単にフィッティングを施した機体の設定をパイロットの適合準備状態に戻していく、ただそれだけの作業なのだよ」

 

 話す表情は至って真面目に、真剣に。一人の研究者としての顔で。

 どこかで見た覚えがあると思えば、身に纏う雰囲気自体は違えども、まさに昨日の教授の顔だった。

 私もその真剣さに応じるように、自然と姿勢を正してしまう。

 

「そもそも、彼らのコアは未知の存在……言わば聖域だ。そんな物のデータをどうやって消し去れる?アスピナにおいても推論のみで誰も辿り着けていないその場所を。タバネの開示した情報に従い動かしているに過ぎない、この現状で」

 

 ――未知の存在。未知の領域。そんな物を消し去ろうなど、私には恐ろしくて出来んよ。

 

 平静を努めてそう言いながらも教授が一瞬見せる、悔しげな苦味を噛み潰したような表情。

 感じ取れるのは進まないコアの解読に対する無念さか、はたまた……。

 

 いや、でも、こう言っては申し訳ないのだけれど、今聞きたいのはそんな教授に関してよりもシルバリオ・ゴスペルについての情報だ。

 あの子は消えていない。それが教授の説明が意味する事。

 

「ですが、シルバリオ・ゴスペルのフォームシフトは確かに解除されていて」

「ああ、確かに。初期化によって今まで積み重ねて来た時間と経験がリセットされてはいるな。セカンドシフトから今の状態に戻っている事からも、それは明白な事だ」

 

 リセット、そうすると、やっぱり……。

 

「しかし、だ。私見も込み入ってはいるが、彼らの個性という物についての推察を述べさせてもらいたい」

 

 そうして、私が落ち込みかけたその時、私の言葉に割り込むような少し強い語調。

 

 ……良いかな、ナターシャ君?

 

 いきなりの許可の求めには、もちろんイエスの答え。

 返事の返事。ごほんと一度咳ばらいをした後、教授による新たな説明が始められていく。

 

「まず大前提として、彼らの個性という物は経験から形成される。どのような装備を付けられ、どのように動かされたのか、そういった機体自体の使用経験……それによって土台、すなわちIS各機の大まかな性格が形作られている」

 

 それは、個々の機体自体が持つパーツの好みというものがそこから来ているという事を言っているのだと思う。

 

「次に、その性格や個性を細やかに分ける要因となるのが搭乗者の存在だ」

 

 説明が続く。

 

「ISは搭乗者に合わせ、その性格を柔軟に変化させる……搭乗者を解析する事でな。それが一般的に、フィッティングと呼ばれている物だ」

 

 つまり、フィッティングとは私達を基点として機体に新たな個性を授ける作業という事?

 

「新たな個性?ああ、その認識で間違いはないだろう。……では、ここでさらに君に質問だ」

 

 ……一体何なのだろう?

 教授に視線を返しながら、疑問と共に頭を傾げる。

 

「その機体の乗り手が代わった場合、かつての個性がどこへと向かうのか。ナターシャ君、それを考えた事はあるかい?」

 

 私の行動を肯定と受け取ったのか告げられる問い。内容はこれまでの個性の行方について。

 

 言われてみれば、今まであまり考えもしなかった事だ。

 憧れ、目指し、出会い、喜び……そして今へ。

 初めて出会った時の気持ちを忘れてはいないけれど、私はあの子をあの子だとしか認識していなかった。

 

「ふむ、そうか。だが、そういった個性という存在は消去される事なく、そのまま機体に保存されているのだよ。確かに残っているんだ」

 

 こちらの反応を見るなりのそうだろうなという小さな声。

 まるで始めから分かり切っていたような様子で小さく頷くと、教授が問いへの解を示し出してくる。

 

「彼らの個性や性格とはすなわち情報、データの集合体に過ぎない。そしてそういった一度形作られたデータはISのストレージ内に保存され、中でも有用と認められた物がその場所より抽出される事で次代へと自動的に応用、つまり引き継がれていく」

 

 確信と未知、その狭間の事象、結果だけの事だがね、と浮かべられる苦笑い。

 しかしすぐに、緩めた表情が引き締められ言葉が続く。

 

「ISは生きているとか常に進化しているなどの言葉を、君も聞いた事があるだろう?」

 

 まぁ、それはISを表現する際によく言われている事でもあるから、もちろん私も。

 

「しかし、それは紛れも無く真実であり、本当の意味での『常』を意味するのだよ」

 

 常?

 

「そう常だ。搭乗者による運用術からその時その時、毎時毎分毎秒の感情思考はては記憶までも。生み出された情報を蓄積し続け、その蓄積された情報を糧として彼らは進歩と進化を遂げていく」

 

 ……何だろう。

 熱弁を奮うその表情は真剣そのものではあっても、少しの違和感がある。

 私に対しての言葉ではないような、ここではない誰かに問いかけるような、どこか遠くへと言葉を届けているような。

 

「ISの成長、人を学んだ機械の行く着く先。もしかしたら、タバネはそれを求めてISを作ったのかもしれんな。……所詮はあの子の思考を予測したに過ぎないが」

 

 ISが作られた理由?しかも、タバネというのはきっと篠ノ之博士を指しているはず。加えて、その博士をあの子呼ばわり。

 教授はあの篠ノ之束と知り合い?いや、だとしたら、さっきのは当の博士への確認に似た言葉だったのかもしれない。

 

「……おっと話がそれたか。まぁ、要するに。初期化というのは機体のデータを眠らせた状態にする作業なわけだ」

 

 話が戻る。

 色々と聞いてみたくはあるけれど、それは後で。

 今は教授の言葉に、ただただ耳をすましていく。

 

「確かに、機体は経験という新たな情報の獲得により成長を遂げ、個性もまた変化を会得する。しかしシルバリオ・ゴスペルの場合は君がまたすぐに乗るのだから、機体にとってみれば、データの混在する余地はなく眠らせていたデータをただ揺り起こしていくだけでいい」

 

 えっと、つまり?

 

「そう、つまり。機体が以前の状態に戻るのも時間の問題だろうと私は考えている。あるいは、既に取り戻しているやもしれんとな。……尤も、それは君とその機体にしか感じ得ぬ事だがね」

 

 教授はそこまで言うと、大きく息をついた。

 同時に、引き締められた顔を崩し、興味深そうな好奇心に富んだ表情が私をその瞳に捉える。

 

「で、実際にはどうだったんだ?共にあって違和感はあったのか?」

 

 真剣でも真面目でも一応ありながら、気楽そうな質問。

 問われるのは今日の飛行について。

 

 それにしても……違和感?

 そんなものは全くない。あの子はあの子のまま。私の知っているシルバリオ・ゴスペル、空が好きなあの子のままだ。

 

「そうか、それは僥倖。なればこそという物だ」

 

 正直な感想を口に出して見れば、腕を組みながら教授がどこか満足そうに再度頷いてみせる。

 その満足げな顔はシルバリオ・ゴスペルをユディトの子だとか、孫だと言っていた影響?喜んでくれているというのはよくわかる。

 

 とにかく、この人、イェルネフェルト教授の言葉によって、シルバリオ・ゴスペルがシルバリオ・ゴスペルのままだというのは……分かったような分からないような。きっとこれは、昨日の事もあっての信頼関係の問題から。

 それでも本心では、安心というか励みになったというか、ありがたく思えてはいる。

 

 けれど、一応の安堵の裏側では、あの暴走したデータが残っている事に不安が今少し残っているのも確かでもある。

 もしまた暴走してしまったら、今度はどうなってしまうのかという不安の種が。

 

「……心配かね?」

 

 燻る感情から視線をシルバリオ・ゴスペルへと向けていると、私には先ほどより何とも穏やかな声が向けられる。

 

「まぁ、無理もないな。暴走したというのは変えようのない事実だ」

 

 言葉は私と同じくシルバリオ・ゴスペルを眺めながら。

 しかし、私と異なるのは自信に満ちた表情、今は穏やかながら強い意志を感じさせる瞳。

 

「それでも、心配に感じるのであれば今はとにかく信じたまえよ。自身のパートナーであるシルバリオ・ゴスペルの事を」

 

 ――君のパートナーは君を守る為に抗ったのだろう?

 

 それは今度こその明確な励まし。助言だ。

 その言葉に、ああ、と思う。

 

 ……あの時、あの子は私を守る為に戦っていた。

 望まぬ戦闘と機体自身の経験不足故から劣勢となった戦況。

 そして、訪れた危機に対して行われた、機体への負荷を省みない無理矢理のセカンドシフト。

 

 こちらの操作を受け付けない暴走状態とは言っても、その行動はきっと私の為だった。

 

「ならば信じないでどうする。君を想うパートナーに君が応えないでどうする。互いに信じ合ってこそのパートナーなのだぞ?」

 

 言葉が意味するのは、互いに支え合う関係。

 それはある種、重みのあるもの。

 重みは重みでも、どこか心地の良い重み。忘れてはいけない大切な重み。大切な事。

 

 そう、あの子と私はパートナーだ。

 あの事件で、どれ程の信頼をあの子が失おうとも決してそれは変わる事はない。

 

 だったら……誰よりもまず私が、あの子を信じてあげずにどうするというのか。

 私が信じられずに誰が信じてあげられるというのか。

 

「……何だか、ありがとうございます、教授」

 

 『少しだけ』身をつまされる気持ち。

 こちらを気遣ってくれた事に感謝をと思う。

 

「教授?」

 

 いや、思いはしてみた。実際に口にも出してはみた。

 

「ああは言ってみても、紅椿もやはり弄ってみたい物ではあるよな。だが、タバネに頼もうにもあの子の事だからなぁ……そもそも居場所も分からんし」

 

 しかし、当の教授と言えば、まだ見ぬ機体に思いを馳せて自分の世界へ没頭中。

 照れ隠しとかならまだしも、全く私の話を聞いた様子もなく一人真剣に半ば悩むように呟いている。

 

 さてこうなると、改めて感謝を述べるタイミングや雰囲気でもなく、私にとってみればどうすれば良いものやら。

 

「えっと、篠ノ之博士とはお知り合いなのですか?」

 

 というわけなので、タバネ、あの子、呟きの中で繰り返される単語。その真意について興味本位で聞いてみる。

 

「ん?ああ。彼女――タバネとは個人的な面識があってね。人見知りだったあの少女が、今はああも溌剌とやっている姿を見ると……いやはや何とも感慨深いものだよ」

 

 少女?

 昔に会ったという事だろうか?

 

「まぁ、チフユという友を得た事がプラスに働いたという事だな。とは言っても、あの二人の関係はタバネにとってもチフユにとっても、掛け替えのない物なのだろうが」

 

 ……チフユ?織斑、千冬?

 

「そう、今ではブリュンヒルデなどと大層な名で呼ばれる彼女だよ。その彼女も昔にね。いや、織斑の息女と聞いた時は……と、ああ、そうだったな。確か君もチフユとは面識があるのだったか」

「ええ、一応は……。そこまで親しいというわけではないですが」

 

 まぁ、互いに面識があって会えば話をする、その程度。

 友人というよりは代表、元代表のコミュニティでの仲間といった風だろうか?

 ビジネスライク、表すならこれが一番適切かもしれない。

 

「だったら、そうだな。……もし彼女と会う事があればよろしく伝えておいてくれ。君の方が話す機会はあるだろう」

 

 私にはもう少し気になる事が残っていたけれど、教授はこの話は終わりだと言わんばかりに壁から離れ、シルバリオ・ゴスペルの方へと歩み寄る。

 

 こちらに二、三度手を振りながら、小さくなる背中。

 作業の真っ最中だった整備員達も彼の姿を見るなりに、機体から離れ少し会話を交わしたと思えば、作業を急遽中断。機材の片付けへ作業を移していく。

 

 今日はもう終わり?

 

 そんな風に思える少し慌ただしくなった環境の中、一人教授はピットの機器を慣れた手付きで操作を行う。

 それに合わせるようにして、整備の為に展開状態で固定されていた機体は、操作に応じて瞬時に姿を消した。

 

「さてと……ほれ、ナターシャ君」

 

 一連の光景、一体何をと教授の背中を眺めていれば、振り向きながら不意に教授よりモノが投げかけられる。

 

「え?」

 

 投げかけられたモノ、それは二つ。

 一つは言葉、もう一つは何か。耳に入ったのは声で、目に入ったのは飛来物。

 

 いきなりの出来事。でも反射的に身体が対応してくれる。

 小さな放物線を描いて向かってくるモノ、対して掲げた右手。

 私はタイミング良くつかみ取って、何とかそれをこの手の内に収める事ができた。

 

「大事にしたまえよ」

 

 かけられる二つ目の声は柔らかな笑みと共に。

 

「……はい」

 

 投げた本人がとも思いはするけれど、私の返す言葉も笑みと共に。

 文句よりも何よりも、今の気持ちはそれしか考えられないものだから。

 

 ――つかみ取ったもの。

 手の中にあるのは、親しみ深い小さな金属の感触。小さなロザリオ。私のシルバリオ・ゴスペル。

 

「何せISとは、君のあらゆる想いに全力を持って応えてくれる、素晴らしき存在なのだから」

 

 はい。

 再度の声、再度の返事。

 右手を強く握りしめて。

 何より大切なその存在を感触として確認しながら。

 

『お父さーん!ナターシャさーん!』

 

 と、そんな時だ。

 

『ジョシュアも待ってるから、ご飯食べに行きましょうー!』

 

 喜びや嬉しさ、そういった種類による感傷に浸っていると、室内に明るい呼び声が反響した。

 

「はは、まったく、相変わらず騒がしい子だ」

 

 ええ、何だかそれには私も同意。昨夜の夕食の際も色々と楽しく過ごさせてもらった。

 そういえば、今日はもう良い時間だ。近くの窓より見上げて見れば、月の丸い姿さえ姿を覗かせている。

 

 静かな光に照らされる、あの空。

 そこを今さっきまで飛んでいたと飛べていたと、そしてまた飛べるのだと思うと、気持ちがまた静かな昂揚によって染められていく。

 

 ……夢じゃない。夢には見たけど夢ではない。私達はここから再び歩き出せる。飛べる。飛んでいける。

 

「……それではミス?」

 

 空に馳せる、これからのそんな思いに浸っていれば、今度は感動を遮るような畏まった声が唐突に私を襲った。

 

「共に食事などはいかがですかな?」

 

 我に帰り慌てて空から視線を戻してみる。

 すると、目の前には何だか似合わない紳士の姿。

 私のイメージの先行によりという可能性も無きにしもあらずだけれど、やっぱり似合ってはいないと思う。

 

「ええ。その誘い、喜んでお受け致しますわ、ミスタ」

 

 ……それでも、対する私も慣れはしない淑女のロール。

 差し出された紳士の掌に、格好だけでも応えてみようと、軽い気持ちで手を伸ばしてみる。

 

「もう、お父さん!何、年甲斐もなくナターシャさんを口説こうとしているんですか!?おじさんに口説かれるなんてナターシャさんが可哀相です!」

 

 しかし、そこには闖入者。その様相といえば、怒りというかは不機嫌。

 

 現れた彼女はぷんすかとしながらも、文句を唱えつつ私の手を掴み、ずいずいずいとひたすらに進んでいく。

 残された教授は一瞬呆気に取られながらそれに笑いながら謝り、私もまた笑いながらフィオナに引かれ為すがまま。

 

 その私達の進む先、そこにはやれやれと呆れたように肩を竦めたジョシュアがいて。

 片付け途中の整備員達も笑い声を上げていて。

 

 一日二日、来たばかり。慣れぬ国に慣れぬ土地、ついでに重要な任務のはずなのだけれど、出会った人達は何だかどうしようなく愉快な人達で。

 

「……ホント、騒がしい任務になりそうね」

 

 今日も明日も明後日も、そうして日々が続いていく。

 そんな予感が今、ここには確かに存在していた。

 

 

 

 

 

 とりあえず、今回の所はここまでです。

 

 あの後、フィオナが夕食の際に文句をぶーたれていたりとやっぱり愉快な事はあったのですが、それはまた後の手紙で説明する事になるかと思います。

 

 それに、フィオナやジョシュア、そしてイェルネフェルト教授。

 とりあえず今日はこの三人について紹介しましたが、まだ紹介したい人がいます。

 ですので、そんな彼らについても、今回紹介出来なかった分、やはり今後の二通目三通目で紹介するので期待しておいてください。

 

 それでは、本当に長くなり過ぎてしまうのでここまでにしておく事にします。

 でも、伝えて欲しい事を一つ、お願いしてもいいですか?

 

 イーリには、きちんと真面目に働いて、報告書はちゃんと出す事!と伝えておいてください。

 場合によっては、直々の命令で強制的にやらせてあげてください。

 お手数をおかけしますが、どうぞよろしくお願いします。

 

 では、今回は本当にここまで。

 

 最後に、先生……お養父さん。

 そちらは毎日忙しく大変だとは思いますが、くれぐれも身体に気をつけて、元気に健やかに日々をお過ごしください。

 

 そして、いつかまたお互い元気で会いましょう!

 

 貴方の娘、ナターシャ・ファイルスより。

 

 

 追伸、お酒と煙草は程々に!

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