Acxis   作:ユ仲

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Chapter3-8-2

 夜空の下、テールランプを追いかける。

 

 太陽はとっくに帰ってしまい、今は月と立ち並ぶ街灯とが手を組んでその役割を代わって果たしている。

 進むは道。片側二車線一般道路。心持ち急ぎながら、それでも法定時速はきちんと守りながら、適度にアクセル、ハンドル捌き。 

 

「一夏、時間は大丈夫?」

「ああ、何とか一応な。門限までは何とか余裕だろ……そのはず」

 

 現在、僕らは少し急いでいた。時間との勝負だ。

 でも、はずって何さ?はずって。答えとしては何とも少し頼りない。

 だけど、そうやって頼りなくはあっても、一夏に緊迫した感じはないから大丈夫なはず。何とか予定通りに事は進むはずだ。

 あ、僕もはずって使ってるし。

 

「おっと、次の信号左折な?」

「了解」

 

 指示に返事をしながら青信号を左に曲がる。

 このまま道なりに行けば住宅街、一夏の家へはもう少し。

 車内の時計を見てみると、今の時刻は十九時を少し回った所、確かにまだ余裕はあるみたいだ。

 

「でも、予想以上に時間食っちまったな……」

 

 帰宅をひたすら目指す中、一夏は疲れたような声を出す。

 それもしょうがない事で、元の予想所用時間は大体二十分にも満たない予定だったのに対し、今はもう軽く二時間以上が経過している。

 しかも、その二時間のほとんどを空振りに費やしたのだから疲れてしまってもしょうがない。

 

「でもまさか、ここいらで扱ってないとはなぁ」

 

 ……昔はコンビニでも売ってたのに。

 一夏は言葉を小さく漏らしながら、大きめのビニール袋を揺らしてみせる。

 一夏と組んだ謎の企み。それに関連した今回の外出。

 袋の中、そこにあるのが企みのメインとなる物だった。

 

「何で売ってねぇかなぁ……花火」

 

 その中身、メイン。それは花火。

 夏祭りに見たような大掛かりな物ではなく、手に持って楽しめる小さくてお手頃なタイプの物。

 しかも用意周到な事に、前もってミニ花火大会の会場となる河川敷にも確認をしていたんだとか。

 

 まぁ、メインのメインでこの有様だけど。

 

「でも、それもしょうがないよ。だって僕らは知らなかったんだから」

 

 花火の販売禁止。こんな条例が二、三年前に制定されていたみたいで。

 それに気付かず、僕らはひたすら花火を求め市内をさまよい、のコンビニとかスーパーをぐるぐると巡り続けていた。

 何でないかなぁと不思議に思いながら。そんな努力が無意味であるとは一片にも思わずに。

 無駄に無意味にぐるぐるぐるぐる…………。

 

「言葉だけ聞くとただの馬鹿みたいだな、俺達」

「……そうだね」

 

 もう少し早く調べていればもっと早く帰れたんだけど、それを今言ってもしょうがない。

 結局、条例のない隣町(河川敷もここにある)まで行ったら、最初に見かけたコンビニには普通に置いてあって、それを早速買っては今に至る。それから帰宅の真っ最中だ。

 

 ――ただ。

 時間がかかりすぎた今にあっては、気掛かりな事が時間以外にもう一つ存在していたりもする。

 

「シャル達……怒ってないと良いけど」

 

 それは織斑家に残して来た皆の事。

 ちょっと行ってくると言って出てきたのに、もう日暮れどころか夜にまでなってしまった。

 そう、これはちょっとまずい事だ。ホストである一夏がゲストである皆を放置する事態になってしまっている。

 ただでさえ今日さっき、凰さんやセシリアさんなんかはあれだけの口ゲンカをしていたし、もし皆の不満や怒りが一つになったらと考えると何がまずいって一夏がやばい。

 一夏のやろうとしてる事を知れば許してもらえると思うけれど、そこに至るまでが難関だ。

 

 それに。電話で連絡をしようしても何故か出てくれないので、何かがあったのかもと心配でもある。

 

「次の交差点、右な?」

 

 了解了解。ここまで来れば、もう覚えている。住宅街に入ってもうすぐだ。

 でも目指す先、目的地はもう目と鼻の先だけれど、やっぱり気になってしまう。

 

「一夏、着く前にもう一回連絡良いかな?」

「ん、分かった」

 

 一夏は僕の頼みに応えて、携帯を耳に当てていく。

 その間、走行音だけが聞こえる車内。

 しかし、やがて数分もしない内に携帯は耳から離れ、一夏は首を横に振る。

 

「……出ない?」

「……ああ、駄目だな」

 

 やっぱり、か。

 電話に出る気配がない。携帯にも固定の方にも。

 シャルも出てくれないし、ホント、どうしたんだろう?まさか、いやでも……心配だ。

 杞憂であれと切に思う。強盗なんかじゃ敵にもなれないシャル達だ。ちょっとやそっとの事だったなら、シャル達にとっては問題にもならない。下手すれば、事件の最中でも電話で会話出来るレベル。

 だからこそ、こうまで電話に出てくれない今の状況は少し不安だ。

 

 そして、そうこう考えている内にも織斑家が目に入ってきた。窓からは明かりが漏れている。

 ああ、きっといつも通りだ。ちょっと怒ってるから出ない、それだけ。

 本当、そんな風に何も起こっていないと良いのだけれど。

 

 ――結果的にそれは正しい事だった。

 ――心配は杞憂であり、的中していた。

 

 車を止め、車を降り、玄関をくぐり、ただいまと声をかける。

 明確に返る声はない。だが騒がしさが返事の代わりに聞こえて来ていた。

 何だ、いるじゃないか。一夏は心配をして損をしたと言わんばかりの溜め息をつきながら足を進める。向かうのは音の中心であるリビングへ。

 僕もそれを追ってリビングに。安堵の息を漏らしながら、そこにいるだろう皆に向けて、改めて再度の挨拶をする。

 

「ただいま……って、一夏?そこに立たれたら入れないんだけど?」

 

 だが、その挨拶は一夏の背中によって阻まれていた。

 一夏はリビングへのドアの前に立ち、そのままで止まってしまっている。騒がしさがすぐそこから聞こえてくるのに皆の姿が確認出来ない。

 

「おーい、一夏ー?」

「な、何だよ、これ……?」

「へ?」

 

 一夏が声を震わせながらようやく動いた。そのおかげで僕にもようやく室内の光景が広がっていく。

 あ……。

 思わず、息を飲んだ。ただいまの挨拶はどこかに飛んで消えていた。

 そこには、室内には、目の前には、目を覆いたくなるような見るも無残な惨状が広がっていた。

 

 箒さんが……力無くテーブルに倒れ伏している。僕らが出したはずの声も届かず、届いていてもぴくりとも動かない。全く動く気配もない。

 その横ではラウラさんが、あのラウラさんが泣いていた。涙を見せていた。倒れ伏す箒さんの身体を揺さ振りながら必死に声をかけている。

 

 何だ、何なんだ?

 

 惨状はそれだけじゃない。

 一夏によって常日頃掃き清められていたはずのリビングは、今やまるで荒らされたかのように物が散らばり、この状況の重大さを物語っている。

 

「箒!ラウラ!」

 

 我を取り戻し駆け寄る一夏。ラウラさんは鳴咽を漏らしている。

 

「一体、何があったんだ!?箒に何が?」

「私は、私は……」

 

 一夏がラウラさんから事情を聞いている間に僕も動く。まずは倒れ伏した箒さんからだ。

 少し失礼します。勝手に身体に触れる事に謝罪の言葉を告げながら、首、頸動脈に触れる。

 指に感じる振れる脈拍、胸部はきちんと上下を見せ、呼吸も確認できる……箒さんはとりあえず生きていた。いや、というかよく耳を澄ませばばすぅすぅと穏やかな寝息が立てられている。

 

「一夏。箒さんは大丈夫っぽい。てか寝てるだけみたいだ」

「……」

 

 しかし、その生存報告は無言を返事として返される。

 黙った一夏の表情は言い表しにくい微妙な表情。混乱しているというのが一番近い表現かも。

 

「どしたの一夏?」

「……なぁ、イシガキオニヒトデって何だ?」

 

 はぁ?本当に混乱してる?

 

「いや、ラウラが自分の事をそう名乗ってるんだが」

 

 オニヒトデ?それって確か沖縄辺りで大繁殖してた奴だよね?

 

「えっと、ラウラさん?」

「私は、実を言うと……!」

「おーい、ラウラさーん?」

「みなを欺き続けていた私は軽蔑されるべきなのかもしれない。だが、語らなければ騙し偽りさらに欺き続ける事になる。それを私は許せない。そんな自分を私は許せない。……だから……だから、私は!」

 

 うわ、ホントだ。何だかシリアス口調で大仰に話しながら、オチがオチでそのギャップが酷い。何かのギャグかと思うほどに。

 それでも、この調子でずっと気を失っている箒さんに語り続けてたみたいだ。肩を揺すっていたのもそれに付随した行動。

 寝ぼけているわけではなさそうだけど、似たような感じ。

 異常ではあっても大きな問題でもなさそうだ。

 

 ……でも、おかしい。ラウラさんの状態は確かにおかしいけれど、さらにおかしい。

 何でここはこんなに静かなんだろう。玄関に入った時には騒がしさや人の気配を感じていたはずなのに。確かに、ラウラさん以外の人の声がしていたはずなのに。

 それなのにラウラさん以外の声がない。物音がない。階段も電気は点いていなかったし、二階でもなさそうだけど。

 

 そもそも、シャルや凰さんやセシリアさんは一体どこに?

 

 辺りを見渡す。

 人の影はなく、お菓子の袋やおつまみ、缶などでやはり散らかっている。テーブルの上には箒さんが伏せている他、今日使っていた皆の分のグラスが置いてある。中にはまだ中身を残したままの物もあって……でも、その光景にまた少し違和感が生まれた。

 

 ……こんな色のジュース買ったっけ?

 

 買った覚えのない飲み物がそこに注がれ存在している。桃の果実っぽい色のそれ。

 とりあえず、それが何かを確かめようと手を伸ばして。

 

「箒?おーい箒、起きてくれ」

 

 一夏が箒さんを起こそうとする声に、手を止める。

 僕も箒さんの証言を聞いておきたい。

 

「箒、箒?」

 

 身体を引き起こし、両手で抱き留めるようにしながら一夏が声をかける。

 その名前が呼ばれる度に、力の抜けた身体は徐々に揺れて反応を示し出し、声も漏れるようになっていく。

 そして、やがて連続的な反応が見えたと思うと閉じられていた瞼が微かに開き、その光が一夏を捉えた。

 

「ん、あ、あぁ……い、一夏、か?」

「良かった。それで箒、大丈夫か?」

 

 何とか絞り出したような弱々しい声。

 一夏は箒さんの手を握りながらその安否を確かめる。

 

「一夏、気を付けろ。ヤツらは、私の手には負えない。負えなかったんだ」

「何を?箒?」

 

 しかし、その安否の質問が答れる事はなかった。

 

「私はもう、ダメ、みたいだ……一夏、こうしてまた話せて良かった。お前の腕の中でいけるとは、私はしあわせ、ものだ……」

「箒!箒ー!!」

 

 最後の力を振り絞って送られた僕らへの助言と警告。それに力を使い果たしたのか、箒さんの意識は一夏の腕の中で再び失われていった。

 

「寝ちゃったね」

「ああ、寝ちゃったな」

 

 余程眠かったのか、一夏の呼び掛けに対しても今度は反応がない。穏やかな寝息だけが聞こえている。

 その眠りに落ちた箒さんからその横にいるラウラさんを見ると、こちらも今度は壁に対して謝罪の会見を行っている。

 どうにもその言葉は人に対してだけでなく万物全てに有効であるらしい。つまりは独り言みたいな物のようだ。

 

 ……。

 

 いや、というか、だ。壁に話すラウラさんを見て思い出した。こういう症状には少し見覚えがある事を。

 アメリカで見て体験したそれは大した問題とは言えずとも、いざ直面するとなると酷く面倒な物だった。ある意味、理不尽の塊だ。

 一夏は気付いているだろうか?この原因に。何で箒さんとラウラさんがこうなってしまっているかを。

 

「ちょっと待った。言いたい事は何となく分かる……だが話は後だ。このままじゃ箒が風邪引くかもしれないからな。とりあえず、被せる物持ってくる」

 

 一夏は僕の疑問を遮り眠る箒さんをソファーに寝せると、その足を廊下へと向けた。まぁ、確かに夏とは言っても油断は出来ないから。それに一夏も何となく分かってるみたいだから。

 なので、僕もその背中を見送ってはやるべき事をする事にする。

 謎の飲み物、その調査だ。

 

 桃っぽいジュース的な何か。おそらくこれが、いやこれらが今回の原因だろう。

 そしてこうやってグラスに注がれている以上、注いだ大元があるはずで。その大元は、部屋に散らばる買った覚えのない空き缶へと繋がって……。

 

 ――カシス・オレンジ、度数5パーセント。

 

 ほらやっぱり。

 確信に近い、嫌な予感が当たってしまった。

 やっぱり、これが原因だ。

 という事はもしかして?

 

 ――ベリー&ベリー。スクリュードライバー。ピーチ&レモン。他色々様々多種多様……。

 

 明らかに飲み過ぎ、過剰摂取だった。

 一杯なら自覚が現れないレベルかもしれないけど、これだけ飲んだら逆に飲まれてしまう。

 しかも、よく見たら赤い液体を微かに残したボトルまで転がっているし。コルクもセットで転がってるし。

 うん、間違いない。完全に特定だ。

 

「……五、六、七……」

 

 とりあえず一夏が戻るまでの間、掃除がてら缶を集めては数えてみる。

 

「……十三、十四、十五、十ろくっ……!?」

 

 そうして缶を数えてはいたものの、集めたそれは軽い金属音を奏で散ってしまった。

 それが勝手に動いたわけじゃない。

 僕の身体が前のめりになった事でそれらを押す格好になり、ばらけさせてしまった。

 立ちくらみとか眩暈とかそういうわけでもない。

 後ろから不意の衝撃を受けたからだ。

 

「えへへ……」

 

 細く柔らかな感触で頬がくすぐったい。

 シャンプーの香りが広がっている。

 耳元でするのは、甘えるような聞き慣れた声。

 

「つーかまえた!」

 

 はにかむような声の後には、無邪気な宣言が為される。

 いきなり唐突だ。どこからともなく気配もなく声もなく、シャルが背中に抱き着いて来ている。

 一体、どこから?いや、何で抱き着いて?そもそもどうしてこんな事に?

 何故何故何故と頭が回る。思考が空回る。思考に合わせて心臓も動きを高め、拍動が耳に聞こえるようだ。

 

 ――♪

 

 耳元に洗い物の時と同じ鼻唄が響く。

 酷く上機嫌。しかし、ご機嫌具合では圧倒的に今現在が上回っているだろう。

 鼻唄に合わせて頭が揺れているようだ。その楽しげなリズムが僕にも背中を通じて感じられる。

 

「し、シャル?そろそろ離れてくれないかな?動けないんだけど」

 

 そんな楽しそうな所、水を差すようで悪いけれど、シャルに切実なお願いをする。

 はっきり言って限界だ。抱き着き過ぎ。密着し過ぎ。体力ではなく、何よりも僕の心臓が持たない。

 確かに。力付くでやれば無理矢理引き離す事は出来る。でもそんな事、実際に出来るはずがない。

 

「やだ」

 

 でも、返答はシンプルに一言。

 答えながら鼻唄を止まって、その分、腕に力が込められていく。

 

「ねぇシャル、ちゃんと聞き分けてよ」

「やだ」

「シャル。お願いだから」

「やだ」

「シャル」

「やだ」

「……」

「やだ!」

 

 はぁ。思わず、溜め息が漏れる。

 やだという度に手には力が込められて、これ以上は締め付けるという段階まで来ている。

 それでも、そんなのはどうでも良い。問題は何も聞いてくれないシャルの方。今のシャルはまるで、聞き分けのない子供だ。絶対に飲んじゃってる。

 それでも、説得は続けないと、うん。

 

「だって、今は私が君を捕まえてるんだよ?だから、私の言う事を聞かないとダメなの!」

「シャル、別に大丈夫だから。別に捕まえてなくてもね、僕は」

「だって、君は逃げちゃうんだもん」

「いや、逃げたりなんか――」

「君はどこかに行っちゃうんだもん」

「……どこか?」

「行っちゃうんだ、いなくなっちゃうんだ」

「……」

「そんなの、そんなの……」

 

 ……何故だろう。

 最初は答えるにも何にでもあれだけ軽い気持ちだったのに、話すに従って震えを帯びたシャルの言葉には返事が出来なくなっていった。

 どこかに行く――その言葉には、喉が詰まったかのように声を出せない。

 声を出せない。返事が出来ない。否定を出来ない。

 それは確証がないから?分からないから?

 

 僕は所詮契約次第だ。いくら僕が望んだって、結局はクライアントの都合による。身分もパスポートも籍もあるいは名前だって、円滑に進める必要だったからあるわけで。

 それを僕には否定ができない。不要となったら、ここにいられない可能性をも大いに含んでいるのだから。だから、いなくならないなんて言葉は迂闊にも言えなかった。

 でも、それでも。

 望んでいた物だった。ようやく手に入れた物なんだ。

 

 僕だって本当は――ずっとシャル達と、ずっとシャルと……。

 

『あー!レイヴンがシャルロットの事、虐めてるー』

 

 ……。

 ……。

 何だか、今日はいきなりの連続だ。

 背中越し、背中のシャル越しにおかしな言葉が聞こえてきた。

 

「いーけないんだ!いーけないんだ!織斑先生に言っちゃーおう!」

 

 何を喋って後にでも“あはははは!”の笑い声、既に出来上がってしまっているテンション。上機嫌を超えたハイテンション。

 声は、キッチンの方角だ。

 震えるシャルを抱き着かせたまま、上体を起こしてそちらを見てみる。

 

「あのでふね、レイヴンさん?女の子を泣かすよーな、男の人は、かいしょーなしと言うそーですわ」

 

 電気の付いていない暗い空間。そこには冷蔵庫の室内灯に照らされ浮かび上がる、約ニ名の影があった。

 その正体は、両手に新たな缶を手にした凰さんと赤い液体のボトルを手にしたセシリアさん。

 両者共に仲良く正気を失ったその様子、明らかにただ者じゃないし、明らかにもうどうしようもない。

 

「じゃあ、セシリア先生!どうしたら、かいしょーなしから卒業出来るんですかー?」

 

 ふらふらと頭を揺らしながら、底無しにおかしそうな様子で元気良く凰さんが手を挙げる。

 

「それは、ええ、そうでふわね……まずは、飲みまひょう!飲んで楽しくなれば!みんながにこにこ、幸せに笑顔になるはずですわ!」

 

 一方、支離滅裂。目が完全に据わり切っているセシリアさんは、よく分からない平和論を唱えている。

 

「――さぁ、レイヴン。かいしょーなし卒業の為に、飲みなさい!」

 

 昼間と違って随分と仲が良い。

 普段の二人、息もピッタリだ。

 とは言え、今にそんなコンビネーションを発揮とか困る。酷く困る。

 本格的にそうなる前に逃げ出さなければならない。

 

「ほら、シャルロットもよ!もっとほら?ぎゅっと抑える!」

「……ん」

 

 しかし、その意思を折ろうという意図が働く。

 背中に抱き着いたシャルが凰さんの声に呼応して、下に下にと力を掛けている。僕を立たせまいと座らせようとしてくる。

 それに対抗しようにもあの弱々しいシャルを見てしまった今では、より一層に無理矢理なんかにはいかない。動きが妨げられる。

 

「さぁ!」

 

 逃げられない僕に対し、凰さんがシャルに力添え。身体を押さえ付けてくる。 

 その凰さんの先に見えるのは赤いボトル、そのボトルを手に携えたセシリアさん。幽鬼のように覚束ない足取りながらも一歩ずつ着実に距離を縮めて来ている。

 

 ……やばい。

 車内では一夏が〜と思っていたけれど、まさかこんな事になろうとは。

 一歩一歩、セシリアさんが歩む度に赤さが揺れていく。ボトルの半分以上を確実に占める、赤い液体。

 もし、あれだけの量を流し込まれたとしたら、キツイ。やばい。

 まさか全部を一気ではないとは思うけど、それでもセシリアさん達はこんな状態だから危機を、恐怖を感じる。凰さんも飲ませる気満々でいるし。

 

「さぁ、レイヴンさん……どうぞ召し上がってください」

 

 そして遂に。セシリアさんが目の前に至った。目の前にはにこりとした満面の笑顔。

 しかし、表情とやっている事とが噛み合っていない。

 シャルと凰さんに身体を押さえ込まれ、動けない僕の顎を掴んで、無理矢理に口を開かせてはボトルの口を捩込んでくる。

 

 ……って、直っ?お、溺れる!?

 

 グラスに注がれると思いきや、こぽりと音を鳴らし口の中に注ぎ込んでくる赤い液体。

 正直、味なんか、もはや分からなかった。味わう暇なんて全くなく味が脳に届くより前に、流れ込んで来る大波を喉へと送り込む。

 

 ……一秒が一分にも感じる。どんな拷問なんだろ。確実に涙目になってるよ、これ。

 それでも、早く終われと願いながら必死に飲み続ける。

 

「レイヴンさん、やりますわね。これでかいしょーなしクリアですわ」

 

 きっと分には届いてないだろう。しかし、酷く長く感じた拷問がやっと終わったようだ。

 セシリアさんの声と時を同じくして、液体供給が止められた。

 ……地獄は、もう終わり?

 

「じゃあ、次はあたしの番ね!」

 

 ……終わって、なかった?

 朧げに生まれた希望が、絶望によって上書きされていく。

 さっきのはセシリアさんの行動ターンであって、今度は凰さんのターンであるらしい。僕のターンはいつになるのか。ずっと凰さん達に行動される気がする。

 

「ほら、レイヴン。覚悟しなさい!これを遂げれば、かいしょーなし卒業よ!」

 

 ……悪魔の声と不穏な音が僕を追い詰める。

 それは凰さんの処刑宣言とアルミ缶から窒素か何かの抜ける音。

 僕の最期も近い。もしかしたら、そのテンション的に箒さんやラウラさんをやったのは凰さん達なのだろうか。シャルもまた被害者に違いない。

 僕の最期が間近に迫った。アルミ缶の口が見える。

 だから、最期にメッセージを残したい。特に最後の生き残りとなる一夏に。

 

 将来何があっても、この二人にアルコールは禁物だと。

 

 アルミ缶が迫る。今回もどうやら無理矢理強制コースみたいだ。缶が傾き、意思とは無関係に中身がなだれ込んでくる。

 しかも、リキュールだ……本当に死ねる。炭酸が喉を焼き、気管すら攻撃を仕掛けようとしている。

 

「あいつら上にもいないぞ。まったく、どこ行ったんだろうな……」

 

 そして処刑が始まってしまった頃、一足遅れで救世主はやってきた。

 ……へるぷみー、一夏。切実に。

 

「って、おい!?」

 

 ぷは。

 

「大丈夫か?」

「ありがとう一夏。本当に本当に。助かった」

 

 一夏の手によってリキュールの補給が寸断され、ようやく普通に喋れるようになった。

 しかも、酔いどれコンビと一夏との戦いが開始され、僕への拘束は解かれたにも等しい。

 身体の自由も抱き着いたままのシャルを除けば、もう何も障害はない。

 

 ……ん?シャル?シャルー?

 

「…………」

 

 何だかシャルの反応がないと思ったら、抱き着いたままシャルは眠りに落ちていた。穏やかな寝息を聞かせてくれている。

 眠っているとは言っても体勢は僕に体重を預ける形だ。

 普通に立つには負担でも背負う形にすればそうでもない。

 抱き着くシャルを背中に立ち上がってみる。

 おっ、と。

 アルコールが頭に回って来ているのか、足腰が一瞬よろめく。

 でも、そうはいかない。シャルがいるんだ。不安定な身体ののまま何とか踏ん張りを聞かせ保持。

 そうして何とか立ち上がれたと思うと、電子音を響かせて固定電話が鳴り響いた。

 

「一夏、電……」

 

 咄嗟に家の主である一夏の方を見て、そして絶句する。

 先程の勇姿はどこへやら、一夏はセシリアさん達の下敷きにされていた。

 凰さん、セシリアさん、そして壁との対話を試みていたラウラさん。

 三人が一夏の上に織り重なるようにして乗っている。

 

 何ともコメントのしづらい、よく分からない意味不明な状況だ。

 

「はい、織斑です」

 

 という事で家主の代理として、受話器を取り答えていく。

 

『ようやく出たか、一夏……じゃないな。誰だ?』

 

 その受話器から聞こえるのは聞いた覚えのある声。

 

「もしかして、織斑先生ですか?僕は――」

『ああ、君か』

 

 おお、覚えていてくれたようだ。

 最後に織斑先生の姿を見たのがラウラさんとの模擬戦だったはずなので、大分期間が空いていて、しかも一言二言ぐらいしか言葉を交わしてはいないはずだというのに。

 そういえば、何だか今まで実感とかはなかったけれど、織斑先生みたいな有名人に名前を覚えてもらったりしてるって凄い事じゃないだろうか。

 

『……すまないが聞こえているか?』

「あっ、はい。大丈夫です」

 

 危ない。うっかりと織斑先生の事を放置する所だった。

 

『用件を伝える前にだ。一夏でなく君が今こうして電話に出ているという事は、一夏は今、電話に出られる状況ではないという事だな?』

 

 お察しの通りです。詳しくは言えませんが。

 

『……そうか。では君から用件を伝えてほしい。良いな?』

 

 その言葉には了承の返事を返す。

 一夏が動けず、皆が散々たる有様の今、この役割を果たせるのは僕しかいないのだから。だから、これは責任重大だ。

 

『そろそろ、門限の事もあり連絡させてもらったのだが、そこに篠ノ之やオルコット、凰にボーデヴィッヒはいるか?確か今日はうちに、いやそこに来ているはずだろう?』

 

 門限?

 その言葉に、受話器を耳に当てながらもふと時計を見遣る。

 ……ああ、これは、もう。車で急いで送ろうにも絶望的な時間だ。しかも、僕ももう運転は出来ないし。

 とりあえず、皆について現状を報告しないと。

 

「あの、その四人共ここにいる事にはいます。ですが少々問題がありまして……」

『……一体、何をやらかした?』

「率直に言ってしまいますと……酔ってます」

 

 正直に今起こっている事を伝えていく。

 

『……飲んだのか?』

「ニ、三時間、皆を残し一夏と共に家を空ける事があったのですが、帰った時には既に」

『…………はぁ』

 

 受話器越しに大きな溜め息が聞こえてくる。

 それはどうにも苦悩に満ちた響きで、織斑先生が眉間に手をやり気を揉む様子が容易に想像出来る。

 教師という職は過酷なようだった。

 

「あの、大丈夫ですか?」

 

 溜め息の後、あまりに反応がないので今度はこちらから尋ねる。

 

『いや、気にしないでくれ、私も飲み過ぎただけだ』

 

 しかし、返ってきたのは意外な言葉だった。

 

「え……」

『あ……』

 

 え?飲み過ぎたって、織斑先生が?

 もしかして、あのアルコール群は織斑先生が一人で飲む用の――?

 

『……忘れてくれ』

「……はい」

 

 うん、忘れよう。

 やっぱり教師は過酷な仕事で、たまにはこんな事だってあるのだから。

 

『それで、様子はどうなんだ?』

「はい、それが……」

 

 気を取り直して状況報告。

 酔いに酔っているみんなの現状を出来るだけ細かく伝えていく。僕も飲まされ車を使えないという事も含めて。

 

『……分かった。では、これから言う事を一夏に伝えてくれ』

 

 分かる事は一通り全てそれを織斑先生に伝えると、再び息がつかれるのが聞こえた。心労お察しします。

 しかし、今度は沈黙の入り込む隙がないぐらいに直ぐ、その指示がこちらに伝えられる。

 

『今回は特別にこちらで外泊扱いにしておく。だから、今夜は各々を泊めていく事。また、明朝十時に学園寮寮監室に集合しろとな』

 

 つまりはしょうがないから、泊まっていけという事らしい。

 酔い潰れた国家代表候補を世間に見せるわけにはいかないという意味も込められながら。覚悟をしとけよと付け加えられながら。

 

『だが、いくら泊まるとは言え分かっているな?』

 

 さらに。そこに忠告が加えられる。

 

『いくら一つ屋根の下、年頃の男女と言ってもだ。……責任を取れる年齢ではないんだ。だから、その、何だ、過ちなど犯すなよ?』

 

 ん……でも、過ち?

 

「あの、既に僕らは飲酒をしてしまっているのですが」

 

 過ち。間違い。未成年によるアルコールの摂取もきっとこれに含まれる事だろう。

 日本の法律に則れば、一夏以外は確実にアウトになってしまう。いくら母国で問題なくてもだ。

 何を言ってるんだろう、織斑先生は。

 

『あ、ああ、そういえばそうだったな。いや、それで良い。別に良くないが』

 

 何だろう?口には出せないけれど、織斑先生の様子がおかしい。やはり、飲酒の影響だろうか。

 僕も飲まされた、人を変える飲料物――アルコール。なんて恐ろしいのだろう。

 

『とにかく頼んだぞ』

「はい、必ず伝えます」

 

 こうして、頼んだぞと最後に再度の念を押すと、織斑先生からの電話は切れていった。

 

 意外な面も見れ、何だか目から鱗という気分にもなる会話だった。

 厳しいという話ではあったのに、外泊として甘く見てくれたようでもあるし。

 うん、ホント、酒好きであるなんてのも意外だった。

 

「それで、誰からだったんだ?」

「織斑先生からだったよ」

 

 おお!一夏、あれを抜け出せたんだ。

 散らかったゴミを片付けながら、一夏が電話について聞いてくる。

 飲まされてもいないみたいだし、三人を相手にして普通に無傷。ノーダメージ。

 普段から酔っ払いの相手は慣れていると言わんばかりの落ち着き様だ。

 さっきの織斑先生の失言といい……いや、まさか。

 

「げっ、それで千冬姉は何て?」

「今日はもう外泊扱いにしてくれるってさ。その代わり、明日の十時に寮監室に集合しろって」

「……それ、多分俺もだよな?」

「……多分」

 

 でも、電話の相手について話すと、落ち着き具合は一気に崩落。内容について話すと壊滅してしまった。

 

 ――んぅ。

 

 目の前で一夏がうなだれ青い顔をする中、耳元では小さな寝息が混じり聞こえた。

 自分の寝場所を整えるような身を少しよじりながらの声。背中の上で少し動いては再び穏やかに眠りに着いている。

 うん、シャルもこのままにはしておけない。シャルだけじゃなくて他の皆もだけど。

 

 さっきまで折り重なっていた三人の方を見てみれば、一夏が脱出した後に動かしたみたいで三人が川の字を描くように並んで寝ている。

 全員がもう意識を落としているみたいでホントに静かなもの。寝息ぐらいしか聞こえない。

 あれだけ恐ろしく見えたセシリアさんも今は“……リリウム”と誰かの名前らしい寝言を表情を緩ませながら時折呟くだけ。凰さんなんかはさっきのハイテンションの反動か、死んだように眠っている。

 この二人も眠気には勝てなかったみたいだ。

 

 それにしても五人、この人数を泊めるとなると中々大変なんじゃないだろうか。

 

「――お前も今日は泊まってけよ?」

 

 迷惑になるとかって考えてたろ?一夏はそう付け足しながら、僕の行動に釘を刺してくる。

 ……ホント、聡いというか鋭いというか。

 

「いや、だけど僕は意識もはっきりしてるしさ。世間の目とかそういうのもないし」

「それじゃあ、シャルロットの事はどうするつもりなんだ?」

「シャルの事は……泊めてもらえるように頼むつもりだった」

 

 シャルを置いてというのは確かに名残惜しいけれど、これだけ安らかに眠っているんだから、出来るだけ静かなままにしてあげたい。

 

「あのな?」

 

 僕の返答に呆れたようなそれでいて違う、反論とも言える声がかかる。

 声を出したの他でもない一夏。

 酷く深刻そうな表情を浮かべ、何かを言いづらそうにしながらも返答には返答で返してくる。

 それは一種の例、例えだった。

 

「男の家に女を泊まらせるって事が、どういう事か分からないわけじゃないだろ?」

 

 それは……。そんなのは普通だったらそうなのかもしれない。

 でも一夏は信頼出来るし、何より僕は一夏の事を信頼してる。

 

「それはありがたいけどな……据え膳食わぬはって言うだろ?良いのか?」

 

 良いって、何が良いのさ?何を以って良いと言ってるのかが分からない。

 何を言われても僕のスタンスは変わらないんだ。

 さっきも言った通り、僕は一夏の事はちゃんと――。

 

「だからさ――俺だって男なんだぜ?」

「っ!」

 

 シャルを見ながら言う一夏の言葉に頭が不意に熱くなる。思わず、シャルを捉えるその目をその瞳を、睨み付けてしまっていた。

 そんなのは決して許さないと、意思を込めて。

 

 ……。

 

 けれど睨み付けて少し経ってから、ようやくそれに気付けた。

 僕の目を見ながらも笑いを堪え切れず、にやにやと声を出さずに笑う涼しい姿。

 もしかして、僕は?

 

「冗談だよ、冗談」

 

 からかわれ、た?

 

 未だににやにやとしている一夏に対して

、こう何か仕返しみたいな物がしたいけど何も今は浮かばない。

 あー、今僕にあるのはさっきの血が昇った熱さじゃない。確実に別の熱さが身体を支配している。

 

 ……つまり、恥ずかしい。一夏以外の皆が寝ている事しか、良い事がない。これは幸いとかそんな事も言えない。というか、ない。

 

 ああ、そうだ。

 一つだけ何か脳裏に浮かぶ物があった。それは些細な反撃の手段。

 一夏なんてたっぷりと明日、織斑先生に絞られれば良いんだ。

 この、いや、そう、一夏のバカ!

 ……罵る語彙が足りないや。

 

「というか、そこまでシャルロットが心配なら付いていてやれよ。それにそもそも、タクシー代だって馬鹿にならないだろ?往復だぞ往復?何円かかると思ってんだ」

 

 笑いもようやく治まったのか、一夏が色々と呆れ顔で言ってくる。

 ……車の事は正直忘れてたけど。うん、基本的に一夏の言う事は間違っていない気がする。

 

「だから、遠慮するなって。布団なら、無駄に余ってるし。寝るスペースだって作ろうとすればちゃんと作れるしな」

 

 ……はぁ。

 ここまで来ると、僕だけがぶっちぎりで馬鹿みたいだ。一夏は厚意で言ってくれてたのに、よく分からない意地みたいなのを張って。

 みたいだじゃなくて、ぶっちぎりで馬鹿だ。

 そんな馬鹿な僕だけれど、さっきの意見を取り消してその厚意には乗らせてもらう事にする。

 

 そして、そうなるに至っては。

 

「何かごめん、一夏」

 

 まずはさっきの事を含めての謝罪。

 

「謝られても困るぞ、俺は」

 

 確かに挑発してきたのは一夏の方だし?

 でも、そういう事じゃなくて。

 

「ん、ありがとう、一夏」

 

 一夏の厚意に謝罪で答えるというのもおかしな事だった。厚意や善意には感謝を、これが自然の流れだ。

 

 その考えに従い感謝を言ってみると、一夏は“気にすんな”と肩を叩いてくる。

 肩を叩き、そして歩き出す一夏。その足は再び廊下へと向かっている。

 

「まぁとりあえず、布団用意してくる。お前はここでゆっくりと……」

「僕はここの掃除しとくよ」

 

 振り向く一夏。また今度の善意的な物。

 だったら僕も善意には善意で返す。

 分業だ。一夏ばっかりに負担を寄越すわけにもいかない。

 

「……そうか、頼んだ」

 

 何かを言いかけて僕を見ると、諦めたようにふと笑って一夏の姿が消えていく。

 

「了解、任せて」

 

 僕も僕で、小さく笑いながら笑って答え一夏を見送る。

 

 ――さて。一夏の背中が見えなくなった所で僕も僕で作業を開始だ。

 厄介になってしまうのだから、少しでも役に立ってやろうじゃないか。

 

 周りを見れば、さっきまで一夏が掃除していたと言っても、やはりまだ綺麗とは言えないリビング。

 ティッシュやおつまみの食べ跡などアルコールの物恐ろしさを感じさせる現場。

 そういったゴミから先に片付けていこう。

 

 ゴミ、ゴミ、ゴミ……。

 小さな物であっても拾う。とにかく拾う。

 何らかの液体がこぼれているような所を見つけたら、すかさず雑巾で拭き取って。

 缶を集めて、ゴミを捨て、シャルの服とか手が汚れないように細心の注意を払いながら。

 やれば意外と早く終わるようで、体感時間としてはあのアルコール地獄よりは確実に早かった。

 

「おーい。そっちはどうだ……」

 

 やぁ一夏。おかげさまで一通りは終わったよ。

 

「……って背負ったままかよ!?」

 

 そこに現れるは謎の一夏。やって来ては何故か驚いている。

 それはともかく。言葉面を見る限り、準備の方は完了しているようだ。

 

「いや、それはともかくじゃなくてな?」

 

 分かってる。分かってるから。

 僕の今の状態がおかしいって言うんでしょ?

 でも、しょうがないじゃないか。下ろそうにもシャルが離してくれないんだから。

 それにほら、良い筋トレにもなるし。丁度良いじゃん。

 

「脳筋?」

 

 違う。というか何か酷い事を一夏は言ってくる。失礼な。

 

「まぁ良いや。シャルロットの事、布団に寝せてこいよ。何とか背中から下ろしてな?」

 

 了解、頑張ってみる。

 

「部屋はそうだな……奥から詰めていってくれ。二、二、三って部屋割りにするから」

 

 オーケー、分かった。

 一夏に返事を返したら今度は逆だ。一夏に見送られながら階段へと向かう。それじゃ早速と、シャルを一度背負い直しながら。

 階段の電気を付け足元に注意を払いつつ、一歩を踏み出す。人を背負いながらの階段は地味に怖い。重心が背中にある分、後ろへと吸い込まれる錯覚がある。絶対にそんな事にはしないけど。

 あまり揺らさないようにゆっくり慎重に。すぅすぅという穏やかさを妨げてはいけない。

 そうやって無難に階段を昇り切って廊下。部屋は……奥からだ。

 気遣ってくれたのか、ドアは既に開き切っていて苦労もせずに中へと入れた。

 

 少し手探り何とか電灯を点ける。

 この部屋は和室のようだ。中には二枚の布団が敷かれている。

 

「シャル、下りて?」

 

 そして、目的地に着いたところで布団の前にしゃがみ込み、背中の彼女の説得を開始する。

 

「……んん?んぅ」

 

 しかし、少しの反応は示すものの覚醒の影はなし。むしろ僕の首元のホールドが強まる。

 

「ほら、シャル?」

 

 ならばと身体を傾けて、抱き着く身体をスライドさせる。僕の首を基点として回るシャルの身体。

 すると、シャルの背中は布団に軟着地。頭も枕に丁度落ちた。

 僕も少し前のめりになるも、距離が極めて近過ぎる事を除けば特に問題はない。

 後は何も考えず無心で、首から手を外していくだけだ。

 

 シャル、ごめん。

 何となく謝りながら、僕を捕まえるその両手の交差に手をかける。

 

「……?」

 

 手が触れた瞬間、単なる寝息かもしれないけれど声無き声と共に、その拘束が少し緩んだ気もする。

 手の感触による反応?とにかくそれを見逃さず、弱まった腕の輪から素早く頭を抜いていく。

 残ったのは何も掴まない腕の交差。

 僕の腕に支えられたそれを、静かにシャル自身の身体へ返すと、交差はばらけ力の抜けた自然体に変わった。

 後は。

 布団の上に乗っているだけのその身体に、近くに畳んであった毛布を被せる。

 暑くはないだろうか。それが心配になるも風邪を引くよりは良い。

 

 そうして、全ては完了した。

 完了したけれど、そのまま幸せそうな寝顔を眺める。

 すぅすぅと規則正しい小さな寝息。ホント無防備だ。ここまで無防備だとちょっとした悪戯心が芽生えてくる。

 狙いは頬だ。以前経験したあの柔らかさ。それを再び体感すべく左手を顔へと伸ばしていく。

 

「……行かないで」

 

 その過程の中、いつまでも穏やかなだと思われた寝顔が不意に歪んだ。

 何だか泣きそうな表情、シャルの右手が何かを求めるように宙を泳ぐ。

 

「どこにも行かないで」

 

 か弱くさまようその右手。

 何を考えていたんだろう。悪戯なんてとんでもない。その姿にそんな気分は消えていた。

 

「シャル、大丈夫だよ。ここにいるよ」

 

 さまようその手を優しく捕まえる。

 しかし捕まえても尚、不安そうに動く細く白い指先。

 ただそれだけでは物足りないみたいだ、でも、だったら。

 指に指、その白い指先にはこちらの指を絡めていく。いや、その白い指を搦め捕っていく。

 ここにいるという証を、より強い感触で伝える為に。

 

「……ほんとに?」

 

 指の動きが止まると、間もなく確認の声が生まれた。今にも消えてしまいそうな弱々しい声だ。

 さらに指の感触に触発されたのか、閉じられていたはずの瞳には、震えるような光が見える。

 

「本当だよ。本当にここにいるよ」

 

 もしかしたら、微かに起きているのかもしれない。起きてしまったのかもしれない。

 

「……ねぇ、行かないで。どこにも」

 

 声はさらに弱くなって震えて、今にも泣きだしそうにも思える。

 

「ほら?ここにいるから。寝るまで一緒にいてあげるから」

 

 弱々しい様子にはもっと強い思いが必要だ。

 シャルの右手を今度はそのまま温めるように両手で包み込む。

 せめてその不安がなくなるようにと、消えますようにと思いを込めながら。

 

「よかっ、たぁ」

 

 思いが通じたのか、泣き出しそうだった顔が笑顔に変わる。

 安心してくれた表情。安心きった表情。僕を信頼してくれる。

 

「そうだよ。大丈夫だから」

 

 その間もずっと手は離さない。一度言った事はやり遂げるんだ。

 眠りに着くまで、ずっと手を握り続ける。

 

「私ね、ずっと……わた、し、いっしょに……」

 

 やがて紡がれる言葉の間隔が広くゆっくりとなっていく。

 微かに開かれていた瞳も瞼の重さに耐え兼ねて、その光はもう窺えない。

 穏やかな安らぎの表情。すぅすぅという安らかな寝息。

 

 シャルは今度こそ完全に眠りに落ちた。

 

「寝ちゃったか……ってか、手掴まれてるし」

 

 今まで両手で包み込んでいたのだけれど。

 シャルの右手が僕の左手を未だにがっちりとホールドしたままで、離してくれない。

 

「どうしよ?おーい、シャルー?」

 

 頬を余った右手で触れてみる。

 柔らかい。すべすべ、ふにふに。相変わらず柔らかくて面白い。

 悪戯は今回禁止となってしまったが、今度は悪戯ではなく抗議。なので何ら問題はないはずだ。

 しばらく、抗議の為にその感触を楽しんでいく。

 

「あぐあぐ」

 

 うおっ。

 頬をふにふにと突いていると人差し指がいきなり噛み付かれた。

 口に程近い場所にあったからだろう。本噛みではなく甘噛みなので痛みはないのだけれど、正直驚いた。

 

「それ食べ物じゃないぞー?指かじるなー」

 

 両手を塞がれてしまったので、今度は言葉だけで抗議を行う。

 

「あむあむ」

「だからって吸うなー……起きてるんじゃないだろうね?」

 

 すると、今度は赤子のように人の指を吸い始めるシャルロット・デュノアさん――通称シャル十五歳。

 起きていないようではあるけれど、一体どんな夢を見ているのやら。

 むしろ、さっきまでの弱々しかった様子こそが夢だったようにさえ思える。

 

 でも、そんな夢よりは今のおかしな様子の方がずっと良い。

 

「シャル?」

「……んぅ?」

 

 返事をしてくれたんだろうか?

 応えてくれると共に左手の拘束が解かれた。

 今度は行っていいって事?

 その問いに応えてくれない代わりに、楽しそうな寝顔をシャルは見せてくれる。

 

『……しかし、ラウラは軽いな。ちゃんと飯食ってるのか?』

 

 しかも、ここで一夏もやって来たようだ。

 何だか一夏に見られるのも気まずいというか恥ずかしいし、シャルもきちんと寝ている事だし、そろそろ退散しよう。

 

 おやすみ、シャル。また、明日。

 二日酔いなんかに負けず、元気な姿で会えると良いね?

 

 

 

 廊下に出ると、ラウラさんを運ぶ一夏と擦れ違う。ラウラさんはシャルと同室になるようだ。

 その擦れ違い様、一夏が笑った気がするけれど、それはきっと眠気のせい、気のせいだろう。

 

 実を言うと、セシリアさん達のおかげか、まだ深夜でもないのに少し眠かった。

 セシリアさん達のおかげか疲れもある。

 

 そう、結局花火も出来なかったし、今日は一日大変な日だった。

 でも、そんな大変さが楽しくもあった。

 

 シャル達の残り少ない夏休み。こんな日も大分少なくなるかもしれない。

 けれど、残り少ない日々も楽しく過ごせたらなと思う。

 

 でも、まぁ、まずは……早く一夏に部屋を聞こう。

 今日はさすがにもう、休みたい。

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