可愛い銀髪美少女天使カードとして転生した私、マスターを導く 作:にゃっとう
ショッピングセンターでの襲撃騒動から数時間後。
夜の帳が下りて闇に包まれたクロワッサン学園の女子寮にて、私とホムラの相部屋に、今回襲撃に巻き込まれた五人が一堂に会していた。
とは言え、普段のように騒がしく談笑しているわけではなく、皆一様に神妙な面持ちだ。
私――無空メイも、ホロエルも、ホムラもエミリアもセンカも。
一旦は落ちついたとは言っても、あんな事件があったばかりだ。今一つ緊張が抜けないのも無理はない。
「……どう? エミリア。生徒会長の人と連絡は取れた?」
「ノゾミ先輩ね。ええ。明日の十時、生徒会室で落ち合う約束を取りつけたわ。今回の件の謝罪も兼ねて、すべての経緯と事情を話してくれるそうよ」
デュエルガントレットのホログラムウィンドウを操作していたエミリアからの返答に、ホムラがホッと息をつく。
この中で唯一生徒会長の連絡先を知っているエミリアに連絡を試みてもらっていたが、どうやら上手くいったようだ。
「そっか。それなら一応安心……なのかな? 明日が土曜日でよかったね。こんな状況じゃ授業にも身が入らないし」
「ただでさえ赤点ギリギリのお姉ちゃんの点数がさらに下がったら目も当てられないからね〜。もうすぐ夏休みだし、お姉ちゃん、補習にならないよう気をつけるんだよ?」
「うぐっ。うぅ……はい。善処します……」
こんな状況でも普段通りな姉妹の気の知れた掛け合いに、エミリアがくすりと笑みをこぼす。
「そうね。あまりにも酷いようなら、また昔みたいに私があなたの勉強を見てあげないといけないかもね」
「お、お手柔らかにお願いします……」
……不思議だ。
昔ならこんな、いつまた襲撃されるかわからない状況で気を抜くことなんてできなかった。
だけど今は、どうしてだろう。
皆と一緒に居ると、自然と頬が緩んできてしまうような、そんな穏やかな安心感を覚える自分がいた。
「さて、と……それじゃあ、これからのことについてだけど」
和やかな雰囲気の中、ホログラムウィンドウを閉じたエミリアが場を取り仕切り直すように切り出すと、皆の視線が一斉に彼女に注がれた。
「さっきも言ったように、明日の十時にノゾミ先輩と落ち合う約束を取りつけることはできたわ。だけど、だからと言ってまだ完全に油断できる状況じゃないことは留意しておかないといけないわ」
「あんな強硬手段でホロエルちゃんを奪おうとしてきたくらいだからね~。イサネ先輩……だったよね? あの人が生徒会の副会長だって言うなら、もしかしたら生徒会全体が敵の可能性だってあるし。生徒会権力で変な理屈をつけて風紀委員会なりを動かして、私たちを捕まえようとしてきたりしても不思議じゃないよね」
「……ノゾミ先輩がそんなことをするとは思いたくないけれど……ええ。センカちゃんの言う通り、私たちにはまだ事の全貌が見えていない。なぜイサネ先輩がホロエルちゃんを狙ったのか、なぜよりにもよってあんな強引な手段を取ったのか……いくら警備が万全で、外部からの脅威に強い学園の中とは言っても、絶対に安全とは言い切れないのが現状よ」
エミリアとセンカが、それぞれの見解を口にして認識のすり合わせを行う。
横で話を聞いていたホムラも、二人の話を聞くと困ったように頭をかいた。
「うーん。学園が敵になるかもなんて考えたこともなかったなぁ……でもそうなると、やっぱり事が解決するまで一人になっちゃうのはマズイよね。どんな手段を使ってくるかわからないなら、今日のセンカみたいに孤立したところを人質として狙われちゃう可能性もあるし」
「そうね。だから今日のところは、最悪の事態に備えて私とセンカちゃんもこの部屋に泊めさせてもらいたいと思っているの。他の人の部屋に泊まるのは本当は校則違反だけれど、こんな状況じゃあね……いいかしら? ホムラ。無空さん。ホロエルちゃん」
「えっ!? 皆でお泊まり会できるの!? 私は全然いいよ! 賛成! メイちゃんとホロエルちゃんは?」
「私も構わない」
すでに皆に薄っすらと姿が見える程度にまで存在の強度を上げていたホロエルも、コクリと頷いて了承を示す。
「ありがとう、ホムラ。無空さん。ホロエルちゃん」
「お姉ちゃん……状況が状況なんだから、もうちょっと緊張感を持とう? ……えへへ~。わたしも嬉しいけどね~」
私たちの返事にエミリアは表情を和らげて礼を言い、センカはそんな姉の態度に呆れながらも嬉しそうに頬を緩ませた。
お泊まり会……そう聞くと、なんだか私も少し楽しみになってきた気がする。
「明日の話し合いは当事者のイサネ先輩も随伴するそうだから、無空さんが孤立しないよう、私たちもしっかりついていきましょう。私から言えるのはここまでかしら。後は、ノゾミ先輩が話してくれる内容次第ね」
「ホロエルちゃんを諦めてもらえるなら、それが一番良いんだけどね〜」
「センカの言う通り、それが一番平和的な解決法だねぇ。話し合いが上手くいけばいいけど……そういえばメイちゃんは、ホロエルちゃんが狙われた理由になにか心当たりがあったりしないの?」
「……」
「……えっと……もしも言いたくないことなら、無理に言わなくてもいいからね?」
「いや……こうして皆を巻き込んじゃった以上、もう話さないままじゃいられない」
ショッピングセンターで私が実行犯の男たちに襲われた時、ホムラたちは皆、関わることで降りかかる危険を承知の上で私を助けるために動いてくれた。
ううん。ショッピングセンターの時だけじゃない。それはきっと今もだ。
生徒会が……学園が敵になるかもしれないことを知ってなお、三人が三人とも、変わらず私の味方でいようとしてくれている。当たり前のように。
こんな出自も正体もわからない怪しい私を友達と呼んで、信頼して、そばにいてくれる。
そんな風に自分の身を削ってでも私のことを大切にしてくれる人なんて、今までホロエルしかいないと思ってた。
ううん……少し違うか。
私にはホロエルしかいないんだと、自分で自分に言い聞かせ続けてきたんだ。
人と深い関わりを持つことを、どうせ裏切られるから無駄だと関わる前から諦めて、信じようとすることをしてこなかった。
……怖かったんだ。
人を信じて、心を開いて、またあの時みたいに……両親にそうされたみたいに、大切だと感じた人から見捨てられる痛みに直面することを恐れていた。
どんなに体が成長して、強くなったと錯覚しても、心は臆病な子どものまま、なにも変わってはいない。
両親に裏切られたあの時から、私の時間は止まったまま、ずっと前に足を踏み出すことを恐れていて……友達になってくれたホムラたちとの間にさえ、心のどこかで一線を引いてしまっていた。
だから実行犯の男たちに襲われたあの時、ホムラたちを頼らず、自分一人でなんとかしようと皆の前から姿を消したんだ。
……だけど。
皆はそんな私を追いかけてきて、私やホロエルを守るために一緒に戦ってくれた。
人を信じることは、怖い。
かけがえのないくらい大切に感じて、そんな人からまたあの時みたいに拒絶されたらと思うと、どうしても足がすくみそうになる。
それでも……人のことを信じたくないとは、今はもう思わなかった。
怖くても、信じたい。
私の友達になってくれた皆に、もっと私のことを知ってほしい。
私を……受け入れてほしい。
「……うん」
ホロエルと視線を合わせる。
ホロエルはいつものように明るく笑って、「マスターの好きにしていいんだよ」と、優しく私の背中を押してくれた。
そんな彼女に頷き返すと、私も覚悟を決めて皆の方に向き直る。
「私は、ホロエルが狙われた理由に……私が襲われた理由に、心当たりがないわけじゃない」
「メイちゃん……」
「今から皆に、私の過去の全部を話す。それを聞いた上で、改めて判断してほしい。今後も私と関わり続けるか……私から距離を置くか」
「……うん。わかった」
なにか物言いたげな様子だったが、神妙な雰囲気から私の覚悟を察したのか、皆も多くは語らず、ただ静かに頷いてくれた。
……姿勢を正して、一度、心を落ちつかせるように胸に手を当てる。
それからゆっくりと深呼吸をして……その時ふと、床についたもう片方の私の手に、ホロエルがさりげなく自分の手を重ねてくれていることに気がついた。
たとえ実体がなくとも、重ねた手を通してホロエルの心の温もりが伝わってくるようで、私は思わず顔を綻ばせる。
そうだ。ホロエルが隣にいてくれるなら、私は、どんな恐怖にだって立ち向かえる。
「じゃあ、聞いてほしい」
そうして私は静かに、自分の過去を語り始めた。
始まりは、まだ両親と一緒に暮らしていた頃のことだ。
まだ幼かった私の耳に色濃く残っているのは、たがが外れたような父親の激しい怒号だった。
「ふざけるな! なにが『なぜそんな簡単なこともできないんだ?』だ! まるで俺が無能だと言いたげじゃないか! クソ、クソォッ! 俺じゃない! お前が……お前の教え方が悪いんだろうが! あのクソ上司が!」
「あ、あなた、落ちついて……あの子が起きてしまいますから」
その光景を、私は襖の隙間から震えながら覗き見ていた。
床に散らばったビールの空き缶を蹴飛ばしながら、どことも知れない場所に向けて喚き散らすお父さんを、怯えた様子のお母さんがなだめている。
火の消えたタバコが絨毯に落ちて、それを親の仇だとばかりに踏みにじるお父さんは、まるで癇癪を起こした子どものようにも見えた。
今にして思えば、酒に酔っていたのだろう。
顔を真っ赤にした父は怒りのままにテーブルの物を投げ飛ばしながら暴れ回り、その矛先はやがてお母さんに向いた。
「お前も俺を見下しているんだろうッ!?」
「い、いやっ! やめてっ! ごめんなさい! ごめんなさい!」
「謝るんじゃない! 俺が悪いみたいだろうが! お前も俺を悪者に仕立てあげたいのか!?」
支離滅裂なことを叫びながら、お父さんがお母さんを殴る。
「お前もだ! お前も俺の言うことすらまともに聞けない能無しなんだ! 言え! 自分は能無しだと! 役立たずのゴミクズだと!」
「わ、私は……能無し、です。役立たずの……ゴミクズです……」
「そうだ! それでいいんだよ! はぁ……はぁ……」
お母さんが涙ながらに答えると、お父さんは荒い呼吸をしながら力なく床にへたり込んだ。
「そうだ……俺は悪くない。悪いのは全部、俺以外の連中なんだ……この世界が悪いんだ……!」
ぶつぶつと独り言のように呟くお父さんと、顔を腫らしてすすり泣くお母さん。
二人は毎日こんなことを繰り返すばかりで、私にはそれがとても恐ろしくて……私は毎晩部屋に閉じこもって寝たふりを続けたまま、現実から逃げるように耳を塞いでいた。
……保育園で見る他の子たちの家族は、皆、仲睦まじく笑い合っている。
三人で手を繋いで帰っていく幸せそうな親子の姿を、私はいつも羨望の眼差しで眺めていた。
どうして私の家族は、あんな風になれないんだろう。
どうして、お父さんはあんなにもお母さんに辛く当たるのだろう。
どうして……私はいつも独りぼっちなんだろう。
私も……私も、あんな風に両親に甘えてみたいと。愛されてみたいと。
そんな風に感じてしまうのは、傲慢だろうか。
……家族から与えられる無償の愛というものが、私の目には、他のどんなものよりも尊いものに見えたんだ。
きっと……きっと私が我慢して、ずっと手間のかからない良い子でいれば……。
そうすればいつかきっと、二人だって私のことを……。
そんな夢みたいなことを考えながら、幼い私は泣きたくなるのを堪えながら、毎日必死に良い子を演じていた。
「メイ。今日はパパとママと一緒に来なさい」
「え? で、でも、今日は小学校が……」
「学校なんてどうでもいい。そんなことより大事な用があるんだ」
「そうよ。あなたは私たちの娘なんだから、黙ってお父さんとお母さんの言うことを聞いていればいいの」
「……うん」
そんな私と両親の歪な家族関係に転機が訪れたのは、私が小学校に上がってすぐのことだった。
私はお父さんとお母さんに有無を言わせず車に乗せられて、見たこともない宮殿のような場所に連れてこられた。
それからその宮殿の入り口で、私たちを待つようにして立っていた白いローブを着た女の人の前で立ち止まると、急に両親がその人に跪き始めた。
「司教様。どうか家族ともども、私たちを教団の一員としてお迎えください」
「どうかお願いします。お願いします。ほら、メイも頭を下げなさい」
「お、お願いします……」
お父さんとお母さんに促されて、私も理由がわからないまま頭を下げる。
「……顔を上げて」
白いローブの女の人は跪く両親を軽く一瞥した後、私の前までやって来ると、柔らかな声音で私に語りかけた。
その言葉通りに顔を上げると、白いローブの女の人は幼い私と視線を合わせるように膝をついて、穏やかな微笑みを私に向けてくる。
「初めまして。私の名前はシーラ。この虚無の教団ヌルの司教をやらせてもらっているの。あなたのお名前はなんて言うのかしら?」
「メ、メイです。無空メイ……」
「メイちゃんね。ふふ、可愛らしいお名前ね」
「あ……ありがとう、ございます……?」
シーラと名乗った女性は立ち上がると、固唾を呑んだ様子の両親の方へと向き直って、安心させるように優しげに微笑みかけた。
「大丈夫よ。教団はあなたがたを歓迎するわ」
「ほ、本当ですか!? やった……やったぞ! これで俺もついに教団の人間として認めてもらえるんだ!」
「ああ、ああ! ありがとうございます司教様! これで私たちも救われるのですね……!」
「ええ、そうよ。あなたたちが真に心を込めて祈りを捧げれば、きっと天使様も救いの手を差し伸ばしてくださるわ」
感動して涙を流す両親の姿に、私は意味がわからず困惑するしかなかった。
だって……わからなかったから。なにがそんなにも嬉しいのか。なにに感謝しているのか。どうして私までここに連れてこられたのか。
でも……でも。
両親がこんな風に心から嬉しそうにしているところを見るのは初めてのことで。
両親がこんなにも仲が良さそうにしているところを見るのは初めてのことで。
だから私もお父さんとお母さんと同じように、このシーラって人の……教団の言うことに従おうと思った。
「さあメイちゃん。あなたも私たちと一緒に祈りましょう?」
「は、はい! シーラ司教様!」
シーラ司教様の笑顔は穏やかで優しげだったけれど……どこか作り物めいているようにも見えて、少しだけ怖かった。
それでも私は、その偽りの笑顔を信じることに決めた。
この人たちはきっと良い人たちで、両親が言うように、教団は私にとって救いの存在なんだと。
「今日はなぁ、メイ。司教様にお褒めの言葉をいただいたんだ! お前はとても優秀だ、ゆくゆくは司祭にもなれる人間だと!」
「私もよ! シーラ司教様は素晴らしいお方よ。私たちの苦しみをいつもわかってくださるの」
「うん、うん! よかったね、お父さん、お母さん!」
それからの日々は……それまでの辛い日々と比べたら、信じられないくらい幸せだった。
夜中、お父さんが荒れることがなくなった。お母さんがすすり泣くことがなくなった。
家族皆でご飯を食べれるようになった。家族皆で笑いながら話せるようになった。
両親が言うように、教団と天使様は本当に救いの存在だったんだ。
もう部屋に閉じこもって涙を堪えなくたっていい。私はもう独りぼっちなんかじゃない。
私もようやく、夢にまで見た幸せな家族になれたんだと。
そう心から喜んで、二人がくれる愛情を本物だと信じて疑いもしなかった。
「虚無より生誕せし天使様、どうか我らに救いをお与えください……」
「「「我らに救いを……」」」
週末になると、私と両親は宮殿に集まって、シーラ司教様の前で他の信徒たちに交じって天使様に祈りを捧げた。
虚無の教団ヌルが崇める天使……それは、それぞれ少し離れた二つの台座の上に祀られた2枚のカードだ。
1枚は『虚構天使ホロエル』。虚実の虚を定義し、世界に穴を空ける役割を担う、物言わぬ虚空を司る天使。
1枚は『虚構天使アリエル』。虚実の実を定義し、空けられた穴に新たなる法則を埋め込む役割を担う、雄弁なる架空を司る天使。
シーラ司教様が言うには、この1対の天使がともに完全なる姿で現実世界に降臨した時、その相克により虚無への門が開かれて、真なる神の手で世界はあるべき姿に戻るのだと言う。
正直、幼い私にはシーラ司教様がなにを言ってるのかはよくわからなかったけど……。
私が祈りを捧げると、シーラ司教様が「アリエル様があなたを見ている」と褒めてくださった。
そうして私がアリエル様のお気に入りになると、お父さんやお母さんも教団の中で一目置かれるようになって、私は目一杯二人に褒めてもらえて、それが嬉しくて。
もっとたくさん両親に喜んでもらうために、私は宮殿にいない間も、毎日のように天使様に一所懸命祈りを捧げ続けた。
私は天使様のおかげで幸せになれました。
ありがとうございます、ありがとうございます……って。
……そんな毎日が続いて、ちょうど7歳の誕生日を迎えた、ある雨の日のことだった。
「おめでとう、メイちゃん。アリエル様のご意思によって、あなたはアリエル様の依代となる虚無の巫女に選ばれたわ。あなたの献身的な祈りが実を結んだのよ」
シーラ司教様に呼び出された私と両親は、アリエル様が祀られている台座の前で、そんな言葉を投げかけられた。
「ほ……本当ですか!? メイがアリエル様の巫女に!?」
「ええ、もちろん。アリエル様の御前で嘘など言うはずがないわ。喜びなさい。これで私たちの願いの成就に、また一歩近づいた。そしてそれに多大なる貢献を果たしたあなたたちの教団における地位も、今後ますます確固たるものになるでしょう」
「お、おお……おぉぉおおおおおっ! や、やったっ! やったぞ! まさかメイが……なぁ!」
「ええ! こんなにおめでたいことはないわ!」
依代? 巫女?
意味がわからず困惑する私の横で、両親は感涙にむせび泣いていた。
いっそ狂気的なまでに喜ぶ二人を、シーラ司教様はいつもの作られたような微笑みで見つめながらも……その目にはどこか、侮蔑的な色が混じっているように見えた。
「ね、ねえ……お父さん、お母さん。巫女って……なに? わたし……よくわからない」
両親が喜んでいるなら良いことなんだろうと、普段ならば深く考えようともしなかっただろう。
だけどどうしてか、その時だけは異様な雰囲気に鳥肌が立って、気がついた時にはたどたどしく問いかけていた。
私の質問に反応して、両親が私の方に振り返る。
二人の目はまるでなにかに憑りつかれたかのように虚ろで、私は全身から血の気が引くのを感じた。
「虚無の巫女。それは天使様の依り代となる存在」
シーラ司教様は口を開きかけた両親を手で制すると、カツカツと足音を鳴らしながら、私に歩み寄ってくる。
「あなたはこれからアリエル様にその身を捧げて、アリエル様が現実世界に顕現するための器になるの。より端的に言うなら……あなたの存在そのものが、アリエル様に置き換わる」
「わたしが、アリエル様に……? じゃあ、わたしがアリエル様になっちゃうなら……今のわたしは、どうなっちゃうの?」
「今のあなたは失われる。その心も、記憶も、人格も。なにもかもが消えるのよ」
「消え、る……?」
私はその言葉の意味が理解できずに、ただ呆然と立ち尽くしていた。
失われる……? 消える?
それってつまり、死んじゃうってこと……?
「嘘、だよね……?」
「言ったでしょう? アリエル様の御前で嘘など言わないわ。これからあなたの存在は虚無に飲み込まれて、消えてなくなるの。だけど心配はいらないわ。あなたの身は天使様に捧げられるのだから。天使様の御力で、あなたの魂も救われることでしょう」
「い、嫌だよ……怖いよ……」
「怖がる必要はないわ。虚無はあらゆるものを受け入れる。そこには痛みも恐怖も、なにもない。安らかな救いだけがある。あなたはただ、そんな虚無の感覚に身を委ねればいいの」
いつもと同じ薄っぺらい偽物の作り笑顔を浮かべながら、シーラ司教様が私に手を伸ばしてくる。
私はそれに「ひっ」と短い悲鳴を上げて、彼女の手を払いのけた。
だってそうでしょ? 突然そんなことを言われて、受け入れられるはずがない。
「お、お父さん! お母さん! やだ、怖い……私、巫女になんかなりたくない! 助けて!」
シーラ司教様から逃げるようにして、私は両親に縋りつく。
だけどそんな私の懇願にお父さんはカッと眉を吊り上げると、私の肩を乱暴に掴んだ。
「メイ、なんてことを言うんだ! お前は選ばれたんだ。俺たちの娘としてな。これはとても光栄なことなんだぞ!」
「な、なんで……消えちゃうんだよ? お父さんのことも、お母さんのことも、全部忘れちゃうんだよ……? わたし……そんなの嫌だよ!」
必死の思いでそう訴えかけても、お父さんは耳を貸さない。
お父さんは私が巫女になることで手に入る、教団における自分の地位に目が眩んでいて、私のことなんかこれっぽっちも見てくれてはいなかった。
「お……お母さん! お母さんはわかってくれるよね? わたし嫌だ! お父さんとお母さんのこと、忘れたくない!」
お母さんなら、きっと私の気持ちを理解してくれる。
そう期待して、私は縋るようなお母さんを見たけれど……目が合った瞬間、お母さんは失望したように大きくため息をついた。
「ねえ、メイ。私たちはこんなにもあなたを愛しているのに。あなたは私たちのことを愛してくれていないの?」
「あ、愛してるよ! わたしはただ、お父さんとお母さんに喜んでもらいたくて……だからっ……!」
「だったらいいじゃない。あなたがアリエル様の巫女になれば、私たちはこれまで以上に喜ぶわ。今日までずっと育ててあげたんだから、今度はあなたが私たちに恩を返しなさい」
「そんな……そんなの勝手すぎるよ!」
「勝手? なにを言ってるのよ。勝手なのは、ワガママばかり言うあなたの方でしょう?」
お母さんは苛ついたように私を睨みつけると、私の頬に思い切り平手打ちをした。
パァンッ! という乾いた音が鳴り響いて、私は信じられない気持ちでお母さんを見る。
「お、かあ……さん?」
「子ども一人育てるのがどれだけ大変か、子どものあなたにわかる? 大変なのよ? 本当に大変で、辛くて……それでもあなたを愛しているから、あなたのために頑張ってあげたの。それなのに、どうしてそんな親不孝なことばかり言うの? どうして私の苦労を理解しようとしないの? 私がいなきゃ、あなたなんて生まれてすらこなかったのに」
「え……ぁ……」
「私の人生は、あなたなんかが生まれるずっと前から、もう取り返しがつかないくらいにめちゃくちゃだったわ。そんな苦労を飲み込んで、あなたを育ててあげたのに……それなのにあなたは、まだ私に苦労しろって言うの? ねぇ?」
「あ……ぁ……ち、ちがっ……ご、ごめんなさ……」
「なにが違うの? ねぇ、なにを謝っているの? 私がなにか悪いことしたの? ねえ、答えなさいよ」
「わ……わたし……わたし、は……」
突き放すようなお母さんの言葉が、刃のように私の心をズタズタに引き裂いていく。
目の前で起きている出来事が現実だと、信じたくなかった。
悪夢の中にいると思いたかった。私はまだ寝ていて、夢から覚めたら、また家族三人で笑いながらご飯を食べられるんだって。
だけどお母さんに叩かれた頬は今もジンジンと痛みを訴えていて、その熱を持った痛みが、これが紛れもない現実なんだと……私に否応なく理解させた。
ポロポロとなにか熱いものが頬を零れ落ちて、視界が滲んでいく。
どうして? なんで……?
私は……なにを間違えてしまったんだろう?
私はただ、お父さんとお母さんに喜んでほしかっただけなのに。愛してほしかっただけなのに。
……愛されたいと、願うこと……。
その思いこそが……間違いだったとでも言うの?
心が、壊れてしまいそうだった。
二人に優しく抱きしめられた温かい記憶が色褪せていく。
私のことを愛してくれていたはずの記憶の中にある両親の笑顔が、得体の知れないなにか恐ろしいものに見えてくる。
私は……私、は……。
「はぁ……そんな目で見ないでよ。悪いのは私じゃない――この世界が悪いんだから」
いつかどこかで聞いた、お父さんの口癖。
それをお母さんが冷めた表情で、私に向けて吐き捨てて――。
その瞬間、なにかが……私の心を繋ぎ止めていた最後の糸のようなものが、プツンと切れてしまった音がした。
「あ……ああ、ああああっ! うぁっ、あぁあああぁあああっ!」
「お、おい! メイ!?」
「やだぁあっ! 嫌だぁあぁあああぁぁっ!」
私はその場に崩れ落ちて、頭を抱えながら髪を振り乱して泣き叫んだ。
もう嫌だよ。こんなの耐えられないよ。
どうして私なの? なんで私がこんな目に遭わなきゃいけないの?
私が悪いの? 私がお父さんとお母さんに、なにか許されないことをしちゃったの?
それとも、お父さんとお母さんが言うように……世界が、悪いの?
わからない。なにもわからない。わからないわからないわからない――。
……私はその時、ようやく悟ったんだ。
今の今まで、私は一度だって両親から愛されたことなんてなくて……お父さんとお母さんの言葉を、自分の願望ありきで都合の良いように受け取っていただけなんだって。
私はただ、二人から向けられる偽物の愛を求めるだけのお人形でしかなくて……。
愛してほしいだなんて……そんな願いは、初めから叶うはずのない絵空事でしかなかったんだと。
きっと、この世界に生まれた時から……私は、ずっと……。
空っぽの……独りぼっち、だったんだ。
※本話はとても鬱な内容が含まれます! 鬱展開注意です!!(>︿<。)
メイちゃんの過去辛すぎんか…?
正直書いてる最中メイちゃんに感情移入してて本当に辛くて私もウッウッと泣きながら書いてましたが、次話でホロエルがメイちゃんの心の支えになってくれるからと言い聞かせながら頑張りました…。
ホロエル、後は任せたぞ…( ˇω :;.:...