──ダイアウルフ。
それは、肩までの体高が80cmはあろうかと言う史上最大のイヌ属の動物だ。
ダイアとは「恐怖」を意味する言葉であり、恐れ戦くほどに強大な狼を意味するその単語が付けられた。
しかし、近年の研究により、実際は現生のオオカミからは遠縁であり、むしろジャッカルに近い生き物であることが明らかになったのである。
故に、厳密に言えばそれは「オオカミ」ではない。だが、代矢にとっては自分の力が「オオカミ」であることは誇りだったのである。
大神家の家紋は代々、狼を紋様化したものだったからだ。
その意味は──群れとしての強い絆。そして、生態系での強者であること。
だが、そんなオオカミですら、恐竜の前での正面戦闘は無謀も良い所だった。
照の膂力が、腕力が強すぎて──生半可な攻撃では太刀打ちが出来ない。だからこそ、群狼作戦で追い込む手筈だったのだが、メンタルが乱れている今の彼女ではそれも叶わない。
先の廃工場での戦闘は逃げれば勝ちだった。しかし、今は違う。代矢は──照を倒さなければならない。
オオカミによる襲撃は致命打にはならず、結局のところ本体が戦うしかないのだ。
地面を蹴り、代矢は大きく跳躍。照の眼前まで現れる。
すぐさま正面の敵を鉤爪で切り裂こうとする照だったが、その前に彼女は宙返りで背後を取っており、背中に蹴りを浴びせ、更に姿勢が崩れた所に後頭部を掴むと──思いっきり瓦礫でガタガタの地面に彼女の顔面を叩きつけるのだった。
「ッうぅあ──!!」
口の中を切り、鼻血こそ出ているが──闘争心を失わない照は、尻尾を振り回して代矢を打ち払おうとする。
だが、それすらも先読みした代矢は尻尾を掴み、今度は柔道の要領で背負い投げ。再び照は瓦礫の中に突っ込むのだった。
(ダ、ダメだ、代矢の奴……! 格闘技にも長けてやがるのか……!)
「何処までいっても、所詮は素人。長年俺が鍛えた代矢に勝てるはずがない」
「ッ……!」
「空手も柔道も、テコンドーも、レスリングも、サンボも、何ならムエタイまで──代矢は古今東西の格闘術を身に着けている。加えて──」
追撃を仕掛けるように、二匹の狼が照に襲い掛かる。すかさず起き上がり、爪で切り裂く照だったが──そこに代矢も突っ込んで来る。狼は囮。本命は──顔面狙いの強烈なニーキックだ。
再び彼女は瓦礫の中に押しやられる事になるのだった。
「ッ……がぁあ」
「降参しろ……代矢が貴殿の首の骨を圧し折る前に──でござる」
ごくり、と亜紀良は息を呑む。
「──スイッチが入った代矢に、迷いは無い」
「そうかよ。だけど……迷いがねェのはてるてるだって同じだ」
瓦礫が吹き飛ぶ。
目からも血を流し、青痣塗れで彼女は起き上がった。
「ふひっ、ひひひ──ひっ」
照は──笑っていた。
血まみれの歯を剥き出しにして笑い、唇を舐める。
「あたしの縄張りを侵すなら……殺すッ!!」
「ッ……!! 殺気がダダ漏れ、三流でござるなッ!!」
再び狼を囮に突っ込ませる代矢。
しかし、それを見るなり照は地面を逆手で掬い上げ──瓦礫を突っ込んできた狼たちにぶちまける。
そうして一瞬動きが止まったオオカミ達を足場にして踏み越え、跳びかかってきた代矢に引っ掻きを見舞うのだった。
鉢金は切り裂かれ、更に強化されているはずの頬から首にかけても決して浅くない切り傷が刻まれる。当然激痛が走る代矢だったが──カウンターと言わんばかりに爪を彼女にぶつける。
「忍殺──餓狼爪葬ッ!!」
ブレザー諸共下着も引き裂かれ、鮮血が噴水のように溢れ出した。人狼化が進んだ事になり、代矢の爪はより鋭さを増している。
乙女と乙女の熾烈なキャットファイトの会場と化したこの戦いに手を出そうにも出す事が出来ず、ツバサは固唾を飲んで見守りつつも、ずっと高見の見物を決め込んでいる狼煙に気を遣っていた。
狼煙は──照の圧倒的な力に魅了されているようだった。
「これが……大型獣脚類……!! 並みの絶滅少女なら、とっくに倒れているはずだが……!! ラプトルや単弓類、恐鳥類とは比べ物にならない強さ、どうやら目測を誤っていたようだ──良い。やはり、欲しいッ!!」
とはいえ、代矢もまた不利なパワー差を覆して拮抗している。
もしも代矢でなければ、とっくに身体を爪に刺し貫かれていてもおかしくないからだ。
「やはり貴方の目的は、復讐のために仲間を増やす事──口ではどう言っても、結局は他者を復讐の道具としてしか見ていない」
「何が悪い? 僕はレプリレクスによって総てを失った。あの日──気を失った所為で、守るべきものも守れず、死に損なったッ!!」
「……」
「だが、思えばアレは幸運だったよ。起きていた所で、僕はアレに勝つことは叶わなかったからな。しかし──生きている以上、一族の無念を晴らすため、僕は犬死だけは許されない。ならば──どんな非道に手を染めようとも、復讐は完遂するッ!!」
「……シノニムに来るつもりはありませんか」
「僕は──表の世界には居られない人間だ。後ろめたい事だって今まで何度もやっている。今更、光の道は歩けない。それに、公権力など信用なるかッ!」
「居場所のない人間の受け皿になるのは良い。でも、誰かの居場所を奪うのは間違ってる。貴方は──光の下に生きている人間に嫉妬しているだけです」
「光の下に居られない人間の事を理解してない綺麗事だ。もう引き返せないんだよッ!! 僕も、代矢もッ!!」
事態の深刻さに反し──わふ、と相も変わらず無邪気に鳴く子犬を抱きしめながら──ツバサは言った。
「どうして、私達がこの場所が分かったのか、の説明をしていませんでしたね」
「何ィ?」
「……この子のおかげですよ」
子犬はハッハッ、と舌を出し、嬉しそうに尻尾を振っている。
大して気にも留めていなかったが、狼煙は改めて疑問を覚える。追跡を撒くためのありとあらゆる方法を代矢には教えたはずだ。シノニム如きが追ってこられるはずがない。
にも拘らず、照もツバサも想像以上に早い時間に此処へ辿り着いた。
「その子犬は一体──」
「この子は──」
ズギャッ!! バキバキバキバキバキィッ!!
照の尻尾を掴んで振り回し、地面に投げ飛ばす代矢。既に照の顔面は血塗れで、切った口からも折れた鼻からも血が出ており、爪はもうボロボロに砕けてしまっていた。
「げほっ、ぺっ、ぺっ──!!」
(倒れない……!! 頑丈さが獣脚類型の取柄でござるかッ!!)
血混じりの淡を吐き捨てた照は──ギリギリのところで意識を保ちながら立ち上がる。そんな彼女を見ながら──「もうやめてくれ」という言葉が出そうになる亜紀良。
自分が代わりに戦ってやれないのが、どれだけ彼にとって悔しいか──しかし。同時に、照の目を見れば口が裂けてもそんな事は言えなかった。
彼女は自分の意思で此処に立ち、戦っている。
今の亜紀良に出来る事は、最早サポートでも何でもなかった。だが、それでも──
「てるてるッ!! 踏ん張れッ!! 勝てーッッッ!!」
「ッ……!!」
──この声援が、彼女の糧になると信じた。
「俺はお前みてーに強い爪や体があるわけじゃねえけど──それでも、こうして隣に居る!! お前の味方だッ!!」
「ッ……! ~~!!」
にぃ、と照の口角が思いっきり上がる。
「えっへへへへへ、アキ君が……あたしを、応援してくれてる……!! ああもう、嬉しすぎて興奮しちゃうよーッ!!」
「つまらん──此処で終わりに──ッ!!」
「──
「ッ!?」
体の中に刻まれたダイナミック因子が──フル稼働する。
彼女の持つ残りの体力をリソースにして、砕けた爪が再び生え変わる。それも、これまでよりももっと長く、だ。
「ツバサちゃんに、教えて貰った……! 絶滅少女は、ダイナミック因子を通して体の一部を再生できる……!!」
「わふッ──だから何と言うのでござるかッ!! 今ので疲労は更に蓄積したでござろうッ!!」
「……教えてあげるよ。代矢ちゃん」
それは、今日一番の跳躍だった。襲い掛かるオオカミを引き裂き、そして代矢の目の前にまで肉薄する。体力はもう限界だった。
(──絶滅少女の力はイメージです。自分が力を使うイメージを心の中に持っておくのが大事です)
この廃墟に着く前、ツバサに言われた事を照は思い出す。
(──爪とネイル。相性は最高じゃないですか。……イメージ、出来ますよね)
(って言われても難しいよ……)
「──
──今なら分かる。
全身を駆け巡るダイナミック因子による力の奔流。それを完全にコントロールする術はまだ彼女には分からないが、溢れる力を爪に集中させることは出来た。
ネイルの付け爪をグローで補強するかのようなイメージだ。
エネルギーを纏った事で爪は更に硬化し、鋼さえも切り裂くほどの鋭さを手に入れる。とはいえ、長くは持たない。だからこの一瞬──代矢を引き裂くためのこの一瞬の為に強化を使う。
もし、これで決まらなければ──自分も倒れるつもりだった。
(そして何より──此処が一番大事です、照さん)
「──
(──技の名前を声に出すと……
引き裂くのではない。
彫刻のように削り取るかのような連続引っ掻きだ。
オオカミ達は巨大な爪によってバラバラにされ、後に残るのは代矢だけだ。
しかし──照の爪を両腕でガードしてみせると大きく口を開くのだった。
「──────ッ!!」
体が揺さぶられ、鼓膜が張り裂け、脳が震える。
そこで照は硬直し、地面に膝から落ちるのだった。
「か、身体が動かない……!?」
腕も足も動かない。
(てか、何にも聞こえない……!! 耳がずーっとキーンとする……!!)
「忍殺・
と言っても聞こえてないでござろうが──と代矢がガラガラの声で言う通り、今の照の耳は酷い耳鳴りが襲っており、身体は痙攣して動かない。
「これでは……愛しのトリガーの声援も聞こえないでござろう?」
(と言ったもののッ……腕がズタズタに!! 一度しか使えないとはいえ、
腕は酷く出血しており、毛皮を突き破られる程のダメージを代矢は受けていた。
もう腕を使って攻撃することは出来ない。動かないのだ。かと言って、蹴りでは彼女に致命打を与えられない。もたもたしていれば、照が復活してしまう。
そして
(マズい、近付いてくる!! 体がもう、自由が効かない──ッ!!)
「ッ──照ッ!! 避けろッ!! 動けッ!! 動くんだーッ!!」
「トドメを……ッ!!」
(忍法──群狼の術──ッ!!)
腕を持ち上げ、毛を口で咥えると目の前に噴き出す。
オオカミ達が現れ、照にじりじりと近寄る。そして、その急所を押えるべく跳びかかろうとしたその時だった。
「わふっ」
オオカミ達の前に立ち塞がったのは──ツバサの手を飛び出した、あの子犬だった。
いきなり現れた珍客に代矢は戸惑う。だが、それは攻撃を止める理由にならない。オオカミ達が照に襲い掛かって、それで終わりだ。終わりの──はずだった。
(何だこの子犬はッ!? どうした!? 何故、攻撃しない──ッ!?)
「おい、何をやっている代矢ッ!! さっさとトドメを刺せッ!!」
「分かっているでござるが──オオカミが、動かない……あっ」
動かないどころか、オオカミ達は次々に光の粒子となって消えていく。まるで、子犬を前に戦意を喪失してしまったかのように。
理解のできない光景に戸惑う代矢だったが、子犬よりもよっぽど恐ろしい物が既に立ち上がっていることに気付く。
「しつこいッ!! 何処からそんな力が!? 代矢とオマエに、何の差が──!? 獣脚類の絶滅少女は、此処まで強いものでござるか!?」
違う──きっとこれは空元気だ、と照も分かっていた。
「一個カン違いしてるよ。恋する女の子は──無敵なんだよ」
彼女の身体は既に変身が解けかかっていた。
頬の鱗は引っ込みかけており、尻尾も短く、爪は崩れ落ちていた。
故に、最後の力を振り絞り、照は渾身の頭突きを代矢の顔面に見舞う。
鉢金を失った額から脳へダイレクトに衝撃が伝わる。
「かっは──ッ!?」
白目を剥いた代矢は膝を突く。
そのまま全身の変身が解け、地面に倒れ伏せるのだった。
ほぼ同時に──照の変身も完全に解除されるが、それでも彼女は立っているのだった。