「鹿乃子に嫌われた……」
「ふうん?」
ある日の夜。部屋に帰ってきたこしたんの第一声をあんこは軽くあしらった。
「受け流すな姉の一大事を!」
「どうせ下らないことなんでしょ? のこたんがお姉ちゃんのことを嫌いになるわけないじゃない」
「そうかなあ? そうかなあ!」
「じゃあ私ポエムノート読むので忙しいから……」
「姉の部屋に忍び込んだ挙句本人の目の前で読むんじゃない!」
「仕方ないわね。後で見えないところで読むわよ」
「それも勘弁して!」
「からかうのはこれくらいにして……それで?」
「そろそろいいかな……と思ってキスしようとしたら『やっ』ってそっぽ向かれちゃったんだよ! やっぱ早かったかなあ!?」
「付き合って半年経ってるのにまだその段階だったの?」
姉のピュアさ加減はわかっていたつもりだったが、そろそろ処女を失っていることも覚悟していただけにあんこは拍子抜けしてしまう。
「いや違うじゃん! ほら、タイミングが合わないことってあるじゃん!」
「分かったから。それから?」
「気まずくなっちゃって、帰り道軽い相槌しか打ってくれなくて……」
「まさかとは思うけどそれだけ?」
「それだけとはなんだ! あの鹿乃子が大人しかったんだぞ! これはもう嫌われたとしか……!」
「……おやすみ」
「おぉーい! どうしてそうなる!? あとそれ私のベッド」
「はぁ……。いいお姉ちゃん? 本当に嫌いになったのなら一緒に帰ったりなんかしないわ」
「そ、そうかな? そうかも……って、本当に寝るな!?」
(普段私たちに見せない顔を覗かせるなんて、お姉ちゃんを特別に思っている証拠。結局いつもののろけじゃない!)
こうしてあんこが抗議するように熟睡した日の翌日。ばしゃめはお昼に屋上に呼び出されていた。
「こしたんに嫌われちゃった……!」
「帰っていいですか?」
こしたんとのこたんはあまりに仲が良すぎてこれまで受けた相談も大したことではなかったし、これからもそうだろうというのが後輩二人の素直な気持ちだった。
「待って待って! 今度こそ大変なの!」
「本当ですか〜?」
少なくとも憧れの先輩に向けるものではない信頼に欠けた眼差しが降り注がれる。
「こしたんがようやく勇気出してキスしてくれようとしたのに、嫌がっちゃって……」
「ああ。それはショックでしょうね」
「やっぱりそうかな……」
「ちなみになんで断っちゃったんですか?」
「……誰にも言わないでね?」
「あ、なら別にいいです」
「でも聞いて! 実はその日はシカせんべいをたらふく食べてて……その、匂いがしちゃうかもって……」
「そういうの気にするんですね」
「気にするよ! 付き合って一ヶ月くらいはいつ来てもいいようにしてたのに、あまりにも手を出してこないから油断しちゃって……」
「もぐもぐ……」
「シカの恋路をおかずにして食うご飯は美味いかっ!」
「ご飯はいつだって美味しいです。それにばしゃめじゃなくてこしたん先輩にそれを言えばいいじゃないですか」
「うっ。いや、さすがにそれは恥ずかしいから……」
「じゃあのこたん先輩の方からキスするしかないですね」
「それはもっと恥ずかしいっ……!」
「んはぁ…………」
彼女にしては珍しい中々に深い溜め息が出た。
「つまりばしゃめの方からこしたん先輩にそれとなく伝えて欲しいと?」
「さすが我が一番弟子! 頼むよ〜! 一生のお願いっ」
「またですか……。何回生きてるんですか」
最初の頃は尊敬する先輩の頼みということで聞いてもいたが、聞くごとに尊敬も削られていき今に至る。
「今回はゆめぴりかですよ」
「恩に切る……!」
しかしそれでもなお彼女のようになりたいという気持ちは失せておらず、初めて助けてもらった時のように手を差し伸べるのだった。
「あなたも物好きねえ」
「逆にあんこちゃんは興味ないんですか? 大好きなお姉さんのことですよ」
のこたんに呼び出されたのなら用事は昨日のことだろうと当たりをつけていたあんこ。お願いを毎度の如く聞いてあげる友人にやや呆れていた。
「私以外と付き合ってるお姉ちゃんの話を聞いて楽しむほど大人じゃないのよ」
「んははぁ。そういうもんですか。でもこのままだと永遠に聞かされますよ。二人とも奥手すぎますからね」
「そこなのよねえ……」
「時間が解決しないなら、もうあの方法しかないですね」
「あの方法?」
そして放課後。今度はあんこがのこたんを屋上に呼び出した。
「どうしたの?」
「ふふ……聞いたわ。お姉ちゃんに嫌われちゃったんだって?」
「ヌン!? そ、それは……うう」
「やっぱりお姉ちゃんに一番相応しいシカは私だったのよ。あなたは所詮二番目」
「……! そ、そんなことないもん! 確かにこしあんも相応しいけど、私が誰よりもこしたんの一番なの!」
「……ふぅ。良かったわ。もしここで腑抜けたセリフを吐くようなら本気で奪おうかとも思ったもの」
「ど、どういうこと?」
「お姉ちゃんを愛してるのはあなただけじゃない。でもね。お姉ちゃんが一番愛してるのはあなただし、逆もまた然りなの。……だから私も認めたんだから」
「こしあん……ごめんね。私、こしたんのこと信じられてなかった。私のこと嫌いになったんじゃないかって……。こしあんからしたら、ムカついたよね」
「すごくね。あなたは私が唯一、お姉ちゃんの傍にいることを認めた女性なの。もっと自信を持ってちょうだい」
「うん! ありがとう……! 私もっと信じるよ。こしたんと、自分のことを!」
「ふふ……ならここでゆっくりしていく?」
「……? どういうこと?」
「きっと今頃ばしゃめがお姉ちゃんを襲ってるから」
「ええ!? 何してるの!? 許さん! こしたんは私の女だー!」
「……行っちゃった。それでいいのよ。あなたはもっと、嫉妬しないと」
こうしてあんこが微笑を漏らす最中、シカ部ではこしたんがばしゃめに馬乗りにされていた。
「ちょ、ちょ! やめなさいってば!」
「なんですか。恋人にキスもできない先輩に教えてあげようとしてるんですよ」
「余計なお世話だ!」
「のこたん先輩がどれだけしてくれるの待ってたと思ってるんですか。ばしゃめなら付き合ってすぐしてますよ」
「そ、そういうのってほら……無理やりだと良くないかなって」
「んはぁ……。のこたん先輩のこと大事にしてくれてるのは、ばしゃめも嬉しいです。けど大事にしすぎです。だからあんなに心配性になっちゃったんですよ」
(う……ちょっと怒ってる?)
「ばしゃめが言いたいこと、分かりますか?」
「つまり多少は無理やりにでも形にしてあげろってことか?」
「先輩は頭が良いのにお馬鹿さんですからね。これくらいしないと分からないですよね」
「……悪かったよ。私は鹿乃子のことが好きだ。あいつといる時間が心地良い。だから壊しちまわないように、慎重になりすぎてたんだな」
「分かればいいんです」
「こらぁばしゃめ! そんなことを頼んだ覚えはないぞ!」
「ありゃりゃ。時間切れですね。……じゃ、ばしゃめは空気が読めるので退散しますね」
「ああ……ありがとな」
ばしゃめはこしたんにだけ儚げな表情を見せるといつものようにのほほんと笑いながら去っていった。
「こしたんの浮気者ー!」
「い、いやしてない!」
「だってなんかドキドキしてた!」
「それはちょっとはしたけど……」
「したの!?」
「や。だって顔近かったし……」
「うう……ずるいずるい! 私以外にドキドキしちゃダメ!」
「し、しょうがないだろ! だってこんなに近かったんだぞ!」
「あ……」
今まで押し隠していた独占するかのような感情をぶつけるのこたんに、意を決してこしたんは覆い被さった。
「……好きだ」
「……うん。私も」
二人とも顔を真っ赤にしながらも、二度と嫌われたなんて思わないほどに気持ちを重ね合ったのだった。