病街録   作:とうぶん

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萌芽、成長、たびたび嫉妬や焦燥

わたしが奏くんのことを気になり始めたのは、5年生のクラス替えで同じクラスになってからだった。

ほとんどの男子は休み時間は外に出てドッチボールとかサッカーをするから、真っ黒に日焼けしていて、言葉遣いだって乱暴な子が多い。

そういう男子たちを見て、女子は子どもっぽいと少し見下しながら思う。

だから女子は少し落ち着いた年上の男の人がたまらなく魅力的に見えてしまう。

だけど、わたしは。

同じクラスの君から目を離すことができなかった。

 

ーーーーーーーーーーーーー

 

「亜麻音ちゃんと同じクラスで嬉しいなぁ!」

 

「うん。わたしも」

 

声をかけてきたのは、これまでも同じクラスだった玲華ちゃんだった。

子犬のようなかわいらしさをもつ玲華ちゃんは、わたしの手をとってくっつき始める。

…玲華ちゃんなりの気持ちの表し方なんだろうけど、それが少しだけ嫌だ。

別に玲華ちゃんのことが嫌いというわけじゃないんだけど、そういうことをしなければいけないのが…

 

「でも、このクラスかっこいい男子いなくて最悪~。亜麻音ちゃんもそう思わない?」

 

「うーん、どうかな?まだクラス変わったばっかりだし…よくわかんない」

 

「えー?そう思わないんだぁ~」

 

そう言うとリスみたいに頬に少し空気を入れて膨らます玲華ちゃん。

周りを見てみる。

たしかに言い方は悪いけれど、いっぱいジャガイモみたいなボウズや短髪の男子がはしゃいでいるのが見える。

 

「あーあ。Guru!みたいな人がいたらいいのにな~」

 

「いや、さすがにそういう人たちと比べるのはかわいそうだと思うけど…」

 

当然、Guru!みたいな有名なイケメングループたちと見比べれば、どうしてもそう思うだろうけど…

そう思いながら校庭側の席に目を向けると、1人の座っている男子が目に入る。 

その子は、他の男子と少し雰囲気が違っているような気がした。

遠くから見ても、他の男子よりも色白で、まるで雪のような色。髪の毛はモンブランみたいな濃い茶色で、長めだけれどきれいに整えられている。

外見だけ見ると、なんか男子っぽくないなぁと思った。

 

「もしかして、音成くんのこと見てるの?」

 

「えっ?」

 

わたしの視線の先を見ていたのか、玲華ちゃんは話し出す。

 

「他の男子よりマシだけど、なんか暗いしインキャだな~って思う。たしか…ピアノやってるって聞いたことある」

 

「ピアノ?」

 

「そそ。ケガしないようにしてるのか、外で遊んでるのとか見たことない。だから、友達もいないんじゃない?」

 

「そうなんだ…」

 

確かに音成くんは席でじっとしていて、誰かと喋るような感じがなさそうだ。

…わたしはなぜか机の上に出されている真っ白い手や細い指から目が離せなかった。

 

 

 

始業式が終わって、いつもより早く帰りの時間になる。

勉強はあんまり好きじゃないから、早帰りは嬉しい。

そう思いながらランドセルに配られたプリントを詰めていく。

今日はミニバスの練習もないから、本当になにもない日だ。

 

「なぁ、放課後みんなで遊ばないか~」

 

すると、1人の男子が声をあげてみんなから注目を集めた。

…神木くんだっけ。

自己紹介の時でも、流行りのお笑い芸人のマネをしていた。

きっとお調子者タイプなのだろう。

 

「な、新しいクラスなんだし。みんなと仲良くなりたいんだよ」

 

喋り続ける神木くんの元に、数人が近寄っていく。

たしかに、今のうちにみんなと仲良くなりたいだろうし…

 

「ねぇ、亜麻音ちゃん。玲華たちも行かない?」

 

考え込んでいたわたしの隣には、いつの間にか玲華ちゃんがいた。

なんだかんだ言っても、玲華ちゃんは周りには合わせるタイプなんだよなぁ…

 

「まぁ…いいけど…」

 

「よし、じゃあ神木くんのところに行こっ!」

 

校庭側の席を見る。

もう帰っている子たちもいるのに、音成くんはまだ席に座ったまま、何もしようとしない。

もしかして…輪に入りたいんじゃないかって。

そんな考えが、頭にポンと浮かんだ。

 

「亜麻音ちゃん…どうしたの?」

 

玲華ちゃんの疑問に答えず、わたしは音成くんの席の前に立った。

音成くんは長い髪の隙間からわたしを見つめてくる。

言葉に出してこないけれど、そのきれいに揃った二重の目が伝えてきているような気がした。

 

「音成くん…今から皆で遊ぶんだけど、一緒にどう?」

 

「…うん。行きたい。ありがとう」

 

口に出したあと、急に恥ずかしくなった。

普段はこういうことをわたしはしないから。

後ろで吹ききれていない口笛が聞こえたのもあるかもしれない。

 

 

 

 

「ねぇねぇ、なんで音成くん誘ったの?…まさか、一目惚れしたとか!?」

 

「あー…なんとなくなんとなく」

 

あの後一度家に帰って着替えてから、また皆で集まるということになったけれど…

 

ほとんど集まっているのに、まだ音成くんは来ていなかった。

…そもそも、本当に来るのかな。

あの時はわたしが誘ったから一応行くって言うしかなくて、本当は嫌だったのかもしれない…

 

もやもやした考えが頭から離れないし、隣では玲華ちゃんが騒いでいるから、頭がぼやっとしたままだ。

 

「そろそろ、みんな揃ったかな!」

 

言い出しっぺの神木くんがわたしたちを見回しながら言う。

いや、まだ音成くんが…

 

「…ごめんなさい、遅くなって」

 

車が通れば聞こえなくなるようなか細い声が耳になんとか届いた。

 

「…遅かったね。自転車で来たの?」

 

「いや…走ってきたんだ」

 

それを聞いてわたしと玲華ちゃんはびっくりしてしまう。

 

「えっ」

 

「まーじぃ?結構大変だったでしょ」

 

 

「自転車、使ったことなくて」

 

「そうなんだ…」

 

「おっ、音成も来て全員揃ったみたいだな!よし、このバカ広い公園で…鬼ごっこやろうぜ!」

 

「いや、鬼めっちゃ大変じゃない…?」

 

「よーし、じゃあ鬼決めな!ジャーンケーン…」

 

結論、すっぱりとわたしが負けた。

 

ーーーーーーーーーーーーー

 

鬼の私はあらかた逃げるみんなを捕まえた。

自分で言うのもあれだけれど、運動神経は普通の子よりもいいと思う。

 

「射出さん足速すぎない?チートだよチート!」

 

「そうそう。亜麻音ちゃん背がすごく高いから逃げる時も本当に追い詰められてるみたいでちょっと怖いんだぁ」

 

捕まった者同士、神木くんと玲華ちゃんはすっかり意気投合したみたいで好き勝手にわたしのことを言っている。

少しだけイラっとする言葉が含まれてたけど、気にしないことにした。

残りは…音成くんだけか。

きっとそんなに時間がかかることもないだろう。

多分もうヘロヘロだろうし…

あ、でも見つけたら逃げた時に転んでケガさせないように手加減しないと…

 

「そういえばさ…この中に音成の友達って誰かいる?」

 

「いや、私同じクラスだったけどよく知らない…話してるところ見たことないし…休み時間は楽譜?見てたような…」

 

「あぁもう。この状態飽きたんだけど…てか俺逃げてた時に音成の姿全然見てねーし。…あいつ帰ったんじゃね?」

 

「そうだよねー。私も見てないし…」

 

「もうよくね?俺そろそろ帰らねえと母ちゃんに怒られるし…」

 

「私も…そろそろ塾の時間…」

 

捕まってからが長かったからか、音成くんと関係がないからか急にみんなが立ち上がり、帰り支度を始めた。

 

「お、おい。さすがにさぁ。…じゃあみんなで音成くんを見つけてからおしまいってことに…」

 

「いやもういいって。絶対帰ってるよ」

 

「ねー。もし帰ってなくても、大丈夫だって」

 

引き留める神木くんの言葉も届かず、みんなは帰っていく。

あとに残ったのは、わたしと神木くん、玲華ちゃんだけだった。

薄情だなぁ…

 

「なんでみんな帰っちゃうんだよ…」

 

「まぁ別に友達じゃないからね。どうでもいいんじゃない?」

 

「玲華ちゃんさぁ…」

 

わたしはため息をついた。玲華ちゃんは良くも悪くも思ったことをそのまま言ってしまう。

それでよくケンカになるのに直す気もないのだ。

 

「…僕は音成くんを探すよ!…2人は?」

 

神木くんの態度で表すプレッシャーが、わたし達に刺さる。

だけど、玲華ちゃんはけろりとした顔で言った。

 

「あ、玲華は帰るね!Guru!の配信が始まる前に帰らなきゃ!」

 

「ちょ、ちょっと!そこは探すって言うところじゃないの!」

 

「じゃあね~」

 

そう言い残すと玲華ちゃんは自転車を漕ぎながら遠くなっていく。

結局、わたしと神木くんだけがその場に残ってしまう。

 

「ひどすぎる…」

 

「はぁ…まぁ、わたしは残るから。早く手分けして探そう?」

 

「射出さん…!」

 

「一応、鬼だしね」

 

いや、そんなキラキラした目で見られても困るんだけど…。

 

 

「おーい。音成くーん!」 

 

公園内を歩いていても、全く出会う感じがしない。

かなり広い公園だから、隠れる場所がいっぱいあるとはいえ。

もしかして、みんなの言うとおりいつの間に帰っちゃったのか…

正直、かなり走り回ったからか足が痛んできた。

ミニバスの練習でも走り込みはしてるけど、どうしても走り続けるのはしんどい。

そんなことを思いながら歩いていると、土管が置いてある広場を見つけ、そこの広場で少し休もうと原っぱで腰を下ろそうとした。

 

「…ん?」

 

ふと土管の中が気になり覗き込んでみる。

 

「………」

 

「ええ…」

 

ここにいたの…。

すうすうと寝息を立てて、気持ちよさそうに眠っている。

体が小さいからか、すっぽりと土管の中に入っていてまるで猫のように見える。

どおりでみんなが見ていないわけだ。

おそらく、ずっとここに隠れていたらいつの間にか眠ってしまったんだろう。

 

「音成くん…」

 

わたしは起こそうと声をかけようとして、思いとどまった。

…その寝顔が、とてもキレイだったからだ。

柔らかそうなほっぺたが、かわいく見えて。

まるで永遠の眠りについた童話の姫のように見える。

 

「………」

 

音成くんのほっぺたを恐る恐るつまむ。

肌触りが赤ちゃんのようで、同学年の男の子とは思えない肌触りだった。

 

「ずるいなぁ…」

 

見つけた時は、こんなにぐっすり眠ってるなんてと思ったのに。

いつの間にかそんな気持ちがなくなって、わたしの心の中で不思議な気持ちが揺れ動いている。

 

初めて見たときから、なぜか目で追いかけてしまっていた。

周りの子たちが何を言っても、それは変わらなかった。

ああ。…なんとなくわかってきた。

わたしは…音成くんが羨ましいんだ。

小さくてかわいくて、柔らかい音成くんに対して、わたしは背が高くて、他の子よりも大きくて固い手をしているから羨ましくてしょうがない。

それも、女の子じゃなくて男の子だし。

ずるいなぁ…

うらやましいなぁ…

周りのみんなは気づいていない、音成くんの良さ。

だから、誰かに気づかれて取られたくない。

…取られるぐらいなら、わたしがしまっておきたい。

深い海の底とかに。隠された宝箱の中とかに。

 

「うーん、うぅ…あれ、射出さん…?」

 

「…ようやく起きたね」

 

目をこすりながら軽いあくびをする音成くん。

かわいらしい男の子が目を覚ましたことで、わたしの不思議な気持ちも引っ込んでしまった。

 

「あれ、僕もしかして寝ちゃってた…」

 

「うん、それはもうぐっすりとね」

 

ほっぺたをつまんでも起きないぐらいには、ぐっすりとね。

 

「ごめん、せっかく誘ってくれたのに。みんなに謝らないと」

 

「……別に、良いんじゃない?謝らなくても」

 

正直、探してたのわたしと神木くんだけだし。

わたしと神木くん以外はきみのこと気にもしてないし。

 

「そうなのかなぁ…?いや、まさか寝ちゃうなんて…」

 

「ねぇ、音成くん。…聞いてみたかったことがあるんだけど」

 

「なに?」

 

「音成くんって、ピアノやってるの?」

 

「あぁ…うん、一応ね。だから、今日本当にこうやって外で遊べたことはすごく嬉しかったんだ。…寝ちゃったけど」

 

「…やっぱケガしたりしたら怒られるから、遊ばないの?」

 

音成くんは短くうなずいた。

確かに、なんとなくわかる気がする。

スポーツでも、ケガしたらプレーに関係する。

それがどんな小さいことでも…たとえ指先でさえも、おかしくなることはある。

それが「弾く」のであれば、なおさら。

 

 

「お母さんは、危ないから外遊びはやめなさいって言うけれど、僕だって外で遊びたい。友達をいっぱい作りたいんだけどね…なかなか、しゃべりかける勇気がなくて」

 

「……」

 

栗色の髪がさらさらふわふわと揺れて、恥ずかしいからなのか頬をかく音成くん。

 

「だから、あの時射出さんが誘ってくれて、嬉しかったんだ…ありがとう」

 

「…結構、今しゃべれてるけどね」

 

「あ、あーうん。二人だけっていうのも、あるかも。友達は欲しいけど、いっぱい人がいるとなんかしゃべりづらくて」

 

「…そうなんだ」

 

少しだけど、音成くんのことが分かった気がする。

…ごめん。

きみのことを大切にするお母さんの気持ちは、わかるかもしれない。

…だって、きみのお母さんでもないわたしでさえ、きみのことを誰の目にも触れさせたくないって、思ってしまったから。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「あ、あのさ。射出さん。…その、昼休み。音楽室に来てくれないかな」

 

「良いけど…どうしたの?」

 

あの遊んだ数日後、音成くんに授業の間の時間に教室の廊下に呼ばれたわたし。

後ろから隠れているようで隠れられていない玲華ちゃんがこっちを見ながら口に手を当てている。

 

「いや…この前のお礼がしたくて。それで、僕にできることっていったらなんだろうって思ったんだけど…」

 

「僕が返せるものとしたら…あれしかないかなって」

 

恥ずかしげにもじもじとしながら指先をいじりながら話す音成くん。

普段真っ白な画用紙みたいな肌が、今はリンゴみたいに真っ赤に染まっている。

別にわたしは察することは苦手じゃないから、音成くんが言いたいことはわかった。

ぶっちゃけ、わたしも気になっていた。

どんな感じなのか。

 

「じ、じゃあよろしく」

 

そう言うと、音成くんはすぐに教室に引っ込んでしまう。

 

「亜麻音ちゃん亜麻音ちゃん!なんか最近音成くんと仲良しだねぇ?…亜麻音ちゃんああいうのが好きなの?…って痛!!」

 

わたしは隣に駆けてきた友達の頭を黙って優しくチョップした。

ちょうどいい身長差なのが悪い。

 

 

昼休みになって、わたしは音楽室の扉を開く。

騒々しい友達(玲華ちゃん)もついていくとは言っていたけれど、来たら本気のチョップと言ったら引き下がっていった。

本当のところ、音楽室はちょっと怖い。

いっぱい有名な音楽家の写真があって、視線がこっちに向いている気がするから。

夜の音楽室とか本当に怖いだろうから、絶対に来たくない。

 

「…射出さん。来てくれてありがとう」

 

「いや、わたしもちょっと楽しみにしてた」

 

もう音成くんは来ていた。

先生が普段授業で使っている大きいピアノの前に座っていた。

これを音成くんが弾くのか。

あんまり想像つかないな。

わたしが全くピアノのことを知らないってこともあるけど…

 

「じゃあ、お礼…お礼になるのかわからないけれど、精一杯、弾かせてもらうね」

 

「…うん」

 

不思議と胸がドキドキしてくる。

わたしと音成くんだけ…他には誰もいない。

同じ年のはずなのに、ピアノを前にした音成くんはわたしよりずっと年上に見える。

 

そこからは、激しい波のような音だったり、静かな子守唄のような音だったり。

音成くんが指を動かすごとに、わたしの心は揺さぶられていく。

難しいことはわからないけど。

音楽の授業とかもっとちゃんと聞いておけばもっと理解できたかもしれない。

だけど、心に響いてきた。

 

 

「…どう、だったかな。少しはお礼になったかな…?」

 

「……」

 

「…射出さん?」

 

演奏が終わったあと、わたしは呼びかけられるまでぼうっとしてしまった。

…同じ年で、こんなにすごいものを持つ子を実際に見たことなかったから。

さっきとは音成くんが少し違って映る。

前の眠っていた時とは違う、別のきれいなもの。

よく言うエモいような。

だけどそれだけじゃないような。

ああ、一人占めしたい。宝箱に入れておきたい。

今わたしのためだけに弾いてくれた時間も、音成くんの指も。

 

だれにもとられたくないもの。

 

それに出会ってしまったんだ。

 

「亜麻音って、呼んでよ」

 

「…えっ、えっ」

 

「わたしは奏くんって呼ぶから」

 

「えっと、亜麻音さん…?」

 

戸惑いながらわたしの名前を呼ぶ奏くんに、口元がゆるゆるになってしまう。

こんな気持ち、初めてだ。

 

きっと、好きなだけじゃない。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

わたしたちはものすごい速度で成長していく。

身体も、勉強も、スポーツも、そして恋愛も。

6年生にクラス替えはなくそのまま学年だけあがった。

相変わらず神木くんはお調子者だし、玲華ちゃんはGuru!にハマったままで。

わたしとしては新しく友達を作ろうと頑張らなくていいのはとても楽だ。

そしてなにより、奏くんも一緒だし。

今でも時間さえ合えば、奏くんはわたしにピアノを聞かせてくれる。

相変わらず、弾く前と弾いている最中は別人のようだけど。

わたしからの奏くんへの想いが変わることはなかった。

 

「ふぅ…」

 

汗を拭く仕草がかっこ良くて、わたしの目を奪う。

 

「お疲れ様。今日もすごく良かったよ」

 

「…ありがとう。亜麻音さんも、いつも聴いてくれて」

 

「うん」

 

ずっと、この時間が続けばいいのに。

なのに。

 

「僕、頑張らないといけないから。附属中に入るために」

 

そうだ。もう奏くんは、遠くを見ている。

中学受験をするということ。

このままみんなと一緒に公立中学に行くわけではないのだ。

それがすごく悲しいけれど、奏くんにとってはそれが一番いいことなんだろう。

 

「附属中に入ることができれば、お母さんも喜ぶだろうし…」

 

「……」

 

心の中では、わたしと一緒の中学に進んでほしいと思っていた。多分、これからわたしよりも背丈が大きくなって。喉仏が出て声も低くなって。

それを見ることができないのは、もやもやして、つらくて。

けれど、それを決めるのはわたしじゃない。

奏くんと、奏くんの家族なんだ。

 

 

「亜麻音さん…」

 

気がつくと、すごく近い距離に奏くんは立っていた。

 

「最近、なんか元気ない気がするんだけど…何かあった?」

 

「え、いや、なんにもないよ!」

 

わたしは手をぶんぶんと横に振りながら大げさに答える。

そっか…そう見えるほど、落ちこんじゃってたのか…

 

「そういえばさ、聞いてみたかったんだけど…どうして、僕と一緒に居てくれるの?…いやさ、僕なんかといるより、他の子と遊んでたほうが楽しいんじゃないかなって」

 

「それは…」

 

奏くんの質問に口ごもってしまう。

口に出すのが恥ずかしいけど…。

思ったよりも口数が多くて、人のことを考えてくれるところ。

いつもとは違う、演奏中のかっこ良さ。

きっとクラスの子達は誰も知らない。

いや、知らなくていい。

わたしだけが知っている奏くん(宝物)

きみを乱暴に扱う人たちなんて、必要ない。

わたしだけが、奏くんを包み込んであげたい。

それに、コンプレックスを持っていたわたしだけれど、わたしはわたしでいいって、最近認めることができてきたんだ。

それも、奏くんのおかげ。

奏くんは、かっこいいけど、いつもはとてもかわいい。

まだまだ、わたしの方が全然体も大きいし、奏くんを上から見下ろすことができる。

その時に、胸の奥がぽかぽかして、できればこのままでいてくれればいいとも思う。

 

だから、奏くんがどんどん成長していくのも嬉しいけど、それと同時にそのままでいてほしいとも思っちゃうんだ。

 

「?おーい?亜麻音さん?」

 

「…あ、ごめん。ちょっと考えすぎちゃった、ごめんね」

 

ついつい、頭の中が奏くんでいっぱいになっちゃった。

 

「そっか。そういえばさ、僕、今度テレビにちょっと出れるっぽいんだ。…本当は内緒みたいなんだけど、いつも僕のピアノを聴いてくれる亜麻音さんならいいかなって」

 

「えっ、えっ、どういうこと!?」

 

「なんかさ、テレビで子どものピアノ番組があるみたいなんだけど…それに僕も出れることになったみたいなんだよね。なんかお母さんがテレビの人?と話してたんだ」

 

「………ほんとうに?」

 

奏くんからの急なお知らせにびっくりするしかなかった。

まさかテレビに出れるぐらいなんて…

ピアノがうまいのはやったことがないわたしでもわかってたけど、そんなにすごいんだ…

 

「いつ?それテレビでやるのっていつなの!?」

 

「えーっと確かね…」

 

気がつくとわたしは、大興奮しながらそのテレビが放送するのはいつなのかを聞いていた。

すごい、本当にすごいよ!

…だけど、胸の奥では少し寂しいような気もする。

もしかしたら、わたしだけの奏くんじゃなくなっちゃうかもって。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

すごかった!本当にすごかったしか言えない!

奏くんが話してたよりもずっと長くテレビに映ってた!

いつもの服装じゃない、スーツを着ていた奏くんも映っていて、インタビューにも答えてて。

とにかく、全部がすごかった!

わたしが好きになった子は、あんなにすごいんだって!

 

わたしはいつもより機嫌よく、学校に着いた。

教室に入ったら、一番最初に奏くんに感想を言わなきゃ!

わたしがなにかしたわけじゃないけど、なんか自慢したくなるような、そんな気持ち。

奏くんはすごいんだって!

 

「奏くん!…!?」

 

「おい!音成、昨日のテレビびっくりしちゃったわ!」

 

「音成くんってあんなにピアノうまかったんだね~教えてくれればよかったのにな~」

 

「てか、サインくれよぉ!これから有名人になるんじゃね?」

 

教室の扉を開くと、奏くんの周りをクラスの子たちが囲っていた。

え、なんで。

みんな、音成くんに興味なんてない感じだったのに。

テレビに映っただけで、こんなことになるなんて。

 

「あ、亜麻音ちゃん!音成くんすごいね!誰かが音成くんがテレビに映ってた~って言っててさ!いや~よく見たら結構カッコいいし、あの陰がある感じもアリだよね…うんうん」

 

体全体の力が抜けて、ぼうっとしていると、隣に来ていた玲華ちゃんが何か言っている。

 

…はぁ?

 

前はインキャとか言ったり、面倒くさがって奏くんのこと放って帰ったくせに。

みんなみんな、都合良すぎるでしょ!?

急に周りが、いやみんなが汚い気持ちの悪い虫みたいに見えてくる。

うねうねしたり、近くを飛び回ったり。

 

奏くんから離れて。

…離れろ!!

 

みんなは、奏くんのことなんて見てもいなかったくせに!

 

「てかさ、握手しようぜ。ほら、有名人になる前にファン1号みたいな。いや~、マジラッキーだわ」

 

「いや、えっと…」

 

一匹の虫が、奏くんの手を図々しく握ろうと近寄ろうとしている。

当然だけど、奏くんはオロオロしていた。

わたしのために、曲を弾いてくれたあの大切なきれいで細い手に。

汚い、キモい、気持ち悪い!!

 

「…奏くんの手に触るな!汚いんだよ!!」

 

「…亜、亜麻音さん」

 

思わずわたしは強い口調で言葉に出してしまった。

言われた虫はポカンとしていて、言葉も出さずに固まっていた。

 

「別に奏くんはみんなのためにピアノを頑張ってたわけじゃないし!というか気持ち悪いんだよみんなして!」

 

「な、なんだ射出のやつ…」

 

「マジ怖いんですけど」

 

気がつくと涙が止まらずに、わたしはわめき散らした。

なんか、わたしだけの奏くん(宝物)がいたずらされてるみたいで。

奏くんとのいままでを、ずかずか踏み荒らされたみたいで。

許せなかった。

あの時間に戻りたい。

わたしと、奏くんだけがいる音楽室に。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「そんなこともあったなぁ」

 

「あの時本当に驚いたんだけどね。まさかクールな亜麻音ちゃんがあんなこと言うと思わなかったし…まぁ、でも言いたいことがあれば言ったほうが()はいいと思うけどね」

 

「それは玲華ちゃんだからでしょ」

 

「私は思ったこと口に出しちゃうし」

 

「…それにしても懐かしいね」

 

「言うほど?」

 

わたしたちは中学に進学して、わたしはバスケ部に入った。

そうして数少ないオフの日に、玲華ちゃんを誘ってカフェテリアに入った。

中学に入ってからクラスが離れた玲華ちゃんはいつの間にか自分の名前を一人称にするのをやめていて、少し大人っぽくなったような気がした。

 

「聞きたかったんだけどさ、なんで玲華ちゃんは友達でいてくれたの?…わたし、みんなの前であんなこと言ったのに」

 

あの時から、クラスのみんなとの関係はギクシャクしたまま、小学校を卒業してしまった。

幸いにして、別地区の小学校から上がってきた子と友達にはなったけれど。

 

「んー。別に私も言いたいこといつも言ってるしさ。逆にさ、亜麻音ちゃんはそれまで背伸びしすぎてたって気がしたけど。…実際背もまた高くなってない?」

 

「ま、まぁそれはそうだけど…あれだけひどいこと言ったのに」

 

「…あーもー。もう気にしなくていいじゃん。もう終わったことだしさ。私だって、Guru!にアンチコメントとかついたら噛みつきたくなるしさ!亜麻音ちゃんの場合はみんなの不純な手のひら返しが嫌だったんでしょ?」

 

「そうだよ…だから、あの時は本当にムカムカして…ごめん。また思い出したらイライラしてきちゃった」

 

「背伸びしすぎって言ったけれど、反動すごすぎない?…やっぱりもう少し落ち着いたほうがいいって。バスケ部の2年生司令塔なんでしょ?」

 

「う、まぁ一応…」

 

「やれやれ。…まぁ、そんなことは置いといて、例の彼とはどうなの?」

 

「…うん。定期的に連絡は取ってるよ。向こうも忙しいみたいだけど、ちゃんと返信くれるし…。ああでも、なんかイメージだと音大附属とかかわいい子いっぱいいそうだし、奏くんカッコいいから、不安でいっぱいだよ!!あぁ、やだなぁ…だってわたしだけの奏くん(宝物)なのに…」

 

「わーお。相変わらずすごいこじらせ。頼むからどこかに連れ去ったりしないでね。友達としてインタビュー受けたくないし」

 

「…あーあ。一緒の学校だったらずっと一緒にいれたのに!奏くんを誘惑するものからブロックできるのに…」

 

「ブロックってバレーじゃん。あれ、バスケもあるか…まぁ、一応順調ってことでさ」

 

「わたしとしては会う回数が足りなすぎて、スマホの待ち受けばかり見ちゃうんだけど…」

 

「そうなの?どんなのにしてる?」

 

「それはね…」

 

私は玲華ちゃんにスマホを見せる。

それを見た玲華ちゃんは「ノロケすぎて…お腹いっぱい」と言ってあきれた顔をした。

 

そこには、私と同じぐらいまで伸びた身長の奏くんとわたしがお互い抱きしめあっている待ち受け画面。

 

待ち受け画面の時計は刻一刻と進んでいる。

わたしたちは嫌な思い出も最高の幸せも全部包み込んで、成長していく。

 

…わたしたちはなにがあっても一緒だよね…奏くん。

 

 

 




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