ミーシャ:メイド。"魂の奏者"。魔王の娘。位階104。
二階堂龍門:父。"勇者の聖剣"。勇者。位階132/?。
魔王:疑似蘇生魔王。位階140/?
長谷部ナギ:故人。ユキオの運命の異性だった。
二階堂ヒマリ:姉。"よろずの殴打"。英雄。位階77。
二階堂ミドリ:妹。"陽光の湖"。英雄。位階75。
聖剣の青が翻り、魔剣の赤が踊る。
ビルの屋上、剣戟が甲高い金属音を響かせた。
「――シィッ!」
力で勝る魔王の唐竹。
龍門の一撃が横からそれを叩き落し、継ぐ切り返しが魔王の首を狙う。
柔らかい動きで急激に姿勢を低くし回避、魔剣を手放しそのまま手を突き水面蹴り。
龍門はそれを、低く跳躍して回避した。
その上で空中で翻り、魔王の頭蓋へ向けて聖剣を振るう。
再生成された魔剣が差し込まれ、聖剣の一撃を防いだ。
「…………」
「…………」
沈黙のままの一瞬、視線が交錯し、冷たい敵意が交換される。
互いに相手の殺害が目的ではない事は、理解していた。
魔王は、後の半人半魔を守る戦力となる勇者を、積極的に殺したくはない。
龍門は、自身は魂を破壊できず、目の前の魔王を直接殺害する能力がないと知っている。
しかしそれはそれとして、二人は感情的にお互いを許したくない事情があった。
龍門が着地、とほぼ同時に魔王が体勢を整える。
互いに術式と魔法を打つ間隙はあったが、場所が悪い。
他の戦場にほど近いため、大型の術式や魔法は間違いなく人類側に大きな被害が出る。
それはお互いに望むべく事ではない。
そして小型の術式・魔法では互いに纏う力だけで無効化可能。
それ故の、剣戟を主とした戦いであった。
しかし、その状況に魔王は眉を顰める。
「我は兎も角……お主は味方の被害を考えている状況かの?
我々はユキオの戦力を知って、その上でこの陣形にしとるんじゃぞ?
相手の想定通りの動きで勝てると思っておるのか?」
「……思っているさ」
舌戦は得意ではないが、と内心龍門は愚痴を言いつつ。
妻の仇を殺し切れない自身の無力さに歯噛みしながら。
沸き上がる怒りと憎悪を忘れさせるような、その光景に視線をやる。
都庁ビルの屋上、ユキオはミーシャと相対している。
その運命の糸で編みこんだ、青白く光る聖剣を模した糸剣を手にし。
ミーシャの手にある、魔王と同じ魔法で生まれた赤黒く光る魔剣を相手にして。
かつての勇者と魔王、そして今の勇者と魔王との、似姿であるかのように。
その背を見て、龍門は改めて呟く。
「ユキオは……私を、超えている。お前たちに計れるような子ではない」
純粋な性能では、ユキオと龍門に大きな差がある。
しかし大幅な格上との戦い、そして飲み干した感情の大きさでは、ユキオが大きく勝っていると考えていた。
(私は、聖剣なしで四死天に勝てなかった)
ちらりと、娘らと戦う水の四死天、サフィンに目をやる。
当時の龍門の位階は80、仲間たちは75~80と言ったところ。
対しサフィンの位階は100であり、龍門の4倍以上の性能を持っていた。
事前に皇竜との戦いの消耗があったが、それでも龍門らは4対1でサフィンに挑む事が出来た。
しかし敗北寸前まで追い詰められ、龍門が聖剣に覚醒することでどうにか勝利できた。
対し過日のユキオは、覚醒した能力込みの推定位階70程度で、位階90のナギに立ち向かった。
こちらもまた、4倍程度の性能差。
仲間の援護は超遠距離からの最低限で、途中からは殆ど援護なしで死闘の末にナギに勝利した。
相性の良さや経験の差はあったにしろ、圧倒的格上に勝利を収める事ができたのだ。
(私は、愛を裏切れない)
龍門が剣を握った理由は、妻の、ヒカリのためだ。
愛のために剣を握ったからこそ、龍門は愛を裏切る事ができない。
龍門が剣を振るう理由は、全てヒカリのためだった。
対しユキオは、目的の、信念のためであれば、愛を裏切り剣を振るう事ができた。
それを龍門は強さなのだと信じている。
龍門は、ユキオが何を考えて剣を振るっているのか、聞いたことはない。
聞くことが出来ない。
どのように聞けば良いのか分からないし、聞いていいのかも分からないからだ。
ただ龍門はそれを、正義感と、そして家族のためなのだと信じている。
「ユキオは、私に絶対にできない事を、できるようになった強い子だ。
私などより……真の勇者に相応しい男だ」
龍門は、常々自分を勇者に相応しくないと思っていた。
勇者とは、人類を存続に導く光の持ち手である。
しかし龍門はどちらかと言えば聖剣に振り回される側で、愛するヒカリのため以外では、さして主体性の無い側であった。
そんな自分よりも、よっぽどヒカリの方が、本物の勇者に相応しく思えていた。
そしてそれは、今もまた。
何処かヒカリの残り香を思わせるユキオもまた、龍門より勇者に相応しい男であるように思えた。
「お主は、何も変わらないの。その愚かさには呆れる他ないわ」
とは、嫌悪と侮蔑を露わにした魔王の言葉であった。
口元に手を当て、眉を顰め、細めた目で龍門を睨みつけている。
「単に愚かで何にも気づいていないのか。
それとも、気に入らない事は見なかった事にしておるのか、分からんが。
しかしまぁ……我の生涯最後の後悔は、あの女……ヒカリを呪った事じゃの」
龍門は、血が引いていく感覚を感じた。
一瞬で怒りが限界を超え、冷たく静かな思考が流れ始め……遅れて、その言葉の内容が龍門の予想を外れていた事に気づく。
魔王がヒカリを呪った事を、後悔していた?
彼女が共存路線だったからか?
「あの女は、勇者パーティーでもっとも恐るべき存在じゃった。
全員イカれた強さじゃったが……、あの女さえいなければ、お主らは纏まりに欠け全員バラバラに戦って居ったじゃろうな。
なんなら残る人類軍を結集させたのも、あの女のカリスマと頭脳によるものだろうしの。
だからこそ狙ったんじゃが……。
可能ならその場で殺すべきだったじゃろうし。
殺せないのであれば、呪うべきではなかった」
「……どういう、事だ?」
魔王の言葉の前半は、龍門も同じ感想である。
龍門が剣を振るう以外何も能がなく、政策介入も子育ても失敗しているのは自認している。
研究以外にさして興味を持たない賢者も、賢者以外にさして興味を持たない天仙も、協調性は皆無だ。
ヒカリがいなければ勇者パーティーは空中分解間違いなしだっただろう。
だから魔王が決戦の時、真っ先にヒカリの無力化を狙ったのは、感情的にはともかく理屈として理解はできる。
だが、ヒカリを殺せないなら呪うべきではなかった、というのは分からない。
呪われたヒカリは一時的に戦闘不能となり、実質三人で戦う事になった龍門らは魔王相手に苦戦を強いられた。
あの時点では魔族の敗北は決定的ではなかったため、魔王としては絶対に逃してはならないヒカリを先んじて倒すのは最善手に近かっただろう。
「……まぁ、結果論じゃよ。
死人が生き返ったからには生前の愚痴を吐きたかっただけじゃ。
よくよく考えると、お主相手に愚痴を吐くのは、観葉植物に愚痴を吐くような行いじゃの。
我ながら不毛な事しておったわ」
魔王が再び、魔剣を手に目に敵意を宿す。
龍門もそれを受けて、聖剣を手に怒りと憎悪を震わせた。
言っている事の意味は分からないが、有体に言って魔王の言葉などどうでもいい。
龍門にとって重要なのは、魔王がヒカリの仇であること。
そして今魔王を押しとどめられるのが自分しか居らず、彼女を切る正当な理由があること。
それだけだ。
「まぁ、良い。……私はお前を、切るだけだ」
龍門の脳裏から、疑問符が押し流されていく。
怒りも憎悪も消えてゆき、最後には純粋な殺意だけが残る。
切っ先に乗せる殺意が鋭さを増してゆき、一振りの刃と化していった。
*
魔剣が煌めく。
血を吸ったかのような赤黒い光剣が、ミーシャの手で踊った。
袈裟、受けるユキオは両手持ちの上膝を撓ませ、全身で衝撃を分散させてどうにか剣を受けきる。
同時床をユキオの糸が這い、ミーシャの赤い魔法の輝きが焼き切る。
先のアンバー、"雷と呪怨"の四死天であるかのように、ミーシャの足元には運命の糸を焼き切らんとする赤い雷が這いまわっていた。
そして体勢を崩し罠を潰されたユキオに、次ぐ横薙ぎの一撃。
咄嗟にユキオは剣を片手持ちとし、もう片腕に青白い糸手甲を編み、腕を折りたたみ剣と体の間に差し込む。
激突。
世界が撓むかのような、大音声と衝撃。
挟んだ腕だけで衝撃を殺し切れず、ユキオは咄嗟に横に体ごと転げ、地面に衝撃を逃した。
そこにミーシャは視線と共に手を伸ばした。
轟音、突き上がる数本のコンクリの槍。
床の振動で察知し寸でのところでバックステップするユキオの影を、石の槍が裂いてゆく。
距離を取ったユキオは両手を軽く振り、視認不可能な糸の索敵を展開する。
一呼吸置くと、編み込まれた青白い糸槍が空中に出現、射出される。
追うように本人も疾走し、ミーシャに接近した。
対しミーシャは、手を差し伸べ幾つかの水球を投射。
水球が糸槍を包むが早いか一瞬で冷却、凍り付き砕け散り、氷の粉を散らす。
舌打ちするユキオを迎え撃つ姿勢、ミーシャは静かに腰を落とし、霞の構えに近い構えを取る。
間合いが近づき、噛み合う寸前に見えるその瞬間、ミーシャは魔剣の突きを放った。
間合いの僅かに外から放たれる裂帛の突きは、なんと、伸びてみせた。
それは、異世界魔法で床のコンクリを僅かに動かしながら放つ、間合いの詐術。
直感で気づいたユキオが首を振って回避するも、首筋を僅かに切られる。
完全に体勢を崩したユキオに、そのままミーシャは上半身のみの力で剣を振り上げ、唐竹に叩き落した。
慌て防ぐユキオの糸剣を叩き落し、その肩口に刃を食い込ませる。
「ぐが……!?」
悲鳴を上げるユキオに、半歩踏み込み蹴りを放つ。
ユキオの腹に、ミーシャの靴先が突き刺さった。
下半身の力だけで放たれても岩をも砕く超筋力の脚撃は、ユキオの肋骨をへし折り内臓を破裂させ、その口から血を吐かせた。
当然、魔剣を防ぐ力が抜け、肩口に食い込んだ刃が先に進む。
最後の力で背後に跳躍したユキオの肩を、魔剣が切り裂く。
手ごたえからミーシャは、大きく肉を抉っただけでなく、確実に鎖骨を断ったと判断する。
追撃、と考えた瞬間、ミーシャは半ば直感でその動きを止めた。
「……と、危ない……」
呟き、ミーシャは先ほどまでユキオが居た辺りの空間を、雷で焼き払った。
そこには細かく見えないほど小さな、鋭利な糸が無数に仕込んであったのだ。
そのまま高速で突っ込めば、肌は兎も角、目や口、鼻といった粘膜面にはダメージを受けかねなかった。
最悪は吸い込んでしまい、肺を傷つけてしまったかもしれない。
殺意に満ちた罠に背筋を冷たくしながら、しかし戦況は自らに大きく優勢と、ミーシャは判断した。
ユキオはかつて、自身を大きく上回る力を持つ長谷部ナギに勝利した。
しかしそれはナギの固有をほぼ封じこめ、ナギの苦手分野である近接戦闘で戦い、かつ味方から長距離とは言え援護があったからだ。
対し、今はどうか。
ミーシャの固有は1対1というだけで疑似蘇生が封じられたも同然だが、魂の形を利用した高速再生は当然利用できる。
ミーシャは四死天や魔王から薫陶を受け続けており、戦闘技術は万能に近く近接戦闘が特段苦手ということはない。
そして今ユキオの仲間は手一杯で、援護は今のところない。
その状況は、実際の戦闘状況にも現れていた。
ミーシャはもらった攻撃は精々数発の小傷程度、ユキオは今の通り骨折に類するような重傷を何度も受けている。
何時の間に回復術式に習熟したのか、重傷すら回復して立ち上がってくるが、それでも消耗は顕著な差がある。
(とは言え、油断はできませんか)
先の鋭利な空間糸罠は、下手をすれば眼球を破壊された上で肺を破壊されかねなかった。
そうなれば、その隙にユキオは更に攻撃を仕掛けてきて、大きなダメージを貰っただろう。
仮にそれを受けていてもミーシャは再生可能で、その再生を加味してもまだリソースに余力はある。
順当にいけば勝てる。
しかし大きく油断すれば負ける可能性がある。
ミーシャは現状を、そのように認識していた。
「……削りましょうか」
ミーシャは思索と共に練っていた魔法を放つ。
その手から放たれた炎の嵐は瞬く間に大きくなり、屋上の過半を巻き込みながらユキオを包み込んだ。
ユキオ本人は当然糸の結界で防御するも、周囲の空気中に溶け込んでいた細かな糸の罠が焼き尽くされる。
そのままミーシャは、ユキオを待ち受ける形で構え。
制限時間のあるユキオに、自分から果敢に攻める必要はない。
「ちっ!」
舌打ち、低い姿勢で駆けるユキオ。
迎撃の岩槍を避け、剣で弾き、ミーシャの間合いへと到達する。
袈裟の一撃。
ミーシャが弾こうとする瞬間、糸剣の切っ先が縮み空かされる。
目を見開きながら体を泳がすミーシャの前で、ユキオは腰だめに糸剣を構え、そのまま突いた。
当然のように伸びる糸剣の突き。
先の光景を鏡写しにしたかのような喉元を狙う突きを、辛うじてミーシャは回避した、と思った直後。
糸剣の切っ先から、垂直な刃が生える。
ミーシャの喉の肉を食いちぎり、持っていく。
「……っ!?」
声にならない声。
喉奥に血のぬめりを感じ、喉の内部まで傷つけられたとミーシャは直感した。
呼吸に支障の出た状態、近接戦闘は不味い、距離を取らねばならない。
咄嗟にノーアクションで無理やり衝撃魔法を発動。
ボッ、と空気が鈍い音を立て、ミーシャ自身を中心に360度、人体など軽く飛ぶ衝撃がまき散らされる。
が、ユキオは血を吐きながらもその場に留まって見せた。
見れば全身を糸で床に括り付け、衝撃に耐えていたのだ。
「ここだぁっ!」
叫びユキオは、再び伸びる突きをミーシャの頭蓋へ。
今度こそ魔法の直後、硬直の隙間に伸びたその突きは、回避する方法がない。
ならば、とミーシャは意識を切り替える。
避けるべきだったリソースの消耗を、許容する。
ミーシャの額に、糸剣が突き刺さる。
そのまま伸びた剣は脳髄に到達、破壊。
脳を破壊される不快感を感じながら、しかしミーシャは、そのまま喉を再生。
喉に溜まった血液を、目つぶしに吐き捨てる。
脳を破壊されながら動くミーシャに見開いていたユキオの目が、潰される。
そのままミーシャの魔剣が、無防備なユキオの肩口に突き刺さった。
「けぁぁぁあっ!」
咆哮と共に、ミーシャの全身の筋肉が脈動、細い体の全霊を超えた力を発揮。
魔剣がユキオの体の解体を始める。
鎖骨から胸部、肺と心臓を破壊しながら腹部に辿り着き、消化器系を肋骨ごと切断しつつ横腹へと切り抜けてゆく。
血と臓物をまき散らしながら、ユキオが呆然と、ミーシャを見つめた。
一瞬の静謐。
遅れ、崩れ落ちるユキオ。
「……ユキさんの魂は、必ず確保して蘇生します。完全にね」
呟きながら、ミーシャは額に突き刺さったままの糸剣を掴む。
ん、と悩ましい声を出しながら、引っこ抜いた。
糸剣を捨て置きつつ、再生術式を発動する。
「今の私は、脳ではなく魂によって動いています。
脳を破壊されても、致命傷ではなかったんですよ。
まぁ脳の再生はリソースは大きく削られてしまいますし、皆の協力がなければキツイダメージでしたが」
ミーシャの"魂の奏者"は、自身の魂の形を記憶している。
そのため脳を破壊されようと、魂の側にその形状全てがバックアップされており、それを元に再生術式や魔法で回復することができるのだ。
とは言え放置すると再生魔法が効き辛くなってしまう上、複雑な形状なので再生に必要なリソースも大きい。
ミーシャの素の力だけでは何度も発動できないそれを、しかし今だけは何度でも使用することができた。
(皆さん、ありがとうございます……)
ミーシャの中には、今回の疑似蘇生の対象にならなかった魂が、まだ眠っていた。
下士官や兵隊まで蘇生するリソースがなかった関係で、今回蘇生する魔将達も下僕を召喚できるタイプに絞って蘇生させた。
つまり、下僕召喚が苦手な魔将や、一部の下士官の魂は、蘇生に使わずミーシャの中に残っていた。
ミーシャはその魂を、蘇生しての使役ではなく、自らの傷を癒すためのエネルギーとして使っていたのだ。
使用された魂は、二度と蘇生できなくなり、通常通り死んだ魂と同様に消えてなくなってしまう。
当然本人たちとの対話ののち、お互い納得した上での事だ。
再生があるため油断していた側面は、ある。
それでも一度脳を破壊する程ミーシャを追い詰めたユキオは、やはり凄まじい戦士だった。
魂を蘇生に回してようやく勝てた、というのは間違いあるまい。
同属の献身に改めて感謝を捧げつつ、改めてユキオに目をやり……。
目を、見開く。
ユキオが、立ち上がっていた。
「馬鹿な、ユキさん、どうやって……!?」
ふらつきながら、血をこぼしつつ、しかしその目にはしっかりと意志の光を携えながら構えを取っている。
明らかに意識があり、また先の重傷で正確な構えを取れているということは、全身の重要臓器と骨肉が再生した状態を意味する。
今までのユキオからは考えられない回復速度だ。
ユキオが魂の汎用術式を手に入れた事は、ミーシャも知っている。
どの程度の練度で使えるのかは分からず、最悪ミーシャ同様に脳髄まで自己再生できるレベルとなっている可能性はあった。
しかしそうだとして、自前の力だけで死に至る重傷を再生しようとすれば、力尽きてしまうはずだ。
他者の魂を保持していないユキオでは、ミーシャのように無限に近い再生能力を得る事など不可能なはず。
ならばなぜ、と考えた瞬間、ミーシャはユキオのその左目を捉えていた。
黒い筈のその目が、青く紺色の光を発している。
「まさか、長谷部ナギ……!?」
ナギは死の直後、その血をユキオに輸血されていた。
その血に宿った魂が、ユキオに纏わりついていたのだ。
その魂の力が最大限に発揮された今、ミーシャに感知できるレベルの力を発しながら、ユキオに力を与えているのである。
いや、それだけではない。
改めて集中して感知すれば、ユキオには無数の魂が縋りついていた。
……否、ユキオではなく、ユキオに纏わりつくナギの魂に、無数の魂達が纏わりついて。
一つ一つは弱くとも、数えきれないほどの数があるそれは、もしや、とミーシャは震える声で呟いた。
「ナギが殺した、100万の魂が、彼女の魂に縋りついているとでもいうのですか……!」
そしてそのナギの魂は、自らにまとわりつく殺した相手の魂を、解体してユキオの再生エネルギーに割いているのである。
死してなお、殺した相手をもう一度殺して見せる、殺意の塊。
日常の選択肢に常に殺しがある、死に魅入られた少女の呪い。
それがユキオを守り、ミーシャに立ち向かう力を与えていた。
「なるほどね、理屈が解っていなかったから手探りだったけど……そういう事か」
冷え切った殺意を見せるユキオに、ミーシャは背筋を凍らせる。
先ほどまでの想定と、立場は逆だった。
ユキオはミーシャを大きく超える魂を保有しており、再生のみに回せるリソースそのものはユキオの方がはるかに上。
純戦闘能力はミーシャが勝るとはいえ、時間制限のない再生リソースの削り合いとなれば、ユキオが大きく有利だっただろう。
10分という時間制限がなければ、ミーシャは確実に負けていた。
「100%悪役って感じの力だが……それでもこちらが、勝たせてもらう」
ユキオの糸剣が、再びその恐るべき青白い光と共に、その場に顕現する。
圧倒的格上に食らいつく凍り付くような殺意が、その目に載りミーシャを貫く。
愛する人を殺した事で得た力を振るい、殺された無辜の民の魂を啜りながら、その凄絶な殺意が刃を形どる。
「勝つのは、こちらです。貴方を救う手を、緩めるつもりなんてない……!」
それでも、と絶叫。
魔剣を構えるミーシャの元に、地獄のような刃が向かってくる。
不死者と不死者の、凄惨な戦いが始まった。
*
血飛沫が跳ねた。
砕けた骨が飛び交い白を彩る。
黄土色の腸が飛び散り、濃血色の肝臓がまろびでる。
髄液に塗れた脳が零れ、灰色の飛沫が互いの服を、床を彩る。
「がぁぁぁっ!」
「おおぉぉおっ!」
獣の怒号が響き渡る。
僕の糸剣が、ミーシャのその柔らかな腹を抉る。
ミーシャの魔剣が赤の剣線を残し、僕の左腕を切り落とす。
糸剣が解け、ミーシャの臓腑を抉りながらかき混ぜ、苦痛でミーシャの動きを止めようとする。
それを意に介さない魔剣が、続け僕の右腕を切り落とす。
頭突き、ミーシャの頭蓋を揺らしながら踏み込み、生えてきた左腕で刺さったままの糸剣を握る。
氷結、ミーシャの臓腑ごと糸剣、そして生えてきたばかりの左腕が凍り付き、すぐさま砕け散った。
臓物と人肉が混じった氷の粉が、宙を舞う。
「ぐうううっ!」
両手を失い無防備になった僕に、唐竹の一撃が迫る。
頭蓋で受け、喉元まで両断されながら、先に両腕を再生。
新たに作り出した糸剣でミーシャの心臓を貫く。
そのまま糸剣を変形、返しを作り引き抜けないようにすると同時、再びの氷結。
一瞬で手が張り付いたのを認識し、僕は二の腕のあたりで糸剣を生成、自分で自分の腕を切除。
ミーシャが自身の心臓ごと、僕の全身を凍らせ砕こうとしたのを回避する。
防御も回避も最低限となった、僕ら二人の不死者が互いの魂を削り合っていた。
それでも互いに守るべき部分は、少なからずある。
再生に大きなリソースを削られる、脳。
それそのものの再生は他の臓器同様だが、血が廻らず他の臓器に大きなダメージが出る、心臓。
相手にダメージを与えるための四肢と背筋。
それらを守りつつ、時には捨てて相手を削る体勢を取りつつの、リソースの削り合い。
僕は時間制限もあり、特に豊富なリソースを生かすため、決着を早めるために無理攻めする事が多くあった。
しばらく互いの臓腑を抉り、眼球を零し、脳髄を垂らすうちに、僕らは気づく。
再生の阻害もまた、重要だと。
僕がミーシャの左腕に突き刺し内部に根を張らせ放置した糸剣は、数手の間その腕を使わせず、最終的にミーシャ自身で左腕を砕き、新たに再生を強要させることに成功していた。
ミーシャが僕の胸に突き刺し貫通させた岩槍は、暫く背筋を繋げる事を阻害し、糸で砕くその時まで僕の全身運動をさせまいとしていた。
可能な限り、相手だけを再生を阻害したまま身動きできなくし、捕縛術式などで自傷を難しくし、そのまま連続して脳を破壊し続けリソースを削り切る。
それが最速の勝利だと、互いに理解したのである。
本来であれば、そこに駆け引きが生まれ、もう少し緩急のある戦いになったに違いない。
しかし僕は、焦っていた。
脳みそを何度も吹っ飛ばされた上、とっくに携帯端末も落とすか壊すかしていたため、10分のタイムリミットが何時までなのか分からなくなっていたのである。
まだ、足りないのか、と独り言ちる。
百回以上はミーシャを殺しているが、まだその動きは衰えない。
防刃繊維を折り込まれたフレンチメイド服ごと再生しており、時折真新品になった時は戦いが始まった時と視覚的に変わらなくなるぐらいだ。
一瞬意識を外部に。
階下での戦いが人類側優勢ながらも、決着にはほど遠い事を理解する。
とすれば、恐らくミーシャは前線で戦う魔将を追加で吸収はしていない。
リソースは最初から変わっておらず、僕がそれを削り切れていないだけなのだろう。
心底、時計が欲しい。あと何分時間があるのか、知りたい。
歯噛みしながら戦う僕に、しかしミーシャの表情は変わらない。
何時もの少し天然そうな和やかな笑顔を、鋭い表情にしたままだ。
猶予が分からない以上、僕としては全力で攻め筋を取るしかない、が。
このまま攻め続けるだけでミーシャを削り切れるかは、微妙なところだ。
僕の所有する魂は、"自由の剣"事件の被害者、約100万人。
ミーシャの所有する魂は、今回の召喚に使わなかった残りの魂、数量不明。
……勉強したことを、どうにか記憶からひねり出す。
魔族軍の戦士階級の数は、約100万超。
四死天を遠隔で魂回収したのは、恐らく父さんたちに別離を刻み込もうとした術式のように、マーキング系の術式があったから。
当時のミーシャが0~1歳だったということから、四死天以外をマーキングする余力はなかったと仮定。
滅びた各国の奮戦や四死天との戦いに、そもそも戻るのが間に合わなかった各方面軍もあり、魔王城の決戦に集った魔族は30万程度だったと聞く。
その全てを拾えたかは分からないが、最大限で30万程度か。
今の僕の残る魂は、既に30万を消費し、残り70万程度。
肌感だが、練度を加味するとミーシャに与えた被害は僕の半分程度か。
純粋な傷ならもっと与えているのだが、流石に魂の術式の練度からエネルギーの消費効率が違う。
汎用術式かつ付け焼き刃の僕に対し、固有術式かつ20年間使い続けてきたミーシャでは当然か。
つまるところ、残り5分以上残っていれば、このペースで攻め続ければ勝てるかもしれない。
だが残り時間は分からず、先の計算が正しい保証すらもない。
目の前の初恋の異性を、なるべく早く殺すしかない。
しかしこれ以上の無理攻めは難しいというか、返って効率が落ちそうだ。
ならば、幾つか手を考える必要がある。
そう考えながら戦っていた、その時である。
思考の外から、ドスンと物理的に突き刺さるものがあった。
見れば四肢の付け根からそれぞれ、氷の槍が生えている。
透明度の高いそれは、引きちぎった肉の断面が、透けた槍を通して見えるほどだ。
背後にひんやりとした巨大な質量、でかい氷の塊から、槍が四本生えた形らしい。
「主様、今!」
「……ユキちゃん!?」
「兄さん!?」
サフィンの声に、姉妹の声と、福重さんのうめき声。
福重さんが、落ちたのだ。
元よりスペックで一段劣る彼が、有利を取れるアンバーの代わりにサフィンに入られ、ジリ貧で削られ切ったのだろう。
そして手の空いたサフィンが僕に攻撃して隙を作り……それを見逃すはずがなく、ミーシャの魔剣が僕の心臓に差し込まれる。
すぽっと。
あまりにも簡単に、切っ先が背中から飛び出て。
魔剣が、回転する。
僕の心臓が捩じ切られる。
思考が赤く染まるような痛み、血圧がイカれて鼻血に目血、口からも血が零れる。
遅れて僕の全身に、対術式系の拘束術式が迫る。
「――運命、転変!」
咄嗟の発動が間に合い、世界がモノクロに染まる。
白黒の視界の中、ミーシャの魔剣が逆再生のように戻ってゆき、僕の心臓が回転しながら体に戻ってゆく。
氷の槍が、背中側の巨大な質量が遠く離れ、視界外の恐らくはサフィンの元へと戻ってゆき……。
世界に色が、付きなおす。
残る余力は少ない、これで運命転変はもう使う余力が残っていない。
魂は再生エネルギーにしか変換できず、汎用のリソースとしては使えないからだ。
「――とっ!」
タイミングを見計らい、高速移動でサフィンの氷塊を避ける。
そのまま服の中に糸を滑り込ませ、多少の仕込みをしつつ空いた間合いを殺そうと進む。
しかしその目前で、ミーシャは予想外の動きをしていた。
「避けたなら……この質量を利用するまでです!」
その手の魂の術式光は、飛んできた巨大な氷塊に向けられている。
想定外の光景に、警戒から足が緩み、その場に構えて状況を見る。
一瞬ののち現れたのは、一本の金属製の剣だった。
儀礼用と思わしき装飾の多いそれはどう考えても命を持たない無機物で、疑問符に一瞬思考が停止する。
「行きなさい、リビング・ウェポン!」
剣が、空中を踊るように、僕目指して飛び始めた。
物質生命の疑似蘇生ということなのか。
そんなのアリかよ、と舌打ちしつつ、飛んでくる剣を糸剣で叩きつける。
強度は僕の全霊の一撃であれば、一撃で破壊で来た。
砕け散る直剣、その鍔の辺りにあった魂に触れ、魂を消し飛ばす。
「一手」
続け飛んでくる、サフィンの氷槍。
凄まじい冷気漂うそれは、掠るだけで大幅な凍結は避けられまい。
やむを得ず避け、或いは剣で砕き防御することに成功するが。
「二手」
スカートのフリルが、ふわりと浮かび柔らかにその存在を知らせる。
気づけばミーシャが、僕に肉薄していた。
体勢は崩れ、即応ができない。
運命転変は、もう使うリソースが残っていない。
「二手、遅れましたね」
避けえぬ状況で、魔剣が僕の左胸に差し込まれ、捩じ切られる。
先と同じく、あらゆる場所から血が零れる。
魔剣が引き抜かれると同時、心臓があるべき場所が氷に満たされる。
再生の阻害、僕の背から先が見えてしまいそうなぐらいに、透明なモノが物理的に僕の胸を満たす。
瞬時に糸を体内に巡らせ氷を破壊しようとするが、より早くミーシャの拘束術式が発動する。
赤黒い帯が複数、僕の体に巻き付き、透明になって沈み込み消えていった。
速度優先で、肉体拘束は最小限で、術式発動の阻害が主な効果。
心臓を氷結で再生阻害し、術式阻害ですぐに氷を排除できないようにし。
心臓を無くし酸素を供給できない、辛うじて糸剣を握るだけでまともに動けなくなったはずの僕に。
ミーシャは、頭蓋に向けてその魔剣を振り下ろそうとし……。
「良かったよ、予想通りで」
そして僕は、無傷と違わぬ動きで、逆にミーシャの心臓を貫いていた。
「……あ、え?」
予想を外され、一瞬ミーシャの表情と動きが留まる。
その瞬間、糸剣が解け、心臓の中から全身へとその糸を浸食させる。
臓腑を行きがけの駄賃で傷つけながら、糸は四肢に到着。
その白く細い四肢を、内側から糸槍が貫き、再生を阻害する。
血飛沫を上げながら、崩れ落ちるように、ミーシャが倒れた。
「……し、心臓を……予め取り出していたの!?」
遠く、サフィンの悲鳴。
そういえば、今食らったミーシャの魔剣の一撃で、シャツがボロボロになって背中が露出していたな。
そう独り言ちつつ、僕は右の背中に予め引きずり出しておいた心臓を、元の場所に引き戻す。
そう、僕は先ほど運命転変で時間を巻き戻した直後に、自らの心臓を引きずり出し、右の背中に移動していたのだ。
かつて、自分で自分の首を切断しながらアタッチメント化する事に成功したように。
自らの心臓を引きずり出して位置を替え、血管を糸で編んで延長していたのである。
もちろん長時間となれば色々な問題が出ていただろうが、十数秒騙せれば問題なく、何度も心臓を再生した経験があるのだから、決して不可能ではない。
運命転変を併用すれば、尚更確実に成功できるという事だ。
ミーシャが僕の心臓と脳、どちらを狙ってくるかは微妙なところだった。
彼女は僕の首がアタッチメント化され外れる事を知っているが、その自由度や着脱の速度までは知らないはずだ。
だから心臓を狙うのが安牌だろうが、確信とまでは行かなかった。
運命転変の直前、四肢を拘束された僕に、まずは心臓を狙ってくる光景を見るまでは。
ミーシャが僕の心臓を狙ってくる確信を得た僕は、彼女に再び心臓のあるべき場所を貫かせ、僕が酸欠でまともに動けなくなったと誤解させたのだ。
リビングウェポンはちょっと予想外だったが、何とかアドリブで乗り切る事ができた。
術式阻害が残っているが、既に生み出した糸を操作する分には問題なく、糸剣の生成も時間がかかるだけでなんとかできた。
普段より糸の行使による消耗が大きいが、すぐ終わるなら許容範囲だ。
数秒で心臓を戻し終えた僕は、残る四死天や魔王からの介入がない事を確認したうえで、新しく生成した糸剣を振り上げ構える。
ミーシャは尻もちをついたまま立ち上がる事はできず、魔剣は手放し僕らの間に落ちたまま。
「……さようなら、ミーシャ」
その頭蓋に向けて、糸剣を振り下ろし。
「……まだ、です!」
ミーシャの言葉と共に、魔剣が輝く。
赤黒い光が収束し……、爆発。
魔剣の破片が、体中に突き刺さるのを感じる。
苦痛、血が引き一気に思考が暗く落ちてゆく。
浮遊感、体が沁みついた防御姿勢をとろうとするが、上手く動かず……。
そこで一度、僕の意識は途絶えた。
*
「け、ほっ……」
意識を取り戻すが早いか、ミーシャが血塊を吐き出した。
仰向けの体、僅かに首を傾けるのが限界で、どうにか血塊を吐き捨てる事に成功する。
荒い呼吸のまま、自身の損傷を割り出し眉を顰める。
残る同胞の魂は数十程度、再生は僅かにしかできない。
四肢は先ほど糸剣に蹂躙されたままで、内部から糸槍にグチャグチャにされて再生不可能。
心臓は正常。
恐らく魔剣の爆発で一度突き刺さった糸剣ごと破壊されたのだろう、再生は無意識に行えたという事か。
別離の術式の発動までは、あと3分と言ったところか。
そしてミーシャ自身の魔力は、もう残っておらず、完全に底をついている。
四肢切断からの再生は不可能だ。
(これは……ユキさんが無事だと、厳しい)
なんとか首を動かし、ミーシャは辺りを見まわした。
そこは、都庁ビルの階下だった。
先の魔剣の爆発で屋上の床が破壊、瓦礫と共に数階下まで落ち、広い部屋に辿り着いたようだった。
中心は落ちてきた瓦礫で埋まっており、ミーシャは少し高い瓦礫の山の頂点辺りに仰向けに倒れていた。
天井はなく、曇り夜空に"人魔統合術式"の魔法陣が見えるだけだ。
"人魔統合術式"の進み具合は想定より早いが、それでも別離の術式よりは発動が遅くなりそうだ。
ガラン、という音。
「う、うううう……」
音の元を見やると、うつ伏せに倒れたユキオと、その横に生成された糸槍があった。
糸槍はすぐに点滅し、そのまま解け消えてなくなってしまう。
恐らく全霊を込めて糸槍を生成したのだろうが、先の術式阻害が残っており、傷ついた状態ではまともに行使できなかったのだ。
ユキオはその全身に、魔剣の破片が刺さったままであった。
深く突き刺さった魔剣の破片はユキオの四肢の再生を阻害しており、四肢をまともに動かせないのは見て取れる。
こちらはうつ伏せに、動くことができず芋虫のように転がっているユキオは。
だから。
動かせるアゴだけで地面を掴み、這いずりながらミーシャへと、近づいてきていた。
「う゛、ううううう……!」
うめき声を上げながら。
額を赤く染め、流れた血で顔を赤く染め、まるで血の涙を流しているかのように。
凄まじい形相。
その目や口だけではなく、顔に刻まれたシワ一本一本にすら殺意が籠っているのではとさえ思える、殺意と憎悪の塊の表情で。
顎の皮膚をべろべろに擦りむきながら。
ずりずり、ずりずりと床を這いずり、血の川を後に残しながらミーシャへと近づいてくる。
ミーシャは、全く動けない。
呼吸をすることだけで全力である自分を再認識し、攻撃も防御も、それどころか声を出す事すらままならない。
やがてユキオは、ミーシャの元に辿り着いた。
ぎ、と声にならない声を漏らし、背筋だけで無理やり上体を起こし。
悪鬼の表情を消し、無表情で一瞬、ミーシャの顔を見やる。
(ちょっと、はたしないかも、ですね)
服装を再生する力など、もう残っていない。
ミーシャのいつものフレンチメイド服はボロボロで、あちこちに肌が垣間見えている。
その肌色、と言っても元より空いていた首元に、ユキオの視線が留まる。
ユキオが、その背を曲げた。
ミーシャの首筋に、ちゅ、と短い口づけが残される。
目が合う。
悲哀と恐怖、忌避と愛情に満ちたその視線は、ほんの一瞬だけで……すぐにまた、殺意に満ちた表情に入れ替わった。
再び上体を起こしたユキオが、口を開く。
術式阻害の効き辛い体内、口の中の歯に運命の糸を編み込み、運命の糸キバを作り出して。
青白く光る牙をつけたまま、カパリと口を開く。
「あ……あ゛あ゛あ゛あああっっ!!!」
絶叫。
血涙の上を零れ行く、本物の涙を流しながら。
ユキオは勢いよく……、ミーシャの喉を食いちぎった。
視界が、赤く染まるような苦痛。
絶叫すらできず、ミーシャは口元をパクパクとさせながら泡を吹いて。
再生。
ユキオが噛みつく。
再生。
食いちぎられる。
再生。
食われる。
再生。
食われる。
食う食う食う食う食う食う食う食う。
もはや声を上げる余裕すらなく、姿勢を戻し勢いを付ける力すら、ユキオには残っていなかった。
姿勢を下げたまま、再生し続けるミーシャの喉を、ユキオは泣きながらむしゃむしゃと貪り続ける。
唇を血と脂に染め、肉片を頬につけながら。
食って、食って、食い破り続けて。
もはや痛みすら麻痺して、体の反応に任せる他なくなったミーシャは、ぼんやりとした思考で思う。
(あぁ)
(必死で、私を食べて)
(なんだか可愛いなぁ)
ついには、ミーシャに別離の術式も"人魔統合術式"も、維持する力がなくなった。
残り十秒ぐらいだったのになぁ、と内心ぼやくミーシャの目には。
覆いかぶさり泣きながらミーシャの喉を貪り続けるユキオのシルエットが、ぼんやりと見える。
ユキオのその背を、まるで月であるかのように照らして見せる、"人魔統合術式"の魔法陣。
それが解けて、逆光がなくなり……ユキオのその表情が、より克明に見えるようになった。
あまりにも、必至。
背で魔法陣が消えたことにすら気づかないまま、ミーシャの再生が鈍り止まりつつあるのに気づく様子もなく、一切の余裕もなくただただ必至でミーシャの喉を食い破り続けている。
その背を、叩くものがあった。
「ユキオ、もう大丈夫だ」
効きなれた声、龍門のもの。
ユキオが停止し、上体を僅かに起こす。
口元を真っ赤な血と脂に染めながら、呆然と何もない空中を見つめている。
ぴちゃぴちゃと、その顎から垂れる鮮血が、床に血飛沫を描いていた。
「我々に刻まれた魂の術式は、消えた。"人魔統合術式"の魔法陣は、消えた。疑似蘇生された魔族も消えた。私たちは助かった。もう、もう……大丈夫なんだ」
龍門の声に答えるでもなく、ただただ呆然と佇むだけのユキオ。
それを見つめる視界が暗くなり始めるのに、ついにミーシャは、意識がもう持たない事を悟った。
最後の力を振り絞り、上体を起こす。
龍門が身構えるのを視界の端に、呆然としたままミーシャを見つめるユキオの、その唇に。
そっと、口づけた。
血と脂と人肉の味がする、最初で最後のマウストゥマウスの口づけを。
口づけはほんの僅かな時間だった。
離れ、言葉を発しようとして、自身の喉がない事に気づき……、ミーシャは唇だけでその言葉を発した。
(だいすき)
それを、ユキオの呆然とした目が追っていて。
それが、最後の力だった。
重力に負け体が崩れ落ちるのを感じつつ、ミーシャの意識は、二度と戻れない所に落ちていった。
最早聞こえるはずのない、ユキオの悲鳴を子守歌に。
*
毛足の長い絨毯に、豪奢な家具。
照明は細やかに反射し柔らかな光で辺りを包んでおり、その部屋を豪勢に演出している。
僕の前の大きな化粧台は作りこまれており、瀟洒な細工で縁どられた鏡は僕の憂鬱な表情を映し出す。
上質なスーツに革靴の窮屈な姿で、僕は鏡と向き合いながら、意識を弛緩させていた。
あの日、僕がミーシャを殺した日から、既に二週間が経過していた。
結果的に、人類側の被害は大きくはなかった。
"人魔統合術式"への破壊は成功した。
魔将クラスは冒険者らの殺傷に積極的ではなかったこと、一般人の避難が粗方済んでいた事などから、死傷者は数十人に収まったとのことだ。
その多くも重傷に収まり、回復可能な範囲に収まるものが殆どだったと聞く。
人魔大戦の被害を考えれば、奇跡的な損害の低さとされていた。
普段冒険者にケチをつけるのが仕事のマスコミですら、起こってしまった事態への被害の少なさは認めているほどだ。(もちろん、未然に防げなかったのかという追及は出ていたが)
そしてそれは、今回の解決者の中心となった面子に、勲章を授けるという形で称えられる事となっている。
勲章授与式の控室。
男女に分かれ、更に父さんと福重さんは挨拶に行って僕は一人きり。
一度緊張を解き、弛緩させた体でじっと鏡に映る自分を見つめている。
しばらく自分自身を見つめていると、ぼう、っと僕の黒い瞳に色が宿り始めた。
左目には、ナギの髪や瞳を思い起こさせる青い光が。
右目には、ミーシャの瞳や魔剣を思わせる、赤い光が。
どうやら最後のキスとミーシャの魂の術式が絡み合い、僕の中にミーシャの魂が住まう事になったようだった。
とは言え、僕の魂の汎用術式では、内に宿った魂の声を聞くことはできないし、疑似蘇生も当然不可能だ。
だからその声を聞くことすらままならず、そこにあると言う感覚が残るのみ。
この手で殺した運命の人と初恋の人が、僕の中には宿り続けていた。
生まれて初めて殺した人と、二番目に殺した人が。
ひとごろし。
好きな人ばかりこの手にかける、殺人鬼。
英雄になりたいと願っていたはずの、英雄とはほど遠い怪物が、鏡に映っている。
笑顔を作る練習に、微笑んで見せる。
ヒマリ姉とミドリに太鼓判を押されたそれは、しかし僕の目には、化け物が血をすすろうとしている顔にしか見えなかった。
「ユキちゃん、そろそろ出番だよ~」
「美少女ボイスで呼んであげたから早めにきてね」
「……うん」
立ち上がり、最後に何となく見返る。
知らない誰かが、僕を見返り眺めている。
灰色の髪、陰気で光のない目でこちらをじっと見つめていて、まるで亡者と見間違いそうな生気の無さだ。
くたびれた雰囲気に似合わない高級官僚じみた仕立ての良いスーツを来ており、どうみてもスーツに着られた男である。
数秒見つめてから、それが鏡に映った自分なのだと気づいて、溜息をつきながら向き直り、前に進んだ。
控室を出ると、ヒマリ姉とミドリが僕の両手を掴み両側に侍る。
ヒマリ姉は純白の、ミドリは桃色のドレスに身を包んでいる。
眩いばかりに輝く二人に思わず目を細めると、ヒマリ姉はにへっと、ミドリは控えめに、相好を崩した。
「えへへ、お姉ちゃん似合ってるかな? いやぁ純白のドレスってなんだか緊張するなぁ」
「私は完璧だと思うので、兄さん褒めまくって良いよ。際限なく褒めて」
「二人とも、とても綺麗だよ。まるでお姫様みたいだ」
いつもならもっと自然に多くの誉め言葉が出てきたと思うのだが、自虐と憎悪に満ちた内心から、これ以上の語彙が出てこない。
普段以上の役立たずになった僕に、それでも二人が微笑み返してくれる。
少しぎこちない、僕を気遣った笑み。
「うー、ユキちゃんの腕をギュッとしたいんだけど、シワになっちゃうからなぁ」
「我慢我慢。家帰ったら兄さんが我慢した分何でもしてくれるから」
「勝手に決めないでね……。大体聞いてあげるけどさ……」
わざとらしくガッツポーズを決めるミドリに微笑みながら、廊下を前に進む。
目的の大部屋に辿り着くと、皇国の大臣や官僚たちの挨拶もそこそこに、勲章の授与式が行われた。
意識を殺し、出来るだけ何も考えないよう、事前のリハーサル通りに動き続ける。
可能な限りの笑顔を貼り付けて、大勢の拍手に答える。
続けて始まる記者会見では、記者たちの質問はこれまで露出の少なかった僕に殺到する。
幸い事前の質問票の通りの質疑だけだったので、暗記していたそれを読み上げるだけで済んだ。
まるで赤の他人が考えて、僕ではない誰かが喋っているかのような台詞。
「恐怖は感じていました。一時的に死を超越していたはずですが、事前に確認のしようがありませんでしたからね。それでも、背に守る物を感じる事で、なんとか立ち向かう事ができました」
違う。
死の恐怖なんて感じなかった。
ミーシャはもし僕が死んでも必ず蘇生すると確信していたし、感じていた恐怖は家族を失う事と、ミーシャを手に掛ける事だけだった。
僕は自分よりも敵の善性を信じる、卑怯者だった。
「何度も諦めそうになりましたが、それでも無辜の人の、そして家族の事を思えば立ち上がる事ができました。僕が立ち上がり続ける事ができたのは、皆さんのお陰です」
違う。
諦めようなんて思う暇もなく、僕は全霊で戦い続けるうちに決着がついただけだ。
そして、むしろ僕は、無辜の人の苦しみを糧に自分を再生し立ち上がっていた。
先の事件の被害者の魂を、扱えると知った瞬間、目的のために躊躇なく犠牲にした。
無辜の人を救う英雄ではなく、目的のために苦しめる邪悪な存在だった。
自分が剥離してく。
「魔王の娘を倒し人類を救った英雄、二階堂ユキオ」とやらが、僕自身を塗りつぶしていく。
それでも作り物の笑顔で、どうにか会見を終えて。
舞台裏、疲れで気が抜けて、何もない所でこけそうになって、父さんに支えられた。
「……大丈夫か、ユキオ」
「うん、ありがとう、父さん」
父さん、本物の英雄が僕を見つめている。
何時もながら喪服のような黒スーツを来て、長い黒髪を纏め、鋭い目でじっと僕を。
何故かその目は、何処か僕に怯えているように見えてしまう。
思わず覗き込むと、怯えの色は消え、ただただ僕を心配してみせているように見えた。
気のせいか、と深呼吸。
体勢を立て直し、前に歩き始める父さんの、その背を見つめる。
なぜか急に、怖くなった。
何が怖いのかも、何故怖いのかも何もわからず、恐怖という感情だけが僕の中を、ぐちゃぐちゃにかき乱す。
赤ん坊が泣きだす時に感じていそうな、背景のない恐怖。
今にも暴れそうになる体を、ぎゅっと手を握りしめてやり過ごそうとする。
それでも堪えきれなくて、あと一歩で涙になって零れ落ちそうになったその瞬間。
「ユキちゃん?」
「兄さん?」
手を取る温度が、それを引っ込めた。
嘘だったのかと思うほど、直前にまで感じていた恐怖は掻き消えていた。
自分の中を駆け巡っていた動揺の、その波紋だけが残って中身はなくなってしまった。
両手を左右からとった姉と妹に曖昧な笑みを返し、父に続きその場を後にしようと歩き出す。
前を歩く父の背が、暫く視界に入り続ける。
愛する……、そしてナギが僕に殺意を抱いているのだろうと言い、ミーシャが苦しみの元と断言する、家族の姿。
その背中に僕は、過日に抱いた夢を思い出す。
"僕の夢は、家族を、"ここ"を守り続けて、最後には、お父さんに殺されることです"。
それは、変わらない。
全く変わらないのだ。
なのに。
疲れが、肩に載る。
空腹のような何かが臓腑を重くし、今にも腹から臓物が零れそうだ。
両足が、鉛のように重くて。
常に涙の元のようなものが、目元から零れ落ちようと隙を狙っている。
こんなものが、こんなものがこれからもずっと続いて、否、もっと酷くなり続けるのだとすれば。
耐える。
耐えきって、見せる。
耐えきって見せるけれども、それでも、ああ、辛くて。
あまりにも、疲れ果ててしまって。
助けてほしくて。
だから内心、縋りつくように僕は、父の背中に懇願した。
――お父さん、どうか早く、ぼくを殺してください、と。
2章-凄惨 了