食料用の鶏舎から響く鶏の鳴き声でレオンは目を覚ました。体の節々に痛みが走る。悶々と考えている間に椅子で眠りこけてしまったらしい。心なしか疲れも十分に取れていない気がする。
珍しく静かな夜だったようだ。ここ最近ひっきりなしの警報で叩き起こされることが続いていた中で、浅い眠りが朝まで邪魔されないことは珍しかった。
戦地に来ると大規模な訓練は行われない。朝礼も余程暇でないとやらないので、戦闘がなければ時間を持て余す。さらにレオンの配属されている部隊「霧」はその性質上出動が少なく、隊員は自然と部屋か自主訓練場、食堂のどこかに入り浸るようになった。
少し寝違えた首を回し、さすりながら食堂へと向かう。基地全体を覆う迷彩ホログラム越しの太陽は少し青っぽい。普段の起床時より少し高く上った光が廊下一杯に反射するのに目を細めつつ、よぼよぼとした足取りで歩いた。
食堂は思ったよりもにぎわっていた。だが既にカウンターは閉まっており、冷めたおかずにラップがかけられている。鶏肉の野菜炒め。戦場にしては豪華な食事だ。備え付けのトレーにおかずとパンを取り、サーバーからスープを注ぐ。
がやがやとした喧騒から少し離れた、隅の座席にレオンは陣取った。
フォークで肉を口にする。
……うまい。
戦地でこの鶏肉炒めを食べられるのは本当にありがたい。補給部隊に感謝してもしきれないな、と心の裡で感謝をささげ、続けざまに鶏肉を口に放り込んだ。
「こっちももう少し味に気をつけてくれたら満点なんだけど……」
食感も見た目もおよそ食欲をそそらない、黒い塊のようなパン。渋々スープに浸して野菜と共に口へ放り込む。
手持ち無沙汰に壁を見た。クリーム色のペンキで塗られた壁に『帝国に栄光を!』『英雄たれ』『正義が勝利する』『畜生にかける慈悲なし』と標語が貼られている。
そもそも、この戦争は連合国側が帝国に仕掛けたものだ。
石油をはじめとするエネルギー源の確保が国のバランスを大きく左右するこの世界で、帝国は無からエネルギーを生み出す、半永久エネルギージェネレータ『源泉』を開発した。
在学中に『源泉』の仕組みについて、教授が「我々が住む世界を正世界としたとき、その反世界、つまり多元宇宙とのエネルギーがうんぬんかんぬん」と言うのを聞いた覚えがある。が、気づいたら睡魔が完勝しており内容は全く覚えていない。同期に聞いても大抵寝ていたか理解できないまま終わったようなので知らなくても良いのだろう。
さておき、この『源泉』を世界的に共有せよと各国が帝国に迫ったが、情報の流出を嫌う帝国がこれを拒否した。
エネルギーや軍事力など、国力が大幅に変わってしまうことを恐れた近隣諸国は連合を組み、貿易制裁などを行ったが、信頼できないとして情報非開示を貫く帝国に対して戦争をしてでも技術を手に入れようとしている……というのが今の戦争のはじまりだ。
特務警察が何をするかわからないので大っぴらには言わないが、レオンは個人的に、わざわざ頑なに隠さないでも、共有すればこんな戦争しなくて良かったんじゃないか、と昔は思っていた。そうすれば人がこうも死ぬことはなかったんじゃないかと。「名誉のためだ!」と自分から喜び勇んで戦地で散る人間を見て馬鹿にしていたこともあった。
——母親が戻る、あの日までは。
「……オン、レオン! なあ、レオナルド!」
自分を呼ぶ声ではっと我に返った。レオンの顔の前で手を振っている。
「どうした、そんな怖い顔して。レオンらしくない」
アンドレアス・ロイター。ロイター伯爵家の四男。『セフォノード』2番機のオペレータだ。胸には中尉の階級章。レオンの直属の部下で、右腕ともいえる男である。
目を閉じ、深呼吸する。母親のことを考えていたからか、背中にじっとりと汗をかいていた。頭を切り替え、声を作る。もう既にそこにいたのは優秀で人当たりの良いレオナルド少佐。
「……ロイター中尉。何か用?」
「特にないよ。僕もご飯を食べに来ただけ。そうしたら少佐様が壁睨みつけながらぽつんと座ってたから。挨拶しようと思って」
貴族特有の優雅な、社交の世界の身のこなしで頭を下げた。
「少佐殿におかれましては、まことにご機嫌麗しゅう」
慇懃無礼な奴である。すっかり見慣れてしまったが。
「お前いい性格してるよなほんと」
「類は友を呼ぶって言うじゃないか」
アンドレアスとは帝都学院からの腐れ縁である。同期として共同演習をしたことも一度や二度ではない。なにかしら常に一緒にいるのである。
前髪をこれ見よがしになびかせてアンドレアスは言う。
「僕がいると目の保養になるだろう?」
「ぬかせ」
ウインク付きである。全く陽気な奴だ。それなりに顔が整っているのがまた悔しい。
二人の中で、他の軍人の目がない時はこのように、階級や爵位関係なしに話すのがいつの間にか慣例になっていた。
殺伐としたこの戦場で、多少なりとも気が許せる人間は貴重なのだ。今この場では、お互いがほぼ唯一の気の置けない友人だった。
「家族が心配?」
「……ちょっとね」
「そう」
レオンが何故、軍に入ったのかを知る人間は少ない。家の人間を除けば3人程度だろうか。アンドレアスはそのうちの一人だった。が、どうもレオンの動機を「帝国への忠誠」に結びつけて考えている節がある。
触れないよう気を使っているのが丸わかりだ。それが少しおかしくてふっと笑うと、彼も安心したように破顔した。
「気晴らしに行こうか」
パァン!
少し遅れて薬莢の落ちる涼やかな音が反響する。
戦地での娯楽などたかが知れている。もはやちょっとした訓練が娯楽の代わりだ。
今の配属先で使うことなどほぼない拳銃のスピードショット訓練。いかに早く抜き正確に照準できるかが問われる。殺風景なコンクリートで固められた壁は所々がひび割れており、足元には片づけを忘れられた薬莢がごろごろと落ちている。密閉されたこの訓練場は空気がよどんでいてホコリが鼻を刺激する。
「ヘックション!」
案の定アンドレアスがくしゃみをした。
「うぅ、ここ掃除してなさすぎだよな」
レオンは返事をせず、銃をホルスターに戻す。弾倉の入ったガンベルトが腰にまとわりついて重い。
シューティングタイマーをセットして、集中。
緊張感のある無音。心なしかアンドレアスも息をひそめているようだ。
「…………ピッ」
タイマーの開始音が静寂を破る。
刹那、右腰のホルスターから銃を抜く。弾倉を左手で同時に取り装填。瞬く間に構え——
パァン!
再び薬莢の落ちる音が反響した。
照準はしっかりと的をとらえている。
二つ残弾が残った弾倉をポーチに戻し、銃身から弾抜きをしてからタイマーを見る。0.75秒。悪くない早さだ。
「相変わらず早いね。照準まで気にするなら実弾もらってくればいいのに」
「手続きが面倒すぎる」
「ま、それもそうか……」
実弾を訓練で使うには上官のサイン入りの紙を武器科に提出し、担当の監督のもと厳密な個数管理をしなければならない。所詮暇つぶし、そこまでして訓練を行うつもりなど皆無だ。
本来なら空包もしっかりと管理をしなければならない……のだが。
アンドレアスが肩をすくめる。
「まあ、レオンがそんな殊勝じゃないことくらい良く知ってるよ。それにしても、空包の管理が実弾に比べて余りにもずさんだよね」
「なんでも武器科で、薬莢の管理が面倒になって放り出して、それを上層部が黙認してるらしいぞ」
曰く、「使用頻度が多くないうえ、万一の際にも実害がない」かららしい。屁理屈もいいところである。
「俺としては暇つぶしの道具が有り余ってて助かる」
「確かに遊びには困らないよね」
「訓練だぞ、一応」
「これは失礼いたしました少佐殿」
失笑して、再度準備をしようとタイマーをリセットしたその時、けたたましく連絡端末が鳴った。
顔をしかめて内容を見る。
『第三師団司令部より霧の各隊員へ通達。当基地の前方約100キロに敵影を補足。偵察部隊と推測される。小規模ではあるが前例に比すとやや大きめの部隊である。大型の輸送車や高速偵察機を確認。十分に注意されたし。軍事時間1500Dに第一機密区画に集合せよ』
きっかり1時間後。
レオンとアンドレアスは顔を見合わせて、同時に走り出した。
共用の洗面台。冷水で顔を洗う。
レオンにとって、戦場に出る直前の儀式だった。心身の集中力を高めるために始めたが、なかなか効果があるような気がするのだ。
それに、万一死にゆくならせめて清潔な状態でありたい。
ポタポタと前髪から雫の落ちる音がコンクリートでかすかに反響する。
ふと、目の前の鏡に映る自分が目に入った。
濡れた髪の合間からのぞく胡乱げで殺伐とした眼光。力が抜け、動かない頬。それでいて眉間に寄る縦皺。
我ながら余裕のない顔だ、と思う。戦場に赴く兵士は皆覚悟を決めた顔をすると言う。が、それだけでは説明のつかない、ねっとりとした憎悪が透けて見える。
この顔をするようになったのはいつからだろう。
やはり、あの日か。それとも度重なるフラッシュバックの成果なのか。
あの日。
帰ってきたのは母だけだった。それも、すっかり変わり果てて。
妹は、未だに行方知れず。残った父ももう既にこの世を去った。
この戦争が、敵が、家族を壊した。
許せなかった。
そこから3年と少し。レオンは今、ここにいる。
軍人として。
優秀であろうと、常に努力して。人脈を作って。
欲する情報を手に入れるためならこんなこと屁でもない。
栄光や正義なんざどうでもいい。
家族を壊した「外道」を、残らず叩き潰すためなら、何だって——
ピリリリ、と自分の設定したタイマーの音で我に返る。時間がない。適当に髪をドライヤーで乾かし、急いで部屋に戻って隊服に着替え。
袖が当たって、飾ってあった写真立てがぱたりと倒れた。
「あっぶな」
レオンは優しい手つきで立て直し、セピア色になりつつある写真に挨拶をする。
「じゃあ、みんな。今日も頑張ってくるわ」
少し困ったような自分の笑顔がガラスに映る。指の腹で表面を撫でた。