「ついに明日出発かぁ」
昼食を食べているとき、パパがボソッと呟いた。
「......そうだね」
パパの作ったオムライスを飲み込んで、小さな声で相槌を打つ。
私はパルデアのグレープアカデミーの寮に引っ越す。
明日から1週間ほどパパもついてきて荷解きや手続きをしてくれる。
そのあとは、ひとりだ。
「そうだ。ゴールデンウィーク明けから、宝探しのフィールドワークが始まるんだよね?」
「うん。もちろんポケモンジムを回る旅にするよ」
「旅、か」
「『チャンピオンランク』を目指すことに挑戦してみようかな」
パルデアはチャンピオンをひとり決めるんじゃなくて、バッジを集めてリーグの面接に合格して、四天王さんに勝って『トップチャンピオン』さんに認められたら『チャンピオンランク』のトレーナーになれる。
グレープアカデミーは現在、チャンピオンランクの生徒さんがふたりも在学している史上最強の世代だそうだ。
チャンピオンランクの生徒さんは、生徒会長のネモちゃんとアオイちゃん。ゼイユちゃんとスグリくんのお友達だ。
「スグリくんが、グレープアカデミーの生徒会長でチャンピオンランクのネモちゃんに私の連絡先を教えておいてくれたの。メッセージも送りあってるし、おととい電話もして、とっても仲良くなったよ」
「もう友達をつくるなんてレイラはすごいな。パパは知り合いは多いけど、友達はポケモンさんしかいないんだよね」
相手はパパのこと友達だと思ってるかも知れないから、そういう事は言わない方がいいよ。
「そういえば、パパの旅の続きの話、教えてよ」
「どうしようかな。パパが無茶ばかりした話だから、レイラも真似するかも知れないしなぁ」
「パパの話を聞かなくても無茶はするよ」
「ふふん。確かにね」
鼻で笑われたけど、顔は全然笑ってない。怖いよ。
「反面教師って言葉もあるしね。話すか」
パパは苦しそうな笑顔で話し始めた。
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サカキと会わなくなってから、数年経った。
まだ薄暗い早朝のうちに、3人分の朝食のおにぎりを持って、オーキド博士の研究所に向かう。
今日は雨も降っていないのに稲妻が見えるほどの雷が何度も鳴っている。
昨日なんか、もうすぐ夏が来るってのにあられが降っていた。
変な天気が続くけど、今日も頑張ろう。
「おはようございます!お疲れ様です!」
「シナミちゃん、おはようございます!」
夜勤の研究員さんが作業の手を止めずに元気よく挨拶してくれた。
昨日の夜勤は梅干し大好きのウメダさんだ。
ウメダさんの空になったペットボトルを回収して、新しい飲み物のペットボトルのキャップをストローキャップに取り替えてウメダさんのサイドテーブルに置く。
ちなみにこのウメダさんはいつも、ガオガ園の『え〜いっお茶』だ。
「朝食も置いておきます」
「いつもありがとうね!」
ウメダさんは手を止めて、ふたつ並んだおにぎりを険しい顔で睨みつける。
「ふたつとも、ものすごくすっぱい梅干しのおにぎりです」
「さっすがー!わかってるね!」
ウメダさんはニコニコしながらおにぎりを食べ始めた。
「むむっ!?おいしい......!とんでもないぞ......!?何故だっ!このけしからんおにぎりめ!米粒の分際でこんなにおいしいなんて、おかずが可哀想だと思わないのか!?」
理不尽な理由で、急におにぎりに対してキレ始めた。怖っ。
「ありがとうございます。手塩にかけて......というか、ラップに多めに塩を振りかけてから握りました」
「あっははは!そりゃ面白い!座布団5枚くらいあげるよ!」
今度はお腹を抱えてゲラゲラ笑ってる。
「ありがとうございます。あと、梅干しも俺が漬けたんです」
「ふむ。......これは!大好きなばあちゃんの梅干しと同じ味だ......!うぅ、ばあちゃんっ!ぼく、すごく、すごく頑張ってるんだ!空から見守ってて!......ぐすん」
えぇ。ガチで泣いてるじゃん。
ウメダさんの情緒が、ぶっ壊れて大暴走するジェットコースターみたいだ。
こんな状態で動かし続けるなんて、いつ死亡事故が起きてもおかしくないぞ。
ここのところの異常気象はポケモンが影響している可能性がある。
その原因を探る研究で、オーキド研究所の俺以外の人はみんな大忙しだ。
「本当にお疲れ様です。よろしければ、こちらもどうぞ」
光合製薬の『さいせいりょくINゼリー』を渡す。
「わぁ!ありがとう!ねぇシナミちゃん。マジでぼくのお嫁さんになってよ!」
「残念ながら、カントーの法律だと同性婚はできないんですよ」
「じゃあじゃあ、法律が変わったら結婚しようね?」
「ご期待させておいて申し訳ありませんが、謹んでお断り申し上げます」
ウメダさんはしょんぼりしながら研究の続きに取り掛かった。
俺は、俺が考えた最強のカワイイ女の子と結婚する。つまり、結婚して先立たれたりして、家族を失うのは嫌だから結婚はしないつもりだ。
家族は母ちゃんとサカキがいればもう充分だ。
さて。
嵐のあとのような悲惨な状態だ。昨日の博士と研究員さんはド派手に研究していたようだ。
開きっぱなしの本に日付を書いた栞を挟み、3ヶ月かけて整然と並べ直した本棚の正しい場所に戻していく。
書類に混ざる印刷ミスや書き損じの失敗作の紙を避けながら、大切な書類は種別ごとにファイリングして、処分して良いかわからないものとすぐに確認が必要なものをそれぞれ束にして、博士のデスクに置く。
あちこちに打ち捨てられた丸まった紙を集めて広げたあと、さっきの失敗作と一緒にシュレッダーにかけていく。
パソコンのデスクトップに散らかるダウンロードしたばかりのデータを種別ごとにフォルダに格納し、昨日のバックアップデータに上書きしないように気をつけながらバックアップを取り、1番古いバックアップデータを消す。
あとは、ピカピカに掃除して研究設備のメンテナンスをする。
「シナミちゃんっ、おはよっ!」
日勤の研究員さんだ。
「おはようございます。朝食はあちらに準備してありますよ」
「おにぎりだ!具は何かな〜?」
「食べてからのお楽しみです」
この研究員さんはネタバレに対して、異常なほど強すぎる、並々ならぬ憎しみを抱いている。おそらく、ネタバレに親を殺されたんだろう。
俺の父ちゃんはと言えば、悪い組織に殺されたようなものだ。それを知ったサカキのお父さんも、獄中で自ら命を絶った。
サカキは最近、悪い組織に取り入って悪いことをしているようだ。復讐したくなる気持ちは痛いほどわかる。でも、そんなことで父ちゃんやサカキのお父さんは帰ってこない。
めちゃくちゃになった俺の家族に意識が向くと、今でも涙が出そうになる。
ダメだ。仕事に集中しろ。
「やぁ、諸君!おはよう!みんな元気かな?」
オーキド博士が出勤していらっしゃった。
「博士!おはようございます!」
すぐに朝食のおにぎりを並べる。
「こっちがおかかで、こっちが昆布です。お飲み物は?」
「いやー、ありがとう!飲み物は自分でやるよ」
博士はおにぎりを貪りながら、ストックの常温のままの大きなペットボトルのお茶をラッパ飲みした。
すかさず素早く後片付けを済ませる。
「ありがとう。さて。やるかねぇ」
博士はイスに腰掛けるとキリッと真剣な顔になって、難しそうな何かをどうにかし始めた。
「では、俺は失礼します」
博士は俺の方を見ずに親指を立てて見せてくれた。
帰る前に予定表を確認して、今日の夜勤と明日の日勤の研究員さんをチェックする。
よし、オッケー。明日の朝食はサンドイッチにしよう。
最初は簡単な雑用係だけだったが、いつの間にか『研究所の嫁 シナミちゃん』が俺の仕事だ。
父ちゃんがいなくなってから、あまり帰って来ない母ちゃんを待つのがつらくて、暇を潰すために家事をしていたら楽しくなってきて、図らずして至高の領域に到達してしまった。
なんの目的もなくやってしまっただけのことだが、それを存分に役立てられるこの仕事が気に入っている。
研究所のお片付けの分類分けに必要な断片的な知識を軽く勉強していたら、博士に「シュウシくん、才能あるぞ!研究員を目指すといいんじゃないか!?」としつこく言われたこともあったが、研究には全く興味が湧かなかった。
俺には自発的な好奇心がほとんど無いからだ。
誰かの為に何かをするのが好きと言えば聞こえはいいけれど、自我が芽生えてからずっと、トサキントのフンみたいにサカキにくっついているのが楽だったから、そんな生き方しか知らないまま大人になってしまっただけだ。
せっかくオタク気質なのだから何かに夢中になれたらいいなと思いつつ、夢中になるものを探す旅すら夢中になる前に台無しになった。
父ちゃん。サカキのお父さん。サカキ。リーグに蔓延る悪。
悲しみと問題だけが残っているけど、このまま大きな変化もなく穏やかに過ごせるなら、俺はもう、それだけで充分幸せだ。
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翌日。
今日は霧が濃すぎて空が真っ白だ。風も吹かない、なんだか不気味な天気だ。
「おはようございます!お疲れ様です!」
昨日より激しいハリケーンの後のような散らかりっぷりだ。腕が鳴っちゃうぜー!
でも、なんだか研究所の奥の方が騒がしい。
「おはようございます.......?」
奥の研究室では何故か、今日はお休みのはずの研究員さんたちも集結していた。
オーキド博士は、研究員さんたちに何やら難しい説明をしていて俺に気付いていない。
しばらく観察していると、ウメダさんが俺に気付いた。梅干しみたいにしわしわの、げっそりした顔をしている。もしかして昨日、帰らずに研究してた?
「シナミちゃんおはよ。急だけどみんなでフィールドワークに出ることになったんだ。準備で忙しくてシナミちゃんに連絡する暇もなくってさ。せっかく来てくれたのにごめんね。今日はお休みしてて」
俺の返事も聞かずに、ウメダさんは博士の説明の続きを聞きに戻った。
余計なことをして邪魔するわけにもいかないし、うずうずしながら何も手を付けずに静かに帰った。
やることもないし昨日は雷がうるさくてしっかり寝られなかったから、もう少し寝ちゃおう。
それなりにしっかり寝れたような、あんまり寝れなかったようなタイミングで、玄関の鍵が開く音で目が覚めた。
玄関の方に向かうと、母ちゃんが帰ってきていた。
「母ちゃん、おかえり。お疲れ様。ごめん、今日帰って来る日だったっけ。何もしてないや」
「シュウシ、仕事はどうしたの?」
サボってないよ。怒らないでよー。
「急にみんなでフィールドワークに行くことになったから、お休みしていいよって言われた」
「どこに行くか聞いた?」
「ううん。何も聞いてない」
母ちゃんの顔は険しいままだ。俺、なんか疑われてる?
「......そう。ママはまたすぐ出かけるの。せっかくだし、しっかり休んでね」
いつもの母ちゃんになった。無罪判決を勝ち取った。
「わかった。ありがとう。母ちゃんも休める時はしっかり休んでね」
「ありがとう。頑張るわね」
母ちゃんは小走りで自室に向かって行った。
あぁもう。このわからず屋さんめ。
母ちゃんは頑張り過ぎだから、頑張るのを我慢するという事を頑張ってみてはどうだろうか。
この間なんか、どのチャンネルに変えても母ちゃんがひな壇に座ってたり、クイズに挑戦したり、おばけ屋敷の中の本物を探したりしていた。
ここにはさすがにいないだろうと思って音楽番組に変えたら、母ちゃんが『寝てる間にむくみ退散!』とか言いながら着圧タイツのコマーシャルに出てて、激しく戦慄してしまい、またテレビを壊すところだった、
それに、寝てる間にすら何かをさせようとするグッズのコマーシャルに、まともな睡眠が取れていないであろう母ちゃんをキャスティングした人は、あまりにもひとでなしが過ぎる。
どういう思考回路してんだ。あいつら人間じゃねぇっ!
ドタバタと母ちゃんが玄関に戻ってきた。
「昼過ぎから夕方まで、一時的に天気がすごく荒れると思う。午前中ならお洗濯やお出かけしても大丈夫だけど、午後までには帰って雨戸を閉めておいて」
「わかった」
「じゃあ、ママ行ってくるね」
「うん。行ってらっしゃい」
なんとなくテレビをつけたら、天気予報がやっていた。
「今日は久しぶりに一日中穏やかな天気になるでしょう」
この天気予報を見た人はかわいそうだな。母ちゃんの予報というか、予言は外れたことがないんだ。
案の定、昼過ぎから冷たい突風が吹き荒れて、雲はないのに雷が鳴り始めた。
もうすぐ夏のはずなんだけど、このところずっと太陽のやる気が無さすぎて、普通に寒い。
オーキド研究所のみんなは大丈夫だろうか?
なんともないと良いけど......。
そんなことを考えていると、足下に小さな何かが転がってきた。
赤色のパワーストーンだ。何故こんなところに?
「ミィ......ミィ......!」
この声は......!
「ミュウ!久しぶりだな!どこにいる?」
ミュウは姿を現した。瞼を怪我してじんわりと血が滲んでいる。
「大丈夫か!?ちょっと待ってね!」
キズぐすりを取り出して使う。良かった。すぐにキズが塞がってくれた。それなのに、相変わらずミュウは元気がない。
「ミィ......」
ミュウはバラバラになった赤色のパワーストーンの粒をどこからともなく取り出した。
「糸が切れちゃったのか。大丈夫。直してあげるよ。1番大きい石は?」
「ミュ......」
綺麗に真っ二つに割れたパワーストーンの欠片を申し訳なさそうに差し出してきた。
「じゃあ新しいのをあげるよ。確か母ちゃんの引き出しに......」
「ミミィ!」
ミュウは俺をポカッポカッと優しくパンチして怒った顔をした。
「ごめん!ごめんって!サカキがくれたやつがいいんだね。接着剤でくっつくかな」
まっすぐ割れていたので、ヒビもわからないくらい綺麗にくっついた。パワーストーンの粒たちを新しい糸に通していく。
そういえば、ミュウに謝らなきゃいけないことがあったな。
「ミュウがくれたにじいろのはねなんだけど、何年か前に崩れて消えちゃったんだ。ごめんね」
ミュウはとても悲しそうな顔をしている。
「ごめんね。でも、俺の家族の命を救ってくれたんじゃないかと思うんだ。ありがとね」
「ミィ」
ミュウはにじいろのはねを取り出した。
「もう1枚くれるの?」
ミュウは頷きながらも、大きな瞳からボロボロと涙をこぼして、俺に抱きついてきた。
「どうした!?よしよし。ごめんね」
「ミィ......!ミィミィ......!」
何かを話してる。わからない。
ミュウはふわりと俺から離れて、顔真似を交えながら必死身振り手振りを始めた。
えーっと。サカキに会いに行って、何故か怒られて、サカキがにじいろのはねを振り回し......いや、なげつけてきた?何かが弾けて、落とした?まぁでも、それを拾ってきたのか。なるほどね。
「あいつ、変わっちゃったんだ。最近は何か悪いことをしてるみたいだし......」
ミュウはとても苦しそうに泣き続けている。
「よしよし。ほら、直ったよ。接着剤でくっつけただけだから、また壊れないように気をつけてね」
「ミィ」
ミュウはパワーストーンを受け取ると、願うように、にじいろのはねを差し出した。
「わかった。サカキにちゃんと大切に持っておくように言って、返してくるよ」
ミュウはやっと笑顔になって、ふわりと浮き上がった。
「もう行っちゃうのか?お腹すいてないか?」
ミュウはお腹をぐぅっと鳴らしながら、寂しそうに手を振っている。
「そっか。また困ったことがあったら来いよ!」
最後まで言い終わらないうちにミュウは消えてしまった。
急いでたんだろうか。直してる間に何か食べものをあげればよかったな。
俺もお腹すいたし、みんなに作ったサンドイッチを食べようかな。
カバンを確認すると、サンドイッチはパンくずひとつ残さず跡形も無く消えていた。ミュウめ。しっかり食べてたんじゃないか。
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それにしても暇だ。
風が強い。ひっきりなしに雨戸がガタガタ鳴り続けていたせいで、なんだか静かに思えてきて目を閉じる。
うん。やっぱり静かすぎる。
不安になって目を開いたら、ミュウが戻ってきていた。
「ミィッ!ミミュウ!」
何かを一生懸命伝えようと必死に身振り手振りしている。
「ミュ!ミィミュ!!!」
ダメだ。何もわからない。
「落ち着いて。どうしたの。お腹すいた?何か壊しちゃった?」
ミュウは俺の服を引っ張り、玄関を指差している。
「俺とどこか行きたいのか?今日は危ないと思うけど......。今日じゃないとダメ?」
ミュウは強く頷いた。
「仕方ないなぁ。準備するから待ってて」
上着を着て帽子を被り、バッグを持って靴を履いた。なんだか靴紐が気になって、靴紐を結び直した。
よし。
顔を上げたら、前後不覚になるほど真っ白な空間にいた。混乱しながらもう一度靴紐を解いて結び、周囲を見渡す。
あぁ。そういう感じね。なるほど。普通に真っ白だ。何も無い、変な空間。
だんだん上下左右も東西南北もわからなくなった。浮いているような、抑え込まれているような......。なんというか、なんじゃこりゃ。
「ミュウ?どこにいるの?」
ミュウはここにはいない。気がする。
だんだんとどこかから風が吹き込んできた。出口を探して風の流れて来る方向に向かって進む。多分、進めてる。
だんだんと風が強くなってきた。遠くから、誰かの声がする。
歌だ。どこかで女の子が歌ってる。
聴覚を研ぎ澄まそうと立ち止まって目を閉じる。
立ち止まったつもりなのに、風がどんどん強くなって、歌声がはっきりしてくる。何の言語かもわからない、聞いたこともない歌だ。
新鮮なような、懐かしいような。
透明感のある柔らかい声。それでいて、はっきりと強く鼓膜を揺さぶる。
心が落ち着くのに、胸が高鳴っていく。
突如、強い強い向かい風が吹いて、帽子が飛んだ。
振り返って帽子を探そうと思ったら、ちゃんとした、どこかしらの風景があった。その場でくるりと回ってみたけど、真っ白はどこにもなくなっていて、ちゃんとした地面のある高原の風景の中にいて、冷たく強い風にぶん殴られていた。
状況を整理する。ミュウ。靴紐。白。風。歌。
からの、ここはセキエイ高原だ。来たことはなかったが、写真や映像で何度も見た、ポケモンリーグの本部がある場所。
俺をここに連れて来るためにミュウが何かをどうにかして、理解不能のどうにかこうにかって事ね。オッケー。何が起きてるか全くわからないけれど、とんでもない何かが起きていることが理解できた。結論を言えば、意味不明だ。
何が起こってるって言うんだ。
ミュウめ。ちゃんと俺にも理解できる言語で説明してくれよ。
「お兄さんが探してはるの、この帽子ですか?」
声につられて後ろを振り返る。
そういう事か。よく分からないうちに俺はしんでしまった可能性が高い。
こんな嵐のような強風がしっちゃかめっちゃかに吹き荒れる中、この世の理を無視してなめらかに美しく髪を靡かせている女の子がいる。
しかも、俺の考えた最強にカワイイ女の子を超越した、とんでもなくカワイイ女の子だ。
そんな女の子が、俺の帽子を差し出して微笑んでいるなんて。あまりにカワイイ。好き。結婚したい。でもそんなこと、現実であってたまるかってんだ。
この子は、間違いなく天使だ。この世のものではない、圧倒的エンジェル。マジ天使だ。俺を迎えに来たんだ。
黙ったまま、帽子を受け取る。
「見つかってよかったです。危ないですから、早く帰らはった方がええと思いますよ。どうか、お気をつけて」
天使が俺に背を向けて歩き始めてしまった。
「待って!君は......!?」
「探しものの続きをします」
「手伝うよ!」
天使が振り返る。やはり、どうにもこうにも、どうしようもなくエンジェルだ。
「ありがとうございます。でも、見つかるはずのないものですので、お構いなく」
天使が歌いながら歩いていく。その歌声に引き寄せられて、ついて行く。天使が歌うのをやめて振り返る。
「お兄さん。女の子をつけ回すなんて、なかなかええ趣味してはりますなぁ」
エンジェル弁......?違う。エンジュ弁だ。カントー弁に直すと「このド変態ストーカーめ。タチサレ.......!」と言ったところだろう。
「ごめんなさい」
このままでは、天使に軽蔑されてしまう。きっと命を救われたんだ。おとなしく帰ろう。
そう思ったのに、気付くと歌声につられて、またストーキングしてしまっていた。
天使が歌うのをやめて振り返る。
「あ、ごめんなさい」
俺が立ち去ろうと歩き出したのを確認して、天使が歌う。つられてついて行く。天使が振り返る。
「あ、えっと、ごめんなさい」
歩き出す。歌う。ついて行く。振り返る。
「あっ、えっと。その......。ごめんなさい」
「......お兄さん、ホウオウってご存知です?」
急に質問をされた。脳内で質問を反復する。ほうおう。ホウオウってなんだ?
「ご存知ありませんか。失礼しました」
天使は歌う。やっぱりついて行く。やっぱり振り返る。
「ごめんなさい......。なんか本能的に引き寄せられちゃうっていうか......。あ、下ネタじゃないです。下心はないです」
嘘くさくなったし、嘘かも知れない。
余談だが、数年後にやっぱり嘘だったと認めて天使に懺悔することになるのだけれど、この時は下心はないつもりだった。