セキさんは深呼吸して思いっきり身体を伸ばしたあと、そこらじゅうを物色して、テントの中の設備についてあれこれ質問してきた。
面白そうなものがたくさんある。
アウトドア用のバーナーとか調理器具や食器。アローラでは見ないカップ麺やレトルト食品もある。
見てるだけでわくわくする!
カーテンで仕切られた向こう側には、寝袋とか空気で膨らむ簡易マットレスもあるし、温かくなる使い捨てアイマスクも、いろんな香り付きのやつが置いてある。
季節限定のさくらの香りもある!これ、箱買いしたのにパパがいっぱい使うからすぐなくなっちゃったんだよなぁ。
セキさんは現代では当たり前のものに、いちいち驚いていた。
特にウォーターサーバーに感動したらしかった。
「冷たい水が出てきた!すげー!これ、どうなってんだ?こっちの赤いレバーは何が出るんだ?」
セキさんはしゃがみこんで、赤いレバーをガチャガチャと触りはじめた。
「あっ、そっちは......」
「うわっ!あっつ!」
お湯の出る方はやけどしないようにロックがかかってるし、何も説明してなかった。
「大変!ごめんなさい。先に説明すればよかった。すぐ冷やさないと......」
「こっちはいきなりアツアツのお湯が出るのか。すげー。さすがに予想外だった。このくらい、全然なんともないから気にすんな」
「少しでも早く治るなら、小さいケガでも大袈裟なくらい手当てしたっていいじゃないですか。はい、見せてください」
「それもそうか。申し訳ねぇ。ありがとな」
セキさんは手を差し出して見せてくれた。ハンカチにお水を含ませて、赤くなってるところに当てる。
......なんか恥ずかしくなってきた。さっきこの手と、手つないじゃったんだ。
セキさんの手も傷跡がいくつもあって、手のひらが分厚くてゴツゴツしてるし、皮膚も固くなってガサガサしてる。ヒスイって本当に大変な時代なんだな。
グラジオの手は......白くて指がスラッと長くて、爪までピカピカだったな。でも関節とかはしっかり太くて、男の人って感じだった。
そういえば、グラジオはデートのとき、歩くの速かったし、さっさと先に行っちゃってばかりだったけど、セキさんはなんだかんだで私のスピードに合わせて走ってくれてたように思う。
セキさんはきっと、スマートに車道側を歩いてくれる系男子だな。ヒスイに車道があるかどうかは知らないけど、絶対いろんな女の子とデートしてる。
「セキさんは、好きな女の子とかいないんですか?」
「お?やっぱり気になっちゃうか。でもな、オレみたいな色男は『みんなのアニキ』でいないと面倒なことになるんだよ。男ですらオレの事好き過ぎて暴走するようなヤツがいるくらいだ」
「へー。そうなんだ。なるほど。なるほどね」
うん?この声......!
「え!?パパ!?」
真横にパパが立っていた。一切気配を感じなかった。怖っ。
「レイラは俺のかわいい一人娘だから『アニキ』なんかいないんだけどなぁ?」
パパのおでこに血管がビキビキ浮かび上がってる。
今、膝立ちのセキさんが差し出した手を私が握ってる状態。これはあれだ。童話で男の人がお姫様を連れ出そうとするシーンのポーズ。
どうやらパパは、1番よろしくないタイミングで来たっぽい。
終わった。セキさんはなんて言うか......もうおしまいだ。
セキさん、ちょっとせっかちだけど、良い奴だったよな。どうか、安らかに。
パパはものすごい早口でセキさんを説教し始めた。
「セキくん。感覚や常識が違うということはある程度考慮するけど、もう少し身の振り方に気を付けた方がいいと思うんだ。自覚があるみたいだけど、セキくんはかなり色男だからね。セキくんに親しくしてもらって露骨に嫌な顔をする女性はあまりいないだろうし、ヒスイ時代ではセキくんは立派な立場があるから、注意してくれる人が周りにあまりいなかったから本当に何も気に留めてなかったのかも知れないけど、さっき知り合ったばかりの女の子を、同意も得ずにいきなり触るのは良くないことなんだよね。それに、父親の前でいきなり娘の手を掴んで連れ去るのはさ......。父親としてはね。ちょっと許容できないかな。うん。どんな時代のどんな父親でも娘にそんなことされたらさ......。内心穏やかじゃないと思うんだよ。あと、ヒスイの時代ではレイラは大人として扱われる年齢だと思うけど、こちらの世界だと、レイラは未成年......まだこどもなんだよね。大人の男性が周囲から見えない場所に連れ込んでふたりっきりになっちゃうのは本当に、本当に良くないことなんだよね」
パパはセキさんをぶん殴りそうな勢いだ。
どうしよう、ゲンパチに止めてもらった方が......。いや、私の手持ちポケモンが束になってもパパはどうにもならない。
せめて、きあいのタスキをセキさんに持たせないと。セキさんが冗談抜きで、しんでしまう。
「......うん、まだ言い足りないことばっかりだし、聞きたいことは山ほどあるけど、今はいろいろと良くない気がしてきたから、セキくんの話を聞くのはとりあえず後にしよう。先にレイラと話すから、セキくんは外で待っててね」
セキさんが呆気に取られていると、パパは自分と背丈がそんなに変わらないセキさんをひょいっと担いで、テントの外に放り投げた。
パパは息を切らしてわなわなと震えている。
息を切らしてるの、初めて見たかも。
長めに距離を取って、後ろからパパに声をかけてみた。
「あのー。えーっと。パパ、これ。持って行っちゃってごめんね」
棒みたいな機械を差し出してみたけど、振り返ったパパは棒を持ってない方の、右手をにらみつけてこわいかおをしてる。
「レイラ、大丈夫か?なにかおかしなことを言われたりされたりしなかったか?」
「みんなが出ていっちゃっただけで、連れ込まれたわけじゃないよ」
そう言ってるのに、パパは無視した。
「右手、握られて痛くなかったか?ちょっと、見せてみなさい」
そういえば、セキさんに握られたのは、ケガした方の手だった。グローブしてたし、最近は普通にしてたらあんまり痛くないから全然気にしてなかったけど、何かが当たったり、何かを握ったりしたらさすがに痛かったはずなのに、セキさんに手を握られてから全然痛くない。
セキさんはイケメンだしファースト手繋ぎの相手になっちゃったけど、私はグラジオのことが好きだもん。セキさんよりグラジオの方が断然かっこいいもん。
それなのに、年頃の男女がなんやかんやあると、意図せず変な脳内物質がでてしまうんだろうか。
なんか気まずいけど、グローブを外してガーゼを剥がしてみた。
「......!?」
なんか悲鳴みたいなのが出た気がするけど、声にならなかった。
「なんか......ケガ治ってるんだけど......?」
パパに手を見せてみた。
朝に貼り替えたガーゼにはまだキズが治りかけのときに出る謎の体液のシミがついてるくらいにはついさっきまでキズがあったはずなのに、跡形もなくなってる。
なんなら、高級なハンドクリームを塗って少し経ったあたりくらいの、ピカピカのしっとりつるすべ肌だ。
一応、左手も見せてみたけど、当然だけどなんともない。
「......どういうことだ」
パパ、私に怒ってるの?
どういうことかなんて、私が知りたいよ。パパは博士でしょ。そういう現象、なんか知らないの?
「はぁ......。ダメだな。平常心、平常心」
パパはため息みたいな深呼吸をした。それでもかなり動揺してるのがバレバレだ。
「ねぇパパ。どうしちゃったの?昨日からなんかさ......。パパ、すごく怖いよ......」
ドリバルさんを気絶させる勢いでぶっ飛ばさなくても、パパならもう少しうまくやり過ごせたはずだし、セキさんは話せばいくらでもわかってくれるじゃん。もう少しゆっくり話した方がいいと思うけどさ。
「......ごめんね、パパも自分で自分が恐ろしいよ」
パパはその場で座り込んで、膝を抱えてまるくなってしまった。
「何かあったの?」
「そりゃ、思うところはあるけど、どんな理由があったとしても、暴力はよくないことだ」
「思うところってなに?教えてよ」
膝と一緒に頭まで抱えてしまった。パパってこんなに小さくなれるんだ。
なんだか、すごく不安で悲しい気持ちになった。
何があっても私を助けてくれた、強くて完璧なパパはもういないんだ。
でもきっと、パパが変わったわけじゃない。
親がいないと生きていけないうちは、子供には親の都合の悪いところは見えないようになってる気がする。
成長するにつれて、だんだん親も人間だと思い知っていくんだ。
パパは昨日、遅くまでなにやらいろいろと準備してて、きっとあまり寝られてない。
出張の前だって忙しそうだったのに、私の夕飯のために、焼くだけの状態まで仕込んだ食材をいくつも作って冷凍して置いていってくれた。
きっとすごく無理してるんだ。
どうにか、休ませてあげた方がいい気がするけど、パパ休むの嫌いだしなぁ。どうしたらいいんだろう。
私が真剣に考えてるのに、パパは何か思いついたようで、ニコッとしたつもりだったであろう、なんとも言えない表情になった。
「......そうだな、じゃあ、レイラがパパの質問に答えてくれたらパパも話そうかな」
何それ。ずるいぞ。
「ふふふ......。別に、答えたくないならそれでいいんだけどね。レイラは昨日さ、パシオに来る前、誰と何してた?」
昨日、私は頑張ってとびきりオシャレしてた。パパは私が前髪を自分で少し切っただけでも気付くから、昨日の私が気合い入りまくりだったのはわかるだろう。
適当にはぐらかそうかと思ったけど、別にやましいことがあるわけじゃない。
パパは私が誰かと出かけたことに気付いてて、なんなら勝手に変な妄想をこじらせておかしなことになってるな。
全部正直に話した方が、パパも少し落ち着くかも知れない。
「......昨日ね、リーリエちゃんのお兄ちゃんの......グラジオさん、と、ふたりでお買い物に出かけました」
「ふむ。なるほどね。正直でよろしい。昨日のレイラ、いつもかわいいのに更にかわいかったからね。男の子とデートでもしてたんじゃないかと思ったんだけど、当たってたか」
パパはどこか遠くを見たあと、ゆっくり目を閉じた。
目を閉じてるのに、パパには何かが見えてるみたいだった。怒ってるわけではなさそうだ。
「......いや、いいんだ。パパがママと初めて会ったとき、ママは今のレイラと同じ、16歳だったんだ。でも、お話できるような関係になるまで4年近くかかったから、断じて未成年に手を出したわけではないけどね」
パパは目を開いて、テントの出口を睨みつけた。あれ?やっぱり怒ってる?
「こんなにかわいいレイラを、今まで男の子が放っておいていた方がよっぽどおかしかったんだ。ボーイフレンドのひとりやふたり......いや、ボーイフレンドはひとりにして。えっと、うん。いつかそういう日がくるのはわかってたよ。わかってたけどさ。思ってたよりも、こう、なんというか、ね」
パパは俯いて言葉を詰まらせた。いつもの早口はどうしちゃったんだ。これはかなり深刻な症状だ。
「別に、お付き合いしてる訳じゃないよ。ルザミーネさんの誕生日プレゼントを選びに行ったんだ」
「でも、レイラはグラジオくんのことが好きなんだろ?」
そうだよ。ママのいるお家はさ、きっとこういう話は父親とはしないだろうよ。ちくしょーめ。
何も言ってないのに、パパは何かを察したようだ。隠し事が難しいのは、パパのせいと言うよりは私が分かりやすすぎるせいだろうか。
「ははは......。レイラは正直でわかりやすくて、いい子だなぁ。会ったことは無いけど、グラジオくんのことはルザミーネさんから聞いてるし、いい子なんだと思う。なんなら『レイラちゃんを変なところにお嫁に出すくらいなら、うちの自慢の息子に任せた方がいいわよ!』って売り込みしてたし」
そうだったんだ。別にグラジオとはまだ友達だけどさ。なんか......なんだろう、ちくしょーめ。
「よし。もう大丈夫。心配かけてごめんね。もしお付き合いすることになったら、まずはパパに紹介するようにね」
えー。超イヤ。いきなり父親に会えっていうの、重すぎるでしょ。パパは私の顔を見て、いつもみたいな笑顔になった。
「ドリバルさんとセキくんにはやつあたりして申し訳なかった......気がしたけど、レイラをケガさせそうになったライヤーくんをかばおうとしてパパに飛びかかってきたドリバルさんも、レイラのケガしてた手を握った挙句、パパの前から連れ去ったセキくんも悪いから謝らなくていいか」
あれ?やっぱり怒ってる?
「パパ、やっぱりまだちょっと怖いよ。少し休んだ方がいいと思う。あっちに寝袋とかあったよ」
パパは休むのを拒否したけど、限定のさくらの香りの温かくなる使い捨てアイマスクを見せたら、誘惑に敗北して「少しだけ休憩する」と言ってイスに座ってアイマスクをつけたと思ったら、すぐに寝息を立て始めた。
「パパ。いつもありがとう」
パパにブランケットをかけた。
私もさくらの香りのアイマスク1個頂戴して、少し休憩しよっと。