緊張感に欠けていた陽もさすがに危機感を感じた。陽は日影が化物を瞬く間に撃退させたのを知っている。あの容赦ない攻撃から察するに、日影は人を、陽を殺すのもなんの躊躇いも無いだろう。冗談を言っているようにも見えない。
陽は頭が真っ白になった。全身の血から熱が消える感覚に襲われる。
「そ、そのナイフ……自分で買ったんですか?」
沈黙が辛くて、陽は口を開いた。黙っていると恐怖に押し潰されそうだ。何か下らない話でもしていないと落ち着かない。
「これはな……日向のや。今はワシが使っとる」
手入れが充分に行き届いているナイフは芸術品のように美しく、あのナイフで心臓を刺されるかと思うと変に気持ちが高ぶった。
陽の体が恐怖で無駄に震える。
「日向さんも……悪忍?」
「せやな。昼間はアルバイトしとって、夜は忍務に出掛けとった」
「日影さんは日向さんから忍の技術を学んだ?」
「そうや。ワシが一人でも生きていけるように……」
断片的ではあるが、陽は日影に対して一つの結論を出した。
「…………日影さんって、優しいんですね」
日影の表情が曇った。陽の言葉の意味がわからないからだ。
「どういう意味や?」
「日影さんは日向さんのことが大好きで、だから、日向さんのことを助けたいんですよね?」
「…………あんたの言っとることは、ようわからん。ワシはただ日向を助けたいだけや」
陽には日影が日向を助けるという"目的だけ"を認識しているように思えた。その目的を抱き、その目的を達成するために行動している理由は本当にわからないようだ。日影が言う感情が無いというのは、つまり、"動機"となる感情なのかも知れない。
数分足らずの会話で、陽はそんなことを予想した。
「ワシも聞いてええか?」
「え?ええ……」
「あんた、まだワシのこと好いとるん?」
吊り橋効果という現象を陽は知っている。死ぬような恐怖を感じている時には心拍数が上がり、好きでもない異性のことが好きになってしまうという"勘違い"の類いの現象だ。今まさに陽は命の危険に曝され、心拍数はかなり多い状態で、吊り橋効果の最中にいるとも言える。だが、そんな勘違いに惑わされず、陽は日影を見つめた。
「好きです」
思えば、日影と初めて接点を持った放課後の教室で、陽は日影に対して既に恋していた。見た目や性格云々をすっ飛ばして、夕日を見る日影の姿に心を奪われていた。
「あんた……ほんまに変わりもんやね」
「なんでかな?こんな状況になってるのに、日影さんのことが嫌いになれないんだ。殺されるのは恐いけど、僕を殺そうとしてる日影さんは恐くないし……」
「感情っちゅうんは、ようわからんな……」
「本当です…………今度は僕が聞いてもいいですか?」
「なんやの?」
海での告白の答をちゃんと言葉にしてもらいたかった。でも、恐らく「ようわからん」で済まされてしまうだろう。
「日影さんの依頼主って…………蛇総合病院の医院長の道元っていう人?」
「そうや」
道元の噂は聞いたことがある。非合法な手段を使っての事業拡大。膨大な入院費と治療費を患者から巻き上げている。絶対的な需要がある医療を私欲を満たす道具としてしか見ていないような男らしい。その噂の一端に日影が関与しているのは間違いないだろう。
「道元のこと信頼しているの?」
「信頼なんかしてへん。互いに利用しとるんや」
日影は日向の治療と自分の生活の保証。その代わりとして道元の依頼の遂行。それが二人の間で取り交わされた利用関係。
日影の悪い噂に『"パパ"がいる』というものがある。強ち間違いという訳でも無いのかもしれない。ある意味、日影にとって道元は"パパ"みたいな存在とも言える。そこから妙な噂に発展したのだろう。だが、高校生が妄想するような"パパ"でも、父親的なパパでもない。依頼主と忍という表には出ない、闇の一面だ。
陽はそういった闇に疎い。表すら危ういのに、闇には無知と言っていいだろう。だからなのか、素朴な疑問が浮かんだ。
「それって、本当に利用しているって言えるの?」
「……なんやて?」
「なんか、利用されてるだけのような気がして……だって、日影さんが道元からの忍務を遂行して、道元は利益を得る。その利益の一部で日影さんの生活や日向さんの治療費、手術費が賄われてるんじゃないの?」
日影は陽の言葉に反応出来なかった。
「そ、そんな訳……」
日影は陽を否定しようとした。だが、日影が忍務でもたらした利益は一時的なものではなく、継続的な利益として道元の懐に貯まっているはずなのだ。日影には自分が利用されているだけという陽に対して反論出来なかった。
日影はナイフを持ち、陽に迫ると刃を首に押し当てた。今まで見たこと無いほど、日影は取り乱している。
「黙れ……」
「日影さん……」
首が切れない程度にナイフをさらに押し付ける。
「ほんまに……あんたを見てるとイライラするんや!!」
鋭い眼差しと普段の日影からは想像も出来ない程、感情が爆発した。無表情を剥ぎ、怒りを眉間に集中させるが、目からは焦りの涙が溢れている。自分の思い違いに気付きつつも、気付いた事実を認めたくないのだろう。
「あんたを見とるとなんや知らんけど、胸が苦しゅうなるし、ようわからんくてイライラするんや!!」
日影は今にも陽の首を切り裂く勢いだ。
「それとも何か!?あんたが日向を助けてくれるんか!?」
「それだ!!」
日影の一言に陽は閃いた。何も道元が経営する蛇総合病院で手術することにこだわる必要は無い。鈴木陽の親も大きな病院を経営しているのだ。しかも、最後に必要な新薬は鈴木家の病院にあるのだ。
「日向さんをウチの病院で手術するんだ!!そうすれば万事解決!!」
「はぁ!?あんた、本気か!?だいたい手術費はどないするんや!?」
「僕がお父さんに頼んで、なんとかしてもらう!!」
「そ、そんな話信じられるか!?」
「信じなくていい!!僕を利用すればいいんだ!!」
日影の顔から静かに感情が退いた。
「利用されとるってわかってて、利用されるんか?」
「利用されます。まあ、お金もなんとかなるんじゃないかな?」
日影はナイフを離し、鼻で笑った。
「詠さんが聞いたら怒るで?」
日影は陽の背後に回り、縄を解いた。気絶していた間にかなりキツく結ばれていたようで、陽の手首には縄の跡がすっかり残っていた。陽は強ばった体を伸ばした。日影もどこか清々しく微笑んでいる。
突然、日影は小型のナイフを倉庫の隅に投擲した。しかし、投擲したナイフは金属同士がぶつかる金属音と共に弾かれた。
「いけませんね、日影さん。道元様を裏切るおつもりですか?」
倉庫の隅の影から狐の面をかぶり、太刀を腰に帯びた忍が現れた。顔は見えないが、声から女性だとわかる。口振りから道元の手下だとわかる。
「海での一件は、まあ、見逃して差し上げましたけど、日影さん?返答次第ではただでは済みませんよ?貴女が助けたいと言っている日向さんも助けられませんよ?」
しかも、どうやら海での襲撃事件の実行犯のようだ。
「かまへん。もう道元を利用する…………いや、道元に利用されるんは終いや」
「……そうですか」
狐面の忍は指を鳴らした。その瞬間、倉庫に隠れていたのか、兎の面をかぶった忍が大勢現れた。手にはクナイやら小太刀やら物騒な刃物を装備している。
「裏切りには制裁が必要ですね」
「あんた、ワシに制裁すんのに下忍なんて……相手にならへん」
「……ふふふ……確かに貴女相手に下忍じゃ役不足でしょうけど、時間稼ぎくらいにはなりますよ?……殺れ!!」
狐面の忍の合図と共に下忍が一斉に襲い掛かってきた。その瞬間、狐面の忍は仮面を下で日影を嘲笑うような笑みを浮かべ、倉庫から消えた。狐面の忍の目的は日影を打倒することではなく、日影が最も大事にしているものを奪うことだった。悪人が用いる常套手段。
つまり、狙いは日向だ。
下忍は日向の所へ向かうための時間稼ぎで充分なのだ。しかも、下忍達は変に時間稼ぎするよりも、それぞれが格上の日影を仕留めるつもりでいる。加えて多勢に無勢では如何に実力差があろうと足止めは必須である。
日影はナイフを構え、臨戦体制を瞬時に取った。鋭い眼差しで周囲を見渡し、瞬時に敵の数を把握し、最短で敵を無力化しようとした。しかし、攻撃しようとした瞬間、倉庫の天井を突き破って誰かが現れた。頭に大きなピンク色のリボンを結び、目のやり場に困るレオタードのような服を着た女性。頭上にはボールに腕が生えたような機械が浮かんでいる。
突然の乱入者に下忍の動きが止まった。
「あらあら……なんて下品なお人形さん達なのかしら?でも、私に任せて。皆私の可愛いお人形さんにしてあげる」
妙な色気を振り撒く彼女を陽は知っている。
「は、春花さん!?」