病街録   作:とうぶん

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いつも読んでいただき誠にありがとうございます!
今回は原点回帰したような感じです!



孤独を舐め合う比翼連理

この世の中は爛れたもので塗り固められている。

だから、腐った匂いで充満していているこの世界を、鼻を摘まみながら必死に掻き分けて生きていく。

 

…本来はそれが正しい生き方なのに、俺は順応することができなかった。

くたびれて生気のないスーツ姿の人間や、汚らしいほど強い香水まみれの人間が鼻につき、俺はだんだんと疲弊していった。

 

それが年がら年中続くのだから、気が狂わないわけがない。

連勤に次ぐ連勤で、身体はオイルが切れたブリキ人形のように次第に満足に動かせなくなる。

そんな状況で降ってくる大量の仕事を捌き続けることはできず、身体だけでなく脳の回路までショート寸前だった。

 

思考が止まりかける前に、俺は一つ、自問した。

 

これって、生きてるって言えるのかと。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「はい、お兄さん。朝ご飯ですよ」

 

御膳とも言えるような出来のいい飯が俺の前に置かれる。

俺一人の時とは、大違いだ。

酷いときは、菓子パン一個が一日の食事だった。

 

「ほら、あーん。どんどん食べてくださいね。これがお兄さんの血となり肉となるんですから。特にたんぱく質は大事ですよ」

 

目の前の女が飯を差し出してくる。

名前はナギという。

俺をいまだに生きながらえさせた女だ。

 

「早めに帰ってきますから。いい子で待っててください」

 

「ああ…おう」

 

鳥が自分の子どもへ餌を与えるように間断なく俺の口へ飯を運び続ける。

…本当に旨いな。味覚機能が生きていて良かったと思える。

 

俺の食事が終わると、ナギは俺に櫛を渡してくる。

ブラッシングしろ、ということなのだろう。

どこかで聞いた、髪は女の命という言葉が頭に浮かび、一瞬躊躇してしまう。

 

「あの…早くといてもらえますか?」

 

うずうずとしているナギに急かされ、俺はゆっくりと髪に櫛を入れていく。

女の髪をとかすなんてことをやったことがないが、なんとなくでやっていく。

 

「こんな感じでいいか?」

 

「はい。とっても気持ちいいです」

 

上から下へ、頭の中心から前髪へ。

勝手がわからないが、まぁ気持ちよさそうにしているからよいだろう。

 

「ありがとうございました。おかげでとっても綺麗になりましたよ」

 

「…そりゃどーも」

 

「またよろしくお願いしますね」

 

そう言うとナギは立ち上がり、別の部屋に行ってしまう。

俺以外誰もいない空間に、ポツンと取り残されてしまった。

空間自体はそれなりに広いはずなのに、急に狭まったように錯覚する。

俺とナギの奇妙な共同生活…というよりも、世話をしてもらっていることに関して、改めて思い返す。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

およそ100連勤くらいだろうか。

人間は疲労が積み重なると簡単な数字でさえ覚えづらくなっていく。

 

休みなく動き続ける身体は限界を迎え、深夜のデスクの前でイスに座りながら気絶していたこともあった。

 

俺が勤めていた企業はすでに機能不全に片足突っ込んだようなところであり、日中は恐ろしい上司の怒号が飛び交うような職場だった。

 

そんな状況だから当然、士気も低くなり能率も悪くなる。

…地獄のスパイラルに陥っていく。

同僚が徐々に一人欠け、二人欠けていく様を横目で見ていたが、屍を気にかける余裕すら俺にはなかった。

 

「オイ!!神尾ォ!テメェ、今日の契約どうなったんだよ!」

 

「…いや、その、プッシュしたんですけども、先方からは契約は難しいという回答でして…」

 

「それを取れるようにするのがテメェの仕事だろうがぁ!!だったら別の契約取れるところ当たれ!契約取れるまで帰るんじゃねーぞ!!グズが!」

 

「…はい」

 

もうここ最近まともに家に帰ったという記憶なんてないのに。

風呂に入っていない影響で脂ぎった頭を搔きながら、俺はデスクに戻る。

その道中には目に光のない同僚たちが、壊れたロボットのようにキーボードを叩きまくっている。

 

その様子には人間らしい「思考」が宿っているとはとても思えなかった。

 

このままだと、俺たちは水の中でもないのに溺れ、そのうち干上がることが見えてしまった。

 

 

あの後、なんとか気のいい客のおかげで契約のメドがつき、久方ぶりに自宅へ帰ろうとする。

深夜だからかより賑わいあっている飲み屋街を幽鬼のように覚束ない足取りで進む。

そこにイキった風貌の大学生らしきグループが風を切るようにしてすれ違った。

 

クソが。幸せそうにしやがって。テメーらもどうせ数年もすれば俺みたいに地獄に浸かるんだからよ。

 

「あ?…オッサン今なんか言った?」

 

「え?」

 

「なんか地獄がどうとか言ったか?」

 

「俺はクソがって言われたように聞こえたけど」

 

「い、いや、何も…」

 

マズい、まさか口に出てたか?

早く逃げねぇと…

そう思いながらも、身体をすぐに動かすことはできなかった。

そんな状態だから、俺はすぐに肩を掴まれた。

 

「なぁ、オッサン。ちょっと裏で少し()()しようぜ」

 

ニヤニヤとゲスい笑みを携えた集団が、俺を囲うようにして裏道へ入っていく。

…最悪だ。

自分が蒔いた種とはいえ、こうもツいていないものか。

 

 

「イキってんじゃねーぞ!クソ野郎が!」

 

「薄汚ぇオッサンだなぁ…手が汚れちまった。ペッ」

 

「でもラッキー。臨時収入ゲットだぜ」

 

ひとしきり、()()()()()されたあと、男の一人が俺に向けて唾を吐いて飲み屋街の方向へ立ち去った。

関節がひどく痛み、切れた唇は血が滲み出ていた。

暗い裏路地で、大量のゴミにまみれた自分がひどく惨めに思える。

 

「あ、ははっ…はっ」

 

渇いた声が小さく漏れ出る。

…俺にはなんもねぇじゃねえか。

そういえば、明日も仕事なんだっけ。

ああ、休みなんて概念がねぇもんな。

友人?…いつのまにかとっくに縁が切れてるよ。

家族?…親父とお袋は仲良く早々に死んじまったし。

…詰んでる。

安らかに逝けたらどれだけ良いのによ。

 

ああ、死ねよ、俺。

そしたら救われるかもしれねぇんだから。

分の悪い賭けでもねえだろ?

 

殴られた目の付近が痛いが、ゆっくりと目を閉じる。

もうなにも考えたくない。

…クソッタレ。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「……さん。…お兄さん」

 

「んあ…」

 

目を覚ますと、見知らぬところに寝かされていた。

がばりと体を起こそうとするが、身体の痛みで止まってしまった。

つうか、ここどこだ。なんか内装が白っぽい。

ついに天国に昇ったのかと一瞬思ったが、俺が天国に行けるような人間とも思えなかったし、なにより傍らにいた人間により思考が引き戻される。

 

「お兄さん。…よかった」

 

傍にいた女は目に涙を溜めていて、やがて少しずつ涙を流し始めた。

俺はこいつの顔を知っている。

ちょうど俺が倒れてた飲み屋街の一角で働いてた女だ。

まだ飲み屋に立ち寄れる余裕があったころ、少し話が弾んだことがあった。

だが…それだけだが。

 

「…お前、ナギ…だっけ?」

 

「…はい。ナギです。以前お兄さんとお話したことのある…」

 

「ああ…?」

 

状況がよくわからなくて、空間がぐにゃりと曲がる感覚。

なんで俺はここにいる。

確か俺は飲み屋街の裏路地で倒れてたはずだが。

 

「悪ぃ、よくわからねぇんだが…ここはどこなんだ?少なくとも俺が住んでたヘドロがたまったような部屋じゃねぇ」

 

「ここは、私の家です」

 

「結構良い部屋住んでんだな…」

 

俺の部屋とは雲泥の差だ。

何しろ足の踏み場があるだけで全く違う。

 

「お兄さん、一体何があったんですか?最近お店にも来てくれなかったし、久々に見たと思ったら酷いケガしているし…」

 

ナギの表情は哀れむような、心配しているようなものだった。

おそらくナギが打ち捨てられてた俺のことをたまたま見つけて、家まで運んでくれたってところなんだろうが…

正直、そこまでしてくれる関係性だったとは思えないが…

 

「まぁ、色々あってな。自業自得なところも多い」

 

「だからって、そんなボロボロに…」

 

「介抱してくれて、ありがとな。それより、早く仕事に行かないといけねぇ…痛っつ!」

 

掛けられていた時計を見ると、既に正午を回っていた。

 

ポケットから取り出した携帯には、刻まれた着信履歴に頭が眩む。

出社すればなんと言われるのだろうか。考えるだけで身震いがする。

けれど行かなければ、そこで終わりだ。

あそこで死ねなかったのなら、生きるしかない。

だったら、金がいる。

クソみたいな生活でも、金は必要不可欠なんだ。

 

「…ダメです。動かないでください。安静にしないと…」

 

俺が動き出そうとすると、ナギが泣きそうな顔で静止してくる。

何でだよ…別に長い付き合いってわけでもないのに。

 

「そんな状態で出社させようとする会社があるとしたら…おかしいですよ」

 

「…ナギ…」

 

なぜか俺はその考えに至ることはなかった。

普通なら身体を満足に動かせないケガなら休むしかないだろうに。

脳の中に蠢くもやが、少しだけ晴れた気がした。

すると、持っていた携帯が振動する。

ディスプレイに表示されたのは、上司の名前だった。

…出なければ。けれど…。休むなんて、言えるわけが…

 

「貸してください」

 

俺がまごついていると、ナギは俺の手元から素早く携帯を取り、呼び出しに応じる。

 

「おい!!神尾!無断欠勤とは良い度胸…」

 

「あの、お兄…いや、神尾さんは本日をもって会社を辞めます。退職届はお送りしますので」

 

「ハァ?てかアンタ誰…突然そんなの許される訳…」

 

「では、失礼します」

 

「おい!」

 

ブチッと、通話終了音が鳴る。

…あまりのスピード感に、俺はついていくことができなかった。

…いやいや、いやいやいや。

俺、無職になるじゃねえか!

なにしてんだこの女は!

 

「ちょっと待て、何で勝手なことしたんだ!」

 

さすがに助けてもらったとはいえ、ありえねぇだろ…

あぁ…どうすんだこれから。

 

「だってお兄さん苦しそうでしたし…そんなブラック会社ならとっとと辞めてやったらいいんですよ」

 

「そんな簡単な話じゃねえよ…!」

 

「だから、私が責任を取ります」

 

「あぁ…責任取るだぁ!?」

 

「私がお兄さんを養います。だから、お兄さんはこの家から出ないでください」

 

「は?」

 

養う…やしなう? え、なに、俺ヒモになるってこと?

ヤバイ、本格的に脳が宇宙空間ぐらいに広がっていく。

つうかそんなことして何の得があんの?

この女が考えていることが全く検討がつかない。

つか出るなってなんだよ。

意味不明。この一言に尽きる。

 

「いいですか。契約ですからね」

 

「えぇ…」

 

「…大丈夫ですよ。身の回りのことは私がやりますから」

 

「………」

 

勢いに負けた俺は、そのまま布団に潜り込んだ。

1日で職を失い…正確にはこれから職を失うわけだが…

ヒモ…ヒモかぁ。

なんか…紐買ってきたいなぁ…

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

こんな過程で俺はヒモとしてこの家にいることとなった。

まぁでも、怖い上司に怯えることもなく、幸せそうな人間に憎しみを募らせることもなく。ただ日々をナギと過ごしていく。

ある種、緩やかで幸せな日々なのかもしれない。

 

一応身体が回復した後に、部屋を見回ったが…

玄関を開けた隙間から見ると、外に補助の南京錠がついていた。そして俺はその解錠ナンバーを知らないし手もかけられない。

…確かに出ようと思っても出れない。

 

それならば各部屋の窓からならどうなんだと、窓の外を見るとかなりの高層であることがわかった。

ここから窓の外に出たら確実に弾けたトマトのようになる事を想像して、踏み出すことはできなかった。

 

…まぁいい。

俺だってもう外の世界なんてゴメンだ。

だが暇を持て余しているのも事実。

 

一度ナギが帰ってくるまで部屋の掃除や料理を作ったことがあったが、激しく憤りながら嬉しそうにしていた。

 

いわく、「お兄さんの手料理はすごく嬉しいけれどケガしたらどうするんですか」ということだった。

 

ちなみに作った飯はすぐに平らげられ、刃物や掃除用具は使用禁止が出された。なんて無体な…

 

また、携帯も新しいものが買い与えられたが…連絡先はナギだけだった。

まぁ…これもいい。どうせ俺には友達も家族もいないのだから。

 

あとは…ずっと不思議に思っていたのが、ナギがなぜ、こんなことをしたのかがわからないままだった。

 

住居に関しては、親の遺産が相当なものだったらしく、それもあってここに住んでいるという話をしていたが…

だが、俺をヒモにした理由が…いまだはっきりとしていない。

少なくとも好意はあるのだろう。それくらいなら俺でもわかる。

だが…明らかに行き過ぎではある。

なにがナギを突き動かしているのか?

そんなことを考え続けながら、昼間から発泡酒を飲み続けている。

…こんな贅沢なことをしていて、本当に人間として良いのかぁ…?

今俺がこうしてノンキに酒を飲んでいる間に、ナギは働いているのだ。

…そういう契約であっても、罪悪感だけは募る。

 

 

 

「ただいま帰りました」

 

「おー、お帰り」

 

夕方になってナギが帰ってくる。

その手には、スーパーの袋を携えていた。

 

「待っててくださいね。もう少ししたらご飯作りますから」

 

「そんなに急がなくていいんだが…」

 

俺はせめてもと、ナギが持っていたスーパーの袋を持っていこうとしようとすると、くわっとナギの表情が強ばる。

 

「…お兄さんは、そんなことしなくていいんです」

 

「あ、あぁ。…悪かったわ」

 

その圧に負けて、俺は手を引っ込める。

…なんで、そんなに拒絶するんだ?

俺がなにもできなくなってしまうじゃないか。

袋を台所に持っていく小さな背中を見届けながら、俺は本当にこのままでよいのだろうかと、自らに問う。

 

これも、生きているって言えるのかと。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

私は、天涯孤独となりました。

21歳の春、両親が連れ添うように突然病死したのです。

私には兄妹はいないし、親戚付き合いもあまりしていなかった両親だったからか、頼れる人もいませんでした。

それはつまり、血縁関係がなくなったということ。

 

両親が健在だったころから、私は今の住居で一人暮らしをしていて、地下アイドルのようなことをしていました。

それなりに裕福だったから、そんなことができたのです。

けれど両親が亡くなり、遺された私は遺産を全て引き継ぐこととなりました。

実は隠された負の遺産が…ということもなく、それなりに生活できるぐらいには遺産があったのです。

けれど、お金はあっても愛情はどこにもありません。

やっていた地下アイドルも、メンバーの規約違反から解散を余儀なくされ、私はバーの店員として働き始めました。

 

…そこにお客さんとして現れたのが、お兄さんでした。

あの時は、今よりかなり血色が良かったような。

本来ならそこまで深い繋がりにはならないような関係。

 

けれど、話の弾みで天涯孤独になってしまったことを言ったことがきっかけで、お兄さんとの共通項ができたのです。

それから、何度かお兄さんと話していく中で、惹かれていく自分がいました。 

 

別に天涯孤独ということで色眼鏡で見られることもないですし。

なにより、話していて楽で楽しいのが一番でした。

 

けれど、来店される回数がどんどん減っていき、たまに来店した日は、度数の強いお酒をまるで自らを壊すために飲んでいたのです。

 

私はことあるごとに止めましたが、「酒飲まないと、やってられねぇんだよ。俺はブラック企業に勤めてるんだから…」と取り合ってくれませんでした。

 

既にあの時から、お兄さんは限界に差し掛かっていたのでしょう。

 

そうして、いつの日かぱったりと来なくなってしまったのです。

せめて連絡先を交換しておけば…と遅い後悔をしていたところで、お店のごみ出しをしようとしたところ、ごみにまみれながら衰弱しているお兄さんが転がっていたのでした。

 

この時、不謹慎ではありましたがチャンスだと思いました。

なぜなら脱力した男性を担ぐのは難しいと思っていたのですが、本当にお兄さんは成人男性なのかと思うほど軽かったのです。

 

おそらく食事もまともにとっていなかったのでしょう。

頬は痩せこけ、なぜかはわからないのですが至るところに血が滲んでいました。

 

状況的には、救急車を呼ぶのが最善なのでしょうが…

黒い私が、囁いたのです。

「命には別状ないだろうから、家に連れ込んで恩を売れ」と。

 

私はその意思に従い、お兄さんを家に連れ込んで、看病したのです。

お兄さんが起きた時は本当に良かったと思いながら、想定通りに事を運ぶことができそうなことに安堵しました。

 

それからは、お兄さんを追い詰めた悪徳企業を辞めさせ、ダメ押しに私と同居させることに成功しました。

 

これでほとんど計画完了…というところですが…。

 

まだです。

まだ必要なことがあります。

 

ああ、お兄さん。

私のために、鼓動を打つだけで良いんです。

頭の中を、私で染めてください。

余計な事を頭から抜いてください。

ただただ、私のためだけに生きてください。

 

そうしたら、私たちは2人だけの世界で孤独という絶望を和らげることができるんですから。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

俺がナギの家に身を置いてから数ヶ月ほどたっただろうか。

もとよりほぼなかった曜日感覚は完全に失せ、ほとんど変わらない生活をしている。

 

ナギに飯を食べさせてもらって、ナギの髪をとかして、ナギが仕事に行っている間はゴロ寝しているかテレビを見たり、携帯をいじっているぐらいだ。

そうして、ナギが帰ってきたらまたメシを食べさせてもらって一緒に寝る。

ただこれを繰り返すだけ…だが、自分の顔を鏡で見た時に、顔や腹に肉が戻っていて以前の俺とは明らかに異なっていた。

 

身体にゆとりを持つことができると、また社会と繋がりたいという欲求がもたげてくる。

 

あれだけ外の世界でけちょんけちょんにされたのに、自分でも変だとは思うが…

ただ、ナギに全てを委ねるこの人生は、なんだか情けないと同時に罪悪感を感じてきて。

 

…どうも俺にはヒモの才能はなかったようだ。

 

そんなことを頭の中で浮かべたまま数日が経ち、ナギの休日が訪れた。

 

「なぁ…一つ、伝えたいことがあるだが」

 

「ん…なんでしょう。あ、手は止めないでくださいね」

 

メシを食べさせあったあと、今は手を握りあっている。

どうやらナギはスキンシップが好きらしく、とにかく引っ付きたがる。

その事を聞くと、「言葉よりも体温が伝わる方が安心するんです」という回答が返ってきた。

 

俺よりも小さくて、柔らかい手のひらを、揉んでいく。

…こんなことをしていると、なおさら罪の意識が俺の心を侵していく。

こんなか弱いナギに、俺という何も生産しない穀潰しが寄りかかっていていいのかと。

 

「あのさ…ナギ。俺、そろそろ外に出てみようと思うんだが」

 

「それはなぜでしょう?」

 

俺の切り出しに、ナギはなんとも平坦な声で返してくる。

その声音には、喜びも怒りもない。

ただ単純な疑問だけが含まれたものだった。

 

「その、なんだ。…ダメなんだよ、俺。いや、ナギが悪いわけじゃねぇんだ。俺にはもったいないぐらいの生活なんだ。けれど、それがどうにも腑に落ちないんだよ」

 

「腑に落ちないとは?」

 

「いやさ、今俺は客観的に見て、全てをナギに世話してもらっているだろ?…それが、俺はどうもそれが許容できなくなってきている。…数ヶ月なら、身体や心を労ることを理由にできた。けれど…さすがにもうこれ以上は…」

 

「ふぅ、…まぁ良いでしょう。それなら今日、私と家を出てみましょうか」

 

「…本当か!」

 

「では支度をしますので、服を取り替えてください。今持ってきますので」

 

…なんだか予想よりもすんなりと交渉がうまくいった。

これなら、ナギに恩を返すことができるだろう。

外に出れるようになったらとりあえず仕事探しでもするか。

少しずつ、金だって返していけばいい。

 

「じゃあ、行きましょうか」

 

いつの間にか買われていた俺用の私服に袖を通し、久々の外の世界に繋がるドアを開く。

 

「うわっ…」

 

刺々しい直射日光、長らく味わっていなかった外気に身体が揺らめく。

一瞬、身体の中身をもどしてしまいそうな感覚。

 

「どうですか、調子は?」

 

「想像以上に…しんどいかもな」

 

「そうですか」

 

ナギは俺を見ながら変わらずに淡々とした語り口。

まぁ、これもしばらくすれば慣れるだろう。

 

「今日はどこか行きたいところがあるのか?」

 

「ええ、まぁ。…普通に、デートしましょう」

 

「デート、ねぇ…」

 

ぶっちゃけ、むず痒い。

これが青春真っ盛りな中高生ならともかく、俺みたいなそれなりに歳を重ねたしけた人間には口に出しずらいワードだ。

まぁ、ナギが満足するならそれでいいとは思うが。

 

俺はこれまで知らなかったこのマンションのエントランスを抜けながら、そう思った。

 

うだるような熱のせいで、舗装されているアスファルトも恐ろしい熱さを持っていそうだと思いながら、街を歩く。

 

世間的には休日の日曜日ながらも、スーツを着た中年がどこかに忙しなさそうに駆けていく。

休日出勤だろうな。ふと、胸がズキリと痛む。

一時前の自分を見ているようで、心が揺れる。

一方でやはり休日ということもあって、カップルがそこかしこにいて、いやでも目に入ってくる。

これも、本来なら俺の精神衛生上有毒…なのだが。

 

「さっきから上の空ですね…心外です。さすがに」

 

「あっ、ああ、悪ぃ…」

 

「外を見るより、まず私をきちんと見てほしいです」

 

隣にいるナギが若干拗ねながら、俺の横腹をつついてくる。

…よく見なくても確かに抜群にかわいいが。

現に通りがかる男の視線がチラチラとナギに向いているのがわかるし。

年下の女に世話されている身で、そんなキザなセリフを吐ける気も起きなかった。

 

「今日はあそこに行きましょうか」

 

「あれかぁ…」

 

ナギが指差したのは大規模なテーマパークだった。

なるほどここから見ても、象徴のバカでかい観覧車がそびえ立っている。

 

「ここからならそう遠くありませんから」

 

「ま、そうだろうな」

 

久々に外に出て、行き先がテーマパークなのは少しハードにも思えるが、ナギが行きたいなら意向を尊重したい。

 

…しかし、どうにも暑すぎる。汗が滴り落ちまくる。

外って、こんなにしんどかったっけ。

 

 

俺とナギは電車に乗り込んだ後、なんとかテーマパークの入園を済ませた。

 

電車の中では人がごった返している車内で、胃が締め付けられ、胸の鼓動が激しくなるのを気力で抑え込む。

全てはナギのためだった。

 

「お兄さん、あれに乗りませんか?」

 

ナギが指差す先にはメリーゴーランドがあった。

見ると、子どもたちがキャッキャ言いながら楽しそうにしている。

 

「ずいぶんメルヘンなやつだな…」

 

「嫌ですか?」

 

「いや、別にそういうわけじゃねぇんだけど…」

 

ナギならともかく、あんまりにも俺とはかけ離れていて、乗っている自分が想像できなかった。

スタッフに誘導され、機械式の馬にゆっくりと股がる。

悪ぃな、俺なんかが乗って。

どうせならナギのほうがいいだろうに。

…そんなことを思い、乗っている馬が哀しげな表情を見せているように錯覚しながら、メリーゴーランドは回り始める。

 

「お兄さん、どうですか?」

 

「あぁ、悪くねぇな…」

 

隣の馬に乗るナギは上下に動きながら俺に手を伸ばしてくる。

こう見ると、年相応の女に思えてやはりかわいく思える。

いつもの生活では、そこまで感情の動きを見せないから。

 

…俺という存在のせいでそうさせていると思うと、罪の意識が積み上がってくる。

罪悪感という衣を纏いながら、アトラクション終了までゆっくりと回り続けた。

 

 

それからは、ナギが興味を惹かれたアトラクションに乗り続けた。

ゴーカート、ジェットコースター、迫力のある映像アトラクション。

 

仕事に忙殺され、世界に呪詛を撒き散らしていた俺に伝えても、信じてはくれないだろう。

お前が呪っていた幸せな世界の住人になっているなんて。

というより、以前の俺が今の俺を見たら亡き物にしようとしそうだ。

 

「ほら、早く口開けてください」

 

「んが」

 

さっきナギが買っていたチュロスを口に突っ込まれ、咀嚼していく。

甘味が口いっぱいに広がり、それは周りの人たちが放っている笑顔の味にも思えた。

 

さっきから情緒が忙しすぎる。

罪悪感とか、甘さを感じたりだとか。

本来、人間が感じるものはこういうものじゃないか。

負の感情一辺倒ではなく、悲喜こもごもというか。

やっと正しい人間の情緒バランスになってきたような気がする。

 

 

「色々回りましたね」

 

「あぁ、そうだな…もう、足が棒みたいになってやがる」

 

ひとしきり回り、もう少しで夕暮れ時に入る時間帯になる。

とびきり健全な人間の気分になれた一日だった。

 

「あの、最後に…観覧車に乗りませんか?」

 

「あぁ、そういや乗ってなかったな、こんな看板アトラクションみたいな感じなのに」

 

「…最後に、乗りたかったので」

 

俺たちは観覧車に乗り込み、徐々に地上から離れていく。

そこからは遠く離れた景色まで見通すことができた。

 

「お兄さん、今日はどうでしたか。…楽しめましたか」

 

「ああ。久しぶりに世界に解き放たれたって感じだった。…あ、いつもが悪かったってわけじゃないぞ。それに、想像以上に自分が回復してるのがわかったわけだ…」

 

「………」

 

「だから、俺さ。明日からも外出るわ。ま、すぐに仕事が見つかるかわからねぇけど、ナギに迷惑かけた分、きっちり返すからよ」

 

「そうですか…」

 

「おう、任せてくれ!」

 

俺が作れる精一杯の笑顔をナギに向ける。

これからは、ナギだけに背負わせない。

俺は俺の足で立って、幸せを引き寄せる。

 

 

「…虚勢ですよね、それ。…あぁ、残念です。お兄さんのことだからそう言うと思いましたが」

 

「あ?」

 

「お兄さん、わたしを舐めてるんですか?今日一日、わたしが何も考えずにただお兄さんを連れ回したとでも?」

 

ジロリと目の奥から発される爆発的な感情に俺は気圧される。

なんでだ?ナギは何を怒っているんだ?

 

「今日サラリーマンを見た時に何を思いましたか?電車に乗ったときの体調は?メリーゴーランドに乗っていた時のお兄さんの思い詰めたような表情は?」

 

「全部、悪感情ですよね。これが、外に出るということです。私だけでない、他者や外的要因から感じとるものです」

 

ナギがシートから立ち、俺の左胸に人差し指を立てる。

心臓を掴まれているようで、急に鼓動が高まる。

 

「お兄さんは耐えられるんですか…?この爛れた世界に耐えうる強度をお持ちなんですか?…私はそうは思えません。お兄さんは、私に庇護されるべきなんです」

 

「待ってくれ、それは生きているとは言えねぇだろ…生かされているだろうよ」

 

「何を今さら。何も恥じるべきことではないですよ」

 

「違う!俺は何もできなくなるのが怖いんだ!全てをナギに依存するのが…堪らなく怖いんだ」

 

俺はみっともなく頭を抱えた。

そろそろ観覧車は頂上に近づき、本格的に下界と隔離された空間となる。

すると、ナギは抱えている頭の上から包み込むようにしてくる。

 

「お兄さん、わたしはお兄さんが無理して壊れてしまうことのほうがよっぽど怖いです。…もっと怠惰になっていいんですよ…。お兄さんはそのままでいいんです」

 

「うぁ…」

 

「自分を赦してあげてください。…お兄さんの存在は、私を生かすという役割をきっちり果たしているのだから。人一人、生かしている。凄いことじゃないですか?」

 

「だから、お兄さんがこれからすべきことは、腐った世界に飛び出すことじゃない。私のことだけ考えて、私のために生きることです。そうすれば…私たちは孤独じゃなくなるんです」

 

「ナギ…」

 

「契約、更新しましょうか?…固く、固く結びましょう。決して破れないように」

 

ちょうど頂上となり、奇しくも他人の手が及ばないこの場所で、俺たちは二人きりで唇を交わした。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「………」

 

お兄さんは今日の疲れだろうか、家に着くとすぐに寝ついてしまった。

 

計画が全て、完了した。

よかったと身体から力が抜けた。

お兄さんが庇護される道を選んでくれて、本当によかった。

それでも、なんだかプロポーズじみたことを言ってしまった気がする。

「私のために生きて」はそのまますぎただろうか。

だけど、本当のことだ。

だって、お兄さんがいなくなったら私は本当の孤独に苛まれることになるんだから。

どちらにしても、私たちはどちらも欠けることができないんです。

 

私たちは運命共同体。

もし仮にお兄さんがいなくなったら…

その時の選択は、決まっていますので。

 

ね、お兄さん…

 

 

 




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