ここは我が家の縁側。
外に目を向ければ、庭、そしてその背景には青々とした山々が聳え立っている。そして、庭の木々からは、みんみんみんみんと鳴り響く蝉の声が耳に入ってくる。
かなりうるさい。そんな喧しい喧騒にオレは、眉をひそめようとする、が。
今日の朝からずっと耳に入るこの音に、苛立ったポーズをするというのは、今更過ぎる気がしたので、やめることにした。
扇風機の風圧を感じながら、畳の上で、氷の入ったキンキンの麦茶を啜る。
「ぷはー」
うん。気持ちいい。
やはり、夏の飲み物は、キンっっキンに冷えた麦茶に限る。
いや、正確に言うならば、コーラとかアイスティーとかアイスコーヒー、そういう類の飲み物も、夏には合うだろう。
だが、オレの居るこの場所には、麦茶こそが一番合うだろう。甘味や炭酸、少しポップな飲み物は、この場所にはきっと合わない気がする。特に、この超・超・田舎のこの場所には───
「野薔薇、今から私は出掛けるから、飯は婆ちゃんと食ってな。」
「ほーい」
野薔薇。
そう、釘崎野薔薇。
これが、オレの今の名前だ。
「オレ」という自己意識が確立した、或いは取り戻したのは、三歳前後だった気がする。三歳になるまでの記憶は、正直覚えていない。一日を泣き喚いたり、母親の乳を吸ったり、糞を漏らしたり、そういう体験を「オレ」という主観から観測せずに済んだのは、不幸中の幸いだ。成熟済みの自我の尊厳を、破壊されることだけは阻止された。
「オレ」はきちんとした男性である。歴とした男として今まで生きてきた。しかし、ひょんなことは起こるものである。気づいたら、女児になっていたのだ。
いわゆる、転生ってやつだろうか。しかもただの転生ではない。
男性から女児へ転生した超ド級の転生、TS転生だ。
うせやろ。
オレはそう思った。困惑した。
男として生きた人生の最後の記憶は、前面に迫るトラックである。歩道を歩いていたはずの俺が、眼前にトラックが迫る記憶を最後にブツッと終わった。察するに、どうやらオレは、トラックに撥ねられて死亡したらしい。
これまで生きてきたオレの人生は、文句の無い、割と順風満帆な人生であった。確かに、生きている中で、嫌な事とか、辛い事は当然あった。けれど、クソでかい後悔を抱えることもなく、普通に暮らしていた。幸せに暮らしていた。
「人生やり直してぇ〜」って心から願ったことなんて生まれてこの方思ったことは……ないとは言わないが。人生を0から女児としてドリトライしたいなんて思ったことは一度もねぇよ。
二度目の人生の住処は、田舎であった。バスや電車が全っったく通らないような超ド級の田舎である。物心、というか自我に目覚めた時には、父親は居なかった。家に居たのは、母親と、祖母の二人。
二人はオレのことを、こう呼んでくる。
「野薔薇」
うん。オレの今生、この女児の名前は、野薔薇というらしい。
はー!野薔薇!
なんて珍しい名前だろうか。
かの週刊少年ジャンプで掲載中の人気漫画、呪術廻戦でしか聞いたこと無いような名前だ。
母上は呪術廻戦が大好きなんだね!芥見先生も泣いて喜ぶと思うよ!!
……。
そして、オレの婆ちゃんは、呪いを扱う呪い師らしい。
ちなみに、苗字は釘崎。
釘崎、野薔薇。
オレはようやく、呪術廻戦の世界に、釘崎野薔薇として転生したことを理解したのだった。
現状として、オレは小学校低学年の女児。術師が自身の術式を自覚するのは、4〜6歳頃と言われている。もちろん、オレも自身の術式「芻霊呪法」については既に認識している。術式の目覚めは、「オレ」という自己意識が確立とほぼ同時であった。また、呪力という力を把握したタイミングも、それと同じである。
自我の目覚めと自身の状況の把握。ある程度の時間を掛け、それらを何とか飲み込むことが出来た。摩訶不思議な自身の境遇の理解には、葛藤と少々の時間を要した。なんせ、虚構と思っていた作品の世界に登場人物として迷い込んでしまったのだ。困惑しない方が、常識に対して失礼というものである。
状況の理解に苦しんだオレであるが、呪力というファンタジーな力への理解に時間は全くかからなかった。スルスルと、呪術という異能に対しては、「そういうもの」として飲み込むことが出来た。アニメ漫画の世界に行くという驚愕は、不思議な力を操れるという興奮を大いに上回るらしい。
釘崎野薔薇の祖母は、釘崎野薔薇と同じ芻霊呪法の使い手の呪術師である。原作の釘崎野薔薇は、呪術高専東京校に入学する前から、祖母に呪術についての教えを受けていたという。
それは、現世でも変わらなかった。
自我の目覚め後、呪力というモノは既に、オレにとって、「そこに在って当たり前のモノ」としてカテゴライズされていた。
空気と同じように、在ることに対し違和感は全く無く。呪力を練ることは、生理的機能の一環として、スムーズに行えた。オレにとって呪力の操作の難易度は、空気を肺に送り、排出する行為と相違ない。操作に淀みは無く、自由自在だ。
一つの明瞭な呪力の起点を作らず、文字通り全身から呪力を練り出し、身体に均等に纏う。
その纏った呪力を右手へ全て移す。その呪力の塊を、左手に移動させ、五本の指先に収束させる。
拳を握るのと同時に、呪力を手の平の中心に集中。そして手の平を開き、五指の先に呪力を均等に移す。
ぐー、ぱー。ぐー、ぱー。
動作を何回も繰り返す。
そうやって、手慰めに縁側で呪力を練っていた所、ダッダッとこちらに迫る足音が聞こえてきた。ふと顔を上げると、そこには祖母の姿があった。
「オマエ、呪力練れンのか」
オレの練った呪力を感知したのだろうか。
まぁ、同じ家に住んでるんだ。家の中で呪力の反応があったら、すぐわかるだろう。
「呪力って、この、ねるねるねるねみたいなオーラのこと?」
「……ンまぁ、そうだ」
歯切れの悪い返答が返ってきた。ねるねるねるねの何処が悪いのか。いいじゃないか、ねるねるねるね。オレは好きだぞ。
子供になった今世では、駄菓子を無邪気に食っても誰からも咎められはしない。合法的に、こどもの菓子を食える。前世からこども舌気味なオレにとっては役得だ。
祖母は、口角を上げながら告げる。
「そうだな……明日からオマエに、"呪術"を教えてやる」
祖母からの問いに「はい」と答えたその日から、呪術についての祖母の手解きが始まった。呪力の基本的な操作については、特に教わることもなかった。呪力による身体強化は自由自在。どうやら、呪力の操作という点では、オレはずば抜けた才覚があるらしい。
祖母からは、「これほど淀みの無い呪力操作は儂でも出来ンな」と称された。呪力操作に関しては、何十年も呪術師を続けてきた祖母を超えているという。
そういえば、呪術廻戦作中では、虎杖が呪力操作のコツを掴むため、映画観賞をしながら、感情の種火を元に呪力を練る訓練をしていた。呪力操作のカンを会得するのに、結構苦労していた覚えがある。呪力の操作は結構苦労するものなのだろうか。ともあれ、苦戦せずに済んだのはラッキーである。
というわけで、祖母に教わったことは、呪術についての知識、そして術式についてだ。
芻霊呪法。金槌や五寸釘、藁人形を用いて対象に呪力を流し込む術式だと言う。原作通りだ。
芻霊とは形代、特に藁人形のことであり、丑の刻参りを起源にした呪術であることが伺える。
祖母もオレと同じ術式を持っていることからわかるが、芻霊呪法は、家系を通して発現する生得術式だ。故に、その類の術式には、代々伝わる取説がある。同じ使い手である祖母の指導もあり、術式を通じた技の習得には、大きな障害は無かった。
作中で釘崎野薔薇の用いてた芻霊呪法「共鳴り」「簪」も、難なく会得することが出来た。
祖母はベタ褒めである。
一緒に暮らして分かったが、祖母はかなりの堅物な人柄をしている。そして呪霊という化け物と対峙する術を教えてることを踏まえ、苛烈に、オレに接してる。理性的な部分も強いが、他の爺婆よりも、血の気は多い。原作の釘崎野薔薇があんな勝気な性格をしていたのも、わかる気がする。
そんなややコワめな祖母が手放しで褒めてくれるというのは、悪い気がしなかった。
いいじゃないか呪術。悪く無いぞ呪術。
嫌悪、怒り、恥辱、エトセトラ。
それら負の念を種火に燃やす異能、呪術。
健全なイメージは抱き辛い力であるが、オレは嫌いにはなれなかった。