提督に転職したら想像以上にブラックだった件 作:Sh1Gr3
駆逐艦陽炎が在籍していた横須賀鎮守府第七基地は、俗にいうブラック鎮守府だった。
疲労が極限まで溜まった状態──赤疲労での出撃は当たり前、補給も燃料弾薬が空になるぎりぎりまでさせてもらえない。加えて、提督の思い通りの結果を持ち帰らないと暴言罵倒の大嵐。危うく手を上げられそうになる艦娘もいた。
このブラック鎮守府がなぜ問題にならないかというと、一言で言うなら『轟沈艦を出していないから』である。
提督自身、轟沈艦を出せば問題になることはわかっていたので、そこだけは細心の注意を払っていた。あとは、時間外労働は最小限に抑える。以上の二点を厳守することで、艦娘からの不平不満や監査の目をうまくかわしていた。
艦娘らもブラックな環境ではあるが、轟沈しないぎりぎりの範囲であることは薄々気付いていたのと、練度を上げたいのも山々だったので、陰で愚痴を零すことはあれど、提督の運営方針に文句を言う艦娘はいなかった。
そうしてずぶずぶと、沼にはまっていくかのように、ブラックな環境が日常と化していったのである。
駆逐艦陽炎も、そんな艦娘たちの一人であった。しかしながら、持ち前の根性と体力でブラックな環境をもろともせず、着実に練度を上げていった。
その甲斐あって、彼女の所属する第十八駆逐隊の中では一番遅い着任であったが、今となっては一番練度の高い不知火にも引けを取らないほどまで成長していた。陽炎は気付いていないが、彼女の頑張る姿に感化された艦娘は少なくない。
とはいえ、陽炎側も普通の艦娘。疲れるものは疲れるので、愚痴を零すのは他の艦娘たちと同様であり、第十八駆逐隊の中では、霞とよく愚痴るのが習慣になっていた。
そんなある日。
演習後、提督から唐突に第十八駆逐隊に任務を言い渡され、急いで昼食を摂っていた時のことだった。
「もう、お昼ぐらいゆっくり食べさせてほしいわ……」
文句の言葉を吐きながら米とみそ汁を胃に流し込んでいると、向かいに座る霞が余裕そうに言った。
「時間ないわよ。次あんたの番でしょ」
「わかってる。だから急いでるんじゃない」
任務自体の出撃まではまだ時間に余裕があるのだが、その前に戦意高揚状態──キラ付けと呼ばれる出撃をしなければならなかった。霞の言っている時間がないとは、今キラ付け中の不知火の次の番が、陽炎だからということを意味している。
つい先ほどまで演習をしていて、やっと終わったと思いきや、任務を言い渡されてのキラ付け。不知火なんて昼食を摂る間もなくキラ付けしに行った。
それに比べれば、自分はまだましな方ではあるのだが。
「面倒くさいなぁ……これがなきゃ、もっとゆっくりしていられるのに」
「いつものことでしょ。あいつが気遣うわけないんだから、早く食べちゃいなさいな」
「なによ、やけに司令の肩持つじゃん。日頃から愚痴ってたのは演技だったの?」
「ばっかじゃないの。あんなクズ以下の男、死んでも願い下げよ」
と霞。相変わらず切れ味の鋭い口ぶりだなと、陽炎は心の中で感心する。
「そもそも、話がいきなりすぎ。お昼ぐらいゆっくり食べさせろっての」
「いいねいいね。その調子よ」
徐々にヒートアップする霞に対し、陽炎は片手でみそ汁をすすりながら、片手で霞を鼓舞する。
「これで任務失敗したら勝手にキレ散らかすんでしょ。ほんと、やってられないわ。ここにいるぐらいなら、噂の窓際基地の方がまだましよ」
「よかった。それでこそあたしの霞」
その台詞に霞は露骨に嫌そうな顔をしていたが、陽炎は気にせず満足気にデザートの果物を口に運ぼうとしていた。
と、その時──。
同隊の霰が、慌ただしく陽炎と霞のもとへ走り寄ってきた。
陽炎の目がデザートから霰へと向く。霞も同様だった。
「どうしたの? そんなに慌てなくても、デザートは逃げないって」
「あんたじゃあるまいし。霰はそんな食い意地張ってないわよ」
「まーたそんな可愛くないこと言う。そんな霞には、あたしのとっておきのキウイあげちゃう」
「いらないったら!」
まるでコントのような二人のやり取りを、霰は深刻な面持ちで眺めていた。
その顔を見て、二人は顔を見合わせた。そして陽炎は、自分のフォークに突き刺したキウイを、霞の口元に運ぶのを中断した。霞も真剣な顔で霰が話始めるのを待つ。
息が整ったところで、霰は静かに話し始めた。
「今、提督室の前で……聞いた……」
ごくりと唾を飲み込む陽炎と霞。こんな霰は珍しいので、何を言い出すのかと身構えていた。
提督室の前ということは、司令絡みだろう。もしかして、とうとう手を上げたのか。それならこの焦りようも納得だし、願わくば問題になってくれとさえ思った。これで提督が代わってくれれば万々歳だ。
しかし、次に霰の放った台詞は、陽炎の予想を粉々に打ち砕いた。
「その、不知火が……行方不明だって……」
カラン。陽炎は持っていたフォークを皿の上に落とした。あまりの衝撃に、開いた口と目が塞がらない。
硬直する陽炎を横目に、霞が訊いた。霞もあからさまに動揺していたが、まだ陽炎ほどではなかった。
「ほ、本当なのそれ。聞き間違いじゃないの?」
「違う。海防艦の子たちが怒られてたから……」
「……」
霰にはっきりと否定され、沈黙する霞。霰と霞の視線が、陽炎へと集中する。
陽炎は未だ硬直状態であったが、やがて勢いよく立ち上がった。
「あたし確かめてくる」
そう言って、陽炎は食堂を足早に去って行った。
残された二人は互いに目を合わせる。先に霞が口を開いた。
「私たちも行くわよ。陽炎だけじゃ、何しでかすかわからないから」
「霰もそのつもり……」
互いの言葉に二人は力強く頷くと、陽炎を追いかけて食堂を後にした。
陽炎は廊下を全速力で走っていた。人込みをかきわけ、胃の中の昼食が逆流しそうになるのを気合で抑える。
そして一気に階段を駆け上がり、提督室へと飛び込んだ。普段ならノックをしないと、それだけで始末書ものなのだが、今度ばかりは気にしていられなかった。
部屋に入るや否や、提督の怒声が陽炎の耳に入ってきた。
「お前らはキラ付けの随伴すらまともにできんのか? 本当に使えない奴らだな!」
「て、提督……その言い方は……」
「黙れ名取。お前は引っ込んでろ」
怒られているのは秘書艦の名取と、不知火と一緒にキラ付けに出ていた海防艦たちだった。
名取に関しては提督の怒声により縮こまっており、海防艦たちは各々どこかしら服が破れていた。顔も煤で汚れていて、なんとも痛々しい姿だ。中には目に涙を浮かべて、提督の怒声に耐えている子もいる。もう見ていられなかった。それに、不知火のことも気になる。
「ちょっと司令……失礼します。お話し中のところ、申し訳ありません」
敬礼もそこそこに入室を告げる陽炎。危うくいつもの調子で喋りそうになったが、なんとかこらえた。
提督の血走った目と、名取の弱弱しい目が陽炎へと向けられる。
「邪魔だ、出て行け。今立て込んでるのがわからんのか?」
「か、陽炎ちゃん……」
提督とは対照的に、名取は今にも泣きだしそうであった。陽炎は名取に頭を下げつつ、海防艦たちの前に立った。
そんな陽炎を見て、提督は先よりも大きな声で言った。
「おい、聞こえなかったのか? 俺は出て行けと言ったんだよ」
「いえ、そういうわけには。司令にお聞きしたいことがあります」
「ああ?!」
陽炎の物言いに、さらにヒートアップする提督。
後ろの海防艦たちから心配の声があがる。
「陽炎さん、日振たちのせいで……」
「あたいたちのせいで、不知火さんが……」
「申し訳ありません……」
日振、大東、昭南。各々が己に責を感じて謝罪の言葉を述べていた。
陽炎は一瞬だけ振り返り、「大丈夫だから」と笑顔で一言。それから、提督へと向き直った。
「司令、不知火が行方不明と聞きました」
物怖じしない陽炎に、提督は舌打ちした。
「文句ならお前の後ろにいる海防艦どもに言え。こいつらを庇って消えたらしいからな」
「進言します。あたしに不知火を助けに行かせてください!」
陽炎は拳を握りしめて言った。
あの子がそう簡単に沈むわけない。今も助けを待って戦っているに違いない。そう思ったからこその言葉だった。
しかし、提督はそれをあざ笑うかのように否定した。
「無駄だ」
「どうしてですか?!」
食い下がる陽炎。ここで簡単に「はいそうですか」と引き下がるわけにはいかない。
提督がぶっきらぼうに続けて言った。
「無線の不具合で居場所がわからん上に、すでに奴はこの基地の担当区域にいない。そんなものをどう探す」
「そ、そんな……」
無駄だと言った理由が、予想以上に明確だったことに陽炎は絶望した。
身体からふっと力が抜けていく。頭がぐわんぐわんして、まともに立っていられなかった。
慌てて名取が陽炎の身体を支えに駆け寄る。
「不知火……やだ、不知火……」
「陽炎ちゃん、まだ沈んだって決まったわけじゃないよ」
がくっとうなだれる陽炎に、名取は希望の言葉を述べた。そう言う名取の目からは、先ほどまでの弱弱しさは消えていた。
陽炎の顔がゆっくりと名取へ向けられる。
「さっきね、不知火ちゃんからSOS信号が発信されたの。提督の言う通り、担当区域外からだったけど……」
「ほ、本当ですか?! それじゃあ、不知火はまだ……」
陽炎は歓喜した。沈んでいない。この事実がわかっただけでも、陽炎にとっては充分だった。現在位置がわからなくても、SOS信号が出された近辺を探せば見つけられる可能性は高い。
陽炎は改めて、提督を真っ直ぐ見据えて言った。
「司令、あたしに不知火を助けに行かせてください!」
またも提督が舌打ちをした。
「改二でもない分際で大口叩くな。これで最後だ、下がれ」
「なっ……司令、お願い! 不知火はまだ沈んでない!」
「名取、こいつを独房にぶち込んでおけ。処分は後で言い渡す」
プツンと、陽炎の中で何かがはちきれた。もう我慢の限界だった。
支えてくれていた名取の手を振りほどき、提督のもとへ駆け寄ろうとする。
「こんのわからずや!」
「あっ! か、陽炎ちゃんだめ!」
なんとか名取が抑え込もうとするが、陽炎は止まらない。
提督もこれには驚いたようで、目を丸くして身体をのけぞらせていた。直後、提督が激高する。
「解体されたいのか?! お前ごとき駆逐艦、代わりはいくらでもいるんだぞ!」
「上等よ! こんなクズ司令のところにいるぐらいなら、解体だって島流しだってどんとこいよ! 不知火を助けた後でね!」
その時、提督室の扉が勢いよく開いた。同時に霰と霞が陽炎のもとへ駆け寄ってくる。
二人は今にも暴れ出しそうな陽炎を、両側から押さえつけた。加えて後ろから名取が引っ張っている状態なので、陽炎は完全に身動きが取れない状態となった。
「なんだお前ら! そんなに独房に入りたいのか?!」
「ちょ、なによあんたたち! こいつの──」
提督の声には見向きもせず、霞はもう片方の腕で陽炎の口を塞いだ。
「名取さん、霰。このまま引っ張り出すわよ」
「わ、わかりました」
「んちゃ」
そのままずるずると、陽炎は扉の方へ引っ張られていく。
名取は部屋を出る前に、日振たちにこっそりと声をかけた。
「三人とも、こっちへ」
三人は少し躊躇う様子を見せたが、にこっと笑みを浮かべる名取を見てついていくことに決めた。
その間も、提督の怒声は続いている。
「おい名取、お前もただで済むと思うなよ!」
「っ……失礼します」
名取は陽炎を支えたまま、できる限り頭を下げると提督室を後にした。
「ほらね。やっぱりこうなったでしょ」
「霞、お手柄……」
入渠ドックへ日振たちを連れて行く道中、霞の言葉に霰が賞賛の意を示した。
陽炎はふくれっ面で言う。
「なんで止めたのよ。もう少しだったのに」
「あんた本気? そんなことしたら、本当に解体されるわよ」
信じられないと言わんばかりに、霞に咎められる。しかし陽炎は本気だった。
「だって、不知火はまだ沈んでないんだよ? それなのにあんな言い方、絶対に許せない……!」
ぎりっと歯を食いしばる陽炎。
そこへ後ろを歩く日振が、震える声で言った。
「陽炎さん、ごめんなさい……」
日振の一言を皮切りに、大東と昭南も口を開く。
「あたいたちのせいなんだ。不知火さんはあたいたちだけでも逃げろって」
「私たちは海防艦、潜水艦を倒すことが使命なのに……」
ぼろぼろの三人が自分を責める姿を見て、陽炎ははっとした。
情けない。何を愚痴っているのだ陽炎。愚痴を零す暇があったら行動しろ。不知火が沈んでいないと信じているのは、他でもない自分自身ではないか。
この子たちは満足な休息も装備もない中、不知火のために出撃してくれた。悪いのはすべてあの男だ、この子たちじゃない。
陽炎は立ち止まり軽く深呼吸すると、笑って三人を見て言った。
「ありがとうみんな。でも大丈夫、みんなのせいじゃないから」
そして力強く付け加える。
「不知火はあたしが助ける!」
その言葉に、その場の全員が各々顔を見合わせた。
しかし、誰一人として意義をとなえる者はいなかった。
真っ先に霞が口を開いた。
「そう言うと思ってたわ」
「それでこそ陽炎……」
霰もこくこくと頷いていた。
そんな二人を見て陽炎は、我ながらいい仲間を持ったものだと、心の中で二人に感謝すると同時に自分を少し褒めた。
二人の視線が集中する中、陽炎は名取を見て言った。
「名取さん、あたしたちで不知火を捜索します。司令のことお願いしてもいいですか」
提督に無断で出撃することは、当然のごとく厳罰対象となる。それを黙認する秘書艦も例外ではなかった。
無茶なお願いなのは重々承知していたが、名取は首を横に振ることはしなかった。
「大丈夫、任せて。提督にはうまいこと言っておくから」
「ありがとうございます!」
ぺこりと一礼し、陽炎、霰、霞の三人はその場を後にしようとする。
その直前、名取は陽炎に把握している情報を伝えた。
「SOS信号は第八基地の区域内で発信されました。不知火ちゃんはおそらくその近辺に……」
「ありがとう名取さん、行ってきます!」
そう言って、陽炎を先頭に三人は走り去って行った。
三人が見えなくなるまで、名取たちは祈るようにして見送っていた。
思っていたよりも長くなってしまったので、
前と後でわけることにしました。
テンポ悪くて申し訳ないです。