全てが、憎らしかった。
自分の生まれも、容姿も、性格も家族も街並みも、そこに生きるすべてのものが憎らしかった。
私は、復讐をしたかったのかもしれない。だが、私は復讐の仕方が判らなかったのだ。私が知っていたのは、眼と耳を閉じ、口を噤む方法。汚水の飲み方とゴミの漁り方だけだったから。自分の年齢も判らない、名前は知らない。いや、存在するかどうかさえ判らない。裕福な生活も幸福と云う感情も持ち合わせてはいなかったのだ、あの方に出会うまでは……。
あの方は、私にたった一つだけの希望を
はたから見れば、苦行と云える生活に部類されるかもしれない行為を続けた。その行為でしか私は、あの方に恩返しを出来るすべを知らなかったから。だから、私はたった一つの行為を続けた。途方もない時間を費やしたと思う。
世間一般の幸福と云える生活を私は送らなかった。着飾ることも血脈を繋げることもしなかった。だが、はっきりと断言できる私は祝福の人生を送れたのだと……。
◆
微睡の中、とても懐かしい夢を見た。いったい幾度同じ夢を見たのだろう。50年前の記憶だと云うのに全く色あせることのない夢だった。
「…ソフィア? 起きられたのですね…ご気分はどうですか?」
重い瞼を開けると、そこには懐かしい匂いと優しい声と何も変わらない表情の女性が私の顔を覗き込んでいた。
「…スィーリア様。ソフィアは、ソフィアはとても幸せ者で御座います……」
脈絡のない言葉が零れる。だが、今の状況でちゃんと言葉が届いただろうか? 巧く発音できただろうか? そう不安に思っていると、スィーリア様が美しい微笑みを零す。その表情を見てちゃんと言葉に出来ていたのだと安心する。
そして、あの時と同じようにスィーリア様は私の手を取り、自身の頬に添わせた。そう、病に侵されたボロボロの手を取ってくださった。あの時と同じように優しく包み込んでくれた。
「ふふ…やはり、ソフィアの手はとても美しいですね。羨ましい限りです」
私はこの
奇跡的に起きた現状をもう、私は維持ができなかった。
瞼は重く開けている状況を保てない。指の一本を動かすことも叶わないだろう。躰が深く深く沈んでいくのを実感するにつれ、感覚は研ぎ澄まされていく。部屋の匂い、あの人の息遣い、纏う雰囲気、かけて下さった声。それらが沈みゆく私を安心させるに包み込んでくれていた。
「ソフィア……聞こえていますか?」
「勿論です」と心の中でお答えする。
「…貴女さえ良ければ、
そう、それは祈りに近い願いだった。違う時間を生きる私達だからこそ叶えられる願いだった。返答などすでに決まっている。貴女様は私の生きる希望なのだから……。だが、それをどうすれば伝えられるのだろう? 私にはもう伝える手段は持ち合わせていない。
答える手段を持たなくても、あの人は答えてくれた。優しく落ち着いた音色を奏でてくれた。
「ふふ。では、ソフィア? 私はずっと待っていますよ。100年でも、1000年でも貴女がその可愛らしく元気な
瞼の裏側に焼き付いているスィーリア様に私は約束の花束を贈る。
「私、ソフィアは必ず
開く事の叶わない瞳から熱い何かが頬を伝い流れゆく。
私の願い・祈り・命すべてを乗せた雫がゆっくりと流れていった。
◆
揺ら揺らと踊る蝋燭の灯に導かれるように、私は風のクリスタルを祭る空間へと足を進める。
各神殿によりクリスタルを祭る空間、祭壇の間には特色があった。風の神殿、ソレイユ神殿では常に風をと入れられるよう数多くの美しいステンドグラスの窓があった。そして、祭壇の間に取り入れられた風によって深緑に染まった天幕が泳いでいた。
すべてを優しく抱きしめ、悲しみを和らげる
「……スィーリア様……ババ様は……」
一人の少女が震えるような言葉を零す。
ソフィアと同じ暖かさを感じさせる橙色の長い髪をなびかせ、垂れ目が特徴の可愛らしい少女だった。
「ミルフィーユ…ソフィアはとても穏やかに旅立たれましたよ」
ミルフィーユと云うなの少女は「……そうですか」と噛み締めるかのように言葉を零す。
表情は若干の影を落とすも彼女は涙を零すことは無かった。巫女がその生涯をクリスタルに捧げ、天命を全うすることが出来たのは
「……スィーリア様! あたしに、あたしに貴女様のお力をお貸しください! 風の巫女としてあたしを選んでくれたババ様に恥じない様に、あの人のように遺志を! 祈りを! 願いを! クリスタルに示せるように……」
琥珀色の瞳に強い意志を宿す少女は、ソフィアが風の巫女となった日に見せた瞳ととても似ていた。その瞳は歴代の巫女の意志を背負い歩き続けられると云う力が宿っていた。きっとソフィアもそれを感じとり次期風の巫女として選んだのだろう。
「ええ、勿論です。ミルフィーユはとてもいい
風の巫女と共に巨大な風のクリスタルを見上げる。漆黒の斑模様は次第に大きくなり輝きを失いつつあるクリスタル。現存している歴代の法王が遺した資料に現状の根本的な解決方法はなく、見当もついていない。だが、きっと以前の輝きを取り戻す。彼女達の祈りの残す為に……。
◆
「ロズ、ユナ、ミルフィーユ。貴女達に確認したいことがあるのだけれどもいいかしら? 貴女達はユリエス・ヴィルザルドと云う人物のことをどの程度知っているのかしら?
ソレイユ神殿にきて数日が立ち、落ち着きが取れた頃。
幾つかのキャンドルの灯に包まれながら夕食を摂っている時に私は、食卓を囲む彼女達に質問をした。私自身
「すみません。私はその方のことをあまり存じ上げません。スィーリア様と同じように名を知るぐらいしか……すみません」
まず、答えてくれたのがシスター・ユナであった。彼女は成人してまだ一年しか経過していない。それに加え、
「…ユナ。謝らなくていいのよ。国外に出たのは初めてだもの、これから色々学んで経験していけばいいの。……二人はどうかしら?」
次に、返答してくれたのはミルフィーユであった。彼女は、しばし考え込み言葉を零した。
「あたしは、先代のユリエス・ヴィルザルドのことはあまり存じ上げません。二代目ユリエス・ヴィルザルドなら答えることが出来ます。彼が、二代目を襲名したのはここ三年前だと記憶しております。襲名時は公国で一時話題になりましたから。二代目は
ミルフィーユの言葉に食事の手を止め一文字も聞き逃さんと耳を傾ける。
「ふむ。何でも屋か……。スィーリア様、私は逆に先代のことしか知りません。ユリエス・ヴィルザルドは彼が、
「では、二代目を襲名したその方は先代さんが認めたたった一人のお弟子さんであり、とても優秀だったと云うことでいいんでしょうね」
真実は判らない。それでも、彼を慕い弟子入りを多くのヒトが希望した。その中でたった一人選ばれた人物。
二代目と呼ばれる人物はクラウス・サルバーダの瞳にどう写し出されたのだろう。
「どうでしょうか…此処に巡礼に来た方から、二代目を襲名した方は冒険者としては初心者ランクだとお聞きしたことがあります。採取依頼を任せたら右に出るモノはいないと……」
「うーん。なら何故、マシュさんはあんなことを云ったんでしょう?」
「ただ……」
ユナの問いかけに、ミルフィーユが云い淀む。
「そうですね……誰かが云ったか判りません。信憑性があるものかも判りません。噂が独り歩きをした可能性もあります。二代目を襲名した方は先代ユリエス・ヴィルザルドを遥かに超える
そんな会話をした翌日だった。守護竜ティアマトが公都遥か頭上を優雅に泳ぐ姿が目撃されたのは……。守護竜ティアマトが向かう土地はすでに見当がついている。彼ノ者は風のクリスタルの守護竜。緑風石で構成された風のクリスタル。公国領では一か所だけ魔鉱石採掘都市が存在する。
公国領ゼレランド魔鉱都市。
王国と公国における使用魔鉱石の過半数の採掘率を誇る大都市だった。