千冬の授業の開幕は、彼女の「クラス代表は決まっているか?」という一言だった。
結論から言うと、決まっていなかった。本当は真耶の授業――つまり先程受けた授業で決めておくべきだったようだが、彼女は失念していたらしい。
そこで千冬の授業でそれを決めようということになったのだが――。
「はいっ! 織斑君を推薦します!」
「えっ俺!?」
「私も織斑君がいいと思いまーす!」
「私はジグ君がいいと思います!」
「あっ私もー!」
「……む? 私か?」
「じゃあ私は織斑君!」
「私はジグ君!」
とまあ、このように。男性操縦者というある種の珍獣を代表に据えることでインパクトでも狙ったのか、一夏とジギスヴァルトがクラスメイトから猛プッシュされた。
ジギスヴァルトとしては、やれと言われればやぶさかではない。クラス対抗戦への出場や各委員会、生徒会の会議への出席等々。どれもが経験の無いことで、純粋に興味があったのだ。一夏は何やら千冬に抗議してまた頭を叩かれていたが、ジギスヴァルトには何の文句も無い。むしろ願ったりだ。
しかしながら、否、やはりというべきか。彼らを代表に据えることに異を唱える者も居た。
「納得できませんわ!」
セシリア・オルコットだった。
「クラスを代表して戦うんですのよ! 未熟で軟弱な男性操縦者に務まるとは思えません! 男がクラス代表だなんて恥さらしもいいところです! このセシリア・オルコットにそのような屈辱を一年味わえと!?」
なんとも現代的な考え方だとジギスヴァルトは苦笑した。この女は筋金入りだ。
「ほう。ではオルコット、つまりお前は自薦でもすると言うのか?」
「そういうことになりますわね」
千冬の言を肯定し、なおもセシリアは続ける。
「実力からいけばわたくしがクラス代表になるのが必然。それを物珍しいからなどという理由で極東の猿や野蛮な傭兵にされては困ります! イギリス代表候補生で専用機持ちである私がなるべきで――」
「すまない、ちょっといいか?」
興奮気味にまくし立てるセシリアを遮って一夏が手を挙げた。なんだなかなか気概があるじゃないかとジギスヴァルトが感心したのも束の間――。
「代表候補生って何だ?」
――クラス中がコケた。今度はジギスヴァルトも、それどころか千冬でさえも。
「……読んで字の如く。国を代表するIS操縦者の候補のことだ」
ジギスヴァルトが説明してやると、一夏は「へぇー、ジグって詳しいんだな!」と妙に感心していた。
(そういえばこいつ、教本を電話帳と間違えて捨てていたのだったか)
真耶の授業でそれが発覚して千冬の出席簿を食らっていたのを彼は思い出した。あれはなかなかに……うむ、痛そうだった。その後千冬は教本再発行の手配のために教室を去ったため、授業開始時の問いが出たのである。
「と、ともかく! クラス代表は専用機持ちであり、試験で唯一教官を倒した私がなるべきですわ!」
ふんぞり返って自慢げに言うセシリアに一夏と、そして今度はジギスヴァルトも反応した。自分の持っている情報と彼女の発言が食い違ったからだ。
「え? 教官なら俺も倒したぞ?」
「へ?」
「私も倒したが。さらに言うならば、専用機なら私も持っている。試験では訓練機を使ったがな」
「はい?」
あまりに予想外の発言だったのか、なんとも間抜けな声をあげるセシリア。高慢な顔が崩れたのがなかなかに愉快だ。もちろん言わないが。
「わたくしだけと聞きましたが?」
「女子では、ってオチじゃねえの?」
「くっ……! ですが、ほとんどISに乗ったことのない素人なのは確かなはずです!」
セシリアの反撃に、一夏は、
「そりゃまあ、たしかに」
と返した。一方ジギスヴァルトは、
「…………」
無言だった。それはバカ正直に稼働時間や搭乗回数を数えていたがために空いた間だったのだが、どうやら彼女は肯定と受け取ったらしい。ますます調子に乗って次々に言葉を並べていく。
「ほらご覧なさい! だいたいこんな、文化の後進的な島国で暮らすこと自体苦痛なのです! それなのに男なんかと同じクラスで、そのうえクラス代表まで男だなんて耐えられ――」
「イギリスだって大したお国自慢無いだろ。世界一不味い料理で何年連続覇者だよ」
「ああ、一度雇われてイギリスへ行ったが確かに酷かったな。特にあれだ、フィッシュアンドチップス。あれは油っこいくせに水っぽいし生臭いという奇跡の不協和音だった。あんなものを名物だなどと言う神経を疑う」
――言ってから、しまった、とジギスヴァルトは思った。あまりに酷い言い種につい一夏に同調してしまったが、これでは火に油でしかない。
一夏を見る。どうやら彼と違って、やらかしたとは思っていないらしい。しかしセシリアは相当頭にきたらしく、青筋どころか顔が真っ赤になっている。
「あなたたち、わたくしの祖国を侮辱しますの!?」
「先に日本を侮辱したのはそっちだろ」
全くの正論だが、今はそれは悪手だ。時に正論は油、ガソリン、酷いときにはピクリン酸やトリニトロトルエンに匹敵する。
「いいでしょう、決闘ですわ!」
やはりセシリアの怒りは加速したようで、その表情は殺る気満々といったところだ。どうして決闘にまで思考がぶっ飛んだのかは理解しかねるが。
しかし日本を、そして男を散々馬鹿にされたのが頭にきている一夏はそれを真正面から受け止める。
「いいぜ。やってやるよ」
「あなたたちが負けたら一生わたくしの小間使い――いえ、奴隷にしますわよ」
「たち? 待て、私もやるのか?」
「当然でしょう!」
しまった、あの時口を噤んでいれば! などと考えても後の祭。どうやらジギスヴァルトもセシリアに敵と認定されてしまったようだ。
「それで、ハンデはどれくらいつける?」
一夏の言葉にセシリアは侮蔑を乗せた声で応じる。
「あら、早速お願いですか?」
「違う、俺がどれくらいハンデをつけるかだ」
――瞬間。クラス中が爆笑の渦に包まれた。
「お、織斑君本気で言ってる?」
「男が女より強かったのなんてかなり昔の話だよ?」
「そりゃ二人はISを動かせるかも知れないけど、それは言い過ぎだよ」
女が男より絶対的に強いのはISに乗れればの話だがな、とジギスヴァルトは思う。同時に、それを言ったところで今笑っている彼女らには伝わるまい、とも。
おそらく彼女らはISを動かせない状況に陥ることなど想定していないだろう。それに、ISの性能があればたとえ男がISに乗ったって条件はイーブン、もしくは女性の方が有利だと思っているのだろうから。
「……だったら、ハンデはいい」
一夏は納得いかないようだ。だからジギスヴァルトはただ一言。
「本当にハンデは要らないのだな、セシリア・オルコット」
とだけ尋ねた。
返答はもちろん、イエス。
そして千冬の手で決闘の日時が決まった。一週間後、このくだらない争いに決着がつく。
だが、何故だろう。くだらないと思いつつも楽しんでいる。そんな自分に気づいたジギスヴァルトは、この奇妙な感覚を悪くないと受け入れるのだった。
★
「れっひーれっひー」
「…………」
「れっひーってばー」
「……それはもしかして私のことか」
放課後。授業について行けず燃え尽きている一夏をジギスヴァルトが励ましていると、不意に後ろから声がかかった。振り向いた先に居たのはダボダボの制服を着た、柔らかい雰囲気の――というかゆるゆるな雰囲気の少女。たしかこの子もクラスメイトで、名前は……。
「本――じゃない、布仏。私はジグでいいと言ったはずだが」
軽く睨みながら彼女――布仏本音に抗議するが、本音は聞く耳持たないと言わんばかりに、
「れっひーはれっひーだよー」
と返してくる。
「……何故れっひーなのだ」
「ブレヒトだから、れっひー」
なんて中途半端なところから取るのだろう。そんなあだ名の付け方をされたことの無いジギスヴァルトはただただ戸惑うばかりで、本音にペースを握られていく。
「れっひーは授業ついていけてるー?」
「あ、ああ。私は問題ない」
束に頼んで事前に一般科目をある程度勉強しておいて助かった。これならなんとかなるだろう――数学以外は、だが。
昔から彼は計算が苦手なのだ。四則演算さえ理解していれば日常生活では事足りるというのに、なんなのだあの二次方程式だの平方根だの他にも諸々ややこしい文字列の数々は。
「そかそかー、よかったー」
「一夏はダメみたいだが」
「おりむー撃沈しちゃってるねぇー」
……もう何も言うまい。言っても無駄なのは目に見えている。
「それで? 何か用があったんじゃないのか?」
「用っていうかねー。せっかく同じクラスなんだから、仲良くなりたいなぁーって。だから今日の晩御飯、一緒にどうかなぁーって思ってー。もちろんおりむーも」
ありがたい申し出だった。そもそも全寮制の学校での生活は初めて――いや学校自体通ったことはないが――なので、夕食などはどうすれば良いのかわからない。部屋は今日中になんとかしてくれるという話だったがまだ通達がなく、学外に出るとそのあたりの連絡に不都合があるかも知れない。やはりどうしても学内で済ませる必要がある。
「そうか、では喜んでご一緒させてもらおう。気遣い感謝する。正直私は近寄りがたいだろう?」
「んー? そんなことないよー?」
そうだろうか。少なくとも今日は周りから散々「近寄りがたい」と聞こえてきた気がするが。それも何度も。
「ところでー、さっき私のこと名前で呼びそうになったねぇー」
「あまり家名で呼ぶ習慣が無いんだ。つい癖で篠ノ之を名前で呼んだらいたく機嫌を悪くしたから、今後はなるべく気を付けることにしようと思ってな」
「なーるほどー。でも、私は名前でいいよー?」
「いいのか?」
「その方が仲良くなった感あるしねー」
本人が名前で呼ばせてくれると言うなら大丈夫なのだろうと、彼は本音の言葉に甘えることにした。正直な話、家名で――つまり名字で呼ぶと余計な壁を感じて肩が凝るのだ。同年代が相手だと特に。このあたりは育った環境のせいか。
「では本音、これからよろしく」
「よろしくー」
その後、夕食の時間にはまだ早いということで、復活した一夏も交えて時間を潰していると教室に真耶が入ってきた。どうやら一夏とジギスヴァルトを探していたようだ。寮の部屋について話があるらしい。
「織斑君はしばらく学外から通ってもらう予定でしたが、警護の都合もあるので予定を変更してやっぱり今日入寮してもらうことになりました。
ただ、どうしてもすぐに一部屋開けることができなくてですね。本当はあなたたち二人は相部屋の予定でしたが、織斑君は寮長室――つまり織斑先生の部屋になります。ブレヒト君は他の生徒と相部屋ですね」
「他の生徒と?」
それは道徳的にというか倫理的にどうなのだろうか。それに相手によっては刑務所にぶち込まれる可能性だってある。
「私も問題ないと言い切れるわけじゃないんですけど、あの寮二人部屋しか無いんですよ……。それに、ブレヒト君は入学の決定が急だったうえ外国から来ているわけですから、無理矢理にでも部屋を用意するしかなくて」
真耶の表情から苦労が覗える。おそらくジギスヴァルトのために奔走してくれたのは彼女なのだろう。そう考えると彼は文句を言う気にはなれなかった。
「……ちなみに、その生徒は?」
「それは――あ、なんだ丁度良くここに居るじゃないですか。布仏さんと相部屋です」
「ふぇ? 私ー?」
「それでですね二人とも、ここからはよく聞いておいて欲しいんですが――」
目を円くする本音を置き去りにして話は進んでいく。真耶は矢継ぎ早に寮則や荷物、浴場の使用等について説明し、「来月には部屋をちゃんと用意できると思いますから」と言い残してすぐに去って行った。
取り残された一夏、ジギスヴァルト、本音はただただ事態を飲み込めずにいた。
「まあ、なんだ、ジグ……面会くらいは行ってやるよ」
「私が刑務所に入る前提で話すな」
とはいえそのあたりさえ今や本音の采配次第なのだ。表情には出さないものの内心冷や汗ダラダラだった。
結果として、本音は相変わらずののほほんとした笑顔でジギスヴァルトを受け入れてくれた。ひとまず首が繋がり寝床も確保できたことに感謝しつつ、彼は前途の険しさを想うのだった。