明確に死を予感した。
この世界に来て初めてと言える、明確なダメージ。薄傷も戦闘中に負ったことは数える程度。十数年も前のことだ、どんなシチュエーションで誰から、なんてことも忘れるくらいのもの。
腕と脚を片方ずつ捻れ潰された。痛みを痛みと理解出来ないほどの苦痛。今も手足が痺れる。
目が覚めた時、死んだと思った。テラリア……リーファによる治療が無ければそうなっていたかもしれない。
死を見た。三途の川などと形容するような、霧がかった道を見た。
暗闇の中に浮かび上がる闇の道。辿れば楽になる……死ぬと感じた。
暖かな光に引き寄せられ、現実世界へと意識を戻した俺は立ち上がったけれど、それは強い意志によるものなんてことはない。
怖い。
死が怖い。痛みが怖い。あれをもう一度体験したくない。
この世界に来たばかりの俺なら、あるいは耐えられたかもしれない。『死』への認識が軽かったのかもしれない。
けれど、今の俺はダメだ。もうこの世界こそが俺にとっての現実となってしまった。俺が過ごす世界になった。
死ぬのが怖い。戦場が怖い。
なまじ比類する相手がいなかったために、危険に立ち会ったことがなかったために。
『……ごめ、ん』
それはきっと、本当の声じゃないのだろう。
システムの起動に伴う通知のようなもの。誰が倒れ、死の間際に立たされ、転送されたのかが分かったからこその、俺が作り出した幻聴なのだろう。
イーディス・シンセシス・テンという騎士の、弱々しい謝罪の声。
俺が作り出した幻聴であり、あの朗らかな女が言うはずのない言葉であり、妙にリアリティを有するもので。
立ち上がった。刀を取った。あの場へと向かった。
分かっていた。あの一瞬で。
ほとんど記憶もないほどの一瞬の蹂躙。圧倒的な力の差。アドすらも大きく上回る文字通りの絶対者。
星の王。世界の王。即ち、神のようなもの。
理由なんて知らない。目的なんて知らない。世界線なんて知らない。
なんて圧倒的な力。なんて理不尽。なんて、なんて、なんて……
────なんて、眩い輝きだろうか。
幻肢痛により震える手足。手に滲む汗。
恐怖を刻まれた肉体は、今だけは静かに天を見上げるばかりだった。
闇の蝶が、氷の鷲が、焔の獅子が。
ありとあらゆる色鮮やかな光が天を覆う。
見たことがある。見覚えがある。
それは、セントラル・カセドラルの最上階。この世界で最も天に近い地点。
最上階の灯りを全て消して、太陽が沈みきった時に見上げた夜空の星々の輝き。
儚くも尊く、弱くて力強い。
メラメラと燃え続ける、膨大な熱が込められた星の命を燃やす輝き。
目を、奪われた。
美しいと感じた。
綺麗だと感嘆した。
ああ、これは。
(────なんて、圧倒的な……)
「さぁ……戯れようか」
「────────ッ」
王の号令。
遠くで輝いているからこそ絶景だと言える星々の輝き。
それは、自分の元に向かって落ちてくるのだとしたら、それは希望の光から一転、絶望を呼ぶ焔の塊に他ならず。
(くっそ、反応が遅れたッッ)
生物を形取る光の一つ一つ。
そこに込められた力は、次元が違う。
他の整合騎士達が扱う神聖術。
生成するエレメントのひとつに込められたエネルギーに、そこまでの差は無い。
俺は他の奴らとは出力が違ったようだ。騎士の神聖術の二、三倍の出力を秘めたエレメントを数百数千規模で展開できる。ひとつで事足りる威力のものを、俺は複数個重ねて威力をさらに引き上げている。
だからこそ敗北はありえなかったのだが。
こいつは違う。
あれらを作り出しているのは、それぞれひとつのエレメント。
だと言うのに、あれは。
(二つで相殺……いやダメだ、念を入れて三つずつ)
「展開!!!」
言霊というのは、軽視出来るものじゃない。
無詠唱とはそれだけで相手の術師よりも先手を取れるアドバンテージを得ることが出来るものだ。
この世界に来た当初から、俺はその技能を使うことが出来た。それは俺がこの世界の常識に縛られていなかったがため。
手のひらにひとつ、指先にひとつ、足も使ってようやく二十。
そんな固定観念に囚われなかったが故に出来た、無制限無詠唱のノータイム生成。
通常……というより、この世界の存在にはそれだけで十分以上に事足りるものだったんだ。
媒介しなければ風素や火素を生み出す事は出来ない。そんなことは知ったことかと言わんばかりに、俺はあらゆる場所からエレメントを生み出すことができたから。
目視した時点で勝負はついている。それほどの実力差。
今は違う。
俺の首がまだ繋がっている奇跡。いつ死んでいてもおかしくない緊迫した状況。
星王が繰り出す異次元の神聖術。
この世界はイメージの世界だ。詠唱とは、今から行う動作の事前確認に他ならない。イメージさえ出来ていれば無詠唱が可能で、詠唱は無駄な動作だった。
けれど、より明確なイメージを浮かべるためにはそれ相応のものが必要となる。
世界に語りかける必要は無い。俺の中の想像をより強固にするために。
長くなくていい。短くていい。一言でいい。
それはトリガー。
神聖術の効力を数段上へと持っていくための儀式。
星王が生み出したエレメントの数倍。小さな小さな輝き達は、俺の背後に展開されるとすぐに収束。同じ色同士がふたつ、みっつと合わさっていき、多彩な剣を形取る。
「殲滅しろ」
明確なイメージを。
迫り来る大軍の全てを焼き払う焔を。薙ぎ払う暴風を。飲み込む津波を。
俺は号令を行うだけ。俺の軍隊と星王の眷属。そのぶつかり合い。
光瞬く。衝撃波が襲う。俺は心意による防壁と空間固定をより強く意識する。
風が質量を伴い形となって広がる。打ち上げ花火を真横から聞くかのような轟音。音とともに心臓が響く。
半身の痺れが薄まってくるのを感じる。ピクピクと痙攣したかのように動きはするものの、ここが戦場で、今際の際だと言うことを理解した脳が色々と頑張ってくれているのだろうか。
冷たい、熱い、明るい、暗い。
あらゆるエレメントの衝突。異なる属性の爆発。
一年間で移り変わる四季の全てが一気になだれ込んで来るかのような異常。
「再装填」
ひとつの戦争の結末とも言えるものを確認することなく、俺は更なる兵士達を生み出す。
今ぶつけた感触による最適化。ここからは過剰も不足も命取りになる。
形質の変更。軌道修正。水蒸気や土煙などの煙幕の奥から覗いてくる星王の神聖術。桁違いの練度のそれらは先程の数倍の規模。
俺にMP不足のような現象は生じ得ない。けれど過剰な火力により生じる二次被害による不利を取りたくない。
イメージは必要無い。意識するまでもない。
今までの数十年の研鑽。言霊に乗せる願い。
それで十分だから。
ただ命じる。俺のために死んでくれと、俺が生み出した多種多様なエレメント達に告げる。
「────星王の名のもとに告げる」
そんな俺の思いを口にするよりも早く。
星の王に至った男は、無慈悲な迄に宣告する。
「『剣を掲げろ』」
世界が揺れる。
決して大きくない星王の声。
俺と奴の神聖術の衝突音がとどまり続けるこの空間に、滑り込んでくるかのように星王は世界に命じた。
一瞬の静寂。爆音が轟音となって響くこの場において違和感でしかないそれを感じ取り、俺は目を見開く。
「……はぁ!?」
「凄いな……」
驚愕の声をあげる俺とは対称的に、星王は感嘆と言える息を吐く。
そんなのはどうでもいい。いやいや、おかしいだろ。
(俺の神聖術が半減……いや、もっとか!?)
三つ四つと重ねて生み出した眷属達。
俺の砲弾は、しかし風前の灯火のようにヒュルヒュルと輝きが薄れ小さき存在になる。
消えはしない。けれど明らかな弱体化。
「形を保てるのか」
「煽ってんのかこのクソチート!! ビーター! ゴキブリ野郎!!」
度が過ぎた力過ぎて逆に冷静になったわ。何あいつ強すぎね??
管理者権限か。アドから引き継いだ俺よりも上だなあれは。というか多分、外の奴らよりも。それはアドや俺もそうか。
いや、論点が少し違うか。管理者権限があいつに付与されてるのが可笑しい話だ。この世界で最高権力者はアドから受け継いだ俺だ。この世界に居ないはずの星王が、この世界の管理者権限を持つのがあまりにもイレギュラーが過ぎる。
未来であいつが最高位の権限を持っていたとしても、それはその世界、その時間軸での話だ。ここで適応されてるのは流石に依怙贔屓がすぎるだろ。
「ほら、頑張れ頑張れ」
「お前友達いた事ないだろジメジメ野郎ッ、が!!」
予定していた三倍の量を一つ一つにあてがわなければならず、新たに生み出すエレメント達は生成速度すら影響を受けていて撃ち漏らした神聖術に対して俺は走りながら避けられないものは刀で対処する。
短距離の転移を使えばいい話だが、あれらには自動追尾が付与されている。確実に落とすべきだ。
怪獣映画もびっくりな轟音が響く。大地が揺れ、鼓膜は止まることなく揺れ続ける。
そんな中で、星王の声は耳に入ってきた。
「親友が二人いた」
「対抗心燃やすなや!?」
表情が見えないんだよお前。なんでそんなに都合よく顔が見えない影が出来てんだよ。闇素か? 闇素を使ってわざわざご丁寧に隠してんのか??
親友が二人て。ユージオしか思い当たらないが、それだけを言ってくるあたり人間関係が貧相だということが伝わってくる。可哀想な奴だぜ。
俺の友達の数を聞いて驚け。えーっと……え、友達? 数えようとした指が動かねぇぞ。あ、イーディス!! 1!!! ぼっちじゃねぇか!!
「……というか、何が『剣を掲げろ』だ。どっちかって言うとバフかかりそうな文言でこっちのデバフ仕掛けてくるんじゃねぇよ!!」
話題を変えよう。悲しくなりそう。
イーディスの名前を出して、改めて思う。
致命傷を受けたのはベルさんとイーディス。二人は緊急プログラムでセントラル・カセドラルに転移させてディープフリーズも同時に行った。並行して、俺が注ぎ込んでおいた治療が始まるだろう。微弱なものだから数年かかるかもしれないが、死にはしない。
イーディスもベルさんも、あの短時間で負ける人ではない。それを成し遂げた星王は、こうして対面すれば改めてその次元の違いを思い知らされる。
神聖術ひとつとってもあのレベル。キリトやアリスの武装完全支配術を心意の壁で難なく防いだ俺が直撃を避けている。それは迷いから来るもの。
防ぎ切れないかもしれない。
そんな思考が僅かにでも生まれた時点で、アレは防ぐことは出来ない。心意とはそういうものだ。厨二病が最強になるこの世界で、星王はそのセオリーにしっかりと則ったバケモノというわけだ。
(勝てるビジョンが全く想像出来ない)
なら、目指すべきはそこでは無いのだろう。
相変わらず表情が見えづらい星王。あれから一歩たりとも動いていない星王は剣も取らず、神聖術のみで攻撃して来てる。
正直、あのクラスの攻撃を凌ぎ続けるのはしんどい。が、当たらなければどうということではない。だからまだ耐えている。
耐えては、いた。
「…………は?」
星の王という異名。その真髄。
それを理解するには、俺には実力が足りていなかったのかもしれない。
そんな俺の認識を強引に捻じ曲げるかのように、王は天に手をかざす。
それは、未知。
決して有り得てはならない事象。
パワーバランス何てものを一切考慮に入れていない、星王の手の内のひとつにすぎないのだろう。
「
ほんの僅か。
長めの前髪が靡き、暗い影が僅かに揺れて隙間から見えた星王の表情。
それはまさしく、闇そのものだった。
────星が墜ちる。
◈◈◈◈
走れ、奔れ。
飛行している現状で似合わない言葉。けれど、シノンは空を飛ぶ自身に向けて、胸の中でそう呟く。
変わらない荒廃した大地。赤黒い空。
飛竜に迫る速度での飛行を続けるシノンは、無意識の内に展開している心意の壁により空気抵抗を極限まで軽減させて速度を上げる。
地上と言うにはあまりにも高く、空と呼ぶには離れすぎている。そんな中間ほどの位置を飛び続けるシノンの視線は、常に前……という訳ではなかった。
「なんなのですか、この心意……」
震えるような少女の声。
それはシノンよりも下。正確には、シノンが抱えている騎士から発せられたもの。
シノンに掴まれ、空を飛ぶ少女、アリスは研ぎ澄まされた感覚が掴んだ爆心地とも言える巨大な心意の衝突を二箇所感知する。
ひとつは後方。
泥のように絡みつく嫌悪感が拭えない巨大な心意。それに立ち向かうようにぶつかる、暗くも暖かい同程度の心意。
激しく衝突する心意は、戦闘の余波は届かないまでも心意の波は届いていた。
キリト対ガブリエル。
この世界の行く末を決める最大級のマッチポンプ。
感じる心意は推定でも今のアリスの倍は下らない。
圧倒的だ。天上の決戦だ。
あの日。
カセドラルへ侵略した二人の少年。その力は並の騎士を上回り、上位の騎士にはやや劣る。そんなものだったはず。
実際、アリスは単騎で二人を相手取って優位に立てていた。片方が相手なら尚更だ。
目を見張るとはこの事。
長期間意思疎通も図れない状態だったことも加味してその事実に重みが増す。
息を呑む程の戦闘。どちらが勝つとも分からない、もはや底が測れない程に極限まで高められた心意の衝突。
そんな一戦が繰り広げられている方向と、真逆の方向へとアリスは顔を向けていた。
「……いえ。これは、心意と呼べるものなのですか────」
どす黒い。ガブリエルが放つそれとはまた別種にして別格。
呼吸すら許さないと言わんばかりの濃度。ただそこにいるだけで生物が、植物が、その命を枯らす程のナニか。
圧倒的という言葉も生温い。
別格という言葉も似合わない。
次元が違う所の話ではない。
アリスはそれを語れない。説明が出来ない。
ソレを分析できる技量に届いていない。
瞬きを忘れるアリスの上で、シノンもまた同じ方向を見つめ、静かに喉を鳴らす。
「あれが茅場の言ってた────」
彼女が思い出すのは、この世界へと降り立つ少し前のこと。
『【星王】?』
雨宮零の肉体に宿る茅場晶彦。
声は雨宮零のまま、その抑揚を人格のものとして彼は詩乃の疑問交じりの抑揚を含んだ返答に一言返す。
『星の王。約二百年間研ぎ澄まされた心意と技量。イレギュラーが起きるとすれば、彼の介入だ』
『大層な肩書きね。それで? 星王とやらが邪魔してくる根拠は? 理由でもあるわけ?』
『根拠は無い。確信はある。理由は……そうだな。極度のメンヘラとでも思ってくれて構わない』
『傍迷惑なメンヘラね』
零の声を使う茅場に目を細め嫌悪の意を示し、彼女は呆れたように息を吐く。
『どこの誰よ、理由も漠然としないし』
『二百年間アンダーワールドで過ごしたキリト君の成れの果てだ』
『……あの男は本当に余計なことしかしないの?』
『そう言ってやらないでくれたまえ。本来、君も彼のヒロインの一人だったのだから』
『気色悪い』
『それは私に向けて言っているだろう。目を見ればわかるよ』
『気色悪い』
『ははは。界隈ではご褒美だそうだ』
『気色悪い』
茅場が詩乃へ贈った情報。
語られたのは断片的で纏まりの無い『起』と『結』。
『────全てを間違え、全てに絶望した男の成れの果てさ』
詩乃は問う。
『どうしてそんなことを知ってるの』
事実かどうかは問題では無い。
前置きをしつつも、ほぼ確信を持って語る姿は先見の明という言葉も生ぬるい、もはや未来予知。
違和感なんて、彼の身体に他人が入り込んでいるという時点で拭いきれないのだと詩乃は思う。
『それを語ったところで意味など無い。互いにね』
何故、今そのやり取りを思い出したのか。
その意味を、シノンは理解するに至らず。
理解したところで何かが変わる訳でもない。
────最後に引き金を引くのは貴女よ。
ただ一言だけを告げてきた女神の言葉を、頭の片隅へと置き。
(雨宮くん)
ただ一人の男を想い、空を駆ける。
想像も絶する強敵。理解の範疇を超えた怪物。
分かっている。だから祈る。だから駆ける。
アスナはダメだった。もう願うことの出来る時間は潰えた。
ユウキとユイは遅かった。きっと間に合わない。
思い浮かべた三人の顔。総じて描かれたのは苦悩に満ちた表情。
「……っ」
一人を望み、一人を想い、一人を喪った者。
忘れることの出来なかった、思い出してしまった、無力な少女たち。
(違う)
浮かび上がってきた文字を撃ち抜く。
そんなことを思ってしまった自分自身を叱責するように唇を噛む。
アリスを掴む腕に力が入り、甲冑が擦れる音が僅かに響いた。
(アスナ達は大丈夫)
それは希望的な観測なのかもしれない。
それはなんとも杜撰な予想なのかもしれない。
それでも、シノンが求める終着点に行き着くためには。
(雨宮くんも大丈夫)
その考えに、首を横に振る。
それはダメだと即座に否定する。
なんのために自分はここに来たのか。何を成すために弓を、銃を手に取ったのか。
(私が、雨宮くんを救う)
駆ける。ただひたすらに。
それは逃走。しかして逃げでは無い。
アリスを送り届ける。それが彼女のゴールでは無い。それはあくまでも折り返し地点。
アリスを現実世界へと送り出し、その後のことをシノンは見ていた。
敗北を告げる弾丸の味。
「……やってやろうじゃない」
僅かな汗が流れるのを気にすること無く、シノンは無理にでも口角を上げる。
アリスにも聞こえないほどの呟きを落とし、速度を上げた。
果ての祭壇までの直線を一気に跳躍する。周囲の音が消えるほどの集中状態。
────星王の掌から抜け出すまで、あと……
そろそろ終わりが近づいてきたネ
誰が死ぬのやら。