放課後の教室で彼女は一人、窓の外を眺めている。夕焼けを見ているのだろうか。確かに教室から見える夕焼けは綺麗で、ただ眺めているだけでも時間潰しには充分過ぎる。
「教室から見える夕焼けは綺麗だと思いませんか?日影さん」
彼は外を眺めている彼女、日影に声をかけた。特に気の利いた返答を期待していた訳じゃない。何も話さずに用事を済ませて帰ることも出来たが、特に理由もなく、ただの気まぐれで声をかけた。
「これが綺麗なんか、ワシにはようわからん。ワシには感情っちゅうもんが無いからの……」
そう言い残して日影は鞄を持ち、そのまま教室から立ち去った。
出会いはそれが初めてという訳では無いが、彼と彼女が接点を持つのはそれが初めてだった。
日影は「色白」というには青い、青白い肌と鋭い黄色い瞳が特徴的で、まるで、蛇が女子高生になったような容姿をしている。そして、彼女曰く、自分には感情が無いそうだ。無いかどうかは別として、確かに感情の起伏は無い。喜んでいる所も悲しんでいる所も怒っている所も楽しんでいる所も全く見たことが無い。表情も感情が無いだけあって無表情だ。そんなこともあって、日影は校内でもちょっとした有名人だが、日影が有名なのは見た目や感情が無いということだけではない。その少し不気味な容姿から悪い噂も少なくないのだ。
そんな日影が接点のある生徒が数人いる。その一人は彼も所属する理研部の部長、春花だ。
「え?日影ちゃんのこと?」
彼は部活中に日影のことを春花に聞いてみた。内容としては本当に漠然とした内容で、春花も回答に困っているようだ。しかし、すぐに不敵な笑みを浮かべた。
「日影ちゃんのことを知りたいなんて、どういう風の吹き回し?」
「い、いや、ちょっと気になるっていうかなんというか……」
「へぇ~……どう気になるのかしら?」
春花は察したように茶化し始めている。
「茶化さないでくださいよ」
「うふふ♪つい面白くてね。
そうね……日影ちゃんのこと……私もよく知らないわ。馴染みではあるけど、お互いに昔のことを話したりはしないわ」
「そうですか……」
「ところで、日影ちゃんのどんな所が気になるの?」
春花は身を乗り出して、彼に詰め寄る。豊満な胸を強調するように胸の下で腕を組んだ。悪い人ではないのだが、人をからかうのが好きな人だ。
春花からの追及から何とか逃れた後の帰り道。夏が近づいてきて、その分日も長くなった。西の彼方で燃える夕焼けに照らされて、彼の影が地面に細長く伸びている。
彼は徒歩で10分くらい先にある駅に向かっていた。電車の時間まで充分に余裕がある。歩きながら彼はこの後の予定を考えるが、考える程の予定も浮かばず、駅に向かった。しかし、その歩みは三歩も歩かずに止まった。
「日影……さん?」
見慣れている登下校の道に見慣れないクラスメート、日影の姿があった。だが、日影は一人ではなく、周囲を同じ学校に通う数人の男に取り囲まれている。その男達は学校内でかなり有名な不良達だ。
「そんな人達と日影さんが?何で?」
日影にはいくつか悪い噂があることは知っている。その内容も。
彼は路地の入口に隠れて中を覗きこんだ。
「実は俺、前々からいい女だと思ってたんだよな……」
不良達のリーダーの嫌らしい眼差しが日影の頭から足までを舐め回す。餌を前にしたハイエナのように取り巻きも嫌らしい笑みを浮かべている。
一方の日影は相変わらず無表情で、嫌らしい視線を相手にしていない。本当に何も感じていないようだ。
「でも、コイツ、"パパ"がいるって噂も聞くぜ?」
「"パパ"とよろしくやってるってわけか」
取り巻きが嫌らしく笑う。
「そうか……でも、そんなオヤジなんかより、俺と付き合えよ」
不良達のリーダーは不良ということを除けば確かにカッコいい分類に入るだろう。多少強引で、危険な香りを漂わせ、それでいて強さも兼ね備えている。女子にはあるいは魅力的にも見えるかも知れない。
「話は終わったんか?」
「はっ?」
「この後、用事があるんや。電車の時間もあるし、話が終わったんなら帰らせてもらうわ」
それだけ言い残して日影は本当に立ち去ろうとした。しかし、取り巻きが行く手を遮った。リーダーはリーダーで、仲間の前で恥をかかされたことに腹を立てているのがわかるほど、歪んだ顔をしている。
「ナメた口聞きやがって……この、淫乱女が!!」
路地裏を覗きこんでいた彼はリーダーの言葉が頭に来た。この場面で飛び出すほど無謀で勇敢な質ではない彼は路地裏に飛び込み、日影の行く手を遮る取り巻きに体当たりした。
不意を突かれた取り巻きはリーダーにぶつかった。
「痛ってぇな!!誰だ、てめぇ!?」
何の考えもなく、飛び込んでしまった彼は頭が真っ白になりながらも、自分の目的はハッキリしていた。
「日影さん、逃げて!!」
「クソッ!!いつまで乗っかってるんだよ!?退け!!」
取り巻きは押し飛ばして、日影に手を伸ばすリーダー。その間に彼は立ち塞がった。
「退けよ……」
リーダーは威嚇するように睨み付けてきた。
「ど、退くわけ……な、ないじゃないか……」
「ぷっ……アハハハハ!!コイツ、ビビってやんの!!格好良く出てきたつもりだろうけど、身の程を弁えろ、バカ。アハハハハ!!」
「う、うるせえな、このバカ!!」
彼がビビっているのを嘲笑っていた不良達から笑みが消えた。緊張した空気が一気に冷えた。リーダーが無表情のまま彼に歩み寄ると、何の前触れもなく、何の躊躇いもなく、彼の左頬を殴った。よろめいた彼の胸ぐらを掴み、持ち上げるともう一度殴った。
「調子こいて、しゃしゃり出てんじゃねえよ」
無表情のままリーダーは彼の頬を殴った。殴るだけじゃなく、腹部に膝蹴りを入れる。よろめく彼を乱暴に持ち上げ、執拗に暴行を加える。
「ひ、日影……ざん……にげ……逃げて」
「お前ら、その女も逃がすな」
逃げる素振りを見せない日影を取り巻きが取り囲み、状況は振り出しに戻った。
「体を張って逃がそうとしたのに、残念だったな」
「う、うるふぁい、バカ」
「あ"あ"!?んだと!?もう一回言ってみろ!!」
「か、感情が……無いからって…………言って良いことと悪いことがあるだろ!!この、バカ野郎!!」
「っっっっ!!!!マジでぶっ殺してやる!!」
殺気すら感じるリーダーの拳が彼に迫った。しかし、その拳が彼に届くことは無かった。固く閉じた瞼を開くと白目を向いたリーダーが辛うじて立っていた。しかし、数秒後、ついに意識を失って彼と共に地面に倒れた。
「生きとるか?」
感情の籠っていない声がした。痛む体を庇いながら上を見上げると、さっきまで自分の後ろにいたはずの日影が自分の目の前、リーダーの背後に立っていた。さっきまで日影がいたはずの、路地の出入口の方を振り向けばリーダー同様に気絶する取り巻き。
「あんた、酷い怪我やで?」
「え、ああ、そ、そうですね」
確かに口の中は鉄っぽい味と酸っぱい味が混ざりあって気持ち悪い。殴られた所と蹴られた所はかなり痛む。
「立てるか?」
「た、たぶん…………あ、やっぱり無理です」
「こんなんなってまで助ける必要あらへんかったのに……」
「いや、その……居ても立ってもいられなくて……」
「感情っちゅうんは難儀なもんやな。ほら、立てるか?」
そう言って、日影は彼を抱き抱えて、立つのを手伝った。
「あ、ありがとうございます……」
立って、周囲を改めて確認すると不良達が完全に気絶している。
「あの、これって……」
「この事は他言無用や……それより、一旦、学校に戻って、手当てしてもらったほうがええんとちゃう?」
確かにこの怪我を放置しておくのは辛い。だが、学校に戻るのも大変な状態だった。
「ほな、学校行くで」
「え?日影さん、この後用事があるんじゃ?僕のことは気にせず行ってください。電車の時間もあるんですよね?」
「ええよ、急ぎやないし」
それ以上何も言えず、半ば強引に日影の肩を借りて学校に戻ることになる。
「せや、あんたの名前知らんかったわ。なんて言うん?」
「あ、陽(ヨウ)です。同じクラスの鈴木陽です」
その後、二人は、いや、陽は保健室の鈴音先生に怪我の治療をしてもらい、帰りは不良達が気絶している路地裏付近を通らないようにして帰路についた。
気絶していた不良達が仕返しに来るのでは無いかと、内心怯えていたが、不良達の仕返しはもちろん学校で目にすることも無くなった。噂では遂に逮捕されたんじゃないかと聞こえてきたが、事実はわからない。
「ひょっとしたら、心を入れ換えて可愛いお人形さんになったんじゃないかしら?」
「春花さんが言うと本当になってそうで恐いですよ……」
春花は冗談っぽく笑い、陽は苦笑いを返した。