『バベル』の作者、メイナード   作:ぶたたけ

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序 チャーリー・ゴードン・アルツハイマー・シンドローム

 1.

  「検査の結果、あなたはチャーリー症であることが分りました」

  ドクターは手を組み、神妙な面持ちで言った。

  病名を告げられたらきっとショックを受けるに違いない。

  そう思ってたのに、僕の心はやっぱりそうだった、と腑に落ちてる。

  嫌だという気持ちはあるのに。

 

  「チャーリー症についてはご存知だとは思いますが、医者には説明義務があります。チャーリー病の症状と治療法について改めて説明させて下さい。宜しいですか? ヴェスパー4、メイナード」

  僕が黙って頷くと、ドクターは僕のかかっている病について説明をし始めた。

 

  チャーリー症

  正式名称『チャーリー・ゴードン型アルツハイマー症候群』

  脳機能を拡張させた強化人間が高度な情報処理を随時、長期間行うことで脳細胞が損傷、

  脳の老廃物であるアミロイドβが排出されず蓄積されてしまう。

  端的に言うならば、強化人間だけがなる認知症だ。

 

  「チャーリー症は通常の認知症と同様に進行するにつれて記憶障害や行動障害、せん妄、幻覚の症状が出てきます。しかし、拡張した脳機能を記憶補助に使うことにより認知症の症状の発露はかなり抑えることができます。ただ、これは根本的治療ではなく対症療法です。病状発露は通常のアルツハイマーと比べて格段に抑えられますが進行していくことだけは覚えておいてください」

 

 

  病気があるとしても、今までのように生きられる。

  それは救いではあった。

  でも―

  「あの、ドクター」

  「なんでしょう、メイナード」

 

  ドクターが組んでいた手を緩めて、僕の方に身を乗り出し訊ねる。

 

  働くのが好きと言う訳じゃないけど、『言われたことをやれば褒めてもらえる』今の仕事は好きだ。

  考えることはスネイルがやってくれる。

  僕はスネイルが言ったことに従って動けばいい。

  自分で考えて行動するのが苦手な僕にとって、今の仕事は天職だ。

  ヴェスパーを辞めないといけなくなったら、僕は自分で決めて行動しないといけなくなる。

  それが怖い。

 

 

  「僕の仕事についてなんだけど……」

 

 

  ドクターは右の眉をピクりと上げる。

  そんなこと言わずともわかってるでしょう? ということらしい。

  ACに乗るために必要な身体機能自体がもう使えないのだから当たり前だ。

  受け入れるしか道がもう無いんだ。

  ドクターは乗り出した身体を元に戻し手を組み直す。それを見てまた、僕の心は消沈した。

 

 

  「これからの治療についてですが、月に1回指定の病院で定期検診を受けて病状の進行を確認するようにしてください。進行の段階によって外部補助デバイスの増設をしていきます。診断結果についてはヴェスパー2スネイルに報告しています。この後直ぐにデスクへ来るように、とのことです」

  診断は以上です、と多分ドクターは言ったと思う。

  僕は席を立つ。

 

  「診察ありがとうございました」

  そう口では言ったけども、内心はこれから起こることを思って憂鬱になってる。

  スネイルは僕に会ったらきっとこう言うに違いない。

  『お疲れ様でしたメイナード。あなたはクビです』

  僕は重い足を引きずって、診察室を出る。

 

  診察室からスネイルのデスクまでは ……12分。

  僕はため息をついて足を踏み出す。

  ACに乗れないのなら、せめて他の業務だけでも……。

  漠然と広がる砂漠を歩くよりは、そっちの方がマシだ。

  でも、スネイルは聞いてくれるだろうか? 

  考えれば考える程不安が積もっていく。

  不安の重りが辛くて歩くのも億劫になる。

  嫌なことは待ってくれない。

 

  2.

  同じ背丈のファイルと勲章が納められたラックの中央、メッシュ生地のエルゴノミクスチェアに座り、彼は待っていた。

  「来るのが遅過ぎますよメイナード。診断終了から16分もかかっています」

  スネイルはタブレットから目を離す事なく言った。

 

  「 診断が終わった時間も把握してるの?」

  「 当然です。時間は希少ですからね、特に私の時間は」

  デスクに置かれたニュートンのゆりかごが、カチカチと規則正しい音を立てている。

  神経質な弱者の砦。

  ホーキンスが彼のデスクのことをそう呼んでたのを思い出す。

  規則正しく振り子がぶつかる音が彼の刺々しい威圧感をより強くさせていた。

 

  「産業医から話は聞いています」

  「その事なんだけど……」

  「本日この時より貴方は除隊扱いになりました。寮にあった荷物は既に貴方の住居に配送済みです。異動先は追って連絡します。話は以上です。即刻ヴェスパー本部から退去するように」

  僕の話を遮って、話を終わらせたスネイルは手に持つタブレットを手早く操作した。

 

  「貴方のヴェスパー登録IDは削除しました。このまま居座るつもりなら侵入者として排除します」

  「……君は僕の話は聞いてくれないの?」

  取りつく島も無い。

  何も言わせてくれないスネイルに痺れが切れる。

  スネイルが初めて僕の目を見る。

  「ACも操縦できない犬の意見など聞く必要がありません。部外者は消えなさい」

  「でも……」

  呟いた瞬間スネイルが僕を睨んだ。

 

  最後通告だ。

  ここから離れるのは寂しい。

  でも、これ以上は居ちゃいけないみたいだ。

 

  「……わかったよ」

  カチカチと鳴るゆりかごの音に急かされて、僕はスネイルに背を向ける。

  出口のドアが自動で開く。

  部屋を出よう、思ったその時、僕は思い出した。

 

  ……ジャケット。

 

  会社支給のジャケットを着たままだ。

  これ、返さないといけないのかな? 

 

  「スネイル」

  「なんですかメイナード、これ以上貴方と話す必要は無いと言った筈です」

  「このジャケットなんだけど……もらっちゃダメかな?」

 

  彼がため息をつく。

  「……それくらいならば許可しましょう、お疲れ様でした、メイナード」

 メガネのブリッジに指を当てて呆れた顔をしているが、駄目というつもりは無いらしい。

  「今までありがとう、スネイル」

  僕はスネイルに頭を下げる。

  「貴方は無能の割にはそこそこ使える人間でしたよ」

  「それって褒めてくれてるのかな?」

  そう言った途端にスネイルの眉間の皺が深くなる。

 

  照れ隠しとうざったいから早く帰れ、多分そのどっちも。

  君は攻撃的で冷たいけど、ほんの数ミリの優しさは持ってるんだ。

  「じゃあね、スネイル」

  軽く彼に手を振る。

  彼は僕のことは見なかった。

  さようなら、スネイル。

  さようなら、ヴェスパー。

  心の中で唱えながら、デスクから出る。

  もう、2度と通ることはできないから、僕は出来る限りゆっくり廊下を歩いて外へと向かった。

 

  3.

  ヴェスパーに入ってから3回しか帰らなかった我が家。

  どこにあるかも思い出せなくて、ナビを使って家路に着く。

  通る道は全部知らない道だ。

 

  愛しくもない家に帰るのって寂しい。

  同じ規格で建てられた工場製の規格住宅の規則正しい配列の一つ一つが目に入る。

 

  家々は規律があるのに、僕はカオスだ。

  今まであったヴェスパーの肩書きも生活も、整列する家達の中には無い。

  規律を失った僕だけが此処にいる。

 

  ナビのアラーム音が鳴る。

  目的地に着いたみたいだ。

 

  ル・コルビジェのモダンデザインを何十回もリサイクルしたような白い四角の家。

  そんな無個性な家の前に白い封筒が一枚落ちていた。

  僕は封筒を手に取り宛名を見る。

  ヴェスパー本部からだ。

  僕は封を破いて、中身の紙を開いた。

 

  『定期診察の案内』

  指定された病院の住所が書かれた書類と紹介状が入っている。

  その他には何もない。

  手紙を片手に、スチール製の白いドアを開ける。

 

  暗い部屋の中には家具ほとんど無い。

  パイル材のテーブルと椅子。

  テレビ、冷蔵庫、それだけ。

  きっと寝室にはベッドしかない筈だ。

 

  ただいま、僕。

  おかえり、僕。

 

  見慣れない、冷たい家の中を横切って、僕は寝室を目指す。

  今からすること、寝ること。

  これからの予定、定期通院。

  それだけ。

  何もない未来が怖くて、ジャケットも脱がないまま僕はベッドに潜り込んだ。

 

  4.

  ヴェスパーから追い出されて2ヶ月が経った。

  寮にあった荷物も届いて、家も多少は僕の家らしくはなった。

  リビングにはソファーが増え、寝室には棚も増えた。

 

  ヴェスパーを追い出された後、ホーキンスから何度か手紙と贈り物が届いた。

  君が欲しがりそうなものを送るよと言って、ヴェスパーのロゴが入った支給品を送ってくれる。

  マグカップとか、トレーニングウェアとか、電子ノートとか。

  先日は支給品じゃなく、パキラの鉢をくれた。

  世話をするものがあった方が君の気分も楽だろう。

  そう言って送ってくれたものだ。

  彼は優しい。

 

  僕の未来は未だ砂漠のようだけども、彼のおかげで今をかろうじて消化できている。

 

  朝起きて、パキラに水をあげる。

  朝食を食べる。

  散歩をする。

  単調な生活。

 

  一体いつまで僕は耐えることができるだろうか。

  ふと頭にその問いが浮かんでしまって、泣きたくなる。

 

  今日も朝から憂鬱に身体をやられて、ソファーから動けない。

  動くだけで怖くなって天井をずっと見上げている。

  何もしていないのに苦しい。

  息も出来ない。

  目だけが恐怖で熱くなって、涙が溢れ出す。

 

  視界がぼやけていく中、着信通知のメッセージが網膜に映る。

  相手はスネイルだ。

  僕は慌ててソファーから起きて、涙を拭って通話に出る。

 

  「出るのが遅いですよメイナード。この私を待たせるとは愚鈍で使えない犬です」

  いつものようにスネイルは毒を吐いている。

  久しぶりに聞く罵倒がなんだか嬉しい。

 

  「久しぶりだね、スネイル。元気そうでよかったよ」

  「貴方も相変わらずズレていますね。まあいいでしょう、本題です。メイナード、本社より通達です。7月28日を以て、貴方に内部監査部門情報統括部への異動を命じます。連絡は以上です」

  「情報統括……もしかして、バベル?」

 

  そう聞いた時には既に通話は切れていた。

  着信画面が視界から消えて、ただの天井が目に映っている。

  『内部監査部門情報統括部』、アーキバス所有の情報全てを統括する知の門番。

  通称『バベルの図書館』

  異動したら最後、2度と図書館の外には出ることができないと聞いたことがある。

 

  なんて幸運なんだろう。

 僕は安堵に震えた。

  もう自由に怯えなくていいんだ。

  僕はまた泣いた。

 

 

 

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