提督に転職したら想像以上にブラックだった件   作:Sh1Gr3

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陽炎さんの訓練日和

 陽炎は波間を縫うように、海上を全速力で駆け回っていた。

 周囲には着弾による水柱が次々と立ち上がり、その度に海水が彼女の全身をずぶ濡れにしていく。

 

 しかし、そんなことにかまけている余裕は、今はない。

 

 少しでも怯んで速度を落とせば、その瞬間に砲撃の餌食となり、当たり所が悪ければ一発でお陀仏だ。これが重巡や戦艦クラスのような装甲でもあれば、また話は変わってくるのだが、あいにく自分は駆逐艦娘。海の藻屑となりたくなければ、持ち前の機動力を活かして、とにかく死に物狂いで回避し続けるしかない。

 

 (あー、もう! しんどいってば!)

 

 ジグザグと之字運動を繰り返しながら、陽炎は心の中で叫んだ。

 体力には多少なりとも自信のある彼女ではあるが、速力一杯で延々と動き回るのはさすがに堪える。時折減速したりもするのだが、速度を落とせばその分被弾率も上がることになる。敵が水上偵察機や電探持ちなら尚更だ。故にできるだけ速度は落とさず航行していた。

 

 それでも砲弾は、まるで陽炎の航路をなぞるかのように、正確に降ってくる。加えてだんだん自分と着弾した位置が近付いていることに、陽炎は焦りを募らせずにはいられなかった。

 

 (どんだけでたらめな精度してんのよ……!)

 

 ぎりっと歯を食いしばる。

 このままではいずれ直撃する──そう思った次の瞬間、真後ろに着弾した。

 

 「っ……!」

 

 爆風で身体が跳ね上がり、危うく転倒しそうになった。慌てて減速して体勢を整えることに集中する。

 すると今度は目の前に着弾。陽炎は思わず息を呑んだ。本来ならこの一発は直撃していたはずであったが、直前に減速したことで狙いが外れたのだ。まさに不幸中の幸いというやつだ。

 

 (早く立て直さないと……!)

 

 陽炎は急いで速度を上げようとした。このままでは的も同然だ。

 とはいえ、一度減速した状態から速力一杯までもっていくには、多少なりとも時間を要する。それは艦娘になった今でも変わらない。

 

 だが向こうはそんな事情なぞ知ったことかと、さらに一発。鋭い砲声が耳を打ち、砲弾が陽炎の背をとらえた。

 衝撃が背部の艤装から全身に突き抜け、たまらず転がり倒れた。

 

 (きっつ……)

 

 痛みと疲労がどっと押し寄せてくる。背中が痛い、肺が苦しい、足はがくがく。完全に満身創痍だ。

 しかし、このまま寝ているわけにもいかない。こういう辛い状況を乗り越えられなければ、叢雲や青葉のような強い艦娘になどなれるわけないのだ。

 

 (あたしは強くなる……絶対に!)

 

 そう自身に言い聞かせ、陽炎はなんとか立ち上がった。

 ふと振り返ると、砲口が真っ直ぐこちらを捉えていた。沈めてやると言わんばかりの重圧を、ビリビリと感じる。

 

 「次が来るわよ……動けあたしの身体!」

 

 気合いで奮い立たせようとするが、残念ながら身体は言うことを聞かず。

 そんな陽炎に容赦なく砲弾は放たれた。

 

 「……くそ、ここまでか」

 

 ちっと舌打ちする彼女の周囲に、巨大な水柱が上がった。

 

 

 

 

 

 横須賀第8鎮守府、訓練海域。

 先ほどまで水柱が乱立し荒れていた波は、徐々に静けさを取り戻しつつあった。つい今しがたまで砲弾が雨のように降り注ぎ、「やるかやられるか」の緊迫感が張り詰めていたとは思えない、嘘のような光景だ。

 

 そんな海の上で、ペイント弾をまともに食らった陽炎は、顔についた染料を海水で洗い流していた。制服も髪も艤装もあちこちに派手な色が飛び散っていて、傍から見ればピエロのような格好に見えなくもないが、どうせまたすぐ汚れると分かっているので、こちらは特に気にしない。

 

 そこへ人の気配。

 ふと見れば重巡洋艦娘の青葉が、陽炎のすぐ近くまでやって来ていた。先ほどまでトンデモ砲撃を連発していた張本人である。

 

 青葉はいつものように、ニコニコと笑顔を浮かべて言った。

 

 「やりましたね。新記録ですよ」

 「え、本当ですか??」

 「はい。三分七秒、二秒の更新です」

 

 このタイムは、陽炎が青葉の砲撃によって、行動不能になるまでの時間を計測したものだ。

 これまでの最高は三分五秒。確かに青葉の言う通り、記録更新である。

 

 「二秒か……まあでも、三分はだいぶ安定してきたわね」

 

 二週間ほど前から、空き時間で続けてきた青葉との訓練。

 内容はシンプル。青葉の全力の砲撃を、ひたすら回避し続けるというものだ。それを青葉の弾薬が尽きるか、陽炎が被弾して動けなくなるまでを一セットとカウントし、三〜五セット繰り返す。

 

 今思い返しても、なんとも無茶苦茶な訓練である。

 

 青葉から初めて訓練内容を聞かされた時は、「新手のパワハラか?」と耳を疑った陽炎であったが、これも強くなるためだと渋々承諾。叢雲からも「とりあえずこれやっとけ」的なノリで言われていたので、拒否する余地はなかった。

 

 訓練が始まってみれば、案の定こっぴどくやられる羽目になった。今よりもずっとボコボコにされていたし、タイムも散々。なんなら一発目で行動不能にされたこともあった。

 

 それでも根気強く取り組み続けた甲斐あって、現在ではだいぶマシになってきている。

 最初の頃は一セット目ですら三分もたなかったが、今では最低でも三分は耐えられるようになっていた。これは我ながら十分、成長していると言ってもいいだろう。

 

 と、どこか満足げな表情を浮かべる陽炎を見て、青葉が口を開いた。

 

 「いやあ、この短期間でこんなに更新されるなんて、青葉もまだまだですねえ」

 「いやいや、何言ってるんですか……毎回毎回、あんなにえげつない砲撃しといて」

 「あはは、恐縮です」

 

 呑気に笑う青葉に、陽炎はため息をつく。

 そもそも、普通の艦娘なら全速力で駆け回る駆逐艦に、そう易々と砲弾を命中させるなんて不可能だ。ましてや青葉自身も動き回っているので、本来であれば命中率はぐっと下がっているはず。にもかかわらず、あれだけ高い精度で砲撃してくるのだから、相当練度が高いのだろう。少なくとも、どこの鎮守府でも即主力になれるレベルなのは間違いない。

 

 ──もっとも、当の本人にその気はないようで、自身の練度情報は未だに「乙」のままだそうだが。

 

 「さて、そろそろ二セット目、いきましょうか」

 

 そう言って所定の位置に向かって動き出したので、陽炎も後に続く。

 その途中、陽炎はふと気になったことを訊いてみた。

 

 「青葉さんて、昇格試験受ける気はないんですか?」

 

 昇格試験とは、大本営により管理されている練度情報を、更新するための試験だ。練度は全部で四段階評価となっており、「丁」、「丙」、「乙」、「甲」の順で昇格していく。

 

 陽炎も青葉もともに「乙」認定。次の「甲」に昇格するためには、昇格試験に合格する必要があった。

 ただし、青葉の場合は陽炎と違って、本当の実力は余裕で「甲」に届いている。なので試験を真面目に受ければ、直ぐにでも昇格できるだろう。故にもったいないなと、陽炎は思っていた。

 

 「そうですねぇ……今のところはないですね」

 

 青葉は前を向いたまま答える。

 

 「練度にこだわりはないですし、評価にも興味ありませんからね」

 「なるほど……」

 

 ハッキリと言われてしまい、思わず苦笑する陽炎。でも自由奔放な彼女らしいなと思った。

 それに、と青葉が続ける。

 

 「甲に昇格してしまうと、ここにいられなくなるかもしれないので」

 「……え?」

 

 予想外の台詞が飛んできて、陽炎は目を白黒させてしまう。

 

 「ここにって、この鎮守府にってことですか?」

 「そうですよ。甲クラスになればどこの鎮守府でも主力扱いですからね。どこかに引き抜かれる可能性も否めません」

 「うげ……あたしそういうの全然考えてませんでした」

 「ちなみに改二もですよ。改二も主力扱いなので」

 「ですよねー……」

 

 陽炎は「うーん」と唸り、頭を悩ませる。青葉の言うことは正論でしかなかった。

 この鎮守府は窓際鎮守府、俗に言う左遷スポットだ。そんな場所に高練度の艦娘が、いつまでも置いておかれたままのはずがない。

 

 だがそれでは困る。たとえ甲や改二になれても、まだ叢雲や青葉から学びたいことは山ほどあるし、この居心地の良い場所から去る気は、今のところまだないのだ。

 

 「そういうことなら、あたし昇格試験受けなくてもいいかなあ」

 「あれ、いいんですか? 叢雲さんから昇格試験受けるよう言われてませんでしたっけ」

 「大丈夫です。言えばあたしの自由にさせてくれると思うので」

 「確かに。お二人ともそういう方たちでしたね~」

 

 話しているうちに、青葉が足を止めた。陽炎も急いで自分の開始地点へと向かう。

 到着すると、無線から青葉の声が聞こえてきた。

 

 「では今度は同航戦想定でいきます。準備はいいですか?」

 「はい! お願いします!」

 

 陽炎の声に合わせ、訓練が再開した。

 二人は一斉に動き出し、穏やかだった波は再び激しく荒れ始めた。

 

 

 

 

 

 訓練終了後。

 へとへとになった陽炎は、任務を控えた青葉と別れ、一人で寮の浴場へ向かった。

 

 第7鎮守府にいた頃は、就業中の入浴は基本禁止されていたが、ここではそんな規則はない。提督室でくつろぐことの多い陽炎には、むしろ推奨されているほどだ。汚れた格好でソファーに座るな、寝転ぶなと、叢雲から口うるさく言われているのである。なのでその日の任務や訓練が終わったら、必ず風呂に入ってから提督室に行くようにしていた。

 

 まだ就業中ということもあり、さっと入浴を済ませる。そして自室に溜めてある菓子をいくつか掴み、寮を出た。諸々の報告書を書くため、鎮守府庁舎にある提督室へと向かう。

 

 以前は普通に自室や自習室で書いていたのだが、ここでは他に話し相手もおらず退屈なので、一番人の集まっている提督室で書くことが、ルーティンになっていた。

 

 鎮守府庁舎に入る。階段を上って部屋の前に着くと、自室に入るような感覚で扉を開けた。

 ノックなしに提督室に入ることは、第7鎮守府では厳罰対象だったのだが、無論この鎮守府では自由だ。

 

 中に入ると、提督と叢雲が書類に目を落としていた。

 提督が顔を上げ、「お疲れっす」と頭を下げてくる。陽炎も「ただいまー」と返し、ソファーへダイブした。

 

 「あー、つっかれたぁ……」

 

 クッションに顔を埋め、呻くように呟く。

 今日の訓練は最大の五セットまで行った。おかげで全身が鉛のように重たい。目を閉じれば、今にも夢の世界へ旅立ってしまいそうだ。

 

 そんな陽炎を見て、秘書艦席の叢雲が口を開いた。

 

 「寝るのは構わないけど、報告書の期限明日の午前中までだからね」

 「さすがに寝ないわよ。ちょっと休憩してるだけ」

 

 しばらくぐったりしてから、最低限のやる気が生成されるのを待ち、ゆっくりと身体を起こす。報告書とペンを取りに立ち上がると、叢雲は無言でキャビネットから報告書を取り出し、ペンとセットで陽炎に渡した。

 

 「ありがと。……あのさ、昇格試験のことなんだけど」

 

 報告書とペンを受け取りながら、陽炎がぽつりと切り出した。提督と叢雲の視線が、彼女に集まる。

 

 「あたし受けるのやめようかなって。少なくとも、ここにいるうちは」

 「……青葉の入れ知恵ね」

 

 叢雲がため息混じりに言う。さすが、なんでもお見通しだ。

 

 「まったく、余計なことしか言わないんだから」

 「叢雲のいじわる。どうせ知ってたんでしょ? 練度が上がれば他鎮に引き抜かれるかもしれないって」

 「あんたが改二になりたいって言ったんでしょ。甲にならないと、改造の優先度が下がるのよ」

 「別にいいもん。ここにいた方が強くなれるし」

 

 陽炎の意志は固い。叢雲もそれを悟ったのか、

 

 「あんたがそうしたいなら、そうすればいいんじゃない」

 

 とだけ言い、再び机上の書類に目を戻した。

 陽炎は念のため、提督に視線を送る。

 

 「司令もいいでしょ? あたしまだここにいたいの」

 「別にいいんじゃないすか。陽炎さんの受けたい時に受ければ」

 「やった! 二人ならそう言ってくれると思ってたのよね~」

 

 二人の言葉を聞いて満足した陽炎は、報告書とペンを持ってソファーに腰を下ろした。そして持ってきた菓子を口へと運び、報告書の記入を始める。

 

 書く内容は細かいところを除けば、いつもと一緒だ。同じ訓練を続けているので必然的にそうなる。

 陽炎はすらすらと書き進めながら、ふと「そういえば」と話題を振った。

 

 「この訓練ってさ、いつまで続ければいいの?」

 

 というのも、この二週間で行った訓練と言えば、青葉の砲撃を回避し続ける訓練のみ。砲撃や雷撃といった、定番ものは一切してこなかった。

 

 別に叢雲と青葉の方針に不満があるわけじゃない。ただ、なんとなく気になったのだ。

 

 「さあね」

 

 と叢雲。彼女は退屈そうに頬杖をついて、手元の書類を眺めていた。

 

 「ま、三分ちょっとでひーひー言ってるようじゃ、まだまだなんじゃない」

 「えぇ……ちょっと厳しすぎません?」

 「避けるだけでしょ。何が厳しいのよ」

 「だって、青葉さんすごすぎるんだもん。全力で避けてるのにすぐ当ててくるしさー」

 

 まるで子供のような台詞に、叢雲は呆れた表情を浮かべる。

 

 「少しは頭使って考えたら? どうしたら避けられるのか」

 「うーん……やっぱ気合いかしら」

 

 冗談交じりで言ったところ、今度はため息を吐かれてしまった。

 

 「なんのためにこの訓練をしてるのか、全然分かってないみたいね」

 「え、体力とか回避力を鍛えるためじゃないの?」

 「それもあるわよ。でも、本質はまた別」

 「そうなの??」

 

 初めて知った。勝手に体力や回避力といった、基礎能力向上が目的だと思っていたのだが、どうやら違ったらしい。

 

 「そういうことはもっと早く教えてよ」

 

 不満気に口をへの字に曲げる陽炎。しかし、叢雲は眉一つ動かさず淡々と言った。

 

 「あえて黙ってたのよ。そっちの方が先入観なく訓練できるからね」

 「? どういうこと?」

 

 首を傾げる陽炎に、叢雲が話を続ける。

 

 「あんた、青葉の能力を身につけたいって言ってたでしょ」

 「うん。だって色々と便利そうだし、なんかかっこいいんだもん」

 

 ひと目見ただけで相手の練度が分かるだなんて、完全に未知の世界だ。それを訓練すれば誰でもできると言われたら、誰だって身につけたいと思うだろう。少なくとも、陽炎はそうだった。

 

 「あれを身につけるのに一番手っ取り早いのは、極限状態に身を置いて色々な感覚を養うことなの」

 「感覚?」

 「そ。例えば殺気、放たれた砲弾の気配……戦場はたくさんの気で満ちてる。それらを感じ取れるようになれば、自然と相手の練度も分かるようになるのよ」

 「ふーん……」

 

 陽炎は顎に手を当て、この二週間の訓練を思い返してみる。

 言われてみれば、何かを感じる場面もあったと思う。ただ漠然としすぎていて、いまいちピンとこなかった。

 

 「気配かぁ……訓練中はそんなの気にしてる余裕ないのよねえ」

 「あんたが覚えてなくても、艤装は覚えてるでしょ。練度が上がれば、そのうちフィードバックしてもらえるわよ」

 「艤装が? そんなことできるの??」

 「まあね」

 

 信じられないと言わんばかりに、目をぱちくりさせる陽炎。まるで艤装に意志があるかの言い草だ。

 艤装とは深海棲艦と戦うための装備。いわば、艦娘を艦娘たらしめているものだ。長年苦楽を共にしているので愛着はあるが、それ以上でもそれ以下でもなく、艦娘なら誰しもが同じ認識だと思っていた。

 

 だが、叢雲がそう言うなら信じざるを得ない。彼女がただ者でないことは、ここへ来てから嫌というほど思い知らされているからだ。自分や他の艦娘が知らないことを知っていても、なんら不思議ではない。

 

 陽炎は叢雲をじっと見つめ、改めて尊敬の念を抱いた。

 

 「やっぱすごいね、叢雲って。あたしと同じ駆逐艦娘なのに、強いし物知りだしさ」

 「別に、こんなの普通よ。長いこと艦娘やってれば、誰だって強くなるし知識も増えるでしょ」

 

 その言葉を聞いて、陽炎はくすりと笑った。叢雲が眉を顰める。

 

 「何がおかしいのよ」

 「いや、なんか司令と同じこと言ってるなーと思って」

 

 ちらりと提督に目をやる。彼は苦笑いを浮かべていた。

 

 「叢雲さんの普通は全然普通じゃないと思いますけどね」

 「んね。あたしもそう思う」

 

 提督の台詞に同意する陽炎。すると叢雲が鋭い視線を向けてきた。

 

 「うるさいわね。余計なこと言ってないで、さっさと手動かしなさいよ」

 

 その目は提督にも向けられ、彼は肩をすくめて自分の作業に戻った。

 そんな二人のやり取りを眺め、陽炎は小さな笑みを浮かべる。そして報告書にペンを走らせるのだった。

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