フトゥー博士は、パパがママの話をするときみたいに嬉しそうに、どこか悲しそうに話していた。
「......おっと、おじさんのノロケ話を聞かせてすまないね」
「いや、素敵なお話です。私はパパからママの話を聞くのが好きなんですけど、他の方のそういう話を聞ける機会なんてそうそう無いですし......」
私は笑顔を作ってみようとしたが、うまくできなかった。
「でも、オーリムさんは......」
「......そうだね。少し悲しいお話になっちゃうけど、続きを話してもいいかい?」
私は小さく頷いた。
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ある日ついに、僕たちは0から1%を生み出すことに成功したんだ。
オーリムのお腹の中で、小さな......ほんの小さな命が鼓動を始めたんだ。
生命は繁栄を続けているのに、思えばこんなに身近に、こんなに神秘的で不思議なことがあることには気づかなかった。
つわりがひどくてしんどそうだったけど、オーリムは休まず研究を続けた。
無理しないで欲しかったけど、何か成果を出さなければ子供に不自由な思いをさせてしまう、と言って頑張ってくれていた。ボクらは貧乏だったからね。
でもあっという間にオーリムのお腹はどんどん大きくなって、ついに出産を迎えた。
難産になってしまってオーリムは本当につらそうだったけど、一度も泣き事を言わなかった。
ボクは心配で心配で涙が止まらなくて、息子が産声をあげて命の重さを抱いたとき、感動と安心で、いい歳して息子より大きい声をあげて泣いた。
オーリムは笑っていた。思えば、オーリムが泣いているところは一度も見た事がなかった。
息子が生まれてからは、なんだかいろいろなことがうまく行くようになった。
研究がトントン拍子に進んで注目されるようになって、余るくらいの研究費をもらえるようになったけど、手が離せないことが多くなった。
息子に健康に良くて美味しい食事をデリバリーしてあげたり、いろいろなものを買い与えたり、立派な幼稚園に入園させたりして、ボクは親としての最低限の義務は果たしているつもりでいた。
だけど、オーリムはそうではなかったらしい。母親らしいことを何もできないと言って自分を責めて無茶ばかりしていた。
研究の合間に簡単な......例えばサンドイッチとか、そういうものだけでも、と息子になるべく手料理を振る舞っていた。
ある日突然、息子に寂しい思いをさせているけど兄弟を作ってあげるのが難しいからポケモンをゲットしてくると言って、急に研究室を飛び出して行ったりしたこともあった。
オーリムはとても緻密に物事を考えられるのに、何故かポケモンと関わるのは失敗しがちだった。
それなのに、なんとか泥だらけになりながらも小さなオラチフをゲットしてきた。
早速息子にボールを持たせ、オラチフをボールから出したり戻したりする方法を教えてあげて、すぐに息子ができるようになって喜ぶ姿を動画に残していたが、オーリムも息子も、ボールが上下反対だ。
息子はいろいろな論文や学術書を絵本代わりに読んで、オーリムにそっくりなまっすぐな瞳で見た事や、聞いたことをすぐに覚えてしまうような子だった。
オラチフと本当の兄弟のように無邪気に過ごしていたけど、それ以外の時はずっと退屈そうにしていた。
親バカな贔屓目の事を考慮しても、息子は天才だった。
息子はボクたちよりも優秀な博士になるだろうし、オラチフは息子を守ってくれる立派な番犬に成長するだろうと思っていた。
だが、意外にも息子はフィクションの友情物語や根拠のないオカルト話が好きで、一番好きなものは何かと聞くと母が作ったサンドイッチだと言うような子だった。
何故かと聞くと、母のサンドイッチを食べると元気になると言っていた。なるほど、栄養学に興味があるのかと思ったが、今になって思えば息子が言っていたことはもっとシンプルなことだったように思う。
そんなことをしているうちに、研究は最終段階に来た。
時空の歪みを作り出し、過去や未来を行き来できる装置が完成した。
ボクは起動させるのが不安だったけど、オーリムが大丈夫だ、上手くいくはずだと言うのでそうなんだろうと思った。
根拠は......オーリムがそう言ったからというだけだった。
装置を起動すると、見たこともないポケモンが2体、時空の歪みから飛び出してきた。
ボクはそれらを夢中でゲットした。やった。成功だ。
未来から来たポケモンを見たのは、ボクら.....いや、ボクだけが初めてだった。
オーリムの悲鳴が聞こえた。オーリムが足元から時空の歪みに飲まれ始めていた。
オーリムの身体は微粒子レベルにどんどん散り散りになっていて、ボクは何がなんだかわからなかった。
オーリムは、転んで擦りむいてしまった息子がこの世の終わりのように泣き叫んでいた時みたいに、大粒の涙を零して絶叫していた。
オーリムが泣いているのを見たのは、それが最初で最期だった。ボクは訳が分からないまま、現実から目を背けた。
見たこともなかったポケモンをがむしゃらに研究して、現代から何億年もかけて変化したとしか思えない遺伝子を持っていることがわかった。
ボクはこのポケモンに『ミライドン』と名付け論文を書き上げ発表した。
世界中が驚愕し、一躍有名人になった。ヨワシの群れみたいに取材から何から、よく分からないものまで、大挙して自宅に押しかけてきた。
息子はボクの論文を理解し、しばらくかなり興奮して大喜びしていた。
しかし、何故母だけ帰って来ないのかと無邪気に問いかけてきた。
ボクは焦って、忙しくて帰って来られないと適当なウソをついてしまった。
息子は少し不服そうであったので、ボクよりオーリムの方が優秀なので仕方ないと付け加えたらすぐに納得したようで、笑顔を見せた。......これは本当のことだ。
ボクは2体捕まえたミライドンのうち、気性の落ち着いた方を息子に見せびらかし、息子の気をなんとか逸らせようとした。
しばらく息子は子供らしく無邪気にはしゃいでミライドンとオラチフと一緒に遊んでいたが、いよいよボクに対して疑念と怒りを覚えたらしい。
息子は、母だけが大変でかわいそうだから研究を交代してあげろとしつこく言って、オーリムにそっくりな瞳でボクを睨みつけるようになった。
ボクは引っ込みがつかなくなっていて、どうすることもできなかった。
本当のことを言って、息子のあの瞳から、涙が零れるのを見たくなかった。
あのときのオーリムの姿は、本当に絶望的なものだった。無事でいるとは到底思えなかった。
しかし、ミライドンが無事にこちらに来られたのだから、オーリムもこちらに戻って来られるのではないかと希望的観測をして研究室に引きこもった。
オーリムを連れ戻すことが出来れば、何もかも元通りだ。
むしろ、大きな功績をあげた今のボクらなら、息子と思いっきり遊んでやる時間も作れるし、豪華な手料理を振舞ってやることもできるだろう。
そうだ、家族で世界中を旅しよう。
息子は本か何かでいろんなことを知っているだろうけど、誰かと共に体験することで息子が感じるであろう何かは、今は誰もが知りえない、息子だけの特別な未来にある。
息子を世に送り出したことは、ボクにとって愛する妻と一緒に作り上げた、なによりも素晴らしい一番の功績だ。
大丈夫だ。きっとできる。そうだ、何もかもうまくいく。
......根拠は何もなかった。
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フトゥー博士は表情を変えないまま、ははっ、と乾いた笑い声のようなものを声帯から絞り出した。
「気付けばそれから10年以上経っただろうか......。息子は懲りずに、今でも何度もボクに連絡をくれているけど、どんどんウソを重ねて辻褄が合わなくなっていってしまうのが恐ろしくてね。連絡を返してやることすらできなくなってしまった」
私は涙がこぼれた。本当に悲しいお話だ。
当然だけど、人生は都合のいい恋愛ドラマみたいに絶頂のところでは終わらないんだ。
フトゥー博士の話だって、マシンを起動しました。くらいのところで終わっていたら、この先はご想像にお任せします系のハッピーエンドのお話に感じただろう。
そういえば、パパはママとの幸せ絶頂までの話と、今の私と過ごす日々がどれだけ幸せかって話しかしてくれなかった。
もしフィクションの物語だったとしたら、ママがしんじゃったことすらも、ドラマでよくあるちょっとしたスパイスになって、私が研究室を出てったあたりでハッピーエンドみたいに消化されてしまうんだろう。
人生って、当事者の現実は残酷で、何もかもわからなくて誰も助けてくれなくて、飲み込むことすらできないような事がたくさんあるんだ。
いや、待てよ。
わからないこと......?誰かが助けてくれる......!
かみなりが急所に当たったときみたいな電撃が私の中をランニングしていった。
私はスマホロトムを引っ掴み、無我夢中で操作した。
そうだ。やっぱりできる!これなら......!
立ち上がり、池や周囲の写真を撮影した。
フトゥー博士は「どうしたんだい!?」とさすがに驚いていたが「上手くいくまでもう期待はしないでほしいんですけど、ちょっとひらめきました!」と早口で叫んだ。
誰か、誰かがきっと......!
..........
レイちゃん:相談というか、お願いしたいことがあります。
レイちゃん:気付いたらこの池がある場所に迷い込んでしまいました。ポケモンレスキューに電話しても声が届かなくって......どなたか助けてくれませんか?
..........