提督に転職したら想像以上にブラックだった件 作:Sh1Gr3
気さくな陽炎さん
着任して早数日。
提督の仕事――特にこの鎮守府に限っては事務作業がメインとなっているが、今日は朝からあまり手が付かずにいた。
「はぁ……」
思わずため息が漏れる。
そんな俺を見て、秘書艦席に座る叢雲さんが呆れたように言った。
「私もため息吐く方だけど、あんたも大概よね」
「そりゃため息吐きたくもなりますよ」
ため息の原因。それは先日、大淀さんから悪い話としてされた艦娘の異動の件である。
異動してくる艦娘は二人という話だったが、今日そのうちの一人が異動してくるのだ。それも、提督に殴りかかった方の艦娘が。こんなの、ため息吐かずにいられるか。
「大丈夫でしょ。戦艦空母ならともかく、駆逐艦なんだから」
「……だといいんですけど」
それでも若干不安は残ったまま、目の前の業務用パソコンに目を戻す。
画面には異動してくる艦娘の、人事情報が表示されていた。何度か目を通したが、改めて見ておこうと先ほど開いたものだ。
駆逐艦陽炎。陽炎型駆逐艦の一番艦で、赤毛っぽい長髪を黄色いリボンでツインテールにしているのが印象的な子だ。あまり人の容姿をとやかく言いたくはないが、叢雲さんと同様に整った顔立ちをしている。街中を歩いていたら、一目で艦娘だと分かるだろう。
ただ個人的に思ったのは、顔写真だけで判断する限り、とても人に殴りかかるようには見えなかった。
「なんか事情でもあるんですかね……」
叢雲さんへ言葉を投げかける。異動元があの第7鎮守府なだけに少し気になったのだ。
しかし俺の内心とはよそに、叢雲さんは退屈そうに手に取った書類を眺めていた。
「さあね」
台詞の通り、実に興味なさげなご様子だ。
「どんな理由であれ、提督に殴りかかればみんなこうなるわよ」
「まあ……それはそうかもしれませんけど」
「解体されなかっただけまだましでしょ」
確かに、これは叢雲さんの言う通りだ。
それに事情があるならうちが汲んでやればいい。なにせ、この鎮守府の記念すべき二人目の艦娘なのだから。
「あんたも、殴られないように気をつけた方がいいんじゃない」
不意に叢雲さんが、ふっと鼻で笑いながら物騒なことを言ってきた。
「いや、まじで死ぬんですけど……」
「殴られたくないなら、出迎えにでも行ってあげたら。そろそろ時間でしょ」
画面に表示された時間を確認する。確かにそろそろ陽炎さんが来る時間だ。
「じゃあ……ちょっと行ってきます」
「呆れた。本当に行くなんて」
扉に手をかけたところで、後ろから叢雲さんのため息が聞こえてきた。
いいんだ別に。逆の立場だったら出迎えてくれた方がありがたいし。
部屋を出て扉を閉めると、俺は大きく息を吐いた。
それから不安の残る重い足取りで、鎮守府の外へと向かって歩き出した。
鎮守府の外に出て、それらしい人影を入り口付近で待つ。
警備のおじさんに「なんだこいつ」という目を向けられたので、気にも留めないふりに努める。
陽炎さんが来る前に、身だしなみチェックでもしておこうと、ガラス越しに自分へと向き合った。
警備のおじさんの視線が痛い中、ほどなくして気付いた。
「やべ、上着着てくるの忘れた……」
提督専用の制服である。普通の会社がスーツを着ていくのと同じように、提督にも専用の制服というものが存在する。普段はそれを着て仕事をするのだが、なにせここは窓際鎮守府。誰の目も光っていないので、うっとうしい上着は着ていなかった。
「まあいっか」
これを理由に殴られることはないだろう。むしろお堅い制服を着ているより、話しやすいと思われるかもしれない。
そんなことを考えていると、
「こんにちは!」
背後から元気いっぱいの声が聞こえてきた。
振り返ると、そこには待っていた人物――陽炎さんが立っていた。
面食らった状態のまま、俺は頭を下げる。
「あ、こんにちは……」
急に挨拶をされて驚いていたということもあり、陽炎さんとは対照的にとてもテンションの低い挨拶を返してしまった。まずい、これは第一印象最悪なのでは……。
そんなことを気にしている間に、陽炎さんはすたすたと行ってしまった。
「えぇ……行っちゃったよ」
思わず苦笑いを浮かべる俺。
なんでだ、提督だと思われなかったってことか? それとも、提督なんぞに興味ないってことなのか?
しかしながら、後ろから声をかける勇気もあるわけなく、そのまま去って行く陽炎さんを見ていることしかできなかった。
「なにやってんのよ」
「すみません……」
提督室に戻ると、当然のごとく叢雲さんのお叱りを受けることになった。これには謝ることしかできないので、大人しく頭を下げることに徹する。
「出迎えに行ったくせに、なんであんたの方が戻ってくるの遅いの?」
「いや、なんも言えないっす」
本当に面目次第もございません。
自分のことをコミュ障だとは思っていないけど、初めましての人を相手にするのはどうしても緊張するんだよな……。
叢雲さんのお叱りにフルボッコにされていると、提督室に驚きの声が響いた。
「えっ、この人が司令だったの?!」
陽炎さんの声だ。こっちを見て目を丸くしている。開いた口が塞がらないとは、まさにこのことを言うんだろうなと思った。
そんな陽炎さんに、叢雲さんが呆れたように言った。
「いいわよ気にしないで。提督に見られない自分が悪いんだから」
はい、その通りです。返す言葉もございません。
ちらっと陽炎さんに視線を移すと、まだ目を丸くしていた。しかし俺の視線に気が付いたのか、すぐにびしっと敬礼して言った。
「陽炎型駆逐艦、一番艦陽炎です! 先日は妹の不知火を助けていただいて、ありがとうございました!」
話し終えると、陽炎さんは深く頭を下げた。
不知火、助けた……? 理解しようと俺の頭が高速フル回転を始める。
横から叢雲さんが口を開いた。
「不知火から聞いたのね」
「うん。あ、怒らないでよ! 他の人には言ってないから!」
「……誰にも言うなって言ったのに」
そう言ってため息を零す叢雲さん。
二人の会話を聞いていて、俺はようやくピンときた。
先日のSOS事件、その被害者が不知火さんという艦娘だったのだ。叢雲さんの報告書には助けた艦娘の名前までは書いていなかったので、今初めて知った。
さらに、陽炎さんが異動してきた理由。想像ではあるが、たぶんそういうことなのだろうと理解した。
叢雲さんが、俺を見てからかうようにして言う。
「ま、よかったんじゃない。殴られずに済みそうで」
「いや、知ってたんなら教えてくださいよ……」
「言ったら面白くないでしょ」
「面白さいります?」
自然とため息が零れた。
まあ、事情が分かったのは良かった。普通にしていれば殴られずに済みそうだし。
すると、陽炎さんがくすっと笑いだした。
「なんかいいわね。窓際部署だって言われたから、どんな牢獄かって想像してたんだけど」
「正真正銘、ここは窓際部署で牢獄よ。あんたはその囚人」
「あはは、面白いわねそれ」
陽炎さんと叢雲さんの会話を横目に、自分の席に向かう。陽炎さんも叢雲さんに「座ったら?」と言われて、ソファーに腰を下ろしていた。よかった、二人とも気が合いそうだ。
二人の会話はまだ続く。
「でも、二人を見て思ったわ。前の鎮守府よりは全然ましだって」
背もたれに背を預けながら陽炎さんが言った。目をつぶっており、前の鎮守府のことを思い返していそうな感じだ。
叢雲さんが言葉を返す。
「それはどうかしらね。すぐに評価を改めることになるかもよ」
「ないない。ほんっとうに酷かったんだから!」
陽炎さんの語気が強まる。
「俗にいうブラック鎮守府ってやつね。みんなひーひー言いながら従ってたわよ」
肩をすくめる陽炎さん。
話を聞いてる限り、気さくな性格のように思えたので、話に加わることにした。
「それで小林さんのことぶん殴ったんですか」
「殴れなかったのよ。取り押さえられたせいでね」
陽炎さんが手のひらに勢いよく拳をぶつける。提督室に、ぱんと高い音が響いた。
悔しそうな表情の陽炎さんに、叢雲さんが呆れたように訊いた。
「それで? なんだってそんなことしたのよ」
「だって、不知火のこと見捨てようとしたんだもん」
叢雲さんの質問に、陽炎さんが即答する。
「こっちでもね、不知火の艦隊がロストしたことは知ってた。SOS信号を出したこともね」
陽炎さんの話を聞いて、なるほどなと俺は思った。それで助けに行こうとしたら、止められたって感じか。
一呼吸いれて、陽炎さんは話を続ける。
「それで、慌てて助けに行こうとしたら司令に止められたの。無線機の不具合で現在位置がわからないから、行っても無駄だって。あり得ないでしょ?」
予想通りだった。さすがくそ野郎、それは殴りたくもなるよな。妹ならなおさらだろう。
ふと、叢雲さんが首をひねった。
「そもそもなんでそんな事態になったのよ。よっぽどのことがないと出せないわよ、あれ」
確かに、それは俺も気になっていた。あと、第7鎮守府の艦娘が第8鎮守府の区域内に入り込んだ理由も気になる。
もっとも、あのくそ野郎のことだから無茶苦茶やったのだろうが。
ため息を吐きながらも、陽炎さんは疑問に答えてくれた。
「こっちの疲労と装備をろくに考えないで、出撃を繰り返した結果ね。あの時は対潜哨戒任務で、不知火を旗艦に海防艦の子たちと出撃してたんだけど、海防艦の子たちはもうとっくに赤疲労だったの」
陽炎さんの顔に、だんだんと怒りの感情が滲み出てくる。
「それに、装備もまともじゃなかった。不知火はまだましだったけど、海防艦の子たちなんか爆雷すら積んでなかったんだから。そりゃあ被弾もするってもんでしょ」
黙って話に耳を傾ける。今下手なことを言えば、拳が飛んできそうだ。
しかし、叢雲さんは構わずに口を挟んだ。
「それで、不知火が囮になったってわけね」
「そ。できる妹でしょ? おかげでこっちの寿命が縮んだけど」
自慢げに喋る陽炎さん。
不知火さんが囮になった? 話を理解しようと首を傾げる俺に、陽炎さんが続ける。
「不知火のおかげで、海防艦の子たちは無事に帰ってこれたんだけど……帰ってきたらもう暴言罵倒の嵐よ。大破してる子もいたのにね。この時点で相当頭にきてたんだけど、不知火がロストしたって聞いた瞬間もうぷっちんて感じ」
話を最後まで聞いて、俺はようやく理解した。
海防艦の子たちを深海棲艦から逃がすために、不知火さんは囮になった。そして、逃げているうちに第8鎮守府の区域内に入り込んでSOS信号を出したと。
やれやれ、本当にとんでもないくそ野郎だったんだな、あの人。
「でもよかった。近くにあなたたちがいてくれて」
と陽炎さん。心の底からそう思っているように見える。
「本当にありがとう。この恩はこれから、たっぷりと返してあげるから!」
そう言って、陽炎さんが胸を張った。
そんな陽炎さんに、叢雲さんが釘をさすように言う。
「張り切るのは結構だけど、いいの? ここに来た以上そう簡単には戻れないわよ」
「……」
しばしの沈黙が訪れる。
やがて陽炎さんは、にこりと笑みを浮かべて言った。
「いいのよ。むしろ感謝しないと。この程度の処分で済んでくれたんだから」
「……あっそ」
会話がひと段落したのか、叢雲さんは陽炎さんから目を離すと、再び退屈そうに机上の書類に視線を戻した。
ふと気になったことがあり、俺は叢雲さんに話しかける。
「ちなみに、どうやったら戻れるんですか?」
「さあね。大淀に訊いてみたら?」
どうやら、叢雲さんも知らないらしい。となると、陽炎さんはしばらく不知火さんのところに戻れないってことか……。
「ありがと、司令。気をつかってくれて」
不意に、陽炎さんが俺を見て言った。
「でもいいの。さっきも言ったけど、恩はきっちりと返したいから。それに、なんだかんだでここも面白そうだしね」
「……うっす」
俺はそれ以上何も言わなかった。陽炎さんがいいと言うのだから、俺が余計な気をつかうのは野暮というものだろう。
気持ちを切り替えて、陽炎さんにこの鎮守府の詳細を説明しようとした矢先。陽炎さんがソファーから立ち上がった。
「ねえ司令、さっきの挨拶なんだけどさ。やり直してもいい?」
「え、別にいいですけど……」
微妙な反応になってしまった。さっきの挨拶で充分だったんだけど、この反応は少し失礼だっただろうか……。
しかしそれも杞憂だったようで、陽炎さんは少しも気にする様子もなく、
「なーんかさっきの挨拶、あたしらしくなかったのよねえ。かしこまりすぎてて」
などと言っている。
まあ、かくいう俺もかしこまった雰囲気は苦手なので、この陽炎さんの気さくな感じは非常にありがたい。
陽炎さんは机を挟んで、俺と叢雲さんの前まで歩いてくると、こほんと小さく咳払いをした。そして、すっと息を吸ってから勢いよく言い放った。
「やっと会えた! 陽炎よ。司令、これからよろしくねっ!」
こうして、陽炎さんが第8鎮守府に着任したのだった。
ここだけの話、いい人そうで本当によかった……。