相棒枠に収まろうと思う   作:ラトソル

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ALO編、完!!


……え”

『無様だな……キリト君』

 

 焦点が合わない。

 心拍数の急増による警告がシステムメッセージから送られてきて、視界が赤く染まりいくつもの通知が飛び交う。

 

 吐き気を催す。

 何度も、何度も、何度も。けれど、私の胃の中に固形物はひとつもなくて、何も出ない気持ち悪さが喉に残り、涙が溢れるけれどそれに対して何も感じることは無い。

 

 チカチカと、視界が点滅している。

 聴覚は金属音のような、電子音のような耳鳴りが酷くて上手く作用してくれない。

 

『今までも消えていったプレイヤーを見てきただろう? それと比べるな、とは言わないがね……それにしても、というやつだよ』

 

 攻略組が何人も集まるこの空間で、私一人だけが世界に取り残されたような違和感と喪失感。

 団長が……茅場晶彦が何かを喋っているはずなのに、私はそれを言葉として認識できていない。その言葉がキリトくんに向けられているものだということだけは分かる。

 

 そして、レインくんが消えたという事実も、理解していた。

 

『これで終わってしまうのか。興醒めだが、まぁいい。新たな勇者が現れてくれることを願うばかりだ』

 

 心の中で荒れ狂う激情を表現する術を、今の私は持っていない。指一本動かす気力すらないのだから。いや、心の中でも荒れる余裕なんて無いのかもしれない。不思議と、自分のことが他人のように感じてきていた。

 

 私だけじゃない。キリトくんも、剣を手放して虚空を眺めている。それだけは見える。それがどれほど残酷なのか。

 

 団長らしき人物がキリトくんに近づく。ゆっくりと、私の細剣よりも少し太いくらいの神聖剣でもってキリトくんの胸に容赦なく突き刺していた。

 突き刺さった反動で僅かにキリトくんの体がよろめいたけれど、あとはあっさりと進んでいく。キリトくんは何も動くことなく、自身へと突きつけられた剣を受け入れていた。

 

『私の見込み違いか。いや』

 

 減っていく。パーティ登録をしているからこそ、左上に見える私のHPバーの下に表示されているキリトくんのHPが赤色になって、尚も減少を続けていく。

 その上に、あったはずのもう一人の名前が消えていることは分かっていた。

 

『────レイン君の見込み違いとでも言うべきか』

 

『────────ぁ、?』

 

「レイン君」、と。

 その名前だけが、私の耳に木霊した。

 

(ねぇ……どこに行ったの、レインくん)

 

 彼の消滅を目の前にして、それでもなお僅かにも無い可能性に縋って現実から目を逸らす。これほど滑稽な人間は居ないだろうと、我ながら思う。

 

『彼は言っていたよ。茅場晶彦を打ち倒す勇者の役を全うするのはキリトだ……とね。もっとも、今となっては無意味なものになった訳だが────実に無意味な時間だったな。彼はキミを過大評価していたようだ。そうそうに立ち去るといい』

 

『────だまれよ』

 

 キリトくんのHPバーがゼロに。それに伴って、キリトくんの名前も、カーソルもアバターも消えていくようにエフェクトが粉々になるような表現が起こる。それに対して、私は大して心動かされなかったのは既にレインくんが消えたことで心が壊れていたからか。

 

 けれど。

 

(────きみは立つんだね……立てるんだね、キリトくん)

 

 システムという絶対的存在に抗って、死を拒絶し立ち上がったキリトくん。

 団長は驚いたように目を見張り、思わずといったように武器から手を離し後ずさる。

 

 手放していた剣を一本手に取り、キリトくんは叫びながら団長に剣を突き刺す。そんな光景を、私は他人事のように眺めていた。

 

 ねぇ。

 

 死んだらキミに会えるのかな? 

 死んでもキミは許してくれるかな? 

 

 きっとキミは、なんで死んでるんだよ、なんて軽く小突いてくるんだろうね。そして私のことを気にすることなく前に進んで消えていくんだ。

 

 ────幸せになれよ、アスナ。

 

 ねぇ。

 

 なんでそんな残酷なこと言うの? 

 キミが居ない世界で幸せになんてなれないよ。

 生きろって言ってくれた方がまだ救いがあったよ。

 

『ァァァァあぁあああああああ!!!!』

 

『────それでいい』

 

 ああ、ゲームがクリアされた。

 その前に、私だけでも殺してくれないかな……? 

 

 現実世界に戻って、目覚めて、病院のベッドから起き上がって……それから、私は何をすればいいの? 

 

 キミに会いに行くことだけが、私の現実に帰りたい原動力になってしまっていたのに。

 ガソリンが入ってない車は走らないんだよ。そんなことよりもタチが悪い私は、廃棄されるしか使い道がないガラクタだ。

 

 ────ゲームがクリアされました。

 

 幸せになんて、絶対になれない。

 

 けれど、生きろとキミが望むのなら。

 

 私は、絶望して、泣き喚いて、立ち直れなくなっても生きるよ。

 

 

「……アスナに、触れるな……ッ!!!」

 

「ははは! なんだい、嫉妬かキリトくん?」

 

「────アスナに触れていいのは!!! ただ一人だけだ!!!」

 

 私は生きるよ。キミが望む限り。

 キミの温もりを忘れてしまうその日まで……そんな日は来ないって分かってるけど。だから、私は生き続けるよ。

 

「あ〜……明日奈。僕はねぇ、きみの生意気な視線が嫌いなんだ。その生意気な態度が苦渋に苛まれながら泣き喚くしかない醜態を望んでいたというのに……最初から壊れているなんてねぇ。その癖、僕が触れようとした時は一丁前に反抗して、気持ち悪かったよ」

 

 キミ以外に触れて欲しくなくて。キミだけに触れて欲しくて。

 

 私が望むものは全て消えていく。どうしてこの世はこんなにも残酷なんだと何度も枕に顔を埋めて叫んだ。

 

「あぐぅッッ!!」

 

「はははは! 痛いだろう? 僕はこの世界の神、痛覚の強化なんて造作もない! きみは明日奈と違ってちゃんと人間らしい顔をしてくれるから好ましく思うよ」

 

「す、ごう……!!!」

 

 キリトくんの顔が悲痛に歪む。私もキリトくんも、体に車がのしかかったような重力によって身動きが取れない。そんなキリトくんに須郷が大剣を突き刺す。見る者にも痛みを分け与えるような表情を見てしまって、私を救いに来てくれたキリトくんを傷付ける須郷が本当に憎らしい。

 

 彼がここに居ない現実が、何よりも悲しい。

 

「ふひっ、ヒヒャハハハハハハハ!! ハハハハハハハハハハッ!!!」

 

 笑う。唾を撒き散らしながら、須郷が笑い叫ぶ。

 己の勝利を欠片たりとも疑わない、実際に状況はあの男に優勢。ここからこちら側が挽回するのは不可能と言っても良かった。

 

 生を望まれたと解釈したから、生きることを選んだけれど。

 須郷の策略というのが癪に障るが、死ねるというのなら吝かではなかった。

 実際は強制的な婚約で、眠り続けるだけを強要されることになっても、死と言っても大差ないのだから別にいいのだと心の中で思ってしまっていた。

 

 けれど。

 

「あははははははははッ……あ?」

 

 ────ギンっ、と。

 

 異界になってしまった鳥籠の中に、鋭い何かが飛来して突き刺さる。

 小さく、細い頼りない姿の刀。鞘は存在せず、刀が剥き出しになった状態で突き刺さったそれは須郷と私達を隔てるように聳え立つ。

 

「────────────ぁ」

 

 薄桜色の、けれど少し暗い色の刀身。

 

 知っている。私たちはそれを知っている。

 

「な、なんだっ、これは!? こんなもの僕は呼び出してないぞ!?」

 

 ────システムコール。

 

 決して、彼の声ではなかった。

 男の声でも、女の声でもない。いわゆるAI、電子音が生み出した音の羅列に過ぎなかった。

 

 だけど、いつの間にか体にのしかかっていた重みの一切が消えていたこと……彼の香りが、仄かに感じただけで、私の瞳に光が宿る。

 

「誰だ!? なんなんだ、誰だこの声は!? 僕のっ、僕の世界でその言葉ッ、許していないぞ!?」

 

 ────エンハンス・アーマメント。

 

 嗚呼、ダメだ。

 

 諦めてしまっていたのに、希望を見せられてしまう。

 その希望に縋ってしまう。

 

 そんなはずないのだと分かっているのに。

 どうせ、期待を裏切られてしまうと分かってしまっているのに。

 

 ふわりと香る桜の香りと舞い散る花々が私を包み込む。

 彼の温もりを僅かに感じながら、涙が溢れるのを止めることなくその温もりを堪能し続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◈◈◈◈

 

 どうもどうも、雨宮零です。

 

 いや〜、静電気の季節ですね。ソファで寝て夜中に目覚めてトイレ行こうとしたらドアノブでバチコーン静電気来てビビりましたよ。

 

 てなわけで、現在真昼間。

 今日が恐らく須郷がキリトにボコボコにされる日ですね。

 

 腹いせにナイフ片手に病院に向かう糞ガキ須郷くん対策に警察を呼ぼうと思っていたら彰三さんがピックアップしてくれてました。パパ活こそ最強なのよ。ゲームの中だといえ、アスナと数週間同居してたとか聞いたらあの人どうするんだろね。言う気は全くないよ怖いから。

 

「我ながら気楽だねぇ」

 

 出番は夜中。と言っても俺がすることとかなんも無いし、目覚めるであろうアスナの顔を見に行くだけだ。処理は全部警察に任せるし。もっとも、須郷を捕らえる時は俺も同行するが。刃物所持者がいるってんだから呑気に高校生を出歩かせるなんて出来ないよね。そもそも10時以降だけど行けんのか俺? あ、彰三さんが病院で待機してる設定? じゃあ来いやこっち。

 

 須郷の協力者と言うべきか、汚職に手を染めているリストに載っている人物達は秘密裏に逮捕している。残っているのは須郷を含めて数名。海外へのルートも潰したそうだ。終わったね涙大好きさん。

 

 ……アスナに会うのか。

 

 なんとなくそう思ってしまった。意識が覚醒したてで、五感がさほど機能していないというタイミングだとしても、若干の気まずさがあるが会いたいのは会いたい。無事の確認って言うのが大部分か。それで言えば、ユイとも会って愛でたい気持ちが大きいが。

 

 もし俺の姿を、顔を見られたとしたら。

 俺にとってSAOのグラフィックは現実と遜色ない特別仕様ではあったが、通常のグラフィックがどれほどなのかは分からない。

 一目見て分かるのか、既視感を覚える程度なのか、全然違うのか。

 

 アスナは気付かないとしても、問題はその後に来るであろうキリトだ。花でも持って行って枕元に置いてそうそうに立ち去れば急いで病室に向かうキリトは俺の事なんて気にしないだろう。怖いからパーカー着て行こ。

 

 もっとも、病院へ向かうまではまだまだ時間がある。早めに行って待機しているにしてもだ。

 この家は無駄に広い癖に何も無いクソ仕様。じゃあ買えよって話ではあるが、買うの面倒臭いし、時間無かったし。ALOぐらいなら買ってもいいかもね。やるか知らんけど。

 

 手持ち無沙汰になった俺は唯一この家にあるパソコンへと向かう。適当に調べ物でもして時間を潰すか。気になることもある。

 

 ────バチッ。

 

「イッタ死ねっ!!!」

 

 何故か開いたままのパソコンを立ち上げようと適当な所を押そうとした瞬間電流が流れた。静電気ですね、はい。思わず誰に対してでもない悪態をついたが、静電気ってこんな感じだったっけ? なんか指先だけじゃなくて全身に流れた感覚なんだけど。ん〜? 漏電? だとしたら一大事だわ。と思いながら気にせずにパソコンに触れる。

 もう静電気は起こらないようで、問題なく開くことが出来た。

 

「まあ、調べたところでどうするって話ではあるけど」

 

 誰に向かって話してんの俺? と俯瞰して思うが気にしない。こういうところは独り言を話すのがお決まりというやつだ。

 

 調べ物自体はすぐに済んでしまった。まあ世間的に有名という訳では無いが、業界に限れば話題のものではあるからキーワードさえ入れればすぐに検索出来た。

 

 暇。超暇。

 

 いや違う。思考を変えよう。暇というのは幸せということだ。違うか? 違うか。

 

 よし。アミュスフィアを買おう。

 なんでそんな考えに至ったのかは知らない。暇すぎたんだ。思い立ったが吉日という言葉に従って、バイクに跨り近くの家電量販店へ出発。

 

 アミュスフィア自体は数台置いてたが、ALOは売り切れでした。人気だねぇ。ゲーム機だけ持ってるという馬鹿になってしまった。結構高かったけど俺の全財産は全く減らない。どうやったら使いきれんのこれ。

 

 

 そして何をするでもなくボケーッと過ごすこと十時間。長っ。

 

「あれか」

 

 病院から少し離れた位置で私服と制服に分かれた二人の警察官と合流。高校生である俺が依頼主という状況に全くの違和感を抱かずに俺の話を聞いてくれたこの人達はいい人ではあるがもっと疑う心を持った方がいいと一言伝えたい。

 

 病院の駐車場の陰で待つ。時間帯もあり、今から病院に入っていく車というのは少ないから割とすぐにわかる。

 待つこと十分ほど。黒塗りの一台の車が駐車場へと入ってきて、かなり乱雑な駐車を行った。

 

 遠くから見ていれば、出てきましたよ眼鏡をかけた不審者が。積もる勢いで降っている雪が全く似合わない血管が吹き出しそうな程に浮かんでいるオールバックの男はナイフを隠すことなく右手に持って車から降りた。

 

「あいつは馬鹿なのか?」

 

「コソコソしてるのが馬鹿らしくなりそうですが……アイツです」

 

 警察も呆れる秘匿感の無さ。僕刃物持ってマース! と主張するような佇まい、ニヤニヤと気持ち悪い顔が、いや全身が余すことなく不審者だった。

 

 二手に分かれる。正面に制服の警官、背後から忍び寄る私服警官と少し離れた位置に俺。

 取り押さえるのは造作もなかった。

 

「なっ……なんだ、お前達は!? 離せ!!」

 

「小悪党感が凄すぎて風邪引きそう」

 

 車のボンネットに身体を押えられ、ナイフを奪うと手錠をかける。ここまで五秒経ってない。プロの音〜ってか。こんな奴にアスナが攫われてたとか普通にムカつくな。なんだこいつ、もうちょっと悪党を全うしろよ三下。

 

「貴方の汚職、全てこちらで把握してますよ須郷信之」

 

「は──────?」

 

「結城彰三さんも、とっくに貴方の行ってきたものは全て把握している……逃げられると思うなよ」

 

 俺何にもしてないんですけどね。資料は茅場さんが、汚職を行った須郷達の逮捕、逃走ルートの阻止、その他もろもろは彰三さんが。俺何やった? アイツ不審者ですって警察に言っただけでは? 

 

 そして安全圏から須郷に向けて生意気に口を動かしてる。俺が小悪党かもしや? 

 

「き、きさッ……その、声!?」

 

「アイドルじゃねぇよ」

 

「そんなこと言ってないわッ!!!」

 

 なんだこいつ、意外とツッコミの才能あるじゃねぇの。キリトと競わせるか。

 

「まさかっ、あの時の声……お、お前かぁぁああああ!!!」

 

「はぁ?」

 

「糞ガキがぁ!! 僕のっ、僕の世界を奪い取りやがって!? 僕こそが神ッ、何人たりとも逆らうことの許されない至上の存在なんだァ!! それを、きさ、貴様ァ!!」

 

「神を自称する痛いやつ」

 

「精神科には」

 

「いえ。これが通常運転でしょう。あとは任せても?」

 

 警察も心配するレベルの思想。本気で言ってるから救いようがねぇな。んで、お前と会ったのこれが初めてだよ。声フェチか知らねぇけど誰かと重ねんなや。誰か知らねぇけど。

 

 ギャーギャーと。背後から聞こえてくる声はもう理解できない叫びでしか無くなっていた。

 警察に全てを任せ、俺は退散。本日最後の目的、病院の一室へと向かう。まじで俺一人行動許すとかあの警官やはり馬鹿か? 

 

 アスナの病室は行ったことないけど。まさかの彰三さんから教えて貰っている。もうちょい危機感強めろお前ら。須郷の例があるのに、キミなら信用出来る、とか何言ってんだ? パパ活またよろしくお願いします。

 

 雪が降っている。マフラーにも、ダウンにも、髪の毛にも積もって溶けることの無い白い塊を手で払う。雪は不思議と冷たく感じない。それよりもマフラーの外側の方が冷たく感じるのはなんなんだろうな。

 

 俺はゆっくりと歩いていく。入ったことの無い病院へ足を踏み入れる。何故か緊張しているのは雪や寒さによる筋肉の緊張だと思い込んで、誰もいない真っ暗なエントランスを抜けてエレベーターへと乗る。

 

 暗い、あまりにも暗い病棟。

 俺の踏み鳴らす一歩一歩が反響して、何重にも聞こえる共鳴が起こって。

 ゆっくりと、教えられた病室まで歩いていく。

 

『結城明日奈』と書かれた病室。ついにたどり着いてしまった。

 緊張はもう無くなっていて、躊躇うことなくドアを横へと開く。病室から廊下へと風が吹き出してきたのは病室内の窓が開いているからか。

 

 広い。個室にしても広いと言っていい空間に、真ん中を遮るようにカーテンが下ろされていて、それを抜ければアスナが居るのだろう。

 なんとも言えない感情が湧き上がってくるのを感じながら、俺は静かに、ゆっくりとその敷居を越えていく。

 

「────────────」

 

 目が合った。

 

 きっとまだ起きていないだろうと思いながら入った先で、ベッドの上で既に上体を起こしている状態で俺を見つめる少女の姿がそこに居た。

 

 SAOで見た時と変わらない顔立ちで。けれど少しやせ細ったような印象を受けるのは二年間何も食べずに栄養だけを点滴で補給していたからだろうか。

 

 寝顔を見るつもりが、起きていてしかもこっちを見つめていたことに驚いて、思わず喉がつっかえて変な声が出そうになったところでとどまる。

 アスナは俺の事を見ているけれど、どこかぼやけたような目の動きをしているからまだ俺の姿を認識できていないのだろうか。

 

 けれど。

 

「────────ぁ」

 

 声が漏れる。それは彼女の口から零れ落ちた、水滴のような小さなもので、喉もガラガラなのだろうと思うには十分すぎるほどに掠れた声だったけど、確かに俺の耳に届いた。

 

「ぁ、ぁぁああああ……」

 

 瞳が開かれる。筋肉なんてほとんどないような細々とした腕をゆっくりと動かして倒れるように前へと起き上がる。けれどやはり体を支えられる体幹も筋力もないからベッドから落ちそうになって、俺は左手に持った小さな贈り物を潰さないように配慮しながら慌てて駆け寄って体を支える。

 

 ふわりと香った彼女の香りは、やはりSAOの時と大差なく。

 懐かしいという表現があっているのかは不明だけど、そう思ってしまった彼女は俺の袖を弱々しく握る動作を見せながら添える。

 

「────すき、なの」

 

「は……?」

 

 掠れて、昼間なら外の喧騒で掻き消えそうな声は俺の耳に確かに届いて。

 その内容が理解が追いつかないもので、俺は思わずといったように声を漏らした。

 

「すき、すき……だい、すき────ッ」

 

 鼻をすする音。震える体。SAOで二度味わった彼女の一面。

 ほとんどの機能が弱っている中で、涙だけは彼女の瞳から止まることはなくて。それでも俺の顔を射抜く彼女の瞳は俺の瞳を見てきて涙の影響なのかは分からないけれど光が灯って輝いていた。

 

 縋るように、逃がさないように、囲むように。彼女は俺の身体に腕を回してくる。大した力は感じない、本当に添えるだけの、形だけと言ってもいいそれは彼女にとっては辛くしんどい動作だろう。だから俺は、困惑しながらもアスナの体を支えるように軽く抱き締める。

 

「レインくん……」

 

 俺の名前を確かに口にして、俺の顔を見つめながら彼女は叫ぶ。

 

 決して大きくなく、響くような声じゃないけど。

 伝えたい相手には聞こえる声量で、確かに叫ぶ。

 

「あなたを……愛して、います────」

 

「────」

 

 窓から吹き込む風が彼女の背を押すように、俺の身体へと倒れ込んできたアスナの体からはフッと力が抜けたように俺の体に回された腕も垂れ落ちて、流れる涙は止まらずに、けれどリズム正しい吐息が小さく聞こえてくる。

 

 キメ細かくて、毎日の十分な手入れが出来ていないとは思えない程、艶々とした彼女の肌にそっと触れて、拭くものなんてないから指で優しく涙を拭う。

 

 完全に脱力して、眠りにつくことが出来たアスナをゆっくりとベッドへと寝かせる。顔にかかった長い髪を掻き分けて、割れ物を触るように優しく彼女の頭をそっと撫でた。

 

「……ふぅ────」

 

 小さく、けれど深い息を吐く。精神統一をメインとして、アスナの柔らかい表情での寝顔を見つめて一息ついた。

 

 思い返す。眠るにしては寒いだろうから窓を閉めて、もう一度アスナを見つめて今起きたことをゆっくりと思い出して繰り返す。

 

 すき、好き……誰を……レイン君……レイン君? 誰? …………俺? 

 

 あいし……あいして……愛してる? likeじゃなくて、Love? 

 

「……すぅー」

 

 ………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………え”。

 

 すれ違った黒い少年に気づくことなく、俺は静かに最速で家へと帰った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 走る、走る。病院の駐車場でパトカーが止まっていたことを気にすることなく、俺は病院へと、アスナの病室へと走る。

 

 途中ですれ違ったパーカーで顔を隠していた誰かに少しの違和感を感じながら、俺は少しでも早くとアスナの無事を見るために走り続ける。

 

『ザ・シード……そしてもう一つ、キミに報酬を与えよう』

 

 須郷を倒した後、ALOからログアウトする前に出会った茅場の言葉を思い返しながら、それは後だと決めてアスナの病室の扉を開く。

 

「……アスナっ」

 

 小さく、願うような声を出しながら部屋へと入る。

 暖房がついている音がしているのに肌寒さを感じるのは窓が開いていたのだろうか。

 

 アスナはすぐに見つかった。

 見舞いに来た時と変わらずに眠り続ける彼女の姿。一瞬、まだ終わっていないのかと思ってしまったけれど、よく見てみればナーヴギアが外されてベッド横の小さな机に置かれていた。

 

 呼吸は一定のリズムで。悪夢を見続けているような険しい表情は無くて、安らかに眠っている彼女の目元は涙の跡が見えたけれど、それでもアスナが解放されたことがわかって俺は安堵からの息を吐き出した。

 

「良かった……やったよ、レイン────」

 

 今ここにはいない、どこにいるのかも分からない親友に向けての報告。

 意味があるのかないのかは分からないけれど、それでも俺は自己満足になるかもしれないけれど、小さく呟いて報告を完了する。

 

 肩の荷が降りた……そう表現していいのかは分からないけれど、俺もどこか開放されたような感覚を感じて、落ち着いてアスナの方を見て……気づく。

 

「────花?」

 

 花瓶に添えられた花とは違う。

 たった一輪だけの花がアスナの枕元へと置かれていた。

 

 花瓶の中には無い花。

 アスナが眠っているから病室に電気を灯すことは出来なくて、月明かりを頼りに見るには花に詳しくない俺では何の花なのかは分からない。

 

 後で調べてみて、分かった花の名前。

 誰が置いていったのか、元々あったのかは分からないその花は。

 

 

 ────フリージアと言うらしい。

 

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