めでたしダンジョン〜昔話でわりを食う〜 作:南豊文哉
わくわく乗馬体験ヨイショ添え
時は2024年、夏。テレビで、SNSで、ポジティブな意味でもネガティブな意味でも盛り上がる五輪。数多ある競技の中、日本での知名度がかなり低い競技ににわかに注目が集まった。
およそ一世紀ぶりに日本がメダルを獲得したことで一気に耳目を集めたその競技の名は、馬術。
親と同居の悠々自適フリーターとしてクーラーの効いた部屋を満喫していた和彦は、テレビに映る日本代表らの姿にポカンと口を開けて見入る。
お馬さんすげー、という幼稚園児レベルの感想がその口から漏れた。和彦と共に居間でテレビを見ている両親も「すごいね」とゆるい感想を交わしている。
和彦が馬を間近で見たのはもう何年も前のことになる。よく行っていた八幡宮に白馬がいて、何度か人参を与えたりもしたという程度のものだ。
神馬の散歩の時間にかち合うことがなかったこともあり、和彦にとっての馬のイメージは厩にいるものだったのだが――柵を越え段差を下り颯爽と駆ける馬の姿はなんとも美しく、力強い。
枕にしていた座布団からおもむろに頭を上げ、スマホで「馬 イベント 大阪府」やら「馬と会う 大阪府」やらと検索する。そして乗馬クラブの行う体験乗馬なるものがあると知り、和彦はいそいそと居間を出て電話をかけた。二日後の平日に体験乗馬の予約を取る。
顔が見えない相手とはスラスラ話せる質だ。
和彦が居間に戻れば、テレビは今も馬術を延々と流している。
「明後日さ……馬乗ってくるわ」
「へー。いってらっしゃい。楽しんできてね」
母親は淡白な返事だったが、父親は興味をひかれたようだ。新聞から顔を上げて和彦に振り返る。
「ここらへんの乗馬クラブか?
「うんや、田原のはトンネル抜けんと行けんし行かん。田原じゃなくても乗馬クラブ案外あちこちあるみたいやし。枚方ぁ、守口ぃ、豊中ぁ……こっから行きにくいとこなら貝塚ぁとか羽曳野ぉとか他いろいろ」
「豊中。大きい市なのに乗馬クラブなんてあったんか」
「緑地あるやろ、あっこやあっこ」
「ほー」
――そんな会話からあっという間に日は過ぎて八月、体験乗馬当日。梅田で乗った地下鉄は御堂筋線からそのまま北大阪急行線に乗り入れ、降りた駅には電車グッズが並ぶ自販機があった。
ハンカチ、タオル、キーホルダー。大阪府の電車のグッズだから泉州製タオルなのかと思いきや、今治製だと書いてある。
「かなしみ……」
そう一言漏らして自販機を離れ、改札を通った。
改札の外は商業ビルの地下で、まっすぐ突っ切れば坂を上って地上に出る。地図アプリに指示されるまま直進したり右に曲がったりしつつ五分ちょっと――十分は歩いていない――で到着したのは、予想よりよほど大きな乗馬クラブだった。
単に駅に近いからという理由だけで選んだそこには木々が囲む広々とした馬場があり、二階建てのクラブハウスへの小道の横には竹林の小さなコースがある。
小道は大型車が一台ゆうゆうと通れるほどの幅で、「ポニー乗馬体験はこちら」と書かれている案内板などが立っており、そこを三十歩も歩けばクラブハウス前だ。受付は二階らしい。
踊り場のある階段を上ってガラス扉を二回潜った先、クラブハウスの中は雰囲気が落ち着いてゆったりとしている。金持ちのスポーツというイメージそのままと言おうか、誰もあくせくしていないし丸テーブルを囲む老若男女は一人も大声を上げたりしていない。人数が少ないこともあるだろうが。
体験乗馬受付と書かれたカウンターに人はおらず、クラブに所属している人向けだろう隣のカウンターにお揃いのポロシャツを着た職員が二人いた。
体験乗馬向けカウンター前に立ってそちらをチラ見したところ運良くすぐ気づいてもらえ、和彦は促されるまま椅子に座り体験乗馬のため手続きをとった。
「馬を驚かせないように」等々の諸注意DVDを見たあと、乗馬用の装備――ヘルメットにエアバックベスト、チャップス(※膝から下を覆うカバー。長靴を履かない代わりに付ける)――を貸し出されて身につける。手袋の貸出はない。和彦はいそいそとコンビニで買った軍手をはめた。
やる気満タンだ。
が、馬の準備なのかなんなのか、馬場がよく見える窓際の「乗馬体験者専用スペース」なる席に案内された。トイレに行ったりなんだりしつつ五分ほど待ったが誰も来る様子がない。
手持ち無沙汰で手に取ったのは、テーブルの上に並べられていた冊子やプリントだ。馬について書かれたパンフレットが二冊とクラブの七月八月の授業スケジュール、外乗しようという案内、その他。パンフレットによれば馬は速く走るため中指のつま先立ちに進化したのだそうで、残る指は劣化して消えてしまったらしい。
一冊20ページもなかったためすぐ読み終えてしまい、しかし授業スケジュールなど体験乗馬目的の彼が見ても無駄。和彦はとりあえず視線を窓の外に向け――速歩(馬の歩法の一つ)で駆る女性の姿が馬場にあるのを見た。
「だるそうやな……」
「単調で飽きました」と言いたげな姿に和彦は少々ばかり同情を覚えた。誰しもやりたくなくともやらねばならぬ時があるとは言え、きっとそれは今のあの場ではないだろう。
それからすぐ現れた指導員に連れられて入ったのは小道の隣、竹林の中にある小径で、その先に丸い馬場があった。馬場のすぐ側には見学者向けなのか椅子が二脚、プラスチック製の踏み台がその横にぽつねんと並んでいる。
蚊取り線香の煙が漂うそこで待てば……スタッフが大柄な馬を一頭引いてきた。馬名はモナルダという牝馬だ。馬体の色は鹿毛(赤褐色)で、額に白い楕円の星がある。両耳を覆う黒いカバーはまるで馬専用の帽子だ。
「どうぞ、撫でてみてください」
そう言われるまま和彦はモナルダの首を撫でた。体毛が短いためかショリショリとした感触だ。切り揃えられたたてがみにも触れたが、油っ気のない人の髪のような触り心地をしている。
間近で見つめた黒い瞳は泰然として見えた。
怪我防止のため、乗馬体験は丸馬場を並足でぐるぐる歩いて回るというものがほとんどだ。その体験中――つまり並足でぐるぐる歩く間ずっと、和彦は指導員から褒められ続けた。「体幹がしっかりしている」とか「座り方が良い」とか「体重移動が素人とは思えないほど適切」とか、ありとあらゆることで褒められた。
そのうち「呼吸していて偉い」とも褒められそうな、そんな勢いの称賛だった。
乗馬を体験するためにここへ来たのか、自己肯定感を上げてもらいにここへ来たのか。体験乗馬が終わる頃には和彦はスポーツに対する自信や自己肯定感を手に入れていた。くるくる踊り出したいほどにテンションも高かった……が、入会金その他諸費用でシワシワに萎む。
実家暮らしフリーターは数十万円をポンと出せる身分ではない。入会金、月会費、レッスン料、ベストなどの安全装備レンタル費――「通えるかこんなもん」と一瞬で諦めた。
いくら調子に乗ろうと、その場の勢いだけでウン十万円溶かす蛮勇ならぬ、蛮行には至らなかった……至ることができる金がなかったとも言う。
さてその翌日、深夜。和彦のバイト先は家から自転車で坂を下ること十分足らず、旧街道沿いにあるコンビニだ。そこでいわゆる深夜シフト――夜から早朝にかけてのシフト――に週四日ほど入っている。
暇を潰しているだけで金が貰える仕事だからと始めたバイトだが、始めてから二年過ぎた今は別の楽しみがある。
時々現れる不審人物「虚無僧」と会うことだ。
「あ、虚無僧さんいらっしゃいませー」
「星山さんおばんでーす」
「おばんでーす。さっきサンデェ並べましたよ」
「マ? やった、立ち読みしてエエ?」
「ダメ〜」
虚無僧という呼び名は彼の見た目による。彼は頭に虚無僧笠――ではなく鉢を被っており、顔が見えない。
店内をぐるっとくまなく一周しレジ台にサンデェやブリトーの入ったカゴを置きながら、虚無僧は言い出しづらそうに頭を――鉢を――揺すった。
「……いつも思うんやけどさ、サンデェの隣にゼクシー置くのやめへん?」
「いやそれは、ほら、同じサ行ですから」
「見るたび虚しい気分なるんやけどオレ」
「え、サンデェ読者ってみんなリア充じゃなかったんですか?」
「なんでそんな偏見持ったし」
虚無僧はどこからどう見ても不審人物だが、言動はごく普通の人のそれ。インパクトの強い見た目すら慣れてしまえば会話するのも苦ではない――人の顔を見て話すのが苦手な和彦にとってはむしろ気楽ですらある。
カゴの中身は全部で千円足らず。スマホのバーコードを読み取ればシャラーンと決済音が鳴った。
「……星山さんなんかエエことあったやろ」
「え、分かります?」
「分かる分かる。鼻歌歌ってた、今」
「マジすか、気づかなかった」
「どうせ他に客おらんしエエんちゃう? 人生長いんや、楽しんでかんとソンソン」
確かに、ブリトーの袋に小さくハサミを入れる音すら今は小気味よい。和彦は「実は……」と口を開く。
「数日前なんですけど、五輪で、総合馬術の日本代表が銅メダル取ったじゃないですか」
「え、ホンマ?……すまん、オレそういうニュース疎いねん」
「ホンマです。ほぼ一世紀ぶりの快挙だそうです」
「へーっ!」
虚無僧のリアクションは大げさで身振り手振りが多い。和彦が手渡したばかりのブリトーは虚無僧の感情に合わせて指揮棒のごとく振り回されている。
「そらエライコッチャ。え、ほんならアレか、星山さん馬が好きなんか。競馬とかそういうのする系?」
「いえ、全然。競馬で分かるのはディープだけですね」
「ほうなんか――まあ、言うてオレも分かる馬ディープと……なんや、ほら、ゴールド・エクスペリエンスやなくて、ゴールド……なんとかっておるやん、白い馬の。あれしか分からんねんけど」
「なんでしたっけね……」
馬に詳しくない者同士が馬の話をしたところで話が膨らむわけがなかった……と、思いきや、虚無僧のコミュニケーション能力の高さに救われる。
「そんで? テレビか何かでそのソーゴー馬術見たら、おもろかったん?」
「……え、あ、はい。馬がほんとに凄くて、馬に会いたいなと目茶苦茶思って」
「おう」
「昨日体験乗馬に行ってきました」
「マジか、行動力神やん」
和彦は語った。いかに体験乗馬が素晴らしかったかを――馬上での一挙手一投足全てを褒められる最高の体験を。
とにかく気分が良かった。あれだけ褒め殺しされて喜ばぬ者などいるわけもない、喜ばないのは天邪鬼だけだろう。
「エエやん。褒められまくりとか最高やないか」
「はい、ほんっとに最高でしたね……。虚無僧さんも一度行ってみてもいいんじゃないかと思いますよ。自己肯定感が爆上がりしますんで」
「ほーん……おおきに、そうしてみるわ」
他に客がいないとはいえ、虚無僧と和彦は客と店員。話し込んだ時間は十分もなく――「ほなまた」と手を上げて去る虚無僧に、和彦はいつもよりハキハキと「ありがとうございましたー」と声をかけたのだった。
(現実ではヨイショしてもらえません)