「……キリトくん」
「ア……明日奈」
SAO事件の生還者。
その中でも学生生活を二年間奪われ、大きく出遅れてしまっていた学生を対象として設立された帰還者学校。
その、カフェテラス。
「あ〜……一応ここはリアルだからさ。苗字か名前で呼んでくれると助かる……って、何回目だろうな、このやり取り」
「あ……ごめんね、桐ケ谷くん。あっちの呼び方で慣れちゃってるから、つい」
「いや、周りに知らない奴は居ないし別にいいんだけど、さ」
学年の違う、二つ年上の明日奈の肩には俺が既存のカメラを調整したものが取り付けられていて、内蔵されたレンズが小さな機動音を鳴らして小刻みに動く。
「調子はどうだ、ユウキ?」
『……うんっ、バッチリだよ〜。ありがとねキリト』
小さな簡易的デバイスな為に音質まで高品質にすることは出来なかったけど、下手なスピーカーに比べればまだマシな音声で小さな女の子の声が聞こえてくる。
「……大丈夫?」
「ああ────ああ」
たった一言から汲み取れる意味合い。
何に対して、何を思って。俺の中で一瞬にして解釈されたその言葉。
控え目に声を掛けてきた明日奈に俺は問題無いと返事をするけれど、きっと納得はしていない。
あの日。
もう二ヶ月も前、もはや身体が勝手に動いていたとしか思えないほどの高揚と全能感に駆られ行ったレインとのデュエル。
あの叫び声が、ずっと鼓膜を揺らしている。
ふとした時に聞こえてくる声。もがき、苦しみ、唾を撒き散らしながらのたうち回る親友の姿。
あれではまるで……まるで────
『彼の五感は────』
……ふと、思い出した。
浮遊城の最期の日に、茅場晶彦から告げられた言葉を。
ほとんど聞こえず、記憶にも残らなかったそれらが今になって、一部蘇る。
思えば……いや、もっと前から気がついていたことだが。俺はレインについて何も知らない。
内心を打ち明けられたことなんてあっただろうか。リアルの住所を教えてもらったことはあっただろうか。リアルで会ったのはあの一回だけ。
どうしてソードスキルを使おうとしないのか、どうして初めからあれだけのレベルだったのか、どうして俺について来てくれたのか。
どうして、俺の心が折れる寸前で駆けつけられたのか。
どうして、ヒースクリフの正体を見破り、それを秘匿したのか。
浮かび上がっては消えることの無い『何故』。無限に湧き出てくる疑問達はその全てが無視することの出来ない重要な何かを秘めているように感じてしまっていて。
「『アリス』……『プロジェクト・アリシゼーション』」
「え?」
あいつが消える直前に俺に託した言葉と、菊岡への伝言として残された言葉。
関わりがないと思うことの出来ない類似した両者、しかし今まで触れたことの無い文字の羅列。
不思議の国のアリスがまっさきに思い浮かべられるか。しかし、そんなメルヘンチックなことを言いたい訳では無いのだろう。あいつは俺に、『アリスはお前を待ってる』と、『救え』、と言ってきた。実在する存在と思っていいだろう。
俺の交友関係は狭い。そんな名前の人物は仮想世界も含めて今まで出会ったことがない。何を救えというのか、プロジェクトとは何なのか。考えてしまってはキリがなく、派生して生まれてくる何故、何故、何故。
「……いや、違うな」
そうだ。そんなことは今どうでもいい。それは論点じゃない。
鮮明に思い出せる。
俺が切り飛ばした肩を押さえて蹲り、聞いた事のない絶叫をあげたレインの姿。
なぜ、とかは分からない。そこも論点とはズレている、すり替えている。
そもそも。
レインがああなってしまったのは何故だ? 誰があいつの腕を切り飛ばした?
……俺だ。
俺があいつを傷付けた。傷なんて言う生易しいものでは無い。現にもう二ヶ月間、あいつはALOにログインしていない。
次こそは、と。
レインが生きていたのを知った時は嬉しさとともに、罪滅ぼしの機会が訪れたことに歓喜した。
サチを救えなかった俺が。もう大切な存在を失いたくないと意気込んでなお手の届く距離で散っていった親友。
その取り返しのつかない失敗を挽回するチャンスをあいつは与えてくれていたのに。
だからだろう。俺には何も伝えずに、茅場だけに包み隠さず事情の全てを伝えていたのは。その内容は未だに一部すら把握出来ていなくて、再会してなお告げられることはなくて。
サチが死んだのも俺のせい。レインが散ったのも俺のせい。アスナが泣いて絶望したのも俺のせい。レインとアスナをまた離れ離れにさせてしまったのも俺のせい。
俺が、俺が、俺が……
「っ……」
真っ黒になった世界で、俺の右手を包み込む暖かな何かに意識を浮上させられて現状を確認すれば、いつの間にか俺の右手は力いっぱいに握り締められ振り上げた状態で、恐らく一秒しないうちに机を強打するために下ろされていた事だろう。
俺の行動を予見した明日奈が俺の拳を包み込んで止める。ハッとして顔を上げれば眉尻が下がった悲しみを含んだ瞳で俺を見下ろす彼女がいて。
「それは……ダメだよ」
「……………………ぁぁ」
俺の拳の緩みを感じ取ったのか、明日奈からの拘束から解き放たれた右手をゆっくりと机の上へと置く。
自分でも、思っていた以上に精神がやられていたらしい。こんな衝動に駆られてしまうのはいつぶり……いや、俺が両親の本当の子供では無いと知った時ですらこうはならなかったのに。
『……にいちゃんは、さ』
僅かな電子音的な訛りを含んだユウキの声が聞こえてくる。
『キリトのことを嫌いになることなんてないと思うんだ。短い時間しかボクはにいちゃんと過ごしてなかったけど……それでも分かるよ』
レインとは言わず。
にいちゃん、と。そう言うユウキはいつもの明るさとは違う空気を漂わせながら。
『にいちゃんは他人に興味が無いんだよ』
「……」
『スリーピングナイツでもそう……上手く取り繕ってるけど……この言い方ちょっとあれだなぁ。でもね、分かるんだ。にいちゃんはボク以外のメンバーとは一線引いてる、関わろうとしてないんだ』
「それは────」
視線誘導と連結したカメラが横へと揺れる。
『だからね。にいちゃんがあんなに表情を変える相手はキリトとアスナぐらいなんだよ。あんなに巫山戯たり、罵ったり、雑に扱ったり。けど、キリト達を見つめる瞳には確かな色が宿ってるから』
思い返せば、そうだ。
俺やアスナ、シリカやユイなど。SAOから関わってきていて長い時間を過ごしてきた相手と話すあいつは鮮やかな色を宿しているように見える表情の変化があって。
リズやスグには冗談は言うけれど、それ以上レインから話しかけることもないし接触しようともしていないのはきっとレインがあいつらに興味関心がないから。あくまでも、友達の友達、身内。それだけ。
そういった場面は思い返せば多々ある。なのに今までそれに気づけなかった俺の節穴さに笑いが込み上げてくると同時に、数週間に満たない時間しか過ごしていないユウキがそこまでレインの人物像を描けていることに驚きを隠せなかった。
またひとつ、俺はレインのことについて知れた。
たったひとつ。あいつを構成する全てのピースの中からひとつだけを汲み取れた。
それだけでも前進と言えるのか否か。
『ッ……』
「ユウキ? 大丈夫?」
『……ぅん。大丈夫だよアスナ────だからね、キリト。レインはきっとまた来てくれるんだ。また笑いながらいつも通りの顔してボクの頭を撫でてくれるんだよ! きっと、キリトは蹴り飛ばされるんだろうけどねっ』
「ああ────ああ、そうだな」
そこから二週間経過した今でもあいつはログインしてくる様子はない。
シノンが会っているという話は聞くから何か不幸があった訳では無いのはわかっている。心配ではあるが、ユウキの言葉に救われたために以前ほど気落ちすることはなくなった。
むしろ、戻ってきた時にどのような仕返しをしてやろうかと考えるほどだ。
そして、来てしまった。
運命の日。
避けることの出来ない悲劇。
けれど、俺とあいつの辿る道を決定付けるに至るターニングポイント。
「技の名前は……【マザーズ・ロザリオ】」
絶剣・ユウキの危篤。
突然の病状の悪化。けれど何も驚くことのない、以前から伝えられてしまっていたユウキの現状。
アスナから一斉送信されたメールに従い、俺たちはユウキと初めて出会った孤島へと全力で翔んだ。
「きっと……アスナを、守ってくれ、るから」
「ユウキ……」
力なく倒れ、アスナの膝に頭を乗せるユウキとそれを囲むように座り込むスリーピングナイツのメンバー。
そして、俺やリズ、シリカなどのメンツが集まる。
他にも、ユウキの現状を知ったALOのプレイヤー達が大群を引き連れてこの場へと向かっている頃だろう。
そして、シノンとレインはここには居ない。
(何やってるんだ……早く来いっ)
シノンからは返信が来ていた。けれどこの場に来ていないことに少しばかりの違和感を覚えるが、それよりもレインが来ていないことに焦燥のような気持ちに陥る。
兄と慕ったユウキの今際の際に、妹として関わっていたあいつが来ない道理がない。
何をしている、何を優先している。
今この場この瞬間以外に優先するような事態などあるか……あってたまるものか。
現実世界のレインの住所を知らない。連絡手段はメールだけ。だから俺は祈るしか出来ない。あいつがこの場に来てくれることを。
「────ぁぁ」
掠れたようなユウキの声が響く。もう周りには数え切れないプレイヤーが集まって頭を垂れていて、このゲーム始まって以来の快挙と言ってもいい事態が起こっているけれど。
「また……あたま、なでてほし……かったぁ────」
感情を抑える機能はなく、蛇口を開いたままのアスナの瞳から涙が止まらなくて。
それはスリーピングナイツも、シリカ達も例外ではなく。
ゲーム世界にも関わらず、これ程までに人の死に際を感じてしまう経験は初めてだ。
濃密な死の気配。もう指先に力を入れることさえ叶わないユウキの惨状に、しかし目を離してなるものかと一度強く目を瞑り開く。
「……は?」
そうして開かれた視界には今まで居なかった人物が当たり前のように鎮座していて。
全員の視線を一身に受けるその男は膝を立て、ユウキの髪を優しく撫でる。
「ぅ、ぁ……に、ぃ……」
「死にたくないよな、ユウキ」
「ぇ……え……?」
妖精国において、しかし唯一のヒューマンアバターの男、レインは真剣な目付きでユウキに問う。
「未練はあるだろう。アスナ達と過ごしたいだろ。折り返し地点にも立ってないんだからお前の人生まだまだこれからだよ」
「レイン、くん」
「────キリト」
こちらに視線も向けず、小さくも鋭い声色で俺へと声を掛けてくる。
背筋を悪寒が駆け抜けた。
「詩乃の家に行け、分かるだろ場所は」
「は……何言って」
「詩乃を頼む。馬鹿なことする前に止めてやってくれ」
質問をさせることすら許さない一方的な要求。
何がなんだか分からない……違う。分かりたくないからこそ、俺は直ぐに動くことなくこの場の行き着く末を見送る。
「に、ちゃ……ぃゃ……」
「どうせ死んでるんだしさ……奇跡ぐらい起こせよな、クソ神共が」
────システム・コール。
「は……?」
ユウキの瞳が揺れる。
途端に涙が零れだし、ふるふると顔が揺れるけれど力が入らないのかそれ以上は無くて。
────トランスファー・オール・ライフ。
止めなければならないと思った。
止めてはいけないと思った。
結果として身体は動かず、ただ呆然と手の届く距離から見つめるだけ。
幾何学模様が浮かび上がる。それはシステムの動きのようにも捉えることが出来て、しかし神秘的な光景のようにも思えて。
────セルフ・トゥ・レフト。
レインの身体が透き通っていく。
身体から浮かび上がっていく光の粒子。
知っている。その姿、そのエフェクトを……よく知っているから。
だから、それを知っている俺とアスナ、クライン、エギルは一様に……絶望する。
「う、ぁ……?」
「────人生、楽しめよな?」
ふわりと広がる桜色のエフェクト。
一気に拡散し、眩い光を放ったそれに俺たちは目を押え、風を腕で遮る。
回復してきた視界を広げれば、レインがいた場所にはたった一本の剣が突き刺さっているだけで。
「……なん、で────」
「ぇ、ぁ……ゆう、き……?」
今まで、体のどこにも力が入る様子のなかったユウキが震えながら弱々しく、しかし確実に体を動かして上体をあげて目の前に突き刺さる剣に触れる。
撫でるように、確かめるように……そうしてユウキは、またボロボロと涙を流して嗚咽を漏らす。
「レインの、刀なのに……なんで、ボクのっ……ボクに、所有権があるんだよ……ッ」
誰も、今起こったことの説明は出来なくて。確証も無くて。
ただ、ユウキの奇跡の復活だけしか分かっていなくて。
俺は逃げるように、それでいて立ち向かうように直ぐにログアウトして、詩乃の家へとバイクを走らせて向かった。
違和感はあった。
遠くの方から、救急車とパトカーのサイレンが近づいてきていた。それは俺の後方から、俺の進行方向へと向かってきていたから。
無限にも感じた10分弱。
部屋番までは分からなかったけれど、分かってしまったから。
防音性能が低いのが幸いしたのか、むしろ不幸を招きこんだのか……エンジン音すらかき消すほどの悲鳴が、高々に響く渡っていたから。
そして辿り着いた音源の部屋。
もう聞こえることの無くなった悲鳴。
俺は震えながら直ぐにドアノブを握り、鍵がかかっていないことを把握して直ぐに開き中に入る。
理解したくなかった。
奥の部屋だけが光を発していて、ドアは開いていたために玄関先からもはっきりとその惨状が見ることが出来たから。
一歩も、動けなかった。
その空間にいた誰もが動かなかった。
脳が理解を拒絶した。
俺を押しのけるようにして入っていった大人達の声が漠然と鼓膜を揺らす。どうやら一大事なようで、かなり騒がしいことになっていた。
────大変だなぁ、と思った。
知り合いの女子が座り込んでいた。何故だか、泣いているようで。誰かを抱きしめて動かない。
────ああ、邪魔をしてしまったのかもしれない。
少し、申し訳ない気持ちになった。
寝転んでいる男がいた。俺よりも少し年下ぐらいだろうか。ぐったりとしているその男は見た事がなかった。シノンの友達だろうか。
シノンの友達はあいつ以外知らなかったから、意外だなぁ、なんて思った。
シノンが男を抱き締めていた。
けれど、白い服を着た大人が何人か駆け寄っていって少しした後にそそくさとその身体を持ち上げて担架に乗せて運ぼうとしていた。どうやら何かがあったらしい。貧血でも起こしたのだろうか。
────俺も気をつけないとな、と思った。
しきりに、俺に誰かが声を掛けてくる。多数いる大人のひとりだ。何を言っているのかは分からないが、その声は酷く優しい。
体を引き込まれ、扉から離れる。そうして出来た道……俺の横を、担架を持った大人達が急ぎ足で駆けていって。
「────ぁ」
視界の端に写った、運ばれていく男の顔を見た瞬間。
俺はどうしてか、胃の中の全てを床へと撒き散らしてしまった。
なんだ? どうして俺はこんなにも強烈な吐き気に襲われている?
どうしてか。こんな光景、いつかにも見たような気がする。
いつだ、いつだ、いつ……
……ああ、そうか。
「あまみや、くん……」
似ても似つかない、髪色だって違うあの少女に重なる姿。
そこで、俺は……ストン、と。
納得して、腑に落ちて────笑ってしまった。
そうだ────俺はまた、間に合わなかったんだ。
遠ざかっていくサイレンと、未だ留まり続けるサイレンとの共鳴。
俺はただただ、壊れたブリキのおもちゃのようにケタケタと嗤い続けた。
マザーズロザリオ編、完
ハッピーエンドだね♡
幕間挟んでアンダーワールド行こうかな
え、オートロックの扉がなんで開いてたのかって?
某天才舌出しダブルピース「私です♡」
通報したのは誰だって?
某団長兼ラスボスウインクギャルピース「私です☆」
神聖術もどきの詠唱が本来のものとは異なっているのはレインくんが普通に覚えてなかったために意味合いを合わせたオリジナル詠唱だからです。
キリトが楽しそうに笑っていますが、イメージとしてはフォルトナ殺した後にパンドラに狂わされたペテルギウスみたいな感じ……デスね!!はははは!