朝が来る前に小屋は全焼してしまった。もう燃える物が無くなると、火はそのまま自然消滅した。
幸い陽には怪我らしい怪我も無く、化物の襲撃から無事に生き延びた訳だが、今も生きた心地がしない。どちらかと言えば夢見心地だ。とにかく五人には心配かけないようにする必要がある。だが、寝袋は春花に返せる状態ではない。そのため、春花には事情を話さなくてはならないだろう。人を茶化したりすることはあるが、根は優しい人だ。火事だけでも大事なのに、化物の襲撃に遭ったなんて言えやしない。もっとも、後半は話しても信じてはもらえないだろう。
「なんて説明したらいいかな……?」
陽が気になるのは寝袋の説明だけではない。MURASAMEの二人が小屋を放火して、陽を殺そうとした理由。二人が化物になった理由。そして、陽を助けてくれた"彼女"の存在。夢見心地な頭ではどんな可能性も思い浮かばなかった。
春花には寝泊まりした小屋が小火で全焼してしまい、逃げる時に寝袋を置いてきてしまったと伝えた。案の定、怪我の心配をされたが、怪我が無いことを知ると安心していた。
「他の人には内緒にしてください」
「それはいいけど、本当に大丈夫なのよね?帰ったら無理しないで病院に行くのよ?」
「病院に行く必要はありませんよ。僕の両親は医者ですから」
「あら、そう?」
鈴木家は医者が多い家系で、一つの大きな総合病院を経営している。この事実は春花に明かすのは初めてだった。
帰りの電車の中で五人は相変わらず元気に笑い合い、お喋りやトランプをして遊んでいた。そこから離れた場所で陽は眠っていた。結局、昨夜は一睡も出来なかったのだから当然だ。火事の一件を知っているのは春花だけのはずのため、陽が熟睡している理由は春花しか知らないはず。陽の眠りを妨げないように五人は海に向かう時より、静かに過ごした。その中で日影は陽に背を向ける位置に座り、窓の外の景色を眺めていた。
「日影、どうかしたか?」
「なんもあらへんよ」
いつもと変わらない感情の籠っていない言葉で返事をする。
夏休みが明け、約一ヶ月ぶりに学校に活気が戻った。日焼けしたクラスメートもいれば、全く日焼けしていない人もいる。高校三年生の大半は既に部活動を引退して、来年からの進路に向けていろいろと準備をしている。中には夏休み中ずっと遊んでいた人もいるだろう。
陽は海水浴から帰ってきてから、極力外出を避けた。単純に出掛ける用事も無いのだが、いつどこでまた化物に襲われるかわからない。襲われた時、また"彼女"が助けてくれるとも限らない。正直、学校に来るのも抵抗があったが、陽が一人で野宿している所を襲撃されたため、恐らく学校や登下校中の襲撃は無いと考え、変わらず登校した訳だ。
陽は教室を見渡した。日影の姿を探してしまったが、日影の姿は無い。
同時刻。蛇総合病院の医院長室に日影の姿があった。
「今日から学校だったのに、すまないな」
「別に構わへん。それで、何の用や」
「日向の手術だが…………もう間もなく完了する」
日影は動揺を見せないように、この状況を何度も頭の中で思い描いていた。果たしてその効果があったのかどうかわからないが、手術の準備の知らせに心臓が高鳴るのを確かに感じた。
「その前に一仕事やってもらおうか」
脇から看護師が現れ、A4サイズの封筒を日影に手渡した。日影が封筒の中身を確認すると数枚の写真が出てきた。その写真には見慣れてしまった顔の男子が写っている。
陽だ。
「写真の彼が誰かわかるな?お前のクラスの鈴木陽だ。ソイツを誘拐して来い」
「日向の手術と何の関係があるんや?」
日影は道元の下で忍務を遂行して来たが、そのほとんどが日向に関わる忍務だ。だから、忍務の内容をとやかく追求することは無かった。それが忍としてあるべき姿でもある。しかし、日影は忍務の理由を問いただした。問いただしてしまった。
「鈴木総合病院はここいらでは、我が蛇総合病院と並ぶ大型病院だ。中でも新薬の開発には力を注いでいる。その技術力は残念ながら我々より勝っている。
そんな鈴木総合病院では、今、体を活性化させ、自然治癒力を増幅させる新薬の開発が行われている。その新薬が日向を治すのに必要不可欠なのだ。だが、新薬の奪取だけでは割に合わない。そこで新薬の開発、販売、使用の権利を譲ってもらおうと思ってね。その商談を有利に進めるために医院長である鈴木晴也(ハルナリ)の息子を誘拐するのだ」
日影は視線を写真の陽に向けた。
「ワシでええんか?」
「なに?」
「ワシはコイツを知っとる。お人好しなやつや。ワシやなくても、その忍務、出来るんとちゃうか?」
顔見知りの自分では私情を挟むのではないかという可能性は言わなかった。日影には感情が無いのだから。
「最後の写真を見たまえ」
日影は言われた通り最後の一枚を見た。そこには海で夕日を見る二人の姿が写っていた。
「お前達の関係に口出しはしない。だが、それを利用しない手は無い。最近、警戒心が強い小僧でも、顔見知りのお前なら小僧の警戒心も緩むだろう?それとも小僧に情でも沸いたか?」
「そんな訳あらへん。ワシには感情っちゅうもんが無いからな」
日影は写真を封筒に入れ、脇にいる看護師に返した。
「用事が済んだんなら帰るわ」
日影は道元に背を向けて、医院長から立ち去ろうとした。
「ああ、言いそびれる所だった。商談が上手く行ったら、小僧は殺せ。自殺に見せ掛けてな」
それにどんな意図があるかはわからないが、そこまでが忍務ならば日影はそこまで遂行しなくてはならない。
「そりゃちょうどええわ。アイツ見てると、なんやイライラしてたとこや」
日影は残酷な笑みを見せて、医院長室から出ていった。
日影はその足で日向の病室に向かった。
「あれ、日影?どないしたん?今日から学校やろ?」
「せやね。…………ちょっと呼び出されてたんや」
日向は一瞬表情を曇らせた。呼び出しと言えば、道元医院長の所だと言うことはすぐにわかる。呼び出された内容は忍務だろう。
「日影、ちょっとええか?」
日向は病室の入口に立つ日影に手招きをして、近くに呼び寄せた。日影も呼ばれるまま日向が横たわるベッドのそばに歩み寄り、丸椅子に座った。
「なんや?」
「ちょっと頭こっちに向けてくれんか?」
言われるまま日影は日向に頭を向けた。日向にどんな意図があるのかわからないままだったが、温かい感触が頭に触れた。一瞬驚くが、温かく懐かしいその感触を拒むことはしなかった。
日向が日影の頭を撫でていたのだ。
「ど、どないしたん?」
「昔はこうして、頭よう撫でたな思てね」
『出来るなら与えられた忍務を放棄してほしい。自分のことは忘れ、忍としての道を捨て、普通の少女として生きてもらいたい』とは言えなかった。日向は日影に忍の道で生きる術を教えてしまっている。日向には現状の責任がある。そんな日向がどの口でそんなことを言えるだろうか。とても言えない。
「日向……?」
「日影は……頭、撫でると嬉しそうになるな」
「そうなんか?」
「……せやで」
「日向、あんな。もうすぐ手術の準備が整うらしいねん。せやから、もう少し待ってや」
一方で日影は日向を助けるためならどんな忍務でも遂行してきた。今回もそれは変わらない。
日向を助け終わった後。日影は道元の手足として擦りきれるまで駒として使われることになる。きっと学校に戻ることもなく、春花達にももう会えず、助けた日向にも会えず、名前の如く影で生きていく。その覚悟は出来ている。
不意に陽の顔が脳裏を過る。今回の忍務では彼を誘拐し、準備が整い次第、彼を殺す。数々の忍務を遂行してきたが、人を殺せと命令されたのは初めてだ。躊躇せずに彼を殺す自分の姿を思い描いた。
「今度はワシが日向。助けるんや」
鮮血に染まる日影と横たわる血塗れの陽の姿をハッキリと思い描いた。