Acxis   作:ユ仲

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Chapter1-5

 デュノア社。

 それを名を聞いた人は、たいていその存在の事を知っているだろう。

 フランスに属し、今やフランスのIS関連技術を一手に引き受ける大企業。世界でも有名な部類に入る存在。

 しかし、その大企業が、十年前までは凡百な一企業であったことはそのほとんどが知らない。

 

 ISが登場しようとしていたその頃、デュノア社は重工業に携わるだけのそれなりの一企業でしかなかった。決して経営が悪いわけでもなく、特に良いわけでもない、そんな取るに足らない平凡な企業。

 

 しかし、その後、華々しいデビューを飾ったISに対して脅威ではなく、巨額のビジネスの匂いを感じ取ったデュノア社は、いち早く資金を投入し、政府にあくまで現実的なアイディアを提出することでその開発権を取得した。

 

 その後はデュノア社の読み通り。ISは巨大なビジネスとなった。それも企業設立以来と言って良いほど巨大なものへと。

 

 開発権を取得したという話は瞬く間に広がり、デュノア社には多くのスポンサーが集まり始める。

 次々に提供される資金援助。政府の助援金を含めるのならば、それは莫大なものになった。

 だが支援を受けたからには結果を出さねばならない。

 集まった資金によってデュノア社はその規模を急速に広めていく。例えば拙く未熟な技術を高める為に、研究所を作り、開発の為の設備を追加し、人材を求め集める。

 

 そうして集まった人材と技術の投入により、機体がようやく開発された。

 

 当時の技術の粋を集めたその機体は、世界的にも高評価を受け、デュノア社は量産機ISのシェア世界第三位にまで到達。

 それによって名声も大きく拡大し、世界に名を為す存在となった。

 

 しかし、時は常に移ろいでいくものである。

 オーメル社のアスピナ機関が新技術を発表。

 各国各社がそれの応用へと走り出す中で、デュノア社は既存機体の改良を選択、そしてそれが、大きく開発レースに乗り遅れるきっかけとなる。

 

 新技術を応用した兵器を各国が発表していく中で、デュノア社は大きく苦しんでいた。

 今までのデュノア社の方針は既存技術を軸にした物であり、創造という分野においては有効的なアイディアを出すことができなかったのだ。

 仮に出せたとしても、他国と被るコンセプトでは政府と支援者がそれを認めない。

 各国が次のステップへ歩み始める間、できるのは既存機体の改良という足踏みのみ。

 いわゆる完全な頭打ちの状態だった。

 

 しかし、彼らは偶然にもその計画を知る事となる。

 きっかけは新聞の隅の欄、かつて名を馳せていたクレストと日本の弱小企業キサラギが業務提携を行うという小さな記事。

 どこにでも転がっているような話ではあったが、あの従来技術の雄と呼ばれたクレストが?という些細な疑問から、調べさせた所、それが発覚することとなる。

 

 協力者によってもたらされた情報。

 それはクレストとキサラギが、従来技術によりISに対抗する兵器を開発しようとしている、というものだった。

 

 ただの戯れ事かと普段であれば聞き流していた所だろう。それは老人が夢を見るようなものであると。

 しかし、開発が頭打ちの状況であるデュノア社にとって、得意としてきた従来技術、それによる対抗計画は非常に魅力的な「夢」に感じられたのだ。

 

 デュノア社はこれに参加を打診することを直ぐに決定。

 だが政府や他企業にこれを知られることとなればなんらかの妨害や、新開発の意思あるいは技術が無いとして、援助を切られかねない。

 そこでデュノア社は計画に参加させるためのダミー企業を設立。ダミー企業を利用し、内密に届けられた打診を相手方は快く了承した。

 

 そして、参加が決まったダミー企業は、その存在自体を皮肉とされ、蜃気楼、妄想と幻を意味する「ミラージュ」と名付けられた。

 

 

 

 

 

 

 

 唐突ではあるがISとは何か、その質問に答えることはできるだろうか? 

 曰く、それは商品であり、研究対象であり、目標であり、憧れでもあり、夢でもある。人によって様々な答えがあり、それに対する思いがそこには存在している。

 

 一体ISとは何なのか?

 それを自分に当て嵌めてみよう。

 それは商品でもなく、研究対象でもなく、目標でもなく、夢でもない。ただの出来事に過ぎないもの。

 

 でもそれは、ある日一瞬で変化を見せる。

 その日以来、私にとって、シャルロット・デュノアにとって、ISとは唯一の居場所を意味する言葉となった。

 

 

 

 家族という言葉がある。共に暮らし、共に助け、共に笑う、そんな暖かいもの。

 そんな優しい言葉――家族。それは私にとって母の事を指し示していた。

 もちろん怒るときもある、けれどいつも優しく微笑んでいた母。その綺麗な笑顔はいつでも私の目標となっていた。

 

 生活は困窮しているわけではない、しかしそれは楽なものとは決して言えない。私が何度、自分も働くと言っても、母はいつもそれを拒み、私を学校に通わせるためにその身を削ってまで一日中働き通し、私を養い続けてくれていた。

 決して楽な生活ではない、でも母が笑い、私も笑う。それはとても穏やかで確かな幸福だった。

 

 それでも、学校を卒業したら働こう。今まで助けられた分、母を助けよう。

 当時の私はそんな風に思い始めていた。そうすればもっと一緒に笑って生きていける、もっと幸せになれる、と。

 続いているその幸福に微塵の疑問を抱かぬまま、それが失われることなど決して無いと信じて。

 

 そして、その日、母が倒れたと連絡を受けたのは、学校で授業を受けている最中の事だった。

 

 

 何も考えられず、先生の車で向かった病院。

 目的となった病室内、そこには酸素マスクを取り付けられ、ベッドに横たわっている母の姿があった。しかし、室内へ入ろうとすると、すぐに名前を呼ばれ、別室へと連れていかれる。そこで待っていたのは医師の悲痛な表情と残酷な言葉だった。

 

 ――残念ですがもう手遅れです。おそらく長くは持たないでしょう。

 

 はっきり言って訳がわからなかった。

 嘘だ、誰か他の人と間違えてるんじゃないのか、何かの間違いだ、信じない、信じられない、信じたくない。

 様々な言葉を医師に投げ掛けていたと思う。中には相手を中傷するような言葉さえあっただろう。それでも彼はその言葉を変えようとしなかった。

 

 ――少しでも傍にいてあげてください。

 

 困惑する私にそう残して。

 

 

 母が弱っていく様子を見るのは心苦しい以外の何ものでもない。

 

 いつも微笑んでいた母、その綺麗だった表情が、薬さえもう効かないのか、苦痛の表情に歪む。その度に母の手を握りしめるが、私の手を握る強さが、日に日に無くなっていくのを感じる度、私は泣いた。

 

 それだけの苦痛に喘いでいても、母はごめんね、ごめんねと私に謝っているばかり。幸せにできなくてごめんね、一緒にいられなくてごめんね、と繰り返し繰り返し。

 

 ――違うよ母さん、私は幸せだったよ。

 

 そんな言葉さえも、もう届けられない。

 

 母が倒れてから、二十日後。

 最期まで私の事を案じたまま、母はその息を引き取った。

 

 

 

 

 その後、行われた葬式。それは、親しい者達のみで、しめやかに行われた。だけど親戚などはいない。参加したのは近所の人、先生方、学校の友人達。葬式の費用は私の経済状況を見てか、先生達を中心となって集めた金額で立て替えてくれた。先生方には本当にとても感謝しきれない。

 

 式も終わり、母が土の下で眠りに着いた後も、あいかわらず私は墓標の前にいた。

 何時まで経ってもそこを離れることはできない。悪戯好きの母の事だからきっと、いきなり起き上がって来る、というような現実逃避もした。

 

 ふと聞こえるのは車の扉の開閉音。

 目を向ければ、墓地の入口に停まる黒い高級車とそこから降りてきた二名の黒服の男性の姿。

 彼らはこちらに向けて歩いてくると、私の前で立ち止まり、そのきつく閉じられていた口を開いた。

 

「……シャルロットお嬢様で間違いはないですね?」

「……確かに、私はシャルロットですけど」

 

 そう答えると、こちらの疑問に答えてはくれぬままに車の方へと誘導されていく。初めはマフィアかなにかのように思えて少し怯えたが、彼らの動きは洗練されていて、力づくでどうしようという様子もない。

 だがそんなことよりも、母から少しでも離れてしまう事がとても悲しかった。

 

 車で連れて来られた場所はまさに豪邸といってもいい場所だった。広大な敷地に、奇麗で大きな建物、私なんかがここにいるのが場違いかのように感じられる程の物。

 しかし、なぜと問い掛けても、相変わらず、黒服の彼らは事務的な言葉以外は一言も話してはくれない。

 

 どうぞ。その言葉と共に正面玄関が開けられる。それと共に聞こえてくる、床を踏み荒らすような慌ただしい足音。

 そちらに目を向けてみれば、そこには一人の女性の姿があった。その目は吊り上がり、何かを堪えるかのような感情を帯びている。

 とりあえず、挨拶しないのも失礼だろうと口を開こうとしたその時。

 

 激しく何かを打ち鳴らすような音が室内に響いた。

 

 同時に感じるのは左頬に帯びる熱。

 

 目の前の女性に再び視線を移せば、右腕を振り抜いた姿勢でそこにいた。私を見るその目には怨念すら浮かぶ。

 そんな彼女を黒服の人達がなんとか抑えるようにしていた。

 

 そして血走った目でこちらを睨み付けている彼女が口を開く。

 

「この淫売の娘が!!」

 

 何だよそれ、というのが率直な感想だった。じわじわと打たれたことを主張する左頬。そこに手を当てながら、彼女が屋敷の奥へと連れていかれるのをその場に立ち尽くして見送る。

 

 黒服の中の一人が謝罪の言葉とこちらを心配するような声をかけてくるが、今はそれどころではなかった。

 

 その数分後、謝罪の言葉の後に、屋敷への案内が再開される。

 

 そして、そこは一際手の込んだ部屋だった。黒服が扉を三回軽くノックした後、「お嬢様をお連れしました」と中へと声をかける。返ってくるのは「入れ」の一言。

 その声に黒服は私だけが室内へと入る事を指し示す。それに従い、一言声をかけ室内へ。

 

 書斎という場所なのだろうか?様々な書類の束が乗ったマホガニーのデスク。それを挟むような形で男性が両手を組んだ状態で座っていた。

 

「お前があれの娘か……」

 

 男性はこちらを見つめる。そこに浮かぶのは何かを懐かしむ表情……。

 

「えっとあの」

「離れを使うといい」

 

 そう言って男性は黒服を呼び、私に室内から出るように指示する。

 話を聞いてくれないのはまだいい、だが、一つ聞いておかなければならないことがある。

 

「待ってください!」

「……なんだ?」

 

 私の上げた声に黒服達の動きも止まる。再び男性がこちらを見詰めるが、その目に宿る感情は察することができない。

 

「貴方は一体……」

「貴様の父親だよ」

 

 私が発した言葉に重ねて男性が返答する。でもそれは……。

 

「……え?」

「もういいだろう……おい、早くそれを離れに案内してやれ」

 

 淡泊な反応、事務的な言葉。黒服によって室外へと出される私を見送るその目には後悔の表情が浮かんでいた。

 

 

 

 

 案内された離れの部屋。離れとは言っても、以前母と暮らしていたあの家よりも酷く上等で広く、良いものであるはずなのに、とても悲しく感じる。

 

 何がどうなっているのかが、まるで分からない。私を手の平で叩いたあの女性、自身を父と名乗ったあの男性。私の知らないところで私が知らないまま、何かが動いている。

 精神的にも疲労を感じ、その身を用意されているベッドへと投げ出していると、自然と眠気が襲い掛かってくる。

 意識が薄れていく中で、気になったのは父親と名乗ったあの男性の事だった。その目に浮かべた後悔の色、それは私に対しての慈愛ではなく、男性のその身、自分自身に対しての自愛によるものではなかったか?

 ふと浮かんだ考えをよそに、私の意識は眠りへと落ちていった。

 

 

 

 

 翌日は専門の医師による健康診断が行われた。

 そしてその中で、私にISへの高い適性が認められると、私は研究所へと連れていかれ、そこでISのテストパイロットを担当することに。

 その日、父親とは顔も合わせてはいなかった。

 

 毎日のようにテストが続く。空いている時間にはISについての勉強を欠かさない。

 父とはあれから一度も会っていない。

 ……あの父はきっと私とどう接して良いのかわからないだけなのだ、そう自分に言い聞かせ、業務にあたる。

 役に立てばきっとこちらを振り向いてくれる、その一念で努力をする。

 

 なぜなら母は言っていた。家族とは共に助け、共に笑い合う素晴らしい存在なのだ、と。

 ならば父とだってそれができないはずがない。今までは知らなかったが、父は紛れも無く血の繋がった存在なのだから。

 

 その言葉、想いを信じてひたすらに、がむしゃらに課せられたものをこなしていく。

 

 

 

 

 何時の頃からだろう、家族というものへの意識が薄れ始めたのは。

 初めこそは、仲良くできると、仲良くなってみせると息込んで頑張った。だが、相手はそんな気が無い所か、拒否する態度すら取っている。

 

 努力すれば努力するほどにそれを実感する。父はただ呼び寄せただけで、家族になる意志など全くないという事に。義母――いやそれすら呼ぶことは許されない、あの人は今でも憎々しげに私を見つめる。

 

 でも、それでも縁を信じて今まで頑張って来た。研究所の人には代表候補レベルであるというお墨付きさえもらった。

 どんな態度を取られていようとも、私は父の役に立てている。必要とされること……そのアイデンティティは私の崩れかけた精神を何重にも補充する。

 

 ISとは私の唯一の居場所だった。それさえあれば私は生きていける。

 

 

 

 

「待ってください!」

「なんだ?これ以上話すことはない」

 

 それは突然だった。

 

「お願いします、待って父さん!」

「お前にそのように言われる筋合いなどない……おい、早くそれをつまみ出せ!」

 

 黒服により、強制的に退出させられる。何度も父を呼ぶが、それに微塵も答えてくれない。

 それは父との二回目の邂逅。

 私の依り所が父親自身によって奪われた瞬間だった。

 

 その日の朝、伝えられた情報。

 

『シャルロット・デュノアのミラージュ社への転属を命ずる』

 

 ミラージュ社。それは聞いた覚えさえない企業であったが、その説明を受けていく内に、私は足元から自分が崩れていくような音を感じた。

 

 それはとある計画への参加命令だった。  それも「最新技術たるIS」ではなく、「時代遅れの従来技術」の開発計画へのもの。

 ISというアイデンティティを持っていた私にとってそれは、用無し、不必要の烙印を押されたのも同じ事だった。

 それでも、その空虚を外には出してはいけない。

 

「笑顔でいれば幸せになれる」

 

 母さんのその言葉と、幸せになって欲しいという最期の願いを裏切るわけにはいかないから。

 どんな時も笑顔で過ごそう、笑顔で、そう笑顔で。そうすれば頑張っていけるから、幸せになれるから。

 

 その数週間後、私は相手方から求められた機材と共にアメリカへと飛んだ。

 

 

 

 現地へ着いた私を待っていたのは、黒い巨人と、その整備を取り仕切る眼鏡をかけた日本人の男性。

 互いに挨拶を交わし、私はその計画へと参加するにあたって、自らの名前をシャルルと名乗り、男として着任した。

 その理由は研究所で懸念されていたことによることから。

 

「ISへの対抗計画というのは、女性を嫌悪する感情から来るのではないか?」

「現代の女尊男卑の世の風潮を破壊しようとするものなのではないか?」

 

 そういった懸念から私は「僕」としてこの基地を訪れたのだ。

 

 幸い女性スタッフも存在していて、その懸念は外れていた様子ではあったけど、何があるか分からない、それに今更変えるのもあれだと思って、私は「僕」として貫き通すことにした。

 

 

 予想と大きく反して、その基地での生活はとても楽しいものだった。

 愉快でひょうきんな整備班の人達。優しい管理スタッフの方々。共に議論をしたり、笑い合ったり、語り合う新たな友人達。

 人種年齢性別国籍所属、彼らはそんな物を些細な問題とするかのように仲が良く、その誰もが笑い、優しかった。

 私が今まで望んで来ていた物がそこにはあった。

 私も当然彼らにつられるかのように笑い合い、語り合う。

 

 心から楽しかったのは本当だ。嬉しかったのは本当だ。

 でも、その優しさに、笑顔に触れる度に、私自身がとても惨めに感じられた。

 

 

 

 

 着任以来何日が経ったのだろうか?

 その日、私は自覚する程に不安定を感じていた。その足元からふらつくような感覚。肉体的ではなく精神的に。

 

「ん~、大丈夫かい、シャルちゃん?」

 

 整備班長のシゲタツさん、通称シゲさんがこちらを気遣って心配してくれる。

 

「はい、大丈夫ですよ。体調だって悪いわけじゃありません」

 

 心配してくれるのは正直嬉しいが……きちんと笑顔で答えられただろうか?

 

「いや、なんかやっぱり疲れてるみたいだね。今日はここまでで良いから、もう上がって良いよ」

 

 駄目だった。また迷惑をかけてしまった。でもこうなった以上はここで意地を張っても、さらに迷惑になるだけだ。その言葉に従っておこう。

 

「……すみません、それじゃ先にあがらせてもらいますね」

「うん、ゆっくり休んで」

 

 その優しさが私の心に突き刺さる。

 それを表に出さないように、その他の整備員の方々の労いの言葉を受けながら、食事を摂るためにPXへ。

 

 今日のPXの人混みは少しまばらと言ったところ。ピークとなる時間はこれからだということを考えると、当然といった感じかもしれない。

 

 サンプルにはオムライスのセットメニューの横に、和食で構成された唐揚げの定食が並んでいる。

 正直今、食欲はあまりないけど、何かを食べなくてはいけない。結局、目についたその唐揚げ定食に決定。

 そうしてもう既に慣れた券売機に足を向けたその時、見覚えのある後ろ姿が飛び込んでくる。

 

 適当に切られた適当な長さの黒髪。私よりも幾分か高い身長。

 

「ん?なんだシャルルか」

 

 視線を向けていると不意に彼は振り返った。

 幼さを残す顔付きと意志の強さを感じさせる瞳。シゲさんと同じ日本人。あの黒い機体……クロノスのテストパイロットである少年。

 

「どうした?これから飯でしょ?」

「あ、うん」

 

 そういって彼と二人、彼はオムライスのセット、私は唐揚げ定食を受け取り、窓際のいつもの場所へと席につく。

 

「そういえば、あの二人は?」

「うん?ジャックなら主砲の試射、ラナはそれに付き合ってあげてるはずだけど」

 

 そうして始まるいつも通りの会話。日々のテストの出来事と下らない世間話。彼はそんな何でもないことでも本当に楽しそうに笑う。

 整備員のこと、調理員のこと、事務員のこと、同僚のこと、誰に対しても親しく、まるで「家族」のように。

 

 彼はどうしてそんな親しくできるのだろうか、どうしてそんな風に笑えるのだろうか、どうして、なぜ、なんで……。

 

 ……なんでこんなに私は苦しんでいるのだろうか。

 

「どうした、シャルル。なんか顔色が悪いけど?」

 

 彼のこちらを窺うような表情。その瞳には私を心配する、そういった感情が浮かんでいる。

 

「熱でもあるのか?」

 

 不意に彼がその手を私へと伸ばす。それは単純に私を気遣っての行動だった。親切心と心配、そこから起きる優しい行動。

 しかし。

 

 響いたのは小さな破裂音。思わず振り払ってしまった腕。

 彼も私も驚いた表情を浮かべている。

 

「あっ」

「ごめん。いきなり手を出されたら、いや、確かに驚くよな」

 

 彼に責任はない。それでも彼は自身を卑下している。わからない……なぜ?なんで?どうして?

 

「……ねぇ、なんでそんなに笑っていられるの?」

 

 不意に漏れた疑問。心の底に仕舞われていた確かな本心。

 

「いきなりの質問だなぁ」

 

 彼は少し苦笑いを浮かべながら答える。だがこちらが反応を見せない為か、少し表情を引き締めて続ける。

 

「真剣なんだ?……とは言っても答えは簡単だけどね」

 

 一度、言葉を切り、少し溜めたようにしたあとに再び答えた。

 

「答えは単純……楽しいから笑う。それだけさ」

 

 そう言い切ると再び、浮かべる笑み。

 でもそれは私の求めている答えじゃない。

 

「じゃあ、なんで楽しいの?」

「理由か……楽しいから楽しいじゃ駄目なのか?」

「なんで、他人と平気で笑っていられるの?」

 

 次々に零れていく疑問。

 

「他人?それは一体……」

「ねぇ、なんで?答えてよ?」

「待て、ちょっと待て、シャルル!」

 

 矢継ぎ早の質問に、彼は答えることができない。その答えを私は求めているというのに。

 

「お前今日はどこかおかしいぞ?」

 

 ふと、零した彼の疑問。

 

「おかしくないよ」

 

 そう、私は正常だ、どこにも問題はない。

 

「お前さ、きっと疲れてるんだよ」

 

 そんなはずはない。今まで通りその管理はしっかりとしてきた。

 

「……疲れてなんかないよ、私はまだ頑張れる、本当、本当だよ?」

「いや、疲れてるね。今日はこのあとすぐ休んだ方がいい」

 

 彼が私を気にかける言葉、それは素直に嬉しい。でも今、それは刃となって心を刻む。

 

「大丈夫だよ」

「いや休め」

「大丈夫だって言ってるじゃない」

 

 そう大丈夫だ。なにも問題はない。今までだって、こうしてちゃんとやってきたのだから。

 

「……シャルル、お前の為のことを思って言ってるんだ」

「……私のこと?」

 

 その言葉が心に響く。

 

「そうだ、お前のことだ」

「なにが?」

 

 だけどその振動は……、

 

「は?」

「私のこと、何を知ってるって言うの?」

 

 私の心に温かな熱を与え……、

 

「いや待て」

「何も知らないのに、そんなこと言わないでよ!」

 

 私の心の何かに触れる。

 

「……」

「皆……皆そうだ。私のことを知らないで、なんで私がこんな所に来る事になったのか、そんなことさえも知らないのに!」

 

 違う。こんなことを言いたい訳じゃない。

 

「……おい、『こんな所』ってのはどういう意味だ?」

「そんなの……見れば解るでしょう?こんな何もない僻地で無駄な努力をして……」

 

 ……違うのに。私はこんな誰かを傷付けるようなことが言いたいわけじゃないのに。

 私は、私はただ……。

 

「……訂正しろ」

「え?」

 

 彼の雰囲気と表情が変わる。

 表情は無表情。しかしそこには、その瞳には今までの感情と違う、怒りの色が浮かび上がっている。

 

 ああ、私は……。

 

「無駄な努力だと言った事を訂正しろと言ったんだ!」

「な、何だよ、急にそんなの、私は別に……」

 

 ……彼を怒らせてしまった。

 

「おい、ここで何を騒いでいるんだ?お前達は」

 

 そして、彼の怒鳴りつけた声がPXに響き渡ったその時、この騒動を宥めようとする人物が現れた。

 

「ラナ……!」

「ラナさん」

 

 何時もの量をトレーに乗せたラナさんの姿だった。

 

「ここは食事をする場所だぞ?騒ぐのは良いが、喧嘩なら別の場所でやれ」

 

 ラナさんは責めるわけでもなく、呆れた表情でこちらを見詰めている。

 

「別に喧嘩なんか……」

「喧嘩なんてしてませんでしたから……」

 

 ラナさんの介入によって、少し頭が冷えて気付いたが、周りからもかなりの注目。疑心暗鬼、何か、と探る多数の視線が彼と私を捕らえている。

 

「……少し疲れているので、先に失礼します」

 

 私はそんな空気に堪えられず、思わず逃げ出してしまった。

 

 

 

 自室。

 シャワーを浴び、火照った身体をそのままベッドへと投げ出す。

 考えるのは今日のこと。訳がわからなくなり熱くなった自分。怒らせてしまった彼。

 もうどんな顔でまた明日を迎えれば良いのかが解らない。

 

 何もかもがわからなくなった。自分の心、自分が何をしたいのか、自分が何を考えて感じているのか、そんなことさえも。

 

 混乱している。それを自覚している。

 

 ただ他人の想いで傷んでいた心が、今やぽっかりと穴を開け、何故かとても寒く感じる。

 

「……寂しいよ、母さん」

 

 不意に漏れ出た言葉。

 私はそれを自覚しないまま、重たくなる視界と共にその意識を閉じていった。

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