梅雨が明け、月も変わった7月の最初の日曜日。陽は自転車に乗って、宛もなく走り回っていた。厳密には行きたい場所はあるのだが、いい場所が見つからない。
彼は今、読書出来る場所を探していた。読書なんて、図書館でも家でも学校でもどこでも出来るのだが、その日の気分で場所を変えるのが彼の流儀だ。流儀が大袈裟なら趣味だ。しかし、残念なことに昨日1日走り回って、いい場所が見付からず、今朝早くから再び自転車を漕いでいる。
「カフェ・MIYABIで~す」
客寄せに不馴れな震えた声で客寄せをしている褐色の少女が目に入った。カフェの制服だろうか。少女はメイド服を着て、腰まである長髪をポニーテールにしている。
陽は自転車を下りて、メイド少女に近づいた。
「カフェ・MIYABIで~……す」
変な"間"があった。どうやら向こうもこっちに見覚えがあるようだ。名前までは知らないが、二年生の後輩だ。陽の通う学校ではアルバイトは禁止されていない。おそらくメイド姿を見られたことに気まずさを覚えたのかも知れない。
「チ、チラシです……」
「あ、ありがとうございます」
「あ、あの、これは……だな……」
「大丈夫です。誰にも言いません」
少し安心した様子で褐色少女は客寄せを再開した。
陽はチラシに書かれている地図を頼りにカフェを目指した。
「メイド姿の少女が接客……デカ盛りメニュー多数……メイドカフェかな?」
そんなイメージをしていたが、たどり着いたカフェ・MIYABIはシックなデザインの落ち着いた店構えだ。いかがわしさや過度にピンクな感じは無い。
「ここにしよ」
店の前に自転車を止めて、陽は店の中に入った。
「いらっしゃいませ~」
聞き覚えのある声がした。出迎えたのはメイド姿の春花だ。
「あら~陽じゃない」
「春花さん、何でここに!?」
「何でってバイトよ。バイト」
確かにそれ以外でメイド姿をしている理由は無い。わからないのはバイトをしている理由だ。
「お客様、お好きな席にお座りくださ~い」
春花は陽を店の中に案内した。席にも付かずに立ち話は他の客に迷惑になる。
陽は日当たりの良い窓辺の席に座った。窓の外は人が行き交い、そう遠くない場所で車が走っているが、店内は静かで落ち着く雰囲気だ。チラシを見ると昼営業と夜営業の時間帯がある。どうやら夜はカフェからバーテンに変わるようだ。
「メニューやで」
気だるい関西弁が聞こえてきた。
「日影さんも!?」
「あんたか。焔さんに捕まったんか?」
「いや、捕まったというか見つけたというか……チラシを配ってたから気になって……」
失礼とは思いつつ、日影のメイド姿を上から下まで見てしまった。他の店員はメイド服だけだが、日影だけは猫耳とご丁寧に尻尾まで付いている。
「注文……どないする?」
「え?ああ……じゃあ、コーヒーでミルクと砂糖もお願いします」
「かしこまりました~」
日影はメモを取り、厨房へと向かった。心なしか、日影の言葉にトゲのようなものを感じた。
「まさかね……」
陽は鞄から本を取り出して、読書を始めた。最近、ネットで人気の仏麗という作家の文庫本が出たのだ。陽はネット小説が好きじゃない。本の重さや匂いを感じ、読み終わった時の達成感を感じたい。
左目に眼帯をした小柄な少女がコーヒーを乗せたお盆を持って現れた。小刻みに震えていて危なっかしい。
「こ、コーヒー……お持ち……しました」
テーブルにコーヒーを置く手も震えて、カップが音を立てていた。置き終わると安心した様子で笑顔を見せた。
「ごゆっくり……あ、それ……」
少女は陽の持つ本に視線を向けた。そして、何やら得意げな笑みを浮かべると鼻歌混じりに他の客の接客に向かった。立ち去る瞬間、胸の所にある名札が目に入った。名札には『ミライ』と書かれていた。
ミライという店員がコーヒーを置いてからどれくらい読書を続けただろうか。客は入れ替わり、陽が来店してからの客はもういない。
「お客様、間もなく昼営業のラストオーダーとなります」
金髪の店員が現れた。言葉遣いも丁寧で、ここで働いているのが不思議に思える気品がある店員だ。
「あ、もうそんな時間になったんですね。えっとじゃあ、チーズケーキお願いします」
「かしこまりました。コーヒーがすっかり冷めているようですが、お取り替えいたしましょうか?」
それに凄く気が利く性格のようだ。
「いえ。冷やしたコーヒーが好きなんです。だから、このままで」
「まあ、私が温めたもやしを冷まして食べるのと同じですね!!ああ、でも、もやしは炒めて良し。冷水で凍めても良し。温かいのも冷たいのも美味しいもやし!!ああ、なんて素敵なんでしょう!!ここで働いたお金を全てもやしに……」
「詠さん、お客さんが退いてるで」
「はっ!!失礼致しました。コホン……では、ご注文の確認を致します。チーズケーキをお一つでよろしいでしょうか?」
「は、はい……」
「かしこまりました」
金髪の店員は笑顔を見せて厨房へと向かった。
「堪忍や。悪い人ちゃうんやけど、詠さん、もやしが好き過ぎるんや。ワシにはあないになるまで何かを好きになるっちゅうんは、理解できんことやけど」
昼営業の時間を間近にして、店内にいる客は陽だけになっていた。
「ああ、うん……そうみたいだね」
陽は昼営業の片付けをする日影に対して苦笑いして見せた。どこぞのお嬢様と言っても差し支えの無い容姿と気品を持ち合わせているように見えるが、主婦の味方もやしに対しての情熱は異常とさえ思える。あのまま日影に助けられずにいたら、一体何時間もやしトークに付き合わされていただろうかと不安になる。
冷めたコーヒーに砂糖とミルクを入れて、味を確認しながらまた砂糖を加えた。
「お待ちどうさん」
「あ、ありがとうございます」
差し出されたチーズケーキには生クリームが乗っていた。コーヒーとチーズケーキを交互に食べ進め、会計を済ませて店を出た。
翌日。校内では客寄せをしていたポニーテールの女子生徒を見掛けたが、特に変わった様子もない。クラスに行けば、日影が窓辺の席で外を眺めている。
昨日、会計中に春花に話があると呼び止められ、MIYABIの前で少し待っていた。昼営業が終了した数分後、私服に着替えたMIYABIの店員達五人が現れた。客寄せをしていた焔。もやし好きの詠。眼帯の未来。馴染みの春花と日影の五人だ。
「話ってなんですか?」
「焦っちゃダメよ~。美少女五人に囲まれてるんだから」
陽はこういう状況だからこそ早く用件を済ませたい。
「あたし達があんな格好でバイトしていたのは内緒にしてくれるんだよな?」
焔が不安そうに訪ねてきた。
「はい。誰にも話しませんよ」
「そうか……なら、安心だな!!」
今までの不安そうな様子を一変させ、豪快に笑う焔。
「実は陽先輩にお願いしたいことがございます」
詠が丁寧な口調で話す。先輩という言葉の意味を知るのは、これより数日後、偶然校内で見掛けることで理解する。
「お願い?」
「もうすぐ夏休みだから、皆で海に行くの」
嬉しそうにしている未来は見た目のせいか子供っぽく見える。
「そんで、あんたにも"荷物番"として付いて来てほしいんよ」
日影が無表情に本題を突き付ける。蓋を開けて見ればどうということはない。都合の良い使い走りの依頼だった。
若干、他の四人が驚いた様子をしていた。それもそうだろう。四人は色仕掛けで"使い走り"ということに気付かれないように海への同行を頼むつもりだったのだから。
「荷物番……ですか……」
「もう日影ちゃんったら。でも、あなたにしか頼める人がいなくて……」
春花は困った様子を見せる。
「いや、いいですよ。どうせ夏休みに予定は無いですから……」
そして、今朝。陽と日影しかいない教室。
「日影さん、おはようございます」
「ああ、おはようさん」
朝の会話終了。
後に聞いた話によると、彼女達は海に行くための旅費と水着代を稼ぐために知り合いの店でアルバイトを始めたそうだ。
「あんたも変わりもんやね」
「え?」
「なんでもあらへん」
海水浴はちょうど一ヶ月後。