突然だが、進撃の巨人の目玉武器とは、何か? そう立体機動装置である。壁内人類が巨人のうなじを削ぐために開発した夢の兵器。元3次元の住人であったマキマにとって、どれくらいクールでイカしたこの装置を、扱ってみたかったか、わざわざ語る必要はないだろう。そして憲兵団に行くことをめざす今のマキマにとってもこの立体機動装置を上手く使えるかどうかはとても大事なことである。今日はその立体機動装置の初めての使用が、訓練兵たちに許可される日なのだ。
「おい、いよいよ立体機動か! 俺が鳥になる瞬間、お前らちゃんと見ておけよ」
イアンが興奮して言う。
「手汗がすごい、緊張するよ....」
ミタビは年齢の割に老けている顔に涙を浮かべている。
「ミタビ、そう心配するな。親父たちが出来たなら、私たちにも出来るはずだ。少しはイアンの楽観さを見習らえ」
心配性なミタビと楽観的なイアンを同時に窘めるように言うのはリコだ。そうして三者のいつもながらの様子を背景に、冷静そうに目を細める赤髪の兵士が側にいる。
「そう、君たちは
マキマがミタビの不安を一蹴して、自分の不安を吐露する。いつも飄々としているマキマだが少し表情に影があるような感じだ。
なんとも珍しいことである。そんな明日は雪でも降るんじゃないかと、かくも言うがの如しのマキマ。リコはまだ短い付き合いであるが、この赤い友人の振舞いはいつも完璧であると感じている。何事も、余裕に、冷静に、万全に、物事をこなすのが彼女なのだ。誰も文句がつけられないほどのパーフェクト。……だがそれは誰かに弱みを見せるのを嫌うのだろう彼女が、ふと零してしまった弱気。リコは驚きと共に、彼女に言葉をかけていた。
「……よく分からんが、マキマ、お前が不安がる必要があるか? 固定吊り上げ適正テストには余裕で合格してたじゃないか」
(君たちは原作でちゃんと駐屯兵団やってたから、絶対大丈夫なんだよ。原作登場のゆとりな君たちと違って、そんな保証がないのは私だ! 進撃の世界に来て、立体機動が出来なかったら、もう詰みだよ!
――――嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ! マキマさん顔なのに、進撃世界では開拓地で必死に鋤を振るう屯田兵に就職なんて草も生えない。私に農業チートはないんだよ~)
しかしながらマキマが内なる不安と戦ってそれを必死に隠そうとする間にも、会話は続いていく。話題は先日の吊り上げ式姿勢制御テストのマキマの様子が言及される。
「そうだぞ、お前だけ一発合格で暇すぎて吊り上げられてる時、……じょじょ立ちだっけか? 一人でふざけたポージングしてたじゃんか」
「自分だけ上手いからってさ。あれは明らかに煽ってたよね」
イアンとミタビが姿勢制御テストにおけるマキマの余裕な様子を思い出して、根に持っていたようにマキマを追撃した。
(――――いや、違うんだ。思ったより簡単だったから、待ち時間に暇すぎてさ。それに立体機動の素質があるかもしれないことが分かってつい、嬉しくなっちゃって……)
「確かにあの時は、私ながらはしゃいでたかもね。でもジョジョ立ちは自分の重心を探すのにいい練習になるの。君達が私にアドバイスを求めた時も、いかに重心の位置を自覚するかが大事だって教えたよね?」
「「む~ん」」
そんな取り留めもない会話をしていた四人だが、教官の整列の号令がかかることでお開きになった。
「よし、並んだな。ゴホン、貴様らは今日この日を、楽しみにしていたことだろう。なぜなら立体機動の実働訓練が始まるからだ! 初めてで興奮する者や不安な者がいるだろうが、座学で学んだことを思い出し、我々教官の指示通りに行え! とにかく安全に気を付けろ! 班に分かれて行うが、互いに気を引き締めて訓練に励め!」
教官の訓示を聞く訓練兵たちの表情は不安や期待の入り混じるものが大半だ。教官が続けて言う。
「まず実際の訓練に入る前に装置の仕組みについてのおさらいをやる。座学で何度も学んだことだ。忘れるような愚か者などいないだろうな! 訓練において一番に学ぶ、空中での姿勢維持について説明してみろ、モンド!」
一人の訓練兵が指名され答えていく。
「はい! 両側のアンカーを適当な障害物に固定します。そのままレバーを引いてワイヤーを巻き取ります。空中に体が浮遊したあとワイヤーと全身ベルトの角度により体幹のバランスをとり、姿勢を制御します。それから……」
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「人間が高所を飛び回る上で、まず恐怖心が枷となってしまうんだよ」
教官の目線は、木の上でなかなか立体機動に移らず、飛び降りるという恐怖に体が震えている訓練兵に向いていた。
「そもそも人間の体には生得的に高所への恐怖が備わっている。そう、本能的な恐怖というヤツだね。ましてや立体機動には多くの危険が伴うものだ。アンカー射出の失敗のよる墜落、ワイヤーの巻き取りすぎによる障害物への衝突、ガスの噴射による速度暴走など、少しのミスが最悪の場合死につながる」
「まず高所への恐怖や事故への恐怖をなくす必要があるということですね」
もう一人の若い訓練教官が相づちをしながら言う。だがそれに対して古株の訓練教官は首を振る。
「いや、恐怖心はある程度は必要なものだよ。恐怖心が無かったら何が危険なのか判断がつかない。それより己が何に恐怖しているかを自覚すること。そしてそれに対して具体的な対処を考える。最後にそれを無心にできるよう反復する。何度も何度もね」
「勉強になります。さっきの事故の例でいえばアンカー射出のミスは……遠い場所にアンカーを撃たないとか、アンカーを撃つ前に一呼吸置くとかですか。巻き取りのしすぎは、巻き取り速度を身に染みこませる。ガスの噴射の速度暴走は、そもそもガス噴射を緊急回避以外で多用しない。そうやって対処法を考え、それを慣れるまで実行する……ということですね」
「そういうことだ。だがね、稀に全く高所だったり事故への恐怖心を持たない人間もいるんだよ。それは常人では本能がブレーキをかける機動でも気楽に行えてしまうことを意味する。恐怖という本能のブレーキが欠落しているんだ。大変危険なことだからそういう人材は早くに事故でよって死亡することが多い。……だが巨人を何体も討伐した兵士がその資質を持っていたと言われる事例もある。その狂気とも言える素質がなければ何体もの巨人に向かうのは不可能、……なのかもしれないね」
立体機動の訓練方法を四六時中考えるこの教官は、興味深い持論を展開した。
「立体起動や巨人への恐怖が欠落していなければ、常人が何体もの巨人を屠ることは不可能......」
「まあ、そんな傾向があるという話だよ。そんな狂気な素質を持つ兵士は滅多にいないがね。あ! ワハハ! こんな話していた矢先にこれだ。……うん、あの訓練兵を見てみなさい。……彼女なんてその典型例だろう。一目で分かる。彼女以外の訓練兵は緊張や恐怖でいっぱいだが、アハハ、彼女は本当に楽しそうだ」
そういう教官の視線の先で一人の訓練兵は思いっきり楽しんでいた。そうマキマである。
(すごい、すごすぎる! これが立体機動! 人の身で飛べるなんて!)
まだ木から飛び降りてワイヤー射出後の空中間の停止動作しか指示されていない。しかしマキマはホバリングした後、再度ガス噴射とワイヤーのたゆみで、上方向に飛び出し空中での浮遊状態を楽しんでいた。彼女はすぐにワイヤーを巻き取り地面に落下する前に再度ワイヤー射出して、ぶつからないようにまた停止する、それを繰り返して遊んでいる。簡単に言うと、樹上でトラポリンのようにして遊んでいるのだ。
「おい、マキマ! 教官の指示通りやらないと怒られるぞ!」
リコが木の上からマキマに怒鳴る。だが肝心の彼女はニコニコ顔で立体機動で遊んでおり耳に入っていない。
(多分、これならイケるね。頭が立体機動の動きに順応すれば、自分の体の機能の一つのように操作できそうだ。……それまで練習しないと)
「マキマ訓練兵! 何をしている? 空中で停止姿勢を維持しろといったはずだ!」
(あーあ、怒られちったよ)
離れたところから見られていた教官に注意されていてしまうマキマ。訓練開始前は、立体機動術に対する彼女の不安は、膨れ上がっていた。
(ここは曲がりなりにも軍学校の様なもの。厳しい縦社会。弱いモノは食われる、弱肉強食の世界。強キャラ感を醸し出す顔にも関わらず、立体機動に才能がない。そして原作エレンみたいに衆目の前で無様を演じたならば……虐められちゃう。いかに腕っぷしが強くても、メンタル攻撃には弱いんだ。だから憲兵を目指すものとしてもある程度本気を出さなきゃ)
こういう彼女の表情に表れない不安やストレス、立体機動への憧れなど様々な感情を反動として、彼女に少し羽目を外させてしまうことになる。彼女自身、超越者であることを自覚していたのだが、そんな超越者が少しでも本気を出してしまえば、
『あれ? 私何かやっちゃったかな』ということになるのが請け合いなのに。
前世は最前線で使徒と戦うパイロットであり、人類滅亡寸前の世界を救った組織の上層部の一人である。今世でも幼少期は武門の一族に生まれた後、リアルホワイトルームみたいなスパイ養成所に突っ込められていたのだ。だからそんな彼女が、100年の停滞によって平和ボケしつつある訓練兵団のぬるさを上手く感じ取れなくても、しょうがないのだ。大事なことなので、いいかい、二度言おう。彼女自身が目立ちたくないと思っても、数々の記録的なレコードを打ち立てて、後悔することになるのはしょうがないことなのだ。
もっと自重した方がいい?
黙れ! ドンッ
リコやナナバを侍らして、私強ぇーするんだ。
壁の中に追放されたけど、立体機動で無双します。
気づけば周りの美少女兵士がほっときません。ホントはスローライフをしたいのに。
サイト、マキマになろうで絶賛公開中。
とまだまだ訓練兵団に入って数日のこの頃までは、新しいおもちゃを与えられて、無邪気に喜んでいたのだった。
立体機動の本格的な訓練はスタートしていった。
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立体機動の訓練が始まって数カ月後。
「なあ、マキマ。俺に立体機動で速く動くコツを教えてもらえないか?」
ある日の夕飯の後の自由時間。マキマはテーブルに座って紅茶を啜っていた。この紅茶は調整日にリコが買ってきてくれたものだ。だから右隣にリコも座って緩やかな時間を過ごしている。左隣りにはナナバもいる。お互いにそこまでおしゃべりなタイプではないので、訓練の間の、この静かなひと時を三人ともそれなりに気に入っていた。だが今回はモーゼスが和やかなこの輪に突如乱入してきたのだ。
マキマは自分の前の空席に座ったモーゼスをじっと見つめる。
「教官に聞いた方がいいんじゃないの」
「教えてくれないのか?」
マキマが自分ではなく教官を頼れと言うのを、モーゼスは少し非難めいた声で返す。
「……教えてもいいんだけど、多分私が言うより教官の説明の方が君のためになるよ。私は一訓練兵であって、教える専門家ではないからね」
「じゃあ、なんで君はそんなに早く動けるか教えてほしい。頼むよ、少しのコツでもいい。俺は強くなりたいんだ。リコやナナバからもお願いしてほしい」
上昇志向の強いモーゼスは食い下がる。一人の少年が三人の美少女たちに言い寄っているようにも見える光景に、野次馬たちも気づき始める。
「なんだ、なんだ、モーゼス! 三人相手にナンパかよ! いつもの走り込みに来ないかと思ったらよ。もう腑抜けたか?」
大声で騒ぐ声がやってくる。こんなにけたたましくしゃべるのはゲルガー・シュルツしかいない。ゲルガーとモーゼスは互いに最大のライバルとして意識している。寝る前の自主トレーニングをモーゼスがやり出すと、ゲルガーも『あんなとっちゃん坊や野郎に負けたくねぇ』と一緒に走り込みをしていたりするのだ。
そんな青春スポーツ漫画みたいなことをしている二人は、走り込みの甲斐あってランニングのタイムを縮めている。だが結局二位を争っているだけで、不動の一位にはまったく追いつけないが。とにかく今は仲が悪いんだか、良いんだかわからない状態のゲルガーとモーゼス。
「変なことをいうなよ、ゲルガー! 今はマキマに立体機動のコツを尋ねているだけだ!」
「へぇ! それは俺も興味があるな! お前だけコツを聞くなんてずるいだろうがよ。俺も混ぜろや」
ゲルガーの大きな声を聞いて、まだ食堂にいた何人かが俺も私もとマキマ達のテーブルに集まる。モブリット・バーナーやエリザベス・マイヤーズ、ソフィア・フィッシャーなどなど。
「教官も言っていたよ。マキマさんの動きは普通の動き方じゃないって」
こう言ったのは、男子にしては穏やかな性格が目立つモブリットだ。
「教官は真似するなとも言っていたわ。だからモーゼス、聞かない方がいいわよ」
モーゼスがマキマに言い募るのを快く思っていないのだろう、エリザベスはマキマを睨みながら言う。
「でも本来のやり方じゃないマキマさんの方法で、最速タイムを更新したんだよね」
こう言ったのはソフィアだ。彼女はエリザベスとよく一緒にいる女の子。栗色おさげの大人しめな子だ。ちっちゃくてかわいいとマキマは思っている。
それで話に出た最速タイムとは何か。それは林間で立体機動のスピードを競うもので、具体的には決まったコースをいかに速く抜けるかといったものだ。現時点ではまだまだ皆の立体機動の練度は低いため、危険なブレードの装備は許されておらず、移動のみの練習だ。
そんな中マキマが歴代の移動タイムを大きく突き放して、最高タイムを叩き出していた。
「なあ、マキマ、とりあえず教えてやったら?」
渦中にいながら未だ静かに紅茶を飲んでいるマキマにリコがそう持ち掛ける。そう言われたマキマはいつもの無表情で答える。
「……コツというほど大したものじゃないよ。立体機動中に木を足で蹴って助走しているだけ」
マキマの言うことの意味は分かるが、、、、
「それだけか?」
それだけでレコードホルダーになれるものなのだろうか。ここにいるマキマ以外の全員がそう思った。
「納得していないみたいだね」
マキマは紅茶のコップを片手に頬杖をつく。顔の縁に沿ってい赤毛の触覚ヘアが頬杖の手によってくにゅっと曲がり、マキマの形いい顔も頬っぺから変形する。
「林の中のコースはいつも真っ直ぐに進めるわけじゃない。木の間の空いたスペースを見つけて進まなくちゃいけない。だから私は小さいスペースを選んでコース取りしている。その方が木を蹴って助走をつけられるからね。教官にも言ったけど、立体機動を壁跳躍の補助として使っていると言えばわかりやすいのかな」
マキマの抑揚のない声により淡々と、彼女の立体機動の秘密が説明される。
「……ということは、え、何、アンタは猿みたいに木から木へジャンプしていてそれを立体機動でさらに高速にしているってこと?」
エリザベスが信じられない様子でマキマに尋ねる。
「毎回じゃないよ。良い足場があるコースを選んで、蹴れる所では蹴って勢いを足しているだけ」
この場の多くが絶句する中、リコが付け加える。
「同じ班だから、後ろからちらっと見た感じでは、普通の立体機動の合間にちょっと木を蹴っていたように見えたな。速すぎて近くで見ないと分からないが。……教官も言っていたが、こんなことは自力で壁を走ったり、木から木へ飛び移ることが可能な人間じゃないと無理なそうだ」
「マキマさんはできるってこと?」
ソフィアが思わず聞いてしまう。
「・・・・・・私、目がいいんだ」
「待機時間によく木から木へぴょんぴょんやってるよ」
「化け物かよ」
ルームメイトでもあるリコにはマキマが説明を面倒臭がっているのが分かったため、追加で説明をする。この人外じみた友人は、自分のことを色々聞かれるのを好まないのだ。リコは長く一緒にいるうちにそう感じていた。
「じゃあ、俺たちには真似できない……ということか……」
威勢が良く尋ねていたモーゼスも意気消沈している。
「実は私もマキマにコツを教えてって頼んだんだ。そして……実際に見てみないとって言われて、今度班を替えてもらってアドバイスしてもらうつもりだ」
ナナバがそんな彼らのこと可哀そうに思ったらしい。慰めるように言った。
「「じゃあ俺たちも……」」
「ナナバちゃんは友達だからね」
期待を込めた目で見る彼らの声をマキマは遮って言った。暗にお前らは友人でも何でもない、一昨来やがれと言っているのだ。
「俺たちも同期で友人だろ? いいじゃないか」
ゲルガーが勇気を出して発言した。
「……格闘訓練ならたくさん付き合ってあげるよ」
「「いや、それは間に合ってます」」
格闘訓練ならというマキマに対して、ゲルガーやモーゼスの男たちは声を合わせて即答する。
マキマの格闘訓練のペアになるとどうなるのか。女子ならいい、精一杯優しく手ほどきをしてくれるから。だが男子ならほぼシゴキと化す。倒れる寸前まで追い込まれ、楽しくて涙が止まらない訓練となる。一度、格闘訓練は点数にならないからとサボりを提案した男子がいたが、そんなに休みたいならと一発で救護所送りにされ、一日帰ってこなかった。くじ引きでマキマとペアになってしまった男子はみんなに同情される有様だ。もちろんゲルガーやモーゼスも洗礼済みだ。確かにあのシゴキは強くなれるかもしれないが、そう何度も全身をバキバキにされたいとは思わない。
マキマはカップをぐっと傾け、残っていた紅茶を全部飲み干した。
「もういいかな? 紅茶無くなっちゃったし、私はそろそろ女子寮に戻るよ」
マキマは立ち上がる。だがこの時ナナバは素早くゲルガーに耳打ちをしていた。ゲルガーは瞬時にナナバの言うことを理解して歩き出していたマキマを呼び止める。
「俺の実家は大きな酒蔵でよ。今度ワインの旨いやつ、みんなに差し入れしようと思っているんだがよ」
マキマの足が止まった。みんな固唾をのんでマキマを見つめている。マキマゆっくりと振り返る。
「……それで?」
マキマの鋭い目がゲルガーを射抜く。
「お世話になりそうな人には定期的に差し入れをしようと思うんだが、どうだ?」
マキマはじっとゲルガーを見つめる。
振り返り気味のマキマを斜めから見る横顔。その見返り美人は何かを考えているようだ。
だかこれで焦りはじめるのはモーゼスだ。このままではゲルガーだけが指導を受けられるようになるかもしれない。ゲルガーにだけは負けたくない。マキマの気を引く何かを考える必要がある。
「僕もアドバイスしてくれるなら実家の領地の特産のチーズをプレゼントしたいと思う!」
今度はモーゼスの方を見つめる。モーゼスは勢いで言ってしまった。もう引っ込めることはできない。今度チーズを自腹覚悟で買ってこなくちゃいけない。
二人を見つめていたマキマは一度目をつむる。しばらく考えた後、再び黄色の目が開けられた。
「……ワインとチーズ楽しみにしておくよ。班替えの申請はそっちでやっておいて」
そう言って今度こそ食堂から出るためにドアに向かうマキマ。
「「あの、私も(僕も)」」
ソフィアとモブリットがマキマに声をかける。
「一度でみんなを教えた方が早い。同じ班の人ならアドバイスしてあげる」
そのまま振り返らずマキマは出て行ってしまった。残された人たちは顔を見合わせる。
「結局教えてくれるってことなの?」
エリザベスが疑問を口にする。
「多分そうだと思うよ」
リコがクールで口数の多くない友人の心積もりを補足する。
「座学とか対人訓練では教えを乞えば、すんなり教えてもらえたんだがな。立体機動はここまで渋られるとは」
モーゼスが手持ちのお金のことを考えながら渋い顔で言った。
「立体機動の時によく満面の笑みを見せるからな。あれは楽しくてしょうがないんだろ。多分きっと教える時間があったら自分で飛んでいたいんだな」
同じ班だからこそ分かるリコの意見だ。
なぜマキマはこんなに立体機動の指導をするのを拒むのか。リコの言う通り、理由の一つとして、自分の立体機動の時間を取られたくないことが挙げられる。マキマにとって立体機動のあの爽快さは堪らないもの。風を切ってスパイダーマンのように飛ぶ。ニューヨークのビル群の間を駆け回るクモ男のゲーム映像を見れば、マキマの感覚がわかるだろう。楽しくてしょうがない。飛んでいる間は余計な事を考えずにオーバースペックな体を十分に開放できる。
要は立体機動をつけている時間は少しでもいいから飛び回っていたいのだ。
場面はマキマが立ち去った所に戻そう。
「え!? マキマさんって笑うの?」
「微笑や冷笑しているのはよく見るけど、基本何考えているかわからないし・・・・・満面の笑みは想像もできないな」
マキマの満面の笑みという言葉に驚くソフィアとモブリット。
「まあ、人に進んで関わっていくタイプじゃないからな。だが近くにいれば意外と感情豊かだぞ」
リコの言うことにうんうんとナナバも頷く。
「我らが首席様の数少ない欠点は、ノリの悪さと女尊男卑の気があるところだな」
ゲルガーが揶揄するように続ける。首席だという部分には誰も文句は言わない。信じられないことに、どの科目でも誰も彼女に勝てないからだ。
「知ってっか? 男を手玉に取るマキマを、俺たちの間では『支配の悪魔』なんて呼んでるんだぜ」
「ゲルガー、言っておくけどそのあだ名、本人知っているからな。なぜだか悪い気はしてないっぽいけど」
ナナバがゲルガーに対して忠告した。
「マジかよ、まったくおっかねぇぜ。いくら顔が良くても、あれじゃ嫁の貰い手がなくなっちまうぞ」
「そんな言い方はよせ、ゲルガー。でも彼女はもしかしたら……男より女の方が好きなのではないか?」
ゲルガーとモーゼスの言い草をリコやナナバは顔をしかめる。
「いやいや、ノンケだよ。ちゃんと聞いたし。それに食べ物には目がない所なんて可愛いだろ」
リコはマキマを庇うように答える。よくマキマとは添い寝するが、文字通り添い寝するだけでそんな関係ではない。そして彼女はかなりの大食漢で、食にはかなりうるさい。まずい給食が出されれば、不機嫌なのか無口になる。これなんてマキマのチャームポイント(?)だろう。今度はナナバがしゃべり出す。
「なあ、男ども。聞くが、もしあいつの美貌で簡単に優しくされたらどうなる? 単純でバカな男どもはすぐ惚れちまうだろ? 現に入団したての頃は、何人かは気を引くために必死だったんだよ。それに優秀であれば、良くも悪くも人が集まる。一線を引くのも当たり前だろ。いくら腕っぷしが強くても心を守る自衛手段は必要だよ」
「そうだな。俺たちは彼女のことを何も考えられていなかったんだな。だが誰よりも彼女は大人だ。憧れないものはいないよ」
「ったく、クソ真面目だな、モーゼスく~んは。だが次席の座は俺だぜ。マキマの技を盗んでやる」
「でもそんなマキマさんでもお酒とつまみの欲には勝てないんだねぇ~」
最後のソフィアの緩いツッコミでどっと笑い声があがる。同期の中では恐れられているが同じくらい、なんだかんだ一目置かれているマキマさんだった。
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時は同じく自分の部屋に戻ったマキマ。
誰もいない部屋は暗い。だが、窓から月明かりが差している。マキマは窓の縁に腰掛けてた。形の整った上弦の半月が黄色い瞳に映る。
「化け物……か」
先ほどの会話において自身を指して、同期の一人が呟いたもの。
……私は確かにこの世界ではどこへ行っても異物。自分でもその自覚はある。この世界は漫画の世界であること、その知識を持った上で、さらにはこの体のスペックとエヴァンゲリヲンの存在。神様なんてものがこの状況を作ったとしたら、こんな私に一体何をさせようというのだろう。こんな化け物の役割は何なのだろう。
……分からない。
原作を最後まで知らない自分。だから原作介入をしていいのかも分からない。進撃の巨人の結末を知るために兵士になった。訓練兵の仲間は、巨人の正体が海の向こうから来た同族のなれの果てだとは知らない。
彼らに立体機動を指導して、練度を上げさせることが正しいのか…… 私には分からない。原作の流れにどう影響するか分からない。
ストーリーに介入するか判断しかねている今の自分が同期と仲良くなっていいのか……分からない。
立体機動を学んで改めて思う。自分の力は人の域で留まるものではないことを。シガンシナの木の下に眠るあの鋼鉄の巨人を使えば、この世界をたやすく滅ぼせるだろう。夢でみたようなことが現実になる。
願うばかりだ。自分が人間に絶望したり、失望したりしないことを。化け物が人間を仲間として認識していられることを。
月は彼女のそんな考え事を知らずに、綺麗に輝いている。
ドタドタドタ
部屋の外の廊下から足音が聞こえる。もしかしたらルームメイトたちが帰ってきたのかもしれない。らしくない考え事を終わらせる。
はい、ヤメヤメ。今日はナナバちゃんを抱き枕にしよう。私のモットーは何事も楽しむことなんだからね。可愛いものを愛でる時が一番、マキマにとって幸せなのだ。
窓の外の半月はマキマの視界から消えた。月の1/2の部分。その一部分だけ恒星に照らされ、残酷なほど綺麗に輝く。太陽の光が当たらない部分は、誰の目にも映らない。ましてや裏側なんて……一度も光が照らされない。
……そこには極寒の世界が広がるのみ。
私も一度でいいから立体機動装置を使って空を飛んでみたい……。