「......パパ、ありがと」
「説教みたいになっちゃったかな。でもレイラはパパの自慢の娘の悪口を言ったからね。仕方ないね。受け入れてくれたまえ」
パパはまた、私の頭をぺしぺし叩いた。甘んじて、受け入れます。
「さて、戻って夕飯の支度しよっか。今日はマヒマヒのフライだよ。レイラシェフは、最高のタルタルソースを頼みますよ!」
うんとかすんとか、そういう感じの何らかの返事をした。
私、今どんな顔してる?
ポケモンたちのボールを無事に返してもらい、ひとつずつしっかりと握りしめながら、確かめるようにベルトにつけていく。
6つ揃ったボールはずっしりと重たい感じがした。
それにしてもお腹空いた。夕飯作らないとね。私がぼさっとしている間に、パパは次々と食材を取り出していた。そこには当然、マヒマヒさんがいる。
マヒマヒさんは今にもぴちぴちと飛び跳ねそうなくらい新鮮なのに、目だけは言葉通り『しんだ魚の目』をして、虚空を見上げていた。
カントーのあたりでは、マヒマヒのことを『シナミ』だったか『レイラ』だったか、とにかく私と似たような名前で呼ぶらしい。
名前もそうだけれど、マヒマヒさんのその、焦点が定まっていないというか、そもそも焦点がなくなってしまった絶望的な瞳に親近感を覚えた。
パパはマヒマヒさんに手を合わせて、何かを祈ってから、まな板に置いた。
ガリッガリッガリッ......
パパの背中の向こう側から、ウロコを剥がす音が聞こえる。
パパは私のために一生懸命に食材を捌いてくれているのに、パパがマヒマヒさんをいじめているように思えてきた。
なんやかんやしたあと、パパは凶器に体重を乗せた。
ゴキャ。
短い悲鳴のような、嫌な音がした。
たった今、マヒマヒさんは首をはねられて、しんでしまった。
パパがマヒマヒさんをマーケットで見つけたときには既にしんでいただろうけど、パパがころした。
さっきまでマヒマヒさんだったはずの生ゴミを、パパは次々と処理機に投入した。
悲しい。さようなら、マヒマヒさん。
完成したフライは、色とりどりの野菜が添えられて、むしろさっきよりもイキイキとしているようにすら見えた。
タルタルソースは、ママのひでんのレシピを完璧に再現した。
玉ねぎの辛味とピクルスの酸味とパセリの苦味と、隠し味のミツハニーのあまいミツの甘みをマヨネーズの塩味が包み込んだ、最高の味わいだ。
でもなんだか、フライのふわっふわでサックサクの食感が口の中で嫌がらせのようにとっ散らかっていくし、タルタルソースにいたっては、喉にからみついて、いろんな味で四方八方から私を責めているような気がしてしまう。
ダメだ。考えるな。いやいや、考えるんだ。向き合え。
ぶっちゃけ、パパの言ってることは抽象的すぎて、全然しっくりこなかった。
パパは励まそうとしてくれてるんだと納得はしたけど、何を伝えたかったのかは、いまいち理解できてない。
でも、目の前のことからは逃げられないのはわかった。
かと言って、差し迫って私がどうにかしようとするのも難しい。
......?
パパは普通にそういう事を伝えたかったのでは?じゃあ私は何を理解できないと感じたんだ?
......なんだか箸が進まないな。
お腹は減ってるのに、食欲がない。
「......ごちそうさま」
「今日はやけに食べるのがのんびりだったね。ゆっくり味わえた?」
あれ?なんだかんだで完食してた。
でも、私は途中から、虚無を口に放り込んでぐちゃぐちゃにして、胃の中に次々と落下させていただけだった。どうせ全部食べるなら、ちゃんと味わって食べればよかった。マヒマヒさん、ごめんなさい。
「おいしかったよ。ありがとう。コーヒーいれるけど、パパもいる?」
笑顔になれないのがバレないように立ち上がりながら、努めて明るい声で言った。
「いります!」
パパもやけに明るく返事をくれるものだから、私は更にどんよりした気持ちになった。我ながら理不尽だと思いながら2杯のコーヒーを入れて、もう一度座った。
「今日はレイラもコーヒー飲むんだね」
私は「うん」と答えた......つもりだったけど、どうだっただろうか。心の中で言っただけだったかも知れない。
コーヒーは別に好きじゃない。でも、ブラックで飲む。ミルクとお砂糖を入れるなら、紅茶の方がおいしいし。
みんなにも聞いてみたいんだけど、コーヒーって本当に心からおいしいと思って飲んでるんだろうか?ただの苦い汁じゃないか。
明らかに不快そうな表情のことを、苦虫を噛み潰したような顔、という比喩表現がある。
ということは、苦い汁を口に含んでいる顔が、不快そうな表情にならない方がおかしい。
苦汁くじゅうを舐める。これだって不愉快であることの例えじゃないか。
苦汁くじゅうの選択......違った。それは苦渋くじゅうだ。
私は不快になったとき、身体がかゆくて思いっきりかきむしりたくなるような気持ちで、コーヒーに助けを求める。
それで、コーヒーを飲み始めると、いつも後悔する。
ひっかいて肌を傷付けてしまってひどく痛がゆくなって、かくのを我慢すればよかったと思うときの気持ちと一緒だ。
それにしても、このコーヒーとかいう物体は、カップに収まっているときはどす黒いくせに、こぼれてしまうと想像以上に茶色なのが無性に腹が立つ。
茶色のくせに、カップに収まっているときだけ調子に乗るなよ。ちくしょーめ。
......フクスローの夢、応援してあげたいよ。
でも、それと同じくらい、フクスローと一緒に私の夢を叶えたい。
そもそも、フクスローは『ヒスイのすがた』になれたとして、そこから何をしたいんだ?
ヒーローものが大好きなフクスロー。私、ジムリーダーになるからさ。一緒に平和を守ろうよ。私はフクスローとずっと一緒にいたいよ。
でも、そんなことはフクスローもずっと考えてくれていたはずだ。その上で、それでもヒスイのすがたになりたいんだ。
私は初めてのポケモンをフクスローに決めたとき、まだ将来の夢が決まってなかった。
純粋に、かわいい。この子と一緒にいたい。と思ってまだモクローだったフクスローを選んだ。
もちろん今も、その気持ちが変わっていないからこそ、自分に失望したし、裏切られたような気持ちになって悩んでいる。
でも、フクスローに対しての気持ちには、いろいろな期待とか常識とか、私のわがままとか、そういう余計なものがいろいろ増えて、濁っていた。
真っ白なミルクに真っ黒なコーヒーを注ぐと、思いもよらず、濁った汚いベージュ色になる。
白と黒の絵の具を混ぜたような、落ち着いた感じの鈍色にはならない。
私の純粋な真っ白な気持ちに苦い汁が注がれる。想定していなかった、濁った汚い気持ちになる。
八つ当たりなのは理解した上で言うけど、やはりコーヒーは悪者だ。ちくしょーめ。
くそう。コーヒーめ。フクスローも私に選ばれたとき、純粋にただ真っ白な気持ちで、大切にしてもらえるといいなと思っていたことだろうに、なんてひどい奴だ。
......あれ?最初に裏切ったのは?もしかして、悪者は、私?
えーっと、そうだそうだ。そういえば、パパがこの間、かゆみについての新たな発見について語っていた。
少し前までは、神経が感じる弱い痛みがかゆみの正体であって、ひっかくことで強い痛みを与えて誤魔化したくなるのだと考えられていた。
私も、どこで聞いたのか忘れたけど、そういうものだと思っていた。
でも、割と最近になって、痛みを感じる神経とは別に、かゆみを感じる神経というものが発見されたらしい。
かゆみよりも痛みの方が人体において危険なので、痛みを与えると脳がそちらの処理を優先するから、かゆみの神経は痛みの処理が終わるまでおとなしくなるんだそうだ。
科学オンチの私でもイメージしやすいように説明してくれただろうから、本当はきっと、もっと難しい何かが複雑にどうにかなっているんだろうけど、なんだかむしゃくしゃする話だ。
多少の痛みは我慢出来るが、かゆみというのは相当に私を不快にしてくる。
脳内で『かゆみさん』が私の身体のあちこちでイキリ散らかしている姿を想像する。かなり不愉快だ。
私の身体の異常を発見し、それを脳に伝えるため、イケメンでスーパーヒーローの『痛みさん』が駆け出すと『かゆみさん』は慌てて道を空けて、いい子を演じる。
そして『痛みさん』が帰ると、いつの間にかまたイキリ始めている。
ダサい。非常にダサい。ひっじょーにダサい。ダサすぎる。
『かゆみさん』は私の神経ながら、いちいち私の神経を逆撫でする悪い奴だ。......だからなんだってんだ。えーっと。私、なんでこんなことを考えているんだっけ。
フクスローが......いや、それはかゆみとは関係なかったはずだ。
マヒマヒのフライが......そういえば私が手を洗おうとした時にパパの手元をチラッと覗いたら、マヒマヒさんは既に見るも無惨な姿になってたな。......違う違う。今はそんなことはどうだっていい。
そうだ、コーヒー。
かきむしりたくなるような、ムズムズモヤモヤした不愉快な気持ちを、コーヒーがなんとかしてくれるんじゃないかと期待して、裏切られて、コーヒーに腹を立てた。
バカバカしい。というかバカだ。期待した私がバカだった。この苦い汁ごときが、私の心を救ってくれる訳ないのに。
待てよ。何が『痛みさん』だ。痛みだって感じなくて済むならその方がいいに決まっている。こいつも悪者だ。なんてこった。
この間、痛覚がなくて身体の不調に気付けず、大変なことになってしまう人の話をテレビでやってた。
ひな壇に座った、全然カッコよくない誰かが『初めて痛みを感じられて良かったと思いました』なんて、台本を読むようなコメントをしていたけど、そんなわけあるか。
痛覚はあってもいいが、ずっと心身共に健康で、痛みなんて知らずに生きていける方がいいに決まってるじゃないか。
痛覚がない人はかゆみを感じたとき、どうなるんだろう。あの不快感に一切の抵抗が出来ないのだとしたら、とってもかわいそうだ。......そうでもなかった。どうでもいいや。
イライラする。
実際のところ、それはコーヒーのせいじゃない。
何かのせいでもなければ、誰かのせいでもない。強いて言うなら、ありとあらゆる何もかも、どいつもこいつも私も、みんなのせいだ。
私はオコリザルかよ。ちくしょーめ。
このままでは憤死して、コノヨザルに進化してしまいそうだ。
オコリザルやコノヨザルは攻撃される度に『ふんどのこぶし』の威力をどんどん上げていくけど、一度ボールに戻すと、さっきまでボコボコにしてきた相手を再び目の前にしても、きれいさっぱり威力が戻ってしまう。
そう思うとあの子たちって、かなり心広いよね。
私はボールには戻れないから、眠くないけど布団に潜ってみるか。
「私、歯磨きしてもう寝るよ。明日の朝、シャワー浴びる」
「そうか。レイラ、おやすみ」
おやすみ、パパ。なんだかんだと言っても、私はパパが大好きだよ。
......今のは間違いなく、言えてなかった。