病街録   作:とうぶん

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読んでいただいている皆様に大感謝申し上げます。
そして、二話一部形式の予定でしたが中編となります。
投稿が遅くなり、誠に申し訳ありません。
後編は近日投稿致します。


不完全な箱庭の中で(中)

 

小さい頃の私は、自分に自信がなかった。

おどおどと、周りの子達の意見に賛同するばかり。

そうして始まる、仲間落とし。

いじりと称し、いとも軽く形成中の尊厳を削り取っていく。

人間は群れるものだから、そこにトップの子が出るのは当たり前で。

彼女の号令は、これまでどうにか射線上に入らないように立ち回ってた私に向かって、定められたのだ。

友達の輪に入ると、まるで汚らわしいものが来たかのように、口すら利いてくれない。

机に落書き、私物を隠す。他のクラスまで知れ渡る噂話。

いまだに小学校の中という、薄く狭い世界しか知らない私にとっては、ひどく苦痛だった。

先生に相談しようかとも思ったけれど、いずれ対象は変わるだろうし、結局先生を頼ったことを槍玉に挙げ、このイジメが継続されたら困ると考えた。

私はひたすら耐えた。1週間、1ヶ月、2ヶ月。

ただ、いつか嵐が過ぎ去ることだけを信じて。

…唇を噛みしめてこの苦しみを飲み込んでいく。

だけど、ある女の子が加わったことで歯車が狂った。

 

…その子のことを、私は未来永劫忘れることはないだろう。

 

その子は、普段は玉木くんという、いわゆる「カッコいい」男の子の後ろに引っ付いている、優奈ちゃんという子だった。

けれど、玉木くんは優奈ちゃんだけにかまけている子ではなかった。当然、玉木くんは他の友達からも遊びの誘いがあるのだから、そちらに行くこともあった。

…残された優奈ちゃんは、頼れる幼馴染を失い、あわあわとするばかり。日頃、玉木くんに頼りきりで女子グループとは良好な関係を築けているとは言えなかった。

そこに目をつけた女子グループのリーダー格は、優奈ちゃんを仲間に引き入れ、いや、誘い込んだという方が正しいか。

そうして優奈ちゃんは、女子グループの一人となっていった。

それが、私にとって消えない傷の要因となるのだけれど。

 

ただ、私にとっても全てが最悪だったわけではない。

掃除当番を押し付けられて、一人で掃除していると、たまに玉木くんが話しかけてきてくれることがあったのだ。

玉木くんはイジメられていた私に対しても、何らなじることもなく、ただ話したいから話すというように会話を振ってくれる。

友達との会話すら久々な私にとって、言葉につまることも多かったけれど、玉木くんは何も気にせず話してくれた。

その時間だけが、私が学校に来るただ一つの理由となった。

 

玉木くんから「いつも花瓶の水、替えてて偉いな」とか、それだけの言葉に心が踊った。

玉木くんは足も速くて、彼が軽やかに走る姿を後ろから覗くだけで、彼の格好良さが伝わってきた。

家庭科の授業の最中に、「俺、おいしいご飯作れる人大好き」と言う彼にかわいさを覚えた。

いつしか私の幸せは、イジメの苦しみと引き換えに、彼の姿を追うことになっていった。

 

…そうなっていったのに。

人生の脆さを私はすぐに思い知ることとなった。

 

その日は偶然、玉木くんが学校を休んだ日だった。

先生は、確かカゼって言っていた。

玉木くんがいなければ、授業を受ける意欲なんて起きない。

私も保健室に逃げようかなと思いながら、トイレに入った矢先だった。

 

「ねぇ」

 

背後から声を掛けられる。

振り返ると、女子グループのリーダーが、取り巻きを連れて入り込んできていた。

そしてその中に、グループに引き込まれた優奈ちゃんもいた。

 

「アンタ最近調子乗ってるでしょ」

 

「ねぇ、なんとかいったら」

 

調子に乗ってるってなに?

私はただ、たった一つの楽しみを目的に学校に来ているだけなのに。

…そう言いたいのに、口は動いてくれない。 

言葉が思いついているのに、言葉として発することができない。

 

「ねぇ、いつまでモジモジしてるの!言いたいことあるんだったら言ったら?」

 

それで言えると思うのか。自分たちは人で囲んで、大きな声を出して相手を脅かそうとしてるのに。

 

「あー、もう本当に。なんでアンタみたいなキモいブスと玉木くんは話したりするんだろ」

 

「ねぇ、優奈?…アンタは玉木くんの幼馴染みとしてどう思う?こんなのと玉木くんが釣り合いとれるわけないよね。ねぇ?」

 

グループのリーダーは周りの取り巻きと私を笑い者にし始めている。

その中には、必死に作り笑いする優奈ちゃんの顔も見えて、痛々しさすら覚えた。

それと同時に、私は初めて優奈ちゃんの顔をはっきりと見た。

子どもながらに違いがはっきりわかるとても可愛い顔。

その瞬間、心の中に小さな怒りが点った。

グループのリーダーたちが私をイジめてくるのは理由がつく。

下だと思っていた子が、周りに好かれている男子と話しているということで劣等感を刺激されたのだろう。

いわゆる「調子乗ってる」だ。

ハハッ、とっても分かりやすいよね。

けれど、本来なら優奈ちゃんはそんなことをする必要がない人種の癖に、自らより劣っているであろう子にへりくだっていることに、今考えれば私は憤りを感じたんだ。

 

「なに。なんか睨んできてるんだけど。生意気じゃない?」

 

気がつくと私は優奈ちゃんに向かって睨んでいたけれど、それを自分に向かって反抗していると思ったリーダーは、私をなじる。

 

「その目、ムカつくんだけど。…ねぇみんな!このブス、キレイにしてあげようよ!」

 

「……!」

 

気がつくと、取り巻きが私の体を掴み、羽交い締めにするようにする。

振り解きたくても、数人がかりだから体に全然力が入らない。

リーダーはその様子を撮影しようと、スマホのカメラをこちらに向け、ニタリといやらしい笑顔をこちらに向けている。

取り巻きの一人が、洗面台に置かれていた雑巾を手に取る。

ネズミ色に染まっているそれは、明らかに使い込まれていて、大きな病原菌のようにも見えた。

 

「いやっ、やめてよっ!」

 

ようやく声が出たけど、遅かった。

周りの人間は、私がいたぶられる瞬間を今か今かと待ち望み、より掴む力を強める。

まるで、今の私の状況は蜘蛛の糸に絡まったエサだ。

 

「ねぇ、お願い!…優奈ちゃん!助けて!」

 

私はとにかくこの場から逃れたくて、さっき怒りを感じた相手に必死に助けを求める。

 

「だってさ。…優奈?どうする?…私が優奈の立場なら、玉木くんが可哀想だから、キレイにしてあげたいなぁって、思うんだけどさ。…優奈もコイツにイライラしてたでしょ?」

 

私の必死の叫びは、グループのリーダーの小さな耳打ちで充分にかき消された。

ほどなくして、優奈ちゃんが雑巾を持って私の目の前に立つ。

 

「こんなことして、何になるの!?ねぇ!やめて、やめてぇぇ!」

 

私の顔と心は、この人たちにとっては雑菌と同じで、この使い古され汚れた雑巾と、価値は同じなのだろう。

そうして私の世界は全てねずみ色で塗りつぶされた。

…淡い初恋を心の支えにしていたが、周囲の邪悪さに負けてあえなく膝をついたんだ。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

限界を迎えた私は、親に泣きついた。

後にも先にも、あれほど決死の覚悟を持ったことはない。

両親の意見は真っ二つに割れた。母は引っ越しするべきと言ってくれたが、父はそんな卑怯な奴らに負けるなと言い、頑として認めなかった。

その事がきっかけとなり、両親は次第に日頃の不満も絡みはじめた結果。遂には母が限界を迎え、離婚を切り出したことで母と私は別のアパートで暮らし始めた。

…人って、こんなに簡単に不幸の底に転げ落ちるんだと思った。

 

それからは色々な手続きがあった。

母が先生とやり取りをしてくれたり、転校の準備をしてくれたり。夜はとにかく働きに出ていた。

 

その間、私はただ部屋にこもっていた。

自分が両親の仲を壊したという思いがグルグルと頭の中を満たして、眠ることもできない。

時間だけはたっぷりあるため、嫌な妄想だけが頭に蔓延る。

無音の状態が辛すぎて、たまらずテレビをつける。

時計を見ると深夜に入りかけた時間帯になっていて、画面にはアニメが流れていた。

少女マンガだろうか?

主人公が嫌な奴に嫌がらせされたあと、その相手役が駆けつけて、主人公が慰められている。

それを見てしまった私は、余計に心が痛んだ。

フィクションの世界はあんなに都合が良くて、綺麗なのに。

私がいる現実は、都合が良いところは全てカットされて、汚いものだけが残る。

私とアニメ、何が違うんだろう。

 

…あぁ、そうか。私が主人公じゃないからか。

だから、私の相手役はいないんだ。

 

なら、主人公になるしかない。

結局、この部屋にこもっていたところで、私が慰められることはない。

行動するしかないんだ。

私は、決意を固めた。

 

 

幸いにも転校先は、私を温かく迎えてくれて、友達も作ることができた。

環境が変わると、自分が変わっていくのが肌でわかった。

あれだけ苦しんだ罵倒もない。嫌がらせもない。

ただひたすらに友情を育み、勉強し、運動に取り組む。

自己肯定感を持つことができると、全ての取り組みが上手く回っていった。

中学校に上がると、より顕著になっていった。

頭脳も運動能力も、容姿磨きもコミュニケーション能力も、これまで抑圧されていたものを放出していく。

苦労をかけた母にも、多少は恩を返せてきていると思った。

だけど一番考えていたのは、あの玉木くんにまた会った時に、魅力的に思ってもらうため。

明確な目標を持つことで、成長していくことができた。

いつか玉木くんに食べてもらいたいから、料理にも熱を持って取り組んだ。

玉木くんが美味しそうに食べてくれることを夢想しながら、腕をふるっていく。

日々変わっていく自分に、主人公になれる気がしていた。

 

それと、中学2年生時に型落ちのスマホを買ってもらったことで、ひらめいてしまった。

もしかしたら、SNSで玉木くんの動向を調べることができるかもしれない。

けれど、それらしきアカウントは見つからず、玉木くんのことを調べるのは諦めようとした矢先だった。

私のことをイジメていた奴らの名前で検索していると、当時のリーダーのアカウントがひっかかった。

投稿の中で明け透けに顔を晒していて、間違いない。

私はSNSで直接やり取りする機能を使い、そのリーダーにコンタクトを取る。

本名ではなかったからか、ブロックされることもなく、同じ女子中学生ということを伝え、意気投合したふりをして会う約束を取り付けた。

 

やっぱり頭が良くないなと、吐き捨てた。

 

後日、指定したカラオケで待ち合わせると、向こうは一瞬ギョッとした顔をしていた。

けれど、不思議と恐れというものはなくなっていた。

自らの成長から、取るに足らない人間だと理解したからだろう。

私はリーダーに声をかけ、肩を組みながらカラオケに入る。狭い室内に二人きり、リーダーは何が目的なの?と言った。

私の目的は2つあった。

以前私をイジメていたところを撮影していた動画ファイルの譲渡。

それと、できる限り玉木くんと榊原さんの進学先を探ること。これは一つの賭けだった。100%ではなかったけれど、そこは仕方がない。

というより、榊原さんの進路がわかれば芋づる式に玉木くんの進学先が掴みやすいと考えたのだ。

成長した私に気圧されていたリーダーも、すぐには首を縦に振らなかった。

当然だろう。イジメていた奴にこうやって一方的に要求を飲ませられるなんて、プライドが許さないのだろう。

けれど、取り巻きもいない裸の王様なんて、障壁にもならないよ。

私は耳打ちする。

 

私は貴女を赦しているけど、榊原さんのことは赦していないんだ。

だって結局、決定的なことを行ったのは榊原さんなんだから。

私の条件を飲んでくれるなら、もうこれ以上なにも言わないから。

貴女は悪くないよ。榊原さんが悪いんだから。

 

そう言うと、リーダーは力なく呟いた。私は悪くないと。

きっと、罪悪感があったけれど、それを榊原さんに転嫁できるチャンスだと思ったんだろうね。

 

「じゃあ、契約成立ってことで!一緒に写真撮ろっ?」

 

インカメで撮った写真には私とひきつったリーダーの顔が写っていた。

 

…やっぱり貴女の方が本当にブスだけどね!

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「あ~、あんなこともあったなぁ」

 

夜の公園で、私は呼び出した榊原さんを待っていた。

もちろん、私が直接声を掛けたわけではない。

玉木くんを通して呼び出したのだ。

 

…榊原さんが時間通りに中々現れないから、昔のことを思い出しちゃったよ。

ま、結局予想的中して一緒の高校になれたから、リーダーには感謝してるけどね。

 

「おい」

 

「や、こんばんは~。来ないと思ってた」

 

「あんだよ、ヒロ使ってまで呼び出しやがって…」

 

昼の賑やかな公園から一転、今は私たち二人しかここにはいない。

微かに吹く風で揺れるブランコが寂しげに軋む。

 

「アタシに何の用だよ。悪ぃけど、アンタと話すことなんて…」

 

「私のこと、覚えてるよね?葉山だよ。()()()()

 

「……」

 

「知ってて、わざと避けてたよね?…実際、私に呼び出されたからって、わざわざ来る必要なんてないのに。…後ろめたさがあったから来たんじゃないかな?いつか精算したいと思ってた。違う?」

 

「…ちげぇよ。ただヒロに頼まれたから…」

 

「じゃあ、そういうことにしてあげようかな。別に、今さらそんなことを話したってしょうがないし」

 

「…早く本題を話せよ」

 

さながら舞台を照らすスポットライトのように、公園灯が差す場所で私と榊原さんは相対する。

彼女の方がずっと背も高く威圧的な言動をしているのに、今では随分小さく見える。

だって、彼女は結局脇役に過ぎないのだから。

私という主人公を輝かせるための障壁でしかない。

だからこそ、幼稚な方法で玉木くんに縋り付く彼女が、どうしても許せない。

 

「私さ、玉木くんのことが好きなんだぁ。…ううん、愛しているし、崇めていると言ってもいいかもしれない。玉木くんという存在がいなかったら、私はどうなっていたかわからないから。玉木くんは、私の生きる理由なんだよ」

 

「貴女達に受けた仕打ちに関しては、玉木くんと結ばれるために必要な過程だったって考えれば飲み込めるよ。…だけどね。貴女だけは、違うの」

 

「…何がだよ…」

 

「貴女が玉木くんの側にいるだけで、虫唾が走る。貴女のことを気にかける玉木くんが、可哀想だと思う。…貴女のことが、大、大、大嫌いなの!!」

 

私が脳内で思い描いていた言葉を一分の狂いもなく吐き出す。

少しはスッキリするかと思っていたけれど、なぜかより頭に血が上ってくる。

 

「…あの時のことは、悪かった。この通りだ」

 

彼女は短く、飾り気のない謝罪を述べる。

そうして膝を折り、汚れがつくにも関わらず地面に顔を伏せた。

 

「私がやったことは、到底赦されないことだ…本当に悪かった」

 

苛々する。ただひたすらに。

私が考えていたこととほど遠いから。

今しているであろう怒りに震え、崩れた顔は、とても玉木くんには見せられないだろう。

 

「…違う。違う!貴女に今、謝ってもらったところで何の意味も持たない!!ここで楽になろうとしないで!」

 

周辺に人がいないとはいえ、我を忘れかけて思わず大声が出てしまう。

 

「……」

 

「最後まで、向き合ってから砕け散って。…そこで無様な姿を晒して初めて貴女は赦されるの…それだけだから」

 

私はそう言い残して、その場から立ち去る。

正々堂々、私が主人公として幸福を掴むために。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

激昂した百川が立ち去った後、あたしは立ち上がった。

見えないように蓋をしていた過去を、無理やり剥がされたからだろうか。

罪悪感が心の中から引きずり出された。

煤けたベンチに座り、大きく息を吐く。

あたしはあの時から時計が止まっている。

百川をイジメたあの時から。

今でも鮮明に脳裏に浮かんでしまう。

恐怖で歪む幼い百川の顔に、あたしは…

思い出したただけでもキツくて、嫌になる。

…そして、百川がいなくなった後は、今度はあたしがイジメのターゲットにされたんだっけ。

百川へのイジメの主犯格という大義名分で、あたしは奈落の底に落とされた。

あの時、女子グループのリーダーには良いように使われて。

あたしは哀れな羊として生贄にされたわけだ。

…まぁ、結局手を下してるわけだから、百川からしたら恨んで当然なわけだが。

けれど、ヒロだけは私を見捨てなかった。

どれだけあたしが女子たちに石を投げられても、罵声を浴びせられても、離れなかった。

…だから、あたしはヒロしか信じることはできないし、それ以外の人間と関り合いたくないのだ。

きっと、それは年を重ねるにつれて、折り合いをつけていくのが「人間」なんだろうけど。

あたしは今に至っても、それができないのだ。

…反対に百川はどうだ。

あたしと違って友人に囲まれ、普段は柔和な笑顔を浮かべながら、学校生活を謳歌している。

あたしが痛めつけた百川は、新たな自分を纏ってあたしの前に現れたのだ。

あの頃の百川は、一片も残っていなかった。

…あまりに進歩がないあたしに対して、悔しくて虚しくて涙がはらはらと流れ出す。

あたしはスマホを取り出し、連絡先を開く。

登録している人なんてほんの僅かだ。

小学生時代の奴らは結局友達なんて良いものではなかったし、中学から今までの間も特に誰もいない。

だから、自ずと連絡をとる人間なんて限られる。

通話ボタンを押し、スマホを耳にあてる。

ワンコール…ツーコール…スリーコール。

…出れないのかな。

 

「もしもし、どうしたー?」

 

ようやく繋がった。電話越しに聞こえるヒロの間の抜けた声が、あたしを安堵させる。

 

「…今、何してるの?」

 

「あー、文化祭近いだろ?遊びも兼ねて今ファミレスで出し物の企画出ししてるわ」

 

電話の奥では騒がしい男女の声が時折混ざっていた。

そうか。…一人じゃなかったんだ。

声が聞けた安心した反面、勝手に落胆している自分がいる。

面倒くさい奴だな、あたしって。

 

「そうなんだ」

 

「…?元気ないけど何かあったか?…あ、そういえば百川さんの件だけど、お前ちゃんと行ったか?わざわざ二人で話したいってことだったから、お前に話通したけどさ…」

 

「…うん。大丈夫」

 

「優奈、今どこいるんだ?」

 

「まだ学校近くの公園。…百川は帰ったから一人」

 

あぁ、また面倒くさいところが出てきた。

これじゃあ、そっちを抜けてきてほしいって言ってるようなものじゃないか。

 

「そうか。…今からそっち行くわ」

 

「…いいよ、来なくて。文化祭の話してるんでしょ?」

 

「話はだいぶ纏まってきたしな。てか、優奈も同じクラスなんだから、手伝ってくれよ。…公園で待っててくれ」

 

通話が切れ、耳からスマホを離す。

漂う夜の秋風が、たった一人で座るあたしの頬を撫でる。

期待していた通りなのに、胸がチクチクと痛む。

わかってる。百川が言いたいことは。

『幼馴染の情を利用して、ヒロを縛るな』ということぐらいは。

ただそれでも、正しいことと受け入れられることは違う。

あたしはヒロが好きだ。

ヒロがあたしを取り残さないから、あたしもヒロを離したくない。

……一人は、怖いよ。

だけど、今さらヒロ以外の人と付き合っていくなんてできないよ。

ヒロじゃないと、ダメなのに。

そのうち百川とヒロが付き合うとしたら、あたしはどうなるのだろう。

このままずっと、誰も信じられずに一人生きていくのだろうか。

考えるだけでゾッとするし、ここまでヒロという沼にはまっていたことに、自嘲する。

無償の優しさって、きっと人を救うけど。

救われすぎた人間は、よりその輝きを欲して、縋るんだ。

ほんと…最悪だ。

 

「……よっ!」

 

「…ヒロ」

 

俯きながらベンチに座っていたあたしの頬に、ほんのり暖かいココアがあてられる。

その方向へ目を向けると、少し息を切らせたヒロが口の端を吊り上げていた。

 

「ここまで結構遠かったぜ。走ってきたけど時間かかったわ。それにさ、口調が弱々しいっての。…そういうの、わかんだよ」

 

別に急がなくたってよかったのに。

こういうところがあたしをおかしくさせる。

これじゃあ、期待してしまうじゃないか。

私にも、チャンスがあるかもって。

あれだけ悪態ついたり、からかったりしてたりするのに、それでも最終的には拒絶しないで傍に来てくれる。

…だから、あたしみたいな図々しい奴につけこまれるんだ。

 

「ありがと。あと、足痛いからおんぶしてくれない?」

 

「なんだよ、怪我でもしたのか?…仕方ねぇな」

 

…半分正解。だけど体じゃなくて心のほうだけどね。

 

ヒロは背を向けて、おぶさるように促す。

その背中は、昔よりもずっと大きくて頼もしい。

 

「うっし、だけどこのまま家まで行くのかぁ…」

 

「家まで遠くないし、人も少ないから気にならないでしょ。…よろしく」

 

あたしはヒロの背中に体を預ける。

時期的に夜でも寒くはないけれど、ヒロの体温や筋肉が直に感じられるからか、むずがゆい。

 

「お前、ちょ~っとだけ、重いかも」

 

「……本当に、デリカシーないなぁ!!」

 

「いてて、冗談だって!」

 

こうやって、ふざけ合えるのはいつまでなんだろう。

こんなに近いのに、ヒロが遥か遠くにいるようにも思える。

 

「なぁ、聞いてもいいか?」

 

「…なに?」

 

「百川さんと、なにかあったのか?」

 

打って変わって真剣なトーンで問いかけてくるヒロ。

 

「わざわざ俺を経由してまでお前を呼び出したってことは、何かそれなりの理由があると思ったんだが…まぁでも、百川さんだからなぁ。別に問題なさそうな気がするけどなぁ」

 

「…まぁ、そうだね」

 

多分ヒロは、昔の百川のことを憶えていない。

百川を、おそらく高校で初めて出会ったと捉えているはず。

 

「ま、お前が言いたくなったら言えばいいよ。…そういや、文化祭のことなんだけど、お前もちゃんと参加してくれよ?」

 

「……うっ」

 

本当にヒロ以外の人間と関り合いたくないんだけど…

流石にこうも面と向かって釘を刺されると。

 

「だってさ、思い出作りたいだろ…」

 

ポタリと、水が垂れ落ちるように言葉をこぼしたヒロ。

確かにあたしはまともに学校行事に参加したことがない。

ほとんど仮病を使い、近寄らないようにしていた。

 

「…わかったよ。だけど、一つだけ頼みたいことがあるんだけど…」

 

「何?」

 

もう大分家の近くまで歩いて来ていた。

いつもより早く、心臓が強く脈打っているのがわかる。

この鼓動の強さならきっとヒロにも伝わってるんじゃないか。

 

「確か文化祭って2日間あるよね?」

 

「ああ、校内のみと一般公開の2日間だな」

 

「一般公開の日、私と回ってくれない?」

 

「……」

 

言い終えたあと、顔から火が噴き出そうなぐらいの恥ずかしさが襲ってくる。

正直、今の状況も大概だけど、さらに羞恥の上塗りをしている感じが否めない。

 

「家、着いたぜ」

 

そうしてちょうど私の家の前に着き、ヒロはゆっくりと私を背中から下ろす。

 

「……返事は?」

 

鼓動がうるさい。

けたたましくて、なりやまない。

…ただ幼馴染と一緒に文化祭を回りたいってだけなのに。

 

「ああ、いいよ。だけど、ちゃんとこれから始まる準備手伝えよ!」

 

「…うん」

 

ヒロの言った言葉を咀嚼して、ようやく一安心できた。

ここで断られたら、たまらず泣き出してしまったかもしれない。

そして、わかったことがある。

ヒロは百川に対して完全に惚れ込んでいるわけではないこと。

それがわかっただけで、今日は眠れそうな気がした。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

学校内が浮き足立つ今日この頃。

例にも洩れず、私も同様に若干熱に浮かされていた。

榊原さんと話したあの日以降、私は私自身のやり方で玉木くんへ最後のアプローチをかけようと画策していた。

文化祭への準備に各クラスが勤しむ中で、玉木くんを目で追っていると、その視界の端に榊原さんがチラチラと映る。

…ここ数日、その光景が顕著であることから、おそらく榊原さんも動き出したと考えられる。

最後に勝つのは私だけれど、榊原さんにはその礎になってもらわなければならない。

…玉木くん達とクラスが違うので、全てを把握しきれないのが少し痛いけれど。

 

「華ちゃ~ん!放課後のことなんだけどさ」

 

「あっ、うん!今ちょっと忙しくて…ごめん!後で話そ!」

 

文化祭のために組んでもらったメンバーから声がかかる。

下準備は入念にしていかなければ。

 

「うおっと、ごめんな!…って、百川さんか」

 

「ごめんなさい、こっちもよそ見してて…」

 

そこに大きなダンボールを持っていた玉木くんが通りかかってくる。

…チャンスだ。

 

「すごい忙しそうだね!準備は順調?」

 

「いや~、そうでもないよ。まだまだこっからかな」

 

いつもの制服とは違うクラスTシャツを着た玉木くんがニカッと笑う。

あまりに爽やかで、その非日常感に胸をときめかせる。

 

「榊原さん、頑張ってるみたいだね」

 

「ああ。一応きちんと指示には従って作業してるからな。とりあえず一安心ってところかな」

 

「それは良かったね…前みたいにサボったりしていると、良くないからね」

 

…逃げ続けられたら困るからね。

 

「…そういえばさ、この前なんで優奈を呼び出してくれって言ったんだ?俺、気になってたんだ」

 

「んー。ちょっと伝えたいことがあってさ。榊原さん、中々コンタクト取れそうになかったから、仲が良い玉木くんにお願いしたってわけ」

 

「そうだったんだ。ま、優奈が百川さんにまた酷い態度取ってなければ俺としては別に言うことはないんだけどさ」

 

「いや~そんなことないよ…」

 

客観的に見るとあの場に限っては私の方が酷いこと言ってるし。

 

「百川さんのクラスの出し物はどんなことやるの?」

 

「チョコバナナに決まったんだよ~。ほら、お化け屋敷とか上級生が優先されたからさ」

 

「確かに、そこら辺は人気だよな!まぁでも、結構食べ物系も手堅くて良いとは思うけどね」

 

「だよね~」

 

何気ない会話が私を潤す。

なんだか小学生の時に巻き戻ったようで、不思議な感覚だ。

彼の笑顔が、息遣いが、言葉が染み渡る。

けれど、私はここで止まってはいけない。

 

「…あの、玉木くん」

 

「なに?」

 

「後夜祭で出し物するんだけど、見に来てくれないかな?…玉木くんに、見てほしい」

 

「…」

 

玉木くんは一瞬、逡巡するように頭を振る。

きっと、あと一押しが足りない。

だから、最後のアプローチで玉木くんを振り向かせる。

 

「…わかった。行かせてもらうよ」

 

真正面から私を見据える彼の様子に、私は決着が近いことを悟った。

 

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