二階堂龍門:父。"勇者の聖剣"。勇者。位階132~204。
太上老君:老子。勇者たちの師。
下野間チセ:知人の娘。聖女の転生者。
二階堂ヒマリ:姉。"よろずの殴打"。英雄。位階124。
二階堂ミドリ:妹。"陽光の湖"。英雄。位階139。
二階堂アキラ:娘/妹。"時間の総舵手"。愚者。位階159。
二階堂ヒカリ:母。故人。聖女。
暑すぎて蒸しアルパカになりそうです。
この話を書き終えたのも前日夜23時なので、来週予定通り更新できるかは謎です。
「……あぁ、何の問題もない。私がユキオを、この手で殺す。それで問題はすべて解決だ。
ヒカリが納得するのか、だと? 納得するに決まっている。
ユキオは、そのための存在だったのだから。
……切るぞ」
福重との携帯端末の通話を切り、龍門は一息ついた。
ホテルの一室、窓は大きく広がり夜景が一望できる広い部屋。
一人掛けの豪奢なソファに腰かけながら、サイドテーブルにある小さなグラスを手に取り、蒸留酒を口にする。
軽く口の中で躍らせてから、嚥下。
今度は感嘆の意味で溜息をもらして、ゆっくりとソファに背を預ける。
眼下の夜景を眺めつつ、呟いた。
「そうだろう? ヒカリ。
君にとってユキオは、息子ではなかった。
赤の他人の子に……ただの道具に過ぎなかった。
ならば私がどのように使うのかも、自由なはずだ」
『……本当にそうかね?』
ねっとりとした声が、響いた。
性別を感じさせない中性的な、しかしどこか粘着質な感覚を覚える声。
ここ最近で聞きなれてしまった龍門は僅かに目を細め、椅子に浅く座り直し、チェイサーの水を口にした。
蒸留酒の余韻が流れゆくのを楽しむのではなく、単純にアルコールの余韻を消し去りたいだけの行為。
「無粋だな、老子よ」
『いやはや、息子を殺す準備を終えて一杯やっている勇者には劣るさ。
まさか息子のために私に渡りをつけていたのを、反故にしてくるとはね。
二年ほどに渡って探した私とようやく結べた契約だというのに。
一体何があったのか、気になって問いかけるのは当然の権利だとは思わないかい?』
冷笑を露わにする声に、龍門は目を細めた。
その奥にある感情が、読めない。
元よりうさん臭く感情の読みづらい相手だったが、今日は普段に輪をかけてだ。
質問された内容を無視して、龍門は告げた。
「一体何が気に入らない? ユキオと会う事を渋っていたのであれば、アレに執着はないのだろう?
そも、本当に気に入らないのか? 貴方の名声であれば、私のインフラレッド宣言の信ぴょう性にヒビを入れる事ぐらいできるだろう」
『おやおや、成立したはずの契約を、履行できなくしようとしておいてそれかい?
ヒカリに教わらなかったのかい? 契約は守りましょうってね』
「……それとも、私がユキオを殺そうとすることすらも貴方の想定通りだというのか?」
舌打ちが、虚空から響き渡った。
苛立ちらしき感情に、龍門は僅かに腰を浮かせる。
『つくづく、会話に応じない男だ。
つまらない上に、暴力以外の対話が全て斜め上にしかならない。
流石にヒカリの趣味の悪さには、失笑するしかないね』
「ヒカリを侮辱するのか?」
『今鏡に向かって言ったかい? いや、夫の言動に関係なく、あれは私の敵だったが』
太上老君の言葉に、龍門は眉をひそめた。
老子は、龍門を除く勇者パーティー三人の師匠に等しい関係者だ。
龍門の記憶の限り、ヒカリとは最も息が合う関係だったはず。
とすると、龍門の知らないところで、二人になんらかの決裂があったのか。
場合によってはユキオを殺害したのち、老子とも本格的に敵対する可能性ができた。
龍門は取り急ぎその事情を、胸に秘めるだけにして収めた。
「……まぁ、いい。契約は、果たす方法がなければ無効になるのみ。
私は既に対価を差し出した、貴方の差し出す対価がなくなるだけ。
そこに不義理など感じていないし、説明の義務もない」
『…………』
「老子、私は貴方の目的を知らない。
しかし舞台に上がらずに成果だけを掠め取ろうとしている事は分かる。
その卑しさを私は軽蔑するし、貴方の言葉に動かされる事はない」
龍門は、既に行動を決定している。
これから龍門はあらゆる手段を使い、ユキオを殺害する。
そしてチセ……ヒカリの転生体を手に入れる。
その先は場合によっては太上老君の力を借りるプランもあったが、先の会話により破棄となった都合上、老子の言動や龍門の行動を左右することはなくなった。
『目的は、ヒカリの疑似蘇生かな?』
龍門は、答えない。
老子との対話に、価値を感じなかったからだ。
……三年前、ユキオが薬師寺アキラに敗北し、そして薬師寺アキラが転生の儀により亡くなったのち。
意識を失ったユキオより優先して、龍門は薬師寺アキラの遺した研究所への調査に参加していた。
そこでは転生体への記憶転写に関する資料が徴収され、龍門はその資料を先んじて記憶することに成功している。
龍門は、運命と魂の術式に関係する聖剣の担い手である。
ミドリにも劣るが、運命と魂の汎用術式には、ある程度の適正がある。
であれば、時間はかかるが、いつかはヒカリを蘇生する事ができるかもしれない。
まずは、ヒカリの転生体の入手を間違いなく邪魔するユキオを殺害。
入手したヒカリの転生体が劣化しないように凍結封印。
その後は訓練や研究にかかる時間を見込み、それが数十年を超えるようであれば、自身の寿命への対策も必要となる。
それこそ薬師寺アキラが目論んだように、龍門自身がいくつもの肉体を渡り歩きながら研究しなければならない可能性すらある。
しかし。
それでも龍門は、愛する妻の事を諦めない。
彼女こそが龍門にとっての全てで、他には等しく価値がないからだ。
「私は、ユキオを殺す。それを邪魔立てするというのであれば老子、貴方から殺すまでだ」
『……なるほど、よくよく分かったとも。
君のスタンスは、再確認できたさ』
どこか疲れたような声を最後に、気配は遠ざかっていった。
龍門はそれでもしばらくの間体を緊張させていたが、残心を終えてゆっくりと背中をソファの背に預けた。
適度に硬い反発が、龍門の背を受け止める。
「ユキオ……」
気が抜けたからなのか、龍門の口から自然とその名が口に出ていた。
口にしてから、何故その名を口にしたのか分からず、龍門は動きを止めた。
二階堂龍門にとって、ヒカリこそが世界の全てだった。
剣を取り鍛えるようになったのも、魔族らに立ち向かおうとしたのも、魔王と戦ったのも、全てはヒカリのためである。
勇者らしい言動や政治的配慮も、全てヒカリのために覚えた。
龍門はその能力の全てを、ヒカリのために鍛えた。
その言動の全てはヒカリだけのためであって、人類のためではない。
だからヒカリを亡くしてからは、龍門にとって世界は、色褪せたようだった。
剣を持つ意味などなく、生きる意義など感じず、それでもヒカリとの約束だからと人類にとっての勇者を演じ続けた。
それが変わったのは、ユキオを認識してからだった。
始めは娘二人と同じ、ヒカリの忘れ形見として一括りにみていた。
龍門にとって、自身とヒカリの血を引く娘ですらも、特段興味の対象とできず赤の他人と同程度の興味しか持てなかった。
ヒカリのオマケ。
ヒカリとの約束を守るための、人肉の塊。
社会一般として大切にした方が良いとされる、ヒカリの評価を下げないために大切に扱うポーズが必要なモノ。
しかしある日、初等部の5年生だったか、幼いユキオの泣き顔を見て、漠然と思ったのだ。
――この子は、どこかヒカリに似ている。
それから龍門は、ユキオに関心を持つようになった。
ユキオは、姉妹をよく観察しており彼女らに優しく振舞っていた。
食べ物の好き嫌いはそれから認識したし、どうも姉妹に劣等感を感じているらしいことも初めて気づいた。
ミーシャがユキオに見せる、僅かに色気のある視線にも。
それから家政婦……川渡による性的暴行、龍門が奮起して政治に働きかけての"色"の判別規定、そしてユキオが下限スレスレの"赤"と判定され。
良くも悪くも、龍門は色あせた視界など感じず、ユキオを守るために奔走した。
その根本にはヒカリへの愛があり、ユキオへの感情はその類似によるものだったが、しかし。
それでも年月が、龍門に幾分かの愛着を芽生えさせたのは、否めない。
「けれど、私はお前を殺すよ……ユキオ」
龍門は、敢えてそう口にした。
その愛着に嘘はなく、しかしそれは人間が人間に向ける感情とは程遠かった。
それは昔から長らく使っている道具に対する愛着に近かった。
ヒカリを思い出すための、ヒカリを感じるための道具。
それこそがユキオに感じていた感情なのだと、龍門は改めて自認する。
「……待っていてくれ、ヒカリ。
必ず君と、再会して見せる」
再びサイドテーブルに手を、蒸留酒を口に。
舌の上で転がすようにしてから嚥下し、口中に残る後味を含めて余韻を楽しむ。
誓いの言葉を胸に、龍門には迷いはなかった。
*
「居たぞ! こっちだ!」
剣を振るう。
「もともと"赤"だったころから、何時か何かやらかすと思ってたんだ!」
剣を振るう。
「逃すな、なんとしてでも勇者の到着までに消耗させるんだ!」
剣を、振るう。
血飛沫が跳ねる。
臓器を傷つける事なく、失血による体力低下をだけ狙った剣が、人肉を切り裂く感触を僕の手に返す。
怒りが、憎悪が、恐怖の視線が僕に向けられる。
(人は、殺さない。後遺症も、残さない)
意識しながら人肉を斬ってゆく。
人間を、血袋を裂く。
深く裂くと危ないから、薄く、無数の傷をつける。
武器を壊して、人を傷つけて、傷つけて、傷つけて。
「ユキちゃん、やっぱり私も……!」
「姉さん以外に、誰がチセの護衛をするのさ」
「私なら、遠距離からの援護なら……!」
「父さん相手に、姉さんとアキラとで三人がかりじゃないと護衛にならないって話、納得したんじゃなかった?」
声から感情が抜け落ちてゆくのが、分かる。
それは疲労故か、精神的摩耗故か。
対人恐怖を患っていたはずなのに、生存のためそんな余裕がないからか、恐怖を感じる部分すらも麻痺してしまった。
あの夜から、一夜が明けていた。
僕ら五人は福重さんの通話を受けてすぐにマンションを出て、夜の街を移動。
とりあえず人気の少ない郊外へ潜伏しようと、公共の交通機関を避けて動いていたのだが、夜明け前に捕捉されてしまったのだ。
Code:インフラレッド。
それは魔族に続く人類種への敵対者の出現を意味する指令。
聖剣の勇者が発令に関わらねばならないそれは、父さんが政府の一部の人間と共謀して発令していた。
それは、皇国における人類の総戦力戦の旗振り。
それを受けた政府は、軍、警察、ギルド、そして全国民に二階堂ユキオの殺害命令を指示した。
とは言え、僕は位階だけ見れば世界最強で、実績としてもそれにほど近いものがある。
実情としては殺害というより、僕を消耗させ、父さんに確実に勝利させるための命令となっていた。
軍はその組織力をもって、僕を疲弊させるための波状戦闘を。
警察は民衆の避難や公共機関の検問。
ギルドは上級の冒険者を軍と連携させ、僕を削るための一役に。
そして。
『見てください、あれが裏切りの英雄、二階堂ユキオです!
ご安心ください、政府は既に奴を捕捉し、徐々に弱らせています。
我らの勇者が、必ず奴を討ってくれるでしょう!』
遠く上空のヘリから、リポーターがマイクに向かって叫ぶ。
伸びた糸の結界が音声を拾ってくれるが、内容を聞いていると憂鬱さが増してゆくばかりだ。
民衆の一員として、マスコミは僕らの逃避行への報道を続けていた。
「……父さまへの、精神攻撃のためか。
ここまでやるのか、龍門……!」
憤るアキラの言葉に、改めて父さんの殺意の強さを感じてしまう。
父さんが本気で僕を殺そうと、持つ手全てを使って僕を殺そうとしている。
僕は元々、精神的にかなり不安定な状態だった。
そんな僕を確実に殺そうとするのであれば、精神的打撃を与え調子を落としてからの方が効率が良い。
こうやって僕を社会的に孤立させ、精神からまず削り殺そうとするのは……有効手と言わざるを得ないだろう。
継続的な戦闘で疲労を蓄積され、人類の敵として大々的に扱われる事で精神が摩耗してゆく。
一応の救いとして、福重さんは通話の際こう言っていた。
『龍門の……あの人の宣言は、懐疑的に見る者も居る。
君が幾度も多くの人々を救ってきたことを、我々は忘れたわけじゃあない。
"自由の剣事件"、"人魔統合術式事件"、"宇宙崩壊術式事件"、"運命凍結事件"。
それ以外でも君は多くの人を救ってきたし、間違いなく英雄と謳われるべき功績を持っている。
……それでも、この宣言が出されれば我々の組織は動かざるを得ない。
組織が動くにはルールが必要で、そしてこの宣言は我々がかつて、次なる魔族に類するものに対抗するために作り出したルールだからだ。
龍門の宣言がそれに則ったものである以上、組織としては自ら決めたルールに則って動く必要がある。
だから私やその同志は、そのルールの範疇で最大限に動き、君を助けながらなんらかの仲裁に持って行くつもりだ。
だが、勇者の名は、人類を滅亡寸前から救った男の名は、やはり重い。
特に"運命凍結事件"の奇跡の風の影響を受けていない国内では、君よりも龍門の言葉に重きを置くものも少なくない。
可能な限り私たちも動いて見せるが……いわゆる聖剣派の動きを完全に防げるとは、言いきれん。
警戒してくれ』
しかし、その仲裁に持って行こうとする動きは、果たして成立しうるのだろうか?
それは父さんが僕を殺す事を諦めることが条件であって、そんな事があれほどの殺意の上で成り立つのだろうか?
疑問はある。
しかし追手を倒しながら逃走するのが精一杯の現状、僕は逃げる以外に何もできることはなかった。
「死ねぇえぇえっ!!」
「二度と、二度と殺させるものか!」
「全ては、勇者の剣のために!」
襲い来る刺客は、僕より一回り以上年上の人間が多かった。
その目に映っているのは僕ではなく、二十三年前に終わった大戦……人魔大戦の景色なのだろう。
かつて聖剣が、赤外……人類滅亡要素として扱った者達に、傷つけられた傷跡。
その痛みこそが、僕へ向かってくる人々の原動力だった。
そんな刺客を退けながら数時間、昼近く。
最初に脱落したのは、やはりと言っていいか、チセだった。
「ごめ、んなさい……こんな時に、疲れて眠いなんて、言っている余裕がある時じゃあないのに!」
夜半、父さんとの遭遇から数えて十二時間近く。
追手を次々に差し向けられながらの逃避行に、チセの体力では耐え切れなかった。
ヒマリ姉が背負って連れていたのだが、それでも限界というものはある。
「うう、車さえ手に入れば移動はもっと楽だし、チセちゃんの仮眠ぐらいさせられたのに……!」
「仕方ないよ、家の車は当然ダメだろうし、レンタカーも営業開始時間になる前に張られ始めてアウトだった」
という事で、基本徒歩移動となってしまった僕らは、移動に使う体力も多い。
そして体力の限界に近いチセの他、もう一人限界が近い娘が居た。
「アキラ……大丈夫かい?」
「ふぇっ!? ね、寝てないよ父さま!」
うつらうつらしていたアキラは、声をかけられてハッと起き上がって見せた。
アキラの肉体年齢は、十二歳と少し。
動き回りながら徹夜で警戒を続けるには、少々体力が足りない。
本人の位階こそ高いが、やはり年齢的に長時間の行動は難しいのだ。
「……やはりこの状況で、全員で行動するのは難しい。
チセは護衛が必要で、護衛は僕か僕を除く三人が必要。
とすれば、やはり……僕とそれ以外で別れる他ない」
「ダメ」
短く言いつつ、両手でバツ印を作るミドリ。
そのままポスン、と僕の胸に飛び込み、バツ印の腕で僕の腹を押し込む。
僕は困りながらも、ポンとミドリの頭を撫でてやる。
ミドリはそのまま額を僕の胸に押し当て、グリグリとしてみせた。
「ダメって言っても……」
「それが父さんの狙い。兄さんを一人きりにして、消耗の速度を上げようとしている。
それに合流は間違いなく邪魔される。
携帯端末は確実に探知されるし、どうやって臨機応変に合流するの?」
それはその通りなのだろう。
肉体的な消耗はともかく、精神的な消耗は一人の方が速い。
たった一人で社会全てと見間違うような人々から逃げ回るのは、おそらく僕の想像を超えた辛さなのだろう。
携帯端末はGPSを切り位置情報を切っているが、通話やチャットは当然監視されているに違いない。
合流地点と時間を決めたところで、状況を鑑みて修正する事は不可能に近い。
「とはいっても、代案はあるのかい?
チセもアキラも限界だ、これ以上同行するのは難しい」
「……それは」
僕らに、取り得る道は非常に少ない。
そもそも疲れ果てて頭が回っていないし、消極的な手段以外思いついていない。
未だ目的も明確に思いつかずに逃げ回っているし、それ以上の事はできていない。
具体的な目的や時間制限があれば、ある程度は無理を押し通せるかもしれないが、それが具体的に決まっているとは言えない情況だ。
一応、数日もすれば状況確認も兼ねて、海外から皇国へと、各国の英雄がやってくるだろうと考えている。
その時まで粘り、やってきた英雄……恐らくかつて共闘したシャノンらに事情を話してどうにか亡命をさせてもらえる、かもしれない。
正式に亡命に成功すれば、あくまで皇国内にしか強権を振るえない父さんは、インフラレッド宣言による僕の殺害は容易く行えなくなる。
強行するならそれこそ父さんの正当性がなくなり、あとは父さんを倒しさえすれば日常生活を取り戻せるだろう。
とはいえそれには、最低限狙われている僕とチセが揃って亡命する必要があり、ここで別れて合流できなければ実現不可能だ。
それでなくとも、数日経つ前には父さんの襲撃が一度はあるだろうし、それを撃退せねば絵に描いた餅としか言えない。
情況が流動的過ぎて読み切れず、何が正解なのか分からないままに逃げ回っているというのが正直なところだ。
その状況で無理して全員で居た所で、負担が大きくやられてしまう状況しか思いつかない。
「ミドリ」
ぽん、と今一度ミドリの背を軽く叩いた。
不承不承という顔で僕から離れ、プイとそっぽを向いてしまう。
僕は苦笑しながら、合流地点の話をする。
「さて、僕は今向かっている地点は、伝えただろう?
合流地点はそこだ。
時間は……ちょっと考えてなかったけど、そうだね、今夜……夜8時前にはたどり着けるつもりさ」
詳細を口に出さず、意識のはっきりしているヒマリ姉とミドリに目線で告げる。
僕らが今目指していたのは、僕が個人的に購入したセーフハウスだ。
実のところ、引っ越すときに僕は、山奥に引っ込んで人との関りを断つことも考えていた。
結局のところ、通院やら、家族と会おうと思えばすぐに会える利便性などで高級マンションに引っ越したわけだが、同時に山奥にセーフハウスとして家屋を一つ購入していたのである。
そこは本当に教えた相手以外誰にも僕の居場所と分からないよう、偽装した情報で購入した家だ。
国が本格的に調べればすぐ割れる内容だろうが、数日程度の避難であればなんとかなる……可能性が高いと踏んでいる。
都合が良い場所が他になく、選択肢がそれ以外思いつかない、と言った方が正解に近いかもしれないが。
「……わかった」
「怪我しないでね。したら痛い治し方する」
「それは怖いね……。約束するよ」
二人にどうにか不満を飲み込んでもらい、頷いてもらう。
寝落ちしかけているチセとアキラを二人に預け、四人に背を向ける。
深呼吸。
見返り、四人を見つめる。
背負われたチセとアキラは、すぐに寝入ってしまったらしく、既に目を瞑ってしまっている。
二人をそれぞれ背負ったヒマリ姉とミドリは、心配そうにじっと僕を見つめている。
じくりと、脳が軋む。
心臓が高く脈打ち、内容の分からない感情が僕の中を迸った。
……それでも、と。
僕は口を開き、告げる。
「……また、合おう」
視線を切り、前に意識を向ける。
気のせいか重くなった足を動かし、僕は静かにその場を離れていった。
*
その夜、月は真ん丸の満月だった。
空高く上がった月は、嘘のように晴れた夜空で強く輝いている。
夜空に浮かび上がるような美しい輝きが、その広場を照らしていた。
そこは、無人の競技場だった。
観客席を設けられたスタジアムで、中のグラウンドは赤茶けた土でできている。
そのグラウンドの中心、僕は一人肩で息をしていた。
あれから数時間、陽が落ちる頃には僕も徐々に追い込まれ始め、目的地から外れ彼らの目当てであろうこの競技場に追い込まれてしまったのだ。
約束の時間はまだだが、皆との合流には間に合いそうにない。
やはり休憩を許さないような断続的な襲撃は、僕の心身を着実に削っている。
多分だが、このまま僕を捕捉しつつジリジリと削り続ける事が出来れば、一か月もあれば僕を倒せるのではないだろうか?
まぁそろそろ追手を撒くコツも掴みかけていたので、実際のところ一週間もすれば追手側に捕捉されなくなっていた気はするが。
最後に睡眠をとったのは、36時間以上前。
足を止めて腰を下ろしたのは、この12時間中累計30分にも満たないだろう。
陽が落ちる前後ぐらいには集中力が限界を迎え始め、かすり傷をいくつか負ってしまっている。
面倒なことに毒を使われていたらしく、それなりに影響が出てしまい回復にリソースを食われてしまった。
「だから、来るんだろう?」
がたん、と大音。
競技場のライトが軒並みついて、僕を照らす。
明暗差に思わず目を細めつつも、辺りにばらまいていた糸の感覚器で、その足音を、そのシルエットを感覚した。
「……読まれていたか」
冷たい、感情の乗らない声。
その手の聖剣は白く輝いており、相対する僕を"赤外"と認定したままの光を見せている。
黒いスーツ姿、その長い髪は毛先近くで形見の青いリボンで纏められていた。
父さん。
勇者、二階堂龍門。
競技場の、大型ビジョンの電源が入る。
映し出されたのは、各地の街頭ビジョンを映し出した映像。
多くの人々が足を止めて街灯のビジョンを見上げて……その視線の先に映っているのは、この競技場だった。
見まわしてみれば自動で動作するカメラが何箇所かに見当たり、今この場を各地に映し出されているのだと理解する。
「見ろ、ユキオ。皆がお前が殺される所を、見たがっているんだ」
「…………」
「先日までお前を英雄としてもてはやしていた世界全てが、お前の死を望んでいる。
面白い光景だとは思わないか?」
僕は答えずに、糸剣を生成した。
青白く輝く常の聖剣を模した、僕の剣。
目の前の真価を発揮した本物の聖剣の、劣化品。
魂をも切り裂き、僕の不死性を突破できる光の、ニセモノ。
「僕は、死なない」
「いいや、お前は死ぬよ。これから私が殺す。
頼むから、死んでくれ。お前が居ると、私の邪魔なんだ」
頭痛。
疲労ゆえか、それ以外の何かが原因か、割れるように走ったそれに、思わず顔を歪める。
全身が、鉛のように重い。
思考の速度が遅く、動作が僅かに遅れるように動く。
「ユキオ、お前は私の子だ。血の繋がりはなくとも、お前は確かに私の子だ」
「…………」
「だから父のために、ここで死んでくれ。
子供なのだから、親の言う事を聞くのは当然の事だろう?」
悪辣さを隠そうともせず、父さんは歪んだ笑みを浮かべた。
それにショックを受ける感情的な僕と同時、その裏に居る冷静な部分が父さんの言動を観察する。
それは、僕になるべく多くの精神的ダメージを与えるための、作られた演技だった。
恥も外聞も投げ捨てて、そこまで行うほどに父さんは、僕を殺したがっていた。
体の芯まで響くような、とてつもない殺意。
僕の感情的な部分も冷静な部分も、打ちひしがれてしまうような。
「お前は昔から無能で、一家の恥さらしだった。
それを殺さずに育ててやっただけでも温情だし、私の切り札の温存のためにお前を使い続けたのは当然の事だ。
だのにたった三人、愛するものを殺しただけで使い物にならないぐらい壊れてしまい。
それだけではなく私の邪魔をするなど、お前は私の子としての自覚はないのか?」
言葉を真に受けて崩れ落ちそうな僕が居る。
同時にこれが嘘だと信じて、しかしこんな嘘を吐くほど僕を殺したがっているのだと思い崩れ落ちそうな僕が居る。
どのみち僕は、まともに立っていられるのが奇跡というほどに消耗していた。
精々二分にも満たない前口上だけで、既に僕はグロッキーだった。
「ほら、皆もお前に、死んでほしいと願っている」
と、父さんは懐に手を入れ、リモコンらしきものを取り出した。
スイッチを押し、それを投げ捨てる。
何事かと身構えるが早いか、競技場のスピーカーが大音量で鳴り響き始めた。
『死~ね、死~ね、死~ね!』
それは、まるでスポーツの応援で使われるコールだった。
観客が一体となって声を出す、応援。
競技場という場所がその感覚を後押しし、僕は一瞬、観客席に無数の人々が集まっている光景を幻視した。
無数の民衆が、腕を振り上げリズムを取りながら、叫んでいる。
僕の死を望み、叫んでいる。
その光景がリアルに想像できてしまい。
眩暈に一歩、後ずさった瞬間だった。
「――シィッ!」
愚風を纏った、父さんの疾走。
思わず体勢を崩し、体をこわばらせてしまった僕へと殺意の剣戟が振るわれる。
大上段のたたきつけ、咄嗟に糸剣で受けるも、大きく体勢を崩された。
衝撃に呻きながら一歩、二歩と下がる僕に、追撃の跳ね上がるような突きが迫る。
咄嗟に作った糸手甲を纏う拳で、辛うじて弾く。
ガリガリと音を立て、運命の糸を、勇者の聖剣が削ってゆく。
視線が交錯し、父さんの殺意と、僕の恐れの感情とが交錯する。
そのまま父さんは、もう一歩踏み込み近接の間合いへ。
聖剣から手を放し、正拳突き……否。
その手から光が放たれるのを認識するより一瞬早く、僕も糸剣を捨て去り全力で前に一歩出ていた。
父さんの手首より、前に体を。
刹那遅れて、生成された聖剣の切っ先が、僕の残像を切り裂く。
「聖剣、生成……!」
「何を驚く、お前がいつもやっている事だろう。私の猿真似でな」
父さんが告げる通り、僕が時折糸剣を手放し再生成しているのは、父さんの技の真似事だ。
父さんの固有は、僕と同じ器物生成系の固有。
武器を手放したと見せかけ、新たに生成した武器で攻撃するなど当たり前の技だ。
接触するような近距離、咄嗟の回避で精一杯だった僕と、一撃を回避された直後の父さんとが、同時に動く。
糸罠が父さんに巻き付きその動きを拘束すると同時、脇腹がもげ落ちそうな衝撃。
父さんのワンインチ・パンチが叩き込まれたのだと理解すると同時、僕はカハ、と肺の空気を引きずり出されながら一歩下がっていた。
「死、ね!」
糸罠の拘束を捩じ切りながら振るわれる聖剣を、僕は自身の背を床に引っ張る変則動作で避けきった。
殆ど反射で作った糸罠のトランポリンで跳ね起き、そのままに生成した糸剣を袈裟に振るう。
しかし痛みと動揺で腰の入り切っていない剣戟は、父さんの肩口に突き刺さるも、浅く傷つけるだけ。
どころか、父さんを傷つけてしまった事に動揺し、咄嗟に糸剣を消してしまう。
「ぐ、おおお!」
咆哮、聖剣の横凪ぎが振るわれ、咄嗟に腕と糸手甲を差し込む。
衝撃。
呼吸が止まり、意識が一瞬遠のく。
視界がくるくると回って、今自分がどこにいるのか分からない。
頬が地面を擦る感覚、遅れ自分が地べたに這っている事に気づいて。
影が落ちる。
「――っ!?」
咄嗟に地面に突く形で糸の棒を生成、伸ばして自身を跳ね飛ばす。
直後、跳躍した父さんの聖剣が、寸前まで僕が居た箇所に叩き込まれた。
一瞬遅れ聖剣の光波が直で放たれ、地面が割れる。
「おおおおっっ!」
そのまま地面に突き刺さった聖剣を、跳ね上げる要領でこちらに振るった。
軌道の通り光波が飛んでくるのに、跳ね起きて回避しながら糸剣を生成、続く追撃の光波を弾く。
光波を追ってきた父さんが、裂帛の気合とともに聖剣を振るった。
白光。
白光、白光、白光、白光……。
凄まじい速度で振るわれる殺意の嵐を、僕はどうにか捌いて……。
否、自分を偽るのを辞めよう。
僕はどこか、余裕をもって父さんの剣戟を捌いていた。
父さんは、間違いなく強い。
その聖剣は運命と魂の術式に干渉可能な、高性能な武装。
魂の術式による再生は意味をなさず、不死にほど近い僕を殺せる武器。
剣技は優れ、位階は僕にほど近く、戦闘経験も豊富だ。
しかし、それは僕も同じ。
糸剣は聖剣に負けず劣らずの性能があり、それどころか変幻自在の糸使いである僕は攻撃手段をより多く持っていた。
剣技は純粋な剣技にしても、互角。
何せ僕は父さんを目標にしながら、運命転変による自己技術改変を駆使して技術を磨いてきたのだから、当然と言えば当然だ。
位階はほど近いと言っても僕の方が上で、倍とは言わないものの僕の方が出力では五割ぐらい上だ。
戦闘経験についても、1対1での強敵戦闘の経験は僕の方が上だろう。
特に父さんは、聖剣覚醒以後は、自分より位階で上回る相手との闘いなどほとんどなかったのだろうから。
メンタル面を除けば、僕が負ける理由はなかった。
動揺しモチベーションが限界まで落ち込んでなお、僕は父さんに対し優勢を取れていた。
だからあとは、割り切って剣を振るえば、それで……。
それで、どうなる?
この場を切り抜けるのはなんとかなるだろう。
父さんを適当に負傷させて引かせ、みんなと合流して、隠れ潜みながら海外亡命を目論む。
亡命に成功したら父さんの正当性を削っていき、インフラレッド宣言の実行力をなくして……。
それでも父さんは、諦めないだろう。
間違いなく僕を殺しに来るし、それを止められる強さを持つのは僕だけだ。
僕が父さんを殺すまで、父さんは僕を殺そうとするのを辞めない。
僕が、父さんを、殺す?
そう考えただけで、怖気が走る。
違う、そんな事はありえてはいけない。
理屈も何も抜きにして、それだけはありえないのだと、全身の細胞が叫ぶ。
だって僕は、父さんに憧れて、"ここ"が一番で、その一員になりたくて……。
ナギを殺した後の、独白を思い出す。
『……僕の夢は、家族を、"ここ"を守り続けて、最後にはお父さんに殺されることです』
ミーシャを手にかけたあと、父さんの背を前にこんな風に内心懇願した。
『お父さん、どうか早く、ぼくを殺してください』
リリの首を絞めたあと、僕はこう告げた。
『ごめん つかれた』
何もかも、それこそ生きることにも。
今が、それの実現の、チャンスじゃあないか?
僕の中の、暗く淀んだ部分が、嘯く。
僕は夢を叶える。
父さんは目的に一歩前進する。
WinWinの関係で、僕らが二人とも得するんじゃあないか?
それが、正しい事なんじゃあないのか?
ナギに正対した時、僕は思った。
僕は間違っていて、ナギこそが本当に正しい。
けれど、自分こそが間違っていると信じていても、それでもと自分の欲望のために剣を取った。
ミーシャに対峙したときも、僕は間違っていると思った。
ミーシャは人類の利益と自分の利益を総取りするような道を歩んでおり、彼女の願いは人類を進ませることになっただろう。
皮肉なことに聖剣の輝きがそれを肯定していて、ミーシャこそが本当に正しいのだと僕に信じさせた。
けれど僕は、自分の欲望のために剣を振るった。
リリの時だって、同じ。
僕は正しさも何も知ったことかと剣を取り、リリを助けるためだけに剣を振るった。
リリの怒りと絶望は正しさに満ちており、それでもリリに助かってほしいからと、自分のために剣を振るって。
そしてその結果、どうなった?
……この有様だ。
自分の信じる、自分だけの正しさのために剣を振るって、僕はほんの少しでも何かを掴む事が出来たのだろうか?
虚勢で無理やりにでも掴んだと信じたその何かが、少しづつすり減ってゆく。
目の前の父さんの、真の聖剣が振るわれるたびに、見えない何かが削れてゆく。
本当の正しさに敗北して、消えてゆく。
そして、審判の時は来た。
「ユキオさん!」
それは、よく知る声だった。
チセの甲高い悲鳴と、遅れ戦闘音。
競技場の防御を突破してきた姉妹にアキラが、チセを守りながら追手と戦闘を続けていた。
距離は30メートル以上、とは言え護衛を受けながらチセらがこちらに辿り着くまで長くはあるまい。
嗚呼、父さんがここで殺さねばと、聖剣に力を籠める。
聖剣の輝きが増してゆく。
人類存続の導き、本物の正しさ、僕が否定してきたモノがその強さを露わにした。
それでも本気で動けば容易く回避も防御もできると、僕の中の冷静な部分が呟く。
けれどどうでもいいやと、僕の中の疲れ果てた全てが呟いて。
白い閃光。
人肉が骨ごと裂ける、厚みのある音。
血飛沫が噴出し、辺りをべったりと鮮血に染めて。
「…………は?」
チセだった。
僕に背を向けて、僕を守るように両手を広げて。
或いは父さんに向けて、抱きしめるように手を広げて。
その聖剣の一撃を、受け入れていた。
集中した僕の意識が、時間をゆっくりと受け取る。
コマ送りのように遅い時間の流れが、残酷な光景をまじまじと僕に見せつけていた。
吹き出す血。
人間一人分から溢れただけのそれはすぐさまに止み、そして……ああ。
虹。
何時しか見たような、血と脂を吸った、地獄にかかっているとしか思えない虹。
それが太陽ならぬ、それにほど近い聖剣の光の輝きに照らされて。
その光のスペクトルが、人類を判別する光の全ての色が、花開くように美しく輝いて。
血と脂から生まれた、この世の物とは思えない美しさが、目の前に。
チセは、まず膝から崩れ落ちた。
ふわりと空気を孕んだ血濡れの金髪が、広がって。
そのままストンと腰を落として、前のめりに頭を落として。
動かなくなる。
ガラン、と音。
見れば父さんは聖剣を取り落とし、絶句していた。
目を見開いて、信じられない物を見るように、呆然としていて。
まるで初めて愛する人を手にかけた後の、僕みたいだな、と思って。
殺せるな。
そう思うが早いか、僕は反射的に剣を振るっていた。
「……あ?」
「……え?」
僕らは同時に呆然と呟いていた。
肩口から入った切っ先は鎖骨を切断しながら胸骨に到達、これも抵抗を感じさせずにスッと切ってそのまま心臓を破壊、脇に抜けて振り切られていた。
逆袈裟の剣戟、父さんは右肩から左脇に向けて真っ二つに体を切断されていた。
ほとんど無意識に剣を振るっていた僕は、父さんが崩れ落ちる頃になって、ようやく自分が何をしたのか気づいた。
僕は反射的に父さんを殺していた。
チセを殺して呆然としている父さんをみて、咄嗟に。
僕を殺すべきだった、その人を。
僕の"ここ"を。
「あ、ああ、あ……」
遅れて僕も糸剣を取り落とした。
空気に溶けるように糸剣は消えてゆき、素手となった僕は、両手を震わせながら、どうしていいか分からず立ち尽くしていた。
「父さん……」
即死だった。
あまりにも、あっけない。
目を見開き、口元には心臓から逆流した血が溢れ、舌だけがポツンと血の池から生えるようにしてピンと伸びていた。
母さんの……二階堂ヒカリの形見のリボンは、血に濡れて赤く染まっていた。
「チセ……」
俯いたまま死んだ彼女もまた、即死だった。
特段訓練を積んだわけでもなく、延命系や回復系の術式を走らせている訳でもないチセが、真の聖剣の一撃を受けたのだ、当然と言えば当然だろう。
その死に顔を見る勇気すら起きず、明らかに呼吸も心音も止まったチセ相手に、僕は立ち尽くすほかなかった。
やがて立ち尽くす僕の隣に、姉妹とアキラとが辿り着いていた。
ミドリはチセの、そして次に父さんに触れ、静かに首を横に振った。
僕は震えながら、小さく首を縦に振った。
どういう意味か自分でも良く分からなかった。
どれほど僕らは立ち尽くしていたのだろうか。
時間の感覚がなくなるほどその場でじっとしていた僕らに、一つ、声がかかった。
「……やれやれ、やはりこうなったか」
低いアルトボイス。
ゆっくりと振り返ると、そこには魔女としか言いようのない女が立っていた。
生白い肌に、光を吸い込むような艶のない黒髪。
瞳は血のように赤黒く、手には開かれた扇子。
いわゆるチーパオ、黒いチャイナドレスに身を包むが、その上に黒い外套を羽織っている。
全身黒づくめながら奇妙に雰囲気があり、滲みだすような色気に満ちた女だった。
「……老子!?」
「ならば、君たちを一先ずは招待させてもらおう。
抵抗しないでくれたまえよ、君たちの抵抗を破るほどの力はないんだ」
パチン、と扇子が閉じる音。
続け術式が走り、転移系と思わしき術式が暗い紫の術式光を走らせる。
アキラに目をやると、大丈夫、と呟きながら頷く。
僕は体から緊張と共に力を抜いて、その術式に身を任せた。
意識と共に、視界が暗くなってゆく。
最後にプツンと、何かが途切れる音がして、僕は意識を失っていった。