黒檀の姫という御伽噺がある。その起源を遡れば元寇のあった鎌倉時代中期の1274年にまで回帰すると云われている。
とある武家の子女が襲来した蒙古軍に囚われる所から始まり、戦争を終わらせる物語だ。
主人公である少女は生まれつき天性の剣の才に恵まれており、蒙古襲来以前は稽古漬けの毎日を送っていた。
美しい濡れ羽色の髪を靡かせる彼女の容姿はまるで女神の様に整っていたという。
だが……彼女が生まれてきた瞬間、周囲の人間たちからは落胆の声が上がった。
それに加えて女は守られる者であるという考えが世論だったからだ。
残念な事に、それ以降その家系から家督を継ぐべき子供が生まれて来る事はなかった。
だが、彼女は決して愛されていない訳ではなかった。むしろ彼女の両親は、唯一の娘である彼女を溺愛していた。
ある時、まだ彼女が6つの頃、当主である父親が気紛れで稽古をつけてやる事にした。
そして、父親は知ったのだ。娘は武神の加護を授かって生まれてきた天才であったと。
父親は悔やんだ。何故この子は
男に生まれてきてさえいればそれはもう立派な武勲を立て、後世に名を残す事など必然であったというのに。
何故、
勿論、居ない訳では無い。女の身で有りながら武勲を立て、名を轟かせる猛者もいる。
だがそれは女としての幸せを捨てる事と同義であり、父親は娘にその様な道を歩ませたくなかった。
ある時、彼女は言った。
「御父様……やはり私では、女の身では、家督を継ぐ事は難しいのでしょうか?」
彼女は生まれながらに聡い子だった。自分が家督を継がなければ、名家と呼ばれたこの家も終わってしまうという事を理解していた。
「……不可能とは言わん。だが、家を継ぐのであればお前には女である事を捨ててもらう必要がある。」
つまり男として生きろと、そういう事だ。簡単そうに聞こえるが、そう単純な話ではない。男装をしていれば良いという訳では無い。
信頼出来る家臣にのみしか事情は明かせず、もしばれてしまえばそれ即ちこの家の弱みとなる。
仮に上手くいったとして、次の世代に家を繋ぐ為には彼女も子供を生まなければならない。
だが、それは立場が許してくれない。当主となった彼女は男である筈なのだから。
「今はまだ、お前が難しく考える必要は無い。お前は何も悪くないのだから。」
父親は結局、話を先送りにした。
◆
それから10年の月日が経った。
蒙古襲来、モンゴル帝国の侵略の魔の手が対馬の小茂田浜に迫り、遂に上陸した凶徒共は侵略を開始し、一人の少女を連れ去った。
◇
彼女は意外にも、武装の類を解除されはしたものの、虜囚として丁重な扱いを受けた。
檻の中、彼女は父の言葉を思い出していた。
「お前が
どうやら父は自分の代で家系が途絶えても、それは仕方のない事であると考えているようだった。
彼は稀代の名君であり、優れた武芸者でもあったが、どうしようも無く甘い男だったのだ。だが、彼女にはそんな父親が眩しく映った。
とても誇らしかったのだ。今の時代、彼の様な事を口にする者は……いや、口に出来るものは居ない。
だからこそ、虜囚として囚われている私を助けに来た父の姿を見た時は、何を考えているのかと思った。
私は何時でも抜け出せる。……この力の振るい方を考えていただけだったのだ。
剣の才以外にも、私には生まれ持った力がある。それを使えば……いや、そんなものが無かったとして、この程度の輩に私が敗れる事は無いというのに。
……御父様も、そんな事は知っている筈なのに。
そして……父は、目の前で一騎討ちを挑み、果敢に戦った。その、誇りを賭けた一騎討ちに、奴らは唾を吐きかけた。
卑劣にも、凶徒の一人が不意をついて油を掛け、火を放ったのだ。
「……自由に生きなさい、〇〇」
燃えながらも、目を瞑って私へ最後の一言を掛けた父は、そのまま喋らなくなった。
◇◆
その日、既に上陸を果たし、集落から略奪の限りを尽くしていた凶徒……蒙古兵は一人残らず姿を消した。
◆◇
「懲りないな…… 凶徒共」
あれから……またしても月日は流れ、再び蒙古兵は壱岐島に上陸した。……結果は、語るまでもない。
◇◆◇
そうして、再びの侵略を退けた彼女は〇〇家である身分を明かし、復興の支援をした後、その姿を消した。
彼女の生まれた屋敷は、今も取り壊されずそのままになっており、そこには黒檀の姫と、〇〇家を祀る石碑があるという。
◆◇◆
黒檀の姫という話はここで終わりだが……
彼女の容姿、美しい濡れ羽色の髪をした女神の様な美貌の武芸者を見たという話は、大正の時代を境に聞かなくなった。
その容姿と、時代に関係なく目撃者が出ている事から、彼女は女神の化身であるという者も居た。
◆
そんな彼女は、日本のとある田舎の山奥にある屋敷で、一人生活をしていた。
「……そろそろ、私も行きましょうか。」
既に彼女は純粋な人間とは掛け離れた存在になってしまっており、神秘の薄れたこの時代は、今の彼女にはとても生きづらい。
いつかは覚えていない。ある時、死にかけの妖の娘を拾った事があった。
娘と呼ぶには些か以上に成熟した身体ではあったものの、とても弱っていて一時期屋敷で世話をしていたのだ。
理由は特になかった。ただの気紛れ。本当は、もしかすると人外である彼女が悪さをしでかして退治されかけてしまったのかもしれない。
彼女は退治されるべき存在であったのかもしれない。……ただ、当時の私にはそこまで周りを見る余裕が無かった。
そこで半年程、彼女の世話をしていた。その半年で、どうやら驚くほど彼女に気に入られてしまっていたらしい。
彼女は自身の楽園に私を招待すると言った。その時は断ってしまったけれど、そろそろいいかもしれない。
もうこの世界に私が居る意味は無く、空気も昔と比べると澱んでしまった。人外は悉く淘汰され、神を名乗る者を見る事も無くなった。
稀に神秘を操る者も居るようだが、昔の術者に比べると規模が小さくなってしまっている。ああ、やはりもうこの世界に私達の居場所はないのだろう。
さて、彼女から楽園とやらの招待を受けていたのは覚えているが、具体的に何処にあるのか等は一切聞いていない。
何処から向かえば良いものなのかな。
そんな事を考えていると、目の前の空間が上下に裂け、ぬるっと……導師服の様なドレスを身に纏った妙齢の女が現れた。
……彼女だ。
「お呼びかしら?私の運命のヒト♡」
悪い子では無いんだけど、彼女は頭がちょっとアレなのだ。