可愛い銀髪美少女天使カードとして転生した私、マスターを導く   作:にゃっとう

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57.……ねえホロエルちゃん。もしかして洗脳した……?

「うぅん……見たところ、寝不足かしらね……」

 

 担架に乗せられて保健室まで運ばれたノゾミの診断の結果は、『寝不足』だった。

 幸いにも点滴を打つほどではなく、しばらく安静にしてしっかり睡眠を取りさえすれば、そのうち回復するとのことらしい。

 

「もう一度確認したいのだけど、彼女、あなたたちと話している最中に突然奇声を上げて倒れたのよね?」

「えっと、はい」

 

 ノゾミが倒れる直前にそばにいたということで、今はホムラが養護教諭の女性の質問に受け答えをしている。

 他には私とマスター、それから騒ぎを聞きつけて駆けつけてきたエミリアも一緒だ。

 

「その時の会話の内容に、なにか彼女が強い刺激を受けるようなものはあったかしら? いくら寝不足だったからと言って、急に倒れるなんてただ事じゃないわ。もしかしたら精神的なストレスも関わってるかもしれない」

「ちょうど話を始めようとしたところだったので、そんな強い刺激を受けるような出来事はなかったと思いますけど……」

 

 なにかを誤魔化すように、あるいは私を探すように視線を彷徨わせながら、ホムラが歯切れ悪く言葉を返す。

 

 せ、精神的ストレスですか……。

 いや……私だって、その……ただおでこをメッて小突いただけで、あんな急に倒れるなんて思ってなくて……。

 

 別に誰に責められたわけでもないのだが、なんだか叱られたペットのような気持ちになってしまって、しょんぼりと部屋の隅で縮こまる。

 マスターはそんな私に寄り添って、よしよしと慰めるように頭を撫でてくれたが……今の私はマスター以外には姿が見えない状態だ。

 はたから見れば突然虚空に向かって撫でる仕草を始めたようにしか見えず、養護教諭は「この子も診察した方がいいのかしら……?」と言った奇異の目線をマスターへ送っていた。

 

「なら、私の考えすぎかしらね。このぶんだと一日だけじゃ飽き足らず、二日は眠れていなさそうだし。生徒会の仕事が忙しいのかしら……」

「あはは……そうかもしれないですね」

「なにはともあれ、今の彼女に必要なものは休息よ。いくら生徒会の仕事が忙しいとは言っても、せめて夕方までは保健室で安静にしててもらわないと。寮に帰る時も、また倒れられたら大変だから、誰かに付き添ってもらった方がいいわね。それと、明日も調子が悪いようなら無理に登校はしないこと」

「なるほど……あの、もし良ければ私たちの方から先輩に伝えておきましょうか? ノゾミ先輩は私たちに用があったみたいですし、先輩が目覚めるまで待ってるつもりですから」

「あら、そう? なら任せちゃおうかしら。なんだか押しつけちゃったみたいで悪いわね。まあでも、どうせ他に診ないといけない子もいないし、私もしばらくは保健室にいるから、なにかあれば気軽に――」

「――先生っ! デュエル科学研究部の部室がまた爆発して怪我人がーっ!」

 

 バーンッ! と勢いよく保健室の扉が開かれて、白衣を着た生徒が駆け込んでくる。

 養護教諭に涙目で縋りつくその少女の全身は黒く煤けており、白衣の裾はチリチリと焼け焦げてボロボロだ。

 「大至急応急処置が必要なんですぅー!」と涙ながらに訴える彼女を見て、養護教諭はげんなりとした様相でこめかみを抑えた。

 

「はぁ……またあなたたちなの……? まったく懲りない子たちね。どうせ今回もまた変な実験で失敗したんでしょ」

「変じゃないですぅー! いずれ偉大なデュエル科学に発展すること間違いなしの崇高な実験だったんですぅーっ!」

「その崇高な失敗のせいで、いったい何度火災報知器が鳴らされたと思ってるのよ……」

 

 養護教諭は申しわけなさそうな表情を浮かべてホムラに向き直る。

 

「ごめんなさい。私はデュエル科学研究部に怪我人の手当てに行かないといけないから……後のことはお願いね」

「わ、わかりました……その、先生もストレスには気をつけてくださいね……?」

「ええ……お気遣い痛み入るわ」

「こっちです先生~! 早く〜っ!」

「わかってるわ。すぐ行く」

 

 養護教諭の女性は手馴れた様子で救急箱を手に取ると、半泣きの白衣の女子生徒を引き連れて慌ただしく保健室を出て行った。

 騒がしい喧騒に包まれていた保健室は一転して静かになり、取り残された私たちは顔を見合わせると、揃って苦笑いを浮かべ合った。

 

 とりあえず……ノゾミが回復するまで私たちは暇になった、ということだろう。

 

 保健室には、もう私の存在を知る者しかいない。

 というわけで、マスター以外の皆にも姿が見えるように存在感を調整する。

 

「あ、ホロエルちゃん。やっぱりそこにいたんだ」

 

 私が姿を現すと同時に、ホムラが「やっほー!」と手を振りながら駆け寄ってくる。

 なんの悩みもなさそうな元気いっぱいな彼女の笑顔を見ていると、ちょっとばかり落ち込んでしまっていた気持ちも、なんだか不思議とどうでもよくなってくるようだった。

 

 いぇい! と特に意味もなくハイタッチを交わして、短い再会の喜びを分かち合う。

 そうしてキャッキャとホムラとじゃれ合っていると、それを横目に見ていたエミリアが微笑ましげに小さく息をついた。

 

「仲がいいわね。あなたたち」

「えへへ。なんていうか、ホロエルちゃんとは気が合うんだよね~」

 

 にへらと頬を緩ませて「ねー」と同意を求めるようにホムラがこちらに視線を送ってくる。

 ふむ。確かに……私としても、こんな風に気軽に関わってくれる相手はマスター以外に誰もいなかったので、新鮮で嬉しい気持ちが大きいのは間違いない。

 

「……むー」

 

 しかしそんな風に私がホムラと心を通じ合わせていると、プクーッと頬を膨らませたマスターが私とホムラの間に割って入ってくる。

 

「わぁっ!? ど、どうしたの? メイちゃん」

「……ホムラ。ホロエルを独り占めしないで」

「へ? ……あ。もしかしてメイちゃん。私たちが仲良くしてるとこ見て妬いちゃったの?」

「別に妬いてない」

「えー? 絶対妬いてるでしょ」

「だから妬いてない」

 

 いじけたようにプイッと顔を背けて、頑なに否定するマスター。

 そんな彼女の姿があまりにも可愛くて、私は気がつくとマスターの頭に手を伸ばし、よしよしと撫でてしまっていた。

 それに対してマスターは一見、なんだか納得がいかない様子でムスッと頬を膨らませていたが……拗ねたようなポーズを見せつつも、なんだかんだで満更ではないらしい。

 きっと無意識なのだろうけど、マスターは抵抗するどころか背の低い私に合わせて腰を曲げて頭を差し出しており、甘えたい気持ちをまるで隠し切れていなかった。

 よく見ると、浮かび上がる笑みを堪えるように口の端もピクピクと震えていて……試しにスッと手を引いて撫でるのをやめてみると、途端に眉を八の字に下げて残念そうにシュンとする。

 

 なんだこの愛らしすぎる生き物は。天使か?

 皆に見える程度にまで存在感を調整しているとは言え、今の私に実体はないのだが、そんなことはマスターには関係などないらしい。

 しょうがないなぁ、と再度マスターの頭を撫で始めてあげると、たちまちマスターは機嫌を良くして、猫のようにすりすりと私の手に頭を押しつけてきた。可愛い。

 

「あはは。メイちゃんってば素直じゃないんだから。あ、そうだ。ねえエミリア……ノゾミ先輩の寝不足の原因って、エミリアはなんだと思う?」

 

 私やマスターとのスキンシップをひとしきり楽しんだホムラが、私とマスターの邪魔をしないようにそっと離れると、思い出したようにベッドで眠るノゾミの顔を覗き込む。

 悪い夢でも見ているのか、はたまた単純に体調が悪いせいか、彼女は苦悶の表情を浮かべては時折小さな唸り声を漏らしていた。

 エミリアもまたそんな彼女の様子を気の毒そうに一瞥すると、頭を悩ませるように腕を組む。

 

「希望的観測ならいくらかあるけど……確かなことは、今はなにも言えないわね。ただ、生徒会の仕事が忙しいという話も間違いではないはずよ。この間のショッピングセンターでの騒動は覚えてるかしら?」

「ショッピングセンター……って言うと、イサネ先輩がお金で人を雇って、メイちゃんからホロエルちゃんを無理矢理盗もうとした時の話?」

 

 そういえばそんなこともあったね……。

 ずっと私としか過ごしてこなかったマスターがせっかく皆と楽しくショッピングしてるところを邪魔されちゃったものだから、あれに関してはさすがの私もちょっとイラッとしてしまった記憶がある。

 マスターが皆と絆を深めるキッカケになって、結果的に全部丸く収まったのは幸いだけど……今になって思い返してみると、だいぶグレー……というかブラックなことされてたなぁと思う。

 

「あの後、あの騒ぎがどうなったのかが気になって少し調べてみたの。それによると、どうやらイサネ先輩が起こした不祥事として彼女には一ヶ月ほどの謹慎処分が下されたそうよ」

「そうだったんだ。イサネ先輩って、確かこの学園の副会長をしてる……んだったよね?」

「ええ。それだけの立場にある人が不祥事を起こしたとなれば、当然、イサネ先輩だけでなく生徒会そのものにも相応の処罰が下るでしょうね。昨日の今日だから、ノゾミ先輩がその対応に追われていただろうことは想像に難くないわ。そしてそんな彼女を支える役目を担う副会長であるイサネ先輩も、今は謹慎中でそばにいない……」

「じゃあ、生徒会の仕事が忙しいって言うのも的外れってわけでもなかったんだ。自業自得と言えばそうかもしれないけど……」

 

 人を悪く言うのはあまり好きではないのか、ホムラは苦い顔を浮かべている。

 

「んー……そういえば、ずっと気になってたことがあるんだけど……この前生徒会にお邪魔した時って、ノゾミ先輩とイサネ先輩の二人しかいなかったよね? 生徒会って他にメンバーはいないのかな? 生徒会にスカウトされたことあるって言ってたし、エミリアはなにか知らない?」

 

 ホムラの問いかけに、エミリアは顎に手を当てて考える素振りを見せる。

 

「私が覚えている限りだと、生徒会の構成員は合計で三人いたはずよ。一人目は、生徒会長のノゾミ先輩。次に副会長のイサネ先輩。この二人は高等部の三年生ね。そして残りの一人は、高等部の二年生……直接顔を合わせたことはないけれど、確か役職は書記だったかしら」

「え。生徒会のメンバーってそれしかいないんだ」

「うちの生徒会は権限が大きいぶん、入れる条件も厳しいのよ。テストの成績、内申点、そして公式記録。それらすべてが規定以上の、いわゆる優等生と呼ばれるような人しか入れないの。ホムラは……公式記録はともかく、デュエル以外のテストの成績と内申点が足を引っ張って入れないでしょうね」

「わ、私の成績は関係ないでしょっ!?」

 

 あー。その基準だと、マスターも入れないだろうなぁ。

 マスターの実力は紛れもない本物だが、その立場はあくまで今年入学したばかりの転入生だ。

 学校に通っていた経験がないからテストの成績も内申点も今後次第で、公式記録に至っては皆無に等しい。

 

「ふふ、冗談よ。とにかく、そういった条件の厳しさと……基本はノゾミ先輩一人で手が回ってしまうから、余計な人員を増やす必要がなかったのもあるでしょうね。ノゾミ先輩は生徒会に入ることができる条件を満たしてすぐに当時の生徒会長を打ち倒し、自らがその座に就いた紛れもない天才だもの。その公式記録も、常勝無敗と輝かしいものよ」

「常勝無敗の天才かぁ……ふふん。でも、皆がノゾミ先輩が学園で一番強いって思ってても、私たちだけはメイちゃんの方が強いって知ってるもんね! さすが私のライバル!」

「いや、なんであなたが威張ってるのよ……まあでも、そうね。この前のあれは公式戦じゃなかったけれど、あの一戦で無空さんはノゾミ先輩に勝利を収めた。あの瞬間、無空さんはまさしくこの学園の頂点に立ったと言っても過言ではないのかもしれないわね」

「……私は別に、学園の頂点とか興味ないけど……でもノゾミは確かに、今まで戦ってきた誰よりも強かった」

 

 マスターはどこか神妙な面持ちで、ベッドで横たわるノゾミへ視線を落とす。

 

「……ノゾミと互いに大切なものを賭けてデュエルをした中で、一つだけ感じたことがある」

「デュエルの中で感じたこと? それって……?」

「それは彼女が……きっと私と同じくらい、敗北という結末を恐れてたんだってこと。負けることは死ぬことと同義で、一度死んでしまえば、次なんてものは訪れない。彼女はあのデュエルの中で、ただ純粋に勝つことだけを求めていた。たったの一度の敗北が、すべてを失うことに繋がるのだと……おそらく実感として彼女は理解していた」

 

 呟くように言葉を漏らすマスターの瞳には、自分自身の影を見るような色が滲んでいた。

 ノゾミに対する嫌悪感は今も健在なのだろう。

 だけど同時に、自分とどこか似た部分があるノゾミへの共感を捨て切れない。そんな葛藤を感じさせるような複雑な表情だった。

 

「敗北が、失うことに繋がる実感……それってやっぱり、昔、ノゾミ先輩たちが教団に拐われちゃった時のこと……教団の人たちがした儀式のせいで、イサネ先輩が幼少期の記憶をなくしちゃったってことが関わってるのかな」

 

 そう言葉を落としたのはホムラだ。エミリアが同意するように頷きを返す。

 

「十中八九そうでしょうね。かつてのノゾミ先輩とイサネ先輩がただの主従関係だったのか、それとももっと深い仲だったのか……当人ではない私たちには、その間柄を想像でしか補うことはできないけど。それでもあの時、ノゾミ先輩がホロエルちゃんに……いえ。虚構天使という存在に対して向けていた憤怒と憎悪は、並大抵のものではなかったわ」

「イサネ先輩のこと、それまでの記憶を全部なくしちゃっててもそばに置いてるくらいだもんね。もしかしたらメイちゃんにとってのホロエルちゃんくらい大切な人だったのかも?」

「……だからって、ホロエルを言葉で傷つけたことと、皆を巻き込んだことは、簡単には許せない」

 

 ふん、と鼻を鳴らしてそっぽを向くマスターの横で、ホムラが苦笑いを浮かべる。

 

「それに関しては、私も思うところはあるけどね……少なくともホロエルちゃんに対しては、もう一回面と向かってちゃんと謝ってほしいかなぁ」

「……ホロエルちゃん、なんだかちょっと嬉しそうね」

 

 お? へへへ、わかりますかエミリアさん。

 

 皆が私のことを思ってくれることもそうだけど……。

 マスターが言ったのは、簡単には許せない。ホムラが言ったのは、もう一回ちゃんと謝ってほしい。

 要するに二人とも、ノゾミがきちんと反省してくれたのなら許すつもりでいるということだ。

 私としてはマスターが皆とワイワイと楽しく過ごせるようになることが理想なので、そんな未来に皆が前向きでいてくれることが嬉しくて、なんだか笑みがこぼれてしまったのである。

 

 ただ……正直、私についていろいろ言われてしまったことについては、私はあんまり気にしてないんだけどね。

 

 ――1対の天使の片割れでも失えば、彼らの目的は永久的に達成不可能となり、信仰を失った教団は確実に求心力を失い瓦解します。

 ――重要なのは、彼らの目的のためには1対の天使がどちらも必要不可欠だという点です。

 

 ノゾミが語った内容は、マスターと一緒に過ごす日々の中で、私自身が思い悩んでいたことでもあった。

 教団の魔の手からマスターを守るために、私は自分なりに力を尽くしてきたつもりだ。

 だけど……そもそもマスターが教団に追われ続ける原因の一つは、私の存在にあるのではないか? と。

 そう思わなかったことが一度もないと言えば嘘になる。

 少なくとも、私が消えることで教団の脅威が激減することは紛れもない一つの事実だ。

 

 もう片割れの天使であるアリエルが健在で、マスターに巫女の素質があることが教団内に知れ渡ってしまっていることを鑑みると、私が消えれば追手もいなくなるというほど単純な話ではないのは確かだけど……。

 巫女の素質を持つ者がどれほど貴重だとしても、それを依り代として降臨する天使がいなければ、巫女の存在は意味を為さない。

 

 片や、唯一無二で替えが利かない虚無の天使。

 片や、滅多にその素質を持つ者が見つからないとは言え、時間をかけさえすれば二人目以降も現れる可能性がある巫女の存在。

 その価値は比べるべくもないものだろう。

 教団にとっての重要性の比重は、巫女であるマスターよりも天使である私に傾いている。

 

 ――その虚構なる天使が本当に心から無空さんの幸せを願っているというのであれば、なおさら私たちにその身を差し出すべきでしょう。そうすればかの教団は崩壊し、無空さんの明るく幸福な未来が約束されるのですから。

 

 だからこそ、私という存在がこの世界から消え失せて、別の誰かが私の後を引き継いでマスターを守り続けてくれるような。

 そんな状況が訪れるのなら、それがマスターにとって最善の道なのかもしれない――なんて。

 密かにそう思い悩んでいた私にとって、ノゾミの提案は、本物の天使からの道標のようにも感じられたんだ。

 

 ……でも。

 

「ホロエル?」

 

 ――一緒に行こう、ホロエル。この先も。あなたが私にそうしてくれたように……今度は私が、あなたを笑顔にしてみせるから。

 

 ニコニコとマスターのことを見上げると、マスターは不思議そうに私を見返してくる。

 

 私は、自分の未来なんて望むべくもないものだと思っていた。

 だって、どうせ二度目の人生なんだ。

 これは天寿を全うし、虚無に帰るはずだった命に与えられた、いわば余生のようなものに過ぎない。

 世界に二つとない幸運を与えられた者として、幸せを知らない孤独な女の子を明るい未来へと導くことが、私がこの世界に生まれた意味であり、責任を果たすことに繋がるんだと、そう思っていた。

 私の幸せなんてものは、その過程の中だけにあればいい――。

 

 ……でも。

 どうやら私は自分で思っていたよりもずいぶんと俗物的で、強欲だったらしい。

 私は私が思っていた以上に、マスターが成長していたことを知った。

 そしてそんな彼女が指し示してくれた未来を、私もまた歩んでみたいと思ってしまったんだ。

 

 皆から貰ったカードを駆使し、ノゾミとのデュエルに勝利を収めたマスターの姿は、今も瞼の裏に焼きついている。

 というか私もあれは驚いたぞ!

 まさか私に一言も相談せず、いきなり無属性以外のカードをデッキに投入していたとは……。

 

 それでマスターがノゾミに勝った後は、私は皆にお説教されちゃって……へへへ。

 マスターだけじゃなくて、私という存在もまた、皆にとってかけがえのない存在になっていたんだってことを、その時になって私はようやく理解することができたんだ。

 

 私はノゾミに感謝している。

 最終的に私はその道を選ばなかったとは言え、彼女は私に、思い悩んでいた道を歩もうとする機会をくれたから。

 強引な手段を取ったことや、皆を巻き込んだことに関して思うところがないわけじゃないけど……。

 それでも、彼女のおかげでマスターの新しい一面が知ることができたし、皆の気持ちを知って、私も自分の悩みに自分なりの折り合いをつけられるようになったから。

 

「……うぅ、ん……」

 

 と、そんな時。

 ぐったりとベッドに横たわり、うなされていたノゾミが小さく呻き声を漏らした。

 私たち四人は顔を見合わせると、枕元に集まって彼女の顔を覗き込む。

 

「……ここ、は……保健室……?」

「ノゾミ先輩、気がつきましたか?」

「エミリア、さん……それに、ホムラさんと無空さん……それから……ホロエル、さん……」

 

 薄っすらと目を開いたノゾミは、焦点の定まらない瞳で私たち一人一人の顔を順繰りに見つめていく。

 ……なんか私の姿を見た時だけ、くしゃりと表情を歪ませたような気がしたけど……。

 うーん……やっぱりまだ嫌われてるのかなぁ……。

 

「……なるほど。少し頭が鮮明になってきました。私はあの後、話もできずに倒れてしまったのですね……」

「ちょっ……! もう、本当に大丈夫ですか? まだ横になってないと!」

「いえ……大丈夫です。ご心配には及びません……」

 

 ノゾミは上半身を起こすと、疲弊の色が濃く浮かぶ青白い顔でぎこちなく微笑んだ。

 

「ご覧の通り……すでに体調は万全と言えるほどにまで回復していますから……」

「え、万全……? あの……お言葉ですが、まったくもって万全なようには見えませんけど……」

「そんなことはありません。生徒会長たるこの私が大丈夫だと言っているのですから、すべて滞りなく問題などあるはずがないのです……」

「生徒会長がどうこうは体調とは関係ないと思いますが……」

 

 ノゾミをベッドの上に押し留めようとするエミリアの控えめな制止の言葉が、果たして聞こえているのかいないのか。

 ノゾミはエミリアの制止を振り切って、そのままベッドから下りようと腰を浮かせかけるが……。

 

「ご心配は、無用です……この通り、私はもう大丈――う゛っ!?」

「ああもうほら! 言ったそばから!」

「あ、危なかったぁ……大丈夫? えっと、ノゾミ先輩……?」

 

 立ち上がろうとした瞬間、ズルッとバランスを崩して倒れかけたノゾミの体を、ホムラとエミリアが咄嗟に抱き留める。

 ノゾミは顔面蒼白で脂汗を流しながら、しかし二人の支えを拒むように弱々しく首を振った。

 

「くっ……! 申しわけ、ありません……しかし、もう大丈夫です。なぜなら私は……」

「……はぁ……あのですね、ノゾミ先輩。今のノゾミ先輩は病人なんですから、相応の自覚を持ってください! 周りの人に迷惑をかけないよう無理をして強がっても、かえって心配をかけてしまうだけなんですから」

「しかし、私は……」

「……もしもノゾミ先輩がこの前のことに対する負い目で私たちに遠慮しているのだとしたら、それは今は不要なものです。私たちはノゾミ先輩を傷つけたいわけではないんですから……ノゾミ先輩に無理をさせたという罪悪感を私たちに抱かせることが、ノゾミ先輩のしたいことなんですか?」

 

 強めに言わなければ、また無茶をすると考えたのだろう。

 エミリアがいつになく厳しい口調で詰め寄ると、ノゾミは意表を突かれたように目を丸くさせた。

 それから暫し思い悩むように顔を俯かせると、観念したように肩の力を抜く。

 

「……そう、ですね。エミリアさんの、言う通りかもしれません……今は大人しく、横にならせていただくことにします……」

「はい。わかっていただけたならよかったです。とにかく、今は休んでください。体に活力がなければ、心も落ち込んだまま治ることはありませんから。逆も然りです。ノゾミ先輩に今もっとも必要なことは、休息ですよ」

 

 諭すように言い聞かせるエミリアの言葉に、ノゾミはこくりと頷くと再びベッドの上に戻った。

 それまで頑なだったノゾミが素直に言うことを聞いてくれたのは、彼女を説き伏せられるだけの理屈をエミリアが提示したからということもあるだろうが……きっと本当は本人にも、自分の体力が限界に近いという自覚があったからなのだろう。

 多少の睡眠が取れたことでいくらかマシになってはいるものの、やはりまだ顔色は優れず、見るからに衰弱しているのがわかる。

 

 エミリアは保健室の棚から紙コップを取ると、鞄から水筒を取り出してウーロン茶を注ぎ、それをノゾミの両手に慎重に握らせた。

 

「水分補給も欠かさないでください。体調が悪い時は特に脱水症状を引き起こしやすいですから」

「エミリアさん……はい。お気遣い感謝いたします……」

 

 紙コップを受け取ったノゾミは、こくこくとウーロン茶を喉奥に流し込んでいく。

 それだけでもかなり落ち着いたようで、ほぅ……とノゾミは安堵の息を吐いた。

 

「それで、ノゾミ先輩……体調が悪いのなら、無理にお答えしていただかなくても大丈夫ですけど……ホムラから少し事情をお聞きしましたが、私たちになにか伝えたいことがあったんですよね? そんな体を引きずってまで足を運んだということは、なにか緊急の案件なんでしょうか。まさか教団になにか新しい動きが……」

「いえ……緊急、というほどのことではありません。ご安心ください。教団に関することで、なにか問題が起きたわけではありませんから。体調についても、このまま話すぶんには問題はなさそうです。これに関しては、さきほどのような強がりではありません」

 

 ノゾミはそこで一呼吸置くと、真剣な表情を浮かべて言葉を続けた。

 

「今回私が無空さんたちのもとへと赴いた理由は、主に二つ……一つは、先日の件についての謝罪です。あれだけのことをしてしまったのですから、今更謝ったところで許してもらえるとも思っていませんが……」

「……謝罪、ね。それはホロエルが人の心を持たない邪悪な怪物だって言う認識を、あなたは改めたってこと? あれだけ露骨にホロエルのことを嫌っていたあなたが」

 

 エミリアとノゾミの話の最中、そう切り込んだのはマスターだった。

 険しい表情を浮かべ、睨みつけるようにノゾミを糾弾するマスターを前に、ノゾミは目を逸らさずに頷きを返した。

 

「はい。私は……間違っていました。大切な者を奪われた憎悪に心を囚われ、その鋭利な切っ先を心の優しい無実の女の子へと向けてしまった。なにもかもすべて自分が正しいのだと思い込み、他者の言葉に耳を傾けることをしなかった……憤怒に覆われた私の眼には、優しさや温もりと言った人として尊ぶべき感情がなに一つ見えていなかったのです」

「そんな口先だけの反省じゃ信用できない。その殊勝に見せかけた態度も、私たちを騙すための演技って可能性もある」

「無論わかっています……一度失った信頼は、そう簡単に取り戻すことができるものではないということは。ですが今の私には……皆さんに、ホロエルさんに……これ以上の誠意を見せることができないのです……」

「……」

 

 おや……おやおや?

 もしかして私、もう嫌われてない……?

 

「包み隠さず、私という人間のすべてを皆様にお話ししましょう。私が如何にして、あのような浅はかな行動に至ったのか……その顛末をご説明いたします。そのうえで、どのような罵詈雑言であろうと甘んじて受け入れる所存です。それが今の私にできる……最大限の償いです」

 

 固い声音でそう口にすると、ノゾミはマスターと私に向けて深々と頭を下げる。

 マスターはしばらくの間、そんな彼女の姿をじっと見据えていたが……やがて小さく息を吐くと、張り詰めていた空気を弛緩させるように視線を逸らした。

 

「……とりあえず、聞くだけ聞いてあげる。だから顔を上げて」

「無空さん……ありがとうございます」

 

 マスターに促され、ノゾミはゆっくりと面を上げる。

 二人のやり取りを見守っていたホムラとエミリアも、和解の兆しが見え始めたことに安堵するように胸を撫で下ろしていた。

 

「それでノゾミ先輩。もう一つの方の理由はなんでしょう?」

 

 再びエミリアが問いかけると、ノゾミは表情に暗い影を落としながら続けた。

 

「私が私自身の過去を話すことは、謝罪の意があることはもちろんですが……実はそれだけではないのです。もう一つの理由は……私がかつて相対し、敗北を喫した、教団に潜む強大な敵の存在をあなたたちに伝えるためです」

「強大な敵……? アリエルのことでしょうか?」

「アリエルではありません。かの者は、主たるデュエリストを持たないアリエルを守護する、ただ一人のデュエリスト……私のソウルハート・サーヴァントであるラフィエルが本来の力を失うに至った、直接的な原因にも当たる存在です。教団を構成する要であるアリエルがその拠点からほとんど出てこないことを鑑みれば……あるいは彼女こそが、対教団における最大の脅威と言っても過言ではないかもしれません」

「……最大の脅威……ノゾミ先輩がそこまで警戒するなんて……」

 

 エミリアがごくりと生唾を飲み込み、緊張を帯びた視線をノゾミに向ける。

 

「なんの対策もなしに彼女と相対することは危険と言うほかありません。あの時よりも遥かに成長した今の私でも……いえ。たとえ今の私を打ち破った無空さんとホロエルさんであったとしても、なんの情報もない初見では、彼女が振るう本物の黒い死神の鎌から逃れることはできないでしょう」

「……」

「ゆえに、いざという時に備え、早急に情報を伝えておく必要があると判断したのです。どうか心して聞いてください。黒死と呼ばれる凶悪なソウルハート・サーヴァントを従えた、決して侮ってはならない要注意人物……私がかつてこの耳で聞いた、かの者の名は――」

 

 コンコンコン、と。

 ノゾミの言葉を遮るように、保健室の扉が控えめに叩かれる音が響く。

 タイミングがタイミングだったこともあり、一同は水を打ったように静まり返り、全員の視線が扉の方へと集中した。

 

「失礼しまーす。こちらにお姉ちゃんはいらっしゃいますかー?」

「あれ? センカ?」

 

 ガラガラと戸が開かれ、その隙間からヒョコッと顔を出したのは、見慣れた小さな赤髪の少女だった。

 彼女は私たちの姿を目に留めると、プンプンと頬を膨らませながらこちらへやって来る。

 

「あー! やっぱりここにいた! 生徒会長の人がお姉ちゃんたちの教室で倒れたって聞いたから、もしかしたらって思ったけど……もーっ! お姉ちゃん、なにかあったならわたしにもメッセージ送って知らせてよね!」

「あはは……ごめんごめん。私もいろいろ慌てて忘れちゃってたからさ。許して、ね?」

「はぁ~、しょうがないなぁ。で? 生徒会長さんの容態はどうなの? 急に奇声上げて倒れたって聞いたけど……」

 

 なんとはなしにセンカが顔を向けると、ノゾミは穏やかに微笑みを返した。

 

「まだ頭は痛みますし、体も重いですが……そこまで深刻と言うわけではありません。わざわざご心配いただきありがとうございます、センカさん」

「別に心配したわけじゃないけど……あのね、生徒会長さん。この際だから言っておくけど、わたし、あなたがメイ様とホロエルちゃんに誠心誠意謝って、二人があなたのこと許すまで許すつもりないから」

「……ありがとうございます」

「は?」

「皆さんにも、あなたにも……恨まれて当然のことをしてしまったというのに。無空さんとホロエルさんが私のことを許すまで、と……こんな私に、あなたはまだ許そうとするだけの余地を残してくれるのですね……」

「……」

 

 今までにないほど殊勝な態度に、センカはポカンと口を開けて呆ける。

 そしてその後、隣にいる私へとスッと視線を移した。

 

「……ねえホロエルちゃん。もしかして洗脳した……?」

 

 してないよ!?

 っていうかできないからそんなこと! 私は悪い天使ではありません!

 

「あはは、冗談だよ冗談~。まーきちんと反省してくれてるなら、わたしからは特に言うことないかな。本当に心から反省してくれてるなら、だけどね」

 

 言いながら、センカは開かれたままだった保健室のドアの方をチラリと振り返った。

 

「そっちのドアの向こうに隠れてる人も入ってきたらどう? ねえ、イサネ先輩?」

「……ご無沙汰しております。皆様」

 

 センカの呼びかけに応じるようにして、気まずそうな様子のイサネがおずおずと姿を現す。

 謹慎中だという話に間違いはなかったらしく、制服を身につけておらず私服姿だ。

 おそらくはノゾミが倒れたという話を聞きつけて、慌ててここまでやって来たのだろう。

 額や首筋には汗が滲み、呼吸もわずかに乱れている。

 

「イサネ……」

「お嬢様! ご無事でしたか。よかった……」

「……ごめんなさい。また、心配をかけてしまいましたね」

 

 ベッドの上で上半身を起こしたノゾミのもとへと駆け寄ると、イサネはホッと胸を撫で下ろした。

 そしてその後すぐに私たちの方を見て、バツが悪そうに肩を縮こまらせる。

 

「……イサネ。偶然に恵まれ……どうやら私たちが謝罪を伝えるべき相手が、今ここに一堂に会しているようです。この機会に、あなたも自分の胸の内を彼女たちに打ち明けるといいでしょう」

「お嬢様……はい。わかりました」

「さあ。改めて、皆さんにお話しします。私の内にあった憤怒と憎悪の原点……私と記憶を失う前のイサネが、かつての教団で経験した出来事……そしてそこで私が目の当たりにした、邪なる黒き風の脅威を」

 

 ……ノゾミが語るのは、彼女の心に暗い影を落としてしまうほどの陰惨な記憶なのだろう。

 できることなら思い出したくない。震える唇を嚙み締めるその顔からは、そんな心の叫びが痛々しいほどに伝わってくるようだった。

 窓から差し込む午後の日差しが厚い雲に遮られ、室内が仄暗く翳る。

 ノゾミの細い指がシーツの端を掴み……やがて彼女の口から、ぽつぽつと過去の一幕が語られ始めた。

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