私がパシオに行くまでいた場所は家の真ん前だったはずだ。
慎重に足元を確認しながらゆっくり輪っかの向こう側に抜け出した。
アローラの穏やかな潮風を感じる。
すごい。一瞬でアローラに着いちゃった。
「すぐ帰るって言っても、すぐ過ぎるだろ......」
眼前には、グラジオが呆然と突っ立っていた。
「あ、あれ?グラジオ!?」
グラジオは何かを確認するかのように私の肩を両手でぽんぽん叩いてから、膝から崩れ落ちそうになりながらうなだれた。
「幻影が見えるようになったのかと思った.....。無事で良かった......。本当に......」
肩に乗ったままのグラジオの手は、小さく震えている。本当にすごく心配してくれていたんだ。また会えて嬉しい気持ちと申し訳無さと、何かいろいろな感情が混ざって、泣いてしまいそうになった。
「心配かけてごめんね。ありがとう」
グラジオは我に返って急いで私から離れて右手で左手を抑えた。
「すまない、幻影なんじゃないかと思って突然触れてしまった......。どんな罰でも受けよう。どこからでも、煮るなり焼くなり、蒸すなり炙るなり、好きにやれ」
グラジオは目を閉じて両手を広げた。
ぎゅってしてみたい。いやいや、欲望に負けるな私。
「えーっと、グラジオくん?どうも、レイラのパパでーす!」
私もハッとした。そうだ、パパもいるんだった。グラジオは急にピシッとして深く頭を下げて名刺をパパに差し出していた。
「いらっしゃったんですね。すぐに気付かず、申し訳ありません。はじめまして。エーテル財団 専務理事、グラジオと申します」
え、なにそれ。かっこいい。
「お、おぉ......?これはご丁寧にどうも......はじめまして。ポケモン天文学会 研究委員会長のシナミと申します」
グラジオとパパはきっちり名刺を交換し、グラジオはパパの名刺を大切そうに名刺入れにしまったあと、何かに気付いた様子で、恐る恐る顔を上げた。
「オレは目の前で......大切な娘さんになんてことを......」
グラジオの顔面はみるみる蒼白になり、膝から崩れ落ちてそのまま土下座の体勢になった。
「なんと申し上げたらよいか.......。お詫びの言葉もございません......」
「グラジオくん......!?いやいや、えぇっと......。とりあえず、お互い落ち着こうか......」
パパはかなり動揺しながらグラジオを立たせた。
「グラジオくん、レイラから話は聞いてるかな?ワープするチカラのあるポケモンさんにレイラが元いた場所に帰らせてもらえるように頼んだつもりだったんだけど、ここは.....」
そうだ。ここ、家の前じゃないじゃん。
ウラウラ島のマリエシティのはずれの岬。私が海に落っこちた場所だ。
ここは街頭もほとんどないし、本当に人通りがない。おまけに最近はガラの悪い人たちが増えた。
グラジオに何か良からぬ疑いがかかってしまう。フーパめ、なんてことを。
「私、こんなところにいなかったよ。フーパ、失敗しちゃったんだよ。フーパは私とパパを間違えてワープさせるくらいだし......」
しどろもどろになって、フォローしようとすればするほど胡散臭い感じになってしまう気がする。でも、パパはあまり深く考えていないようだ。
「ワープする前、レイラはグラジオくんと向かい合っていたのかな?それなら思ってたのとはちょっと違うけど、フーパくんはきっちり元いた場所に帰してくれてたって事だ」
グラジオは思考のメモリ領域がパンクしたのか、一時停止を押された動画みたいに変な体勢のままフリーズしてる。
「......そうだ、ホクラニ天文台から持っていった荷物もたくさんあるし、家に帰る前に天文台の荷物を置きに行こうかな?......うん、そうしよう」
パパは自分の提案に自分で返事をした。
「グラジオくん、びっくりさせてごめんね。レイラと仲良くしてくれてありがとう。また改めてご挨拶に伺うよ。それじゃ」
パパは笑顔で手を振って歩き出そうとしたけど、グラジオが深々とお辞儀しているのを見て慌てて深々と頭を下げていた。
ついさっきセキさんをにぎりつぶしていたときの態度とはえらい違いだ。
少し離れてから、パパは大きすぎるため息をついた。
「はー。本当にびっくりした。グラジオくん、エーテル財団の専務理事だったんだね......」
「私も全然知らなかった。......どころか専務理事って何する人なのかもわかんないよ」
「ルザミーネさんは正式には代表理事って役職だ。それを社長だとすると、専務理事は副社長に相当する立場だね」
えぇ!じゃあ、うちに来てくれた団員さんどころか、感じの悪いザオボーさんなんか目じゃないくらい偉い人なんじゃん。すご。
「パパとしたことが、大切な取引先の専務理事に初対面で『レイラのパパでーす!』なんておちゃらけた挨拶しちゃったわけで......。どの立場で話したらいいのかわからず、自分で自分の提案に賛成して逃げ出しちゃったよ」
パパはふふっと笑って空を見上げながら歩いてる。私は特になにも言わずに前を向いて歩く。
「......そういえば、グラジオくんあんなところで、ひとりで何してたんだろう?」
「たしかに」
「最近この辺りでガラの悪い人をよく見かけるんだよね。ちょっと心配だな」
「グラジオは強いから大丈夫だよ」
「そっか。まぁ、昔のカントーのガラの悪さと比べたら全然かわいいものだし、大丈夫か」
「え、カントーってそんなにやばかったの?」
「うん。十数年くらい前まで、カントーには組織的犯罪を生業にする、強大な悪の組織があったんだ。窃盗、恐喝なんか日常茶飯事で、数年に1回くらいのペースでテロ事件なんかも起きてたりしたよ」
「授業で習ったよ。ロケット団でしょ」
「えぇ!?今時のアローラの子はロケット団を授業で習うのか!?どんな風に習った?ちょっと、帰ったら教科書も見せて!」
「別にいいけど......。ロケット団の登場まで、地方を跨ぐ大規模テロが組織的に行われることが想定されてなくて、ジュンサーさんたちが手出しできない事案がいくつもあったから、世界中の地方が協力して犯罪を取り締まる保安協定が結ばれました。みたいな、そんな程度だよ」
「......人間が悪に手を染めてしまうのには様々な理由があるけど、全員に共通してるのは、大多数の人が所属している、いわゆる『一般社会』から孤立してしまっているということなんだ」
パパはなんでこんな話を始めたんだろう。歩きながらだけど、真剣に耳を傾けてみる。
「ロケット団のボスは、ポケモントレーナーとしても強かったし頭も切れるし、すごいカリスマ性の持ち主でね。年齢、性別、人種......何もかもがバラバラの、一般社会から孤立してしまった人を、統率の取れたひとつの組織にまとめあげた。彼が現れるまで、そんなことをできる人間が実在することを想定するほうが難しかったんだよ」
確かに、それはすごい。そのカリスマ性を良い方向に使ってくれたら、世界を救えるぞ。
「ボスはね、ジムリーダーをしてて人望もあったし、とんでもない犯罪を次々とやっていたのに、今も捕まってないんだよね」
「えぇ!悪い人がジムリーダーやってたの!?」
「いや、ジムリーダーが悪い人になってしまったんだよ」
「うん?悪の組織のボスがジムリーダーをやってて、悪い人だって気付かれなかったんだよね?」
「それは少し違う。ジムリーダーになった頃は、悪い人じゃなかったんだよ」
「そんなのわかんないじゃん」
「わかるさ」
「なんで?」
「ロケット団のボスのサカキはね、パパの幼なじみで、ライバルで、親友だったんだ」
「え......?」
パパの親友が、犯罪組織のボスに?なんで?
「天文台で休憩しながら、少し話そうか」
私は頷くと、少し足を早めて歩いた。
天文台に着くと、パパのノズパスがお出迎えしてくれた。
「ノズパス、お留守番ありがとう。何か変わったことはあった?」
ノズパスは穏やかな顔のままぼーっとしている。
「そうか。なにもなかったか。よかった」
パパは荷物を下ろしてすぐに、飲み物を用意し始めた。
「コーヒーと麦茶しかないけど、どっちがいい?」
「麦茶にする」
「はい。よし。じゃあパパが旅に出た時の話をしようかな」
パパはゆっくりと話し始めた。