私達は思い違いをしていたのかもしれない。
産まれる人間にとって父親はいないも同然の存在である。
人工授精により産まれた女性は母親しか知らず、父親という存在を知るのはもっと大きくなってから。
女同士で付き合う事はあれど、男女2人で家族になるということはない。
各国につき数ヶ所に集められた施設で集団生活をしている男にとって女性は性的搾取をするような存在と認識されているのは、誰も口にしないだけで気づいている。
だからこそ目の前で涙を流した少年が異常だということに気づいていた。
スウェン・ケイ。大富豪であるケイ家の末っ子
産まれた時から親であるスライが大金をはたいて人権を購入してケイ家所有の敷地内から出した事がない箱入り息子である。
周りも普通の男では満足できない性癖異常者を集め、娘の調教、もとい教育もなんとかして精通するまでは普通に接するようになっていた。
ただの世間知らずだからこそ普通に接してくれるスウェンがどこまでも愛おしかった。
精通するタイミングがちょっとアレであったが精力も恐ろしく高く、尚且つ好意的に見られている節もあるので性格に大きな歪みもない。
…………いや、だいぶん歪んでいる。性癖異常者のメイド達並みに歪んだ常識を持ち合わせている。
それが顕著に出ているのが、彼の作るゲームである。
『悪霊の館』、まず男が声を当てるというゲーム自体が珍しい時期に配信されたホラーゲームだ。
最初からホラーゲームを作る精神もおかしいが、常識的に考えて悲鳴を自分でつける必要もない。
しかし、スウェンは3人分の声を当てた。全く違う声質で。
人智を超えた才能があるのが最初に知れてよかった。
その後にも声こそ当ててないが真エンディングを見て後味が物凄く悪くなる『めざましの刻』というのも開発して発想力も異次元だとすぐに理解できた。
そして、『デッド・セレクション〜愛するのは君だけだ〜』。
このゲームは多くの女性の日常に存在している。擬似恋人のようにたくさんの台詞を組み込み、尚且つ他の2人も攻略までキューリューというキャラを一度消さないといけないという壁があるもののしっかりと声もついている。
甘ったるい乙女ゲーは何度も見たことはある。だが、これだけはあまりにも異質だった。
常人では作りえないキャラ設定。少なくとも生きていた中で見たことがない男性を作り上げてきたのだ。
改めて考えてみると、女性の性格を男性の身体に当てはめたものではないかと冷静になった今では思うのだが、それを演じきれるスウェンは明らかにおかしかった。
当然知っているようなものだった。当たり前だと思っているような演じ方だった。
明らかに常識が違うということを感じ取れてしまった。
そして納得もしてしまった。
あれだけ子作りしても見捨ててくれないスウェンは、別の生物なのかもしれないと。
普通は女性が36人がいる館で1人だけ可愛がられるなど正気を保てるはずがない。
女に犯され続けて壊れた男を何人も見てきたことがあるからこそ、最初から壊れているのではないかという考えで納得した。
納得してしまったのだ。
愛しい子供として、愛人として、一つの性として愛することを決めた。
もうどうなってもいいと、悪魔だろうとなんだっていい。
愛してくれるのだから、それでいい。
思考放棄した爛れた日常がずっと続く、そう思っていた。
「よしよし…………僕がパパだよ」
腕の中で我が子をあやすスウェンは泣いていた。
それは悲しみの涙ではなく、笑いながら愛おしそうにうれし泣きしていた。
何故泣いているのか?どんな感情なのか?
初めての子供が女の子だった時は落胆はあったものの嬉しいという気持ちはあった。
初めての我が子はどうしても愛おしくなり、後から子が産まれたら若干うっとおしくなる時期もある。
それでも愛する子供なのだ。
そう、子供なのだ。
スウェンは今日で14歳になった子供なのだ。
18歳で子供を授かった時でも嬉しかったのに、14歳の情緒が安定しているようで不安定な子供が自分の子供を抱っこするのはどういう気分なのか。
スウェンという少年は滅多に泣かない。親でもビビるくらいのスプラッタなホラー映画を見ても一切動じず興味深そうに見ているくらいに精神が熟成していると言っても過言ではない。
涙を見せたのは産まれた時と赤子の頃に乳をねだる時とおもらしした時とプレゼントがたくさんもらえた時だ。
ただ、年齢を重ねるごとに
いや、勝手にそう思い込んでいただけだ。
奇天烈なゲームを生み出すスウェンも人間なのだ。大きく、ちょっとズレているだけで人間なんだ。
「おぎゃっ!おぎゃあっ!」
「あわわわわ、よしよし」
泣いてる赤子を必死にあやす姿はどこか拙く、自身の体ごと揺らして宥めようとしている。
それでも泣き止まない赤子に困った顔を見せていた。
ああ、間違ってたんだな。私の子供はちゃんと子供なんだ。
才能が卓越してきただけでまだ子供なのだ。
大量のプレゼントで涙ぐんでいたあの頃とはもう違う。
「こういうときは、こうあやすのよ」
4人の子を育てた私が『孫』を抱く。
不用意に揺らすのではなく、ゆったり、身体を押し付けながら安心感を与えるように。
手慣れたものだ。長女から三女までこのようにあやして泣き止ませたのだから。今となっては鉄拳でしか泣き止まない事が多くなったが。
ほへー、と感心の声を上げるスウェン。涙を流した跡はまだ消していない。
「次からはこうやるのよ」
今まで抱いてきた男性はこんな気持ちになるのだろうか?自分の子供と真摯に向き合うのだろうか?
人工授精というほとんど関わらないうちに自分の子が生まれる男性の事を少しだけ思った。
過去に金で何日か買った男を抱いた事もある。残念ながらその時は子供はできなかったが、それらの男が帰る前には疲弊した顔で、もう二度と来たくないという雰囲気を纏っていた。
私は、私達は何か間違っていたのだろうか?
そのような後悔が背筋を伝う。
このような幸せも彼らにあったのだろうか?既に色々とやってしまった身ではどうしようもない。
だから、せめてこれからは少しでも大切にするべきなのではないか?
だって、スウェンが泣いて喜んだのだから。
「…………お母さんも頑張るわよ」
「へ?何を?」
あと6人は頑張ろう。スウェンが泣いて喜ぶ顔を見られるなら、年齢など関係ない。
私はそう思い、もうすぐ宿る命のことを考え始めた。
今日はまた長い1日になりそうね。
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