基地に備えられた円筒形のエレベーター。モーターの駆動音と共に自分の体が軽くなった。ガラス越しに見える溶接の火花が次々に散っては消えている。
ドアが開くと重機の轟音が腹にのしかかった。工員の怒号や工具のぶつかる甲高い音も交じり、方向性のないアンサンブルを奏でている。頭に手拭いを巻き、黒い油の跳ねた作業服の工員がこちらに目もくれず機械と向き合っていた。
邪魔をしないよう、通路と呼ぶには細い金網の上を歩く。レオンの立てるガシャンガシャンという音に気づいて会釈する人や、一切興味なくバインダーと睨めっこを続ける人、レオンの服を汚さないようにと気を遣って通路外で道を譲ってくれる人とさまざまだ。
やがて背丈の6倍はあろうかという金属扉の前に出た。歯が噛み合うようにしっかりと閉ざされた、見るからに重厚で人を阻む機械扉。「この先無許可の立ち入り厳禁」の表示の横で弱く光るタブレットに身分証をかざす。機械に求められるままに静脈・虹彩・指紋の認証を済ませると、ガキン、と耳を突く音と共にロックが開き、扉が口を開く。
打って変わって空気が冷えた。人が減り、一層コンクリートに反響するようになった足音に気づいた工員が、溶接を止めてゴーグルを上げる。
「よォ、ピンピンしてんじゃねーの」
低めのよく通る声。黒のタンクトップ越しにも分かる、軍人に勝るとも劣らない胸の厚さ。盛り上がった筋肉が満遍なくつく腕。白髪の混じる髪は角刈りにしており精悍さが際立つ。
「整備ありがとうございます。ルードさん」
「全くだ、整備終えた5時間後にゃまた壊してきやがって。こっちの身にもなれ」
「増員頼みましょうか」
「バカ言え。できたら苦労しねえよ……まぁ、三人で回すにゃちょっとばかし量が多いのは事実だがな」
ここは機密区画。帝国最新鋭兵器である〈セフォノード〉は外部からは隔離され、設計陣を含む関係者以外は、直近で見ることはおろか区画への立ち入りさえ許可されていない。工員を増やそうにも上の許可が出ないのだった。
「本当にありがとうございます。ルードさん方がいなければとっくにここにいませんよ」
「おう、感謝しとけ」
彼は白い歯を出して笑った。
頭上にずらっと並ぶ射出口。射出のガイドを目的に付けられたレールのその下には、つい先程戻った〈セフォノード〉の機体が彫像の如く並んでいる。
壁に張り付くようにして固定された機体の背には、細くたたまれてコンパクトになった四枚羽。しなやかなカーボン繊維でできたそれは黒光りする刃物を彷彿とさせる。装甲は軽量化に特化したアルミ合金。羽、コックピット、弾薬保管庫、そしてエンジン以外の装甲を捨て最大限に機動力を追い求めた、「燃料タンクを持たないからこその」設計。
全ての機体が多かれ少なかれ汚れていて、機銃に晒された穴がある。
「あいつは、残念だったな」
「……」
9機のセフォノード。B01からB10まで10個あるはずの機体は、B06だけ欠けている。
「……クラウスは勇敢でした」
「そうだな」
「ムードメーカーで」
「そうだったな」
「俺よりも若かった」
「最年少だ」
「訓練に文句を言うことも多かったけど」
「サボりたいって常に言ってやがったな」
「ねえ待って、俺死んだことになってません?」
ふと横を見ると、なんと、松葉杖のクラウスが立っているではないか。
レオンは大げさに両手を広げて見せた。
「おぉいたのかクラウス。気づかなかったよ」
「絶対知っててやってますよね」
「知らんな」
上官の口癖をここぞとばかりに披露する。
「で、何しに来てるんだ。寝てなくていいのか?」
「少しルードさんとお話がしたくて」
こっそり抜けてきました、と申し訳なさそうに笑うクラウスは何やら背中に隠し持っている。ちらりと見える酒のパッケージ。
「……そうか。じゃあ早々にお
レオンはルードに頼まれた資料を渡す。
「大佐から渡すよう頼まれた報告書です。本来は使用感も含めて協議するよう言われていますが」
ちらりとクラウスを見る。
「……また後日伺います。休暇中ですし」
ルードも察した様子で鷹揚に頷く。
では、とレオンは片手を上げて区画を後にした。
自室。
ぎちぎちに詰めたら4人が寝られる程度の狭い部屋だ。飾り気はなく、基地建設のときに張られたのであろうくすんだ壁紙が四面全体を覆っている。半分近くをベッドが占めており、隅に追いやられるように机、そのわきにクローゼット。物が少ない据え付けの机。羽目殺しの窓からは殺風景な演習場が見える。
軍服に皺がつくのも気にせず、ベッドへと身を投げた。流石に堪えるなあと今日を振り返る。換気扇の回る音が我関せずとばかりに一定の音を響かせていた。
何をするでもなく、しばらくの間ぼーっとまどろんでいたその時、手首に着けた連絡端末がけたたましく鳴った。ビクッ!と跳ね起きる。
通知を見逃さないように、という配慮からこの音量に設定されているそうだが、もう少し音量変更などできないものだろうか。
若干のいらだちとともに、通知を確認する。発信源はラインハルト男爵領主館。
「ユーリアか」
ベッドから立ち上がり、机の上に放り出されていたARゴーグルを無造作にかける。虹彩認証をパスするとすぐに回線をつなげる。遅延の秒数を示す0.6という数字が視界の隅に現れ、同時にウィンドウがポップアップした。
鼻が映っている。ウィンドウ一杯に。
さらに鼻息でカメラが曇っている。
「……もういい加減慣れたらどうなんだ?」
狙っているのか、と思うほどビデオ通話のたびに同じことをする彼女にレオンはため息をついた。
「へっ?……聞こえてますか?」
「ああ。そりゃもうばっちり」
画面の向こうにいる三つ編み丸眼鏡のメイドは慌てたようにカメラから距離を取った。
「こっちもばっちりです坊ちゃん。ご機嫌麗しゅう」
「いまさらメイドらしくしなくてもいいぞ、ユーリア。……ちなみに毎回鼻が近いのには理由があるのか?」
「繋がってるのかわからなくて毎回近くで確認しちゃうんです」
だからって毎回鼻息かかるほど近くなくてもいいだろう、と声をかけようとして口をつぐむ。
未だ、貴族にとってさえも軍部の「電子網」は慣れないものなのだろう。実際レオンもと王署はそうだった。
帝国は閉鎖的だ。他国はもちろん、自国でさえも、民間には軍用技術の
最新技術は軍事利用し帝国の軍事増強を図るべし、というのが帝国
到底、平民には新たな技術が行きわたらないのだ。
もっとも、貴族は軍用の技術にあまり興味はなく、電子網も一種の便利な連絡手段程度にしか思っていないようだが。
今回こそは成功させたかったんだけどなー、という間延びした声が聞こえる。
「こっちからは坊ちゃんの姿が見えないんですもん」
「そればっかりはなあ、もし機密でも映ったら命が危ない」
帝国は害をなす人間に容赦がない。それがたとえ外国人であろうと、自国の貴族であろうと。過程は知ったことではない。結果として害をなしていれば即座にお縄である。
命の保証は、ない。
それもあって、彼女は自分がどう映っているか知らない。映せない。
見えないものを指摘するのは少し可哀そうかな、恥ずかしいだろうし。と思い直して話題を変える。
「母さんは? 元気?」
「はい。今日は食欲があるようです。普段より食事量が多くてうれしかったです」
一度画面から姿を消した後、ユーリアが車いすに乗った女性とともに現れた。
もう40歳を超えたというのに顔には幼さがある。レオンと同じ黒髪。無邪気な笑顔を湛えた顔面にはレオンと似た
奥様、レオナルド様ですよというユーリアの問いかけ。
「母さん、聞こえてる?」
ふっと驚いたように目を見開き、周囲をきょろきょろと見まわし、にぱあっと一層笑顔になり、口を開いて、
「sdfぁしldふvfsfぽつsvはおdら」
……レオンの部屋には相変わらず換気扇の音だけが響いている。なけなしの格子越しにくるくると頼りなく回るファンだけが唯一、彼の部屋で動いていた。
「……そうかあ、ほんとに元気そうでなによりだよ。今日は特に表情明るいしね」
話題を探す。
「そうそう、聞いてよ母さん。今日久しぶりに整備のおっちゃんと会ってさ……」
光を失っていく瞳とは対照的に、次第に声音が明るくなっていく。他愛のない出来事をひたすら一人でしゃべり続ける。その間も、ウィンドウの中の母はニコニコとただ笑顔で、きょろきょろとレオンの声の出所を探していた。
「……だったんだよ! 全く勘弁してほしいよなあ」
さらに次いで口を開こうとして。ゆっくりと口を閉じる。
その口元はわなないていた。
なんとかしてまた何か話そうと、頭の中で話題は埋まっているのに。
喉が張り付き、それを伝えることを許してくれない。
もう、これ以上は。
つらい。話していられない。
「じゃあ母さん、俺明日も仕事だから今日は早く寝るよ。またね」
挨拶だけを何とか絞り出し、逃げるように回線を閉じる。ウィンドウが閉じる瞬間、ユーリアの沈痛な顔が一瞬だけ目に入った。
そこはいつもの部屋で。
背もたれに深い溜息とともにゆっくりと倒れこみ、ゴーグルを外す。つける時とは打って変わってずしんと重みを感じた。
母にはもう自分しかいない。自分がいなければ家も、母親も立ち行かない。
いつか、もう一度元の母親に戻ってくれると、そして、妹もまだ生きてどこかにいると。そのヒントがあると信じているからレオンはここにいる。
俺が、必ず——