IS -Scharlachrot-   作:小糠雨

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第二二話:全てを癒やす命の泉

 

「う、ぁ……」

 

 ぼやっとした光が天井から降りているのを感じて、ラウラは目を覚ました。

 

「気がついたか」

 

 その声には聞き覚えがある。捨て石のように戦場に放り込まれて自棄になっていた彼女を守り、生還させてくれた人。あの時は一ヶ月という短い付き合いであったが、それでも兄と慕った人だ。間違えようが無い。

 

「私は……どうなりました……?」

 

「全身に無理な負荷がかかったことによる筋肉疲労と打撲、だそうだ。しばらくは無理をするな」

 

「そういうことではなく……」

 

 全身に走る痛みを堪えながら、無理やり起き上がる。表情を苦痛に歪めながらも、その双眸は真っ直ぐにジギスヴァルトを見つめていた。治療のため眼帯が外されている左目は右目の赤とは全く異なり、金に輝いている。そのオッドアイが、ただひたすらに問いかける。

 

「……当事者である私とスティナには説明が為されたが、一応重要案件である上に機密事項だ。それを理解したうえで聞け」

 

「はい」

 

「VTシステムは知っているか?」

 

「はい。正式名称はヴァルキリー・トレース・システム。過去のモンド・グロッソの部門受賞者(ヴァルキリー)の動きを模倣するシステムで、確かあれは――」

 

 条約によって現在どの国家、組織、企業においても研究、開発、使用全てが禁止されている。ラウラがそう言うと、彼はひとつ肯いて説明を続ける。

 

「それが、お前のISに積まれていた」

 

「…………」

 

「巧妙に隠されていたそうだ。しかも、正規の方法で起動したのではないらしい。システムのログに強制起動の痕跡があった。

 それとレーゲンのOSが無理にシャットダウンされていたそうで、プログラムが一部破損している。現在整備科の者が復旧中だ」

 

 ジギスヴァルトの話を聞きながら、ラウラはいつしか俯き、シーツをギュッと握りしめていた。

 

「……ヴェスターグレンがレーゲンの右脚を破壊した後、声が聞こえたんです」

 

「ん?」

 

「力が欲しいか、さらなる変革を望むか――と。

 必死で抗いましたが、結果はあのザマ。声に集中を乱されている間にヴェスターグレンに敗北し、意識を手放してしまった。

 あれは私とあいつの戦いだった。私とあいつの、信念のぶつかり合いだった。あの時あいつは、あの訓練機で出せる全力で向かってきてくれた。それなのに、私は――!」

 

 ――あんな得体の知れないものに掻き回されて全力を出せず、あろうことか最後には屈してしまった。

 

 それを言葉にはしなかったが、ジギスヴァルトには伝わった。

 

「ラウラ・ボーデヴィッヒ!」

 

「っ!? は、はい!」

 

 突然大声で名前を呼ばれ、ラウラは飛び上がった。

 

「お前はスティナと戦って、何を思った?」

 

「……強かった。私よりもずっと。けれど、奴の言った通り――力は価値ではないのかも知れません」

 

「ほう、どういった心境の変化だ?」

 

「気を失っている間――私は夢を見ました。あれはきっと、あいつの……ヴェスターグレンの記憶」

 

 ラウラと同じく、遺伝子強化素体(アドヴァンスド)として生を受けた。身体的な欠陥があって失敗作として殺処分されそうだったところをスウェーデンへ売られ、そこで初めて名を貰い、訓練と実験の毎日。

 

 けれど――彼女は、笑っていたのだ。

 

 別に四六時中ニコニコしているわけではない。もともとさほど感情表現が得意でないスティナは表情豊かとは言えない。それでも、楽しいと感じたときには笑っていた――楽しいと感じる瞬間が、彼女にはあったのだ。

 

 きつい訓練やつらい実験を受けて体を壊したこともあった。下衆(げす)な将校に(なぶ)られたこともあった。けれど、彼女は部隊内での人間関係が良好だった。皆が倍以上も年上という環境下で、娘のように可愛がられていたようだ。だから彼女は、笑っていた。

 

 かつてのラウラのように訓練の成績が良かったわけではないのに。日光に当たれないせいで戦場に出られず、だから実戦で活躍することも出来なかったのに。それでも彼女は、少なくとも部隊の皆に認められていたのである。受け入れられて、いたのである。

 

 そしてそれは――もしかしたら、ラウラも歩めた道だったかも知れないのだ。思い返せば同じ部隊の……黒ウサギ隊(シュヴァルツェ・ハーゼ)の皆は幾度も彼女に手を差し延べてくれていた。それを、意固地になって拒絶していたのは他でもない、彼女自身だ。

 

「それに、気づいてしまいました」

 

 自嘲するようにラウラが言うと、ジギスヴァルトはフッと笑った。

 

「……そうか。ならば丁度良い。これからお前はそうなるがいい」

 

「……え?」

 

「これから三年間はこの学園に在籍するのだろう? ならばその間、今までのように力ばかりを価値とするのではなく、ラウラ・ボーデヴィッヒとしての価値を作り上げていけばいい。その後も、まあ死ぬまでたっぷりと時間はある。せいぜい慣れないことに四苦八苦するがいい」

 

 くつくつと笑って、これからが楽しみだな、などと言う。言って、今まで座っていた丸椅子から立ち上がった彼はベッドから離れる。

 

「ああ、それから」

 

 ドアに手をかけて立ち止まり、振り向くことなく再度言葉を投げかける。

 

「少なくとも私は、お前を妹のように大切に思っている。力がどうだのは関係無くだ。それは今も――そしてあの頃もな」

 

 今度こそ言いたいことは全て言ったのだろう。そのまま医務室を出て行ってしまった。

 

(私の価値――か)

 

 どうすればいいのかはわからない。けれど、それはきっと、自分で見つけなければならないものだ。彼の言った通り、四苦八苦しなければならないのだ。

 

 けれど、なんとなく心が軽い。だって、今の自分は空っぽだから。ラウラ・ボーデヴィッヒの中身(価値)は、これから満たして行くのだから――。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

「待たせたな、一夏」

 

「……いや、問題ない」

 

 ラウラと別れた後、ジギスヴァルトは屋上へと足を運んだ。目的は、学年別トーナメントの一回戦での約束。ジギスヴァルトが勝ったら一夏が質問に答えるという、アレだ。

 

「それで、何が聞きたいんだ?」

 

 一夏は心なしか急いているように、ジギスヴァルトは感じた。この後アリーナのシールドを壊した件の反省文が待っているのと、そしてその時ジギスヴァルトに言われた言葉が刺さっているからだろう。居心地が悪いに違いない。

 

「まあ、私とてさっさと済ませたいので手短にいくが――お前は何故シャルロットを助けようと思った?」

 

「……なんだって?」

 

 それは、一夏の心に引っかかっているもう一つの感情も刺激した。

 

「逆に聞くけどよ、ジグ。お前、なんであの時、助けるのを渋ったんだ?」

 

 それは本来一夏が勝ったときに聞かせろと言われた質問。

 

「質問に質問で返すのは感心せんな」

 

「いいから答えろ!」

 

 やれやれ、と肩を竦める。おそらく彼が答えなければ一夏も答えない。だがまあ、どうせ勝敗に関係なく教えるつもりでいたのだ。特に問題は無い。

 

「あの時言っただろう? シャルロットが本当のことを言っている証拠が無かったからだ」

 

「お前はあれが本当だって知ってただろうが!」

 

「そうだな」

 

「だったら!」

 

 またしても激昂する一夏の姿に嘆息を禁じ得ない。すぐ熱くなる性格をなんとかしろと言ったはずだが――まあ、すぐに直るものなら苦労は無い。

 

「だが、一夏。お前は知らなかった。そうだな?」

 

「それは……そうだ」

 

「では、私の質問に戻るが。何故シャルロットを助けようと思った?」

 

「友達だからだよ。友達を助けるのに理由が要るか?」

 

「要る。少なくとも私とお前は」

 

 その言葉に一夏は困惑した。今までそんな風に考えたことも無いからだ。友達が困っているなら助ける、というのは彼の中では当然のことなのだから。

 

「ああ、勘違いするなよ。シャルロットを助けようとしたこと自体を咎めているのではない。それはお前の良い所だ」

 

「じゃあ、何だよ」

 

「少しで良いから疑うことを覚えろ、ということだ」

 

「友達を疑えってのかよ。目の前で困ってる友達を見捨てろってのか!」

 

 だから、すぐに熱くなるなと言うのに。もしかして既に忘れてしまっているのだろうか、と不安になってきた。

 

「そういう話でもない。だが、そうだな――例えばの話だ。シャルロットがあの時嘘を吐いていて、本当はお前と私、その他専用機持ちたちを暗殺して機体を奪うために来ていたとする」

 

「シャルロットがそんなこと――」

 

「例えばの話だと言っておろうが。

 で、だ。お前に『シャルロットは友達だ』と思わせ疑われないようにするところから彼女の策略だったとしたら、お前はまんまとその術中にハマったことになる。仲良くなったお前に架空の身の上話をし、同情を誘い、警戒心を無くして――そして殺す。

 そうなった時、お前は対処できるか? 出来まい。死ぬのがお前だけならまだ自業自得で済ませられるが、では彼女が鈴を、セシリアを、私やスティナを、殺して機体を奪おうとしたら? 信じていた彼女の凶行を前に、お前は冷静でいられるのか?」

 

「それ、は……」

 

「今回は彼女が真実を語っていた。私もそれが本当だと知っていた。

 だが、もし似たようなことがまたあったとき、いつも真実が語られるとは限らんのだ。毎度毎度私が真実を知っているとも限らんのだ。

 信じるなとは言わん。助けたいならば助けるがいい、信じたいなら信じるべきだ。それは間違いなく美徳だからな。

 だが、『そういうことがあるかも』とは常に考えておけ。そして今日も言ったがすぐに熱くならず、一瞬でもいい、少し考えてから行動しろ。でないと――いつか、お前だけでなく大切な人も巻き込んで取り返しのつかないことになる。守るどころの話ではないぞ」

 

「……わかったよ。今日みたいになるかもってことなんだな。俺が熱くなったせいで誰かが危険にさらされるかも――いや、死ぬかも知れないんだ。今日だってそうだった」

 

「そうだ。わかったのならいい」

 

「つまり俺のためにあの時ああしてくれたってことだよな。サンキュー、ジグ。すぐに出来るかはわかんねえけど――やってみるよ」

 

 そのためにまずは目前の反省文(困難)に打ち勝たなくては、と屋上を去ろうとする一夏を、しかしジギスヴァルトは呼び止めた。まだ何かあるのかと怪訝な顔で振り向く一夏に、彼は意地の悪い笑みを浮かべて、言う。

 

「前々から思っていたのだがな。お前、『俺なんかを好きになるような女の子なんて居ない』だとか思っているだろう」

 

「は? 何だよ突然。そりゃ、確かにそう思ってるけど」

 

「それは大間違いだ」

 

「へ?」

 

「これ以上は自分で考えろ」

 

 そしてシッシッと手を振って屋上から追い出そうとしたが――そこに真耶がやってきて、二人の姿を認めると大きく安堵の息を漏らした。

 

「ああ、よかったー。やっと見つけました」

 

「山田先生。もうあの地獄は終わったんですか?」

 

 ジギスヴァルトの言う地獄というのは、VTシステムに関する一連の後処理のことだ。当事者となった彼とスティナへの取り調べ、各国からの問い合わせ対応、ドイツへの説明要求等々。教員総出でてんてこ舞いである。

 

「ええ、まあ、なんとか一段落ってとこです。……戻ったらまたデスマーチですけど」

 

「それは、なんというか……すみません」

 

「いえいえ、ブレヒト君のせいじゃありませんから! それに、私は先生ですから、これくらいへっちゃらです」

 

 えへん、と胸を張る真耶。その動きであの重たげな膨らみがゆさっと揺れて、一夏とジギスヴァルトはついつい顔を背けてしまう。この場に一夏に惚れている連中や本音が居なくてよかった、と心から思う。

 

「……? どうかしました?」

 

「いえ、別に。それより山田先生、何か用があったから私たちを探していたのでは?」

 

「そうでした! 朗報ですよ、朗報!」

 

 グッと両の拳を握りしめてのガッツポーズで、またしても胸部装甲が激しく自己主張。

 

「合図のために撃つ銃砲ですか?」

 

「それは号砲です」

 

「では西暦九九九年一月一三日から西暦一〇〇四年七月二〇日ですか?」

 

「それは長保(ちょうほう)です。そんなのどこで知ったんですかブレヒト君」

 

「ならば農民一人に田地五十畝を与えその十分の一の収穫を税として納めさせる、中国古代の()で施行された税法ですか?」

 

「それは貢法(こうほう)。ホントどこからそんな知識を……って、そうじゃなくて! 朗報! 良い報せです!」

 

 だから、きっとジギスヴァルトがこうして巫山戯てしまうのも仕方の無いことなのだ。全ては魅惑の胸部装甲が悪い。あれ、どう見ても()()本音より大きいし。

 

「なんとですね! ついについに、今日から男子の大浴場使用が解禁です!」

 

『なんとぉ!?』

 

 その時二人に電流走る。

 

「マジですか山田先生!」

 

「来月からだとばかり思っていました!」

 

「それがですねー。今日は大浴場のボイラー点検があったので、もともと生徒たちが使えない日なんです。でも点検自体はもう終わったので、それなら男子に使ってもらおうって計らいなんですよー」

 

『なんという、なんということだ! 素晴らしい!』

 

 この時、風呂という命の泉を前に、二人の心は一つになった。さっきまでの微妙な感じなど微塵も感じさせない。何者にも打ち砕けぬ絆が、そこにはあった。

 

「そういうわけで、大浴場の鍵は開けていますのでブレヒト君は早速お風呂にどうぞ。今日の疲れも肩まで浸かって百数えたらもうスッキリ! ですよ!」

 

「はい!」

 

「……あれ、俺は?」

 

 名を呼ばれなかった一夏が尋ねると、真耶は彼の手にドサッと何かを置いた。

 

 ――大量の原稿用紙だった。

 

「織斑君は、指導室で反省文です」

 

「……自室で書いていいって言われたはずなんですけど」

 

「ダメです♪」

 

 彼女の顔は極上の笑顔。けれど何故だろう、「逃げられると思うなよ」という声が聞こえた気がしたのは。

 

「さあ織斑君、行きますよー」

 

「えっちょっ待っ……ジ、ジグ! 助け……!」

 

 ズルズルと引きずられていく一夏。そんな彼に、ジギスヴァルトはいい笑顔で親指を立てて、言った。

 

「安心しろ。大浴場の感想文を二百字以内で提出してやる」

 

「裏切り者おおおおお!?」

 

 いとも簡単に打ち砕かれた絆が、そこにはあった。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 さて、そういった経緯で、ジギスヴァルトは大浴場にやって来たわけである。

 

「あぁ……癒やされる……」

 

 広々とした湯船を独り占め。嗚呼、なんという贅沢だろうか。

 

 ドイツ人はシャワーで済ませる者が多く、単身者用のアパート等では浴槽の無い場所も多い。ジギスヴァルトも束の許を離れてドイツで暮らしていた頃は浴槽の無い物件に住んでいたし、シャワーだけでも平気ではあるが、それはそれ。束に拾われるより前に暮らしていた家には、養父たちの大半が日本人だった故に立派な風呂があり、彼もまた風呂を堪能していた。要するに、ドイツ人には珍しく彼は風呂好きなのである。

 

(しかしまあ、何年ぶりのちゃんとした風呂だろうか……実に良い……このまま寝てしまいそうですらある……)

 

 試合の疲れとあまりの脱力感から睡魔が押し寄せてくる。お前は試合でほとんど何もしなかっただろうなんて言ってはいけない。今日彼はメルツハーゼを毎分六千発の発射速度で撃ち続けたのだ。その際の反動はおよそ二トン。ISのアシストがあるとはいえそれを十分間も受け続けたのだから、体にかかる負担も相応のものである。

 

 と、そういうわけで、襲い来る睡魔に抗いながら風呂を堪能していたのだが。不意に、カラカラと扉が開く音が聞こえた気がした。さらには、ひたひたと足音まで聞こえてくる。

 

(一夏だろうか……? あの量の反省文をこの短時間で仕上げられるとは思えんが……)

 

 しかし今日ここに来る可能性があるのは一夏のみ。後ろで体を洗う音まで聞こえるからには幻聴ではないし、やはり一夏が反省文を終わらせて来たのだろう。

 

 ――そう思っていたのだが。

 

「となりにしつれーしまーすー」

 

 そう言ってわざわざすぐ隣にチャポンと入ってきたのは、なんと本音だった。

 

「本音、何故ここに居る」

 

「だってジグ、さっき今日は大浴場に行けるーってすごいテンションで言ってたからー。私も一緒に入りたいなーと思ってー」

 

「一夏が来たらどうするのだ」

 

「来ないよー?」

 

「何故そう言い切れる?」

 

「たっちゃんかいちょーに頼んで指導室にぶち込んでもらったからー」

 

 にへっと笑ってさらっと凄いことを言う。山田先生が一夏を連行したのはそういうことか。というか、承諾するなよ生徒会長。

 

「てゆーかー、どーしてジグはそんなに冷静なのかなー?」

 

 本音としては、たまには慌てふためく彼を見たかったのだが。予想に反して彼はただ泰然としてそこに在る。こうまで平然とされていると、もしかして自分には女としての魅力が無いのだろうかと不安になってくる。日本の大浴場においてタオルを湯船に浸けるのは世界を滅ぼすのと同じくらいの大罪であるからして、今の本音は絶対的な掟に従い何も身につけていないというのに。

 

「本音こそ、男の居る風呂にいやに平然と入っているではないか。恥ずかしいだの身が危険だのとは思わんのか?」

 

「んー……でももう何回か見られてるしー、あとジグなら別に襲われてもいいしー」

 

 などと、誰かに聞かれたら噂が瞬を駆け抜けて紅蓮の碑を描きそうなことを口走って、本音が体勢を変えた。ただ隣に座っているだけの状態から体を横に向けて、ジギスヴァルトに抱き付く形だ。大きくて柔らかいアレが直に押し付けられて精神衛生上非常によろしくない。

 

「それでも恥じらいは持つべきだと思うがな」

 

「失敬な。私だって恥じらいはあるよー?」

 

「どの口がそんなことを言う」

 

「信じてないなー? 私今ちょお恥ずかしいよー?」

 

 実際、彼女の顔は体が温まっていることを抜きにしても真っ赤である。しかしそれは、先程から頑なに彼女の方を見ようとしないジギスヴァルトには確認のしようが無い。

 

「本音。ひとつ覚えておくと良い」

 

「なになにー?」

 

「別に私は冷静ではない」

 

 ――そして、彼の身体は徐々に(かし)ぎ、ついにはバッシャーン! と音を立てて倒れてしまった。

 

 嗚呼、そうなのだ。彼は別に平気な訳ではなかったのだ。ただただ驚愕や羞恥や劣情、その他諸々の感情が振り切れた結果、一周回って普段通りであるかのような振る舞いになっていただけであったのだ。

 

「ちょ、ジグー!?」

 

 まるで悟りに至ったかのように穏やかな顔で湯船に沈みゆくジギスヴァルト。

 

 ――翌日、一夏に提出された感想文には、ただ一言「Fantastisch(最高)」と書かれていた。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 学年別トーナメントは中止になった。VTシステムの件で教師が皆忙殺されたためだ。幸い、残っていた試合は準決勝がいくつかと決勝だけだったので、どの参加者も最低一度は試合をしていた。そのため各生徒のデータは問題なく取れており、無理に続行する必要も無かったのである。

 

 そして試合が無くなったことで金曜日は急遽休日となり、それが明けた土曜日。IS学園では土曜日にも、半ドンとは言え授業がある。なので、当然朝のホームルームもあるのだが、教室にはシャルロットの姿が無かった。ラウラも居ないが、こちらはまあ療養中なのだろう。

 

「皆さん、おはようございます」

 

 教室に入ってきた真耶は何故かニコニコしていた。それはこれからイタズラをしてやろうと企む子供のような表情。

 

「今日は皆さんに転校生を紹介します。と言っても、皆さん既に知っている人です」

 

 真耶の言葉にクラス中が首を傾げた。既に知っている転校生、というのが皆引っかかっているらしい。

 

「じゃあ、入ってください」

 

「失礼します」

 

 ドアの外から聞こえた声には、クラス全員が聞き覚えがあった。ああ、なるほど。確かに、我々は転校生を知っている――。

 

「シャルロット・デュノアです。皆さん、改めて宜しくお願いします」

 

 ぺこり、とスカート姿のシャルロットが一礼する。知っているはずの人物の知らない姿にクラス全員がぽかんとしたまま、これはどうも御丁寧にとばかりに頭を下げ返した。

 

 この場で驚いていないのは四人。一夏、ジギスヴァルト、本音、そしてスティナだ。彼らは昨日、楯無から聞かされていた。準備が整ったからシャルロットは女の子に戻る、と。

 

「というわけで、デュノア君は、実はデュノアさんでした」

 

 皆が驚いているのが楽しいのだろう。真耶は楽しそうにそう言った。

 

 ちなみに、シャルロットは「稀少な男性操縦者がどの程度の危機回避能力を持っているかの確認のための“危機”役として男性と偽って編入したが、その役目を終えたため本来の性別で編入し直した」ということになっている。

 

「……え? デュノア君って女の子だったの?」

 

「おかしいと思った! 美少年じゃなくて美少女だったのね!」

 

「って、織斑君、同室なんだから知らないってことは……」

 

「ちょっと待って! 確か一昨日、男子が大浴場使ってなかった!?」

 

 一夏が振り向いた。後ろの席のジギスヴァルトと視線を交わした。両者とも神妙な顔で頷いた。いかに鈍感な一夏といえど、この後に待ち受ける展開は予想できたようだ。

 

 ここから逃げ――。

 

「一夏ァ!」

 

 バシーン! と、とんでもない勢いで教室のドアが開いた。そこにおわすは凰鈴音。その顔は烈火のごとき怒りに彩られ、背後には昇り龍が見える。

 

 逃げるのは却下。二人はプランB(行き当たりばったり)に移行した。

 

「待て鈴。俺は潔白だ」

 

「はあ? 何がどう潔白なのよ」

 

「俺は一昨日、大浴場には行ってない! ずっと指導室で反省文を書いてたんだ! ですよね山田先生!」

 

 必死の形相を真耶に向けると、彼女は笑顔で頷いた。

 

「な!」

 

「そう。でも、アンタあの子と相部屋よね」

 

「……はい」

 

 一夏自身は鈴が「男が女性と相部屋であること、あるいは一緒に入浴したことを(入浴は濡れ衣だが)女性として不快に感じている」から怒っていると思っていて、よもや彼女が自分に惚れているから怒っているのだなどとは思ってもみないわけであるが。それでも、彼女の怒りがそう簡単におさまりそうもないものだとはわかる。

 

 万事休すか。と、一夏が諦めかけたその時、救いの手は思わぬところから差し延べられた。

 

「すみません、遅れました」

 

 鈴音の後ろからひょこっと現れたのは、ラウラだった。

 

 あのラウラが、遅刻を謝りながら、教室に入ってきた。それはクラス中(と、ついでに鈴音)に再びの衝撃を与えて余りある出来事であった。

 

「もう良いのか、ラウラ」

 

「はい、ジグ兄様。ご心配おかけしました」

 

 ジギスヴァルトのかけた言葉に答えて、ラウラはセシリアの前に立った。

 

「な、なんですの……?」

 

「すまなかった。数々の暴言と、模擬戦にあるまじき攻撃を謝罪させて欲しい」

 

「え!? あ、はい……?」

 

 あのラウラが、またしても謝罪した。三度(みたび)クラス+αに電流が走る。

 

 さらに極めつけが、彼女が自分の席についたときだ。隣の席に座るスティナに、なんと笑顔を向けて、彼女は言った。

 

「おはようございます、スティナ姉様」

 

『姉様あああああ!?』

 

 四度走った驚愕。一連の驚きの中で、一夏がどうだのはうやむやになってしまった。

 

「…………」

 

 なお、今まで皆から妹のように扱われていたスティナは、姉様と呼ばれることもまんざらではないようで。千冬が来てクラスが落ち着きを取り戻すまで、顔が少しにやけていた。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

「むーん……」

 

 そこは、異様な部屋だった。

 

 部屋の至る所には機械のパーツが散りばめられ、ケーブルが樹海のように広がって床を埋めている。そんな金属の森のあちこちでは、不要な部品を識別して分解・吸収の後別の形状に再構成するなどという「それなんてSF?」と言いたくなるような機械仕掛けの栗鼠(メカニカル・スクワール)がボルトやらプラグやらを囓っている。

 

 ここは、篠ノ之束の秘密ラボ(ワンダーランド)

 

「おー、おー」

 

 作品(物語)の紡ぎ手たる(キャロル)は、同時に世界を揺るがす主役(アリス)でもある。……という意図があるのか無いのか知らないが、真っ青なワンピースの上に白いエプロンを纏い頭に機械のウサ耳をつけた彼女はまさに“一人不思議の国のアリス状態”だ。彼女の奔放ぶりはむしろチェシャ猫のそれであるが。

 

 もう一つ似つかわしくない部分を挙げるとするならば、ワンピースの胸元を押し上げる豊満なバストだろうか。およそ少女(アリス)と言うには不似合いな大きさの果実が二つ、その存在を主張している。

 

「おー……」

 

 彼女の顔立ちは箒と似ている。が、箒が凛々しいツリ目だとするならば、束のそれは寝不足から来る不健康なツリ目。一応、“弟”や“娘”との約束なので毎日の食事と睡眠はきっちり摂っているが、ここ数日は寝ていない。

 

 彼女は無駄にハイテクな機械の数々を、無駄に洗練された無駄の無い無駄な動きで目まぐるしく操作していく。

 

「できたぁー!」

 

 ひゃっほーぅ! などと叫んで、たった今自らが作り上げたそれを掲げて小躍りする。それこそが、彼女がここ数日寝る間も惜しんで製作していた至高の一品。

 

「かわいい! 超かわいい! さーっすが束さん!」

 

 ――無駄に洗練された無駄の無い無駄な精巧さの、八分の一スケールの、スティナのガレージキット(非売品)だった。ちなみにこれで実に六体目、しかも全てポーズや服装、表情が違う。中にはプラモデルのエイフォニック・ロビンを装着した可動式フィギュアもある。ドン引きです。

 

「どこに飾ろっかなぁー」

 

 ちゃちゃらちゃーちゃーちゃーちゃらららー♪

 

 ツィゴイネルワイゼンが流れる。ちなみにツィゴイネルワイゼンの綴りはZigeunerweisen、意味は“ジプシーの旋律”である。作曲者はサラサーテ。決して綿100ではない。

 

「こ、この着信音はぁー! とうっ!」

 

 スティナのフィギュアを素早くそっと机に置いて、大ジャンプ。もとい、携帯端末にダイブ。すぐさま通話ボタンを押し、耳に押し当てる。

 

「も、もすもす? モーモス?」

 

『…………』

 

 ブツッ。――切れた。二重の意味で。

 

「わーん! 待って待ってぇー!」

 

 束の願いが通じたのか、はたまた神様(モーモス)のイタズラか。携帯端末は再度ツィゴイネルワイゼンを奏でた。

 

「はーい、皆のアイドル篠ノ之束、ここに――待って! 待ってちーちゃん!」

 

『その名で呼ぶな』

 

「おっけぃ、ちーちゃん!」

 

『……まあ良い。今日は聞きたいことがある』

 

「なーにぃ?」

 

『お前――()()()()()()()()()?』

 

「何か? すーちゃんの八分の一スケールガレージキットならたった今作り終えたとこだよ?」

 

『そうじゃない。IS関係で何か、ということだ』

 

「そりゃ、作るさー。私の夢に近づくために欠かせないし、ジグ君とすーちゃんの追加装備とか要るかもしれないしね♪」

 

『……なら、篠ノ之のためには何か、あるのか?』

 

「箒ちゃん?」

 

 束は部屋の奥に目を向け、すぐに戻す。

 

「ある予定だった――って感じかなー」

 

 その声は――ひどく冷たく響いた。

 

『そうか。まあ、用はそれだけだ。邪魔したな』

 

「いやいや、邪魔だなんてとんでもない。私の時間はちーちゃんのためならいつでもどこでもフルオープン。コンビニなんて目じゃないね!」

 

『……では、またな』

 

 ブツッと電話が切れる。今度はもう一度かかってくることは――。

 

 

 キャデラックは好きだ。キャディがお好き? 結構。ではますます好きになりますよ。さぁさぁ、どうぞ。キャディのニューモデルです――快適でしょ? んああ、仰らないで。

 

 

 否、かかってきた。ただし今度は着信音が違う。何故か『コ○ンドー』の劇中の一部分をそのまま着信音にしているらしい。

 

 束はそれに殆ど反射で反応して通話ボタンを押――そうとして、止まった。そのまま数秒、何かに迷うような顔で携帯端末を眺めた後、回線を繋げる。

 

「やあやあ。久しぶりだね」

 

『…………姉さん』

 

「用件は察しがつくよ。欲しいんだよね? キミだけのオンリーワン。代用無きもの(オルタナティヴ・ゼロ)。篠ノ之箒の専用機が」

 

『……そうです』

 

「用意することはできるよ。でもそのためには、箒ちゃん。束さんの質問に答えてくれるかな?」

 

『……何でしょうか』

 

「キミは――専用機を何に使うんだい?」

 

『……私は、一夏を邪道から真っ当な道に戻したい。一夏を誑かす者を排除したい』

 

「……そ。わかったよ箒ちゃん。()()()()()()()()機体を用意するよ」

 

『……ありがとうございます』

 

 そして、電話は切れて。束は他の誰も居ない部屋で、一人呟く。

 

「それじゃあダメだよ、箒ちゃん」

 

 




 シャルロットのお風呂シーンがあると思った? 残念、本音ちゃんでした!
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