冷たい冬の夜空に、ほのかに白い息が浮かぶ。街の明かりがキラキラと輝き、粉雪が静かに舞い落ちていた。街全体がクリスマス一色に染め上げられ、喜びと活気に満ち溢れている。誰もが笑顔で、夜が深まるほどに騒がしさが増していく中、私はイルミネーションに彩られた通りを歩いていた。
ふわりと舞う雪と、遠くから聞こえるクリスマスキャロルの音色。すべてが、夢の中にいるかのような美しさだった。しかし、それ以上に胸を高鳴らせているのは、今、私が隣で手をつないでいる存在。大切な人の温もりだ。手を繋ぐたびに、彼の体温が私の手に伝わり、その感触が心まで温めてくれる。
「……ねぇ」
私の小さな声が、冷たい空気の中に溶け込む。隣を歩く彼が、少しだけこちらに顔を向けてくる。街の明かりが彼の横顔を照らし、その優しげな表情が、私の心をさらに温かくする。
「今日は本当にありがとう。……私、すごく嬉しかった」
私の言葉に、彼は微笑む。そして、そのまま私の手を引いて歩き始めた。
「今日だけじゃない。これからはもっと、一緒にたくさんの思い出を作っていこう」
彼の言葉に、私は思わず足を止めてしまった。彼も私に気づいて、振り返る。優しく繋いだ手が、ぎゅっと少しだけ強く握られる。
「本当に?」
私の声はかすかに震えていた。それは寒さのせいではなく、心に芽生えた期待と不安が入り混じったものだった。これまでの日々が幸せすぎて、逆にこの幸せが永遠に続くのか、心のどこかで不安があったのだ。
彼はそんな私の感情に気づいているのか、ゆっくりと深呼吸をして、優しい声で答えた。
「本当に。ずっと玲奈と一緒にいたいと思ってる」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥にあった不安がふわりと溶けていくのを感じた。温かい気持ちが心を満たし、自然と笑みがこぼれる。
「……私も、一緒にいたい」
彼と手を繋ぎ直して、再び歩き出す。粉雪が静かに舞い降り、街の光が二人を照らしている。周りの喧騒が遠く感じられ、この瞬間、世界は二人だけのものだった。
このままずっと、彼と一緒に未来を歩んでいける。そんな確信が、今の私の胸に満ちていた。
♢♢♢
耳障りな目覚ましの音が頭に響き、意識が無理やり引き戻される。目に飛び込んできたのは、カーテンの隙間から漏れた太陽の光が照らす薄暗い天井。
「んぅ……」
ゆっくりと体を起こし、背中を伸ばして大きくあくびをする。まだ眠気が残ったままの頭で、手を伸ばして枕元の目覚まし時計を見る。6時55分。普段ならもう少し寝ていたはずなのに、なぜか今日は早く目が覚めた。
「なんでこんなに早く起きちゃったんだろ……」
ぼんやりとしたまま、考えてみるが何も浮かばない。ふと、昨夜の出来事が頭をよぎる。そうだ、あの夢のような時間……彼と手をつないで歩いたクリスマスの夜。胸が少し高鳴り、思わず微笑みがこぼれる。
「……顔が熱い」
手で頬を触れると、ほんのり熱い感触が伝わってくる。昨日のクリスマスの夜の温もりが、まだ肌に残っているかのようだった。彼との幸せな時間が鮮明に記憶に残り、夢から覚めた今もその余韻が続いている。
「はぁ……どうしよう、なんか落ち着かなくなってきた」
これから学校で彼と顔を合わせることを考えると、緊張で体が強張ってしまいそうだった。素直になれずに、時折勝気な態度で接していた自覚はあるし、今更どう振舞うべきか分からなくなってしまう。
何より昨日の私は普段の様子とはまったく違っていた。手をつないで歩いたり、彼に感謝の言葉を伝えたりするなんて、照れ臭すぎて悶え死にしそうだ。普段の自分からは想像できないほど素直な態度を見せてしまったことに、頭を抱えてベッドの上を転がりながら、どうしても自分に対する恥ずかしさが抑えきれなかった。
「でも……嫌じゃなかった」
彼と過ごした時間が、普段の冷静さや強気な姿勢とはかけ離れていたことが、逆に嬉しく感じられた。彼の手を握るのが嬉しくて仕方なかったし、心の底から感謝できたことは本当に幸せだった。普段と違う自分をさらけ出すことにも、不思議と抵抗はなかったのだ。むしろ、自分の弱さや素直な気持ちをさらけ出せたことが、こんなにも心地よく、嬉しい事だとだとは思わなかった。
何より、彼が真剣な顔で思いを告げてくれたことが嬉しくて、心の奥深くでじんわりと温かいものが広がっていくのを感じた。彼の言葉と気持ちに、私は心から感動していたし、その気持ちが私にも伝わって、私の心に今も強く残っている。
「今日、どうしよう……」
一夜明けた今日、彼とどう接するべきか、どう自分を取り戻すかを考えるのが、少し不安でありながらも楽しみでもあった。普段の自分に戻りながらも、彼との特別な時間をどこかで大切にしつつ、新たな一歩を踏み出す準備をしようと、そう思った。
♢♢♢
姿見の前で、身だしなみを整え、深呼吸をする。制服に身を包んだ自分が鏡に映っていた。
髪型はいつもと少し違う。普段は下ろしている髪を、今日は彼の好きなワンサイドアップにしてみた。赤いリボンが金色の髪によく映えている。
昨日までの自分とは少し違う。勇気を出して彼の好みに合わせたこの髪型は、素直に自分の感情を出せない私にとって大きな進歩だろう。
鏡に映る自分と目が合う。赤いリボンが鮮やかに揺れ、髪の輝きがいつもとは違う雰囲気を醸し出している。その姿に、自分の心が少しだけ軽くなるのを感じた。
「うん、いい感じ」
鏡の中の自分に微笑みかける。彼の好みに合わせたこの髪型が、きっと彼にも喜んでもらえるだろうと、自分を信じる気持ちが湧いてきた。
「……嬉しかったな……」
彼の言葉が脳裏に蘇る。彼の優しさが心に響いて、私は心の底から笑顔になることができた。そのことが本当に嬉しかった。
素直に自分の感情を彼に伝えられるのが、これほど心躍るものだとは思わなかった。これまで、気持ちを伝えるために勇気を出して行動するということは少なかったが、彼に感謝を伝えることができて本当によかったと思う。
彼の好みに合わせて髪型を変えたことも、稚拙ながら感謝の気持ちを伝えるための手段として捉えている。
「クリスマス、楽しかったな……」
ふと、視線をカレンダーに移す。昨日が待ち遠しくて、カレンダーに赤丸をつけてしまっていた。特別な月。特別な日。私の幸せな時間が動き出した日。
「六月……六月?」
呟く声がかすかに震えた。昨日はクリスマスだったはずなのに、今目の前にあるカレンダーは六月を指している。視界が歪むような感覚に、思わず目をこすったが、何も変わらない。
「え……? なんで……?」
言葉と共に、背筋に冷たいものが這い上がるのを感じた。
慌てる様にクリスマスに付けた赤丸を探す。しかしそこには何もなく、真っ新な日付の羅列だけが残っていた。
「六月一日……」
ポケットから取り出したスマホを見る。そこには6月1日の日付が表示されていた。
「なんで? どうして?」
スマホを持つ手が震える。何度もカレンダーを確認し、日付を確認するが、何度見ても昨日が6月1日という結果が出るだけだった。
ゴオオオと言う音が耳に入ってくる。
「エアコンついてる……」
エアコンからは機械音と共に冷たい空気が流れ出している。
視線を逸らし部屋を見回す。使っていた電気ストーブが見当たらない。暖房器具の類は一つもなかった。
また視線を逸らしテレビをつける。ちょうど朝のニュース番組が映し出され、キャスターが今日の天気を話している。
『今日の気温は二七度と平年を上回る高さで、熱中症に注意してください』
キャスターの言葉が頭の中で反響し、頭の中が真っ白になった。
「うそ……でしょ……?」
呼吸が苦しくなる。鼓動が高鳴り、頭が痛くなるのを感じる。
「嘘だよね……」
スマホを手に持ち、震える指で操作をする。SNSアプリ『connect』を開き彼の名前を探す。
有ったのは友達と両親の連絡先だけだった。
「……嘘」
喉から小さな悲鳴が漏れる。
「嘘だと言ってよ!」
思わず叫ぶが、誰も答えてくれない。
スマホを持つ手が力なく落ちる。
「何なの? 一体何がどうなっているの? なんで……どうして……」
自分の世界が大きく揺らいでいるのを感じる。信じたくない。受け入れられない。
「時間が巻き戻ってるの?……」
信じられない。そんなはずはないと思いたかったが、否定のしようもない現実だった。
「私……どうしたらいいの……」
混乱が止まらない。自分の頭がおかしくなったのだろうかと思うほどに、自分の理解を超えることが次々と起きており、思考が追いつかない。
「……そうだ、学校で会えば」
時間が遡ったところで彼と同じクラスであることは変わりがないし、学校に行けば会えるはずだと思い至る。
「でも……何を話そう……」
そもそも私と彼はどういう関係なのか? 友人同士か? 彼が私同様巻き戻ってきているなら話はわかるのだが、そうでない場合、私の知っている情報と照らし合わせても彼と私はまだ面識がなく、友人ではない。ただのクラスメイトだった。
彼と仲良くなるきっかけは私が階段で足を踏み外し、階段から転げ落ちる前に偶々下の階に居た彼によって助けられたことから始まっている。
それが無ければ私と彼はクラスメイト以上の関係にはならなかったはず。
「私、彼と会ったとき……どうやって話すの……」
あの時私は彼を意識することなく、お礼だけを口にしてその場を去っている。
今となっては懐かしい思い出だが、あの時の私は他人に対して少しきつい口調で接する傾向があったし、助けてもらったくせに、開口一番「何触ってんのよっ!」て叫んでいた覚えもある。
「今更そんな態度取れるわけない……」
今の自分には彼と過ごした六か月の記憶が有る。それどころか一緒に未来の思い出を作っていこうなどと約束を交わしてすらいるのだ。
そんな彼と今のように出会えば、私は彼を突き放すことはできないだろう。
「どう話せばいいの……」
困惑する自分の声に答える者はいない。ただ静寂が部屋の中を支配していた。
「とりあえず……学校に行きましょうか……」
自分に言い聞かせるように言葉を紡ぐ。まだ頭の中が整理できていなかったが、とりあえず教室に行き、彼と会おうと思った。
「でも……髪型戻さないと変よね……」
今私がしている髪型には意味がある。しかし、いきなりそんな髪型をしていても、彼には説明がつかないだろう。
「……元に戻すか」
髪を解き、いつも通りのストレートヘアにしていく。彼と仲良くなる前のただのクラスの人気者。そんな存在に戻る。
「……もうこんな日は来ないって思っていたのに」
鏡に映る自分を見つめる。彼に出会う前の私。本心を誰にも言えない私。常に仮面を纏う私。何もかもが嘘だらけで、本当の自分を誰かに晒せない自分に戻ってしまった気がした。
「私は私……なんだよね……」
彼の優しさや温もりが、私を変えた。彼と出会って初めて心を開いていった私だ。
その変化を否定することはできなかったし、今となっては大切な思い出であり、誇りにも思えた。
だから……
「もう一度……彼と共に過ごした時間取り戻す」
彼が好きという気持ちが消え失せたわけではない。その気持ちは今も変わらないし、彼のために何かをしたいと思っている自分がいるのも確かなことだ。
だからもう一度だけ、彼に想いを伝えられるようにするために、彼に恋した自分に戻る必要があるのだと思った。
そしてまた彼と新しい未来を築くために、過去の私に戻り、彼に想いを伝えるために、学校へと向かうことにしたのだった。
♢♢♢
「おはよう桐原!今日も……いや、なんか元気ないな?」
教室に入ると、相変わらず騒がしい男。佐々木 蓮太が声をかけてきた。
彼の親友であり、クラス一のお調子者である佐々木 蓮太は、お構いなしに話しかけてくるタイプだ。
「うるさいわね。黙ってたら」
「おおっと!? 朝からすでに御冠とは……くわばら、くわばら」
佐々木がわざとらしく手を合わせ拝む素振りをしている。
「なにやってんのよ。ウザい」
「おっかねえおっかねえ……」
やれやれと首を振り、近くの席に腰を下ろす佐々木を横目で睨みつけるが、まったく堪えた様子はない。
「それで? 朝から何があったんだ? なんかあったんなら相談に乗るから言ってみろよ。この学校一の情報通、佐々木連太様に任せとけって!」
「情報通? なにそれ」
「おお?なんかまともな返事が返ってきたな……こほん! クラスメイトの秘密から校内の秘密まで、俺はあらゆる情報を手に入れることができるのだ! まぁ俺の情報収集力はもはや千里眼といっても過言じゃないくらいだな!うんうん」
「はいはい。分かった分かった。……別に何もないわよ? 徹夜しちゃって眠くて寝不足なだけよ」
「ほう? 徹夜ねぇ……」
「なによ? 何か言いたそうね」
「いや? 別に? なんでもないぞ?」
ニヤニヤしながらこちらを見ている。
「言いたいことがあるなら言いなさいよっ!」
「お? 怒られた。怒られた。……いやさ」
そう話を続けようとする佐々木連太の話を聞き流しつつ教室の前の扉に視線を向ける。
「おはよう」
扉の近くにいたクラスメイトに挨拶をしつつ、教室に入ってくる人物に目を向ける。
「ん? あ!辰巳じゃん!」
佐々木の声に彼がこちらに目を向ける。目が合った瞬間、胸がキュッと締め付けられる感覚を覚えるが、それを押し殺して彼から視線を外した。
「連太か。朝から元気だな」
「おう! 元気だけが取り柄の俺っちだ! それより……」
佐々木の声が遠くなっていくのを聞きながら、もう一度彼に目を向ける。
彼と目が合いそうになるので、慌てて逸らす。
「桐原さんもおはよう」
『きりはらさん』
その言葉は私の胸を抉るように深く突き刺さる。
「あ……う……うん! おはよ……」
一瞬、何を言っていいのか分からなくなったが、どうにか挨拶を返すことができた。
おはよう。私の返事にもう一度そういってから彼は自分の席に座り、佐々木連太と話を始める。
廊下と窓際。席は離れているのに二人の声は嫌に耳に入ってくる。
私と交わしたのは唯の挨拶だけ。それが終わると彼の視界には入らなくなってしまった。
クラスが同じだけの女子。彼にとっての私はその程度の存在でしかないのだ。
そう認識した瞬間、私の視界が滲むのを感じた。
「……もう泣くな私……」
唇を噛み締め、涙を堪える。
彼との思い出は夢だったのだと、無理やり思い込むようにした。
「またいつか……いつか……」
いつかあの幸せが戻る日が来ますようにと願わずにはいられなかった。