独り薄暗くなった宙を
どう云えばこの感覚を説明できるだろうか? そう、太陽の暖かさと優しさをめいっぱいに吸い込んだ毛布に抱かれている感覚と云えば適切だろう。
とても安心する。この灰色の空も、冷たい雨も吹き
「……ルーナ?」
中央時計台を視界に捉えると、見慣れている
彼女は傘をさし、微笑みをこちらに向けた。この状況を楽しんでいる。おもちゃを与えられた子どものような微笑みだった。
彼女に向け、常人では耐えられない程の力を込め跳ぶ。力を込めた余波で建物屋根に蜘蛛の巣の様にひび割れが発生しまったのは黙っておこう。
「…ってなんでルーナが此処に居るんだ?」
ルーナの隣に降り立ち彼女に声をかける。
「うむ。マーサの料理も沢山食べたからの。口直しに露店で色々買いに出たら此処まで来てしまったのじゃ……」
そう言葉を零す彼女の手には、
「はぁ。そう云うことにしておくよ。それよりこの状況をどうにかしないと」
「うむ。妾は手を出さぬからな!」
串焼きを頬張る彼女に視線を配り、「期待していない」と伝える。あくまでも、ルーナは傍観者の立ち位置。面倒臭いことはお断りのスタンスを崩さない。彼女にとってはこの街がどうなろうとも気に留めることでなく、ただ単に食事を提供する場所が一つなくなると云う程度の認識に過ぎないだろう。
天を見上げ、
止まない雨と風、そして紫電の雷。所持品は、
そう思考を巡らせていると、突然上着の裾をおもいっきり引っ張られる。振り向くとそこには一匹の
「うん? どうした? 俺に何か用かな?」
「…なに、手伝ってくれるのか? それは助かるが……」
彼女の申請に感謝の言葉を述べ、大きな頭を撫でていると再度可愛らしく喉を震わせる。その身体の動きを阻害しない程度の鎧を身に纏い、首元には公国騎士団の証の蒼いスカーフを身に着けている彼女の名はヴィクトリアと云うらしい。そして、宙に舞っている五匹の
「そうか、お姉ちゃんなんだな。判ったよ。君の家族を取り戻そう。
ヴィクトリアは大きな咆哮を上げるとともに翼を大きく広げ、喜んでいるかのようだった。
ゴーグルを装着し、ヴィクトリアに飛び乗る。
ソレを、合図にヴィクトリアは翼をはためかせ紫電の波が荒ぶる雲海を目指し天高く舞い上がった。
「そうだ、一つ云い忘れたことがある。俺のことは考えなくていい。君は君が出来る最高の舞を舞ってくれ。なぁに、心配することなんてないさ。俺は二代目ユリエス・ヴィルザルドだからな」
◆
「……バケモノ……」
誰が紡いだ言葉か判らない。だが、一名を覗いてその場に居合わせたすべての者がそう感じ思ってしまった。
彼女の飛行は騎乗者の存在を無視したものだった。大樹の枝のように隙間なく奔る紫電を避ける為に人の身で耐えうることの出来ない加速を幾度となく繰り返えす。身体を
彼女本来の動きすべてが騎乗者の
◆
紫電の波が荒ぶる雲海を抜けると、俺はその光景にただただ息を呑むことを忘却の彼方に追いやってしまった。その
そんな浮世離れした光景からヴィクトリアの
「……追ってきたな……」
二匹のワイバーンが雲海を抜け双月をバックに両翼を大きく広げ耳を覆いたくなるほどの咆哮を行った。次の瞬間、一匹のワイバーンの口の中で焔が大きく渦巻く。それに対し俺はライフルを構え狙いを定めた。
意識を集中させているとふと、違和感を覚える。次第に大きくなっていく迸る焔から視線が外せない。い一匹のワンバーンから意識を向けることが出来ない状況になってしまっていた。最初から一匹しかいなかったとまで錯覚させられるほどに。
「ヴィクトリア!」
無理やり意識を目の前のワイバーンから引き離し、頭上に一発弾丸を放つ。放たれた弾丸はまるで甲鉄にでも接触したかの様に甲高い音を周囲にもたらした。
ワイバーンの主な攻撃手段は三種類と云われている。屈強な
発した声と弾丸と爪の衝突する甲高い音がヴィクトリアを突き動かした。彼女は所の場で宙返りし弾丸のように雲海へと突入する。数的不利な状況下でこの空に留まるのは不利だと判断したのだろう。
一直線に駆け抜ければほんの一瞬の雲海。だが、彼女にはあえてこの雲海に留まるように指示する。この紫電の波が打ち寄せるこの場所で先ほどのワイバーンを迎え討つ為だ。恐らく相手側も躊躇なくこの雲海で仕掛けてくる。
「――――」
豪雨の音と迸る紫電の波に負けない程の咆哮がこの身を襲う。
激昂していると表現できる咆哮は幾度となく放たれた。何に怒っているのかは定かではない。だが、先ほどの一撃を躱させたことに怒っているのではと思えてしまう。
紫電の波に乗るかのように、ヴィクトリアは雲海の中で舞い続けている。人の身など簡単に吹き飛ばしてしまう暴風。身に受けているのは最早、弾丸とも錯覚できてしまうほどの豪雨。彼らをまるでそよ風に舞う花弁だと云わんばかりに彼女は踊りワイバーンを翻弄する。
「……すげぇ」
そんな言葉が自然とこぼれる。改めて世界は広大なのだと思いしらせられる。後方のワイバーンに意識を向ける。彼はプライドの高い個体なのだろう。先ほどまでのむってぽうな襲撃は少なくなり動きが洗練されていく。これ以上洗練されてしまえば無傷で取り返すことは不可能になる。
「ヴィクトリア、よろしく頼む!」
そう言葉を紡ぎ、俺は下降していく彼女の背から飛び降りた。
紫電の波が、風が荒れ狂う中自由落下してゆく俺をワイバーンが一瞬で追い越してゆく。人である俺なんか視界に映っていないであろうヴィクトリアしか意識をしていない。だからこそ、君は敗北するのだ。取るに足らない人の手によって……。
ボルトアクションライフルを構える。暴風の中で照準が定まるのかって?
ああ、一切合切問題はない。この魔弾は当たるから放つのだ。そういう弾丸だ。構造を原理を理解する必要などない。この行為は結果さえあればいい。
ボルトアクションライフルが刹那の内に二度咆哮をあげる。それは紫電の波に負けない程の咆哮であった。ほどなくしてワイバーンが灰色の雲に包まれる。そしてワイバーンが力なく
「まずは、お一人様ご案内ってところだな」
ワイバーンが落ちて行った場所に視線を向けながら、俺も厚い雲海を抜ける。そして、タイミングよく彼女が舞い降りその背中に乗り急上昇し雲海の上へ戻った。
◆
「――――」
彼女と共に雲海を突破すると咆哮が雲を裂き、俺を襲った。
声の主ははっきりとしている。先ほど地へと
末席と云えど彼らは、天竜族に属する。地に属する者達とは誇りの気高さが違う。それも、次元を隔てるほどに。彼らが住まうは天空だ。己の力のみでそこに存在出来うる力を有している。それが、他者の力を借りなければな天へと至れない者に墜とされた。
地の者が天の者に牙を剥いたことに対する憤怒だろうか? それとも誇りを汚されたことに対してだろうか? その答えを導き出す前に、両者の
「はは、なるほど……君は
両者は暴力的な動きを繰り返し、鮮烈な
そう、目の前の君はワイバーンとしてとても真面目だった。己の力を高める為、証明する為に持ちうるすべてを出し尽くす。そこにあるのはただの高揚感だけだ。負の感情などこれっぽちも存在しえない。そんな瞳が目の前に存在した。
自身の誇りの為に力を振るうのであれば、俺も気持ちがいい。
「ははは、俺達を越えたければ全身全霊で挑んで来い! 俺達は君の全力をもってしても越えられない存在だと教えてやる! ヴィクトリア!」
両者の動きはより鮮烈なモノへと変貌していった。より美しく、より躍動感あふれるモノへ。無尽蔵に広がる夜空と云う舞台で舞は続いた。
「――――」
喜びを伴った咆哮を上げ、真面目なワイバーンは巨大な翼を宙に叩きつけ、急上昇していった。