Acxis   作:ユ仲

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Chapter3-8-1

 その時、僕は一体となっていた。

 

 身に纏うは、軽量性と防護性能とを両立された特殊装甲。装甲だけでなく全身には慣性制御による障壁――シールドバリアが展開され、最後の盾である絶対防御をも含める事で搭乗者への万全な防御力を実現している。

 背中には機体長はあろうかという四枚羽――スラスター。いわゆる制御翼により、集束と増幅が為された推進力が機体を押しやり、多大な加速力を実現する。それはまさに空気を切り、空を裂く感覚。

 両腕には武装。即座での選択によって場の状況に応じた火器の選択が可能だ。今現在の状況においては、右腕にアサルトカノン、左腕にショットカノンを保持し、敵機の迎撃に当たっている。

 

 手の内の刃を日光に反射させながら迫る、桜色の敵。

 間合いを侵された近接戦闘。合わせて右腕武装を変更。相手の切り掛かるタイミングを見計らい、アサルトカノンを小型の実体剣へと持ち替える。

 放たれた剣筋。自らを結ぼうというそのライン。線には線で結び、逆手に保持したショートブレードで迫る一撃を妨げる。

 接触。

 金属同士がぶつかり合う鈍い衝撃が周囲に響き渡った。それはもちろんブレードを通じ機体にも襲いかかる。だが、機体運用にたいした問題は起きていない。刃は刃によって受け止める事が出来た。

 しかし、それで終わりというわけにはいかない。

 凌ぎ合い、削り合い。剣と剣、力と力。押し切らんという意思と押し退けようという意思、是と否の意思が押し合いながら均衡している。刃同士の接点を通し、互いの機体出力を比べ合うように火花を散らす

 

 均衡。目の前にはこちらを狙う切っ先。それでも危機的状態には足り得ない。

 流石に世代的な優位性はこちらにあり、純粋なパワーでは負けていない。片手と両手、そのような状態であってもこうして押し負けず受け止めていられる事もそれを示してくれている。

 しかし、そのような理解は自分だけでなく相手にも存在しているだろう。僕のようなルーキーとは違って相手はベテラン、当然の事として頭に入っているはずだ。

 だからこそ、それを念頭に置きながら仕掛ける。先手必勝とは言い難いが、後手に回れば勝利がない為に。

 その為に均衡を破る。自身が受け止める力のベクトルを変更していく。

 角度を変えるショートブレード。刃はブレード上を滑り、目の前にさらなる火花が咲き散る。刃を越え、火花を越え、尚も内含される力は変わったベクトルをなぞり、その役目を全うする事なく何もない宙を切った。

 

 好機だ。

 振り切った姿。決定的な隙。この距離とタイミング、返す刃も間に合いはしない。生まれた死に体へと銃口を向け、左手の引き金を引いていく。

 フルオートマチック・ショットカノン。

 毎分三百発程度の連射速度とは言え、近距離、しかも相手が挑んで来たこの至近距離であれば、たった一撃でさえも相手の耐久値を大きく削り取る事は必至。

 しかし、その必中のタイミングで放たれた幾つもの散弾は、空間に拡がりを見せながらも宙を穿ち、それから瞬き程の次の瞬間においてはこちらの背後に敵がいた。

 

 イグニッション・ブースト。

 瞬間的な爆発的加速をもたらす、設定技能だ。

 停止状態から最大速にまで機体を加速させるそれによって、戦況は一変。一瞬で好機は危機へと変わる。

 幸いにも、その選択は予想の範囲内ではあった。読めている。何度も何度も苦汁を嘗めさせられていた技能なので、当然に。

 だが死角。状況は良くない。反応の間にも距離は詰められ、おそらく再び一撃で落とされる事になるだろう。

 

 ――右腕にアサルトカノンを再変換。左腕ショットカノンの即時装填。

 

 けれど抵抗。振り向き様、正確な狙いさえも付けずに弾幕を張る。ただ撃ち放つ事だけを考えて。負けてたまるかの一心で。

 桜色の敵機もまさかこんな闇雲な反撃が来ると思っていなかったのか、いつもの突撃を思い留まり、今は回避だけに専念している。

 それは逆に考えれば、攻め急がなくとも勝機があるという余裕を感じさせる物だ。

 

 進行が止まったのを見て、こちらは弾幕を張り続けながらも全力で後退を開始する。

 元より、相手は近接オンリーの機体。距離を離して戦うのがセオリーだと言える。

 しかし、その射程の差を埋める、埋めてしまえるのが敵機だった。

 やはり、後退速度を上回る速さでこちらを追撃する。

 汎用機と近接特化型の高速機、平均値で上回っていても速度等の個別のパラメータでは負けている。

 

 その差を認識しながらの蛇行軌道。左右に機体を振りながら後退。軌道には法則性を付けての誘い。

 相手もこちらの弾筋を読み回避を続けつつ追撃の素振りを見せながらも、こちらの動向を窺っているようだ。いや、確実に狙っている。

 その狙いは恐らく。

 

 ――リロード。マグチェンジ。弾倉交換。その瞬間。弾幕の薄くなる瞬間。

 

 そして狙いが読めているのなら、そのタイミングはこちらで支配できる。

 しかし、弾切れから盾への変換。それに消費する時間と恐らく使ってくるだろうイグニッション・ブーストによる接近までの時間。乗るか反るかのタイミングになる。

 一気呵成のイグニッション・ブースト、そこからなる一撃を凌げば、至近距離でショットカノンを叩き込む事ができ、こちらの勝利となり。

 その一撃。圧倒的なそれを喰らってしまえばシステム上、一撃必殺の判定が下される。

 

 もっと自分が上手く機体を扱えていたのなら、こうも劣勢にはならないはずなのに。だが、それも今言ってどうにかなるものでもない。

 ならば仕掛ける。まさしく勝負。さぁ、来い。さぁ、掛かって来い。

 アサルトカノンの残弾を使い切らないままに交換を開始。転じて即座に実体盾へと切り換える。

 ほぼ同時。予測通りに相手も来た。イグニッション・ブースト。やはり速い。数十メートルの距離が一気に至近距離に。

 お陰で敵機とその剣が大きくよく見えるようになった。決める気だ。形状を変化させ、実体剣から光の剣と化した敵武装。振りかぶられた一撃必殺“零落白夜”。

 しかし、読み通り。タイミングも完璧だ。いかに必殺と言えども盾は破れない。破れないのなら、そのまま防ぎカウンターを叩き込めば、事は全て片が付く

 

 ――っ!?

 

 そして、盾を剣撃へと傾けたその時、目の前の光は盾を擦り抜けるように消え去っていた。正確には敵の姿が視界からなくなっていた。

 

 ――一体どこに……?

 

 斬られたわけではない。それを感じながらの瞬間的な思考も半ば、注意を促すアラームが響く。

 

 ――後ろ!?

 

 さらに瞬間的。レーダーが敵を背後に示し出す。

 即座に確認するも、そこには光を振りかぶった敵の姿。こちらはその敵に対し、隙を晒し出している。

 

 イグニッション・ブーストの連続使用。言うなれば、二段イグニッション・ブースト。完全に予測の先を行かれた。

 防御は……間に合わない。

 たった一瞬の差で。一瞬をさらに分解したその極小時間の差で。致命的なミスだ。慣れていない機体、未熟さ、フェイントにフェイントを重ねられた甘い読み、考え。それが今、ここに出た。

 それでも反射的。時間を作り出すために振り向きながらも、手に持つショットカノンを機体と光との間に構え入れていた。

 断ち切られ、半ばから熱量によって崩壊していく銃身。

 それでさえも、盾を構えるには足りない

 そう、ただ盾で守るには――。

 

 右腕を振るいながら盾をそのまま放棄する。

 重量がある分、構える挙動に支障がある為に。タイミング的に防御が不可能となった今、そんな物など不要だったから。

 真の狙いは、その盾の下にあるから。

 

 大口径パイルバンカー。

 重量物を投棄した右腕に残る、原始的な存在。最後の切り札。いや、特化型にその分野で挑まなくてはならないとは苦肉の策でしかない。

 通常であれば、まともにはやり合えはしない相性。

 しかし、このタイミング。今現在の距離であれば――。

 

 ――光が視界の上下に走る。時を同じくして、右腕を光の先に叩き込む。

 

 一瞬の交差。光で目が眩む。勝敗は?一体どうなったのか?

 そして、光の向こう。光の消滅と共に視界の中へと現れたのは。

 

 ――NICE JOKE !――

 

 本日、もう何度目かになる、完全敗北を示す屈辱の文字列だった。

 

 

「……また、負けた」

 

 テレビ画面に尚も表示されている赤い文字列。人間工学に基づく、手にフィットする操作端末――ワイヤレスコントローラーを手に持ちながら、突き付けられた事実にうなだれる。

 勝てない。連敗、大連敗。負けて負けて負けまくり。

 

「あっぶねぇ……マジでギリギリだった」

 

 一方で、こんな事を言いながらもまだまだの余裕を見せている一夏。

 テーブルの上、グラスの中のお茶を傾けては一口。連戦連勝、度重なる死々累々僕の犠牲のお陰で気分は大分良さそうだ。

 

「というか、一夏のそれ強すぎ。一撃必殺とか有り得ないって」

「んな事言っても、手加減するなとか一番強いのでとかって言い出したのはそっちからだろ?」

 

 それは、その通りだけど。

 

「しかも、これ……現実にかなり忠実な事で有名なんだけどな?」

 

 一夏の続けた言葉に合わせたかのように、ディスプレイ上――表示は結果の表示画面から機体選択画面に移り変わる。

 大型ディスプレイの中には多種多様の機体。その中で僕側2Pカーソルが乗っている機体――僕が先程使用したラファールリヴァイヴは一夏の操る暮桜に力及ばず敗北した。

 

 ……ごめん、シャル。また勝てなかったよ。

 

 何となく、ラファールリヴァイヴという事でシャルに謝ってみる。

 でも、まぁ、搭乗者無名の量産機と実質的に世界を連覇した暮桜――しかも、搭乗者、織斑千冬さん……織斑先生の技量を反映させたそれとでは、大きな差があっても仕方がないのかもしれない。

 結局の所、それはただの言い訳に過ぎず、僕の技量不足というのが最大の敗因なのだろうけれど。

 

 さて、そんな敗北感に満ち溢れた今現在。それを僕に与えているのは、内部のソフトウェアを読み込み処理し画面に映像を映し出している物、いわゆるテレビゲームという存在だった。

 そのゲーム、ゲームソフト――ハイスピードISアクションというジャンルを謳う『モンドグロッソ2nd』。

 ISを元にしたゲームとしては『IS/VS』に大きく差を開けられるも、それに次ぐ世界第二位の人気を誇るゲームらしい。

 各国において独自のパラメーター調整が行われているIS/VSに対し、モンドグロッソシリーズは弱い機体は弱く・強い機体は強いというシビアかつハードなゲームバランス。

それに関して批判もありはするものの、一部のファンや一部のIS関係者からは熱狂的な支持を得るまでに至っているらしい。

 その内容にいたっても、機体や国家代表搭乗者の情報、モデリングや挙動などが細か過ぎる程に再現されており。さらにそれが、モンドグロッソの開催直前の時期に最新バージョンが発売される事から、製作にはIS関係者の大物が関わっているという噂もあるとかないとか。

 とにかく僕にとっては、らしい、らしいの連続。全部が一夏から聞いた話ではあるけれど、そういうゲームであるらしい。

 

 そんな事を踏まえて、勝敗についてもう一つ言い訳をするのなら、テレビゲームなんかに触るのは人生で今日が初めてだったから。それはもう、負けて当たり前。……言い訳をした所で悔しい事に変わりはないけれど。

 悔しい、ああ悔しい。一夏との実力差は明白で仕方がないのかもしれないけれど、それでもやっぱり悔しい。

 

「だったら、もう一戦やってみるか?」

 

 僕の負けん気と表情を覚ったのか、一夏は軽く嘲笑うようなわざとらしい顔で、コントローラーを片手に挑発をかけてくる。

 

「別にハンデありでも良いぜ?」

 

 ……ほほう?

 その言い分には、こう少しカチンと込み上げてくる。挑発に乗ってあげようじゃないか。

 それに初心者とは言っても、僕にも意地がある。

 だからハンディキャップなんてそんな物は――一応、貰っておこう。勝利の味も上達への一歩だから。

 

「でも一夏。その前にさ」

「ん、何だ?」

 

 けれど、そんなイージーモードのリベンジを挑む前に。悔しいとかそういう物以前の今の状況について確認しておきたい。

 

「僕らって正直、かちょうの外って奴だよね」

「それを言うなら『蚊帳の外』だ。……でも、確かにそうだよな」

 

 清潔感のある広いリビング兼ダイニングルーム、二人だけで興じるテレビゲーム。

 ここは住宅街の庭付き一戸建て、地価を考えても良い物件、一夏の家。織斑家。

 そこに僕らは、別に二人で寂しくゲームをする為だけにいるわけじゃない。そもそも、ここに来ているのは僕らだけじゃない。

 

 それはキッチンから。

 テレビから流れるBGMに混ざって聞こえてくるのは、トントン、ドスドス、わーわー、賑やかで騒がしい楽しげな音と複数人の声。今日も夏祭りに引き続いて、皆いつもの勢揃い。

 けれど僕は、いや、家の主である一夏さえもそこに入る事を拒絶され禁じられ追い出されて、僕らはこうして今に至る。

 俗に言う、仲間外れって奴だ。

 

 別につまみ食いとかじゃなくて、ただ単に手伝おうとしただけなのになぁ。シャルもそこまで拒まなくても良いのに。

 確かにさ、僕にとって料理は門外漢だけどさ。

 

「まぁ、なんだ……続けるか?」

「……そうだね」

 

 蚊帳の外、リビングに残された二人で寂しくゲームを再開する。

 もらったハンディキャップ。一夏が選んだのは、とある第二世代機体。表示パラメータ上、射撃精度は飛び抜けて高い機体ではあるけれど……これは、うん、確かに。

 

 こうしてシャル達皆を待つ間、僕らはゲームに興じ続け、僕はついに念願の初勝利を迎える事となる。

 

 

「6」

 

 一夏の手札から、テーブル上、中央の山へ。

 決められた順に従って、要求された数字であるはずのカードが裏返しに数字が伏せられながら繰り出されていく。

 

「ダウト」

 

 そして、僕はその一枚が虚偽の数字であると判断。宣言を上げ、そのカードの数字を確かめる。

 

「……ちっ」

 

 一夏の舌打ち。ほら、やっぱりだ。

 一夏は6を出すべき順番でジャックのカードを出していた。僕を騙そうとした虚偽の一手。でも、そうはいかない。お見通しだ。

 虚偽の発露。そのペナルティーとして、一夏の手札には今までに消化した山にあるカードが追加される。

 

「じゃあ、7」

「ダウト」

「はい、残念」

 

 僕から続行。その後、即座に、あらぬ疑いを僕へとかけた一夏には、更なるペナルティーが。

 たった一つの山となった、僕の元手札が一夏の手札に加わっていく。

 

「8」

「9」

「10」

「ダウト」

「J」

「ダウト」

「Q」

「ダウト」

「K」

「A」

「ダウト」

 

 ……。

 …………。

 

 延々と永遠に。

 二人きりのトランプ、この物悲しさを説く由を僕らは持たない。

 特殊なルールを定めてもいないので、わざとミスでもしない限り、勝負が終わらない。中々終わらない。

 ゲームも飽きてしまうのでという理由で、今はなぜかのカードゲーム中。

 食欲をそそる香りを流し出したキッチンとは違い、僕らの拠点であるリビングは依然として寂しい。

 

 そんな寂しさや悲しさ、それを助長してくれてしまうカードから目を外し、付けたままにしていたテレビを見てみる。

 

『――この破壊活動については、既に反体制組織ユニオンが犯行声明を出しており、これに対しオーメル・サイエンステクノロジー社は各メディアに宛て、次のような発表をしています』

 

 画面の中では、崩れ落ちた工場の映像を背景に真剣味を帯びたアナウンサーが原稿を読み語っていた。

 死者の報道こそまだ出ていないとはいえ多数の負傷者が出てしまい、さらに現在も救助活動が行われているという緊急ニュース。世の中もまた万事何事もなくという風には行っていないようだ。

 

「最近……多いよな。こういうの」

 

 諦めたように大所帯となったカードを並べて、一夏がテレビを眺めながら呟く。僕もその意見には、まったくの同意だ。

 こういった報道を見てみても、実際にここ日本が平和であるだけで世界が平和なわけじゃない。

 そうでなきゃ、僕みたいな存在が今まで仕事にありつけていた理由にはならない。ホント、そういう意味では色々平常通りと言えるのかも。

 

 ん?でも、日本での平和についてよくよく考えてみると、こっちに来てからでも二回ほど実戦を経験していて。しかも、やられかけて死にかけて、何だかあんまり平和とは言えない日々のような気も……えっと、あれ? 

 

「……愚かな奴らだ」

 

 僕もカードをテーブルに置き、平和なはずの場所での波乱な経験に疑問を抱いていると、報道の内容に向けられた吐き捨てるような台詞が聞こえてきた。

 

「オーメルが、このまま引き下がるとでも思っているのか?」

 

 背後。そこに立っていたのは小柄な銀髪の少女、ラウラさん。

 ラウラさんはいわゆるテロリストとテロリズムに対して、忌ま忌ましげに表情を歪めつつもその蛮行の意義と真意に疑問を呈している。

 

 しかし、言葉の内容とは対照的にその姿はというと実に家庭的な物。

 中央に白いボタンの立ち並んだ黒いゴシックワンピース、それの上から身に着けられた猫の足跡を模様としたエプロン。

 さらに身体の前、両手で持つのは何かの食べ物がよそわれているらしい少し大きめのお皿、器。出来立てなのか、座って眺めるここからだと湯気が立ち上っているのが見える。

 

「まぁそんな事、今はどうでも良い。……待たせたな我が嫁よ!」

 

 意気揚々。

 ふははと笑いを上げそうな興奮気味、自信満々の様子によって、リビングにあったシリアスな雰囲気が転換される。

 宣言と共に自信ありげと一夏の目の前に置かれたのは、その手にあった皿。

 お陰で皿の上を覗き込めるようになり、上っていた湯気の正体が判明した。

 

 ほくほくと湯気を上げる一口大のジャガイモ群。器の中にはジャガイモだけでなく、薄切りのタマネギとベーコンとがジャガイモと共に存在をひっそりと主張している。

 全体的に焦げ目が見えるが、これは油で炒めている際にわざと付けられたものだろう。焦げ過ぎの部分はなくアクセント程度にそうある。

 湯気に混ざる香りからすれば、きっと味付けはシンプルかつオーソドックスに塩と胡椒で。

 そう、それはシンプルでありながら立派で有名な家庭料理、いわゆるジャーマンポテトと呼ばれる存在。

 

「さぁ、食べてみてくれ!」

「良いのか?」

「ああ!」

 

 本当に自信満々。ラウラさんには気力が漲っている。

 以前、病院で聞かれた一夏についての事。その対策がきちんと成されたみたいだ。

 家事全般、家庭的な一面がある一夏に対し、同じく家庭的な事をして一緒に手伝ったりすれば一夏も喜ぶんじゃないか、とかそんな事。

 ラウラさんは料理という形でそれを成し遂げた。そこに費やされた努力は指に残る絆創膏が物語っている。

 

 ……ナノマシンがあるから、包丁程度だと傷は残らないはずだけど。まぁきっと、何かしらの理由があるはず。

 

「おう。そんじゃ、早速いただきま――」

「待ちなさい、ラウラ!……やらせないわよ」

 

 ――くっ、早かったな。

 一夏から顔を背けながらのぼそり。ラウラさんが舌打ちと共に呟いた。

 一夏の食前の挨拶を遮り、ラウラさんの目的を妨げたのは、ファミリーレストランの店員のように大きめの皿を片手で保持した凰さんだ。

 ボーダーシャツに脚を出したショートパンツという何だかラフな感じのする服装ながら、それに加えて、今は半袖のパーカーの代わりにエプロン。模様は流石の笹とパンダ。これはさすが凰さん。

 そして、器にはやっぱり何かしらの料理。湯気が見て取れる。

 

「……待て待て待て、待て、鈴!お前にこそやらせはせん。一夏にはまず私の」

「箒さんの言う通りですわ、鈴さん」

 

 加えて、さらに二人が競うようにしてキッチンから姿を現し乱入し、その二人――箒さんとセシリアさんが負けじと主張を展開する。

 もちろん二人ともエプロン姿。ラウラさんや凰さんと同じように、やはりその手には皿。

 我先にと各々の料理を掲げ、さっきまでの寂しい部屋から一転、一気にその場が騒がしい争いの舞台へと変わった。

 

「一夏さんには、何より先にわたくしの料理を食べていただくのですから!」

 

 誰もがまず一夏に食べてもらう事を望んでいて、一夏が試食家的な扱いになりかけている。

 セシリアさんの台詞に一夏が顔を強張らせたのは……よく分からない、気になる事ではあるけれど。

 

「それに皆さんにも、一夏さんの後できちんと……」

『え゛?』

 

 え?

 さらに。僕にとって不明な出来事、現象がさらに一つ追加された。

 賑やかさの中、胸を張りながら続けられたその宣言に、一夏だけでなくラウラさん達までもが態度を一変させその動きが止まった。争いが止んだ。

 それもそのはず、一夏を含めた皆がセシリアさんに振り向き、目を向け、強張った表情のまま無言で硬直してしまっている。

 

「そ、その反応は、一体何なんですの!?」

 

 返って来た謎の反応に、発言をしたセシリアさんが皆の顔を見渡す。

 

『いや……別に』

 

 それに返るは、さらにおかしな反応。

 理由を確認しようとするセシリアさんの視線に、誰もが顔を反らし言葉を濁し、真実は闇の中。

 でも、本当に何だろう?皆が皆、揃っての反応だから余計に気になる。

 

「……それじゃあ、ちゃんと決めようぜ?」

 

 不意に、一夏の顔に決意が浮かんだ。それは悲壮的とも言える決死の覚悟。

 料理をこれから食べようという友人にこんな印象を受けるのは自分でもおかしいと思うけれど、一夏は軽い笑顔を見せながらも一片の淀みなく真剣だった。

 それに対し、セシリアさん以外の皆は一夏に感化されたように悲痛をもって頷き、セシリアさんは何が起きているのか分からないままに困惑しながらも同意している。

 

 勝負が始まる。

 勝負方法はじゃんけん。負けませんわー!と気合いを入れるセシリアさんを除く皆は、何だか生死がかかっているみたいに恐ろしいぐらいの意気込みだ。

 景品扱いの一夏も何故か参加している辺り、一夏自身にも熱心に希望する食べたい料理があるのかもしれない。

 

 んー、でも、こうして真剣勝負が始まるとは言っても、僕にとっては蚊帳の外の外……全く関係がないようなので、どうにも気が入らない。何となくの疎外感だ。

 完全な第三者。傍観者。始まろうとする戦いの行く末を、そんな離れた立場からただただぼーっと見届けていく。

 

「はい。こっちも出来たよ?」

 

 すると、開始された激しい戦いの趨勢をぽけーっと眺める僕に対して、声とそれとが視線のすぐ前へと差し出された。

 

「ね?おいしそうでしょ?」

 

 さらに声。同意を求める声。目の前には深さのある皿、中にはキツネ色とその上に乗る青い刻みネギ。いわゆる揚げ出し豆腐だ。出来たばかりと一目で分かる一品。湯気の中にタレの匂いが香る。

 だけど、一夏達のじゃんけん対決には参加しないで良いのだろうか。皆、順番と覇権とを賭けて必死に勝負してるのに。現在進行形で続く中、脱落者もまだいないみたいだし。

 

「もう、何言ってるの?一番最初に君の感想を聞かせて欲しいなぁって、そう思って作ったのに」

 

 僕の疑問を伝えてみると、お皿を手にしたままのどこか不満げな反応が返ってきた。

 むっという不満。でも、文句は文句でもそういう風な言われ方をされると少し照れ臭いというか何と言うか。とにかく何だか、くすぐったく思える。

 

「ふん、だ。でも別に良いよ。君がそうやって言うなら、お望み通り一夏に食べてもらうんだから」

 

 えっ、いや、ちょっと、ちょっと待って、シャル?

 

 返した答えがまずかったのか、僕の抱いていた予想とか期待に反して、不満さからか目の前のお皿が引き下げられていく。じゃんけんの方を見ながら、僕から揚げ出し豆腐を隠すようにお皿が上へ上へと掲げられる。

 

 ぐぬぬ。

 しかも、一番最初は一夏にとシャルは言う。

 自然に。上がる皿につられて僕の視線も角度を増して、引き留める右手が視線を追随するように伸びていた。

 当然ながら、座っている今の状態では伸ばして求めても届かない。指は空気しか掴めない。

 何と言う事だ。……豆腐……僕の揚げ出し豆腐が行ってしまう。

 

「……食べたい?」

 

 こちらの様子を窺う、ちらりと横目。言葉も僕を試すかのような、反応を見る一言。

 対する答えは、即座にイエス。もちろん食べたいです。

 

「本当に?食べてみたい?」

 

 不満からの印象が拭い切れないのか、答えてみても僕への確認が続く。

 ならばと僕も言葉に誠意を乗せるべく、背筋を伸ばして姿勢を正し、確めてくるシャルの瞳を見つめ返しながら、再度の返答。

 食べたいです。どうか是非とも、食べさせてくださいな。

 僕なりに精一杯の謝罪と懇願。

 

「えー、どうしようかな~?」

 

 しかし、シャルはというと、僕の願いに渋ってみせた。

 しかも、顎に指を当てて、楽しそうに軽くの笑みを浮かべながら。

 

 この様子……完全に、僕を弄びにきている。

 シャルの悪戯っぽい笑顔。鼻唄でも聞こえて来そうなぐらいの、こちらの反応を楽しみながらの仕種。その意図と企みを分かってはいても、主導権は僕の手をすり抜けていて今はどうしても逆らえない。

 だったら、ひたすら直球勝負。真正面からストレートに。主導権とか関係なくゴリ押し、力押しで。

 逆らうわけでも何でもなく、ただただ一つの思いを込めながら。

 笑うシャルの瞳を、ただただ見つめ続ける。

 

「食べさせないよって言ったら、どうする?」

 

 こちらの思惑を知らない内の牽制攻撃。これはジャブ。本当にただの牽制に過ぎない。

 だから、怯まず気にせず、じっとじじっと。視線はそのまま投げ返す。

 

「聞いてる?」

 

 うん、もちろん聞いてる。だけど、男は黙って真っ直ぐに。確固不動。しっかりと。

 

「……ねぇ?」

 

 じー。そんな効果音のイメージで、少し困り始めた瞳を覗く。奥の奥まで見るように。瞳を通してシャルの全てを見透すように。

 

「ねぇってば……」

 

 困った模様、その表情。

 アメジストかオパール、誇張するとそういった感じの青か紫かという瞳が、色の中に少しの弱音を含ませて光を僕へと送ってくる。

 それでも、手加減……目加減はしない。シャルの瞳から視線を決して外しはしない。横を向いたりされても、視線に力を込めて、さらなる力をシャルへと伝えていく。

 

「むぅ……むむ、むむむ……!」

 

 弱気めいた瞳からいきなりの一転だ。こちらへの反撃が開始された。僕の視線が明確に迎撃される。

 困った瞳に僅かながら力が篭って、視線が逆に送り返されてくる。

 けれど、僕のやる事に変わりはない。返されるのなら、返すだけ。さらに返されるのなら、さらに返す。視線の応酬。

 

「うぅ……」

 

 あ、萎んだ。反撃は割とすぐに折れてしまった。

 まぁでも、今は心を鬼にして初心を貫き通すべし。じー。

 

「えーと?」

 

 継続。じー。初志貫徹。

 

「……もう一度聞くけど、食べてみたい?」

 

 そして遂に反撃意思、からかう意思、両方共の消失が確認出来た。視線での連続攻撃の結果か、シャルの様子や態度も振り出しに戻って、こちらの意思を再び確かめてくる。

 だったら僕も最初に戻って、今度はきちんと適切に。素直な本心だけを頷きながら答えていく。

 

 もちのろん。食べたいに決まっている。

 

「……うん。それじゃあ、はい」

 

 そして、ようやくの時を経て、“どうぞ”の呪文で揚げ出し豆腐が再降臨を果たした。“きちんと味わって食べてね”と皿に供え置かれながら。

 ちなみに一方でのじゃんけん対決はまだ続いている。でも、僕にはやはり関係の薄そうな事なので割愛。目の前の豆腐に集中注目真っ最中なので、気にしている暇もない。

 

 なので、今は両手の平を向かい閉じて合わせて、合掌。

 その手のまま、お皿に頭を軽く下げて祈るように呟く。

 

 ――いただきます。

 

 こうして祈りを捧げたのなら、今度は実行に。

 手元にある箸で皿の上の一つを食べやすく別けていく。キツネ色の外見、大きさにしておおよそ一口大に。切り分け、摘み、持ち上げたそれをそのまま、口の中へと運ぶ。

 頬張るような形で口に入った唐揚げ。まだ少し熱いぐらいだけれど、許容範囲内だ。

 

 早速、一噛み。

 軽目の力に対し、まずは柔らかくと解れる感触。ほんのり微かの衣の抵抗。それを通り過ぎると今度は熱く柔らかな豆腐の肉が噛む力に対し無抵抗に裁断されていく。

 豆腐や衣の食感もさる事ながら、噛み絞める度に中に染み閉じ込められた出汁とタレとが口の内部で広がる。

 

 ……まさか、これは?

 

 間違ってもグルメとか食通とかって自称は出来ないけれど、その味の感覚と記憶にと、それでも分かる事がある。

 

「ねぇ、シャル?」

「うん。分かった?」

 

 そして、シャルは僕の質問が言い切られる前に首を縦に振って見せた。意図というか感想が共有出来ているみたいだ。

 

「あんまりにおいしそうにしてたから、レシピを聞いてみたんだよ」

 

 何だかにこにこと柔らかい表情のまま続く言葉。その内容。意味する事。

 確かにそれはキサラギの食堂での味に似ていた。いや、まさにまさしくその味だった。最近、気に入ってよく食べていた一品の味。

 

 でも、確かに言われてみれば、最近シャルが食堂の料理場で何やらをしていたのを思い出した。

 調理スタッフの人と話をしていたり、厨房の中で作業をしていたり。あまり気には止めず、何してるんだろうってぐらいの感覚で見ていただけだけれど。

 

「それで、どう?おいしいかな?ちゃんと出来てるかな?」

 

 なるほどなー、と二つに分けた片割れへと手を伸ばしながらその情景を思い出していると、僕に確認の声が降り懸かった。向けられるその目の中には、料理への自信と少しの不安が覗く。

 というかまぁ、実際食べてみた個人的な意見だと、不安なんてのは不要無用の代物に違いない。とは言いつつも、ほとんど何でもぺろりといけてしまう僕の味覚なんかは正直、参考とするのに中々疑わしいわけで。

 

「シャル。じゃあ、ほら」

 

 味見はしてるとは思うけど、自分自身で改めて確かめた方が良いと思う。

 という事で、皿から挟み取った揚げ出し豆腐を自分の口ではなく、シャルの目の前へと差し出してみる。

 

「うん?」

 

 豆腐を目の前にして傾げられる首。今度はこちらの意図があまり上手く伝わっていないみたいだ。

 だけど、そのままでいられても困る。でないと、僕が二個目を食べられないじゃないか。

 

「いや、だから、ほら?」

「ほらって……その、もしかして?」

「シャルー。とにかく、口、開けろー」

「えっと、それじゃあ、うん……」

 

 僕の催促に対して、ようやく観念をしたのか、恐る恐る“あーん”と開いていくシャルの口。それの確認次第に僕も、開かれた唇の中央へ向け、ゆっくりと慎重に運んでいく。

 キツネ色の姿が箸から離れ、シャルの中へと消えていく。そうして揚げ出し豆腐が消えた代わりに現れたのは、リスとは行かなくとも頬を少し膨らませた姿。

 

 そして、もぐりもぐり、ゆるやかに。しっかりと味わうような咀嚼が開始される。その頬張った姿は何だかやっぱり小動物みたいで面白い。

 しかし、じっと見ていると“見ないで”と言うみたいにシャルの右手が口を隠し、左手が僕の頬を押して視線を妨げようとしてくる。リスっぽい今の状態を少し恥ずかしいみたいだ。

 まぁ、それには別に抵抗はしない。顔を明後日の方向に向けられた状態でシャルが食べ終わるのを大人しく待っていく。

 

「私が自分で言うのもなんだけどね……」

 

 やがて、小さくこくりと喉を鳴る。

 同時に頬の左手も外れたのでシャルの顔に目を向かわせると、少し満足そうな表情を浮かべながら空となった口がゆっくりと開かれた。

 

「おいしい」

「おいしい」

 

 僕もそのタイミングに合わせ、感想を重ねてみる。

 出て来るのは同じ言葉。でも、そうして被ってしまうのもしょうがない。本当に美味しく感じられたのだから。ホント、皆に分けるのが惜しいぐらい、そんなレベルでさ。

 

 そうやって言い訳を考えながらも、出来るだけ多くを食べるべく、二つ目を箸で口に運んでいく。ふむ、美味しい。

 さらに一つ。ふむふむ、やっぱり美味しい。

 シャルはそうやって食べ続ける僕をずっと静かに眺めている。さっきは僕に見ないでって言ってたのに。

 

 だけどそんな事より、こうした油物を食べていると、こう飲み物が恋しくなってくる。

 なので、お茶を注いで一口を……、……。

 空のグラスにお茶を入れようとしたところ、何で今まで気が付かなかったのか、お茶のペットボトルは既にほとんどなくなりかけてしまっていた。

 

 じゃんけんが続く皆の前にもシャルの前にも、お茶色に色を染めたグラスがあって。まぁ、この人数だ。二リットルのペットボトル程度すぐになくなっちゃうか。

 追加追加。皆も飲むだろうし、これから昼食だし、飲み物を持ってこよう。

 

「あ、大丈夫。私がやるよ?」

「……シャル。それくらいは僕にさせてよ」

 

 ――料理に関しては何も手伝えなかったんだからさ。

 先んじて立ち上がろうとしたシャルを制してキッチンの方へと移動する。そこにあるのは、何だか立派で高そうな冷蔵庫。一夏に借りた一時的な保管スペースだ。

 そこから、ペットボトルの飲み物を選び取り出す。

 中には炭酸飲料。オレンジジュース。お茶と無糖の紅茶。スポーツドリンク。その中からはとりあえず、お茶と紅茶が適切?

 

「やりました!やりましたわッ!!」

 

 そして、ひやりと冷えたペットボトルを両手に戻ってみると、じゃんけん勝負の方では遂に勝敗が決したらしく、勝鬨の声が上がっていた。

 声から察するに、セシリアさんが見事、勝利を修めたみたいだ。

 実際。テーブルにペットボトルを置きながら見てみれば、ラウラさん達が結果に唖然とする中、セシリアさんだけが満面の笑みを浮かべ、ヴィクトリーサインを天高く勝ち誇っている。

 

「――皆さんも、一夏さんの後には是非とも、召し上がってみて下さい!」

 

 さらに。そのまま溢れ出した喜びが僕ら全員に振り撒かれると……何故か、皆の唖然が絶望へと変貌を遂げた。

 

 いや、ホントにどうなってるんだろう、これ?

 でもまぁ、えっと、とりあえず……、

 

「シャル?緑茶と紅茶、どっちが良い?」

 

 待ちに待った昼食だ。

 おかずは皆のおかげで出揃っている。あとやるべき事は……ごはんとか取り皿とか?

 何もしないというのもしゃくなので、料理以外のあれこれは任せてもらおう。

 雑用雑務はどんと来い。何でもかんでもお任せあれ。

 

 

 

 その雑用。料理以外、飯時のあれこれ。

 一般的に『食』という時間において大きな負担となってくるのが、そんな雑務。この作業だ。

 

 ――♪

 

 洗剤と水で泡立ったスポンジが油類による汚れを剥がし取っていく。

 そうやって綺麗になったのなら、今度はその皿の水気を拭き取り食器棚へ。洗ってはよく拭いてしまう、その繰り返し。

 

 ――♪♪

 

 皆の分の取り皿と茶碗と乗せ皿と使用した調理器具と。合わせると意外な数になり、それ全てを洗うとなると中々の手間となる。

 今の時代、洗い物にしても掃除にしても、食洗機や自動掃除機が普及していたりするけれど――僕も日本に来てから初めて見たし知った――ここにはそういった物が見当たらない。

 聞けば何でも、一夏はそんな全自動的な物があまり好きではないらしい。スイッチ一つのそれらよりも、実際に洗い物をしたり掃除をしたりする事で『過ごした日々を感じるんだ』とか何とか。

 僕には分かりづらい世界ではあるけれど、つまりは出来る事は自分でやるべきという事らしい。その割には洗濯機は普通にあるので、それはそれこれはこれという事なのだろう。

 

 まぁ、そうやって少し思いを返しながらも、手の動きは止めないままで。

 

「はい。これが最後だよ?」

 

 了解了解。

 どこか楽しげ。鼻唄混じりのシャルから最後の皿を受け取り拭き取り、食器棚へと納めていく。

 こうやって今は楽しそうだけれど、初めにシャルは食器洗い機がない事を珍しがっていたりもしていた。どうやらフランスでは食器洗い機が、かなり一般的な物であるらしい。

 

 いや、それはさて置き。それにしても……。

 

「何だかご機嫌だね、シャル」

「そう見える?」

 

 うん。鼻唄なんて逆の気分だったら出ないだろうに。というか何でご機嫌?

 この洗い物なんかは、元々僕がやるって言い出した事で。そのメインタスクを今はシャルにやらせちゃって迷惑をかけているというのに。

 

「家事をするのは、別に嫌いじゃないからね」

 

 嫌いじゃない、か……。

 そういえば“お母さんの手伝いをするのが好きだったんだ”って言ってたっけ。

 

「うん、きっとそれも一理あるよ」

 

 どこか嬉しそうに笑いながらのシャルの言葉。

 というか、嬉しそう以上に何かをもっと言いたそうにしている。

 

「でもね?それとは別に……こうやって家庭って言うのかな?そんな場所のそんな普通のキッチンで、二人で一緒に洗い物とかをしてるとね?それってまるで――」

 

 まるで?

 

「ううん。やっぱり何でもない」

 

 ……何さ、いきなり何だか勿体振って。

 

「だから、何でもないってば!」

 

 む。シャルは何かを一瞬言いかけて、その後すぐに口をつぐませてしまった。

 聞いてみても、はぐらかされる。ごまかされる。口も堅いし、意思も堅い。どうあっても、続く言葉を語るつもりはないみたいだ。

 でも、何でもないって言う割にその顔はえへへと綻んでる。

 

 まったく。一体、何が嬉しくて喜ばしいのか、それは本当にまったく不明の事だ。

 僕だってシャルと一緒に何かをするのなら、例えそれが面倒な事でも全然苦にはならないと思うけど……もしかしてそういう事なのだろうか?

 もしそういう事なら僕も納得出来る事だし、何よりもこう嬉しいのだけれど。

 

「ふふふ……さぁ、どうなのかなー?」

 

 まぁ、良いさ。

 いずれといつかの時に話してくれるのかも定かではないけれど、シャルにとって嬉しい事なら僕にとってもそれは悪い事ではないはずだ。そう信じてるし、そうあってほしい。

 だから、知らされなくてもそれで良い。今の僕にはそれで十分な話なのだから。

 

 ――♪

 

 ふと。再び鼻唄が始まった。

 今度は几帳面にシンクの水気を拭き取りながら。

 その姿を見ては何となく考える。一夏も大概だとは思っていたけれど、シャルも家庭的だよなぁと。

 そこで何故か連想するのは、シズカと出会った時の事。

 あのシズカへの接し方や頭を撫でる表情とか、あれを思い返すとシャルは子供好きな感じがした。

 

 ――やんちゃに駆け回る子供を“もう”とか言いながら、暖かい視線で見守るシャルの姿。

 

 男女差別とか何とかと言われそうではあるけれど、勝手に想像するのも失礼と言えるけれど……ほら凄い。違和感なし。

 まぁ全部、僕の憶測というか想像に過ぎない事。でも、家庭的で子供好きで料理も出来て、しかも仕事も何でも卒なく熟せてシャルは……。

 

「いきなり黙り込んでどうしたの?大丈夫?」

「うわっ!?」

「……なんで驚くかな?」

 

 そして気付けば、目の前には濡れた手をエプロンで拭うシャルの姿。僕が想像していたより幾分か幼いシャルの姿だ。

 うん。結局、想像は想像でしかなく現実ではない。む……でも、シャルって将来どんな大人になるんだろう?

 キサラギに残ってテスターや技術者?ビジネスマンとか保育士とかも似合うかもしれない。将来の職としてはどんな選択肢でも選んでいけそうだ。

 だけど、何となくの何となくだけれど、職とかでなく人間として女性として考えると。シャルはシャルのお母さんのような人になっていくような気がする。そういう意味で良い母親になるんだろうなぁと思う。

 

「もう。聞いてる?」

「ああ、ごめん。ちょっと考え事してた」

「考え事?」

「そう、考え事。シャルのお母さんって、やっぱり良い人だったんだろうなぁってね」

 

 実際に会った事はなくとも話としては聞いていた。

 小さい頃のエピソードとか思い出とか、どれだけ楽しかったのかとか何が嬉しかったのかとか色々。

 そうやって話してくれたその人物像は、やっぱりシャル自身にも当てはまる部分が多い。

 シャルの言う笑顔~とか優しくて~とか、料理だってそうだ。本人は気が付いていないかもしれないけれど、そう感じたりしながらシャルのエピソードを聞いている。

 本当にお母さんが大好きだったんだなぁと、だからこそなのかなぁと思いながら。

 

「――――」

 

 って、ん?

 キッチンにいつの間にか漂うのは、静かな無言。さっきまではシャルが鼻唄を歌ったりして、まったくそんな事はなかったのに。

 どうしてだろうとふと隣を見てみれば、黙り込んでいたらしい僕に代わり、静かに顔を俯かせた姿。

 

「し、シャル?シャルこそ、どうしたの?」

「う、うん」

 

 慌てて声をかけるとすんなりと返事が来る。どこか考え事をしているようではあっても、悩みとか深刻な物ではないみたいだ。

 その事に胸を撫で下ろしつつも返事に続く言葉を待つ。

 

「……もしね、もしだよ?」

 

 そうしてほんの少しの時間が経つと、上げた顔からぽつりと出て来る仮定の言葉。

 笑顔を逆ハの眉へと変えて、何かの決心を告げる真面目な様子で内容が続く。

 

「もし、フランスに行く機会があったら、一緒に来てくれる?」

「へ?……フランス?」

 

 意外な事に一瞬呆気に取られてしまう。うん、呆気に取られはしたものの、それは、まぁ……答えは限られているというか一つ?

 

「それはもちろん。シャルのお母さんにはちゃんと挨拶しておかなきゃ」

 

 話題が続いての流れだとしたらこういう事だろう。

 今年、シャルは帰郷していない。それはお母さんからも離れているという事で。

 これだけ長く離れているというのも初めての事なんじゃないかと思う。

 

「うん。私も母さんにちゃんと紹介したいな」

 

 しかし、フランスに帰ろうにも向こうにはシャルの父親もいて、きっとシャルは色々と心細い。

 だから、少しでもシャルを助けられるのならもちろん協力したい。少しでも力になりたい。助けになりたい。

 その上で、シャルを生んでくれてありがとうとシャルのお母さんに伝えたい。今は元気にやってますよと安心させたい。

 

 ……あとそういえば。

 そうやってシャルと一緒にフランスに行ったとしたら、僕にとっては初めてのヨーロッパになる。

 北アフリカや西アジアに行った事はあっても、地中海を挟んだ向こう側――ヨーロッパは未だにとんと足を踏み入れた事がない。

 仕事か私用かはまだ分からないとはいっても、旅行的な意味で知らない世界を回るのも何だか良いかもしれない。

 

「ねぇ?そろそろ戻ろっか?」

 

 そうこうしている内にちょっとした時間が経過していた。

 戻るといっても戻るのはすぐそこのリビング。とはいえ、それぞれの分担を終えて皆は既に戻っているかもしれない。

 

「だね。一夏達の発掘作業も終わってるかもしれないし」

 

 だからこそ待たせてはいけない。

 そうやって思っていたのだけれど。

 

『――それはどういう意味ですの、鈴さん!』

『――どういう意味も何も、気に入らないって言ってるのよ!』

 

 一緒に戻ろうとしたその時、リビングからは突如の声が響いていた。

 大きな声量。驚きとか感嘆などでは明らかにない、怒りの声色。口調からしておそらく、ケンカだ。

 

「え、と?」

「うん、どうしたんだろう?」

 

 驚きから思わず顔を見合わせる。

 捜索に出た三人を除けば、リビングには凰さんとセシリアさんがいたはずで、その二人の声がそこから聞こえてくるのだから。

 

「――あのね、セシリア?何度言ったら分かるのよ。そんなの普通ありえない、あっちゃいけない事でしょ」

 

 慌てて急いでリビングに駆け付けると、そこではやっぱりセシリアさんと凰さんが激しく言い争っていた。

 ただからかい合うような軽い物ではなく、本気でぶつかり火花を散らす二人。

 

「ありえない事ではありません。むしろ、そうやって存在している事自体が健全である証と言えますわ!」

 

 まずはその火種が何なのかという事。現在の状況をも合わせてその把握が必要になる。

 突き止めるべき原因。それで真っ先に考えついたのが先程の昼食での出来事だ。

 

 一夏がセシリアさんの作った料理を一人で全て食べてしまったあの事件。あんな事があったので、それに関しての自慢とそこから発展した言い争い。まずはこれかと考えた。

 しかし、それは即座に却下するはめに。可能性から破棄し忘れる。

 何故なら、料理は『健全』とか『あってはいけない』とかで語られる事柄じゃないから。言い切れはしないけれど、少なくともさっきの昼食は関係がない。ないはず。それこそ、そうあってはいけない。

 

 では次。

 とかくまぁ、第一案を放棄して次に思い付いたというか、目に付いたのがテレビ画面。

 そこではさっきまで遊ばれていたらしいモンドグロッソ2ndの勝敗表記があり、セシリアさんの操るメイルシュトロームが凰さんの暮桜に対して、酷い惨敗を喫している。

 状況証拠からこれが原因かと思いきや、これもまたそうではないみたいだ。

 

「その事で非を問うのは間違いですわ!そもそも、わたくし達BFFがどれだけ地域社会に、いえ国際社会にどれだけ幅広く貢献をしているのか、それを知りながらの……」

「だ、か、ら!そういう事じゃないって何度も言ってるでしょうが!どれだけ社会に貢献していようとそのやり方は決して誇れる物じゃないって言ってるの」

「……誇れるべきではない?鈴さんは企業努力の概念を否定なされるおつもりですか?」

「あのね、あんなのそんな概念と一緒くたに出来る物じゃないわよ」

 

 そう、会話にはゲームのGの文字さえ出てこない。

 

 それに何だろう。会話の内容から察してみると、思っていたより話の規模がかなり大きい感じだ。

 おそらくセシリアさんと凰さんは料理やゲームなどのプライベートの物ではなく、企業とその在り方などパブリックな問題を話している。言い争っている。

 

「シャル、どうする?」

「えっと、とりあえず止めなきゃ、だよね?」

 

 些細で単純な口ゲンカならまだ良かった、だが今現在のは色々と予想外過ぎて口出しが出来ない。

 根が深いのか深くないのか。というか何でこんな事を題材にして口ゲンカに至ったのか。そんな事さえ分からないから。

 ……何にしてもまずは、シャルの言う通り止めなきゃいけないけれど。

 

「ね、ねぇ、セシリアに鈴?」

 

 そうして。

 何とかどうにかと考えていると、言葉を考えるより先にシャルが二人の争いに割り込んだ。

 

「白熱してるところ悪いんだけど、そろそろ静かにしないと近所迷惑になっちゃうよ?」

 

 割り込み方、その制止にかかる言葉の内容、それはまさにオーソドックススタイル。模範解答と言っても良い説得だと思う。

 しかし。

 

『シャルロット!』

『シャルロットさん!』

 

 そう、しかし無難過ぎた。通常の状態ならまだしも激昂の様相を浮かべる二人にそれは通じなかった。

 

「これはセシリアとあたしの問題よ!!」

「これはわたくしと鈴さんの問題ですわ!!」

 

 しかもそれどころか、消火どころか飛び火の危険性。

 シャルには何も非がないのに何故か二人に怒られている。というか仲違いをしているはずなのに、こんな時だけタイミングはピッタリ。

 ……あ、怒鳴られたシャルが救いを求めてこっちを見てる。

 えと、“私、何も悪くないよね?”ああ、いや、それはもちろん。安心して良いよシャル、僕が保証する。

 飛び火を避ける為、声の代わりに返すのは大きな頷き。

 

「いや……そうね」

「ですわね」

 

 しかし、どうやら悲しい事にシャルの受難は終わらないみたいだ。

 さっきはシャルを怒鳴り付けた二人が、今度は何かを企むような光をシャルへと向け始めた。

 にやりとした怪しい視線。獲物を狙う肉食獣の物にも見えなくはない。

 

「ねぇ、シャルロット。あんたはどう思うわけ?」

「わ、私?」

「ええ、そうですわ。直接的な決着を付けられないのであれば、第三者の判断に委ねるのもまた道理。そうは思いませんか?」

「そ、そんな事、いきなり言われても……」

 

 初撃の凰さん、追撃のセシリアさん。肉食獣の挟み撃ち、言わば前門の虎、後門の狼ならぬ後門の竜。

 ブリテンを構成する一国はドラゴンを国旗のモチーフにしている事だし。まさにピッタリ。それに、『竜、虎相打つ』ともことわざでは言うはず。

 何というか、上手い例えを言えたような気がする。

 

 ――、――!

 

 と、ああ……。現実逃避の間にもシャルがさっきとは違う本格的なSOSを出していた。

 同意や確認ではなく、もうどうにかしてという視線。助けてというサイン。

 さすがのシャルも二人にああも凄まれて言われたら、まぁしょうがない。

 返事は再度頷く事で応える。今度はさっきより力を込め、はっきり堂々と。

 そうして頷きながら一歩を踏み出して、シャルの姿を隠すように身体を入れる。

 

「あの、セシリアさん?凰さん?そろそろ双方ともに矛を納めませんか?」

 

 シャルが敗れた今。シャルが助けを求める今。今度は僕が二人を宥める番だ。

 

「シャルロットが答えられないのなら、代わりにあんたで良いわ。……どう?あたしとセシリア、どっちが正しいと思う?」

「もちろん、わたくしに賛同していただきますわね?」

 

 まぁでも、分かり切った事とは言え、やはり聞く耳は持たれず会話が成り立たない。二人は固地になってしまっているようで冷静さを欠いてしまっている。いがみ合い睨み合い……本当、どうしたものかという所だ。

 いくらどちらかと聞かれても、どちらの味方というわけではないから答えようもないし。

 もし何かを答えてみた所で火に油を注ぐような結果が目に見えているし。

 そもそも、きちんとした説明さえなしだし。そんな物に誰がどうやって、手や口を上手く出せるのか。

 

「レイヴン!」

「レイヴンさん!」

 

 ほら来た。こうして黙っていても声が迫る。

 ともあれ、このままというのも避けたい所。何せこの状態を続けていけば、際限なく不毛な戦火は延焼し、火はその勢いを増していくばかりなのだから。

 だからこの際、取るべき手段は一つ。

 かくなる上は……僕らの誇る友人でありこの家の主でもあり、このグループの中心でもある、対セシリアさん及び対凰さん戦(生身)における唯一のカウンターメジャーを召喚する。

 

 ――おーい!

 

 手で拡声器を作って声を上げる。

 声の向きは主に階段のある方へ。つまりは廊下に向けて。

 

 ――いーちかー!!

 

 廊下に反響する声。

 それから瞬時と言っても良いぐらいに間もなく。

 願いと声とが通じたのか――呼び掛けに呼応するかのような音が天井に鳴った。

 

『まったく、何をやっているんだ』

 

 次いで聞こえる階上、ドアの開閉音とやれやれの声。

 さらには段々と階段の張板が足音に鳴らされ、気配が次第に近付いてくる。

 一段ずつ一段ずつ、ゆっくりとした足運び。それは廊下に到るとさらなる一歩をこちらへと踏み出している。

 やがて足音はドアの前まで訪れ、そして、遂に最後の切り札が姿を現した……。

 

「少しはしゃぎ過ぎだ。近所迷惑になってしまうだろう」

 

 ……って、あれ?一夏じゃない。

 そこにいたのは、僕が呼び叫んだ姿ではなく一冊の本を抱えた姿。ラウラさんだ。

 いや、正確には本ではなく多くの写真を納めた物。加えて一夏達の捜索対象であった物。いわゆるアルバムと思しきそれを大切そうに抱えつつ、ラウラさんが廊下から覗いている。

 こちらを見るその顔には、少しの呆れを浮かべて。

 

「そもそも良いか、お前達?親しき中にも何とやらと言ってな?まずは礼儀やマナーという物が……」

 

 そう、呆れの表情だ。

 ラウラさんはその表情を保持し、こちらの状況を確認もしないまま室内に入ると僕らの前で大きく胸を張ってみせる。

 そんなラウラさんに対しては、セシリアさんも凰さんも僕の行動以来呆気に取られたままので反抗も反論も出来ず。僕らには分かり切ったような注意が降り注がれていく。

 

「いくら一夏の家に来ているからと言ってもだ……ん?どうした鈴。何か物言いたげな顔をしてるが?」

「いや、丁度良いのが来たなぁと思って」

「確かに絶好の人物ですわね」

 

 だがしかし、いつまでも静かにしている二人でもない。

 ようやく我を取り戻した二人はシャルや僕に続くさらなる人物をターゲットに定めたようだ。

 

「何だ?何の話だ?」

「実はね――」

 

 一度、勢いを切られたお陰か。先程よりは冷静な表情と口調で凰さんから事情の説明が為される。

 僕らにはそんな物が存在しない即答即決方式だったので、頭は大分冷えて来ているんじゃないだろうか。

 それでも引かず争いを続ける辺り、双方共に引けない執念か何かを感じさせる。

 

「――って事よ。大体の流れはね」

 

 その何か、その事情は語られるその言葉の中に含まれていた。

 それはBFFが行ってきたというヘッドハントに関して。

 何をきっかけとしてこの話題になったのかについては語られはしなかったけれど、結果として凰さんはこれに反発し、一方でセシリアさんはこれの擁護にかかり、今回の争いが起きていたみたいだった。

 

「で、どう思うラウラ?率直に言ってやって良いわよ」

「ん、率直にか?うむ。……セシリア、鈴。お前達はそんな事で言い争っていたのか?」

 

 事情が語られる間、無言を貫いていたラウラさん。語り終えた以後も崩れない好戦的なスタンスに対し、その口からは火に注ぐ油が飛び出していく。

 

『なっ……!』

 

 セシリアさんも凰さんもその発言を聞いて、驚きのあまり目を見開いていた。僕も正直驚いていた。隣のシャルも同じくそんな感じ。

 でもまさか、そこまでストレートに本音を言ってしまうなんて。

 

「そ、そんな事って何よ!?」

「そんな事はそんな事だろう」

 

 凰さんは一瞬で思考を沸騰させ、ラウラさんに詰め寄る。

 そうやって詰め寄られようともラウラさんは落ち着きを崩す事はなく、今さっきの発言を改めて答えとしている。

 ちなみにこのやり取りの間、セシリアさんが何をしていたかと言うと、驚いた状態から未だに帰って来れていない。

 

「まぁ、まずは落ち着け」

 

 それはさておき。

 ラウラさんは興奮気味の凰さんを宥め座らせ、自らも腰を下ろす。

 同時にアルバムはその手を離れ、テーブルに。ふぅ、と大きな息が吐かれる。

 そして、これで準備は出来たというかのように自由になった両腕が組まれると、向けられる目線を逆に見据え始めた。

 

「……企業間における技術者の移籍だったな?」

「ええ。BFFによる成り振り構わないヘッドハントよ」

 

 片や何の気負いなく平常心。片や睨み付けるような真剣さ。正面を切って話す二人。

 この状況になって、ようやく戻って来たセシリアさんは何かを言いたそうにしながらも、話に入るタイミングを失い今は閉口し黙って耳を傾けている。

 

「鈴。お前はそこに酷く引っ掛かっているようだが、話を聞く限りそれは条約に則った適切な取引だろう」

 

 ラウラさんが切り出すのは、開始と変わらぬやはり否定。

 

「適切?あれのどこが――」

「まずは話を聞いてくれ」

 

 当然、否定に対する反論が生まれようとするもまだ話の流れは終わっていない。

 不満さを残しながら凰さんは大人しく言葉に従っていく。

 

「確かに私も聞いた事はある。前回のモンドグロッソ以降、移籍話は頻繁に飛び交っていたし事あってな。その中でもやはり、BFFの動きは顕著だったと言える」

「ほら、見なさいよ?」

 

 否定の次は同意や肯定に類する発言。

 その追い風を得た為か、セシリアさんに対しては挑発の色を含んだ視線と声が向かう。

 ――っ!

 ――まぁまぁ……。

 売り言葉を買い込もうと立ち上がる素振りを見せるセシリアさんを落ち着かせようとするシャル。その間も凰さんは勝ち誇った態度。

 一触即発、ケンカ状態は未だに存命中だ。ああ、もう、凰さんもわざわざそんな事しなければ良いのに。見ている僕らの立場にもなって欲しい。はらはらはらと心臓に悪いのだから。

 とりあえず、シャル、ごめん。あと頑張れ。

 

 所で。この間のラウラさんはというと……まだ、何も終わってはいないようだ。

 

「だが、はたしてその行動自体に問題があると言えるのか?」

 

 ラウラさんが話を再開すると、二人の火花は掻き消え注目を変える。

 その事にはっと息を飲む声が聞こえ、ほっと安堵する吐息が聞こえ、それを合図にするように話は急に要衝を迎えた。

 

「な、何を言ってるのよ、確かにBFFは!」

「仮に、適切でない方法があり問題が起きていたとしよう。だが、それならば、被害を受けた企業や個人は提訴と告発に踏み切れるのではないか?そうして、もし本当に違法性があったのなら、条約とそれに付随する取り決めに従い、BFFには厳重な処断が下っているはずだ。……しかし事実としてはどうなっている?」

「それは……そうだけど……」

 

 肯定が翻り、凰さんは反論もなくしかし悔しそうに顔を俯かせる。

 理解が出来たのだろうか?いや、もしかしたら、元々理解はしていたのかもしれない。ただ納得をしていなかっただけで。

 それにもしかしたら、凰さんの身の上には何かが以前に起きていた?それとも、単に気に入らなかった?執着の理由が何なのかとか何があったのかとか、それを知る由は僕らにはない。

 

 一方で“当然ですわ!”と先程のお返しというようにセシリアさんのテンションは鰻登り。確実に着実に上がる様相を見せている。

 

「……セシリア。別に私はお前の味方をしているわけではないからな」

 

 だけれど、そんな嬉々とした様子は、溜め息混じりのラウラさんによってシャットダウン。

 

「な、何故ですか?」

 

 わけもわからずという様子。明らかに動じた表情。

 それへの解は、さっきの話題とは少し別の話として語られるようだ。

 ラウラさんは、今度はセシリアさんにその内容を明けていく。

 

「考えてもみろ?あの英国の現用機メイルシュトロームの惨状を」

「さ、惨状……ですが、メイルシュトロームは前回のモンドグロッソにおいて、あのヴァルキリーに輝いた機体として……!」

「だが、それだけだ。そうだろう?それに、あの不名誉な世界記録を忘れたのか?」

 

 話はモンドグロッソに関連する物のようだ。モンドグロッソとは言ってもそれを再現したゲームの方ではなく、いわゆる世界選手権――通称『モンドグロッソ』の方。

 でも……不名誉って?

 正直、疎くて分からない。今までの僕には全くを以って縁がなく知る機会なんてない事だったから。

 

 ――ねぇねぇ。

 ――ん?

 

 何の事やら~と考えていると、肩にちょこんと手が触れる。それはシャルからの無言の呼び掛け。

 何だろうと隣を振り向こうとしてみれば、それより先にシャルは耳元に口を寄せて来ていた。

 

「……ラウラはああ言ってるけど、その『不名誉』は織斑先生の伝説の一部でもあるんだ」

 

 織斑先生関連?

 

「うん。織斑先生は第一回大会に引き続いて、第二回大会にも暮桜で参加してたんだ。当時から世代間の性能差は圧倒的だと思われててね?それで暮桜も、圧倒的不利だってそうやって見られたんだけど……」

 

 その結果は僕も知ってる。

 蓋を開ければ破竹の連戦連勝で総合トーナメントを準優勝。

 それでもしかして、その織斑先生の相手が?

 

「総合トーナメントの初戦の相手がメイルシュトロームだったんだ……私もテレビでそれを見てたんだけど、うん、本当に凄かった」

 

 ……三年前ぐらいだっけ?となるとシャルが十ニ、三歳くらい?

 その頃のシャルってもしかすると……いや、今はモンドグロッソの話だ。

 少し、ほんの少し、別の思いが不意に浮かぶも直ぐさま切り換え、シャルの話に集中する。

 

「試合開始と同時に行われた二段イグニッションブースト。当時は技術的にも戦術的にも、連発なんて不可能だ!ありえない!って思われてたから何が起きたのかなんて全然分からなくて……結局、何も分からないまま終わってたんだ」

 

 二段というと……あれか。あの一夏に僕がやられたやつ、バッサリと反撃敵わずやられた時のあの機動。

 でも、あのゲームって二回大会の前に発売されていたはずで、それなのに二段イグニッションブーストが再現されてるってどうなんだろう?いや、どういう事?

 当時の『ありえない』とか『不可能』っていう話に真っ向から逆らってる気がするんだけど。とりあえず、何だか先取りし過ぎている。

 

「それでその試合がね、世界記録にも認定された“伝説の五秒”。これはきっと、もうずっと破られないと思うよ?」

 

 そりゃ破れないよね、確かに。

 その記録もきっと、あの零落白夜あっての事だろうから。一撃必殺とかあれは酷く反則過ぎる。ゲームの中だけならまだしも、実際にも一撃必殺だとか一体何の冗談。

 僕にとって救いがあるとすれば、ACからするとただの高出力エネルギーブレードに過ぎないという事だろうか。それでも、単純威力だけでも脅威だし、イグニッションブーストの加速力を合わせればさらに驚異だ。

 まぁ、そもそもIS全てが脅威なわけだからあまりたいした事でもない?

 

「――ラウラさん、確かにその屈辱は認めざるを得ないでしょう……ですが!その事は、今とは何も関係がありませんわ!!」

 

 と、シャルの情報によってもたらされたISについての思考は、間もなく聞こえて来たその怒声に打ち消されていった。

 響く何度目かの声。意識を事の中心に戻せば、憤りから顔を赤く染めたセシリアさんが声を上げている。

 

「まぁ、そう怒るな。私に英国やBFFを愚弄しようという意思はない。現に私……いやローゼンタールは、BFFのティアーズモデルこそがイグニッションプランにおける最大の障壁だと見なしている。それにな?メイルシュトロームから現段階への成長、それは素直に驚嘆と賞賛に値する」

 

 だけどそれも、依然として平常通りのラウラさんには意味を為さず。

 凰さんの時と同様に、否定後に返る反論や怒りには肯定で応え、心を落ち着かせる事で冷静な論理と議論を求めている。

 

「でしたら!」

「だがセシリア。それがこの問題に繋がってくる」

 

 次の展開、それは予想通りにやはりだ。

 興奮気味のセシリアさんの勢いが少なからず抑制されている。

 今は、今も明らかなラウラさんのペース。上げて落とすではないけれど、こうされると確かに怒ってばかりではいられないだろう。

 

「それは、一体どういう?」

「分からないか?では……そうだな。例えばだ」

 

 そうして上手く流れを握ったラウラさんの表情は、その『例』を前にすると平常から神妙へと移行。

 不思議な雰囲気を維持させたまま、その例を口から出していった。

 

「私の嫁もとい一夏が、だ。ある日、目覚めると大の女好きで、軽薄で、街に出てはナンパばかりするような男になっていたらどうする?どう感じる?何を思う?」

 

 ラウラさんは問う。“あの一夏がだぞ”と念を押しながら。

 ――もし、今の一夏の性格や能力をベースにそうなってしまったとしたら?

 少し想像をしてみる。あの一夏が女性に積極的になったらというその仮の姿を。

 

 一夏といえば元より容姿は整っている方だし、家事全般を得意としている。運動能力だって高い方で、時折視野が狭い時はあっても頭は悪くない。考える力を持っている。

 性格面でも気配りは出来、困っている人がいたら何だかんだで助けてしまうタイプだ。

 さらには姉は有名人でもあるし、本人は世界唯一の肩書と称号を持っている。

 ギャグが飲んだくれの酔っ払いレベルの時もあるけど……これってある意味、反則じゃないかと思う。男の僕から見ても、何かズルい。さっきのゲームで言えば、メイルシュトロームVS暮桜って感じ。

 

 というか、ただでさえこれだけのスペックを持っているのに、ここから極度の鈍感具合が消えて女好きという要素が加わるのだから、何だろう、女たらしの権化?

 

「それは……確実に夢か冗談かって思うわね」

 

 同じく想像をしてみたのか、考えてはイメージに戦慄する凰さん。

 セシリアさんに至っては、“メイルシュトロームはそこまでの扱いでしたのね”と、直接言われるよりもダメージが大きいようだ。

 どちらにせよ、もし一夏がそういう方向に変わったら、凰さん達はさらに大変な事になってしまうような気がする。一夏争奪戦のライバルが増加していく未来しか見えて来ない。

 それに僕にとってもそれは同じだ。むしろ一夏が良い奴だって知っている分、知っているからこそ……少し、少しだけ気が気じゃない。

 

「でも、そこまでいったら別人みたいに感じちゃうかも」

 

 そんな僕の心配をよそとして、シャルは思い浮かべた想像に苦く笑っている。

 ……何だろう。何だか少し、ほっとした。

 

「シャルロット、それだ。私はまさにその言葉を待っていた」

 

 僕らが一夏非鈍感バージョンで色々と考えていた一方で、言い出した張本人であるラウラさんはとあるワードに反応を見せる。

 

「分かるか?まるで『別人』だ」

 

 そのワードは『別人』。

 元の話の流れを踏まえれば、ヘッドハントを行ったBFFが別人になったという事だろうか。

 

「レイヴン。それは惜しい答えだがそうではない。BFFは決して別人ではなく、しかし別人でもあるという事だ」

 

 む……つまり?

 否定と肯定の混在とかどういう状態なのか分からない。

 

「何、簡単な事だ。つまりは単なる意見の相違に過ぎない。批難側と擁護側、異なる視点とスタンスの違いから来る意見の相違だ」

 

 ラウラさんは凰さんにセシリアにと視線を移しながら話し続ける。

 

「おそらく機体の発展は努力の賜物、セシリアの言葉通りそれは事実なのだろう。だが、BFFが大規模な人材収集を試みていたのもまた事実として存在している」

 

 視線を受けた二人は、無言ながらも納得出来ているようで話の流れに合わせ頭を上下に揺らす。

 その動きを捉えながら、話はある種の結論を迎えた。

 

「要はだ。自力でなく他力だけによる成長であると見なされてもおかしくない土壌が、そこには出来上がっていたというわけだ」

 

 外から見える事と内からしか見えない事、その差が今回の口ゲンカの原因だとラウラさんは言う。

 

「だからこそ鈴の発言に非はないしセシリアの発言にも非はない。しかし、両者共に理解の努力を怠っていたという意味では非を持っている」

 

 それ故に、『そんな事』と言ったのだ、と。

 

「……まぁケンカ両成敗。これにて落着だ」

 

 落着。終息。

 リビングにはようやく平和が舞い戻ったみたいだ。

 ふむ、というラウラさんの一人納得する頷きの後に文句や怒声が現れない。静寂そのもの、落ち着いた空気。

 

 ――良かったね?

 ――うん、まったく。

 

 訪れた平穏を視線で喜び分かち合う。

 結局、ラウラさん任せで何も出来なかったけれど、それでもケンカが終わった事は喜ばしい。

 一夏以外の事でここまで言い争うのは珍しい事みたいだけれど、こうなれば二人の仲直りも時間の問題だろう。

 

「さて、まずは互いに謝罪だな」

 

 調停人のラウラさんも動いた事だし。

 

『……むっ』

 

 謝罪の言葉にちらりと一瞬、二人が目を合わせる。

 でも一瞬だ。合わせた途端に視線を逸らし二人とも逆方向を眺めている。

 まぁ、あれだけ言い合ってたわけだし、今すぐにというのも中々難しい事なのかもしれない。

 

「ほう?あくまで意地を貫こうとするか。しかし、こちらにも秘策がある。抵抗をしても無駄だ」

 

 しかしそれは許されず、今すぐの結果が要求された。

 どうやら、奥の手が使用されるようだ。ラウラさんの右手がテーブル上の物に伸び、見せ付けるようにその物体を立て起こしていく。

 

「……この手にあるのは何だと思う?」

 

 僕らに見せ付けながらの問い。

 手に持つそれはリビングに来た時から手にしていた物であって、一夏達が二階で発掘してきた物でもある。

 いや、というかアルバムだ。一夏の幼少期からの記録が保存されている物だ。

 

「ああ、みなで見ようと思っていた物だったのだがな……いや残念だ。鈴とセシリア抜きで見る事になるとは」

『!!』

 

 煽るようにラウラさんはわざとらしい嘆息を見せる。

 するとそれに対し、視線を背け合っていたはずの二人の頭が反射的に正面を向いた。

 

「見たいか?」

 

 こくこく。一度二度、静かな頷き。アルバムだけしか見えていない。

 

「きちんと仲直りをしたのなら、考えてやろう」

 

 その食い付き振りに、にやりとラウラさんは唇を歪ませ笑う。つまり交換条件だ。

 人質を取りさぁと急かす声。どうしようもない状況に、凰さんとセシリアさんはゆっくりと互いの顔に視線を向ける。

 

「……こうなったらしょうがないわよね」

「……そうですわね」

 

 渋々ながら見つめ合う二人。

 ケンカしたばかりの気まずい状況であっても、一夏の事となると背に腹は変えられないらしい。

 両者共に目を合わせたら大きく溜め息をついて、何だか馬鹿らしいと小さく笑う

 やがて、ごく短な笑いを終えると今度は顔を引き締めて、どちらからでもなく右手が差し出されていく。

 

「ごめん、セシリア。ちょっと熱くなり過ぎてたわ」

「いえ、それはわたくしこそです。鈴さん」

 

 がしり。互いに謝りながら力強い握手が結ばれた。

 仲直りというより、きっかけを考えると同盟再締結という方が正しそうな光景だ。

 

「やれやれ、まったく世話をかけさせる」

 

 ケンカの真の終了を頷きながら見届けたラウラさん。

 何だろう?夏休み前ぐらいまでは少しドライなイメージを持っていたのだけれど、今は何だかウェットじゃなくて柔軟さを感じるというか?

 ラウラさんは帰国組なので、ドイツで何か良い事でもあったのかもしれない。それが行動や態度に滲み出ている気がする。

 

 その落ち着きとか余裕とかは、何だか大人だ。

 体格や容姿で言えば、一番年下と思われても仕方のないラウラさんが、今は一番の大人に見える。

 

「なん、だと……?」

 

 僕のふとした呟きに、何やらラウラさんが戦慄にも似た表情をするも、ここはノリに合わせてさらに誉め讃えておく。

 うん、さすがは特殊部隊の隊長。

 

「分かっている、分かっているじゃないか!さすがはレイヴンだ。どれ褒美としてこの……」

 

 ラウラさん、興奮と歓喜の極み。アルバムを僕へと開きながら、ずいと距離が寄る。

 大切そうにしていたアルバムを見せてくれるぐらいだ、かなり嬉しかったんだと思う。でも、あんなただのノリから来た発言でこれだけ喜んでいるのを見ると、逆に罪悪感さえ感じられる。

 

 多分、気にしてたんだろうなぁ。

 大人に見えるという部分に敏感な反応を見せていた辺り、そんな気がする……って、痛っ!?

 小さな身体で大きく喜ぶラウラさんを見ていると、いきなり脇腹に痛みが走った。

 

“そういう事、本人に言っちゃダメだからね!”

 

 隣から手が僕に伸びている。

 だけどシャル、そんなのは分かってるって。口には出さないよ。ただふと思っただけだから。

 それに、恵まれない体格、どうにも劣る外見の迫力みたいな……いや雰囲気、空気?恵まれない者同士ラウラさんの気持ちは大いに分かる。実際、僕も言われたら地味にダメージがでかそうだ。

 

「……この栄光と勇姿を見ろっ!」

 

 そうして考える間もラウラさんの勢いは衰え知らず。

 目の前にアルバムが開かれ、とある一点が指し示される。言われるままに見てみれば、そこにあるのは写真――少女の面影を残す女性の写真。トロフィーを掲げている瞬間を捉えた物のようだ。何かの表彰式での事だろう、背後には歓喜に湧いた極多数の観客がアリーナを埋め尽くしているのが分かる。

 女性が身に纏うのは白を基調としたジャージ、国籍を示すライジングサン――日の丸のワッペン。

 国際的な大会?いわゆる国の代表みたいだ。しかも、アリーナの規模などを見る限り、とてつもなく大きい大会だ。

 

 しかし、その表彰式。ラウラさんの言う栄光と勇姿。

 それらは確かに直結する物であっても、この女性――織斑千冬さんにとっては当て嵌まらない物のように思える。

 若かりし頃の――今でも若いけれど――とにかく織斑先生は一応トロフィーを掲げて見せてはいるものの、表情には喜びや勝利への自負や自信の色さえ感じられず、雑多な作業でも行っているかのような面持ちだ。

 言わば無関心。勝者の浮かべる表情ではない。しかし、完全に無関心というわけでもなく例外が存在していた。

 

 この写真の下、表彰式後の姿を捉えた物だろう。

 メディアのインタビュアーに囲まれる中、やんちゃそうな笑顔の少年――おそらく一夏に抱き付かれては表情に堅さを残しながらも優しい顔を一夏へと向けている。

 それに他の写真でも一夏が関与しているとその表情は……ん?

 

 いや、よくよく他の写真を見てみれば、制服を着た織斑先生やあの篠ノ之博士と一緒に写っている物など、開かれたページは全て織斑先生が中心となった写真で飾られている。

 今更気付いたのだけれど、これって一夏のアルバムというよりは織斑先生のアルバムと言った感じだ。

 

 あ。

 そこでふと思い出す。

 そういえば、ラウラさんがアルバム捜索に志願した理由って確か“あれ”だったよな、と。

 

「ら、ラウラっ!?」

「騙しましたわねっ!?」

 

 ああ、やっぱり。

 ちょうどラウラさんの含んでいた意図に気付いた時、開かれているアルバムを覗き込んだ凰さんとセシリアさんが仲良く一緒に文句を叫ぶ。

 うん、確かに話が違う。凰さん達が何より求めていたのは一夏の写真であって、例え興味があったとしてもそれは織斑先生の写真ではないのだから。

 それなのにあたかも一夏の載ったアルバムであるかのようにラウラさんは語り、虚偽のそれを人質として凰さん達二人を仲直りさせるまでに持って行った。

 

 つまりは凰さん達はまんまと騙され引っ掛かり、ラウラさんは見事に騙して引っ掛けてた。

 

「こうでも言わんと、お前達は動かんだろう?」

 

 罠にかけ二人を仲直りに持ち込んでいたラウラさんは、出て来た文句に何の反省の色も見せずしれっと答えている。

 でもまぁ、ラウラさんは悪くないだろう。論戦でも駆け引きでも、穏便に事を済ませたのだから。

 僕らとしても、とても助かった。

 

「あ、あんたねぇ……?」

 

 しかし、文句はまだまだ言い足りないみたいだ。

 凰さん、それにセシリアさんは身体を震わす、いかにも納得がいっていないというその様子で仲良くラウラさんへと言葉を募らせる。

 

「――おーい、何やってんだー?」

 

 しかし、口ゲンカ第二回戦は始まらずに終えた。

 

「アルバム持ってきたぞー」

 

 響く声に皆で振り向き見れば、数冊のアルバムを抱えてリビングに入る一夏の姿があった。

 続いて、一冊を手にした箒さんが入って来るも、箒さんからは何の声もない。意識がアルバムに行っている?

 

「よしっ、と」

 

 集まる視線の中、一夏の手からテーブルにアルバムが置かれていく。

 一夏はさっきまでの場の状況にまったく気付いていないようだ。

 それもそのはず。終えたと先程言ったように、凰さんとセシリアさんの口撃は一夏の登場と共に止んでいる。

 そして、箒さんと同じ様にアルバムへと意識が注がれている。

 

「まぁ、こんなもんで良かったら自由に見てくれ……ん、どうした?」

 

 ようやく静寂に気が付いたのか、周りを見渡しては怪訝な表情を見せる一夏。

 そうしてそれが次なる燃料の役割を果たして、止まった時間が動き出した。

 

 皆がそれぞれアルバムへと手を伸ばす。

 皆と言っても既に持っていた組は、手にあるアルバムをゆっくりと開き始めていた。

 シャルはラウラさんと一緒に。凰さんはセシリアさんと。箒さんは何だか懐かしそうに一人で。

 時折、互いの情報を交換するように見せ合い話し合いながら、それぞれ別れてページを一枚ずつゆっくりとめくっていく。

 アルバムの鑑賞会とでも言うのだろうか?とにもかくにも、本当の意味で場に平和が訪れた。

 

 

 

「――箒もいるじゃない。うわ、この頃から素直じゃなかったのねぇ」

「鈴っ!?」

「でも、見て?この一夏と取っ組み合いしてるのって……」

「あらあら、鈴さんも人の事、言えませんわね?」

「ちょ何よ、この写真!一体誰が……ああ、何となく分かったわ。アイツの仕業ね。弾、今度会った時は覚悟しておきなさいよ」

 

 アルバムの写真を見ては笑ったり怒ったりまた笑ったり、話に花を咲かせる女性陣の会話。

 何だか勢いがあるというか、とにかくエネルギッシュで、どうにも僕には付いていけない感じだ。

 今は写真の話や一夏との思い出話で盛り上がっているとはいえ、そういった思い出話で話が振られる可能性も否めない。

 なので、心持ち女性陣から距離を取って、僕は一人で見終わったらしい一冊にぺらぺらぺらと目を通す。

 

 当然ながら一夏、一夏、一夏。アルバムの中は一夏の写真で一杯だ。

 何かイベントがある毎に写真が取られているようだ。

 

「まったく、何でアルバムだけでああも騒げるんだろうな?」

 

 ふと背後から声が掛かった。

 声と同時に腕が伸び、茶色を満たしたボトルがテーブルの上へと置かれる。

 麦茶かそれとも烏龍茶か、とりあえず、いつの間にか姿が見えないなと思ったら、わざわざお茶を出してくれてたのか。そういえば、ペットボトルのお茶も紅茶もほぼ尽きかけている。

 炭酸やスポーツよりは、お茶の方が良いだろうその判断、僕は賛同する。

 

 いただきます。その気配りにありがとうの感謝を込めながら早速一杯。

 ふぅ……やっぱり夏は麦茶に限る。

 

「女の子だからって理由で良いんじゃない?」

 

 一杯を飲み干してからようやく、一夏の疑問に答えを返す。

 買い物をする時の女の子特有の、あの力強さ?あれと同じような物だと思う。

 シャル一人でもそうなのだから、五人寄ったらそのパワーはもう最強だ。

 

 ……それはそうとして本題に入ろう。

 

「それで?」

「……それでって何だ?」

「いや、何か話があるんでしょ?」

 

 見ていたアルバムを閉じて、背後の一夏の真意を探る。

 

「ああ、いや……まぁその通りなんだが、よく分かったな?」

 

 よくというより、一夏の行動を見ていればすぐに分かった。

 お茶を作ってくれた後も座る素振りを見せず、ずっとそこに立ったままでいるんだから。何かあると考える方が自然な話だろう。

 

「一つ頼みたい事なんだが……」

 

 そうして、イエスと了承してみると何だか改まった態度。一夏は申し訳そうに話を切り出す。

 

「もう少し時間が経ったら、車出してもらっても良いか?」

 

 車?そんなの別に遠慮なく言ってくれれば良いのに。

 というか、どこに行くの?買い物?

 

「ああ、ちょっとな」

 

 ん?何だか歯切れが悪い。

 けれど、顔には何かを企む悪い笑み。

 怪しい。怪しいぞ。一体何をまた企んでいるのやら。

 

「まぁ、それは後になってからのお楽しみだ」

 

 ……やっぱりまた企んでる。

 でも、こうして仄めかすって事は僕にも一枚噛ませてくれるという事だろうか?

 車に関してはホント気軽に言ってくれて良いんだけれど、少しくらい役得があっても罰は当たらないはずだ。

 いや、むしろ――。

 

『あれ?これってもしかして山田先生かな?』

 何も知らず無邪気に楽しそうなシャル達五人。相変わらずアルバムをめくっては明るい騒がしさをこの場に生み出している。

 

 ――こんなシャル達の驚いたりした顔が見れるのなら車でも何でも協力したい。

 ……で、どう?

 

「……良いぜ?契約成立だ」

 

 一夏も相変わらずの陰謀顔で、快く僕を迎えてくれた。

 詳細は車の中で話すとの事。けれでサプライズと言えばサプライズだと小声で教えてくれた。

 一夏の事だ、悪いようにはならないだろう。皆には驚いてもらってもっと楽しんでもらいたい。

 どんな風に笑うんだろう?今、思い浮かべるだけでも楽しみだ。楽しそうな姿を見て、僕もまた楽しみたい。

 

 こうして、時は過ぎ、時間は進み、時計の針は回っていく。

 一夏の陰謀?のカウントダウンは着々と進行していた。

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