Acxis   作:ユ仲

35 / 38
Chapter3-7-2

『――へぇ、そうなんですかっ?』

『――うん。でも、その時の彼ったらね……』

 

 屋台と人の賑やかさ。ではなくて、林と林に挟まれたひっそりとした静かな道に、何だか華やかな会話が響く。

 さっきまでは互いに自己紹介をしていたと思ったのに、今ではIS学園を目指している蘭ちゃんにアドバイスをしていたり、世間話で笑い合ったり、何だかもうかなり打ち解けている。

 てか、シャル。人の事を話のダシにするのは止めてくれないかな?蘭ちゃんも真に受けて、ちらちらとこっちを興味深そうに見てるし。

 偏ったイメージで誤解されるのは勘弁だよ?というかむしろ、一夏を話題にしてあげてよ。その方が蘭ちゃんも喜ぶから。

 

 とりあえず、こんな風にシャルは蘭ちゃんと女の子同士で和気あいあい。

 まぁ、こっちもこっちで――。

 

「しかし、お前もよ……」

 

 ――弾の攻撃。ヘッドロックもどき。

 会話に華を咲かせる二人の後ろ。歩きながら肩に腕を回されて、そのまま僕の首を圧迫。徐々に絞められていく。

 

「隅に置けない奴だよなぁ。この裏切り者め……!」

 

 同時に襲い来るのは怨嗟。強い念。恨みつらみ、まさにそんな感じのような物。ついでに、言葉になっていない声。この間に見たホラー映画的な低音ボイス。

 

 裏切り者?心当たりは全くない。それより怖いし、ちょっと痛いって。

 

「前から怪しいとは思ってたけどよ?それならそうと言ってくれりゃ良いだろうが、お前もさ」

 

 微妙にふて腐れてるっぽい弾。

 ん?道理でナンパの時も乗り気じゃないはずだ……?

 そんな事言われても……、元々、別に飢えてるわけじゃないし。

 

「おっ?なんだ?強者の余裕って奴か?このやろ、このやろう!」

 

 首を固められながらぼそりと小さく言い返してみると、回った腕に再び力が入っていく。

 ……うわ、迂闊。落とされたりしたら堪ったものじゃない。

 という事で、それには直ぐさま首元に手を入れて対応。窒息防止。反抗開始。

 均衡する力と力。耐えて耐えて、弾の腕が疲れて緩むタイミングを見計らい、腕を外しヘッドロックから脱出。

 まぁ、元々本気で絞めてきているわけでもないから、対処自体は簡単簡単。

 

「でも、ホント久しぶりだよね。病院以来?」

「ああ。そういや、そんくらい振りだよな」

 

 腕を解き、短い攻防から一息をついて話し始める。

 ちなみに、実は弾とシャルとが顔を合わせるのは今日が初めてじゃない。最初の面識を持ったのは、僕が入院していた時の事だったらしい。

 らしいというのも、その時、僕は絶賛昏睡中だったから、そんなの分かるはずもなく。

 結局、目覚めた後の“こんな事があったんだよ?”というシャルからの報告で僕は初めてそれを知る事となった。

 

 その後も弾は一度見舞いに来てくれたけれど、その時は入れ違いになっていたし。

 とにかく。弾はシャルと今日で二回目の対面で、シャルは蘭ちゃんと初めての顔合わせだ。

 

『――ええっ!?本当ですか、それ?』

『――うん。笑っちゃうでしょ?』

 

 響く笑い声。弾から視線を外して、前を歩く二つの背中を眺めてみる。すると、やっぱり何故か、僕をふと見てまた笑う二人。

 

「……シャル?蘭ちゃん?」

 

 何かの含みを隠そうとしないシャルと蘭ちゃんに、一応尋ねてはみるけれど。

 

「なんでもないよ?」

「なんでもないですよ?」

 

 声を合わせてやんわり否定というか回答拒否というか、どうやら僕にそれを知る権利はないらしい。

 いや、本当。すぐに打ち解けられて仲が良いのは喜ばしい事ではあるのだけれど――なんだかなぁ。

 

「……あー、そういえば」

 

 あちらとは分が悪いようなので、素直に刃向かわず大人しく、こっちはこっちで話を進める。話を戻す。

 

「弾の方は?海での合宿はどうだった?何か収穫はあった?」

 

 内容はとりあえず、夏休み中の弾の活動について。

 今までに時間があって遊ぶ機会がいくらでもあるはずだったのに対して、八月の中旬を過ぎようとする今日、弾の顔を見るのが久しぶりというのはそこに理由があった。

 すなわち。再び弾曰く、夏合宿。夏合宿という建前を取って付けた、アルバイト兼海でのガールズハント。

 学校の友人達と赴いていたとの事で、心なしか弾の肌は黒っぽく小麦色に少し焼けている気がする。

 

 それじゃあ、それで。結局、その成果と言うと……?

 

「お前、それわざとだろ?分かって言ってるだろ」

「ははは、一体何を言うかと思えば…………ノーコメントで」

「おまっ、この……!」

 

 蘭ちゃんとここに来ている事からもいつもの事だよね、きっと。

 何かしら成果が上がっていたら、弾はその人と来そうだし。少なくとも、成功したのであれば、メールなり電話なりでまずは自慢という名の報告をしてくれるはずだし。

 

 という事はやっぱり……結果は残念。合掌。

 

「てか、ほっとけ!哀れむな!手を合わせるな!」

 

 何だか祈りがお気に召さないみたいだ。

 せっかく鎮霊鎮魂、神社だからお祈りをと弾の為にしているというのに……って、合掌ってお寺でするものだったっけ?

 

「まぁ……良いけどよ」

 

 僕のからかいにがっくり一度、弾の肩が落ちていく。

 やり過ぎたかなと一瞬思ったけれど、それはあまり重要ではなかったみたいだ。

 

「……で、体の方は?」

 

 不意に上がった頭。向けられた顔。少し慎重に動かされた口。話題の急転換。雰囲気も急変。

 僕を見てくる事自体は変わらない。しかしそこでは、さっきまであったはずの表情が大きく形を変えていた。

 

「もう、大丈夫なのか?」

 

 ある意味、それは弾の本性だったりする。

 敢えて明るくふざけたりおどけたりで場を取り繕う三枚目ではなくて、本気で心配してくれる真面目さ。

 いつもそんな表情でいれば容姿も悪くはないんだから、ナンパだって何だって成功しそうな物なのに。つくづくもったいない。

 

「ん、完治完治。大丈夫だよ」

 

 でも、こういう素直な心配というのは嬉しくもあって、それでいて少しくすぐったい。

 

「……なら良いけどよ。ったく、ビビらせやがって。腹に穴が開いて死にかけるとか一体何をやってんだっつーの」

「とりあえず色々とだよ。色々」

 

 ごまかすように弾の心配には頷いて短く返事を返す。

 弾には、仕事の事とか本当に色々と話してはいないのだけれど。いや正直、話す気はないのだけれど。

 それでも、心配してくれた事にはありがとうと言いたい。

 ……それを詮索しないでくれている事も含めて、そう思う。

 

「色々ねぇ。……お前は色々と抜けてて馬鹿だからなぁ」

 

 ……ありがとうと思っているそばでなんと酷い言われよう。てか、弾に馬鹿だなんて言われたくないよ。

 馬鹿をやる時は、弾だって一夏だって一緒じゃないか。

 

「馬鹿は馬鹿なりに馬鹿やるんだろうけれど、デュノアさんを悲しませるような馬鹿はするんじゃねえぞ?」

「……分かってるよ」

 

 だけど、伝えたい事は分かる。

 やっぱり弾には“ありがとう”だ。

 

「おっと、そうだ。デュノアさんで思い出したが、今日ってデュノアさんとバスで来たのか?」

 

 新たな話題を出しながら、弾の雰囲気が元の軽く明るい物に変わった。

 それはきっと堅苦しい話は終わりだ、という事。

 

「いや、車だけど?」

「おお、そうだったな。免許持ってるって言ってたもんなぁ」

 

 僕もそれにはきちんと応えて、真剣真面目のシリアス状態から気持ちと思考を切り換えていく。

 

「だけど、よくここを知ってたな?こう言っちゃあれだが、ここって地元民以外にとっては結構穴場だろ?」

 

 へぇ、そうなんだ。

 穴場、隠れた名所?箒さんのご実家らしいというのは知っていたとは言っても、ここがそんな場所だったとは思いもよらなかった。

 まぁ、でも。

 

「一夏が誘ってくれたからね」

 

 全ては一夏のおかげ。

 シャル達の浴衣の手配はキサラギのスタッフの伝手ではあったけれど、それでも、一夏の誘いなしには今日という日はない。

 思い出作りの一環、祭りも屋台も服装も初めての経験で興味深い物。

 

「はー、なるほど。一夏の奴がそんな事を」

 

 だからそう、本当に。今日は心配してくれた弾だけでなく、そんな物の機会を提供してくれた一夏にも感謝するばかりだ。

 

「一夏の奴がねぇ……ん、一夏?」

 

 なるほどなるほど、としきりに頷く弾。ではあったのだけれど、何かに気が付いたように突然動きが止まる。

 

「ちょっと待った。一夏の奴も今来てやがん、のぶぉっ……!」

 

 ……ん、のぶお?弾?

 会話の中、頷き止まり再び動きかけたその瞬間。弾が僕に何かを尋ねようとしたその時。

 何かがぶつかる鈍い音と息が漏れ出た声だけを残して、目の前にいたはずのその姿が突如にして消えた。

 

「い、一夏さんも、一夏さんも今日来てるんですかっ!?」

 

 その代わりに、弾の立っていた場所へと出現したのは蘭ちゃん。

 消えた弾の事を気にする事もなく、一夏という単語を聞いただけでこれでもかという程、瞳を煌めかせている。

 

「おい、蘭!いきなり何しやがる!?」

「お兄は黙ってて!!」

 

 そのすぐ横で腰をさすりながら、突き飛ばされた状態で弾が蘭ちゃんへと文句を主張する。

 それでも蘭ちゃんは問答無用。弾の文句をたった一言の下に即答で斬り伏せ、すぐさま引き続き、輝く瞳をこちらへと向けてくる。

 

 その勢いはまさに疾風迅雷、いや、燃えているみたいだから烈火の如く。

 言葉の綾とは言っても、確かに蘭ちゃんは燃えていた。夢?や目標の為にメラメラと。気合いを本気で燃やしている。

 そうでもなければ、あの反応速度とパワーは出せないと思う。

 

 もしかしたら、極めて狭き門とか言うIS学園の入学試験も難無くクリア出来ちゃうくらいのポテンシャルは普通にあるんじゃないだろうか。

 今の学校では優秀な成績らしいし、ISに対する簡易適性でも『A』という非常に高い値を叩き出しているらしいし。

 ……もしかしなくても、蘭ちゃんって結構凄い子なのでは?

 

「あの、それで一夏さんは……!?」

 

 しかも何だか迫力もある。やってやるぞと大きな意志もある。行動力もある。

 全ては一夏を目指すが為のフルパフォーマンス……一途な女の子、恐るべし。

 

「あ、ああ。うん、来てるよ?」

「どこにですかっ!」

 

 多少その勢いに気圧されながら頷くと、間髪入れずに疑問が飛ぶ。

 

「あー、一応、さっきの屋台の所で――」

「屋台……射的屋さんですね!わかりました!」

「――って、蘭ちゃん?」

 

 その疑問に早速先程の情報を伝えて答えようとは思うも、何やら怪しい雲行きに。

 内容に話が及ばない内に“ありがとうございます!”と早くも話は何故か終わった感じになってしまった。

 

「一夏さん!今、蘭が行きますっ!!」

「……いや、蘭ちゃん?」

 

 それからという物、蘭ちゃんが行動に移すのには、時間はまったく必要なかった。

 意気込み一つ、一夏か自分かへのメッセージを言葉に出すと。浴衣姿、しかも下駄を履いているというのに、屋台へと繋がる道をもの凄いスピードで駆け出していく。

 

「形跡があるってだけで、今もそこにいるとは……、……ああ、行っちゃった」

 

 制止する僕の声も既に届かず、走り去る背中は小さくなる。

 こうなるとどうする事も出来ず、その光景を見ながら思う。

 

 ……さっきの感想は訂正しなくちゃいけない。やっぱり、少し心配になってきた。

 いくら優秀でも、蘭ちゃんは何だか――。

 

「……そそっかしいよなぁ」

 

 ふとこぼした僕の不安が隣からの声に付け足される。

 小さくなっていく蘭ちゃんを見守るように立ち尽くす、そのそそっかしい彼女の実の兄……弾。

 見守るように?いや、こちらも訂正。さっき感想を補足してくれた弾は、その蘭ちゃんの姿には目を向けず、今は“あちゃー”と頭を抱えながら天を仰いでいる。

 

 ……まぁ、そうなるよね。僕もそんな気分だよ。

 大きく一つ、弾と僕とで溜め息が漏れ出た。

 一方で、いきなりの状況に残されたシャルはというと、“え?え?”と言った感じに何だか状況を飲み込めていないので、一人だけ流れの中で置いてけぼり気味。

 

 と、そうだ。こうしている場合じゃない。蘭ちゃんにはさっきのが勘違いである事を早く伝えないと。

 

「いや、しなくていい」

 

 いざと取り出した携帯を操作する寸前、早速の動作が弾によって妨げられる。

 

「どうせ、一夏は誰かと一緒なんだろ?」

 

 再び、真剣味を装った弾。

 その質問、それは確かに事実だけれど。

 

「だよな、やっぱり。……だったらいいさ。蘭の奴もきっとその方が幸せだろうからな、ある意味」

 

 そんな状況で一夏に会っても、傷付くだけだろ?

 弾はそう言って、蘭ちゃんが駆けた道に足を踏み出し、僕とシャルとに背中を見せる。

 

「ま、お前はデュノアさんと一緒に楽しんでいけよ?」

 

 振り返っての僕に向けた一言。シャルには楽しんでいってくださいと敬語と造った笑顔で話し掛けている。

 

「と、そうだ……ちょっと耳貸せ」

 

 弾が敬語とか似合わないなー。

 そんな事を考えていると不意に、何かを思い出したかのように、僕へと向いた合図が見えた。

 何だろう?弾は指をちょいちょいと動かし僕を呼ぶ。

 

「――さて、よく聞けよ?」

 

 素直に近付くと、弾の腕が再び首に巻き付いていく。

 しかし今度は絞めてくる攻撃手段ではなく、フレンドリーに何かを僕だけに伝える為に。

 

“いざって時はリードするんだぞ?それが男の嗜みってもんだ。……良いな、分かったな?”

 

 ぼそり。弾はそんな事を小さく念押し。

 リード、リード、嗜み、嗜み?というか、いざ?

 とりあえず、シャルだけに行き先を任せるなって事だろうか?つまり、きちんと僕もプランを考えろと。努力だけでなくやって見せろと。

 過去を思い返すと何だか耳が痛いけれど……うん、任せて。頑張ってみるよ。

 弾の要求に頷いて了承する。

 

「よしよし。頑張れよ?」

 

 その了承が条件となったのか、何かをやり切ったような満足げな表情がその顔に浮かぶ。

 

「じゃあな!また今度、遊びに行こうぜ」

 

 そして、その表情のまま最後にそう僕に告げると、今度は立ち止まらず振り返らず、蘭ちゃんを追って弾は道の先へと姿を消した。

 

 

「弾くんって、蘭ちゃん思い妹思いなんだね」

 

 偶然出会った賑やかな二人が去って、落ち着いた空気が再び漂い始めた頃、シャルが道の先に視線を向けながらも言葉を語る。

 

「でも、兄妹ゲンカもしょっちゅうしてるよ?」

「ケンカするほど仲が良いって事だよ、きっと」

 

 ……それは、そうなんだろうね。シャルの言う通りだ。

 五反田家のダンラン兄妹、互いに文句を言ってケンカしたりをしていても、やっぱりそこは兄妹。

 いがみ合ってるわけでも憎み合っているわけでもなく、ケンカが一種の挨拶やコミュニケーションツールになっているように見える。

 その仲の良さは、その面白おかしい兄妹のやり取りはどこか懐かしくて羨ましい。

 

「ねぇ、これからどうしよっか?」

 

 去って行った二人について考えていると、シャルからの質問がふんわりと飛んでくる。

 僕としては、ここでのんびりしていても全然構わない。だけど、シャルには何か別の提案があるみたいだ。

 

「一夏達と合流しよう?ラウラ達が何をしてるのかも気になるし」

 

 やっぱり、諦めてなかった。その表情に特別な色があるわけではないにしても。

 今はさっきのまったくもうの膨れ面ではなく、いつもの穏やかな表情。単なる好奇心からの提案かもしれない。

 厄介事はごめんだけど、きっとこれも運命なのだろう。

 元々、僕も一体何故と気になりはしていたし、実際問題、面倒という以外に特にデメリットはないのでシャルの提案を尊重する。

 

「分かった。それじゃあとりあえず、一夏と連絡取ってみるよ」

「うん、お願い」

 

 まずは何事にも、一夏達がどこにいるのかが重要だ。会えなければどうにもならない。

 なので、今度は蘭ちゃんにではなく一夏に電話をするべく、携帯を取り出し操作を開始。

 

 今日の履歴が残ったままなので、発信履歴より選択。画面に触れ、認証、発信。

 電子音。呼出し音。受話口から聞こえる音。

 二回目、三回目、四回目……気付いていないのか急用か、まだ出る気配がない。

 

 ……ん。

 

 それでもそのまま一夏を待つ。

 そして、もう何度目になるのか呼出し音。それが次の周期に差し掛かろうとした時、携帯を介した向こう側で変化があった。

 

『もしもし……?』

「あ、一夏?」

 

 やっと繋がった。

 

『すまん、どうしたんだ?何か、問題でも、あったかっ?』

 

 繋がったけれども、何かおかしい。

 一夏の息が何故か荒い。まるで走りながら話しているみたいだ。

 

「問題というか……今、どこら辺?」

 

 それでもそれは些細な疑問として、いきなり本題、一夏の現在地について聞いてみる。

 

『――場所か?それなら……』

 

 しかしその時、出されかけた答えが遮られる。

 

『ちょ、いきなり何を……?』

『良いから渡せ!』

 

 一夏が答える寸前、一夏の戸惑う声が聞こえたと思うと、“――捕まるわけにはいかんのだ”の一言を最後に、ぼつりといきなり通話が途切れた。

 残ったのは通話の終了を示す電子音だけ。

 

「どうだったの?」

 

 少し呆然としながらもシャルの尋ねる声が聞こえる。でも、それに対する答えは一つしかない。

 

「いや、いきなり切られた」

「切られた?切れたじゃなくて?」

「うん。切られた」

 

 しかも、切ったのは一夏じゃなくて、たぶん、箒さんだ。

 息を乱す程に走っている一夏と箒さんの何かに追われているような慌てた様子。

 どう考えても尋常な状態じゃない。

 

「じゃあ、今度は私がラウラ達に聞いてみるね?」

 

 向こうでは、確実に何かが起きている。

 もしかしたら、屋台破りの件もこれに関連して……?

 

 何にせよ、今は報告を待つしかない。

 携帯に耳を寄せて、おそらくラウラさんと連絡を取るシャル。続報を待ちつつその姿を見守る。

 

「……やっぱり、何かあったみたい。ラウラ達が“協力して欲しい”って」

 

 やがて通話を終えて、深刻そうな顔ながらも内容を伝えてくれる。

 

「とりあえず、本殿の方にいるみたいだから。行ってみようよ」

 

 そう、本当にとりあえず、今は少しでも多くの情報が必要だ。

 ラウラさん達から事情を聞く為に、一刻も早く皆の場所へと急がないと。

 

 

「……来たか」

 

 林の道より歩いて少し。つい先刻、箒さんが舞を見せていたその場所には、一夏と箒さん以外の皆――ラウラさん、凰さん、セシリアさんの三人が待ち構えていた。

 三人が三人とも、綺麗に着飾った浴衣。でも、今日ここに来た時に見せていた笑顔や明るさは鳴りを潜め、真剣さを帯びた三つの眼差しが僕とシャルとを捉えている。

 

「邪魔をしてすまないな。しかし、早速聞きたい事がある」

 

 ラウラさんの言葉。凰さんとセシリアさんは同意を示し、無言で首を縦に振る。

 

「一夏と箒を見かけなかったか?」

 

 まず始め、やっぱり一緒じゃなかったんだというのが、率直な感想。

 逃げている一夏達と二人を捜すラウラさん達。僕らと別れてから今までの間に一体何があったんだろう?

 

「……箒が一夏を連れて逃げ出してな」

 

 ラウラさん達の発言と箒さんの様子から察するに、箒さんと一夏はラウラさん達から追われていたと見るのが自然のようだ。

 

「ねぇ、ラウラ?何でそうなったのか、事の経緯を教えてくれる?」

 

 結果は分かった。ならどうして?

 シャルが僕が言うより先にラウラさんへと尋ねる。

 

「ああ。お前達と別れた後、始めは皆で楽しんでいたのだが――」

 

 ――一夏と二人きりになる権利を巡って勝負をする事になったのだ。

 

 なるほど。もうそれ以上は聞かなくても理解ができる。

 屋台破りの真相とか理由とか動機とかは、まさにこれだと思えるから。というかどう考えてもこれだから。

 

 でも今は、後で聞ける屋台破りの事より一夏達についてだ。

 

「私達もあれから一夏達は見てないよ。だけど、電話は一応さっき繋がったんだよね?」

「まぁ、一言二言で切られちゃったけど」

 

 シャルが気を取り直して、さっきの電話について語る。僕もそれに続いてさっきの電話の内容を事細かに出来るだけ詳しく伝えてみる。

 すると。

 

「……レイヴン。その電話の中で何か気付いた事はなかったか?どんな些細な事で良い、もしあるのなら教えてほしい」

 

 真摯な表情が三つ。何かを期待する目が六つ。何だか引くにも引けない困った状況に。

 おまけに頑張ってねという応援も一つ。シャルもどうにか……いや、僕にしか分からない事か。

 

 それにしても気付いた事?

 あの時、気になった事と言えば、乱れた呼吸と慌てた様子。あと、足音……足音?

 

「……シャル。箒さんは下駄、履いてたよね?」

「うん、そのはずだけど」

 

 さっきの電話を改めてよく思い出す。

 焦った箒さんの様子。声色。

 それに足音。周囲の雑音。揺れるような息の乱れ。

 

 まず、下駄特有の硬く高い足音はなかった。それに雑音、人のざわめきもない。そして、息の乱れ……おそらくそれはどこかへと向けて急いでいる、または走っている事から。

 さらに言うと、走っているにも関わらず、下駄を履いているにも関わらず鳴らない足音……それは走っているその場所がアスファルトや石畳、あるいはそれに属する硬い土質ではない事を示していて。

 

「ラウラさん。一夏達がこっちに来たってのは間違いないんですよね?」

「ああ。私達みなでここまで追って来たんだ。見間違えるはずがない」

 

 追加要素。ラウラさん達はここまで一本道を追いかけて来たらしい。

 

「だが、周囲もめぼしい場所を捜してはみても、何処にも見当たらん」

 

 そして、二人が本殿――建物の陰に行ったと思ったら見失っていた、と。

 

「ではその中で、一瞬の隙を突かれて、逃げられたという可能性はありますか?」

「……有ると言えば有る。しかし、可能性としては低いだろう」

 

 つまり。であるのならば。

 音。様子。状態。推察される周囲の環境。建物に隠れたわけでもなく消えた二人。

 手元にあるこれらの要素を組み合わせて出て来る解、道。

 それは――。

 

「だったら、一夏達はこっちじゃないですかね?」

 

 ――林。その中の暗闇を指し示してみる。

 

「見落としがないのなら、もうこちらしか逃げ場はありません。まぁ、あの二人にとってここはホームのような物ですし、他に隠れ場所や抜け道がある可能性も否定は出来ませんが」

 

 もしくは、この林の中こそに抜け道がという可能性もあるけれど。

 僕が昔に兄さんと色々な場所を探険して遊び回っていたように、一夏と箒さんの二人もそんな事をしていて、二人だけの秘密の場所のような物があるのかもしれない。

 少なくとも、土地勘というメリットが一夏達に存在している。

 

 それにそもそも、話を聞く限り、ラウラさん達は敷地内だけに目を向けてしまっていた。だから、一夏達を追い捜すにしても林の方には意識がなかった。

 意識外の事、それを認識するのは難しい。

 本殿と林の明暗の差もあいまってその為に、ラウラさん達は林に入った一夏達に気付く事が出来なかった。

 突如消えた……というのは、そういう事なんじゃないだろうか?

 

「なるほど、な」

 

 ラウラさんは僕の推測に大きく一度頷いてみせると、左眼の眼帯を手に取り、凰さんの疑問を右手で抑えながら僕の指差す林の方向を見据えた。

 

「――見つけた」

 

 そして、すぐに反応。

 

「男性と思しき足跡と下駄の踏み込み跡……林内に向けての二名分、連続的な形跡が存在している」

 

 早速、二人のヒントを見つけたらしい。

 色の異なるその両眼をそのままに、ラウラさんが僕らへと振り向き報告してくれる。

 

 眼帯で隠されていた左眼の金色、それは確かヴォーダン・オージェとか言う、ナノマシン投与による身体能力向上措置の一種……だったはず。

 動体視力が上がるとか、そういう系統の技術だと思ったけれど、夜目に対してもメリットがあるとか、凄く便利だ。

 もしかして、ナノマシンで光に対する感度に補正をかけて認識力を向上させている?

 ……やっぱり便利だ。

 

「レイヴン。見え過ぎるというのは不便でしかないぞ?」

 

 僕の表情から察したのか律義にも無言の疑問に答えが返る。

 でも、それもそうか。もしメリットばかりだったのなら、世界的に普及していてもおかしくない技術だ。

 

「とりあえず、私の事はどうでもいい……さて、これからどうする?」

 

 そのラウラさんは、自らが発見した形跡について凰さんとセシリアさんに問い掛けている。

 

「どうもこうもないでしょ?」

「このまま待っていても差は広がるばかり。でしたら、何にせよ行動するしかありませんわ」

 

 その二人の反応はどちらも不敵な笑みを浮かべながら。さも当然と言うように。

 

「ふむ、では決まりだな」

 

 ラウラさんも凰さん達の返事に頷いてみせる。

 そして僕らに振り向くと。

 

「……レイヴン、シャルロット、情報感謝する」

 

 そう言い残して、林の中へと足を踏み入れていく。

 

「シャル。僕らはどうしようか?」

 

 ラウラさんを先頭にして三人が進む。

 その姿を眺めながら、僕はシャルにこれからについて聞いてみる。

 乗るか反るか、追うか追わないか……その意思を。

 

「行こう?」

 

 即答。一切迷いも見られずに目的は決まった。

 ……答えは分かってたけどね。

 シャルは映画とかでもホラーよりラブストーリーの方が好きで、こういった男女の機微みたいなのは大好物だから。

 だから、きっと行くと思ってた。

 みんなの動向とかも気になるだろうし。

 

 だけど、皆を追って林内を行くには一つ条件がある。僕の掛けるシャルへの条件。

 

「という事で、シャル。……手」

「手?」

 

 そう条件。それは、手。

 

「林の中って歩きづらいからさ」

 

 だから、手。

 ただでさえ歩きづらい不整地。しかも、浴衣姿、下駄を履き慣れていないシャルが転ばないようにする為に。

 弾の言う通り、手を引いてリードして。そして、シャルを支えて守る為に。

 その為の手。シャルの手。僕の手。

 

「……うん、ありがとう」

 

 シャルの柔らかな声と一緒に、もう慣れたはずの温かさが僕の右手を包み込む。

 いや、僕の手の方が大きいのだから、包み込まれたのはシャルの方だ。

 

 それを証明する為に、痛くないようそっと、けれどしっかりと。少し小さくて柔らかなその手を握る。

 かける力。かけられる力。

 でも、シャルの手を握れば、僕の手も握られる。結局、互いに互いの手を握り合う。

 

「それじゃ、行こっか?」

 

 繋いだ手。シャルはそれに一瞬、視線を移すと小さく顔を綻ばせた。

 何か楽しそうな表情。その嬉々とした様子を見せたまま行動を促してくる。

 

「ラウラさん達を見失わないうちにね」

 

 僕も僕ですぐさま回答。それと共に林へと一歩を踏み出す。

 目の前は暗闇、その中で一夏達の足跡を追うラウラさん達をさらに追っていく。付いていく。

 

 

 

 

 林内。

 今日もまた熱帯夜なのだろう、気温はそこそこ高め。風が通らない為、湿度も高め。

 つまり、とても蒸し暑い。

 

 さらに、肌に当たる枝葉。肩や背中にのしかかっている体重。

 僕も悪いのだけれど……不用意な呟きによってもたらされる、方々からの一方的な批難。

 しかも、背中に感じるその体温や感触に少し気が気でないというか落ち着かないというか……。

 こんな今の状況も、暑さの原因に一役を買ってしまっているみたいだ。

 

 それに。拍車をかける最後のとどめには――目の前の展開。

 

『なぁ一夏、覚えているか?昔、ここに来た時の事を……あの時もこんな星空だった』

『ああ。もう何年も経つのに、ホント変わってないな』

 

 包み込むような月明かりの下、空を見上げる二人。

 穏やかで優しげな雰囲気の中、僕らのよく知る一組の男女が幼い頃の思い出を語り合っている。

 

 一方で、その光景とその事の推移に、どぎまぎしながらガン見している僕ら。

 ちなみに位置配置としては僕のすぐ隣にシャルがいて、二・三メートル先には凰さんとセシリアさんが、最後にラウラさんが独自にどこかで潜伏中。

 こうして止まり潜んでいた凰さん達に追い付いた時には、ラウラさんは既に姿を隠していた。

 

 こんな状態、今の行動。覗き見や盗み聞きなんて全く趣味が悪い……それを自覚してはいても、この今の状況ではどうにも動きようがなく。

 目の前の二人は、覗き見られている事にも気付かず語り。

 僕らは、気付かれないようそっと茂みに息を忍ばせる。

 

『変わらない、か。……確かに変わらない。変わっていない。あの時からずっと私は変わっていない、変わりはしないんだ』

『箒?』

 

 林の中、木々が開けた天窓。星を仰げるその場所で、空に浮かぶ月を見ながら箒さんが言葉を紡ぐ。

 

『……色んな事があった。あの人――姉さんの騒動に巻き込まれて、私の家族は離散してしまって、引っ越さなくてはいけなくなって……』

 

 それは一夏に対しての物にも思えるし、箒さん自身が自らに語っているようにも思えた。

 

『それに背も伸びた。髪も伸びた。大きくなった。この空と違って、私にはお前から見ても変わったように思える部分がたくさんあるのかもしれない。……だがな?』

 

 視線は月から一夏へ。

 一夏だけを見据えて、ただ一夏を想って。緊張感を伴って。

 覚悟を決めた面持ちで言葉を続ける。

 

『あの頃からずっと変わらない物が、私にはある。だから……一夏、私はそれをお前に聞いて欲しいんだ』

 

 おお……。まさに先が読めない展開だ。

 まるで映画やドラマの出来事がそのまま画面から出て来たような、そんな展開。何だか凄い緊迫感。

 

「あぁ!このままでは一夏さんが!」

 

 茂みのこっちでも何だか凄い切迫感ではあるけれど。セシリアさんとかは特に。いても立ってもいられないといった様子。

 

「……セシリア。箒の邪魔をしちゃダメよ」

 

 その中で意外に冷静なのが、凰さんだった。

 

「けれど、鈴さん?」

「このまま二人がくっつくって言うなら、それで良いじゃない」

 

 セシリアさんの疑問や焦りを、いつになく落ち着いた口調で処理している。

 シャルの話を聞いた限り、一夏の事を人一倍考えたり思ったりしているはずなのに。それなのに感情的な態度を封じ込めている。

 

「そんな――」

「それこそ、そんなの一夏が決める事だもの」

 

 目の前の展開から視線を外さないままに、慌てるセシリアを淡々と宥める凰さん。

 

「確かに。そうなったら悔しいし悲しいわよ?でもさ、もしそうなった時は……祝ってあげるしかないでしょ?」

 

 目前を眺める表情は少し歪みを見せている。

 なぜかと言えば、それはきっと凰さんの言葉通りの理由から。

 もしその時になったとすれば、それは届かなかった事を意味するから。

 

「だって……あたし達も箒も友達なんだから」

 

 それでも、凰さんが流れの中で初めてセシリアさんに顔を向けた時、それはどこかへと消え去っていた。

 セシリアさんに対して浮かべられたのは、“もし”の悲しみを乗り越えた晴々朗らかな表情。

 

 一夏達にも負けず、こちらも目を見張る展開だ。

 三角関係四角関係?……いや、一夏包囲網の先にある友情物語。感動的なストーリー。

 

「まぁ、そこで諦めるかどうかはまた別の話だし?」

 

 ……と、見せかけて、何だか昼にテレビでよくやっているようなドラマの気配が。

 三日月のような形へと変えた凰さんの笑みが不敵な様子を漂わせる。ただじゃ終わらない執念を思わせている。

 

「り、鈴さん?」

「どうしたのよ、セシリア?」

 

 たじろぎおののくセシリアさん。ふふふ、と笑うは鈴さん、不敵な様子は尚も健在。

 

「私も鈴の意見に同感だ」

 

 その凰さんの雰囲気が感染したように、同意する声が聞こえた。声の主は、がさごそと茂みを掻き分け姿を見せたラウラさん。

 ラウラさんもどこか不敵な笑みを浮かべ、セシリアさん達の会話への参加を表明する。

 そして、参加表明の後は意思表明と来て。不敵さの素をセシリアさん達へと語りかける。

 

「別に私としては、二号さんとやらを認めても構わんからな」

『なっ……』

 

 ラウラさんの発した言葉が、僕らのいる空間に衝撃を走らせた……気が何となくする。

 でも、その衝撃……二号?

 

「えっとね……ラウラ?そんな言葉どこで覚えて来たの?」

「うむ、実はなシャルロット。クラリッサ――部下に借りた本にそう載っていたんだ」

「いや、というか、何でアンタがそんなに上から目線なのよ」

「む、何を言っているのだ、鈴?当たり前の事だろう」

 

 ラウラさんによる謎の言葉に隣のシャルが慌てたように加わって、さらに凰さんもが話題に飛び付いて、いつの間にか切迫感なんかはどこかに消えていた。

 とりあえず。ここまでの流れで僕に分かる事というのは、二号という言葉をシャル達皆は理解しているみたいだって事。あと雰囲気が変わったって事。

 

 そうやって、凰さんにおののいていたセシリアさんも含めて女性陣はわんやわんやと静かに騒いでいて、一夏と箒さんの展開を見守っているのは僕だけ。

 張り詰めた空気や緊張感は最高潮だというのに。

 

『一夏……私は、私はな?』

 

 本当に。まさにクライマックスだ。

 恐怖にも似た緊張を飲み込みながら、箒さんは必死に心の奥底から言葉を引き出そうとしている。

 

『お、お前の事が――』

 

 そして、続く言葉。

 それが発現したと思われたその時。

 

『――なんだ』

 

 突然の光。さらには重く強い衝撃が箒さんの言葉を打ち消した。

 

「これは……」

 

 その直後から一定の間隔で空気を切り裂く飛行音を耳が捉える。先程の光の方向を見れば、どこかより打ち出され昇っていく音。光。

 光が尾を引きながら、空に一筋の線を描き、そして間もなく消えていく。

 

 やがて、その光が空の暗さに溶け消えたと思えた次の瞬間、再びの強い衝撃と共に夜空には大きな花が咲く。

 

「……花火?」

 

 点火され空中で炸裂した火薬。それは色を為しながら離散して、空に火の穂を垂れていく。形作られるのは、まさに花。

 花、花火。その名が示す通り。誰が言い始めたかは知らないけれど、火の花とはよく言った物だと思う。

 

「綺麗……」

 

 ラウラさんの発言にてんやわんやしていたシャルも凰さん達も、今は花火に目を向けて、夜空で繰り広げられる華麗なショーに目を奪われている。

 響く重い衝撃。音はまるで空爆か迫撃砲。見た目だって少し派手な照明弾みたいなものなのに。

 でも確かに。それなのに綺麗だ。

 

「ねぇねぇ花火だよ?ちゃんと見てる?」

 

 ……見てる。ちゃんと見てるよ?シャル達よりはずっとしっかりとね。

 

 空を彩る花々。花火にはしゃいでみせるシャル。

 鈴さん達も、いきなりの轟音に始めは驚いた声を上げてはいたけれど、今ではあまりに見惚れてしまっているのか続く声はない。聞こえない。僕自身が花火に集中してしまっている今、それを確認する方法もない。

 

 でも、だからだろうか。

 “しっかり”とシャルに思ってはみても、僕がそれらに一層の意識を傾け過ぎていて、その他の事に人一倍気が抜けていた感があるのを否定出来ないのは。

 ……それは例えば、周りについて。周辺警戒を怠り、身に迫るある一つの脅威に全く気が付けていなかったのだから。

 

「――さて。ここで一体何をしているんだ、レイヴン?」

 

 夜空の花がその影によって遮られてしまう。

 その脅威。その証。その姿。万を辞しての登場。登場とは言っても、さっきからずっと、そこにいたわけではあるのだけれども。

 しかし、雰囲気や表情は明らかに変わっていて、その顔に張り付けられていたのは

緊張とか真剣味ではなく、獲物を目の前に捉え歓喜に打ち震える捕食者のモノだった。

 それは箒さん。箒さんの浮かべる、僕にとっては初見のにこりとした朗らかな笑み。それは確かに喜びからなんだろうけれど、意味合いとしてはストレス発散とか?何だか危険な感じ。本能が皮膚の下でざわめき騒いでいる。

 とりあえず、喜びに対しておおいに歪みつつ、時折、微かに震える眉間や口元がそれを僕に伝えてくれる。

 

 ……マズい。一言で表せば、かなりマズい。そんな状況だ。僕の手には余るような、そんな。

 

 到底、僕に扱える事ではないので、この件については箒さん対策協議会の管轄になるだろう。なので、では早速の早急に協議員であるラウラさん達にその対応を窺ってみよう。

 

「まさか、盗み聞きとはな……お前も中々良い趣味をしているじゃないか?」

 

 ……あれ?

 

 箒さんが“お前”と、僕だけを言及する声が聞こえる。

 さっきから何で僕だけと思っていた事ではあっても、対応の打診をしようとした所でようやく合点がいった。

 確かに、それもそのはずだ。

 気付けば、向けた視線の先にもどこにも凰さんやラウラさんの姿は既になく、セシリアさんまでもが怒れる箒さんから退避をしていたのだから。

 最後に残ったのは、僕一人。だから、箒さんは僕だけを標的と見なしていた。獲物と見なし怒っていた。

 いや、つまり、僕は怒りを鎮める為の生贄に選ばれたのだった。言わば哀れなスケープゴート。

 

 ……きっと。箒さんはいきなりの花火に漏れてしまった声を聞き分けたのだと思う。

 花火だけの静かな空間。そこに第三者の声が響いて、さらにがさごそと物音がしていれば誰でも嫌でも気付く。

 ああ、しかも。鈴さん達の声というか気配が途中からなくなっていたのは、これを察していたからなんだろう。

 たった一人、僕だけがぼーっと気付いてなかった。だから逃げ遅れたというわけ。

 

 って、一人?

 いや、僕一人じゃない。

 だってさっきまで、ここにはシャルが……。

 

 ――逃げるよ?

 

 蛇に睨まれた蛙のような圧倒的不利の状況下。

 少し離れた場所からぼそり。茂みに身を寄せながら、待ってくれているシャルが僕宛てに指示を送る。

 

 というかシャルもちゃっかり、箒さんからは見えない場所、安全地帯に避難している。

 あれだけはしゃいだ素振りを見せていたのに、箒さんの動向には気付いていたみたいだ。

 いや、逆だ。本当に僕だけが気付いていなかったって事か。花火に集中してしまって周りに注意を払えずに。

 

 それに関して今は置いといて、まずはシャルの支援に集中しないと。

 それでも、その支援は……指?

 僕だけが見えるように立てられたシャルの指。三本の指。何だろう?何を示すのか分からないハンドサイン。

 

 しかし、その意図を感じ取ろうとする間にも三本の指が二本に減っていく。静かに下げられる指。

 分からない。まだ分からない。答えを求めて指の向こう、シャル自身を見つめてみる。

 茂みの陰。意思の込められた色。頷き。静かに小さく動くシャルの口元。

 音もなく言葉を紡ぐ唇。

 

 ……かうんと、だうん?

 

 ん、指にカウント。それはそういう、たぶん分かった。

 理解がシャルの意図に追い付いたと思うと、サインは中指が畳まれ人差し指一本に変わる。

 

「おい。聞いているのか、レイヴン?!」

 

 そして、箒さんの激昂を合図とするようにして、サインがゼロになった。

 同時に、シャルも動き出す。とは言っても、たいした事をしたってわけでもないんだけれど。

 

「あっ、一夏がナンパされてる」

「な、何ぃ!?」

 

 ……茂みの中からの声掛け。労力としてはたいした事でなくとも、効果はテキメンだ。

 シャルの声に対して箒さんは素早い反応。僕を捉えていた怒りが半ば反射的に矛先を背後へ、一夏のいる方向へと向けていってくれる。

 というか、箒さん。さすがにここに人はいませんから。

 

 でも、まぁ、そうなってくれなくても困っていた。

 シャルの合図はこういう事だったのだから。

 

 箒さんが一夏を振り返った瞬間、注意が逸れたのを見計らって本日二度目の逃亡を開始。

 シャルも茂みからは既に出ていて、僕の手を引き誘導するように動き出している。

 

「誰もいないじゃないか……って、レイヴン?いや、シャルロット、お前までッ!?」

 

 そして、気付いた時にはもう遅い。

 追われたとしても、箒さんに走り負けはしない……はずだし。

 それにそもそも、箒さんは一夏を置いて行きはしないだろうから。

 

「と、とにかく待て!」

 

 そんな言葉を背に受けつつ、走って走って箒さんから逃げる。来た道を戻っていくように。

 当然、止まる気なんかはない。

 

『――げるなぁッ!』

 

 意思は続けど予想通り。

 届く声は小さく不確かになり、足を進め距離を行くにつれて箒さんの気配も遠ざかっていく。

 それでも、僕らは止まらない。林を走り続ける。走り抜ける。

 僕としてはそろそろ速度を落としても良いと思うのだけれど、シャルは率先的に能動的に僕を引っ張るようにして止まる素振りを見せない。

 

 シャルは下駄のはずなのに結構なペース。

 “歩きづらいから気をつけて”なんて心配が必要なかったみたいに。

 まぁ、それでも、その心配が消えるのかというとまた別の話で。こうやって走っている今も相変わらず心配なわけだけれど。

 いつでも、フォローが出来るように身構えとこう。

 

「きゃっ!」

 

 と、言ってる側からだ。いや、思ってる側からだ。

 何かに足を取られたのか、悲鳴?を残してシャルの身体がバランスを崩し大きく傾いていく。

 対する僕のやるべき事はもう既に。見て即座の行動、反射的に判断。

 

 ……片腕だけじゃ、きちんと支え切れない。

 

 だから踏み出す一歩に一層の力を込める。僕とシャルとの距離。それを直ぐに埋める。繋いだ腕一本分の距離を詰める。シャルが倒れるより先にそれをゼロへ。

 まずは、繋いだ右腕で傾く身体をこちらへと引き寄せる。腕を引く事で斜めの体勢――僕に正面を向けようとするシャルの身体。このままだと肩から地面に落ちる……けれど、それを許すはずもない。

 ちょいと失礼。踏み出して一歩、シャルの身体を抱き留めるように左腕を伸ばす。

 おっとっと……抱き留めて、さらに進行方向には身体を入れて安全を確保。

 しかし、それでも勢いはまだ存在。

 シャルの安全を確保した今となっては、別に倒れてしまっても構わないのだけれど。でも、やっぱり、倒れないで済むのであれば倒れない方が良いに決まってる。

 そういう事なので、シャルの身体を支えたまま何とか勢いを殺していく。

 バックステップかサイドステップか、僕も転びそうになりながらも耐え凌ぎ、耐え忍び……どっこらしょっと!

 

「……驚かせないでよ、シャル?」

「あはは、ごめん」

 

 ぎりぎりセーフ。何とか耐え切りようやく停止。

 その止まった体勢のまま腕の中の彼女に問い掛けてみれば、聞こえるのは謝りながらも罰の悪そうな笑い声。

 

「いや、別に謝られる程の事でもないけどさ」

「うん、ありがとう」

 

 今度は感謝の声。とりあえず、声からすると元気そう。

 そう、元気そうではあるけれど、だからこそ気になる点は一つ。

 

「足は大丈夫?怪我はしてない?」

 

 強がってはいないかって事。

 何かに躓いたって事は足を捻ったりしてるかもしれないって事だ。

 それを確かめるべく、抱き寄せた身体を離してその安否を確認してみると、案の定、やっぱり異変があった。

 履いていたはずの下駄が右足だけなくなっていて、シャルの白い素足が完全に露になってしまっている。

 

「あ、うん。とりあえず痛くもないし、全然大丈夫だよ?……だけど」

「だけど?……ああ、そっか」

 

 無事の報告、けれど思わせぶりに視線が動いた。

 それを追ってみると、そこには足を離れ地面に転がっているシャルの下駄。

 さらによく見てみれば、せっかく借りた下駄は壊れて――正確には鼻緒の部分が切れてしまっているみたいだ。

 

「気に入ってたのになぁ」

 

 ひょこひょこ。器用に左足だけで跳ねながら、下駄へと向かうシャル。残念そうな声と共に壊れたそれが持ち上げられる。

 浴衣と同じくレンタル品だから、きっと買い取りという形になるだろう。

 でも、そんなのは二束三文、たいした事じゃない。

 困らない程度以上にある、僕らの所持金から比べてもそうだし。

 身体の無事なんかに比べたら、さらにもっと。

 

 ……ホント、何ともなくて良かった。

 

 とりあえず、ご愁傷様と口に出さずに同情しながらも、ほっと安堵の息を吐く。

 目の前には下駄を片手に“あーあ”と未だに残念そうな表情を浮かべる、片足立ちのシャル。

 何度か履けないかなぁといった感じに頑張っているけれど、さすがに無理がある。むしろ、それを履いて歩くには無理しかない。

 

 でも、これからどうするべきか。

 頑張り続けるシャルを視界に収めながら、少し考えてみる。

 

 ご覧の通り。どれだけ試してみても、それはもはやというもの。

 材料も工具もありはしないので、下駄はもう直せないし、もう履けない。それにまさか、裸足でシャルを歩かせるわけにもいかない。

 歩ける片足だけで行かせる?そんなのは即却下、有り得ない。だったら肩を貸して歩いていく?それもありと言えばありではあるけれど進みは遅い。

 千が一、万が一に。もしかしたら。予想に反して、箒さんが追って来てたりしているかもしれない。ゆっくり進んでいる事で箒さんに捕まり怒られるのは、正直嫌だ。

 

 まぁ、だったら手っ取り早い方法で。

 

「それじゃ、ほら」

 

 片足立ちのシャルに背中を向けてしゃがみ込んでみる。

 

「えっと、それって?」

「背中、使ってよ」

 

 そう、背中。

 僕が背負って歩けば、どんな物よりも手っ取り早い。

 何より、支えて歩くのよりもシャルに負担がかからないし。

 

「でも、その……」

 

 個人的には完璧な選択だと思ったのだけれど、それでも、シャルは渋って動かない。何かを言い淀んでいる。迷っていると言った方が正しい。

 

「さすがにさ、それはもう履けないよ。それにシャルを裸足で歩かせるわけにはいかない」

 

 なら、迷いを断ち切る為に説得だ。

 

「まだ回りたいって言うならこのまま回るから。シャルの行きたい場所にさ」

 

 うちわのように便利なお得感もほのめかしながら。まぁ、無料のタクシーみたいに考えてくれれば良いと思う。

 一緒に歩こうとも、僕が背負おうとも、結局は変わらないんだから。

 

 プランを提案。シャルはやっぱり“うーん”と尚も何かをお悩み中。

 僕も一度立ち上がって、その選択の様子を黙って見守る。

 

「それじゃあ、うん」

 

 やがて、覚悟を決めたみたいにシャルが頷いた。

 そして、真っ直ぐ僕の目を覗きながら。

 

「お願い、しようかな?」

 

 イエスの答えで悩みや迷いが締め括られた。

 返答を受けて、それならそうと、では早速。シャルの前に再びしゃがみ込んで背中を晒す。

 

「えっと、お邪魔します?」

 

 どうぞと声をかけると、少し見当違いの言葉と共に恐る恐るというようなゆっくりの動作で肩に手がかかり、次いで徐々に体重が僕に委ねられていく。

 

「立つよ?」

「うん」

 

 僕も、シャルが乗ったのを確認次第、少し慎重に丁寧にゆっくりと、了承を得てから静かに立ち上がる。

 でも、意外というかやっぱりか。

 ダイエットが……と言っていた割に、足や腰に感じられる負荷が小さい。

 

「……私、重くない?」

 

 シャルはこう言ってはくるけれど、人の身体としては軽過ぎるぐらいだ。

 さっきはダイエットって言ってたけど、そんなのは逆にちゃんと食べてるのか心配なぐらいに。

 比較対象が昔の仕事場だから、アレかもしれないけど。

 

「そ、そう?良かったぁ」

 

 良かったも何も、そんな心配は元からいらないんじゃないかと僕は思う。無理なんかしなくても、シャルはシャルのままで良いんだから。

 ……と、そういえばそうだ。思う事といえば、逆に聞いてみたい事が一つあった。

 

「シャルの方はどう?乗り心地とかは」

「乗り心地って?」

「だって、僕ってあんまり大きくないからさ。大きい方が安定してて乗り心地も良さそうでしょ?」

 

 あまり大きくない……いや、少ーしだけ小さい者としては、こういう行動をするにあたって支障があったりはしないか、気になるところ。

 身長は十とか二十とは言わないまでも、せめてあと五センチぐらいは欲しいんだけど。

 

「全然快適だよ……温かいし」

 

 うん、それなら良いんだけどね。

 いや、でも。

 

「変な事言うね。もし冷たかったら僕は死んでるって」

 

 そもそも今は夏真っ盛り、暖かいを越えて暑いと言える領域なのに。

 それで雨も降ってないのに低体温とか……知らない内に死んでいたって感じでシャルの“大好き”なホラーになってしまう。

 

「ううん。そういう事じゃなくて、温かいよ」

 

 ん、そっか。

 疑問には思っても、リラックスしてくれているような言葉には、その疑問なんてどうでもよくなってくる。

 人を背負うのに向いてないし慣れてもいない僕だけれど、少しでもプラスになれたのなら本望だから。

 

 ……あれ、いや、でも、ちょっと、ちょっと待った!

 

「ちょ、ちょっと、シャル?」

「どうしたの?」

 

 いや、何の疑問もなさそうに、普通の調子で返されても。

 

 暢気に答えるシャルの肩にあったはずのその手は、今さっきのリラックスしたような声の間に移動して首に巻き付くような形をとっている。

 当然、それは自然と身体同士の密着を引き起こす事になって……いや、つまりはちょっとくっつき過ぎなんじゃないかなぁと思ってみたり。

 体勢的にしょうがないのかもしれないけれど、それにはこう緊張してどぎまぎしてきてしまう。

 

「気になる事でもあるの?」

「そ、そりゃ、まぁ……」

 

 本当に暢気な発言だ。

 これだけ普通の調子でいられると、一人焦っている僕が馬鹿みたいじゃないか。

 

「あー、でも、もしかして少し疲れた?」

 

 はぁ……悪い情勢につき、無理矢理話題変更。

 少しでも良いから、意識を他所へと紛らわせる。

 

「ん……うん、そうかも。少し疲れたのかも」

「へ?」

 

 しかし、本当に適当な話題のはずなのに、意外にもシャルは僕の言葉に同意してみせた。

 そして。

 

「だから、もう少しだけこうしてて良いかな?」

 

 うわ、また!というよりさらに!?

 

 右耳をくすぐったさが襲う。くすぐったさと少しの熱。

 ああ、これはたぶん、この感触は髪。シャルの髪……頭?

 歩きながら横目で少し見てみると、表情こそは見えないけれど、見慣れた明るいブロンドが存在している。

 それにこの距離。近い。呼吸の音さえ聞こえそうだし、聞かれてしまいそうだ。

 

「ね、良いかな?」

「か、構わないよ、別に」

 

 その状態からの確認の声には、慌てて視線を前方へと外しながら。

 何だか、何かが、何となく危うい。でも、何だろう?確かに緊張しているにもかかわらず、口元には笑みが浮かぶ。

 

 ……シャルの言う温かいってこういう事か。

 

 顔のすぐ横、背中、体温や感触。

 これって気温とかによる熱とは何かが違って心地良い。今は蒸し暑いはずなのに、確かに温かい。

 そして、一度でもそうやって心地良いと考えてしまうと、心中は緊張だけじゃなくて、緊張とリラックス感とが同居したおかしな状態への変貌を見せて。一体どっちなんだと自問自答したいぐらいのどっちつかずだ。

 本当にまったくおかしい。

 確実なのは、今が決して不快ではない事。

 心地良いのだから、むしろ逆だ。いつまでだってこうしていたいぐらいかもしれない。僕の体力の関係で不可能だろうけれど。

 

「あ、花火」

「……大きいね?」

 

 静かに今の時間を過ごしてでいると、派手でカラフルな光が木々の合間から僕らを照らした。

 大きな音に綺麗な光。花火。日本の夏の風物詩。

 それでも、花火の事なんかは今まで完全に意識の外だった。

 何せ、僕の意識も興味も手の届く範囲の中で一杯になってしまっていたから。

 

「そういえば、シャルはさ」

「ん、なに?」

 

 その一杯から見出だした事を、花火の音を聞きながら率直に告げる。

 

「小さいよね」

「え?」

 

 いや、つまり、シャルってさ。

 

「あんまり大きい方じゃないんだなって」

 

 うん。初めてシャルを背負ってみて、やっぱりそう思うし、そう感じる。

 

「…………」

 

 だけど、問題が発生した。

 変な事言ったかな?さっきまでシャルはすぐに反応をくれていたのに、なぜか今はむっと黙り込んで無言になってしまった。

 それに何だか、雰囲気が穏やかなものではなくなっていて、ひびびと空気が震えるような感覚もある。しかし、震える空気とは言っても花火によるものとは別の気配、なんというか直感的な気配?

 

「ん……どうしたのさ?」

 

 その雰囲気を漂わせたまま、僕の首にあった腕が動いた。絡まっていたそれが緩められ移動して、今度はどうにも僕の頭に移ったみたいだ。

 ――何で頭に?そんな疑問がふと頭をよぎったその時、シャルは律義にもその答えを僕に与えてくれた。

 

「痛っ、シャル!?髪、髪っ!」

 

 頭に乗せられた手が僕の髪を掴んで引っ張っている。

 ぬ、抜ける。束で持っていかれ……ない?でも、痛い。

 強くもなく軽くでもなく、意図の読めない力加減。引っ張られて数秒、耐える時間。歩めど耐えども力には抗えず、次第には頭と顎が天を向く。

 

 ……いや、本当に。痛いってば、シャル?

 

 そして、耐えて耐えて、不意に引っ張るその手から力が抜けたかと思うと――髪が抜けたわけじゃなくて良かった――怒りを乗せながらも今度は言葉で答えをくれた。

 

「もう、もうっ!私だってね、そういう事は気にするんだから」

 

 “確かにね?箒やセシリアには負けてるかもしれないよ?だけど、だけどだよ?私だって形なら……”とか何とか。

 シャルが僕の髪を指で巻いたり捻ったり捩ったり弄くりながら、何かをもごもごと呟いている。

 えっと、独り言?……とりあえず、意見の相違があるみたいだ。いや、確実にある。

 というか髪の毛がまだ地味に痛い。痛いけれどそれはひとまず忘れて、先にその真意について尋ねてみる。

 

「シャル。何を勘違いしてるのかは知らないけれど、多分僕の言いたいこととは大分違ってると思うよ」

「じゃあ、どういう事?」

 

 いや、どういう事も何も。というか不満そう。まだちょっと怒ってる。

 

「あのさ。小さいって、言い方が悪かったのかな。それってシャルの身長とか体格の事だよ」

「……身長?」

 

 そう、身長。返る言葉はまだまだ不満げ。

 ……誤解はちゃんと解いておかないと。

 

「シャルってさ、不本意だけど僕と十センチぐらいしか変わらないでしょ?」

 

 底のあるブーツなんて履かれたら、ほとんどなくなってしまうそんなシャルと僕との身長差。

 

「それなのにこうして背負うと軽くて、やっぱり華奢だったりで。男とはホントに違って女の子だなぁとかね、そんな事を思ったわけ」

 

 ついでにこれは、そんなシャルに守られてしまう自分への情けなさを含んでの事でもある。

 シルバリオ・ゴスペル戦なんて特に。もしシャルがいなかったら、僕は今頃死んでいたから。

 そうやって事実を事実として感じ、思った事を弁明や理由として。

 

 だけど、改めて考えるとつくづく情けないや、僕は。

 守りたいのに守られるとか、あまつさえ死にかけて迷惑をかけるとか、下手な冗談にもならない。

 

 ……まったく僕って奴は――ん?

 

 そうやって、一歩ずつ歩みを続けながら、情けない自分に溜め息をついていると、僕の身体を探るように細く小さな白い手が動くのが目に入った。

 視覚と触れられる感覚で。肩、腕、首……柔らかな手、その感触は耐えられない程ではない。それでも、その動きはやっぱりくすぐったい。

 

「身体……見た目より硬いね?ごつごつしてる」

「まぁ、鍛えてるから」

 

 何かと思えば、そんな事?突拍子もなくいきなりだ。

 ……でも、そういう意味では逆に、シャルと言えば――。

 

「私は?」

「やっぱり小柄だ。それに柔らかい」

「……鍛えてるはずなんだけどなぁ」

 

 鍛えてあるのは分かるよ?

 それでもやっぱり男とは違う。筋肉の付き方とかを考えてみても、やっぱり女の子だ。

 

「しかも、シャルの髪ってば何だかライオンみたいだ」

「むぅ」

「待った!……悪かった、僕が悪かったから」

 

 おっと失言。

 シャルの髪を褒めようと思ったのだけれど、どうやらお気に召さない様子。機嫌を損なってしまった。

 その不機嫌さを表すが如く、子ライオンの唸り声と共に僕の髪が軽く握られる。ここから次に予測出来る行動はつい先程の経験から言わずもがな、直ぐに弁解しないといけない。

 再びの攻撃。それは何としても避けたい。

 

 あー、えっと、それじゃあ――。

 

「訂正。何だか太陽みたいだね」

「……そんな風に言っても今更遅いよ」

「いやいやホントに」

「どうせ、私はくせっ毛気味ですよーだ……」

 

 くせっ毛?確かに、言われてみればそんな感じだ。

 この間の朝食の時だって、ぴょこんと寝癖が立ってた時があって、指摘してみたら慌ててた時もあったし。

 とにかく。表情が確認出来なくても、今のシャルが唇を尖らせるようにふて腐れて少し拗ねているのが分かる。

 

 でもさ、シャル?シャルの髪がくせっ毛でも何であっても。

 

「だけど、その今の髪型。よく似合ってると思うよ」

「……本当?」

 

 もちろん。本当本当。

 

「普段の髪型も僕は好きだけどね」

「……そっかぁ」

 

 いつもの尻尾付き。動く度に揺れるそれを眺めるのは好きだ。

 それに、今のシャルの格好だって。

 

「浴衣もよく似合ってる」

 

 それは浴衣を着慣れている箒さんにだって引けを取らないぐらいに。

 あと、さらに僕個人の意見で付け加えるのなら。

 

「あと、か――」

「か?」

「か、可愛いと思う。よく似合ってて可愛いと思うよ」

 

 ああ、何とかちゃんと口に出せた。

 こんなたった一言に、なぜか緊張しているだなんて僕らしくもない。昔だったら普通に言えそうなものだけど……いや、昔だったらこんな事、思いもしなかったかもしれない。

 とりあえず、面と向かった状態だったら言えなかった事だと思う。

 

「あ……その、ありがとう?」

 

 やっぱり僕らしくない言葉だったりしたのだろうか。

 背中からの声には戸惑いのような色が。

 

「どう、いたしまして?」

「う、うん」

 

 そして、そう戸惑われるとこっちにもそれが感染してしまう。

 たださえ緊張していたのに、それプラスこれじゃもうお手上げだ。

 上手く言葉は返せないし。会話もまた続けられない。

 

「…………」

「…………」

 

 どうしよう。変な空気だ。

 

 歩きながら、正直焦る。

 ほんの少しでも何でもいいから、言い出せたら良いのだけれど。

 シャルは何も言ってはくれないし、僕も今ははっきりと無理だし。

 

 その空気のまま、僕らが進む正面には林の終わりが見えて来た。神社の本殿、照明、喧騒。静から動。暗から明。

 とにかく、時間が動き出すイメージ。

 

「あのさ?」

「あのね?」

 

 機会を同じくしてお互い話しを切り出す。僕らのどちらも疑問系。疑問というよりは提案。

 あぁ……とりあえず、またやっぱり気まずい。

 

 再び訪れた沈黙のまま本殿の横を通って、軽い傾斜の下り坂に差し掛かる。

 下っていくに従って人の波も賑やかさも勢いを増していく。

 賑やかさでも騒がしくても、僕らの静けさは破れない。話題を切り出そうにも、頭は少々多大にオーバーヒート中。思考が空転し、その状態で治まらない。

 ホントにどうしよう。慌てるばかりでどうしようもない。

 

 次第には、屋台が立ち並ぶ区画、その近くにまで来てしまった。

 混乱する中でも、漂う香りに食欲が刺激される。

 ソース?マヨネーズ?鉄板に焼かれ蒸気と共に運ばれたそれが直接的に嗅覚を扇動する。そうして煽られた食欲、進んだ空腹。そこから発生するは自然な現象。

 それは、夏虫じゃない非実在的な虫の唸り声。

 

 発生場所は僕の腹部ではなく――背中で。

 

「……ぷっ」

「ッ!ま、待って!違うよ?私の音じゃないよ?」

 

 今までの無言の均衡が一気に崩された。不意打ちに吹き出してしまった僕の笑いに対して、背中からの慌てた弁解が開始される。

 慌てて焦って流れ出すように。恥ずかしがって必死に。対照的にそれを聞く僕はどこまでも楽しく。

 

 はいはい。そういう事にしておくから……ああ、でもダメだ。やっぱり抑え切れない。

 

「あぁー、また笑った……!」

 

 シャルのお腹の音じゃないなら、別に笑っても構わないのだと思うけど?

 

 そう思いながら尚も小さく笑っていると、いきなり力の抜けた身体がしだれかかってくる。

 それでも、全身が脱力しているわけでもなく首を周り僕を捕まえる両腕は心なしか強く。顔を隠そうとしているみたいだけど、横目で見える横顔は真っ赤で。

 そこまで気にする必要なんてないのに。ホントにシャルは……。

 

「ところでダイエット中に悪いけど、付き合ってくれないかな」

 

 さて、そろそろ僕の出番。フォローの時間だ。

 シャルをからかった責任もあるし。僕自身の実利も含めて、今日これからについての提案をしよう。

 

「……何に?」

「屋台まわり。二人で分け合いながらさ」

 

 顔に赤みを残しながらぼそりと尋ねてくるシャルに、一言の補足を付けて返す。

 というのも、要するにダイエットってただの自主的な食量制限なわけだから、まずシャルが食べて残りを僕が食べれば、シャルも僕も屋台をちゃんと堪能出来て万事解決っていうか。

 

「え、えっとね、それじゃあ!まず何から食べるの?……その、たこ焼きから?」

 

 少し落ち着かない仕種と反応。

 よほど、お腹が空いていたのか、シャルも提案には賛成してくれているみたいだ。

 空腹が理由にしては、何か少し空回ってるというか、どこか不自然で、それは気になるところではあるけれど。

 

「でもシャル。分けるとは言ってもあんまり食べると太るよ?」

「もう、またそういう事言う……でもね、それでも良いよ」

 

 ……からかいが通じない。

 でも、何で?

 

「だって私がもし太っちゃったら、君に責任を取ってもらうんだから!」

 

 はいはい。いざその時はお言葉のままに。運動でも何でも付き合うよ。

 でも、そうならないように、まずは気をつけてね?

 

 

 

 

 暑かった夏も中旬を回り、もうすぐ終わりがやってくる。

 そうやって夏が終れば学校も始まり、会えないわけではないけれど、また少し距離と時間が離れてしまう。

 さらに。新しい機体が来たのなら、運用テストに追われる日々が来て、こうした時間は殊更に少なくなっていくだろう。

 

 それは何だか……名残惜しい。いや、寂しい。寂しく思う。

 でも逆に言えば、逆に考えれば、約二週間もまだ時間がある。残っている。

 だから今は、この時を噛み締めよう。楽しもう。

 

「いっただきー」

「あ……、それ私の分だよ!」

 

 何と言うか、今はやっぱり大切だと思える時間だから。

 

 夏祭り。こんな夏の日、夏の夜、夏の時間。

 特別で何も特別じゃない、いつもの僕らの一日。

 何と言う事もなく楽しくて幸せな、そんな普通の一日だった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。